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城彰二とは?

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城 彰二


【名前】

【愛称】
ジョウ
【カタカナ】
ジョウ ショウジ
【ラテン文字】
JO Shoji
【基本情報】

【国籍】
日本
【生年月日】
(1975-06-17) 1975年6月17日(43歳)
【出身地】
北海道室蘭市
【身長】
179cm
【体重】
72kg(現在は88kg)
【選手情報】

【ポジション】
FW
【利き足】
右足

【クラブ】


クラブ | 出場 | (得点)
1994-1996
ジェフユナイテッド市原 |  99  | (35)
1997-2002
横浜マリノス/横浜F・マリノス |  106  | (59)
1999-2000
レアル・バリャドリード (loan) |  15  | (2)
2002
ヴィッセル神戸 (loan) |  25  | (1)
2003-2006
横浜FC |  151  | (44)
【代表歴】

1995-2001
日本 | 35  | (7)
1. 国内リーグ戦に限る。2006年12月2日現在。
2. 2001年3月24日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

城 彰二(じょう しょうじ、1975年6月17日 - )は、北海道室蘭市で生まれ、鹿児島県姶良市(旧:姶良郡加治木町)育ちの元プロサッカー選手。ポジションはFW。元サッカー日本代表

1998年ワールドカップフランス大会日本代表メンバー。

目次

  • 1 来歴・人物
    • 1.1 高校時代まで
    • 1.2 Jリーグ加入
    • 1.3 日本代表での活躍
    • 1.4 スペイン挑戦
    • 1.5 Jリーグ復帰
    • 1.6 引退後
  • 2 エピソード
  • 3 所属クラブ
  • 4 個人成績
  • 5 代表歴
    • 5.1 出場大会など
    • 5.2 国際Aマッチ 35試合 7得点(1995年 - 2001年)
  • 6 CM出演
  • 7 出典
  • 8 関連項目
  • 9 外部リンク

来歴・人物

高校時代まで

中学生の時に北海道から両親の出身地である鹿児島県へ帰省することとなる。

姶良市立加治木中学校卒業・鹿児島実業高等学校卒業。

鹿児島実業高校サッカー部では松澤隆司監督の指導を受け、2年先輩に前園真聖藤山竜仁

遠藤拓哉同学年に遠藤彰弘横山博敏2年後輩に平瀬智行などがいた。

高校3年時の高校サッカー選手権大会第72回大会でベスト4に入った(大会得点王はチームメイトの野見山秀樹)。

Jリーグ加入

卒業後はJリーグジェフユナイテッド市原に加入。デビュー戦でゴールを挙げ、それから4試合連続ゴールを挙げるなど注目を集めた。

市原では若くしてチームを象徴する選手となるが、日本代表での活躍や海外移籍などを見据えたキャリアアップを理由にして1997年に横浜マリノス(1999年から横浜F・マリノス)へ移籍した。マリノスでは高校の同期生遠藤と同僚となり、チームの中心選手として活躍した。

日本代表での活躍

アトランタオリンピックを目指す五輪代表チームに選出され、アジア予選ではもう1人のエースであった小倉隆史が最終予選前に負傷離脱した事もあり、前線の軸を担い28年ぶりの本大会出場に貢献。韓国との決勝では1-2で敗れはしたものの、オーバーヘッドシュートを決めた。1996年の本大会にも出場し、結果はグループリーグ敗退だったが、ブラジル戦では相手GKジーダと競り合って伊東輝悦のゴールを演出し、マイアミの奇跡と呼ばれる勝利に貢献した。

1997年には、フランスW杯アジア最終予選で悲願の初出場に貢献した。ジョホールバルの歓喜と呼ばれ、日本がイランを破って本大会出場を決めた1997年11月16日のアジア第3代表決定戦では同点ゴールを決めた。

1998年、エースストライカーとして臨んだフランスW杯本戦では得点することが出来なかった。チームも3戦全敗を喫して、特にアルゼンチン戦ではTVで解説を務めていたラモス瑠偉により「シュートを外してヘラヘラ笑っている」と激しく批判され、戦犯として日本中で批判を受けた。

フランスW杯以後も代表に選出されていたが、2001年3月の対フランス戦を最後に代表から外れた。

スペイン挑戦

城はフランスW杯での挫折からの巻き返しを誓い、後のJリーグでゴールを量産。そして2000年1月、念願だった欧州リーグに挑戦する事となる。

スペインのリーガ・エスパニョーラ1部・レアル・バリャドリードへシーズン途中でレンタル移籍し、ほぼレギュラーとして活躍。得点こそオビエド戦で挙げた2得点にとどまったが、ポストプレーなどでのチームへの貢献が評価された。なお、横浜FM時代の年俸は2億円だったが、レアル・バリャドリード時代は3500万円まで下がった。

シーズン終了後に完全移籍やレンタルの延長が検討されたが、日本代表の試合での負傷がきっかけで高校時代から膝の前十字靭帯を切ったままプレーを続けていたことが発覚し、契約を見送られた。

