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国際連合とは?

国際連合
各国語表記

United Nations(英語)
Organisation des Nations Unies(フランス語)
Организация Объединённых Наций(ロシア語)
联合国(中国語)
Organización de las Naciones Unidas(スペイン語)
الأمم المتحدة(アラビア語)


国際連合旗

【概要】
安全保障、経済・社会等の国際協力を目的とする国際機関
【略称】
国連、ONU、UN
【代表】
国際連合事務総長
アントニオ・グテーレス
【状況】
活動中
【決議】
国際連合憲章(1945年6月26日署名)
【活動開始】
1945年10月24日
【本部】
アメリカ合衆国 ニューヨーク市マンハッタン
【活動地域】
加盟国:世界193か国
【公式サイト】
http://www.un.org/
【母体組織】
国際連盟 連合国 (第二次世界大戦)
【下部組織】
国際連合総会 事務局 国際司法裁判所 安全保障理事会 経済社会理事会 信託統治理事会 など
United Nations
Portal:国際連合
ノーベル賞受賞者
受賞年:2001年
受賞部門:ノーベル平和賞
受賞理由:より良く組織され、より平和な世界のための取組みに対して

国際連合(こくさいれんごう、英語: United Nations中国語: 联合国、聯合國フランス語: Organisation des Nations unies、略称は国連(こくれん)、UNONU)は、国際連合憲章の下、1945年に設立された国際機関である。

第二次世界大戦を防げなかった国際連盟の反省を踏まえ、1945年10月24日、51ヵ国の加盟国で設立された。主たる活動目的は、国際平和と安全の維持(安全保障)、経済・社会・文化などに関する国際協力の実現である。

英語表記の「United Nations」は、第二次世界大戦中の枢軸国に対していた連合国が自陣営を指す言葉として使用していたものが継続使用されたものであるが、日本語においては誤訳され「国際連合」と呼ばれる。

2017年5月現在の加盟国は193か国であり、現在国際社会に存在する国際組織の中では、敵国条項が存在するなど第二次世界大戦の戦勝国の色が強いものの、最も広範・一般的な権限と、普遍性を有する組織である。

目次

  • 1 概要
  • 2 歴史
    • 2.1 設立に至る経緯
    • 2.2 名称
    • 2.3 設立後の歴史
  • 3 機関
    • 3.1 主要機関
      • 3.1.1 総会
      • 3.1.2 安全保障理事会
      • 3.1.3 経済社会理事会
      • 3.1.4 信託統治理事会
      • 3.1.5 国際司法裁判所
      • 3.1.6 事務局
    • 3.2 諸計画・基金
    • 3.3 専門機関
    • 3.4 関連機関
  • 4 言語
  • 5 財政
  • 6 活動内容
    • 6.1 平和と安全の維持
      • 6.1.1 強制措置
      • 6.1.2 平和維持活動
      • 6.1.3 軍備管理・軍縮
    • 6.2 経済社会開発
    • 6.3 人権
    • 6.4 人道援助
    • 6.5 国際法の発達
  • 7 国際連合改革
  • 8 加盟国
    • 8.1 現在までの加盟国
    • 8.2 加盟していない国等
  • 9 問題点
    • 9.1 敵国条項の問題
    • 9.2 拒否権の問題
    • 9.3 不祥事
    • 9.4 国連による顕彰
  • 10 発行物
  • 11 脚注
  • 12 参考文献
  • 13 関連項目
  • 14 外部リンク
    • 14.1 資料検索

概要

加盟国

国際連合は、第二次世界大戦を防ぐことができなかった国際連盟(1919年-1946年)の反省を踏まえ、アメリカ合衆国、イギリスソビエト連邦中華民国などの連合国(the united nations)が中心となって設立した。1945年4月から6月にかけてアメリカ・サンフランシスコで開かれたサンフランシスコ会議国連憲章が署名され、同年10月24日に正式に発足した。

発足時の原加盟国はイギリス帝国やソビエト連邦の構成国であった一部の国を含めた51か国であった。2011年7月現在、国際連合の加盟国数は193か国で、世界のほとんどの全地域を網羅している。最も新しい加盟国は、南スーダン(2011年7月14日加盟)である。

