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多賀町とは?

たがちょう
多賀町
多賀大社拝殿

 | 
多賀町旗 | 多賀町章
1967年1月1日制定

【国】
日本
【地方】
近畿地方
【都道府県】
滋賀県
【郡】
犬上郡
市町村コード
25443-6
法人番号
8000020254436
【面積】
135.77km

【総人口】
7,325[編集]
(推計人口、2020年5月1日)
人口密度
54人/km
【隣接自治体】
米原市彦根市東近江市犬上郡甲良町愛知郡愛荘町
岐阜県大垣市
三重県いなべ市
【町の木】
スギ
【町の花】
ささゆり
【町の鳥】
ウグイス
【多賀町役場】

【町長】
久保久良
【所在地】
522-0341
滋賀県犬上郡多賀町多賀324
北緯35度13分19.3秒東経136度17分31.8秒

【外部リンク】
公式ウェブサイト

― 市 / ― 町



ウィキプロジェクト

多賀町(たがちょう)は、滋賀県犬上郡に属す。

古代から近世にかけて犬上君(犬上氏)および多賀氏が勢力範囲あるいは本拠としてきた地域であり、古今を通じイザナギイザナミの2大神を祀る多賀大社を中核として発展してきた。

地理

湖東平野に広がる集落と農地
敏満寺で撮影。

多賀町の標高は東に高く、西に低い。町東部は南北に走る鈴鹿山脈の西麓にあたり、東麓側にある三重県いなべ市(旧員弁郡地域)、および、岐阜県大垣市(旧養老郡上石津町地域)と県境を接する。主な山としては霊仙山や三国岳などが挙げられる。鈴鹿山脈一帯は過疎化が進んでおり、特に旧芹谷村・脇ヶ畑村地域の集落は多くが廃村となっている。町西部は湖東平野の一部をなしており、町の行政・産業の中心地でもある。

町域の北部寄りを流れる芹川は霊仙山に発して西進し、彦根市域に入ったのち琵琶湖に流入する。南部を流れる犬上川は鈴鹿山脈に発した北谷川と南谷川が大字川相(かわない)で合流し、犬上川となって西進する。多賀町域から甲良町域・彦根市域を経て、琵琶湖に達している。

位置

cf. 国土地理院の地図閲覧サービスによる、この位置へのリンク(以下同様)[4]

主要な地形

山地

渓谷地形等
平地
水域

気候

多賀町が属する犬上郡の気象データは観測されておらず、地域は彦根地方気象台管轄区域に属しているため、西隣にある彦根市のデータが最も近い。よって、「彦根市#気候」を参照のこと。

生物相

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広域地域区分

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cf. 近畿地方および滋賀県の地方区分図(参考):≪外部リンク≫ 近畿地方”. 気象予報区区分表(ウェブサイト). 個人. 2012年11月30日閲覧。:近畿地方における多賀町の位置、滋賀県北部における多賀町の位置、湖東に属する多賀町、などが参照要素。

隣接する自治体

滋賀県
岐阜県
三重県

多賀町内の地域

集落は全て大字であるが(例:多賀町大字多賀)、通常的に省略される(例:多賀町多賀)。

中心地

消滅集落と限界集落

現存集落

  • 一円(いちえん)
  • 一之瀬(いちのせ)
  • 後谷(うしろだに)
  • 大岡(おおおか)
  • 大杉(おおすぎ)
  • 大君ケ畑(おじがはた)
  • 萱原(かいはら)
  • 河内(かわち)
  • 川相(かわない)
  • 木曽(きそ)
  • 久徳(きゅうとく)
  • 栗栖(くるす)
  • 甲頭倉(こうずくら)
  • 五僧(ごそう)
  • 小原(こはら)
  • 佐目(さめ)
  • 猿木(さるぎ)
  • 四手(しで)
  • 霜ケ原(しもがはら)
  • 水谷(すいだに)
  • (すぎ)
  • 多賀(たが)
  • 月之木(つきのき)
  • 土田(つちだ)
  • (つぼ)
  • 富之尾(とみのお)
  • 中川原(なかがわら)
  • 楢崎(ならさき)
  • 入谷(にゅうだに)
  • 樋田(ひだ)
  • 屏風(びょうぶ)
  • 敏満寺(びんまんじ)
  • 藤瀬(ふじせ)
  • 保月(ほうづき)
  • 仏ケ後(ほとけら)
  • 南後谷(みなみうしろだに)
  • 向之倉(むかいのくら)
  • 八重練(やえねり)
  • 霊仙(りょうぜん)

歴史

『木曽海道六拾九次之内 高宮』
天保6- 8年(1835-1837年)頃、歌川広重
新暦導入以前(1872年以前)の日付和暦による旧暦を主とし、丸括弧内に西暦(1581年以前はユリウス暦1582年以降はグレゴリオ暦)を添える。「同年4月(4月)」は「旧暦4月(新暦4月)」の意、「同年4月(4月か5月)」とあれば「旧暦4月(新暦では5月の可能性もあり)」の意。
多賀大社」、「敏満寺 (寺院)」、および「彦根藩」も参照

地名の由来

一説に、古代には「タカ」と呼ばれていたと推測され、古文書に「多可」の名が認められる旧・多賀地域、多賀の(現・多賀大社)を中心として形成された門前町(古代においてはその前身となる集落)が、地域全体の中核をなしていることは、今日に至るまでの全ての時代を通じて変わりない。 古代の「タカ」は神(当地域ではイザナミイザナミ)の坐所としての「」を意味していたと推測されており、後世の「多賀」は異称として生じたものと考えられる。

また、江戸時代には中山道高宮宿として栄え、現在は彦根市に属している高宮(たかみや ちょう)は、今も残る多賀大社参詣道の外郭に位置する地域であり、「タカミヤ」から発した関連地名の一つである。

多賀氏

多賀氏は、古代より多賀地方および近接の甲良地方に土着の豪族であり、多賀社を氏神にしていたと考えられる。しかし、家系図の上では公家中原氏と結び付けられ、天武天皇皇子舎人親王の末裔である中原真人長谷に始まる江州中原氏が、多賀社の神官を務め、多賀氏を名乗ったのが始まりであるとされている(旧説では、江州中原氏は崇峻天皇皇子・定世親王の後裔と見なされていたが、今では仮冒[他人の名を語る偽称]と判じられている)。

いずれにしても、多賀氏は鎌倉初期から中期にかけて多賀と甲良に勢力を張る氏族であり、室町時代には犬上郡および坂田郡にて同族間で争いながらも隆盛であった。戦国期には、甲良の下之郷城に居城した多賀高忠を始めとする幾人かの著名な武将の名が見え、織田政権下・豊臣政権下でも為政者に直仕する、堀氏と縁戚関係になるなどして有利に活動していたが、関ヶ原の戦いの際、敗軍となる石田三成方についたことが禍し、戦後、所領を没収されて没落した。

年表

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有史以前

近世以前

古代・中世
奈良時代
平安時代
鎌倉時代
室町時代
近世
安土桃山時代
江戸時代

近代

明治時代
明治改元後
日清戦争後
日露戦争後
大正時代
第一次世界大戦後
昭和時代
太平洋戦争前
太平洋戦争中

現代

太平洋戦争後
  • 3月31日 :多賀町立犬上東中学校が廃校
  • 4月1日 :大滝村脇ヶ畑村と合併し、改めて多賀町が発足(第二次多賀町)。多賀町立多賀中学校(第一次多賀中)と芹谷分校・脇ヶ畑分校・佐目分校、多賀町立大滝中学校と大君ヶ畑分校が開校。
出典:wikipedia
2020/06/05 18:41

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