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和田一浩とは?

【基本情報】

【国籍】
日本
【出身地】
岐阜県岐阜市
【生年月日】
(1972-06-19) 1972年6月19日(46歳)
【身長
体重】
182 cm
90 kg
【選手情報】

【投球・打席】
右投右打
【ポジション】
外野手捕手
【プロ入り】
1996年 ドラフト4位
【初出場】
1997年4月30日
【最終出場】
2015年9月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

【国際大会】

【代表チーム】
日本
五輪
2004年
WBC
2006年
この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手 テンプレート


オリンピック
男子 野球
 | 2004 | 野球
ワールド・ベースボール・クラシック
 | 2006 | 野球

和田 一浩(わだ かずひろ、1972年6月19日 - )は、岐阜県岐阜市出身の元プロ野球選手(外野手捕手、右投右打)、野球解説者タレントマネジメント契約先はスポーツビズ

愛称は同姓の演出家・和田勉にちなんだベンちゃん(ベン)、ビッグベンなど。ナゴヤドームの外野スタンドで掲げられている横断幕には「輝く男」という文字が入っていた。

既婚で4児の父親でもある。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 プロ入り前
    • 1.2 西武時代
    • 1.3 中日時代
    • 1.4 現役引退後
  • 2 選手としての特徴
    • 2.1 打撃
    • 2.2 守備
  • 3 詳細情報
    • 3.1 年度別打撃成績
    • 3.2 年度別守備成績
    • 3.3 タイトル
    • 3.4 表彰
    • 3.5 記録
    • 3.6 背番号
    • 3.7 登場曲
    • 3.8 代表歴
  • 4 関連情報
    • 4.1 テレビ出演
    • 4.2 CM
  • 5 脚注
  • 6 関連項目
  • 7 外部リンク

経歴

プロ入り前

岐阜県岐阜市出身。岐阜市立鷺山小学校3年次にスポーツ少年団に入り、岐阜市立青山中学校卒業を経て、県立岐阜商業高校では2年時に控え捕手として第61回選抜高等学校野球大会第71回全国高等学校野球選手権大会に出場した。

高校卒業後、東北福祉大学に進学し、仙台六大学野球連盟のリーグ戦では4年間で首位打者1回、ベストナイン2回を獲得する。4年時には主将を任され、春のリーグMVPに輝いた。

大学卒業後は社会人野球神戸製鋼に入社。大学の1年後輩門倉健は「和田さんは、ボクが打たれても代わりに監督に怒られてくれる懐の深い先輩だった。当時から打撃は天才的で強肩。それでもプロから声がかからず、社会人の神戸製鋼を経由した。あのクラスでもプロに行けないのかと愕然とした」という。社会人通算.429の打率を残し、強打の捕手として1996年のドラフト会議西武ライオンズから4位指名を受け入団。背番号は22に決まった。

西武時代

入団当時1997年の西武には同ポジションに名手とうたわれた伊東勤がいた。和田は同年は主に代打として17試合に出場、プロ初安打・初打点を記録し、1998年は打力を活かすため外野手にも挑戦し、同年にプロ初本塁打を記録。2000年に出場機会が増え、規定打席未満ながら打率.306を記録。9月9日には初の4番を任され、9番以外の全打順でスタメン出場。守備位置は捕手9試合、一塁手15試合、外野手18試合、指名打者12試合と、徐々に捕手から外野手へとシフトしていった。またこの年に、同僚の中嶋聡が捕手らしい背番号を欲しており、入団以来背番号「22」だった和田は当時中嶋がつけていた一桁の「5」と背番号を交換。以降引退まで同番号を背負うことになる。

