このキーワード
友達に教える
URLをコピー

国王とは?

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。
出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2017年3月)

国王(こくおう、英語:king, フランス語:roi, ドイツ語:König, ノルド語:kong, ラテン語:rex)は、君主()を指し、その称号(君主号)でもある。特に男性である場合(男王)を指す。

フランス国王ルイ14世

目次

  • 1 東洋の国王
    • 1.1 中国の爵位「国王」
  • 2 西洋の国王
  • 3 現在の「国王」
  • 4 現在の国王一覧
    • 4.1 アジア
    • 4.2 中東
    • 4.3 ヨーロッパ
    • 4.4 アフリカ
    • 4.5 オセアニア
  • 5 イギリス
  • 6 フランス
  • 7 スペイン
  • 8 ドイツ
    • 8.1 神聖ローマ帝国
    • 8.2 プロイセン
    • 8.3 ドイツ帝国
  • 9 オーストリア
  • 10 ロシア
  • 11 中国
  • 12 イスラーム
    • 12.1 ムガル帝国
    • 12.2 オスマン-トルコ帝国
  • 13 関連項目
  • 14 参考文献
  • 15 脚注

東洋の国王

元来、漢字の「」は、王朝の君主の称号として使われた。周王は天下(世界)を治め、諸侯は周の封建制の下で国(領地)を治め「公」を称した。春秋時代が衰微し、有力諸侯の群雄割拠の時代になっても周王のみが王を名乗った。

戦国時代になると、各国の君主が「王」を名乗った。以降は、「王」はもはや天下ではなく、領地(国)を治める領主と認識されるようになった。そのため、中華世界を統一した王の政は「王」号を廃し「皇帝」号を作り自ら称することになった(始皇帝)。それに続くも「皇帝」を君主号として使用した。三国時代東晋十六国時代五代十国時代など皇帝が乱立する時代はあったものの、最後の王朝まで、中国では「皇帝」が至上の君主号であった。

日本では早くから冊封体制を脱し、君主には天皇の称号を「皇帝」に相当する称号として使用してきた。国内向けには「王」の称号を、皇族に対して用いている。一方、実質的な支配者である征夷大将軍は、中国や朝鮮との外交上「日本国大君」の称号を用いた。

君主が国内向けには「国王」と自称していない場合も、中国の皇帝との関係上、対外的に称する外交称号として用いられた事例がある(日本の征夷大将軍、ベトナム太上皇など)。琉球以外の日本では制度上国王という位が設けられたことはないが、天皇を指して国王、王と呼ぶ例は軍記物語などの文献に広く見られる。これは、「国王」ないし「王」が、元来は一般に君主を意味することによるものである。

中国の爵位「国王」

前漢以降の中国では、「王」は皇帝に服する称号で、爵位の一つ(諸侯王)となった。爵位としての「王」は皇帝に次ぐものとされ、皇帝の一族や功臣が各郡などに封じられるときに与えられた。また、皇帝の支配の及ばない外国の君主にも「王」を与えることで、「世界を支配している」という事実を作ろうとした(冊封体制)。そのため、中華文化圏では「王」は中国皇帝から賜る称号の一つであり、中国皇帝に臣従した証しとなった。代には「国王」「郡王」の爵位が用いられ、「国王」は「郡王」などより格上の爵位ではあったが、国家の君主である国王の意味は持たなかった。そのため実際には国王であっても、あまり重要視しない国王の場合は、「郡王」などの格下の称号が与えられる場合があった。「王」の字を用いた爵位としては他に「親王」「嗣王」「藩王」が知られる。

西洋の国王

ヨーロッパには元々は各地域ごとに君主の名称があった。初期の神聖ローマ帝国においては、君主には国王皇帝、大公/公(プリンス)の3つの概念があり、国王のうち教皇から皇帝として承認を受けた者のみが皇帝であり、国王とするほどではない小君主が総称的にプリンスと呼ばれた。

ヨーロッパの多くの皇帝がローマ帝国を起源としているのに対し、英語の king のようなゲルマン系の王の名称は血統を意味する kin から派生しているため、より血統が重視された。皇帝は実力のある者が推戴されることが建前であり、このためローマ帝国、東ローマ帝国ではしばしば実力者が武力闘争やクーデターによって皇帝となり、神聖ローマ帝国では選挙制が維持された。コルシカ島生まれの軍人に過ぎないナポレオン・ボナパルトが皇帝に即位したのは、王に即位すれば反革命とみなされかねないという事情もあるが、皇帝が国民から推戴される存在という意識があったことも背景にある。

