このキーワード
友達に教える
URLをコピー

大和_(百貨店)とは?

【略称】
ダイワ
【本社所在地】
日本
920-8561
石川県金沢市片町二丁目2番5号 片町きらら5F
【設立】
1943年(昭和18年)12月21日
業種
小売業
法人番号
6220001003957
【事業内容】
百貨店
【代表者】
代表取締役社長:宮 二朗
【資本金】
34億6270万円
【発行済株式総数】
30,017,000株
【売上高】
単体438.81億円、連結463.59億円
(2017年(平成29年)2月期)
【経常利益】
単体1.16億円、連結2.62億円
(2017年(平成29年)2月期)
【純利益】
単体1.82億円、連結2.66億円
(2017年(平成29年)2月期)
【純資産】
単体63.27億円、連結82.66億円
(2017年(平成29年)2月期)
【総資産】
単体313.72億円、連結353.56億円
(2017年(平成29年)2月期)
【従業員数】
単体513、連結728(2017年(平成29年)2月28日現在)
【支店舗数】
百貨店3店のほか、サテライトショップなど
【決算期】
2月末
【主要株主】
宮 二朗 8.74%
倉敷紡績(株) 4.88%
東京海上日動火災(株) 4.75%
一般財団法人大和文化財団 3.33%
(株)北國銀行 3.20%
(2017年(平成29年)2月28日現在)
【主要子会社】
本項『#関連企業』参照
【関係する人物】
井村徳三郎(創業者)、林屋亀次郎(元会長)、井村徳二(元社長)、宮太郎(元社長)
【外部リンク】
http://www.daiwa-dp.co.jp/

株式会社大和(だいわ、: Daiwa Co., Ltd.)は、石川県金沢市に本社を置き、北陸地方に3店舗とサテライトショップなどをもつ、日本の百貨店である。

目次

  • 1 沿革
    • 1.1 宮市洋品店から百貨店へ
    • 1.2 宮市大丸
    • 1.3 大和の誕生
    • 1.4 戦争の終結や地震、会長の退任による閉店
    • 1.5 新規出店や店舗移転
    • 1.6 百貨店以外の事業への進出と出資
    • 1.7 店舗網の再編
    • 1.8 関連会社の再編
    • 1.9 存続店舗の改装とギフト店の縮小
    • 1.10 J・フロントリテイリングとの関係
    • 1.11 創業家によるオーナー経営の持続
    • 1.12 初代社長と初代会長の選挙戦
    • 1.13 上場
  • 2 年表
  • 3 店舗
    • 3.1 香林坊店
    • 3.2 富山店
    • 3.3 高岡店
    • 3.4 サテライトショップ
      • 3.4.1 上市サテライトショップ
      • 3.4.2 黒部サテライトショップ
      • 3.4.3 野々市サテライトショップ
    • 3.5 ギフトショップ
      • 3.5.1 パトリア大和
      • 3.5.2 小松ギフトショップ
    • 3.6 インターネットショップ
  • 4 過去に存在した店舗
    • 4.1 ラブロ片町
    • 4.2 新潟大和
    • 4.3 長岡大和
    • 4.4 上越大和
    • 4.5 武蔵店
    • 4.6 小松大和
    • 4.7 福井店
    • 4.8 清津店
    • 4.9 東京大和出張所
    • 4.10 ギフトショップ
    • 4.11 大和ハウジング
  • 5 関連企業
  • 6 大和が出資している主な企業
  • 7 脚注
  • 8 関連項目
  • 9 外部リンク

沿革

宮市洋品店から百貨店へ

井村徳三郎が兄が亡くなった為に帰郷して宮市洋品店を石川県金沢市片町で開業したのが始まりである。

洋服、洋酒、帽子など複数の店舗に分かれて営業していた時期もあったが、1903年(明治36年)に現在の片町きららの場所に宮市洋品店として一つの店舗にまとめ、1906年(明治39年)に金沢市に老舗の製茶業を経営する林屋一族の林屋次三郎が合名会社林屋組を設立して洋食器などの硬質陶器の製造を行うことになった際には資本金5万円のうち1万円を出資して宮市洋品店がその一手販売権を取得する(この一手販売権は林屋組が日本硬質陶器株式会社に事業を引継いだ際に解消された)など急速に成長した。