ただ、2001年は監督の東尾修に「次世代を担うバッテリー」として松坂大輔と開幕戦でスタメン起用され、その後も松坂と7回にわたってバッテリーを組んだ。打撃も好調で一気に16本塁打、規定打席未満ながら打率.306を記録した。守備位置はまだ捕手と外野手で一定せず、打順も2番と4番以外全てに起用された。9月24日の近鉄最終戦で松坂大輔がタフィ・ローズに55号本塁打を打たれ、中村紀洋に逆転サヨナラ2点本塁打を打たれた試合で捕手としてフル出場していた。

2002年に新たに監督に就任した伊原春樹の勧めでこの年から外野手一本に絞り、「5番・左翼手」のレギュラーに定着。途中、故障離脱があったが30歳にして初めて規定打席に到達し、打率.319、33本塁打、81打点という成績を残し、優勝に貢献した。指名打者部門で初のベストナインを受賞。しかし読売ジャイアンツとの日本シリーズでは15打数0安打と低迷した。結果的にチームは巨人にストレートの4連敗で敗退し、自身の不振が大きく響くことになった。

2003年から4年連続で外野手部門でベストナインを受賞。その間は、2004年5月30日日本ハム戦(函館市千代台公園野球場)で芝草宇宙から本塁打を放ち、通算100本塁打を達成。同年からパ・リーグで開催されたプレーオフでは、日本ハムとの第1ステージ第3戦で横山道哉からサヨナラ本塁打を放った。さらに中日ドラゴンズとの日本シリーズでは、打率.310、4本塁打、6打点で12年ぶりの日本一に貢献し、優秀選手に選ばれ、2年前の汚名を返上する形となった。彩の国功労賞を受賞。

さらに2005年にはシーズン打率.322で初の個人タイトルとなる首位打者を獲得。同時に153安打で最多安打のタイトルも獲得した。パ・リーグの右打者による首位打者獲得は1993年辻発彦(西武)以来12年ぶり。2006年3月、WBC日本代表に選出されたが、尿管結石を発症するなど体調を崩し、1次リーグでの代打起用のみに終わった。同年シーズンでは打率.298で5年連続打率3割はならず、本塁打も19本に終わったものの、自己最多の95打点を記録した。また、チームメイトの赤田将吾と並んでリーグ最多補殺を記録。

2007年9月8日の日本ハム戦で吉川光夫から安打を放ち、通算1000本安打を達成。前年より打率を上げてリーグ3位の打率.315を記録。本塁打はレギュラー定着後最低の18本、打点は前年の約半分の49(9月半ば頃まで打率.239の細川亨より打点が低かった)に終わった。同年に初取得したFA権を行使し、12月9日、中日ドラゴンズとの入団交渉を行い、地元の岐阜に最も近い球団という事もあり、本人曰く「幼いころからのあこがれの球団」である中日への移籍を数分で即決。3年契約を結び、背番号は西武時代と同じ「5」に決定した。

中日時代

中日入団1年目2008年に通算1000試合出場を達成。2年連続打率3割を残したが、16本塁打、74打点、得点圏打率は.275とチャンスでは期待されたほどの成績を残せなかった。契約更改の際、「2009年シーズンはチャンスでもっと打っていきたい」と発言した

そこで2009年は前年3割を打ったにも関わらず、「自己ベストより1本でも1厘でも1打点でも上にいきたい」と春季キャンプで打撃改造を行い、オープンスタンスの幅や足の上げ方を変えた。開幕戦1試合2本塁打と最高のスタートを切り、4月25日巨人戦でプロ通算200号本塁打を西武時代の同僚豊田清から放った。5月12日の対ヤクルト戦で地元岐阜の長良川球場で初の本塁打を放ち故郷に錦を飾った。6月21日オリックス戦で平野佳寿から先制の満塁本塁打を放った打席で通算4000打数に到達し、通算打率にランクイン。この時点で川上哲治落合博満監督(当時)をも上回る通算打率.315で、歴代6位・日本人右打者最高となった。6月には打率.415、6本塁打、15打点の成績で、2度目の月間MVPをチームメイトの川井雄太と共に受賞した(川井の投げる日は3試合連続本塁打、打率4割と相性が良かった)。交流戦では打率4割、7本塁打(ともに2位)と絶好調。7月15日には4年ぶりの20本塁打と自己最多ペースで本塁打を量産し、9月15日には10回表に永川勝浩から決勝の3試合連続本塁打を打った。打率.302で7度目の3割を記録し、29本塁打、87打点、出塁率.382と前年より大きく成績を上げ、打撃主要部門全てでリーグトップ10に入った。守備面でも元捕手の強肩かつ堅実な送球で12補殺を記録し、2年連続セ・リーグ最多補殺に輝いた。また、この年初めてシーズン全試合に出場(144試合)した。

