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哲学とは?

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哲学


伝承
分析 · 大陸
東洋 · イスラーム
プラトニズム · スコラ学

時代
古代 · 中世
近世 · 現代

分野
形而上学 · 自然哲学
認識論 · 倫理学
論理学 · 美学
政治哲学 · 社会哲学

ポータル

哲学(てつがく、: Φιλοσοφία: philosophia: philosophy: philosophie: Philosophie)は、語義的には「愛智」を意味する学問的活動である。日本語辞典広辞苑では、次のように説明している。

古代ギリシアでは学問一般を意味し、近代における諸科学の分化・独立によって、新カント派論理実証主義現象学など諸科学の基礎づけを目ざす学問生の哲学実存主義など世界人生根本原理を追及する学問となる。認識論倫理学存在論などを部門として含む。 — 『広辞苑』第五版、岩波書店1998年、「哲学」より

観念論的な形而上学に対して、唯物論的な形而上学もある。諸科学が分化独立した現在では、哲学は学問とされることが多いが、科学とされる場合もある。

  1. (19世紀前半までの用法)哲学者による知の探求一般。学問全般。こうした哲学を行っていた哲学の専門家は哲学者と呼ばれていた。
  2. (中世の中頃以降の大学制度)カリキュラムの自由七科
  3. (19世紀後半以降の用法)学問の一分野で、哲学者による問題の発見や明確化、諸概念の明晰化、命題の関係の整理といった、概念的思考を通じて多様な主題について検討し研究するもの。この意味での哲学の研究に従事する学者は哲学者と呼ばれる。
  4. 個々の哲学者による哲学探求の成果も哲学と呼ばれる。

目次

  • 1 哲学者による哲学の定義
  • 2 概説
  • 3 語源とその意味
    • 3.1 フィロソフィアという語
    • 3.2 翻訳語
  • 4 哲学の対象・主題
    • 4.1 哲学の対象・主題
    • 4.2 過去の哲学を扱うものとしての哲学
  • 5 哲学の分類
    • 5.1 学派や立場
    • 5.2 地域と分野
    • 5.3 他の分類法
  • 6 歴史
    • 6.1 西洋哲学
      • 6.1.1 イスラーム哲学
      • 6.1.2 ヨーロッパ哲学
    • 6.2 東洋哲学
      • 6.2.1 インド哲学
      • 6.2.2 中国哲学
      • 6.2.3 日本哲学
  • 7 特徴
    • 7.1 哲学と宗教
    • 7.2 哲学と思想
      • 7.2.1 人文科学との関係
    • 7.3 学問分野としての哲学の特徴
      • 7.3.1 自然科学と哲学
      • 7.3.2 論理学と哲学
      • 7.3.3 女性と哲学
    • 7.4 広義の哲学の特徴
  • 8 哲学への批判
    • 8.1 現代(現代科学)
    • 8.2 過去
      • 8.2.1 古代ギリシア
      • 8.2.2 聖書中
  • 9 脚注
    • 9.1 注釈
    • 9.2 出典
  • 10 参考文献
  • 11 関連項目
  • 12 外部リンク

哲学者による哲学の定義

近現代哲学において代表的な哲学者の言説を以下に記述する。

啓蒙思想時代の哲学者であり、またドイツ観念論哲学の祖でもあり、そして近現代哲学に大きな影響力を持ち続けている哲学者、イマヌエル・カントは、哲学について次のように説明している。

古代ギリシャの哲学は、三通りの学に分かれていた。すなわち――物理学倫理学および論理学である。この区分は、哲学というものの本性にかんがみてしごく適切であり、これに区分の原理を付け加えさえすれば、格別訂正すべき点はないと言ってよい。 — イマヌエル・カント、『道徳形而上学原論』、篠田英雄訳、岩波文庫、1976年、5頁、「序言」より

現代思想において、特に分析哲学に多大な影響を及ぼした哲学者、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは、哲学について次のように説明している。

