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唐津市とは?

からつし
唐津市
松浦川と市街地
大手口
センタービル
 | 唐津城
虹ノ松原
唐津くんちの曳山

 | 
唐津市旗
2005年9月27日制定
 | 唐津市章
2005年9月27日制定


【国】
日本
【地方】
九州地方
【都道府県】
佐賀県
団体コード
41202-3
法人番号
3000020412023
【面積】
487.59km

【総人口】
119,398[編集]
(推計人口、2018年4月1日)
人口密度
245人/km
【隣接自治体】
佐賀市伊万里市多久市武雄市東松浦郡玄海町
福岡県糸島市
長崎県:壱岐市松浦市
【市の木】

【市の花】

【唐津市役所】

【市長】
峰達郎
【所在地】
847-8511
佐賀県唐津市西城内1番1号
北緯33度27分00.3秒東経129度58分05.7秒座標: 北緯33度27分00.3秒 東経129度58分05.7秒

【外部リンク】
唐津市ポータルサイト

― 市 / ― 町



【特記事項】
市外局番0955
ウィキプロジェクト
虹の松原(国の特別名勝)
浜玉町の海岸(玄海国定公園)

唐津市(からつし)は、佐賀県の北西に位置し玄界灘に面する福岡都市圏(福岡相対都市圏)を形成する都市の一部である。

目次

  • 1 概要
  • 2 地理
    • 2.1 地形
    • 2.2 気候
    • 2.3 地域
    • 2.4 人口
  • 3 歴史
    • 3.1 略史
      • 3.1.1 先史時代
      • 3.1.2 古代から中世
      • 3.1.3 江戸時代
      • 3.1.4 明治から戦前
      • 3.1.5 戦後から昭和末期
      • 3.1.6 平成
      • 3.1.7 行政区域の変遷
  • 4 行政
    • 4.1 歴代市長
    • 4.2 市議会
    • 4.3 市役所所在地
    • 4.4 マスコットキャラクター
    • 4.5 姉妹都市・提携都市
      • 4.5.1 日本国内
      • 4.5.2 海外
    • 4.6 主な事業
      • 4.6.1 中心市街地活性化事業
      • 4.6.2 土地区画整理事業
    • 4.7 県政・県の出先機関
    • 4.8 国政・国の出先機関
    • 4.9 警察
    • 4.10 消防
  • 5 経済・産業
    • 5.1 第1次産業
    • 5.2 第2次産業
    • 5.3 第3次産業
    • 5.4 唐津市に本社を置く企業
    • 5.5 唐津市に事業所を置く企業
      • 5.5.1 市外局番
  • 6 郵便番号
  • 7 金融機関
  • 8 マスメディア
    • 8.1 受信可能な放送局
    • 8.2 ケーブルテレビ
    • 8.3 新聞社
    • 8.4 コミュニティFM
    • 8.5 フリーペーパー
  • 9 健康・福祉
    • 9.1 医療
  • 10 教育
    • 10.1 概観
      • 10.1.1 市立学校再編
    • 10.2 市内の学校・教育機関
      • 10.2.1 各種研究施設等
      • 10.2.2 国立学校
      • 10.2.3 高等学校
      • 10.2.4 中学校
      • 10.2.5 小学校
      • 10.2.6 特別支援学校
      • 10.2.7 児童自立支援施設
      • 10.2.8 自動車教習所
  • 11 交通
    • 11.1 空港
    • 11.2 鉄道
      • 11.2.1 市内の路線・駅
      • 11.2.2 筑肥線の電化と新線開業
    • 11.3 港湾・海上航路
    • 11.4 バス
    • 11.5 道路
      • 11.5.1 高速道路
      • 11.5.2 一般国道
      • 11.5.3 道の駅
  • 12 文化施設
  • 13 スポーツ施設
  • 14 特産品
  • 15 観光地
    • 15.1 名所・名勝
    • 15.2 社寺
  • 16 その他
  • 17 文化
    • 17.1 祭事
    • 17.2 催事
    • 17.3 娯楽
    • 17.4 方言
    • 17.5 唐津市を舞台にした作品
  • 18 出身有名人
  • 19 脚注
  • 20 参考文献
  • 21 関連文献
  • 22 外部リンク