国連の目的は、次の三つである(国連憲章1条)。

ニューヨークにある国連本部

これらの目的を達成するため、総会、安全保障理事会、経済社会理事会、信託統治理事会、国際司法裁判所、事務局という6つの主要機関と、多くの付属機関・補助機関が置かれている。加えて、数多くの専門機関・関連機関が国連と連携して活動しており、全体として巨大かつ複雑な国連システム(国連ファミリー)を形成している。

国際連合の本部は、アメリカ合衆国のニューヨークマンハッタン島にある。本部ビルは、オスカー・ニーマイヤーを中心とした建築家国際委員会が設計したが、現在老朽化しており、新館を建築家槇文彦が設計予定である(ただし、国際連合の資金難により計画は滞っている)。そのほか、ジュネーヴなど世界各地に事務所が置かれている。

国際連盟との間には法的な継続性がないものの、国際司法裁判所や国際労働機関(ILO)等の機関を連盟から引き継いでいる。また、旧連盟本部施設も連盟から移管されていて、部分的には継続した組織といえる。

歴史

設立に至る経緯

国際連合の設立に主要な役割を果たした(左から)ウィンストン・チャーチルフランクリン・ルーズベルトヨシフ・スターリン(ヤルタ会談にて)。

公称では、国連の前身は国際連盟である。国際連盟は、1919年、国際協力を促進し、平和安寧を完成することを目的として設立された。しかし、アメリカが参加せず、ソビエト連邦も1934年まで加盟せず、一方、日本、ドイツ、イタリアが脱退するなど、有力国の参加を欠いたこともあって、十分な力を発揮することができず、第二次世界大戦を防ぐことができなかった。

1941年8月、カナダ東海岸ニューファンドランド島沖のプリンス・オブ・ウェールズの艦上で、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領とイギリスのウィンストン・チャーチル首相が会談し、大西洋憲章を提唱した。そこでは、第二次世界大戦後の世界に国際連盟に代わる国際平和機構を創設するとの構想が、抽象的にではあるが既に示されていた。

その後、コーデル・ハル国務長官率いるアメリカ国務省の内部で、戦後国際機構の構想が急速に進んだ。サムナー・ウェルズ国務次官の下に国際機構小委員会が設置され、1942年10月作業を開始して1943年3月には「国際機構憲章草案 (英語: Draft Constitution of International Organization)」がほぼ完成していた。ハル長官がこれを練り直して、同年8月「国際連合憲章 (英語: The Charter of the United Nations) 草案」を完成させた。同年7月、イギリスもヨーロッパの安全保障に力点を置いた構想を策定してアメリカに提示したが、アメリカの案は、より世界的な機構とし、安全保障だけでなく経済社会問題も扱うべきだとの考えに基づいたものであった。そして、同年8月にケベックで米英首脳会談が開かれたが、その時点で、米英ソ中の4国が「すべての国の主権平等に基礎を置き、大国小国を問わずすべての国の加盟のために開放される、国際の平和と安全の維持のための一般的国際機構」を創設する必要があるとの、後のモスクワ宣言の草案が既に作成されていた。

1943年10月にモスクワで開かれたアメリカ、イギリス、ソ連による外相会議で「一般的安全保障に関する4か国宣言」が出され、ほぼ草案どおりの文言で、第二次世界大戦後に国際的な平和機構を再建する必要性が訴えられた。こうして、アメリカ案に沿った国際機構の創設が連合国側の構想として公式に示されることになった。同年のカイロ宣言(米英中)、テヘラン宣言(米英ソ)でも、米英ソ中の4大国が「世界の警察官」(「四人の警察官」と呼ぶ事もある。)としての役割を果たすことが合意された。

これを受けて、1944年8月〜10月、ワシントンD.C.ジョージタウンにあるダンバートン・オークス・ガーデンにおいて、アメリカ合衆国、イギリス、ソビエト連邦、中華民国の代表が会議を開き、国際連合憲章の原案(「一般的国際機構設立に関する提案」)を作成した(ダンバートン・オークス会議)。ここでは、加盟国全部を含む総会と、大国中心に構成される安全保障理事会の二つを主体とする普遍的国際機構を作ることが合意された。

その後、安保理常任理事国の拒否権をどの範囲で認めるかについて、米英とソ連との交渉が続いたが、1945年2月に開催されたヤルタ会談において、大国の拒否権は実質事項のみで、手続事項には適用されないこと、紛争の平和的解決が試みられている間は当事国は表決に加わらないとの妥協が成立した。すなわち、米英ソ中に、イギリスの希望によりフランスを加えた5か国が拒否権を有する安保理常任理事国となるという「5大国一致の原則」が合意された。