この頃既に宮市洋品店は個人営業ではなく、宮市合名会社として営業していた。

この洋品店を元に井村徳三郎京都大丸と提携して1923年(大正12年)10月15日に金沢市片町で宮市百貨店として開業したのが百貨店としての始まりである。

宮市大丸

1930年(昭和5年)8月には株式会社宮市大丸を設立して株式会社化し、店舗名も改めている。

宮市大丸は設立当初から北陸三県全域への営業展開を狙い、富山市や高岡市、石川県大聖寺(現在の加賀市)、福井市など北陸三県の主要な各地区に出張販売を行い、富山市には出張員詰所を設置した。

この富山の出張員詰所の売上が極めて良好だったため1931年(昭和6年)末には富山に百貨店の出店を決定し、出店のための用地買収を終えると富山支店開設事務所の看板を出すなど着々と準備を進めたが、このストレートな出店戦略が裏目に出て地元の小売商が進出阻止の期成同盟会を結成して富山県や富山市に反対の陳情を行うと共に200人以上でデモ行進を行うなどの猛烈な反対運動に見舞われることになった。

こうした反対運動を乗り越えて1932年(昭和7年)8月20日に富山市西町で一部営業を開始し、同年11月10日に宮市大丸富山店を開店して百貨店の多店化の第一歩を踏み出した。

富山店は1930年(昭和5年)に三越金沢店が開業して競争が始まっていた金沢の本店を上回る売上を上げ、1934年(昭和9年)12月2日に鉄筋コンクリート造り6階建に増築して中核店舗の一つとなった。

金沢の本店は老舗製茶業の一族だった林屋亀次郎武蔵ヶ辻に建設したビルに1930年(昭和5年)に三越金沢店が開業して高級品や中級品を主として営業したのに対して大丸と提携して中級品以下の格安品を集めて商品の回転率を高める大衆的営業を展開して三越をわずか5年で撤退に追い込み、金沢を代表する百貨店としての地位を固めた。

1936年(昭和11年)5月には以前から富山に続く百貨店の進出先として構想していた福井市への出店について、近代的な百貨店の誘致を考えていた三国町の県会議員濃畑三郎、福井銀行重役森田三郎右衛門らの協力により福井銀行が所有していた福井駅前の土地を取得できることになって出店の目処がついた。

この福井出店に際しては富山で生じたような反対運動を避けるため濃畑三郎を代表とする福屋という名称で建築申請を行うなど宮市大丸の名を出さないように考慮したが、同年7月頃には実質的には宮市大丸との噂が広まって反対の市民集会や福井市内72の小売商組合が福井県警察部長に面会して反対の陳情を行うなどその狙いは成功しなかった。

しかし、「百貨店進出を阻止しうる根拠は何もない」「消費者階級にとつては新デパートの出現を賛成している」として同月18日に許可が下り、1936年(昭和11年)12月5日に福屋を開店にして事実上進出を果たし、翌年1937年(昭和12年)9月に合併して宮市大丸福井店として正式に進出し、北陸三県の県庁所在地全てを網羅する百貨店チェーンを構築した。

日中戦争の進展に伴う戦時統制経済下で民間向けの百貨店事業が縮小した際には地元に本拠を置いていた日本陸軍第9師団への軍需を獲得して業績の維持を図り、1940年(昭和15年)10月に第9師団の満州進駐が決まると御用商社として満州に同行する許可を取り、その拠点も兼ねて朝鮮と満州との国境線に近い朝鮮半島北部の港街清津にその発展を目指した現地の日本人の商人から清津駅前の土地の提供を受けて1940年(昭和15年)12月に宮市大丸清津店として百貨店を開業し、軍需と現地の新市場開拓の両立を目指した。

