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名古屋グランパスとは?

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【名古屋グランパスエイト】

【原語表記】
名古屋グランパスエイト
【呼称】
名古屋グランパス
【愛称】
赤鯱
【クラブカラー】
レッド
【創設年】
1991年
【所属リーグ】
日本プロサッカーリーグ
【所属ディビジョン】
J1リーグ
【クラブライセンス】
J1
【ホームタウン】
名古屋市豊田市みよし市
中心とする愛知県全県
【ホームスタジアム】
パロマ瑞穂スタジアム
豊田スタジアム
【収容人数】
パロ瑞穂:20,223、
豊田ス:41,255
【運営法人】
株式会社名古屋グランパスエイト
【代表者】
小西工己
【監督】
風間八宏
【公式サイト】
公式サイト
今シーズン

■テンプレート(■ノート)サッカークラブPJ
株式会社名古屋グランパスエイト
Nagoya Grampus Eight Inc.
種類
株式会社
【市場情報】
未上場

【本社所在地】
460-0008
愛知県名古屋市中区栄5-28-12
名古屋若宮ビル4階
【設立】
1991年7月17日
業種
サービス業
法人番号
1180001038970
【事業内容】
サッカークラブの運営
【代表者】
小西工己
【資本金】
4億円
【売上高】
44億4600万円 (2016年1月期)
【営業利益】
9700万円 (2016年1月期)
【経常利益】
3800万円 (2016年1月期)
【純利益】
3000万円 (2016年1月期)
【純資産】
6800万円 (2016年1月期)
【総資産】
9億5600万円 (2016年1月期)
【決算期】
1月期
【主要株主】
トヨタ自動車 50.12%
中日新聞社 8.04%
中部電力 3.21%
三菱UFJ銀行 3.21%
東海旅客鉄道 3.21%
東邦ガス 3.21%
名古屋銀行 3.21%
名古屋鉄道 3.21%
ノリタケカンパニーリミテド 3.21%
大丸松坂屋百貨店 3.21%
他10社
【外部リンク】
nagoya-grampus.jp

名古屋グランパスエイト(なごやグランパスエイト、Nagoya Grampus Eight)は、日本名古屋市豊田市みよし市を中心とする愛知県全県をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。呼称は名古屋グランパス(なごやグランパス)である。また、Jリーグ創設当初からのチーム、オリジナル10の一つである。

目次

  • 1 概要
  • 2 歴史
    • 2.1 Jリーグ加盟まで
    • 2.2 1990年代
    • 2.3 2000年代
    • 2.4 2010年代
  • 3 成績
  • 4 選手・監督・コーチ
  • 5 タイトル
    • 5.1 国内タイトル
    • 5.2 国際タイトル
    • 5.3 個人別
  • 6 スタジアム・練習場
  • 7 アカデミー・育成
    • 7.1 出身選手
    • 7.2 主なタイトル
      • 7.2.1 U-18
      • 7.2.2 U-15
      • 7.2.3 U-12
  • 8 ユニフォーム
    • 8.1 チームカラー
    • 8.2 エンブレム
    • 8.3 ユニフォームスポンサー
    • 8.4 トレーニングウェアスポンサー
    • 8.5 ユニフォームサプライヤー遍歴
    • 8.6 歴代ユニフォームスポンサー年表
  • 9 クラブ情報
    • 9.1 マスコットキャラクター
    • 9.2 スポンサー
    • 9.3 名古屋グランパス後援会
    • 9.4 歴代スタジアムDJ
  • 10 メディア
    • 10.1 試合中継
      • 10.1.1 テレビ放送
      • 10.1.2 ラジオ放送
    • 10.2 応援番組
    • 10.3 その他
  • 11 決算
    • 11.1 損益
    • 11.2 貸借
  • 12 注釈
  • 13 出典
  • 14 関連項目
  • 15 外部リンク

概要

詳細は「トヨタ自動車工業サッカー部」を参照

トヨタ自動車工業サッカー部(1939年に創部)が母体であり、1991年のJリーグ発足時に加盟した10チームの一つ(オリジナル10)。ホームスタジアムはパロマ瑞穂スタジアムおよび豊田スタジアム、練習場はトヨタスポーツセンター第1グラウンドである(詳細は#スタジアム・練習場を参照)。