サンフランシスコ会議の模様。

1945年4月25日から6月26日にかけて、日本またはドイツ(なお同国は会議中の5月7日に降伏した)に宣戦している連合国50か国の代表がサンフランシスコに集まり、国際連合設立のためのサンフランシスコ会議を開いた。ダンバートン・オークス会議で作成された憲章原案に基づき審議が行われ、6月26日、50か国が国際連合憲章に署名して会議は集結した。ポーランドは会議に代表を送っていなかったが、その後国連憲章に署名し、原加盟国51か国の一つとなった。そして、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中華民国およびその他の署名国の過半数が批准した1945年10月24日に、国際連合が正式に発足した。 10月24日は国連デーとして各国で記念されている。

名称

the united nations」(連合国)という言葉が初めて用いられたのは、第二次世界大戦中、日独伊の枢軸国と対戦していた26か国がワシントンD.C.に集まり、1942年1月1日、枢軸国への対決を明らかにした「連合国共同宣言(ワシントン宣言)」においてである。この名称は、前日の1941年12月31日、ルーズベルト米大統領がチャーチル英首相に提案して同意を得たとされる。戦後の国際的な平和組織の名称としては、前述のとおり1943年8月に作成されたアメリカ国務省の案の中で既に使用されていたが、その後、連合国側の構想の中で使用されるようになった。一方のソ連は「世界連邦」という名称を提案していた。

国際連合の設立に尽力したルーズベルト大統領は、サンフランシスコ会議開幕直前である1945年4月12日に死去した。会議では、「United Nations」という英語は複数形であり国際機構を意味するものとしては不適当ではないかとの意見もあったが、彼に対する敬意を表してこの名称を採用することが合意された。しばらくは文法上の理由からUnited Nations Organization (UNO)という名称も使われたが、次第に使われなくなった。

一方、フランス語では「機構」を示す「Organisation」を付してOrganisation des Nations uniesから、「ONU」との略称を用いている。スペイン語(Organización de las Naciones Unidas)、イタリア語(Organizzazione delle Nazioni Unite)も同様である。。ドイツ語では「連合国」と直訳している。

日本においては、戦争中の国家連合の名称としては「連合国」、国際機構に対しては「国際連合」との訳語が一般に用いられてきた。後者を軍事同盟の連合国と区別するために「国際連合」と意訳したのは外務官僚であるとされる。ただし、連合国側も日本の占領時には連合国について"the Allied Powers"と表記しており、"the United Nations"という用語を軍事的な意味で継続して使用する意思はなかった。1944年10月にダンバートン・オークス会議で発表された「国際連合憲章の原案(「一般的国際機構設立に関する提案」)」を同年12月に外務省が翻訳した際には、既に「国際連合」という訳語が用いられており、その後も国際機構を指す言葉としては戦中から戦後、現在に至るまで使用されている。朝日新聞は、駐英大使の森治樹が名付け親だとする話を報じている。

日本と同様に漢字を使用している中華民国や中華人民共和国では「聯合國/联合国」(戦前の諸国連合の名称としては「盟國」)が主に用いられている。大韓民国では、日本と同じく「國際聯合(국제연합)」であるが、英音短縮であるUN(「ユーエン」と発音、表記は「유엔」)が用いられる方が一般的である。

設立後の歴史

1946年から1953年までの間、初代事務総長を務めたのはトリグブ・リー(ノルウェー出身)であった。その任期中にはパレスチナ問題が顕在化し、1947年11月29日の総会でパレスチナ分割決議がなされたが、翌1948年から第一次中東戦争に至った。国際連合休戦監視機構 (UNTSO) が派遣され、事実上初の国連平和維持活動 (PKO) となった。また1950年には朝鮮戦争が勃発し、安全保障理事会でのソ連不在の間に米国を中心に「国連軍」が派遣される事態となった。国連の目指した集団安全保障は、東西冷戦のはざまで、機能不全に陥った。一方、1948年に世界人権宣言が総会で採択され、1951年には難民条約が採択されて国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR) が発足するなど、安全保障以外の面での活動も始まっていった。