2010年も、首位打者争いは青木宣親に敗れたものの、最終的に打率.339、37本塁打(自己最多かつ、中日移籍後では唯一の30本塁打。また中日の日本人選手では本拠地をナゴヤドームに移転した1997年以降では、2006年の福留孝介以来2人目の30本塁打記録であり、日本人の年間球団記録でもある)、93打点とチーム三冠、自己最多本塁打の活躍でチームの4年ぶりの優勝に大きく貢献した。また前年に続き2年連続でシーズン全試合に出場した。クライマックスシリーズ第2ステージの巨人との試合では、第4戦に9回裏3-3の場面で久保裕也からサヨナラ安打を放ち、シリーズMVPに輝いた。日本シリーズでも第2戦・第4戦で猛打賞を記録。第7戦の9回裏、1点ビハインドの場面でロッテの守護神小林宏之から三塁打を放ち、次打者ブランコの一時は同点となる犠飛につなげるなど好調を保ち、7試合で29打数12安打1本塁打6打点と活躍。チームは2勝4敗1分で敗れたが、敢闘選手賞を受賞した。また、自身初となるシーズンMVP及び自身6度目・中日移籍後は初となるベストナイン(外野手部門)に選出された。11月24日の契約更改で、新たに3年総額12億円で契約を結んだ。

2011年に、独特な打撃フォームの腰への負担を考慮した監督の落合博満からのアドバイスにより、春季キャンプでオープンスタンスからスクエアスタンスへの打撃フォーム改造を敢行する。しかし、打撃フォームの改造に加え、統一球の影響や視力低下もあって調子を落とし、年間を通じて成績は打率.232、12本塁打、54打点と低迷した。特に打率は西武在籍時にレギュラーに定着して以来、最低であった。また、シーズン終盤には前述の視力低下などの理由から中日入りして初めて二軍落ちを経験した(西武時代においても2003年以降、故障以外での二軍落ちは経験がなかった)。福岡ソフトバンクホークスとの2011年の日本シリーズでは3勝4敗で敗れ、第7戦攝津正から三振を喫し最後の打者になっている。同しシリーズでは優秀選手賞に選ばれた。

2012年に前年の成績低迷により、前監督の落合と二人三脚で改造したスクエアスタンスの打撃フォームをオープンスタンスぎみに修正した。同年6月8日の対楽天戦(ナゴヤドーム)で青山浩二から打った逆転サヨナラ2ラン本塁打を受けて「スカパー!ドラマティック・サヨナラ賞」の年間大賞を獲得した。2年ぶりに全試合出場を果たしたものの、最終的に本塁打は9本に終わり、12年ぶりに二桁に届かなかった。2013年は打率.275と前年を下回り、この年で2011年からの3年契約が満了し、11月6日の契約更改で8000万円減とプロ入り最大の減俸となった。

