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堀江貴文とは?

堀江 貴文
2014年12月11日

【生誕】
(1972-10-29) 1972年10月29日(47歳)
日本 福岡県八女市
【国籍】
日本
【別名】
ホリエモン、たかぽん
【出身校】
久留米大学附設高等学校卒業

【職業】
実業家著作家投資家Youtuber
【配偶者】
独身(離婚歴あり)
【公式サイト】
ホリエモンドットコム 堀江貴文
堀江貴文

【人物】

【生誕】
1972年10月29日
日本福岡県八女市
【YouTube】

【チャンネル】

【活動期間】
2009年3月3日 -
【登録者数】
約 78万人
【総再生回数】
約 1億671万回
チャンネル登録者数、総再生回数は000000002019-11-26-00002019年11月26日時点。

堀江 貴文(ほりえ たかふみ、1972年10月29日 - )は、日本実業家著作家投資家タレントYouTuberである。愛称はホリエモンだが、堀江本人があだ名やペンネームなどを名乗る際にはたかぽんを自称している。sns media&consulting株式会社ファウンダーインターステラテクノロジズ株式会社ファウンダー、株式会社7gogo取締役、日本ゴルフ改革会議委員、Jリーグアドバイザー、大阪府の特別顧問(国際博覧会(万博)担当)である。元ライブドア代表取締役社長CEOである。

目次

  • 1 人物
  • 2 受賞
  • 3 経歴
    • 3.1 会社設立
    • 3.2 球団買収計画と失敗
    • 3.3 ニッポン放送買収計画と失敗
    • 3.4 総選挙への出馬と落選
    • 3.5 宇宙開発事業
  • 4 ライブドア事件
    • 4.1 証券取引法違反容疑による逮捕
    • 4.2 偽計取引、風説の流布
    • 4.3 有価証券報告書の虚偽
    • 4.4 事件に関連し報道されたエピソード
    • 4.5 一審での有罪判決後
    • 4.6 収監後
    • 4.7 釈放後
    • 4.8 民事裁判
  • 5 ネット上の発言
  • 6 LINEとの関係
  • 7 その他
  • 8 書籍
    • 8.1 著書
    • 8.2 共編著、監修
    • 8.3 関連書籍
    • 8.4 漫画
  • 9 プロデュース・監修など
  • 10 メディア出演
    • 10.1 ウェブテレビ
    • 10.2 ミュージック・ビデオ
    • 10.3 テレビ番組
    • 10.4 CM
    • 10.5 舞台
    • 10.6 映画
    • 10.7 DVD
    • 10.8 音楽活動
  • 11 かつての所有馬
  • 12 脚注
  • 13 関連項目
  • 14 外部リンク

人物

何事にも「ハマる」事が大事だという信条である。何もかも忘れるくらいに没頭すること。英単語暗記もプログラミングもそれで楽しく乗り切った。「没頭」することができたときにその対象が好きになることができる。「仕事が好きだから営業に没頭する」のではなく、「営業に没頭したから、仕事が好きになるのである」。そういう無我夢中な体験である。

どうすれば没頭できるのかに対しては「自分の手でルールを作ること」だと述べる。ルール作りのポイントはとにかく「遠くを見ないこと」。「将来の大目標」を意識し続けるのではなく「今日の目標」を達成することだけを考える。

身長173cm。体型維持のため炭水化物は制限している。

多趣味である。トライアスロンキックボクシングサッカーサバイバルゲームリバートレッキングレーシングカートギターゴルフなど。ダウンヒルにも挑戦中。

様々な銘柄に投資している。本屋自動配送ロボット日本酒、ゴルフイベント、教育(ゼロ高等学院)、作品のエージェント業など多数。投資は「自分が欲しい物や、世の中がこうなったらいいな」というものを感じるものに投じる。

宇宙事業に従事しておりSNS株式会社の創業者である。SNS株式会社はもともと指紋認証システムの会社で、堀江貴文が買い取った企業だったが、これを母体として、宇宙事業を専門に推進する子会社、インターステラテクノロジズを設立し、実際の宇宙開発事業は、インターステラテクノロジズが行っている。