概要

東松浦郡。中心市街地は唐津藩の城下町が前身。唐津神社の秋季例大祭である唐津くんちや特別名勝の虹の松原呼子朝市などで有名で、広大な面積に多数の観光資源を有する。

2005年に周辺の東松浦郡呼子町鎮西町肥前町相知町厳木町浜玉町北波多村と合併(新設合併)して新たに唐津市となった。また、2006年に七山村を編入した。

経済圏である唐津都市圏は唐津市及び玄海町で約13万人強の人口を擁しており大部分を唐津市が占めるが、近隣の福岡都市圏、佐賀都市圏方面に通勤・通学する市民も多い(旧浜玉町域は福岡都市圏の5%通勤通学圏、旧厳木町域は佐賀都市圏の10%通勤通学圏である)。

地理

地形

唐津城から松浦川河口部を望む。左奥が虹の松原

市域は松浦川玉島川による平野部(唐津平野)と、上場(うわば)と呼ばれる丘陵性の玄武岩台地からなり、東は背振山地、西は伊万里湾、南は杵島山地、北は玄界灘(唐津湾)に面し、唐津湾には松浦川が注ぐ。また北西部の海岸はリアス式で出入りに富み、その地理的特徴からこの地域は古代から大陸方面の海上交通の拠点となった。

地球上における唐津市の位置として特筆すべきことは、東経130度経線が、唐津市の区域のほぼ中心を貫いていることである。このため、西九州自動車道唐津インターチェンジの本線上に、東経130度が通過していることを示す標識が建てられている。

西九州自動車道唐津ICにおける東経130度線標識

西は松浦川河口部付近から東の浜崎駅付近まで広がるクロマツの林は虹の松原と呼ばれ、景勝地ならびに唐津の象徴のひとつとして親しまれている。鏡山の展望台からは虹の松原及び唐津市街が一望できる。東松浦半島から松浦川河口付近一帯は玄海国定公園に指定されている。

平野部では江戸時代初期に大規模な治水事業が行われ、ほぼ現在の地形となった。

佐賀市多久市伊万里市福岡県糸島市長崎県松浦市などと境界を接する。

気候

唐津市枝去木(2010年2月までの観測所設置位置)
雨温図(説明)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
80
8
2
 | 
81
9
3
 | 
139
12
5
 | 
141
17
9
 | 
169
21
13
 | 
304
27
19
 | 
324
28
22
 | 
214
29
23
 | 
231
25
19
 | 
89
21
14
 | 
103
16
9
 | 
56
11
4

気温(°C)
総降水量(mm)
出典:気象庁

インペリアル換算
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12
3.1
47
36
 | 
3.2
47
37
 | 
5.5
53
42
 | 
5.6
62
49
 | 
6.7
70
56
 | 
12
80
67
 | 
13
82
72
 | 
8.4
84
73
 | 
9.1
77
67
 | 
3.5
69
57
 | 
4.1
60
48
 | 
2.2
51
40

気温(°F)
総降水量(in)

太平洋側気候であるが、冬季に日照時間が少なくなる九州型気候区である。沿岸部においては一年を通して昼夜の寒暖の差が少なく、猛暑日真冬日は滅多にない。台風の直撃が少なく、年間の最大風速は8m - 12m程度で、多くは冬の玄界灘の強風や春一番によるものである。年平均気温15℃、年間降水量1992mm、年間日照時間1783.9、平均風速2.1m/s(平年値、1979年-2000年の統計)。

かつて、唐津市内のアメダス観測所としては枝去木と和多田があった。うち枝去木では、降水量・気温・風向・風速・日照時間の観測を行っていたが、観測所は標高110メートル地点にあり、観測データが唐津平野部の気象状態を表していたとは必ずしも言えなかったことに注意されたい。また、和多田は降水量のみの観測であった(標高5メートル)。2010年(平成22年)2月より枝去木と和多田の両観測所は、平野部の唐津市二タ子(標高23メートル)に移設され、新たに唐津観測所として観測を開始した。