1953年から1961年までの第2代事務総長ダグ・ハマーショルド(スウェーデン出身)の任期中にも、パレスチナ問題は再燃し、1956年の停戦違反を機にスエズ危機(第二次中東戦争)に至った。安保理は英仏の拒否権により機能停止に陥ったが、事務総長のリーダーシップにより、総会決議に基づいて第一次国連緊急軍 (UNEF I) が派遣され、これが初の正式なPKOとなった。他方、1953年のアイゼンハワー米大統領による国連総会での平和のための原子力演説を契機として、1957年国際原子力機関 (IAEA) が発足した。1956年には、日本も国連加盟を果たした。ハマーショルド事務総長の手腕はソ連圏を除く加盟国から絶大な信頼を得、1958年のレバノン事件、タイカンボジアの紛争、ラオス問題などで緊張緩和に努め、「国連のプレゼンス」という言葉が国際外交で常用語となった。1960年のコンゴ動乱ではPKOとして国連コンゴ活動が展開され、事務総長も調停に努めたが、1961年9月、事務総長は任務遂行中に北ローデシア(現ザンビア)の飛行機事故で死亡した。

1961年から1971年まで第3代事務総長を務めたのはウ・タント(ビルマ出身)である。これに先立つ1960年の植民地独立付与宣言(総会決議)に象徴されるように、1960年代には多くの植民地が独立を果たし、次々と国連に加盟した。1961年、第1回非同盟諸国会議が開かれ、米ソいずれの陣営にも属しない非同盟諸国が国連の多数派として出現し、1965年には加盟国の約7割に達した。1964年、第1回国連貿易開発会議 (UNCTAD) が開かれ、そこで途上国による77ヶ国グループ (G77) が結成された。77ヶ国グループは、その後も構成国を増やし、国連での投票等で一致した行動をとることによって先進国に対抗する大きな力を有するに至っている。ウ・タント事務総長も、非同盟主義に共鳴する立場から、冷戦下において東側と西側が持つイデオロギー性を批判し、ベトナム戦争をめぐってリンドン・ジョンソン米大統領と距離を置くとともに、途上国の開発の問題を訴えた。なおベトナム戦争と中ソ対立のさなかで、常任理事国である中華民国が追放され、同国と対立する中華人民共和国が代わりに加盟する(アルバニア決議の採択)。彼の任期中には、1963年に初の核軍縮条約である部分的核実験禁止条約 (PTBT) が署名され(同年発効)、1968年に核不拡散条約 (NPT) が総会で採択される(1970年発効)など、核軍縮への取組みも始まった。また、彼は宇宙船地球号を掲げて地球環境問題にも取り組み、アースデーの制定と後の国連人間環境会議の開催決定や国連環境計画 (UNEP) 設立決定に関わるなど国連は新しい任務を負うこととなった。

1972年から1981年までの第4代事務総長クルト・ヴァルトハイム(オーストリア出身)の任期中には、1973年の第四次中東戦争とそれに対する第二次国連緊急軍 (UNEF II) の派遣、キプロス問題の再燃などがあった。また、社会経済開発分野では、南北問題も深刻化し、石油輸出国機構 (OPEC) による石油禁輸(オイルショック)、1974年の国連資源特別総会の開催に見られるように資源ナショナリズムが高揚した。1981年のカンクンでの南北サミットでは事務総長の努力にもかかわらず南北関係が好転しなかった。

1982年から1991年までの第5代事務総長ハビエル・デクエヤル(ペルー出身)の任期中には、イラン・イラク戦争アフガニスタン紛争ナミビア内戦、アンゴラ内戦などがあり、国連のあっせん・仲介で停戦など一定の成果が上がった。1990年代に入ると、冷戦の終結に伴って、安保理の平和維持機能が復活し、1991年の湾岸戦争では安保理の武力行使容認決議に基づき多国籍軍が派遣された。

1992年から1996年までの第6代事務総長ブトロス・ガリ(エジプト出身)の任期中には、カンボジア、ソマリアルワンダボスニア(旧ユーゴスラビア)、モザンビークなどに次々PKOが派遣され、ガリ事務総長が1992年の『平和への課題』と題する報告書で訴えたとおり、PKOに平和執行部隊としての機能も期待された。しかし、一定の成果を上げたカンボジアやモザンビークと異なり、ソマリア、ルワンダ、ボスニアではPKOは十分な役割を果たすことができなかった。社会経済開発の分野では、1992年、リオデジャネイロ環境と開発に関する国際連合会議(地球サミット)が開かれ、「持続可能な開発」の理念が普及した。1994年、国連開発計画 (UNDP) が年次報告書で「人間の安全保障」という理念を提唱した。