2014年4月8日の対ヤクルト戦(ナゴヤドーム)にてプロ通算300号本塁打を放ち、41歳9ヶ月での300本塁打達成は史上最年長となり、大学卒業から社会人を経てプロ入りした選手としては史上初の記録となった。同年7月1日の対DeNA戦で42歳としては史上7人目のシーズン2桁本塁打を記録。7月は猛打賞4回を含む打率.397、7本塁打、21打点の活躍で月間MVPを受賞した。しかし8月6日の対広島戦(ナゴヤドーム)でブライアン・バリントンが投じた抜け球が右手に直撃し右手舟状骨を骨折。ギプスで4 - 6週間固定が必要となり、結局2000安打まで15本残しシーズンを終えることになった。2015年6月11日、対ロッテ戦(QVCマリンフィールド)で、1回表に左前適時打、2回表に左翼線への安打を放ち、2000本安打を達成した。これは史上45人目、史上最年長42歳11か月での達成となった。

大学卒業と社会人経験を経てプロ入りした選手の2000安打達成は古田敦也宮本慎也に次いで3人目。20代で一度も規定打席に到達しなかったり、34歳までに1000安打達成がなかった場合では初。また現役で2000安打達成選手が同一球団に3人(和田、谷繁、小笠原道大)いるのもプロ野球史上初。8月15日の対巨人戦(ナゴヤドーム)において、大杉勝男、落合に次ぐ史上3人目のセ・パ両リーグ1000安打を達成する。

2015年9月12日に今シーズン限りで現役を引退することが中日新聞などより報道され、9月19日にナゴヤドーム内で正式に記者会見を開き、今季限りで現役を引退することを表明した。9月3日に落合ゼネラルマネージャー(GM)から来季の契約を行わない旨を明かされたという。9月24日の阪神戦で引退試合が行われ、2回に阪神先発の秋山拓巳から放った通算2050本目の安打が、現役生活最後の安打になった。その後、谷繁兼任監督の左前打で先制のホームを踏んだ。試合後はマウンド付近で、背番号と同じ5度ナインに胴上げされ、ナゴヤドームに惜別の拍手と歓声が響く中、4人の子供たちから花束を受け取った。11月30日付で、日本野球機構(NPB)から任意引退選手として公示された。

現役引退後

2016年からは、NHK野球解説者日刊スポーツ野球評論家として活動する。また2016年4月からは「スタイルプラス」(東海テレビ)にもタレントとして出演。

選手としての特徴

打撃

バットを上段に構えて上下に揺らし、極端なオープンスタンスから左足を高く上げ、全身を回転させるようにしてバットを背中の後ろまで一気に振り抜く、独特のフォームから弾き出す安定した打撃が特徴。いわゆる「掬い上げ打法」。中日移籍後から2010年までの通算の対右打率.315を残しており、左投手に対しても.310と左右を苦にしない上に目立った苦手コースもなく、独特の打撃フォームも手伝って右方向への打球が非常に良く伸びる。

背筋の強さと右手の押し込みにより、ボールをかなり引きつけても詰まらずに強い打球を放つことができる。スイングの後は腰が落ちたような形になるので、ライト方向への長打を打ったのに三塁線へのファウルボールを打ったように見えることもあり、最後まで振り切るフォームであることとあまり足が速くない事から併殺打は多い。本人によるとこの打撃フォームは「テニスのフォアハンドを参考にしている」という。

2011年には落合博満監督にアドバイスされ、二人三脚で腰への負担を考慮したスクエアスタンスへの変更にも取り組んだ。しかし、成績は大きく落ち込み、落合監督が退任した後、オープンスタンスに戻すことになった(完全に戻したわけではない)。

300本以上の本塁打を記録した強打者であるが、本人は「ホームランバッターではない」と語っている。本人曰く、「ホームランバッターは打ち損じがヒット。僕の場合はヒットの延長がホームラン」。 また長打力のある選手にして三振が少なく年間で30本以上4回を含む25本以上6回の本塁打数を記録しながら3桁の三振を喫したことが一度もなく通算でも3桁の938三振に止まっている。

守備

2002年シーズンに和田を外野手に固定させた伊原は、捕手としての和田について後に「性格がよく、相手打者の裏をつくリードができなかった。それでは1シーズン通してでは問題がある」と語っている。左翼手として得点換算で高い数値を記録している。送球については送球を受けることが多かった捕手の谷繁元信によると「上品な球」を投げるという。「上品な球」を投げられる理由について和田は「肩が強くないので、スピンの効いた球を投げないと球が沈んでしまう」と説明している。

