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夜のヒットスタジオとは?

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ラジオ番組内での各種情報は、信頼できる紙媒体またはウェブ媒体が紹介するまで、出典として用いないで下さい。Wikipedia:検証可能性に基づき除去される場合があります。

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テレビ番組内での各種情報は、信頼できる紙媒体またはウェブ媒体が紹介するまで、出典として用いないで下さい。Wikipedia:検証可能性に基づき除去される場合があります。

【夜のヒットスタジオ】

【ジャンル】
音楽番組
【出演者】
前田武彦
芳村真理
三波伸介
朝丘雪路
井上順
古舘伊知郎
柴俊夫
加賀まりこ ほか
【製作】

【プロデューサー】
伊藤昭
藤森吉之
疋田拓
森正行
渡邉光男
【制作】
フジテレビ

【放送】

【音声形式】
ステレオ放送
(1978年10月 - 放送終了)
【放送国・地域】
日本

【夜のヒットスタジオ】

【放送期間】
1968年11月4日 - 1985年3月25日
【放送時間】
月曜日 22:00 - 22:54
【放送分】
54分

【夜のヒットスタジオDELUXE】

【放送期間】
1985年4月3日 - 1989年9月27日
【放送時間】
水曜日 21:02 - 22:52

【夜のヒットスタジオSUPER】

【放送期間】
1989年10月18日 - 1990年10月3日
【放送時間】
水曜日 22:00 - 22:54
【放送分】
54分


夜のヒットスタジオ』(よるのヒットスタジオ)は、かつてフジテレビ系列で放送されていた音楽番組である。通称『夜ヒット』『ヒットスタジオ』。現在、CS放送のスカパー!スカパー!e2フジテレビONEで再放送を行なっているが、2012年1月から当面のあいだ、再放送を休止している(1976年7月放送分以降の内容から順次。2009年4月より1974年4月に遡り再放送中)。

本項では、『夜のヒットスタジオ』(第1作)から『夜のヒットスタジオSUPER』に至るまでのレギュラーシリーズ全般について述べるほか、以下についても取り扱うこととする。

出演歌手については「夜のヒットスタジオ出演歌手一覧」を参照

目次

  • 1 概要
  • 2 歴史
    • 2.1 司会者
    • 2.2 代役司会
    • 2.3 プロデューサー・ディレクター・構成作家
    • 2.4 演奏
    • 2.5 レギュラー陣
    • 2.6 コーナー
    • 2.7 節目・記念の回
    • 2.8 年表
  • 3 夜のヒットスタジオ(第1作)
    • 3.1 新種の歌謡バラエティ番組として(1968 - 1973)
    • 3.2 番組の挫折とバラエティ色の強化(1973 - 1976)
    • 3.3 総合音楽番組への変容(1976 - 1985)
  • 4 夜のヒットスタジオDELUXE
    • 4.1 ワールドワイドな音楽情報番組として刷新(1985)
    • 4.2 新旧交替〜井上順と芳村真理の降板、若手の積極的起用(1985 - 1988)
    • 4.3 若手・中堅主導に(1988 - 1989)
    • 4.4 スペシャル版・特別番組
      • 4.4.1 IN LONDON
        • 4.4.1.1 司会者等
        • 4.4.1.2 出演者
      • 4.4.2 20周年記念 SALTBURG (ザルツブルク)
        • 4.4.2.1 司会者等
        • 4.4.2.2 出演者
        • 4.4.2.3 スタッフ
      • 4.4.3 IN PARIS
        • 4.4.3.1 司会者等
        • 4.4.3.2 出演者
        • 4.4.3.3 スタッフ
      • 4.4.4 特別企画 夜のヒットスタジオDELUXEスペシャルライブ in 横浜アリーナ
        • 4.4.4.1 司会者等
        • 4.4.4.2 出演者
  • 5 夜のヒットスタジオSUPER
    • 5.1 加賀まりこの「暴言」から始まった番組の迷走
    • 5.2 失速・そして夜のヒットスタジオシリーズの終了(1990年)
    • 5.3 スペシャル版・特別番組
      • 5.3.1 香港
        • 5.3.1.1 出演者
  • 6 最終回
  • 7 ヒットスタジオ(派生番組)
    • 7.1 ヒットスタジオコンプレックス
      • 7.1.1 ヒットスタジオR&N
      • 7.1.2 ヒットスタジオInternational
    • 7.2 ヒットスタジオ演歌
  • 8 『オレたちひょうきん族』との関係について
  • 9 番組終了後の復活スペシャル版
  • 10 通算出演回数
  • 11 CSでの再放送・映像の保存頻度
    • 11.1 余談
  • 12 ネット局
    • 12.1 ネット局に関する備考
  • 13 セット
    • 13.1 初代(1968年11月 - 1969年3月)
    • 13.2 2代目(1969年4月 - 1973年)
    • 13.3 3代目(1973年 - 1976年3月)
    • 13.4 4代目(1976年4月 - 1985年3月)
    • 13.5 5代目(1985年4月 - 1990年9月)
  • 14 オープニング映像とテーマ音楽の変遷
    • 14.1 『夜のヒットスタジオ』(月曜)時代
    • 14.2 『DELUXE』時代
    • 14.3 『SUPER』時代
    • 14.4 その他
  • 15 番組内でのテロップ表記の変遷
  • 16 パロディ・オマージュなど
  • 17 関連商品
    • 17.1 関連書籍
    • 17.2 DVD
  • 18 脚注
  • 19 関連項目
  • 20 外部リンク