大学時代にはヒッチハイクにハマっていた。

服は専属キュレーターが選んでいる。

全身脱毛済み。

スポーツは特定のチームを応援したことはない。

自分の時間を相手のせいで奪われるということを嫌悪し、電話ではなくメールなどを好んでいる。「自分の時間を生きること」がビジネスマンとして大事だという考えをもっている。世の中で生きるためにそういった闘争そのものを目的にしてきた人生だったとは考えていないが、 限られた一生を幸福なモノにするためにはそうする必要があると著書に綴っている。

プライベートジェットHondaJetに体験搭乗し、「もう素晴らしくて」「乗り心地も快適」「騒音がまるでない」との感想を持ち、HondaJet日本納入第1号機の共同所有者に名を連ねた。

2015年7月よりJリーグアドバイザーに就任し、Jリーグが推進するさまざまなプロジェクトに対して助言・提言を行う立場となった。「プレミアリーグよりもJリーグの方にポテンシャルがあると感じている」と語っている。

受賞

新語・流行語大賞

経歴

1972年10月29日福岡県南部の山間部に位置する八女市に長男として生まれる。一人っ子。

父親はトラック販売会社の佐賀支店に勤めていたサラリーマンで、地元の九州ナンバー1である超有名進学校を卒業後そのまま地元の企業に就職して、定年まで勤め上げることなく早期退職した人だった。好きな野球チームが負けると途端に機嫌が悪くなり手が出た。怒りのあまり、そのまま庭の木に縛り付けられたこともあった。夫婦仲はあまりよくなく出かけるときはいつも父と貴文だけだった。母は何度も勤め先を変えており最終的に経理的な仕事に落ち着いた。母はとにかく気性が荒く、「せからしか!(うるさい)」と言っては貴文に無理を言った。

小学1年生のとき突然の母の命令で柔道を始めるはめになる。小学校の6年間警察の柔道道場に通い、片道30分かけて自転車で道場に行き、1時間半の猛練習をして、また30分かけて帰る。これが週3日続いた。理不尽なしごき体罰もありひたすら苦痛だったと語っている。

5歳の頃のある日、貴文は百科事典を読むことに熱中することになる。友達の家に行くのも時間がかかり、家には他にまともな本がなかったためである。事典として、気になる項目を拾い読みしていくのではなく、今でいうネットサーフィンの感覚で第一巻「あ行」の1ページから、最終巻「わ行」の巻末まで一つの読み物として通読していった。これによりリニアモーターカーコンピュータ宇宙のことなど知的好奇心が刺激され、・世界の国王の名前もこれで覚えた。

テストや教科書が簡単すぎてつまらなくなり、算数のテストで10分で解き上げクラスメイトの答案の採点をしていた。

ここが自分の居場所ではないと感じていたある日、小学3年生の担任が久留米の「全教研」という進学塾に行くことを勧めた。そして久留米大学附設中学校に居場所があると言った。それまで貴文は塾はお金持ちの子供か勉強のできない子供が行くところと思っていたが担任のすすめ通り4年生から通うことになる。

久留米の生活は塾のある日は柔道を休め、刺激的な友達と出会え、美味しものも食べられる。しかも講師陣の教え方もうまく授業のレベルも高かったため勉強が楽しくなった。

そのまま県下で一番の進学校である久留米大学附設中学校に合格する。

中学に上がるのと前後してコンピュータと出会う。きっかけは映画「ウォー・ゲーム」を観たことからであった。1985年はつくば万博が開催された年で、子どもたちは科学SFに強く関心をもっており、貴文も科学雑誌を読み漁っていた。そして話題の中心にあったのはいつもコンピュータだった。なんとか両親を説得し合格祝いに日立MSXパソコン「H2」を買ってもらう。毎日深夜までプログラミングに明け暮れ、その知的好奇心を満たしていた。

もはや初心者用のMSXパソコンでは満足できなくなり、「PC-8801mkⅡFR」を買う。購入資金は親から20万円借金し、それを新聞配達で返済した。ますますパソコンの世界に没頭し、当時の標準言語BASICだけでなく、より高度なマシン語もマスターして、かなり複雑なプログラミングまで組めるようになっていった。