哲学の目的は思考の論理的明晰化である。
哲学は学説ではなく、活動である。
哲学の仕事の本質は解明することにある。
哲学の成果は「哲学的命題」ではない。諸命題の明確化である。
思考は、そのままではいわば不透明でぼやけている。哲学はそれを明晰にし、限界をはっきりさせねばならない。 — ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン、『論理哲学論考』、野矢茂樹訳、岩波文庫、2003年、51頁より

現代思想において、特に大陸哲学に多大な影響を及ぼした哲学者、マルティン・ハイデッガーは、哲学について次のように説明している。

古代以来、哲学の根本的努力は、存在者の存在を理解し、これを概念的に表現することを目指している。その存在理解のカテゴリー的解釈は、普遍的存在論としての学的哲学の理念を実現するものにほかならない。 — マルティン・ハイデッガー、『存在と時間』上、細谷貞雄訳、ちくま学芸文庫、1994年、19頁、「序に代えて」より

概説

古希: φιλοσοφία(philosophia、ピロソピアー、フィロソフィア)という語は、愛智という意味である。: philein(愛する)と: sophia(知恵、知、智)が結び合わさったものであるので、元来「philosophia」には「知を愛する」「智を愛する」という意味が込められている。「哲学」という訳語は明治時代に西周が用いて一般的に用いられるようになった。(→#語源とその意味)

philosopia」というのは単に「愛知の学」という意味であり、それだけではまだ何を研究する学問であるかは示されていない。この語では内容が規定されていないのである。哲学以外の学問の場合は一般に、(例えば「経済学」「生物学」などのように)名前を聞いただけでもおおよその内容は察しがつく。ところが哲学の場合は、名前を聞いただけではそれが何を研究する学問なのか内容を理解できない。これは哲学という学問の対象が決して一定していないことを示しており、哲学はまさにその字義のとおり「知を愛する学」とでもいうほかに仕方ないような特徴を備えている。(→#哲学の対象・主題)

このように対象によってこの学を規定することができないと、「対象を扱う<<方法>>に共通点があり、それによって規定できるのはないか」との期待が生まれることがあるが、そのような期待も裏切られる。哲学には一定の方法があるわけではない。

哲学と思想、文学や宗教の関係について、相愛大学人文学部教授の釈徹宗は「哲学や思想文学と、宗教霊性論との線引きも不明瞭になってきています。」と述べている。哲学者・倫理学者である内田樹は、「本物の哲学者はみんな死者幽霊異界をしている。」と述べている。

語源とその意味

フィロソフィアという語

古希: φιλοσοφία(philosophia、ピロソピアー、フィロソフィア)という語は、愛智という意味である。ギリシア語において φίλος(愛しい) の派生語 φιλεῖν(愛する) と σοφία(知恵、知、智) が結び合わさったものであるので、元来「philosophia」は「知を愛する」「智を愛する」という意味が込められている。20世紀の神学者ジャン・ルクレールによれば、古代ギリシアにおいてフィロソフィアとは認識のための理論や方法ではなくむしろ知恵・理性に従う生き方を指して使われ、中世の修道院でもこの用法が存続したとされる。一方、中世初期のセビリャのイシドールスはその百科事典的な著作『語源誌』(: Etymologiae)において、哲学とは「よく生きようとする努力と結合した人間的、神的事柄に関する認識である」と述べている。この語はヘラクレイトスヘロドトスによって、形容詞や動詞の形でいくらか使われていたが、名称として確立したのはソクラテスやプラトンが用いるようになってから、とされている。

翻訳語

多くの言語で、この「古希: φιλοσοφία」をそのまま翻字した語を採用している。例えば印欧語では: philosophia: filosofia: philosophie: Philosophie: philosophy: философияなどである。

江戸後期から明治初期にかけて、儒学あるいは西洋流の学問一般(とくに物理学)は窮理学と呼称していた(例えば福沢諭吉の『窮理図解』は物理学的内容である。)。明治維新前後、日本に哲学が移入したが、最初は儒教から入った「」という字をあてて、理学と呼んでいた。しかし、理の字は物理学に使われてしまった。日本における「哲學」(希哲の学)という訳語は、明治初期に西周によって作られた表現であると複数の文献で解説されている。「哲学」の初出は西周の『百一新論1874年(明治7年)とされる。北宋の儒学者であった周敦頤の『通書』志學第十に「士希賢」(士は賢をこいねがう)との文言があり、ここから「希哲学」の語が生まれ、中国西学がの訳語として転用したものを西は採用し、さらにこれを変形させて(「希」の省略)、「哲学」とした。