ゲルマン系の王は元々は戦争時に臨時に選ばれるもので、これがゲルマン、スラヴ系選挙王制につながり、前述の神聖ローマ帝国の帝位の選挙制もこれに由来するという事情もあるが、この場合でも王位については、その血統を引くことが選出の条件となった。またケルト系タニストリー制でも王の血統を持つ者から選ばれる。近代に入って新たに独立した国々が王制を採用した場合、多くの国では最初から王が存在しないか、既に王家の血統が絶えていることが多かったが、その場合でも自国の貴族から選ぶより、他国から君主の一族を招いて王とすることがしばしばあったのも、王となるのは王の血統を引いた者といった概念があったからである。また、ゲルマン諸族において別の部族の有力者を王に推戴した前例があったことから、血統を最優先し他国の者であっても王として迎え入れることを厭わない傾向に拍車をかけることとなった。ヨーロッパではほとんどの場合、王朝交代があっても傍系か女系の血統を引いている。

他国から王を迎え入れる場合、ドイツ系が非常に多かったが、これは神聖ローマ帝国が統一されず、国内に王号やそれに準ずる爵位を保持する領邦君主が多数存在し、ひいては王位を継ぐにふさわしい家系が多数存在したからである。なおかつ神聖ローマ帝国内の小国であるので、そこから王を迎え入れても自国への干渉や支配を排除できたからである。皇帝が実力制・選挙制であるため、過去に神聖ローマ皇帝を輩出した家系が多数存在し、逆説的にそういった家系が王家にふさわしい血統と認識されたという事情もある。

王位継承法により女性の王位継承を認める場合とそうでない場合がある。フランスドイツなどサリカ法を採る地域では女性の王位継承を認めない例が多い。近代では女性の王位を認める国が増えている。女性の場合女王という。

現在の「国王」

近代では立憲君主制を採用する国が多く、そのような国では国王の役割は儀礼的なものとなってきているが、外交や公式・非公式な場での発言などによる政治的な影響力は大きい。

現在の国王一覧

現在の君主の一覧」も参照

アジア

齢 在位年
明仁 |  日本 | 84歳 | 1989年1月7日
ハサナル・ボルキア |  ブルネイ | 72歳 | 1967年10月4日
ノロドム・シハモニ |  カンボジア | 65歳 | 2004年10月29日
ジグミ・ケサル | ブータン | 38歳 | 2006年12月14日
ラーマ10世 |  タイ | 66歳 | 2016年10月13日
ムハマド5世 |  マレーシア | 48歳 | 2016年12月13日

中東

齢 在位年
カーブース | オマーン | 77歳 | 1970年7月23日
アブドゥッラー2世 |  ヨルダン | 56歳 | 1999年2月7日
ハマド |  バーレーン | 68歳 | 1999年3月6日
サルマーン |  サウジアラビア | 82歳 | 2015年1月23日

ヨーロッパ

齢 在位年
エリザベス2世 |  イギリス
英連邦王国 | 92歳 | 1952年2月6日
マルグレーテ2世 | デンマーク | 78歳 | 1972年1月14日
カール16世グスタフ | スウェーデン | 72歳 | 1973年9月15日
ハーラル5世 | ノルウェー | 81歳 | 1991年1月17日
ウィレム=アレクサンダー |  オランダ | 51歳 | 2013年4月30日
フィリップ | ベルギー | 58歳 | 2013年7月21日
フェリペ6世 |  スペイン | 50歳 | 2014年6月19日

アフリカ

齢 在位年
ムスワティ3世 |  スワジランド | 50歳 | 1986年4月25日
レツィエ3世 |  レソト | 55歳 | 1996年2月7日
ムハンマド6世 |  モロッコ | 55歳 | 1999年7月23日