中学2年生の時初仕事が舞い込んでくる。当時としてはかなり珍しい、パソコンを使ったCAI教育(コンピュータ支援教育)による英語スクールで授業そっちのけでパソコンをいじっていたところ、塾講師から日立のパソコンを全部NECの新しいパソコンに入れ替える際、教材システムの移植作業をやらないかという話を受けた。およそ1ヶ月無我夢中でプログラミングし作業を完了した。受け取った報酬は中学生にとっては大金の10万円だった。

コンピュータにのめり込みすぎたあまり入学当時トップ10クラスだった成績は学年202人中199番というところまで落ちてしまった。さらに当時のパソコンを取り巻く環境に幻滅しコンピュータからも離れてしまう。

こうした環境から脱出するため貴文は東京に行くことを決心する。同級生の多くは九州大学への進学を考えていたがそれだと実家からの通学を強制される可能性があった。早稲田慶応などの私立は経済的に難しい。一橋大学では両親が知ってるかあやしく、九大に行けということになることが予想された。こうした結果、両親でも知ってて説得材料になる大学、東京大学に行くことという結論になった。

受験勉強は英単語帳を隅から隅まで、派生語や例文も含めてすべての文言を丸暗記することでセンター模試で9割以上の正解率になった。結果的に現役で東京大学に合格する。

久留米大学附設中学校・高等学校を経て、東京大学文学部中退。中学・高校時代の同級生に、後に衆議院議員となる古賀篤ソフトバンク社長室長などを務めた三木雄信ガンホー・オンライン・エンターテイメント創業者の孫泰蔵(孫正義の実弟)がいる。

会社設立

大学在学中にやっていたプログラミングのアルバイトインターネットと出会う。

1996年(平成8年)4月、有馬あきこらと共に有限会社オン・ザ・エッヂを設立(なお、堀江はオン・ザ・エッヂを設立後に東京大学を中退している)。資本金には、有馬の父からの出資600万円が用いられた。1997年に株式会社に改組。同社は、当時のインターネットが普及しはじめた黎明期に、いち早くホームページ制作・管理運営を行う会社として注目を集め、レコード会社などの一流企業のサイト制作を請負った。2000年4月に売上高2億5000万円で東証マザーズに上場した。2002年、経営破綻した旧ライブドア社から営業権を取得した上で、ライブドアへ社名を変更した。ライブドアは証券取引法違反により、2006年4月14日に上場廃止となった。

球団買収計画と失敗

2004年に経営難でオリックス・ブルーウェーブ(現:オリックス・バファローズ)との合併が決定されたプロ野球球団、大阪近鉄バファローズ買収を申し出た。買収の申し出を拒否されると、今度はそれまで球団のなかった東北に新球団を設立する計画を発表。球団名を「仙台ライブドアフェニックス」とし、監督としてトーマス・オマリーを招聘すると発表した。本業の競合他社でもある楽天と参入を競い合うが経営体力の不足等が指摘され、審査の結果、楽天(東北楽天ゴールデンイーグルス)の参入が決定。ライブドアの参入は実現しなかった。

ニッポン放送買収計画と失敗

ニッポン放送の経営権問題」も参照

2005年2月、自身が社長を務めるライブドアがニッポン放送の株を35%取得、同社最大株主となった。その後2月21日現在ニッポン放送株を40.1%取得したが、2005年4月、ライブドアの所有するニッポン放送株式全てをフジテレビジョンが取得したことで、買収は失敗した。

総選挙への出馬と落選

2005年8月16日、衆議院解散(いわゆる郵政解散)に伴う総選挙において、自民党から福岡1区での立候補を打診されたが、出馬するかどうかは未定であることが明らかとなった。一方、民主党岡田克也代表(当時)とも会談を行うが民主党からの立候補は見送られた。