Jリーグ復帰

スペインでのプレーが出来なくなり、横浜F・マリノスへ復帰したが、その後はケガや体調不良などで得点数が激減した。

横浜F・マリノスは城がスペインにいた2000年前半のJ1・1stステージで5年ぶりのステージ優勝を遂げ、エースの不在をはね返した。逆に同年12月のJリーグチャンピオンシップにおける2試合無得点の敗退(鹿島アントラーズが優勝)やリーグ最終戦までJ2降格の危機が残った2001年の低迷は城の不振が原因とされ、サポーターからの批判を浴びた。期限付き移籍でヴィッセル神戸に加入した2002年も1ゴールのみに終わり、年末には神戸から翌シーズンの契約延長を見送られ、また本籍の横浜F・マリノスからも戦力外通告を受け、J1でのプレーはこの年限りとなった。2003年にJ2の横浜FCへ加入した。

社長の奥寺康彦が市原のゼネラルマネージャーや監督として獲得や指導に関わった城を勧誘した事で実現し、高校の同期生の横山と同じチームになった。城はレギュラーとして試合に出場し、その合間にテレビのスポーツ番組やバラエティ番組への出演もしばしば行った。

財政難や劣悪な練習環境に苦しむ横浜FCは低迷を続け、J1昇格を予想される事はほとんど無かったが、城はコンスタントな活躍を続け、徐々に同僚やサポーターからチームリーダーとしての信頼を勝ち取っていった。 城は後にスポーツ雑誌『Number』のインタビューに答え、この時期の意識変化は妻の助言に依る所が大きかったと述べた。

2006年には主将として高木琢也監督の下、三浦知良とツートップを組み、クラブ初のJ1昇格を決めたが、前述の靭帯の故障が限界に達し、2006年シーズンを最後に現役引退を発表。シーズン中にも拘らず11月23日・三ツ沢公園球技場で行われた徳島ヴォルティスとの試合後にファンの前で引退の挨拶を行った。この時、当時39歳の三浦知良は「俺よりも若い」と引退を惜しんでいる。

現役最後の公式戦となった12月2日愛媛FC戦ではアシストを記録し、試合後のセレモニーでJ2優勝カップを掲げ三ツ沢の1万人以上のサポーターからの歓声で送り出されて、13年間のプロサッカー選手生活を終えた。

引退後

引退後の2007年2月にはJリーグ百年構想メッセンジャーに任命され、Jリーグが目標に掲げる地域スポーツ文化形成のための各種広報活動に参加している。この他、テレビなどで試合解説、スポーツニッポンの評論家として活動している。

同年4月より日本テレビ放送網の『サッカーアース』コメンテーター出演。

なお、引退試合開催に必要な公式戦500試合出場は満たすことは出来なかったが、日本代表に貢献した功績を鑑みて引退試合の開催が許可された。城の引退試合は最終所属クラブである、横浜FCの主催試合として2008年1月27日に三ツ沢公園球技場で行われた。

2009年日本サッカー協会指導者ライセンスの最高位であるS級ライセンスを取得。それに伴い、Jリーグクラブのトップチームならびに日本代表監督就任が可能となった。

2013年、インテル・ミラノの日本でのサッカースクール「インテルアカデミージャパン」のテクニカルディレクターに就任。

2017年5月、北海道サッカーリーグに所属する十勝FCのスーパーバイザーに就任。

エピソード

 | 
この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2010年8月)

 | 
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2010年8月)

所属クラブ

個人成績

【国内大会個人成績】

【年度】
【クラブ】
【背番号】
【リーグ】
【リーグ戦】
リーグ杯
オープン杯
【期間通算】

【出場】
【得点】
【出場】
【得点】
【出場】
【得点】
【出場】
【得点】

日本 【リーグ戦】
リーグ杯
天皇杯 期間通算
1994 | 市原 | - | J | 33 | 12 | 2 | 1 | 2 | 0 | 37 | 13
1995 | 43 | 14 | - | 0 | 0 | 43 | 14
1996 | 23 | 9 | 13 | 4 | 1 | 0 | 37 | 13
1997 | 横浜M | 9 | 21 | 12 | 0 | 0 | 2 | 2 | 23 | 14
1998 | 31 | 25 | 0 | 0 | 1 | 0 | 32 | 25
1999 | 横浜FM | 11 | J1 | 25 | 18 | 6 | 3 | 3 | 1 | 34 | 22
スペイン 【リーグ戦】
国王杯
オープン杯 期間通算
1999-00 | レアル・バリャドリード | 25 | プリメーラ | 15 | 2 |  |  |  |  |  | 
日本 【リーグ戦】
リーグ杯
天皇杯 期間通算
2000 | 横浜FM | 31 | J1 | 4 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2
2001 | 11 | 25 | 2 | 8 | 4 | 1 | 0 | 34 | 6
2002 | 神戸 | 9 | 25 | 1 | 6 | 2 | 1 | 0 | 32 | 3
2003 | 横浜FC | 25 | J2 | 33 | 12 | - | 1 | 4 | 34 | 16
2004 | 35 | 8 | - | 2 | 0 | 37 | 8
2005 | 9 | 40 | 12 | - | 1 | 0 | 41 | 12
2006 | 43 | 12 | - | 0 | 0 | 43 | 12
【通算】
【日本】
J1 230 | 95 | 35 | 14 | 11 | 3 | 276 | 112
【日本】
J2 151 | 44 | - | 4 | 4 | 155 | 48
【スペイン】
プリメーラ 15 | 2 |  |  |  |  |  | 
総通算 396 | 141 |  |  |  |  |  | 