西周は初期明治政府の知的指導者の有力者のひとりであったため、西周の造語はやがて文部省の採用するところとなり、一般に用いられるようになった。尚、西周は様々な哲学用語の訳語も生み出した。

「哲」は明らか(明)、事理に明らか、さとし(敏)、知る、ものしり、賢人・知者の意味がある。会意文字で口+折(音符)、折は一刀両断すること。「哲学」という訳語は、現在中国でも使われている。


哲学の対象・主題

哲学の対象・主題

紀元前の古代ギリシアから現代に至るまでの西洋の哲学を眺めてみるだけでも、そこには一定の対象というものは存在していない(他の地域・時代の哲学まで眺めるとなおさらである)。西洋の哲学を眺めるだけでも、それぞれの時代の哲学は、それぞれ異なった対象を選択し、研究していた。

ソクラテス以前の初期ギリシア哲学では、対象は(現在の意味とは異なっている自然ではあるが)「自然」であった。紀元前5世紀頃のソクラテスは < 不知の知 > の自覚を強調した。その弟子のプラトンや孫弟子のアリストテレスになると、人間的な事象と自然を対象とし、壮大な体系を樹立した。ヘレニズム・ローマ時代の哲学では、ストア派エピクロス学派など、「自己の安心立命を求める方法」という身近で実践的な問題が中心となった(ヘレニズム哲学は哲学の範囲を倫理学に限定しようとしたとしばしば誤解されるが、ストア派やエピクロス派でも自然学論理学認識論といった様々な分野が研究された。平俗な言葉で倫理的主題を扱った印象の強い後期ストア派でも、セネカが『自然研究』を著している)。

ヨーロッパ中世では、哲学の対象は自然でも人間でもなく「」であった(といわれることが多いが、カッシオドルスのように専ら医学自然学を哲学とみなした例もあるし、ヒッポのアウグスティヌスからオッカムのウィリアムに至る中世哲学者の多くは言語を対象とした哲学的考察に熱心に取り組んだ。また、中世の中頃以降は大学のカリキュラムとの関係で「哲学」が自由七科を指す言葉となり、神学はこの意味での「哲学」を基盤として学ばれるものであった)。

さらに時代が下り近代になると、人間が中心的になり、自己に自信を持った時代であったので、「人間による認識」(人間は何をどの範囲において認識できるのか)ということの探求が最重要視された。「人間は理性的認識により真理を把握しうる」とする合理論者と、「人間は経験を超えた事柄については認識できない」とする経験論者が対立した。カントはこれら合理論と経験論を総合統一しようとした。

19世紀、20世紀ごろのニーチェベルクソンディルタイらは、いわゆる「生の哲学」を探求し、「非合理な生」を哲学の対象とした。キルケゴールヤスパースハイデッガーサルトルらの実存主義は、「人間がいかに自らの自由により自らの生き方を決断してゆくか」ということを中心的課題に据えた。

このように哲学には決して一定の対象というものは存在しなく、対象によって規定できる学問ではなく、冒頭で述べたように、ただ「philosophy」「愛知の学」とでも呼ぶしかないとされている。

学問としての哲学で扱われる主題には、真理本質同一性、普遍性、数学的命題、論理言語知識観念行為経験、世界、空間時間歴史、現象、人間一般、理性、存在自由因果性、世界の起源のような根源的な原因正義意識精神自我他我、神、霊魂色彩などがある。一般に、哲学の主題は抽象度が高い概念であることが多い。

これらの主題について論じられる事柄としては、定義、性質、複数の立場・見解の間の整理などがある。 これをひとくくりに「存在論」とよぶことがある。地球や人間、物質などが「ある」ということについて考える分野である。