1997年から2006年まで第7代事務総長を務めたコフィー・アナン(ガーナ出身)は、国連の行政改革に取り組み、縦割りを是正するため執行委員会の設置などを行った。彼の任期中には、1998年に国際刑事裁判所 (ICC) 設立のためのローマ規程が採択されたり(2003年発足)、2000年のミレニアム記念総会で途上国の開発目標などを定める国連ミレニアム宣言が採択されたりした。2001年、国連はアナン事務総長とともにノーベル平和賞を受賞した。もっとも、イラク民衆救済のための石油食料交換プログラム(1995年-2003年)に関し、国連事務局幹部の不祥事が後に発覚し、アナンの息子が勤めていた会社と国連との不透明な関係も指摘されるなど、事務総長自身の廉潔性も問われることとなった。安全保障理事会の承認がない対外的な軍事力の行使は常に批判されるが、安全保障理事会の常任理事国であるアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の五大国の軍事力の行使は、国際社会や国際連合はそれを抑止する力がないので、だれにも抑止できない状態である。

2007年から2016年まで潘基文(韓国出身)が第8第事務総長を務めた。

2017年、第9代事務総長アントニオ・グテーレス(ポルトガル出身)が就任した。

機関

国際連合機関」も参照

国際連合は、6つの主要機関と、その下に置かれた付属機関・補助機関から成る。また、国際連合と連携関係を持ち、独立した専門機関、関連機関もある。こうした諸機関を総称して国連システム(国連ファミリー)という。

主要機関

国際連合の主要機関として、総会、安全保障理事会経済社会理事会信託統治理事会国際司法裁判所事務局の6つの主要機関を設けている。

総会

総会議事堂

総会は、全加盟国で構成され、国連の関与するすべての問題を討議する。各国が1票の表決権を有し、重要問題については3分の2、一般問題については過半数で決する多数決制が取られている。総会の決議は加盟国または安全保障理事会に対する勧告をすることができるにとどまり、法的拘束力を持たない。しかし、重要な国際問題に対する世界の世論を示すものであり、国際社会の道徳的な権威を備えている。

総会の通常会期は、毎年9月第3週目の火曜日に始まり、翌年の9月上旬まで続く。議長は、会期ごとに、5つの地域グループから持ち回りで選ばれる。会期の始めには、全体会議(プレナリー)が開かれ、そこで各国の国家元首政府の長による一般討論が行われる。その後、ほとんどの議題は分野別に次の6つの主要委員会で審議される。全体会議は決議・決定を採択した後、12月に休会に入るが、主要委員会や他の下位機関での活動は様々な形で翌年の7月ころまで続く。

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安全保障理事会

安全保障理事会室

安全保障理事会(安保理)は、国連において国際の平和と安全に主要な責任を負う機関である。15か国で構成され、アメリカ合衆国イギリスフランスロシア連邦(1991年まではソビエト連邦)、中華人民共和国(1971年までは中華民国)の5か国が常任理事国、それ以外の10か国は総会で2年の任期で選ばれる非常任理事国である。

各理事国は1票を有し、手続事項に関する決定は15理事国のうち少なくとも9理事国の賛成投票によって行われるが、実質事項に関する決定は、5常任理事国の同意投票を含む9理事国の賛成投票によって行われる(国連憲章27条)。すなわち、常任理事国の1か国でも反対投票を投じれば決議は否決されるため、常任理事国は拒否権を有していることになる。常任理事国の拒否権行使により、安全保障理事会は国際社会の平和の維持や回復のためには機能していない。すべての国連加盟国は、安保理の決定を受諾・履行することに同意しており(憲章25条)、国連の中でこのように履行義務を伴う決定をなし得るのは安保理のみである(総会等の決議は勧告的効力にとどまる)。なお、安保理の構成や拒否権の扱いについては改革の議論がなされている(後出国際連合改革)

平和への脅威が生じると、安保理は、通常、平和的手段による合意を当事者に勧告する。自ら調査・仲介を行ったり、使節団を派遣したり、国際連合事務総長特別代表を任命したり、事務総長にあっせんを要請したりすることもある。紛争が激化すると、戦闘の拡大を防ぐため停戦命令を発することがある。さらに、平和維持軍を派遣したり、国連憲章第7章に基づき、経済制裁、武器禁輸、渡航禁止、集団的軍事行動などの強制措置を発動することもあり、安保理の重要な権限の一つである(後出平和と安全の維持)