地域

【地域】
【面積/km】
【世帯】
【人口】
旧市町村
(旧唐津市) 127.49 | 31,904 | 078,850 | 唐津市
浜玉町 052.13 | 03,705 | 011,148 | 浜玉町
七山 062.89 | 00670 | 002,361 | 七山村
北波多 026.58 | 01,731 | 004,691 | 北波多村
相知町 065.08 | 02,994 | 008,447 | 相知町
厳木町 061.27 | 01,887 | 004,819 | 厳木町
肥前町 046.64 | 02,607 | 008,094 | 肥前町
呼子町 007.28 | 01,999 | 005,329 | 呼子町
鎮西町 037.89 | 02,189 | 006,356 | 鎮西町
計 487.48 | 49,687 | 130,095
  1. ^ 2012年5月1日現在の住民基本台帳人口+外国人登録人口

町・大字は唐津市の地名を参照のこと。

人口


唐津市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 唐津市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 唐津市
緑色 ― 日本全国
 | 
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

唐津市(に相当する地域)の人口の推移
1970年 | 141,171人 | 

1975年 | 138,572人 | 

1980年 | 142,224人 | 

1985年 | 142,057人 | 

1990年 | 139,888人 | 

1995年 | 137,436人 | 

2000年 | 134,144人 | 

2005年 | 131,116人 | 

2010年 | 126,926人 | 

2015年 | 122,785人 | 


総務省統計局 国勢調査より

約12.8万人で佐賀県内の市町村で2番目に人口が多い(第1位は佐賀市、第3位は鳥栖市)。ピーク時の人口は唐津炭田隆盛期だった1955年(昭和30年)の183,676人。

歴史

略史

現在の市域全体を範囲に曖昧さはあるにせよ包括的に指す地名は、松浦潟松浦川に見られるごとく、もともと松浦(まつら)が一般的であった。唐津の名は元々17世紀初頭に松浦川河口付近に造成された城下町を指す限定的な名称に過ぎなかったが、1889年(明治22年)町村制施行によって成立した東松浦郡唐津町を母体として周辺の町村の編入と対等合併を繰り返し現在の唐津市となったことで、現在では城下町部分のみならず市域全体をもって唐津と呼ぶことが一般的となっている。

唐津神社社務所に現存する史料によると、1449年(文安6年)の寄進状に唐津大明神との記述があり、これが唐津の名が顕れる現存する最古の史料である。

先史時代

縄文時代晩期には水田稲作が行われていたことが確認されている(菜畑遺跡)。魏志倭人伝に記述のある末盧国(まつろこく、まつらこく)は唐津市近辺に存在したとされている。古墳時代に松浦地方を支配した豪族らによって多数の墳墓が築造された。この代表が国内最古級の前方後円墳久里双水古墳であり、市内には多数の古墳が残されている。

古代から中世

律令制では肥前国松浦郡に含まれ、『肥前国風土記』によると「松浦郡、郷一拾一所、里廿六、馬伍(うまや)所、烽捌所」とある。また、現在の鏡山に当たる山は「襟振峰は郡の東にあり」と記されているから、郡衙は、地区にあったと推定される。松浦の語の由来は明らかでないが、神功皇后紀(『日本書紀』巻第九 気長足姫尊)摂政前記夏四月の条に「松浦県に至り、願い事をしてから釣り糸をたれると鮎が釣れた。珍しきものと言ったことを、その所の人が名付けて梅図邏(めづら)国という。今松浦というは訛りなりと」(大意)と説明している。また、末盧国の「まつら」がそのまま地名となったともいわれる。万葉集には鏡山玉島川松浦川の情景が詠まれている。

平安時代からは肥前国府による統治となったが、国司政治が緩みだした平安期中頃には松浦地方各地の豪族が連合体としてこの地を支配し、松浦党と呼ばれた。現在の唐津市を含む東松浦郡西松浦郡の地域は上松浦郡と呼ばれ、波多地区(唐津市北波多・伊万里市南波多)を拠点とする波多氏が最大の勢力だった。一族はそれぞれの所領の地名を名乗り、ほかに相知氏、佐志氏、呼子氏などがいた。また、拠点として波多氏の岸岳城(鬼子岳城)や獅子城などの城が築かれた。

戦国時代には龍造寺氏の侵略を防ぐなどしていたが、豊臣秀吉九州征伐を開始するとこれを出迎え従った。豊臣秀吉は1591年(天正19年)朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の拠点として名護屋地区に名護屋城を築城した。1593年(文禄2年)には寺沢広高唐津藩を与えられ、上松浦地方の統治を始めた。またこの年には秀吉の怒りをかった波多氏が滅ぼされたが、地元民の同情から岸岳末孫の祟りの話がいわれるようになった。