詳細情報

年度別打撃成績









































































O
P
S

1997 | 西武 | 17 | 22 | 21 | 2 | 4 | 1 | 0 | 0 | 5 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .190 | .190 | .238 | .429
1998 | 36 | 57 | 51 | 8 | 17 | 2 | 0 | 3 | 28 | 8 | 3 | 1 | 2 | 0 | 4 | 0 | 0 | 11 | 3 | .333 | .382 | .549 | .931
1999 | 20 | 53 | 48 | 5 | 13 | 2 | 1 | 0 | 17 | 3 | 3 | 0 | 1 | 1 | 3 | 0 | 0 | 8 | 1 | .271 | .308 | .354 | .662
2000 | 55 | 189 | 170 | 20 | 52 | 10 | 0 | 1 | 65 | 24 | 9 | 2 | 0 | 3 | 15 | 0 | 1 | 17 | 6 | .306 | .360 | .382 | .742
2001 | 82 | 236 | 206 | 36 | 63 | 7 | 2 | 16 | 122 | 34 | 5 | 5 | 5 | 2 | 23 | 2 | 0 | 23 | 6 | .306 | .372 | .592 | .965
2002 | 115 | 472 | 439 | 64 | 140 | 25 | 2 | 33 | 268 | 81 | 5 | 3 | 2 | 3 | 27 | 3 | 1 | 74 | 14 | .319 | .357 | .610 | .968
2003 | 126 | 540 | 468 | 87 | 162 | 34 | 5 | 30 | 296 | 89 | 8 | 5 | 0 | 3 | 66 | 1 | 3 | 46 | 10 | .346 | .428 | .632 | 1.060
2004 | 109 | 473 | 394 | 79 | 126 | 21 | 1 | 30 | 239 | 89 | 6 | 2 | 0 | 4 | 71 | 12 | 4 | 59 | 14 | .320 | .425 | .607 | 1.032
2005 | 129 | 542 | 475 | 80 | 153 | 32 | 3 | 27 | 272 | 69 | 3 | 3 | 0 | 5 | 60 | 5 | 2 | 66 | 17 | .322 | .397 | .573 | .969
2006 | 131 | 566 | 484 | 72 | 144 | 34 | 2 | 19 | 239 | 95 | 3 | 3 | 0 | 4 | 78 | 9 | 0 | 84 | 14 | .298 | .392 | .494 | .886
2007 | 138 | 548 | 501 | 77 | 158 | 23 | 1 | 18 | 237 | 49 | 7 | 1 | 0 | 2 | 42 | 2 | 3 | 65 | 22 | .315 | .370 | .473 | .843
2008 | 中日 | 136 | 560 | 520 | 60 | 157 | 34 | 4 | 16 | 247 | 74 | 1 | 2 | 0 | 4 | 34 | 0 | 2 | 71 | 16 | .302 | .345 | .475 | .820
2009 | 144 | 592 | 517 | 73 | 156 | 24 | 4 | 29 | 275 | 87 | 5 | 2 | 0 | 5 | 68 | 2 | 2 | 56 | 16 | .302 | .382 | .532 | .914
2010 | 144 | 602 | 505 | 94 | 171 | 29 | 2 | 37 | 315 | 93 | 5 | 0 | 0 | 5 | 92 | 7 | 0 | 77 | 12 | .339 | .437 | .624 | 1.061
2011 | 131 | 522 | 444 | 49 | 103 | 24 | 4 | 12 | 171 | 54 | 6 | 3 | 0 | 4 | 72 | 6 | 2 | 64 | 12 | .232 | .339 | .385 | .724
2012 | 144 | 586 | 508 | 52 | 145 | 32 | 2 | 9 | 208 | 63 | 2 | 0 | 0 | 6 | 71 | 1 | 1 | 72 | 14 | .285 | .370 | .409 | .780
2013 | 142 | 581 | 495 | 63 | 136 | 21 | 2 | 18 | 215 | 76 | 2 | 2 | 0 | 7 | 77 | 1 | 2 | 63 | 26 | .275 | .370 | .434 | .804
2014 | 90 | 356 | 302 | 40 | 85 | 12 | 2 | 16 | 149 | 65 | 2 | 1 | 0 | 5 | 45 | 1 | 4 | 38 | 11 | .281 | .376 | .493 | .870
2015 | 79 | 234 | 218 | 16 | 65 | 8 | 0 | 5 | 88 | 26 | 1 | 0 | 0 | 0 | 14 | 0 | 2 | 40 | 9 | .298 | .346 | .404 | .750
通算:19年 1968 | 7731 | 6766 | 977 | 2050 | 375 | 37 | 319 | 3456 | 1081 | 76 | 35 | 11 | 63 | 862 | 52 | 29 | 938 | 223 | .303 | .381 | .511 | .895