安全保障理事会の目的は国際社会の平和の維持と回復なのだが、国際連合設立後の現実としては、安全保障理事会の常任理事国である、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、ロシア連邦、中華人民共和国の五大国と、アメリカ合衆国が常に擁護しているイスラエルの六国こそが、世界における軍事力行使の大部分を行っていて、安全の保障に反して軍事力が行使されている。

安保理の補助機関として、人道に対する罪を訴追するために設けられた旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(ICTY)、ルワンダ国際刑事裁判所(ICTR)、またアメリカ同時多発テロ事件を受けて設けられた反テロリズム委員会がある。

経済社会理事会

経済社会理事会(経社理、ECOSOC)は、経済・社会・文化・教育・保健の分野で、専門機関等を含む国連ファミリーの活動を調整するために設置された機関である。54か国で構成され、理事国は3年の任期で総会で選ばれる。各国が1票を有し、決定は過半数で行われる。

経社理は、年間を通じて多くの準備会議、円卓会議、市民社会メンバーとのパネル・ディスカッションなどを開催するほか、毎年7月、ニューヨークとジュネーヴで交互に4週間の実質的な会期を開く。もっとも、経済社会分野の実質的な活動は、諸計画・基金、専門機関、関連機関によって担われており、これらの機関は経社理に報告を行ったり、勧告を行ったりする。経社理のあり方については、形骸化しており決定に実効性がない、総会討議と重複している、世界銀行グループのような専門機関に対する指導力がないといった批判がある。

また、経社理は、資格を有する非政府組織(NGO)と協議をすることができる(国連憲章71条)。2870以上のNGOが経社理と協議する地位を与えられている。NGOは特別の経験や専門知識を持ち、国連と市民社会とを結びつける貴重な存在であると考えられており、国連と提携NGOとの関係は、時代の進展とともに増大している。

信託統治理事会

信託統治理事会は、未独立の信託統治地域が自治・独立に向けた準備をすることができるようにすることを目的に設立された。1994年までに、すべての信託統治地域が自治または独立を達成したことから、その任務をほぼ完了したとして活動を停止した。

国際司法裁判所

ハーグの国際司法裁判所。

国際司法裁判所(ICJ)は、国連の主要な司法機関である(国連憲章92条)。所在地はオランダのハーグである。15名の裁判官で構成され、そのうちのいずれの2人も同一の国籍であってはならない(国際司法裁判所規程3条)。実際には、西欧・北米5名、東欧2名、中南米2名、アジア3名、アフリカ3名という地理的配分の原則がとられている。任期は9年で、3年ごとに5名が改選される(規程13条)。

すべての国連加盟国は自動的に国際司法裁判所規程の当事国となり(憲章93条)、ICJは同規程当事国のすべてに開放されている。国際組織や個人は当事者となることができない。もっとも、ICJが事案を審理し、判決を下すのに必要な管轄権を有するためには、当事国の同意がなければならない(規程36条)。判決は、出席した裁判官の過半数により決定される(規程55条)。判決は、当該紛争の当事国間において、かつ当該事件についてのみ拘束力を持つ(規程59条)。当事国は判決に従う義務がある。国際司法裁判所は判決を執行する能力が無いので、当事国の政府が判決に従わなければ、判決は履行されない。

そのほか、総会と安保理、また総会の許可を受けたその他の国連機関(経社理およびほとんどの専門機関など)は、いかなる法律問題についても、ICJに勧告的意見を求めることができる(憲章96条、規程65条)。国家は勧告的意見を求めることはできない。勧告的意見は、国連憲章の解釈や権限の行使の適法性などについて述べられるものが多い。勧告的意見は法的拘束力がないので、紛争を解決できた実績はない。 また、裁判の強制権が無いため、裁判を申し込まれた国が拒否すれば裁判を行うことができない。

事務局

第9代事務総長・アントニオ・グテーレス

事務局は、国連の日常業務を遂行する機関であり、他の主要機関に役務を提供するとともに、それらの機関が決定した計画・政策を実施する。事務総長が統括する。1年以上の契約を持つ事務局職員は約2万5530人、短期契約職員

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出典:wikipedia
2018/07/13 21:06

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