また、「高貴な生き方とは存在するのか、また、あるとしたらそれはどのようなものなのか」「善とは永遠と関連があるものなのか」といった問いの答えを模索する営みとして、旧来の神学や科学的な知識・実験では論理的な解答を得られない問題を扱うものであるとも言える。またこのようなテーマは法哲学の現場に即しておらず、真偽が検証不可能であり、実証主義の観点からナンセンスな問いであると考える立場もある(例えば論理実証主義)。 こちらは、ひとくくりに「価値論」とよぶことがある。「よい」ということはどういうことなのか、何がよりよいのかを考える分野である。

過去の哲学を扱うものとしての哲学

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メタ哲学」も参照

このような意味での哲学はより具体的にはとりわけ古代ギリシアのギリシア哲学、中世のスコラ哲学、ヨーロッパの諸哲学(イギリス経験論、ドイツ観念論など)などをひとつの流れとみてそこに含まれる主題、著作、哲学者などを特に研究の対象とする学問とされることも多い(哲学一般から区別する場合にはこれを特に西洋哲学と呼ぶことがある)。

また、諸学問の扱う主題について特にこうした思考を用いて研究する分野は哲学の名を付して呼ぶことが多い。例えば、歴史についてその定義や性質を論じるものは「歴史哲学」と呼ばれ、言語の定義や性質について論じるものは「言語哲学」と呼ばれる。これらは哲学の一分野であると同時にそれら諸学の一部門でもあると考えられることが多い。

哲学の分類

学派や立場

哲学ではしばしば多くの「学派」が語られる。これは、通常、特定の哲学者の集団(師弟関係であったり、交流があったりする場合も少なくない)に特徴的な哲学上の立場である。

古代ギリシア哲学自然哲学、形而上学、実念論唯名論大陸合理主義イギリス経験論ドイツ観念論超越論的哲学思弁哲学、生の哲学、現象学実存主義解釈学新カント派、論理実証主義、構造主義プラグマティズム大陸哲学

特定の学者や学者群に限定されない「立場」についても、多くの概念が存在している。言及される主要なものに、存在論、実在論、観念論、決定論宿命論機械論相対主義二元論一元論独我論懐疑主義などがある。

地域と分野

哲学は様々な形で細分化される。以下に挙げるのはそのなかでも特に広く用いられている分類、専門分野の名称である。

地域による区分

主題による区分(分野)

他の分類法

貫成人が次の三つの種類に哲学を分類している。即ち、「絶対的存在の想定」型、「主観と客観の対峙」型、「全体的なシステムの想定」型の三つである。第一のタイプは自然、イデア、神といったすべての存在を説明する絶対的原理の存在を前提するものであり、古代や中世の哲学が含まれる。第二のタイプは認識の主体に焦点を当てて主観と客観の対立図式に関する考察を行うもので、近世や近代の哲学は主にこのタイプとされる。第三のタイプは人間を含む全ての存在を生成するシステムをについて考えるもので、クロード・レヴィ=ストロース構造ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン言語ゲームがこれに該当する。第一のタイプの絶対的存在が自身は常に同一にとどまりつつ他の物体に影響を与えるのに対し、第三のタイプの全体的なシステムは可変的であるという。

歴史

西洋哲学

西洋哲学」も参照

イスラーム哲学

イスラーム哲学」も参照

古代ギリシャ哲学はイスラム世界に受け継がれ、イスラム世界において、アッバース朝のカリフマームーン(786年-833年)は国家的事業として、ギリシャ語文献を翻訳させた。翻訳センター・研究所・天文台である「知恵の館」が設けられた。翻訳の大半は、ヤコブ派ネストリオス派などの東方キリスト教徒が、シリア語を介して行った。

ギリシャ哲学のアラビア語への翻訳で中心を占めたのは、アリストテレスとその注釈者の著作であった。

ネオプラトニズムについては、プロティノスやプロクロスの原典からの直接の翻訳が行われず、ネオプラトニズムの著作がアリストテレスの著作だとして伝わることになった。

キンディーはイスラーム最初の哲学者と言われる。 イブン=ザカリーヤー・ラージーは、アリストテレスの哲学ではなく、原子論やプラトン主義の影響を受けた珍しい哲学を展開した。 ファーラービーは、神から10の知性(=ヌース)が段階的に流出(放射)すること、そして第10の知性が月下界を司っている能動知性で、そこから人間の知性が流出している、という理論を打ち立てた。政治哲学の分野でも、アリストテレスを採用せず、(ネオプラトニスムでは忘れられていた)プラトン的政治論を採用した。 イブン=シーナー(アヴィセンナ)はイスラーム哲学を完成させたと言われている。