自民党からは堀江の擁立に対する批判が相次ぎ、また、堀江が自民党の説得に応じず、ライブドアの社長を辞めないことを表明。堀江は無所属として亀井静香(当時自民党を離党し国民新党所属)の選挙区である広島6区(尾道市三原市など)で立候補すると発言したが、立候補の記者会見を自民党本部で行っていたこと、広島6区で自民党・公明党が候補を擁立しなかったこと、武部勤自民党幹事長や竹中平蔵経済財政政策担当大臣など自民党大物幹部が堀江の応援演説に訪れていた(武部は「我が弟です、息子です」と堀江を持ち上げた)ことから、自民党による亀井静香への対立候補として世間から認知されるようになった。対立候補の当事者であり「刺客」という言葉を最初に用いていた亀井静香は、堀江について「自民党の刺客が自民党を名乗らない。忍者かね」と批評した。

2005年9月6日には、東京都内の日本外国特派員協会講演で「憲法天皇は日本の象徴であると言う所から始まるのは、はっきり言って物凄く違和感を覚える」「歴代の首相、内閣、議会が変えようとしないのは多分、右翼の人達が怖いから」「インターネットの普及で世の中の変化のスピードが速くなっているから、リーダーが強力な権力を持つ大統領制にした方が良い」と言う天皇を否定とも取れる発言が物議を醸し、選挙特別番組でも亀井静香が「自民党が天皇を否定するような人物を擁立すべきでない」と述べ、自民党幹事長代理の安倍晋三等に対し不満を漏らした。

選挙の結果としては、亀井静香の地盤である広島6区では厳しい選挙戦を強いられ、公明党支持者からの票を得るために「比例は公明党に」と連呼までして終盤で追い上げたが、結局は亀井静香11万票に次ぐ8万4千票で落選した。民放の開票速報番組で、「比例は公明」と訴えていたことについて丸山和也(当時は非議員、現参議院議員)に真意を尋ねられると、「公明党は改革を支持している政党だから」と発言した。

落選後、今後の衆院選で同じ広島6区から出馬する意向を示唆していたが、翌年の証券取引法違反事件で自身が東京地検に逮捕されたことにより、4年後の2009年8月の総選挙には出馬しなかった。また2010年の参議院選挙では衆議院選挙を戦った亀井静香より国民新党からの出馬を打診されたが辞退している。

宇宙開発事業

詳細は「インターステラテクノロジズ」を参照

ライブドア事件

証券取引法違反容疑による逮捕

詳細は「ライブドア事件」を参照

偽計取引、風説の流布

東京地検特捜部の指摘によると、ライブドアが実質的に支配する投資事業組合が、すでにマネーライフ社を買収していたにもかかわらず、増資や架空売り上げを計上するなどし、ライブドアマーケティング社(現:メディアイノベーション)が、それら事実を偽って公表したとするもの。判決によると、粉飾により時価総額を高めて高い企業価値を偽装して他社を買収するなど、虚像により社会を欺いた点が極めて悪質とされた。その結果、単なる粉飾決算である他の事例(日興コーディアル証券など)よりも重い刑罰が確定した。

有価証券報告書の虚偽

東京地検特捜部の指摘によると、ライブドアの2004年9月期の連結決算では経常赤字であったにもかかわらず、架空売上の計上、投資事業組合を通じたライブドア株式売却による投資利益を売上に計上し、50億3400万円の経常黒字であるとする虚偽の有価証券報告書を提出したとするもの。

事件に関連し報道されたエピソード

一審での有罪判決後

収監後

釈放後

民事裁判

ネット上の発言

LINEとの関係

ライブドア事件の後にライブドアグループは再編され、会社の顔でもあったポータルサイト「ライブドア」を含むメディア事業はLINEの前身であるNHN Japanが買収し、サービスも承継された。その後、同社はアプリ『LINE』の開発を経てLINEに社名変更しており、出澤剛(旧ライブドア・メディア事業部長)など、LINEの役員陣にはライブドアの幹部や社員であった人間が含まれている。

堀江はLINE上場の際、元上司の立場から「長かった」とするコメントを出している。

メディア事業だけがライブドアではなく、法人格も存続していないため、LINEを元ライブドア(堀江をLINEの元経営者)とするのは厳密には誤りである。

その他

2010Happy Mail