概要

1968年11月4日から1990年10月3日まで、約22年間生放送された長寿番組の1つ。

1970年代前半までは「歌謡バラエティ」番組として、1976年4月からは、アイドル歌手・演歌歌手からテレビ出演に消極的であったニューミュージック・ロック系アーティスト、人気俳優、海外のアーティスト、歌なしのフュージョンバンドなどを出演させた。生演奏・フルコーラスを番組制作の基本とした。『ザ・ベストテン』(TBS系)と共に、1970・1980年代の代表的音楽テレビ番組のひとつ。芳村真理前田武彦井上順らによる自然体のMCスタイルが印象的。 22年間で紹介された楽曲は概ね13,000曲、出演アーティストは1,000組。 本番組は基本的に一つのスタジオから放送され、大きなセットは組まれなかったが、凝ったカメラワークと大量のスモークや照明などの多彩な演出による評判が高かった。前述の番組と比較し「オケ」と「セット」のベストテン、「カメラ」と「演出」の夜ヒットと呼ばれた

番組は、当時の河田町本社奥手のグランドスタジオ棟にあった第6スタジオから放送された。ただし、別スタジオ使用を前提した場合やスタジオライブを行った際には、主に第4スタジオで放送された。

歴史

司会者

第1000回までは基本的に芳村真理を軸に男性パートナーが交代し、第1002回目からは古舘伊知郎を軸にパートナーが交代する形で司会者が変遷した。『夜ヒット』4分割後の『SUPER』以外の司会者については#派生番組を参照。

【期間】
【女性メイン】
男性メイン
【1968.11.4】
1973.9.24 芳村真理 | 前田武彦
【1973.10.1】
1974.3.25 (出演ゲストによる輪番司会制)
【1974.4.1】
1975.3.31 芳村真理

朝丘雪路

 | 三波伸介
【1975.4.7】
1976.3.29 芳村真理
【1976.4.5】
1985.9.25 井上順
【1985.10.2】
1988.2.10 古舘伊知郎
【1988.2.24】
1989.9.27 (不在) | 古舘伊知郎

柴俊夫


【1989.10.18】
1990.10.3 加賀まりこ | 古舘伊知郎


補足

代役司会

尚、月曜放送時代には、毎年1〜2回程度の"定期休業日"が設定されており、その場合はゲスト歌手が代理、もしくは残ったもう一人の司会者が単独で進行を行う形で対処されていた。また、これ以外に司会者のスケジュール(海外への取材、舞台出演等)や体調によって出演が見合わせとなることも数度あった。