なお、宮市大丸は現在の日本百貨店協会の前身の日本百貨店商業組合に1933年(昭和8年)4月20日の創立総会のときから参画している。

大和の誕生

戦時統制の進展に伴う企業統合令の発令により統合を求められたため1943年(昭和18年)12月21日に同じ金沢に本店を置く百貨店チェーンだった丸越と合併して林屋亀次郎が会長で井村徳二を社長とする資本金310万円の株式会社大和を設立し、店舗名も大和に変更された。

これに伴い、大和は片町の旧宮市大丸本店だった金沢本店の他に武蔵店(旧丸越本店)、新潟(旧丸越)、富山、福井、高岡(旧丸越)、清津と北陸三県に新潟県と朝鮮半島の計7店舗を持つ百貨店チェーンとなった。

戦争の終結や地震、会長の退任による閉店

第2次世界大戦が終戦を迎えて朝鮮半島が日本の植民地でなくなったことに伴って1945年(昭和20年)9月に清津店が消滅し、1948年(昭和23年)6月28日に発生した福井地震で店舗が倒壊したことを受けて福井店をそのまま閉店、さらに林屋亀次郎会長が選挙に出馬する為に退任するのに伴って1952年(昭和27年)7月には武蔵店を閉店し、武蔵店は再びライバルの百貨店・丸越として復活することになった。

この際に旧丸越の高岡店、新潟店は大和に残されたため金沢店、富山店と合せて石川県・富山県・新潟県の三県に4店舗を展開する百貨店チェーンとなった。

新規出店や店舗移転

1958年(昭和33年)10月18日に新潟県長岡市大手通2丁目に新潟県では第2次世界大戦後初の百貨店となる長岡店を開業したのを皮切りに出店を再開し、1975年(昭和50年)7月には上越市本町4丁目に上越店、1998年(平成10年)3月21日には小松駅前の西武百貨店小松店跡を買収して小松店を開店するなど再び多店化を進め、ピーク時には再び百貨店だけで7店舗を経営した。

また、金沢市香林坊地区の再開発に参画して1986年(昭和61年)9月に本店を片町から香林坊アトリオへ移転・増床させたのを皮切りに、高岡市の御旅屋地区の再開発に参画して1994年(平成6年)3月18日に旧店舗隣に完成した御旅屋セリオに移転・増床、富山市の総曲輪地区の再開発に参画して2007年(平成19年)9月21日に総曲輪フェリオに富山店を移転・増床するなど石川県と富山県の既存店全てを再開発ビルに進出させたほか、1998年(平成10年)には長岡店周辺の再開発準備組合に参加するなど再開発による既存店の更新にも積極的に取り組んでいた。

こうした積極策により香林坊大和が1998年(平成10年)2月期に425億円、2011年(平成23年)2月期に242億円の売上を上げ、富山店が総曲輪フェリオに移転した最初の1年間で200億円以上の売上を上げる。

百貨店以外の事業への進出と出資

1948年(昭和23年)に出版部門の勁草書房を設立し、1970年(昭和45年)3月に株式会社勁草書房として独立させるなど出版業へ進出したのを皮切りに、1954年(昭和29年)10月に株式会社大和印刷社を設立して印刷業に、1967年(昭和42年)12月には株式会社大和ハウジングを設立して家具販売に、1967年(昭和42年)に石川日産自動車販売株式会社を傘下に入れて自動車販売に、1970年(昭和45年)9月に金沢ニューグランドホテルを設立して1972年(昭和47年)5月18日にシティホテル金沢ニューグランドホテルを開業させてホテル業にと様々な業種へ子会社などを通じて進出して多角化が進められた。

新潟店に隣接する道路に1976年(昭和51年)に地下街西堀ローサを開業させた新潟市の第三セクター「新潟地下開発」に三越と並んで22%出資して地下食料品売り場と直結したり、1985年(昭和60年)9月に株式会社ディー・アンド・シー(100%出資子会社)を設立して1986年(昭和61年)11月に旧本店を専門店を中心とする「ラブロ片町」として開業するなど百貨店の店舗周辺や店舗跡の商業施設にも参加している。

また、第2次世界大戦後に各地で民間放送が設立された際には百貨店を展開している石川県・富山県・新潟県の三県内に設立された放送会社の北陸放送新潟放送北日本放送テレビ金沢に出資するなど営業エリア内の民間放送にも関与している。