ホームタウンは2011年まで名古屋市のみであったが、2012年より名古屋市、豊田市みよし市を中心とする愛知県全県へ変更している。

チーム名の「グランパス (Grampus)」は英語で(名古屋城金鯱)、「エイト」は名古屋市の市章「丸に八」からきており、末広がりを表す。公式にはこのチーム名は名古屋市による命名としているが、「エイト」の部分は豊田章一郎(トヨタ自動車社長(当時))が「トヨタ」のカタカナの総画数が「8」であることから命名したという。なお、2008年シーズンより呼称を「名古屋グランパス」へ変更したが、中日新聞は「1チーム11名のサッカーのチーム名に8が付くことのアンバランスさを解消すること」、「リーグ戦では8位前後が多いため、そのイメージを払拭すること」を理由に挙げている。

チームロゴは発足より筆記体の「Grampus」に上下にそれぞれ「NAGOYA」「EIGHT」が組まれるスタイルが取られていたが、2017年より2段組の「NAGOYA」「GRAMPUS」となり、フォントはエンブレムに使われているものをベースとしている。

名古屋グランパス専用用具車

歴史

Jリーグ加盟まで

プロリーグ設立委員会から話を持ちかけられた当初、トヨタ自動車は「先行きに見通しが立ちにくい」とJリーグ参加には難色を示し、1990年5月に不参加を決定した。それに対し、プロリーグ設立委員会は「名古屋にチームが無ければリーグが盛り上がらない」と説得し、県協会を使っての署名活動や地元メディアと連携し、Jリーグ加盟を取り付けたという。トヨタの参加表明は不参加決定を発表してから7ヶ月後、同年12月のことだった。なお、プロとして活動する選手をグランパスエイトに、またグランパスエイトに参加せずに社業に専念する選手を静岡県裾野市にあるトヨタ自動車東富士FC(当時東海社会人サッカーリーグ所属。1993年廃部)にそれぞれ移籍させた。

地域密着を理念とした加入条件に「チーム名に企業名を付けない」があったが、トヨタは「どうせやるならトヨタの“ト”の字も出すな。」とチームに企業色を全く出さなかったために、協会から「小さくてもいいから自社の証であるものをユニフォームに入れてくれないと広告宣伝費として認められない」と諭される。そのため、トヨタが袖スポンサーから胸スポンサーに移動する2001年までは、胸にチームロゴを入れていた。

Jリーグ開幕前年の1992年には、チームの目玉として1986 FIFAワールドカップ得点王のゲーリー・リネカーと契約した。なお、当初はディエゴ・マラドーナの獲得を目指していたが、マラドーナの麻薬所持疑惑により白紙撤回され、スキャンダルのないクリーンなイメージのリネカーを獲得した経緯がある。海外合宿を経て、名古屋での初試合は8月1日に行なわれたブラジル・コリンチャンスとの親善試合であった。Jリーグのプレマッチとして行われた1992年のJリーグカップは、ジョルジーニョ小倉隆史森山泰行中西哲生岡山哲也らが活躍。中でも小倉は5得点を決め、3位の成績をおさめた。

1990年代

Jリーグ開幕戦のスタメン

1993年
開幕前から引き続き監督は平木隆三が務めた。ピッタを獲得、平野孝ら即戦力の新人が複数入団した。小倉隆史は1年間オランダへ留学した。
5月2日のプレシーズンマッチ・SSラツィオ戦では、浅野哲也とリネカーのゴールによって日本のクラブチームとして初めてセリエAのチームに勝利した(スコアは2-1)。しかし、リーグ戦に入るとリネカーのケガの影響もあり低迷し、2ndステージ開幕前にエリベウトンを獲得するも、年間総合9位(12勝24敗)に終わった。
1994年
監督にゴードン・ミルンが就任。
サントリーシリーズは8位(9勝13敗)。7月にドラガン・ストイコビッチビニッチを獲得してニコスシリーズに臨んだが、最下位(6勝16敗)に低迷。11月にはミルンが監督を解任された。
年間総合も11位(15勝29敗)。この年よりJリーグに加盟した磐田平塚より下位で、かつ前年と同じ顔ぶれとなった浦和G大阪とともに「Jリーグのお荷物」と呼ばれた。なお、浅野哲也はシーズン途中に期限付き移籍、リネカーはシーズン終了後に引退した。