いずれも不在日は、確認された日付のみ記載。

不在だった当時の司会者 代役司会(太字部分) 不在理由 不在日 当時の番組名
前田武彦 | 塚田茂芳村真理 | 不明 | 1969年7月14日 | 夜のヒットスタジオ
芳村真理、坂本九 | 不明 | 1971年11月22日
不明 | 数週間、家族旅行でスタジオを欠席し、旅行先からの電話で番組に参加 | 1972年夏頃
朝丘雪路 | (芳村・三波伸介で進行) | 担当初日であったが、体調不良により欠席。冒頭に電話で挨拶。 | 1974年4月1日 | 夜のヒットスタジオ
不明 | 1974年9月16日
不明 | 1974年11月4日
芳村真理 | 不明 | 不明 | 1970年9月21日 | 夜のヒットスタジオ
(朝丘・三波で進行) | 不明 | 1974年11月18日
不明 | 不明 | 1976年8月16日
井上順、和田アキ子 | 不明 | 1976年8月23日
不明 | 不明 | 1977年10月24日
(井上と出演歌手が輪番制で進行) | 風邪による体調不良 | 1978年2月6日
井上順、由紀さおり | 夏季休暇のため | 1979年8月20日
不明 | 不明 | 1980年9月22日
井上順、竹下景子 | 不明 | 1982年1月11日
不明 | 不明 | 1982年5月3日
井上順、竹下景子 | 不明 | 1982年8月16日
井上順、岸本加世子 | 不明 | 1983年8月8日
井上順、小林幸子 | 不明 | 1984年8月13日
不明 | 不明 | 1986年10月22日 | 夜のヒットスタジオDELUXE
古舘伊知郎五木ひろし | 不明 | 1987年8月5日
(古舘が単独進行) | 芳村勇退後、次期司会者(後の柴俊夫)未決定のため | 1988年2月17日
井上順 | 不明 | 不明 | 1976年9月13日 | 夜のヒットスタジオ
芳村真理、森進一 | 不明 | 1978年4月10日
不明 | 夏季休暇のため | 1979年8月13日
不明 | 不明 | 1980年3月24日
芳村真理、郷ひろみ | 不明 | 1981年2月16日
芳村真理、武田鉄矢 | 不明 | 1981年7月20日
芳村真理、田原俊彦 | ニューヨークへ渡米中につき | 1983年2月28日
芳村真理、細川たかし | 不明 | 1983年7月4日
(芳村が単独進行) | 不明 | 1984年4月23日
古舘伊知郎 | 芳村真理、逸見政孝 | ハワイへ渡米中につき | 1985年12月18日 | 夜のヒットスタジオDELUXE
芳村真理、露木茂 | 不明 | 1986年2月5日
加賀まりこ露木茂 | 不明 | 1990年6月13日 | 夜のヒットスタジオSUPER
柴俊夫 | (古舘が単独進行) | 番組放送中にオリエント急行の乗車レポートを行うため | 1988年5月25日 | 夜のヒットスタジオDELUXE