店舗網の再編

リーマンショック後の2009年(平成21年)2月期の連結決算で法人化後初の営業、経常赤字に転落して最終赤字28.44億円となった大和は、2009年(平成21年)10月15日に2010年(平成22年)2月期が4期連続最終赤字となる見通しで、売上高はピークから半減して合計10億円弱の営業赤字となっているだけでなくビルの老朽化も問題となっている上、赤字幅が増大していて今後も回復は見込めないとして建物の原状回復費など閉店費用約45億円で新潟、長岡、上越、小松店の4店を2010年(平成22年)6月までに閉鎖し、同時に特別退職金約9億円で全従業員約1320人を対象にその35%に当たる470人の希望退職を募集し、2009年(平成21年)2月期決算で営業黒字を確保していて建物の比較的新しく耐震性も含めハード面の投資が比較的少なくすむ香林坊、富山、高岡の3店体制へ集約して2011年(平成23年)2月期に営業利益の黒字転換を目指す大規模な事業再編計画を発表した。

この発表の際には自社物件である新潟店と長岡店の土地・建物は売却し、「西堀ローサ」を運営する第三セクター・新潟地下開発への出資も将来的に引き揚げて新潟県から撤退する方向で検討していると発表していた。

その発表通り2010年(平成22年)4月25日に長岡店と上越店、同年6月25日に新潟店と小松店を閉店した。

この結果「新潟にこだわる相談役(宮太郎)の下では撤退は許されない」とされてきた新潟県内の百貨店事業から完全に撤退することとなった。

関連会社の再編

2009年(平成21年)10月15日の4店閉店などの発表の際に子会社再編については今後の課題としていたが、2011年(平成23年)5月23日に子会社で大和ハウジングが営業していた家具・インテリアショップを閉店し、同月末31日に保有していた石川日産自動車販売の約48%の全株式を日産プリンス金沢を傘下に持つ米沢電気グループの北星産業に譲渡して自動車販売事業から撤退と相次いで関連会社による事業の整理を行った。

存続店舗の改装とギフト店の縮小

存続店舗についても「百貨店の王道を歩みながら、バランスを考えていきたい」と低価格商品の導入拡大など価格戦略や商圏の見直しや富山店と高岡店の営業部門の統合などの見直しを行いながら、赤字の為に抑制してきた設備投資を再開して基幹店の香林坊店と富山店で若い顧客を狙った改装を進め、特に香林坊店は2011年(平成23年)9月の食料品売場改装を皮切りに2012年(平成24年)2月1日から3月8日にかけて婦人ファッションを中心に27ブランドを導入して家庭用品や呉服売場も改装する香林坊店開店後最大規模の改装を行い、同年9月にレストラン街と子供服売場の改装を予定するなど2年間かけて全館改装を行う計画とするなど積極的な投資で収益確保を目指している。

存続した3店舗のうち高岡店は売場を縮小してその跡に2011年(平成23年)2月25日に高岡市子育て支援センター、同年3月10日には北日本新聞カルチャーパーク高岡のほか地元有力企業5社の施設が入居するなど地元の政財界の支援を受けながら売場縮小と集客力の改善の両立を図り、2012年(平成24年)3月から閉店時間を1時間早めて午後6時とするなどコストダウンを優先した縮小均衡路線が採られている。

また2009年(平成21年)10月15日時点では香林坊店や富山店や高岡店を補てんする役割があるとして石川県・富山県内のギフトショップとサテライトショップはすべて維持されていたが、単独で収益が上がっているサテライトショップ2店は食料品や衣類などの品ぞろえを拡充してイベントなども増やして強化する一方で、ギフトショップについてはネット通販の普及や交通の利便性向上などで利用者が減り採算が取れず役割を終えたとして2011年(平成23年)5月に野々市、12月に氷見と砺波、2012年(平成24年)2月15日に輪島、羽咋の営業を終了してパトリア大和と小松ギフトショップの2拠点のみに集約した。