その他の公式戦

代表歴

出場大会など

国際Aマッチ 35試合 7得点(1995年 - 2001年)


日本代表
国際Aマッチ

【年】
【出場】
【得点】

1995 | 1 | 0
1996 | 3 | 0
1997 | 13 | 4
1998 | 10 | 1
1999 | 5 | 0
2000 | 2 | 2
2001 | 1 | 0
通算 35 | 7

CM出演

出典

  1. ^ “城 彰二”. サッカー日本代表データベース. http://www.jfootball-db.com/players_sa/shoji_jo.html
  2. ^ 城が引退を表明/元日本代表FW”. 四国新聞 (2006年11月23日). 2013年9月6日閲覧。
  3. ^ 年俸2億円から3500万円への大幅減 城彰二をスペイン挑戦に突き動かした“夢”の力”. Football ZONE WEB (2018年2月5日). 2018年4月6日閲覧。
  4. ^ FW城彰二選手 期限付き移籍加入(12/25UP) - ウェイバックマシン(2002年6月6日アーカイブ分) ヴィッセル神戸 (2001年12月25日)
  5. ^ 弊社が運営する十勝FCのスーパーバイザーにサッカー元日本代表 城 彰二氏が就任いたしました”. リーフラス (2017年5月25日). 2017年6月17日閲覧。
  6. ^ 巻くだけで腹筋スレンダートーン!城彰二1ヶ月チャレンジ”. ショップジャパン. 2017年6月19日閲覧。

関連項目

外部リンク

Jリーグ功労選手賞
※記述のない年は該当者なし
1990年代 | 

2000年代 | 
  • 00: 松永成立
  • 01: ストイコビッチ
  • 02: サントス
  • 03: 井原正巳, 福田正博, 北澤豪
  • 05: ビスマルク
  • 06: 相馬直樹, 小島伸幸, 澤登正朗
  • 07: 本田泰人, アマラオ, 城彰二
  • 08: 秋田豊, 名良橋晃, 黒崎久志, 山口素弘
  • 09: 小村徳男, 加藤望, 名波浩, 福西崇史, 森岡隆三, 森島寛晃

  • 2010年代 | 
  • 11: 三浦淳宏, 松田直樹
  • 12: 藤田俊哉, 田中誠
  • 13: 中山雅史, 土肥洋一, 服部公太
  • 14: 伊藤宏樹, 岡野雅行, ジュニーニョ, 服部年宏, 波戸康広, 山田暢久, 吉田孝行, ルーカス
  • 15: 宮本恒靖, 柳沢敦, 中田浩二, 新井場徹, 藤本主税
  • 16: 山口智, 鈴木啓太
  • 17: 市川大祐, 大島秀夫

  • Jリーグアウォーズ(最優秀選手賞 - JB11 - 得点王 - JBYP賞 - JFP個人賞 - J2MEP - 功労選手賞 - 最優秀監督賞 - 最優秀主審賞 - JBP賞)

    Jリーグ記念ゴール (J1)
    1-10,000 | 

    10,500-20,000 | 
  • 10,500 今野泰幸2005.11.12
  • 11,000 アンドレ2006.7.23
  • 11,500 田中佑昌2006.11.18
  • 12,000 ウェズレイ2007.6.23
  • 12,500 マルキーニョス2008.3.16
  • 13,000 巻誠一郎2008.9.14
  • 13,500 鄭大世2009.5.10
  • 14,000 中山博貴2009.11.28
  • 14,500 赤嶺真吾2010.8.22
  • 15,000 辻尾真二2011.5.22
  • 15,500 ラフィーニャ2011.9.18
  • 16,000 藤田直之2012.5.25
  • 16,500 永井謙佑2012.11.17
  • 17,000 鈴木大輔2013.7.17
  • 17,500 家長昭博2014.3.15
  • 18,000 興梠慎三2014.9.23
  • 18,500 塩谷司2015.5.23
  • 19,000 高山薫2015.11.7
  • 19,500 遠藤康2016.7.17
  • 20,000 金子翔太2017.4.21
  • 20,500 エウシーニョ2017.9.30
  • 21,000 齊藤未月2018.7.22

  • 得点王(J1 - J2 - J3) - 記念ゴール(J1 - J2 - J3)

    日本代表 - 出場大会
    日本代表 - 1996 アトランタ五輪 サッカー競技
    出典:wikipedia
    2018/12/03 06:12

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