江戸時代

寺沢広高は波多氏の滅亡後、岸岳城の麓に仮城を造営し仮の居城とした。広高は1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いでは東軍方につき、肥後国天草郡4万石を加増され12万3千石の外様大名となった。1602年(慶長7年)より唐津城の本格的な築城を行い、1608年(慶長8年)に城下町共々完成した。このとき東唐津側と地続きであった満島山を切り離し、波多川(現代における松浦川)がそこから唐津湾に注ぐよう流路を変更した。広高は松浦川の流路変更(治水事業)に見られるように土木事業に長けており、防風林として松原の保護育成を行った。これが日本三大松原として今日に残る虹の松原となっている。またこの頃は現在に至る唐津焼の技法が確立された時期でもあり、1615年(元和元年)には中里太郎右衛門陶房などが唐津藩の御用窯に指定されている。

広高の子の堅高は唐津藩二代藩主となったが、天草領に構えていた富岡城島原の乱の際に一揆側に攻められた際、その責任を取らされ天草領4万石を没収された。堅高は1647年(正保4年)に江戸藩邸で自殺し、また嗣子がなかったために寺沢家は断絶となり、寺沢氏が改易となると唐津藩領は一時天領となった。次に慶安元年(1649年)播磨国明石城大久保忠職が唐津藩主となった。1678年(延宝6年)には大久保氏が下総国佐倉城に転出し、代わって同地より大給松平乗久が入城。1691年(元禄4年)大給松平氏志摩国鳥羽城に転出し、同地より土井利益が入城。1762年(宝暦12年)土井氏が下総国古河城に転出し、三河国岡崎城より水野忠任が入城。1817年(文化14年)に、後に天保の改革を行った四代目の水野忠邦が出世目的に遠江国浜松城に転出を希望し、陸奥国棚倉城より小笠原長昌が入城、以後は小笠原氏が統治した。譜代大名6家が入れ替わり、長期間による藩主家の一大支配時代が一度も到来しないまま、明治維新により唐津藩は姿を消した。

1819年(文政2年)、伊勢神宮を参拝後の帰途に京都で見た祇園祭に感動した刀町の石崎嘉兵衛が帰郷後、仲間たちと獅子の頭を製作し、唐津神社に奉納した。この後、唐津神社秋季例大祭である唐津神祭が現在のような曳山を曳く祭に変化していくきっかけとなった。後に一時期は唐津山笠とも呼称したが、その後唐津くんちと呼ぶようになった。

明治から戦前

大正期撮影とみられる唐津くんちの様子。右に唐津軌道の軌道がみられる

廃藩置県にともない唐津藩は唐津県となり、同時に唐津城は本丸が舞鶴公園となり、他の区画は民間払い下げとなり建物も破却された。その後伊万里県、佐賀県、三潴県、長崎県と変遷し1883年(明治16年)に佐賀県が長崎県から分離独立し佐賀県の一部となった。また1889年(明治22年)の町村制施行で東松浦郡唐津町などが発足。昭和初期までに満島村唐津村を編入し1932年(昭和7年)に市制施行、唐津市となった。

古くから海上交通の拠点であった唐津は、この後貿易の拠点として急速に発展していった。1882年(明治15年)に当時満島にあった唐津港唐津炭田の石炭輸出を開始。1889年(明治22年)には特別輸出港に指定され、同時に長崎税関唐津出張所が設置された(3年後に税関支署に昇格、戦後降格し門司税関に移管)。さらに後述する鉄道の開通により、以後満島の貿易機能は順次西唐津・大島へ移転し現在に至る港湾地帯を形成した。貿易額は日を追う毎に増大していったが、第一次世界大戦の影響で外資関係が先細りとなり、1920年頃をピークに貿易額は減退し、昭和初期には石炭不況や第二次大戦の影響でさらに衰退していった。