ベンゲルの用いたシステム

1995年
監督にアーセン・ベンゲルが就任。阪倉裕二フランク・デュリックストーレスジェラール・パシを獲得、大岩剛本田征治が入団。藤川久孝ハーフナー・ディド、エリベウトン、ガルサ、ジョルジーニョ、ビニッチが退団。
ベンゲルはそれまでのキーマンの個人能力頼りの戦術を改め、中盤の4人がフラットに近い形で並ぶ4-4-2を採用して高い位置からプレスをかけてボールを奪い、攻守の切り替えを素早く行うという組織的な戦術を植えつけた。当時のヨーロッパではスタンダードな戦術の1つであったが、Jリーグ開幕から間もない日本においては斬新なものであった。この戦術の攻撃のキーマンにストイコビッチを据え、少し引き気味のポジションから自由自在に攻撃を組み立てた(そのため、システムは4-4-1-1とも表現される)。中盤ではデュリックスが攻守に献身的に動き、トーレスがラインを統率して守備面でも安定感を示した。
選手の長所を伸ばすことを目指して自信を植え付けていき、元々代表クラスの選手を抱えていたこともあり、年間総合3位(32勝20敗)。第75回天皇杯全日本サッカー選手権大会で優勝した。
1996年
ベンゲル体制2年目。西ヶ谷隆之福田健二望月重良が入団。小杉敏之沢入重雄米倉誠、パシが退団。
2月に小倉隆史が全治6か月の大怪我を負い長期離脱 すると、それを補うようにオリビエトーマスを獲得。この年は1シーズン制で成績は2位(21勝9敗)。その結果によりサントリーカップ・96チャンピオンズファイナルに進出し、清水鹿島と対戦して勝利し年間王者となった。9月にベンゲルが監督を退任、カルロス・ケイロスが就任した。
1997年
ケイロス体制2年目。伊藤卓古賀正紘滝澤邦彦中谷勇介バウドリカルジーニョを獲得。石川研谷口圭、中西哲生、森山泰行、オリビエ、デュリックス、トーマスが退団。
前年度の年間王者としてサンワバンクカップへ出場し、MLSカップ優勝のD.C. ユナイテッドに勝利した。リーグ戦では年間総合9位(16勝16敗)。天皇杯はJFL・東京ガスに敗れた。11月にはケイロスが監督を退任、田中孝司が就任した。
1998年
田中体制1年目。石川康大森征之野口幸司ベルナール・アルーを獲得。リカルジーニョが退団。
6月にバウドが退団、7月にウリダを獲得。福田健二がリーグ戦16得点を挙げ、年間総合5位(23勝11敗)。
1999年
田中体制2年目。楢崎正剛山口素弘呂比須ワグナーを獲得、宮原裕司が入団。アルーが退団。
シーズン開始直後に監督の田中孝司と平野孝、望月重良、大岩剛、小倉隆史との確執が表面化し、4月に田中が監督を辞任。後任にダニエル・サンチェスが就任し、1stステージ終盤に調子が上向き最終的に8位(7勝1分7敗)で終わる。しかし、2ndステージでは開幕戦で敗北を喫すると再び調子が悪くなり、サンチェスが監督を退任。後任に鹿島で指揮を執ったジョアン・カルロスが監督に就任。その直後に10連勝するなど、最終成績は2位(11勝1分3敗)、年間総合4位(18勝2分10敗)。天皇杯では2度目の優勝を果たした。

2000年代

2000年
カルロス体制2年目。ホミルドを獲得、原竜太藤田泰成が入団、下部組織から氏原良二が昇格。浅野哲也、伊藤裕二、小倉隆史、野口幸司、トーレスが退団。
1stステージは12位(7勝1分7敗)。2ndステージ開始直後の7月5日に平野孝、望月重良、大岩剛の解雇が発表される。これに関して当時副社長の小宮好雄は「3人は高い能力を持ちながら、怠慢プレーに加え、秩序や規律を乱す存在だった」と理由を説明した。これはカルロスの強い意向が働いたもので、戦力低下を危惧するストイコビッチなどの主力選手は彼らの残留を懇願したが、7日に社長から3人の放出が正式に発表された。7月にウェズレイを獲得。2ndステージは7位(7勝1分7敗)、年間総合9位(14勝2分14敗)。
2001年
カルロス体制3年目。森山泰行が復帰、海本慶治酒井友之を獲得、中村直志原田拓山内友喜吉本岳史が入団。飯島寿久小川誠一、呂比須ワグナー、ホミルドが退団、氏原良二は期限付き移籍。
1stステージは3位(10勝2分3敗)。1stステージ終了後にストイコビッチが引退、マルセロを獲得。ほぼ同時期に福田健二が移籍した。また、カルロスを監督から解任。
年間総合は5位(17勝3分10敗)。