プロデューサー・ディレクター・構成作家

1968年から番組終了まで構成を担当。初代プロデューサーの伊藤昭、ディレクターの藤森吉之らと共に番組初期の基本フォーマットを作り上げると同時に、番組前期には自ら「出たがり構成作家」を標榜して、コメディリリーフ的な役割で演者の一人としてレギュラー出演。
総合音楽番組路線が定着した1980年代以降は現場で直接指揮を執る形ではなく、総合監修的な役割で番組に参加しており、実際の現場指揮は小林久枝を筆頭とするスタッフ東京(後述)のメンバーが当たっていた。
SUPERからは、エンディングのスタッフクレジットからは塚田の名前が消えている。
1970年代より「スタッフ東京」の一員として構成に参加。1980年代に入り総合監修的な立場で番組に参加するようになり、スタジオに顔を出すことが少なくなった塚田に代わって、番組構成面での陣頭指揮に当たるようになり、1981年以降はエンディング時の作・構成部分にも塚田と並行して、かつスタッフ東京からは独立した形で単独クレジットが載るようになった。1989年のDELUXE終了を機に降板。
1987年から番組終了まで担当。1987年からしばらくは塚田・小林と並行して、木崎も、エンディングの作・構成部分のスタッフクレジットとして表示されていた。SUPERからは、単独で担当。
構成兼務でフロアディレクターも担当。
自身が手がけていたバブルガム・ブラザーズの番組のプロデューサーが渡邉だった繋がりもあり、プロデューサー交代時に構成作家として起用。ロック・ニューミュージック界と付き合いが深かったこともあり、久保田利伸米米CLUBDREAMS COME TRUEB`zらのアーティストを紹介し、出演するきっかけとなった。また、ディズニーのオフィシャルライターを担当していたこともあったためか、1987年12月23日・1988年11月16日・1989年4月26日などの放送分では、ミッキーマウスらディズニーのキャラクターや東京ディズニーランドのキャストが総出演したこともあった。
1968年から1973年まで担当。平日朝のワイドショー番組『小川宏ショー』との兼務の形で制作・演出を担当。作・構成担当の塚田とともに番組開始当初の基本フォーマットを作り上げた。
初期よりディレクターとして、歌謡バラエティ路線だった前期「ヒットスタジオ」の番組演出の中枢として活躍。その後、伊藤の後任として1973年から1978年までプロデューサーを担当。プロデューサー担当中期のころより部下の疋田拓(後述)とともに大幅な番組路線の転換に向けての取り組みに着手。後の総合音楽番組としての「ヒットスタジオ」の定評を確立する先鞭をつける役割を果たした。
フジテレビ入社直後より技術担当のアシスタントディレクターとして番組立ち上げに参加。その後、ディレクターを経て1977年から1987年6月24日までプロデューサー兼プログラムディレクター(演出)を担当。
派手な電飾やセット、ドライアイスなどの舞台効果や、独特のカメラワークとスピード感のあるスイッチングスクールメイツや明治大学・早稲田大学のグリークラブ・東京混声合唱団などの名門合唱団などをコーラス・バックダンサーとして積極的に採用し、生放送の常識を打ち破る斬新な演出手法を多用。「DELUXE」以降直後の1985年4月には、フランク・シナトラティナ・ターナーを同時に番組に招聘し(シナトラは来日中だったため、東京のフジテレビのスタジオ、ティナは衛星生中継でそれぞれ出演)、海外アーティストの出演を増やすな当番組の一時代を築いた。
その一方で、生放送を前提とした演出だったために、綿密なリハーサル(特に疋田担当の時代は独特なカメラワークが番組の名物となっていたため、カメラリハーサルには相当な時間が費やされており、各回の台本の決定稿にも秒単位での詳細なカメラ割りが記されていた)が疋田を始めとする制作首脳陣の怒号と鉄拳制裁が行われ、常にスタジオ内は戦場さながらであった。
歌謡界との繋がりが綿密で、特にバーニングプロダクションに至っては関係が特に深かったとされ、石野真子小泉今日子がデビューから数日で夜ヒットに初出演させた。また、郷ひろみに至っては、歌唱時に派手なセットや演出が提供された。一方で、若手スタッフの意見を番組の出演アーティストのブッキングに反映させており、新進気鋭のバンド・ニューミュージック系アーティストの登用にも積極的な姿勢を採っていた(特に1986年に通算3度、番組に出演をしたBOOWYに関しては「DELUXE」期のADを担当したきくち伸の推薦をそのまま汲む形で出演決定のを裁断を下している)。
「ご対面」のコーナーで、担当ディレクターとして出演していたこともあった(1976年放送など)。
1978年から1987年まで番組制作に参加。
疋田とともに演出を担当し、主にチーフディレクターとしてスタジオ内の陣頭指揮を取っていた。そのため、時折画面に見切れることがあった。
1987年7月1日から番組終了までプロデューサー兼プログラムディレクター担当。疋田直属の部下であり、人事異動により疋田から番組を引き継いだ。
疋田の元で行われた演出のノウハウを踏襲するも、斬新的な演出は後退し、スタジオ内に出演者やオーケストラが待機するひな壇を覆うような大きいセットを設置したり、カラフルで多彩なバリライトといった照明やセットを多用した。
在任中は、ロンドン(1988年2月3日放送)・ザルツブルク(1988年11月30日放送)・パリ(1989年3月29日放送)・香港(1990年4月25日放送)といった海外主要都市からの完全衛星生中継を実現させた。
司会の古舘や出演者からは、「渡邉プロデューサー」「ナベさん」と主に呼ばれた。
番組終了後のスペシャル版ではプロジェクトプロデューサーのクレジット肩書きであった。
1996年にニューヨーク支局へ異動。その年のクリスマスに放送したスペシャル版をニューヨークから完全衛星生中継で放送させた。2000年に帰国・本社に戻って事業局へ移動したのち、2008年9月で退職・独立し、現在は「株式会社渡邉光男計画」のCEO。
1987年から番組終了まで担当。渡邉と共に疋田の後任を務めた。
森班は本来「ドリフ大爆笑」担当の演出であるため、演出は渡邉が主に担当した。
DELUXEから、疋田、渡邉とともにフロアディレクターを担当。SUPERでは演出も担当。
元・フォー・セインツメンバー。スタジオでの演出スタッフとしても関わり、ミュージシャン時代の人脈から、出演歌手のブッキングも担当していた。
また、海外アーティストの衛星中継を担当し、それが後に1989年10月に始まったロンドンのスタジオと衛星中継で結んだ生放送番組『ヒットスタジオInternational』や英国法人立ち上げへ繋がった。
1987年11月18日放送においてポール・マッカートニーがロンドンのスタジオから衛星生中継で放送された際は、キューサインを振るなどの姿が映った。
SUPERから担当。
DELUXE時代のみ。1985年の入社直後から担当。1989年9月のDELUXE終了を機に、石田班担当の『オールナイトフジ』のディレクターとして異動。
補足
井上信吾、前川尚史、上原徹、平野友孝、赤沢幸弘、山岸弘子、大前一彦ほか

演奏

本番組のオーケストラによる伴奏はオリジナルから大幅に編曲される場合が多かった。デラックスにリニューアル後はメンバーが削減されたため、出演者がバンドを引き連れたり、カラオケを使用する歌手が増えた。

ちなみに、オーケストラを配置しなかったのは1988年3月30日、1989年9月27日の『DELUXE』最終回、1990年10月3日、1987年・1988年・1989年の年末のスペシャル、あるいは全編総集編の回のみであり、それ以外の回は演奏時間に関係なく設置されていた。

レギュラー陣

コーナー

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