イスラームのイベリア半島(スペイン)においては、イブン=ルシュドが、アリストテレス研究を究め、アリストテレスのほぼ全著作についての注釈書を著した。そしてイブン=シーナーのネオプラトニスムを廃し、純粋なアリストテレス主義に回帰しようとした。

ヨーロッパ哲学

詳細は「哲学史#ヨーロッパ哲学史」を参照

ヨーロッパ哲学の大きな特徴として、「ロゴス(言葉,理性)の運動を極限まで押し進めるという徹底性」があり、古代、近代、現代といった節目を設けて根底的な相違を見出すようなことが比較的容易であると言える。古代、近代、現代といった枠組みの中でも大きく研究姿勢が異なる学者、学派が存在する場合も珍しくない。

東洋哲学

東洋哲学」も参照

上述のようにフィロソフィア・フィロソフィ(古希:φιλοσοφία)という語そのものは西洋で生まれ、時代が下ってから東洋に伝わったものであるが、タイトルに東洋哲学と冠した書籍、書名に「中国哲学」が含まれる書籍、書名に「インド哲学」が含まれる書籍、書名に「日本哲学」もしくは「日本の哲学」を含む書籍、東洋の哲学者や学派個々の名称に哲学とつけて「~哲学」と称する例が存在する。また、東洋哲学研究所日本哲学史フォーラムといった団体が存在するほか、いくつもの大学で東洋哲学を研究する過程が設置されている。以上のように、東洋の思想を哲学と呼称する例はしばしばみられる。

インド哲学

詳細は「インド哲学」を参照

哲学の中でもインドを中心に発達した哲学で、特に古代インドを起源にするものをいう。インドでは宗教と哲学の境目がほとんどなく、インド哲学の元になる書物は宗教聖典でもある。インドの宗教にも哲学的でない範囲も広くあるので、インドの宗教が全てインド哲学であるわけではない。

中国哲学

詳細は「中国哲学」を参照

中国では、春秋戦国時代諸子百家が現れた。中でも老子荘子道家孔子孟子荀子らの儒家がよく取り上げられる。時代が下ると、南宋では形而上学的思索を含む朱子学が生まれ、代には朱子学を批判して陽明学が登場した。

日本哲学

詳細は「日本哲学」を参照
「Category:日本の思想史」および「東洋哲学」も参照

東洋にも哲学はありインドと中国は大きな影響を持っている。日本哲学は伝統的には中国の影響を受けて来たが、現代ではヨーロッパの影響も無視出来ないものがある。 これと同時に、日本におけるヨーロッパ哲学の研究は、全く異なる生活現場でヨーロッパ同様にヨーロッパ哲学を扱うことは奇妙であり、伝統を汲まない、必然性を欠いたものであるといった指摘もある。日本のヨーロッパ哲学の研究者が、徹底的な議論をすることなく、むしろ議論の場を作らせず、ヨーロッパの哲学とはほど遠い、哲学とはほど遠い現状がある。

西田幾多郎(1870 - 1945)は、フッサール現象学などの西洋哲学および仏教などの東洋哲学の理解の上に、『善の研究』(1911)を発表、知情意が合一で主客未分である純粋経験の概念を提起した。またその後、場所の論理あるいは無の論理の立場を採用した。彼の哲学は「西田哲学」と呼ばれるようになった。

井筒俊彦(1914 - 1993)は、イスラーム思想を研究し、Sufism and Taoism(1966-67、1983)では、イスラーム老荘の神秘思想を分析し、それらがともに持つ一元的世界観を指摘し、世界的にも高い評価を得た。そして晩年には『意識と本質』(1983)などを著し、東アジア・インド・イスラーム・ユダヤの神秘主義を元に、ひとつの東洋哲学として構造化することを試みた。