明治末期から大正・昭和初期にかけて唐津の交通は大きく発達した。1898年(明治31年)に唐津興業鉄道(後の唐津鉄道、現JR唐津線)が開通したがこれに収まらず、翌々年の1900年(明治33年)に満島馬車鉄道による馬車軌道が満島松原口(現東唐津駅) - 浜崎松原口(現浜崎駅)間に開通しその後松浦橋を経由して中心部の大手口を越え西唐津果ては佐志まで延伸された(その後石油発動機による運行となるが自動車への転換にともない廃止)。福岡方面への鉄道は1926年(大正15年)に東唐津から博多まで全通、伊万里方面は1935年(昭和10年)にようやく全通したが(ともに北九州鉄道による)、まもなく国有化された。北九州鉄道のバス事業は現在に至る昭和自動車に譲渡された。

戦後から昭和末期

奇しくも唐津は太平洋戦争で空襲を受けなかった。唐津市における戦後復興の象徴として1953年(昭和28年)の舞鶴橋の完成が挙げられる。これをきっかけに東西臨海地域を接続する佐賀県道279号妙見満島線(産業道路)が整備された。また同年には唐津競艇が初開催した。1954年(昭和29年)には鏡村久里村鬼塚村湊村を編入(人口約7万)。戦後のベビーブームと石炭積み出し港としての需要の高揚により、東松浦郡と唐津市を合わせた人口はこの頃最盛を迎え、1955年(昭和30年)の国勢調査人口は約19万人弱であった。

唐津城模擬天守

1955年(昭和30年)、地元財界の有力者であった昭和自動車社長の金子道雄が市長に就任。財政再建のため、翌年には財政再建団体の指定を受けた。この指定は1965年(昭和40年)に解除された。翌年、金子の計画により唐津城に模擬天守が完成。

また電力需要の増大にともない、1967年(昭和42年)唐津港妙見埠頭附近の埋立地に九州電力唐津発電所(火力発電所)1号機(15.6万kW)が運転を開始。1971年(昭和46年)には2号機(37.5万kW)が、その2年後には3号機(50万kW)が運転を開始した。さらに、1975年(昭和50年)には九州電力玄海原子力発電所1号機(55.9万kW)が運転を開始。その他既設の水力発電所なども含め唐津もとい東松浦地域は県内のみならず北部九州の電力供給の要となった。

1970年(昭和45年)には唐津競艇場が広大な土地を有する原地区()に移転。また同年には唐津市文化会館(現唐津市民会館)が旧唐津神社境内に開館。1980年(昭和55年)には唐津大手口バスセンターが市内大手口に開業。その翌年には複合スポーツ施設である体育の森公園が和多田大土井に開設された。

1982年(昭和57年)には国鉄唐津線の連続立体交差化事業が完成。翌年には筑肥線(筑肥東線)の電化開業、筑肥線(筑肥東線)と唐津線の短絡、福岡市地下鉄空港線との直通運転が一挙に行われた。

平成

1994年(平成6年)に現唐津市域の市町村に玄海町を加えた10市町村で懇話会「唐津・東松浦合併懇話会」を設置。

行政区域の変遷

旧唐津市以外の2005年(平成17年)以降に合併した町村の変遷については「東松浦郡」を参照
旧・唐津市の県内位置(1954年)

行政

唐津市役所(相知支所)

歴代市長

(旧)唐津市(1932年-2004年)歴代市長
代 氏名 就任年月日 退任年月日
初代 | 河村嘉一郎 | 1932年2月18日 | 1936年2月17日
2代 | 西山茂 | 1936年2月18日 | 1939年1月7日
3代 | 萩谷勇之助 | 1939年1月20日 | 1939年4月5日
4代 | 岸川善太郎 | 1939年7月29日 | 1946年10月24日
5代 | 清水荘次郎 | 1947年4月16日 | 1955年4月30日
6代 | 金子道雄 | 1955年5月1日 | 1967年4月30日
7代 | 瀬戸尚 | 1967年5月1日 | 1983年4月30日
8代 | 野副豊 | 1983年5月1日 | 
9代 | 福島善三郎 | 1995年5月1日 | 
10代 | 坂井俊之 | 2003年4月28日 | 2004年12月31日
(現)唐津市(2005年-)歴代市長
代 氏名 就任年月日 退任年月日
初代 | 坂井俊之 | 2005年2月6日 |  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2018/07/18 23:14

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