オセアニア

齢 在位年
トゥポウ6世 |  トンガ | 59歳 | 2012年3月18日

イギリス

詳細は「イギリス君主一覧」および「スコットランド君主一覧」を参照
アルフレッド大王
イングランド七王国ウェセックス王 在位:871年 - 899年
ウェセックス王エゼルウルフの子
アングロ・サクソン時代最大の王。英国海軍の父と称される。
エリザベス1世
テューダー朝第5代イングランドアイルランドの女王(在位:1558年 - 1603年)
国王ヘンリー8世の次女。ジェームズ1世(6世)の母。
1588年スペイン無敵艦隊に対して勝利した。治世中は、ウィリアム・シェイクスピアクリストファー・マーロウといった劇作家によるイギリス・ルネサンス演劇や、フランシス・ドレークジョン・ホーキンスなど航海士たちが活躍したエリザベス時代として知られる。
メアリー・スチュアート
スコットランド女王 在位:1542年12月14日 - 1567年7月24日 フランス王妃
スコットランド王ジェームズ5世の長女。
反ボスウェル派の貴族たちが軍に投降し廃位された。バビントン事件の裁判ではメアリーが関与した証拠が提示され、有罪・死刑となり処刑された。しかし彼女の子ジェームズはスコットランド王・イングランド王となり以後の両国王、グレートブリテン王、連合王国の王は、すべてメアリーの直系子孫となった。
ジェームズ1世(6世)
スコットランドイングランドアイルランドの王。在位:1567年7月29日 - 1625年3月27日
スコットランド女王メアリーの子。曽祖叔父にイングランド王ヘンリー8世チャールズ1世の父。ハノーヴァー朝の祖ジョージ1世の曽祖父。
1歳1ヶ月でスコットランド王位に就く。『自由なる君主国の真の法』(1598年)という論文を書いて王権神授説を唱えた。1603年には同君連合でイングランド王になり以後イングランドとスコットランドは、1707年に合同してグレートブリテン王国となるまで、共通の王と異なる政府・議会を持つ同君連合体制をとることとなる。イングランド国教会以外のカトリック清教徒の両極を排除する宗教弾圧を行った。「グレートブリテン王」(King of Great Britain)と自称し、新しい硬貨「ユナイト」(the Unite)を発行してイングランドとスコットランドの両国に通用させた。イングランドのセント・ジョージ・クロスとスコットランドのセント・アンドリュー・クロスを重ね合せたユニオン・フラッグを1606年4月12日に制定した。
チャールズ1世
イングランドスコットランドアイルランドの王(在位:1625 - 1649年)
ジェームズ6世の次男。チャールズ2世ジェームズ2世の父。
父同様に王権神授説を信奉し、「権利の請願」に一旦は請願受託の署名を行うが、翌年議会を解散、議会の指導者を投獄し、専制政治を行った。国教統一に乗り出し、ピューリタン弾圧した。スコットランドにも国教を強制するにおよんで、各地に反乱が起きた。特にカルヴァン派の民衆が反乱に立ち上がった。反乱鎮圧のための戦費を得る目的で11年ぶりに議会を招集し、船舶税で賄おうとした(短期議会長期議会)。反国王派の議員を逮捕に踏み切ったことで議会派と王党派の内戦が勃発した(イングランド内戦)。オリヴァー・クロムウェル率いる鉄騎隊の活躍により、王党派が各地で打ち破られピューリタン革命が起こった。チャールズ1世は処刑されイングランド共和国(共和制)が樹立された。
チャールズ2世
王政復古ステュアート朝イングランドスコットランドアイルランドの王(在位:1660年5月29日 - 1685年2月6日)
チャールズ1世の子。ダイアナ妃の祖先。
ピューリタン革命のためフランスに亡命。クロムウェルの死後、共和国は混乱し1660年3月16日イングランド議会を解散、チャールズら王党派と連絡を取り復帰を要請。王政復古となりイングランド王となった。
ジェームズ2世(7世)
イングランドスコットランドアイルランドの王 在位:1685年2月6日 - 1688年
チャールズ1世の子。フランスアンリ4世の孫。メアリー2世アン女王老僭王ジェームズの父。ダイアナ妃の祖先。
イングランド人が好んでいなかったカトリックを信仰し宗教弾圧も決行、長老派教会カヴェナンターを弾圧している(殺戮時代)。カトリック信徒が高位公職につくことを許し、反カトリックの急先鋒の一人ヘンリー・コンプトンをはじめ、要職にあった国教会信仰の者を免職しはじめた。に信仰自由宣言を発し、カトリック及び非国教会プロテスタントへの制限・処罰を停止した。更にオックスフォード大学クライストチャーチおよびユニバーシティ・カレッジでも国教会信徒からカトリックへ要職・研究者職のすげ替えを行った。この頃イギリスに誕生したトーリー党ホイッグ党は猛反対し、1688年廃位された(名誉革命)。
ヴィクトリア
ハノーヴァー朝の第6代女王(在位:1837年6月20日 - 1901年1月22日)
3代国王ジョージ3世の孫。エドワード7世ドイツ皇后ヴィクトリアヘッセン大公アリスの母。女王エリザベス2世高祖母
世界各地を植民地化し大英帝国の黄金時代を現出した。その治世はヴィクトリア時代と呼ばれる。