特徴

哲学と宗教

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哲学と宗教は共に神の存在に関連している分野である。そのため厳密な区分は難しい。宗教と神学と哲学の境界は必ずしもはっきりしない。ただ、合理的な追求を試みる態度によって異なっている、とする人もいる。

西洋哲学の萌芽ともいえるソクラテス以前の哲学の中には、それまでの迷信を排したものがある。例えばホメロスの詩は、それまでの民衆の狂信的要素を極力退けているものになっていると言われる。この点古代ギリシア人及びその哲学には二つの傾向が見られた。一つは合理的で冷静、もう一つは迷信的で熱狂的であるというものであり、彼らはその合理性によって多くの迷信を克服したが、恐怖や苦難に見舞われた際に以前の迷信が再び頭をもたげた。

オルフェウスは‘清めの儀式’や天上・地獄の教義について述べていて、後のプラトンやキリスト教に影響を与えた。日本の仏教でも、例えば極楽浄土と地獄に関する教え等を説いている。プラトンは永遠で恒久なる存在について考えたが、彼の場合は少なからず認識といった知的なアプローチを説いた。後世においてライプニッツは、時間の絶対性の観点からして時間の始源より以前に時間を遡ることが論理的に不可能であるとし、その始源に神の座を据えたと言われる。現代では宇宙のビッグバン説や、時間の相対性といった発想が反論として挙げられるだろう。

宗教や神の存在に関する知的な理解を求めた人々は、しばしば哲学的な追究をし、逆に信仰生活(実践)に重点を置いた人々は、哲学的に手のこんだ解釈やへ理屈めいた議論を敬遠したといえるだろう。同じ宗教にたずさわりながら、知的に優れ業績を残した人もいれば、実践を重んじ困っている人を助けることを日々実行する人もいれば、迷信的なものにとらわれた人もいた。信仰心のあつい人は、しばしば、哲学をする人の中に、詭弁で他人を議論の袋小路に追い込む酷薄な人を見てとり、哲学者を不信の目で眺めた。ただし、知的なだけでなく、人格的にも傑出した哲学者に限れば、人々の尊敬を広く集めた。

また哲学と宗教との差異として、なにがしか「疑ってみる」態度の有無が挙げられることがある。宗教ごとに性質はことなるのでひとくくりに語ることは難しいが、例えばアブラハムの宗教など)には信仰の遵守を求めるドグマ性がある、時として疑問抜きの盲信を要求しがちな面があるとして、比較されることはある。

18世紀~19世紀ごろから自然科学が成功を収め神的なものに疑問符が突きつけられるようになったため、唯物論思考など神を介しない考え方も力を得てきている

一方、古代から、否定的確証にも肯定的確証にも欠けるとして科学・宗教いずれの見解も留保する不可知論的立場もあり、これは現代でも支持者がいる。

中世哲学研究者の八木雄二は、「神について学問的分析をすることを『神学』と呼び、自然的な事柄全般についての学問的分析を『哲学』と呼」ぶのが一般的風潮であると提言したうえで、それを翻して、「哲学とは理性が吟味を全体的に行うことと理解すれば、キリスト教信仰を前提にしたあらゆる理性的吟味は、キリスト教哲学ということもできるし神学と呼ぶこともできる」と自説を主張している。つまり、哲学を理性的な吟味を行うことと定義し、その定義より神学は哲学に含まれると述べているのである。

フランシス・マクドナルド・コーンフォードは著書『宗教から哲学へ―ヨーロッパ的思惟の起源の研究』で、「哲学は、神話・宗教を母体とし、これを理性化することによって生まれてきた」といった哲学史観を示している。これは今日一般的な哲学観であり、中世哲学史家のエティエンヌ・ジルソン、科学哲学者のカール・ポパーもこれと同じ哲学観を持っている。

哲学と思想

「哲学」と「思想」を峻別するという哲学上の立場がある。永井均は、哲学は学問として「よい思考」をもたらす方法を考えるのに対し、思想はさまざまな物事が「かくあれかし」とする主張である、とする。ソクラテス以来の西欧哲学の流れによれば、知を愛するという議論は、知を構

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出典:wikipedia
2018/09/25 21:05

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