2002年 2ndステージ

2002年
新監督にズデンコ・ベルデニックが就任。片桐淳至吉村圭司鄭容臺を獲得、下部組織から山口慶が昇格。宮原裕司が退団、氏原良二は引き続き期限付き移籍。
5月にウリダとマルセロが退団。7月に森山泰行が退団、パナディッチヴァスティッチを獲得。これまで基本システムとして4-4-2を採用していたが、シーズン途中から3-5-2へと変更した。
1stステージは3位(10勝5敗)、2ndステージは13位(5勝1分9敗)、年間総合は6位(15勝1分14敗)。
2003年
チームスローガン:ハード・魂(ハート)。
ベルデニック体制2年目。海本幸治郎広野耕一藤本主税を獲得、深津康太渡邊圭二が入団、下部組織から平林輝良寛が昇格。山口素弘、鄭容臺が退団。2月には上田滋夢がテクニカルディレクターに就任した。
パナディッチ、大森征之、古賀正紘による3バックとボランチの中村直志と吉村圭司が機能し、高い守備力を誇るが反面得点力は乏しかった。5月にヴァスティッチが退団すると、6月にマルケスを獲得。1stステージでは7位(5勝8分2敗)。
ウェズレイとの間の確執が表面化したベルデニックは、1stステージ終了後に監督を解任され、後任にネルシーニョが就任した。9月に石塚啓次を獲得。2ndステージは8位(6勝4分5敗)、年間総合は7位(11勝12分7敗)。ウェズレイがJ1得点王を獲得した。
2004年
チームスローガン:ハード・魂(ハート)。 - 2004年、超える。-
ネルシーニョ体制2年目。森山泰行が復帰、秋田豊岩本輝雄角田誠川島永嗣河野直人ジョルジーニョを獲得、大野敏隆が期限付き移籍で加入、豊田陽平が入団。酒井友之、原田拓、藤本主税が退団。
6月に森山泰行とパナディッチ、8月に滝澤邦彦が退団。7月にクライトンを獲得、井川祐輔が期限付き移籍で加入。その後、本田征治が退団、滝澤邦彦が期限付き移籍。年間総合成績は7位(12勝8分10敗)。
2005年
チームスローガン:赤鯱魂 - Grampus-Spirits -
ネルシーニョ体制3年目。増川隆洋安英学を獲得、鴨川奨杉本恵太須藤右介本田圭佑が入団、下部組織から津田知宏が昇格。岩本輝雄、氏原良二、岡山哲也、海本慶治、海本幸治郎、滝澤邦彦、原竜太、藤田泰成、ジョルジーニョが退団。この年は新潟との間で、岡山哲也・海本兄弟・安英学と4件の移籍が発生した。
シーズン中、片桐淳至と河野直人が期限付き移籍。4月にウェズレイが退団した。第8節終了時点で2位まで上がったが、5月にマルケスが退団すると下降の一途を辿った。6月に藤田俊哉中山悟志を獲得。7月にルイゾンを獲得するが、成績不振を理由にネルシーニョが監督を解任されると、ルイゾンも退団した。不振からJ2降格争いを演じるが、最後の2試合を1勝1分で終えJ1残留を決めた。最終成績は14位(10勝9分15敗)。
2006年
チームスローガン:前線へ。その先へ。- Grampus Challenge 2006 -
新監督にセフ・フェルホーセンが就任するが、フェルホーセンを招いた上田TDが1月に解任された。有村光史玉田圭司金正友マレク・スピラールを獲得、阿部翔平井上渉片山奨典竹内彬が入団、下部組織から青山隼が昇格。河野直人、クライトンが退団、広野耕一が期限付き移籍。
フェルホーセンはチームの建て直しを図ったが、前線でポストプレーができる長身の選手がおらず、本来のスタイルと異なる玉田にその役割を求めたことで玉田自身もスランプに陥ってしまう。ディフェンダーの古賀正紘を起用するなど打破を狙ったものの、シーズン序盤にはナビスコカップを含めると公式戦16試合勝ち星がないと言う苦しい状況が続いた。7月にフローデ・ヨンセンを獲得すると次第に復調し、最終成績は7位(13勝9分12敗)。
2007年
チームスローガン:前線へ。その先へ。
フェルホーセン体制2年目。米山篤志を獲得、小川佳純筑城和人巻佑樹が入団、下部組織から新川織部長谷川徹福島新太吉田麻也が昇格、櫛野亮が期限付き移籍で加入。秋田豊、川島永嗣、古賀正紘が退団。
2月に角田誠が退団。開幕4連勝など幸先良いスタートを切ったが、主力選手の怪我や出場停止などによって好不調の波が激しく、近年の課題でもあった決定力不足を露呈し、前半戦終了時点で14位。8月の横浜F・マリノス戦で3 - 0の惨敗を喫すると、一部のサポーターが問題行動を起こす(次の大宮アルディージャ戦の試合前に両者とも謝罪)など亀裂が生じていた。最終成績は11位(13勝6分15敗)。天皇杯は5回戦でJFLのHonda FCに敗退した。