フランス

詳細は「フランク王の一覧」および「フランス君主一覧」を参照
カール大帝
在位:768年 - 814年
カロリング朝を起こしたピピン3世の子。フランク王カールイタリア王ピピンアキタニア王ルイの父。
西ヨーロッパの主要部分を統一しフランク王国を最盛期にした。800年には西ローマ皇帝(フランク・ローマ皇帝)にも列聖古典ローマキリスト教ゲルマン文化の融合を体現し「ヨーロッパの父」とも呼ばれる。彼の死後3人の孫により国は分裂した。
シャルル7世
ヴァロワ朝の第5代国王(在位:1422年 - 1461年)
第4代国王シャルル6世の五男。ルイ11世の父。
イングランドの否認により王位に就けずにいたが、ジャンヌ・ダルクの活躍により連勝しフランス王となり百年戦争に終止符を打った。
アンリ4世(エンリケ3世)
ブルボン朝初代国王(在位:1589年8月2日 - 1610年5月14日)ナバラ国王
ブルボン家出身。母はナバラ女王ジャンヌ・ダルブレルイ13世スペイン王エリザベートイングランド王アンリエット・マリーの父。ルイ14世・イングランド王チャールズ2世ジェームズ2世の祖父。
カトリックとユグノーの争い(ユグノー戦争)がおこる中即位。カトリックをフランスの国家的宗教であると宣言しつつ、プロテスタントに多くの制約はあるものの信仰の自由を認め、フランスにおける宗教戦争の終息を図るナントの勅令を発した。しかし狂信的なカトリック教徒に刺殺された。
ルイ13世(ルイス2世)
ブルボン朝第2代国王(在位:1610年5月14日 - 1643年5月14日)。ナバラ国王
アンリ4世の子。母はメディチ家出身。曽祖父に神聖ローマ皇帝フェルディナント1世ルイ14世オルレアン家初代当主フィリップの父。
父が暗殺されたことにより8歳半で即位。宰相リシュリューのもと貴族を抑え国王集権を強化した。
ルイ14世
ブルボン朝第3代国王(在位:1643年5月14日 - 1715年9月1日)ナバラ王国国王。
ルイ13世の子。スペインフェリペ3世の孫。スペイン王フェリペ5世の祖父、ルイ15世の曽祖父。
父ルイ13世が41歳で亡くなったため4歳で即位。宰相マザランのもと三十年戦争の戦後処理交渉などを行ったが、貴族抑圧政策に怒った貴族や司法官と重税に抗議するパリ市民が大反乱を起こした(フロンドの乱)。一時パリに脱出
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2018/09/11 21:57

HAPPY Wikipedia

あなたの考える「国王」の意味を投稿しよう
「国王」のコンテンツはまだ投稿されていません。
全部読む・投稿 

国王スレッド一覧

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「国王」のスレッドを作成する
国王の」
友達を探す
掲示板を探す
このページ
友達に教える
URLをコピー

注目のキーワード

錦織圭/北島康介/2014_FIFAワールドカップ・アジア予選/サッカー日本女子代表/消費税/東京スカイツリー/ダルビッシュ有/イチロー/香川真司/野田内閣/復興庁/石川遼/HKT48/AKB48/ワールド・ベースボール・クラシック日本代表/黒田博樹/尖閣諸島/バレンタインデー/ONE_PIECE

キーワードで探す

 
友達を探す
掲示板を探す
無料コミックを探す
占い・診断
着メロを探す
GAMEを探す
デコメを探す
きせかえツールを探す
FLASH待ち受けを探す
ハッピーWiki
ハッピーメール
ハッピーランド
HAPPY NEWS
2010Happy Mail