年度別守備成績

 | 
この選手の記録に関する文献や情報源が必要です。出典を明記するためにご協力をお願いします。(2015年2月)

【年
度】
【球
団】
捕手
一塁
外野
【試

合】


















【企

数】
【許

塁】






【試

合】
【刺

殺】
【補

殺】
【失

策】
【併

殺】
【守

率】
【試

合】
【刺

殺】
【補

殺】
【失

策】
【併

殺】



1997 | 西武 | 14 | 42 | 6 | 1 | 2 | .980 | 1 | 7 | 5 | 2 | .286 | - | -
1998 | 18 | 57 | 6 | 0 | 2 | 1.000 | 0 | 2 | 2 | 0 | .000 | - | 13 | 10 | 0 | 0 | 0 | 1.000
1999 | 8 | 42 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 0 | 2 | 2 | 0 | .000 | - | 7 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1.000
2000 | 8 | 20 | 2 | 1 | 1 | .957 | 0 | 5 | 4 | 1 | .200 | 15 | 102 | 14 | 1 | 8 | .991 | 19 | 24 | 1 | 2 | 1 | .926
2001 | 25 | 128 | 10 | 2 | 2 | .986 | 3 | 12 | 8 | 4 | .333 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 45 | 52 | 3 | 0 | 1 | 1.000
2002 | - | - | 62 | 92 | 4 | 1 | 0 | .990
2003 | - | - | 120 | 195 | 9 | 4 | 3 | .981
2004 | - | - | 107 | 173 | 2 | 0 | 0 | 1.000
2005 | - | - | 128 | 251 | 5 | 3 | 1 | .988
2006 | - | - | 122 | 213 | 10 | 2 | 1 | .991
2007 | - | - | 102 | 195 | 8 | 3 | 1 | .985
2008 | 中日 | - | - | 135 | 228 | 11 | 3 | 2 | .988
2009 | - | - | 144 | 216 | 12 | 2 | 3 | .991
2010 | - | - | 138 | 228 | 8 | 0 | 1 | 1.000
2011 | - | - | 128 | 182 | 10 | 1 | 2 | .995
2012 | - | - | 142 | 210 | 3 | 1 | 0 | .995
2013 | - | - | 139 | 207 | 6 | 3 | 0 | .986
2014 | - | - | 78 | 110 | 2 | 2 | 0 | .982
2015 | - | - | 53 | 76 | 0 | 1 | 0 | .987
通算 73 | 289 | 25 | 4 | 7 | .987 | 4 | 28 | 21 | 7 | .250 | 16 | 102 | 14 | 1 | 8 | .991 | 1682 | 2667 | 94 | 28 | 16 | .990

タイトル

表彰

記録

 | 
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初記録
出典:wikipedia
2018/12/16 20:19

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