2008年の基本システム

2008年
チームスローガン:前線へ。その先へ。 - Never give up for the win. -
新監督にストイコビッチ、コーチにハーフナー・ディドボシュコ・ジュロヴスキゼネラルマネージャー久米一正が就任。西村弘司三木隆司バヤリツァマギヌンを獲得、佐藤将也が入団、下部組織から花井聖が昇格。鴨川奨、須藤右介、豊田陽平、本田圭佑、金正友、スピラールが退団。
2節から7節を6連勝するなど幸先良いスタート切りるなどして最終節まで優勝争いを演じ、最終的に3位(17勝8分9敗)。初めてAFCチャンピオンズリーグの出場権を獲得した。また、8月には1993年のJリーグ開幕以来1度も勝ち星を挙げることができなかったカシマスタジアムでの鹿島戦で初勝利を収めた。
2009年
チームスローガン:Never give up for the win. - その先の感動へ-
ストイコビッチ体制2年目。コーチに飯島寿久と伊藤裕二が就任。田中隼磨ダヴィを獲得、久場光田口泰士橋本晃司平木良樹松尾元太が入団、下部組織から磯村亮太が昇格。井上渉、大森征之、片山奨典、藤田俊哉、三木隆司、米山篤志、渡邊圭二、ヨンセンが退団、青山隼、筑城和人が期限付き移籍。
3月22日の第3節清水戦で3-1と勝利し、ホームゲーム通算150勝を達成。中断期間前の5月24日までにダヴィは9得点を挙げ、その時点で得点ランクトップであったものの、ダヴィ以外の得点は7点にとどまった。この原因の1つとして昨シーズンにヨンセンが務めたポストプレーの役割にダヴィが適合していなかったことが指摘され、ストイコビッチ監督の目指すサイド攻撃を活かすためのターゲット役の獲得が急がれた。外国人枠は埋まっていたためAFC枠で獲得可能な外国人選手を調査し、6月21日にジョシュア・ケネディの獲得を発表した。 7月22日にダヴィが移籍 すると、空いた外国人枠で7月29日にブルザノヴィッチを獲得。次いで8月3日に三都主アレサンドロを獲得した。
守備面ではバヤリツァの長期離脱が大きく響き、前半戦は常にセンターバック駒不足の状態が続いた。吉田麻也と増川隆洋の2人がほぼ全ての試合に先発出場したが、7月5日のG大阪戦では両者を怪我と出場停止で欠き、センターバック経験の乏しい竹内彬と佐藤が起用された。前半戦から学生時代にセンターバック経験のある巻佑樹の起用も検討されており、後半戦の10月25日の磐田戦では実際にセンターバックで先発出場した。
最終成績は9位(14勝8分12敗)。AFCチャンピオンズリーグ2009はグループリーグを1位で通過したが、準決勝でアル・イテハドに敗退してベスト4。天皇杯は決勝へ進出したが準優勝に終わった。

2010年代

2010年基本システム
出典:wikipedia
2018/05/28 02:49

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