J・フロントリテイリングとの関係

井村徳三郎が宮市百貨店を創設する際に京都大丸と提携し、その後1930年(昭和5年)に三越金沢店が開業した際にも大丸と提携して対抗するなど創業期から繋がりを持ち、2010年(平成22年)には2人の人材派遣を受けてその内の一人が取締役に就任しているほか、商品開発や情報提供などで連携や情報システム共有化や商品券の相互利用などを行う現在も強い結びつきを維持している。

そうした提携の関係もあり、以前から大手百貨店大丸の株100万株を保有していたため、2012年(平成24年)2月29日時点でも大和はJ・フロントリテイリング140万株を保有している。

かつて看板に用いていたマークは、丸で囲んだ大の字である大丸旧マークの丸を梅の形に置き換えたものだった(社紋としては現在も使われ、各店舗正面入口に掲げられたプレートにあしらわれている)。

創業家によるオーナー経営の持続

創業者の井村徳三郎の後、宮市大丸の社長に就任して大和の初代社長も務めた井村徳二は井村徳三郎の息子であり、井村徳二の後に大和の社長を務めた宮太郎は井村姓ではないが井村徳三郎の孫で、現在の社長の宮二朗は宮太郎の息子であるため、現在まで創業家によるオーナー色の強い経営が続いている。

初代社長と初代会長の選挙戦

1953年(昭和28年)4月24日投票の第3回参議院議員選挙には合併により当社が誕生した際の会長だった林屋亀次郎が第4次吉田内閣の現役大臣として再選を目指していたところに、初代社長を務めていた井村徳二が対立候補として立候補して林屋が大臣として決定を下した内灘試射場の用地接収を批判して組合を味方につけて林屋を破る激しい選挙戦を繰り広げた。

当時林屋が旧丸越本店の場所で後に丸越となる百貨店を武蔵として経営し、井村が大和を経営していたため、このときの争いは「武蔵」と「大和」の内灘沖会戦と呼ばれた。

上場

1949年(昭和24年)7月に地元北陸地方を管轄していた新潟証券取引所に上場、1961年(昭和36年)10月からは大阪証券取引所第2部にも上場していた。

その後2000年(平成12年)3月に新潟証券取引所廃止が東京証券取引所に吸収された際に同取引所第2部に上場となり、大阪証券取引所と2市場で上場し続けてきたが、2011年(平成23年)7月15日に 大阪証券取引所上場廃止を申請して8月30日に上場廃止となり、現在は東京証券取引所のみ上場している。

年表

店舗

香林坊店

香林坊店


【店舗概要】

【所在地】
920-8550
石川県金沢市香林坊1-1-1
【座標】
北緯36度33分48秒 東経136度39分15秒 / 北緯36.56333度 東経136.65417度 / 36.56333; 136.65417
【開業日】
1986年(昭和61年)9月
(宮市百貨店:1923年(大正12年)10月15日)
【正式名称】
大和香林坊店
【商業施設面積】
28,780 m²
【営業時間】
10:00-19:30
(8Fレストラン街 -22:00)
【最寄駅】
JR金沢駅
【外部リンク】
http://www.daiwa-dp.co.jp/kohrinbo/
DaIWa

金沢市香林坊地区の再開発に参画して1903年(明治36年)の宮市洋品店の店舗統合から始まり、1923年(大正12年)10月15日の宮市百貨店開業、その後の宮市大丸や大和の時代を通じて本店としてきた片町から1986年(昭和61年)9月に本店を移転し、地区名に合せて香林坊店となった。

近年は近隣に香林坊109なども立地する好立地でビル内に駐車場もある新店舗への移転の効果もあってバブル崩壊後も売上を伸ばしてピークとなった1998年(平成10年)2月期に売上高425億円を上げていた。

若い顧客を狙った改装を進め2011年(平成23年)9月の生鮮売り場を1.5倍に拡張したり総菜やスイーツなどを拡張する食料品売場改装を皮切りに2012年(平成24年)2月1日から3月8日にかけて婦人ファッションを中心に27ブランドを導入して家庭用品や呉服売場も改装する香林坊店開店後最大規模の改装を行い、同年9月にレストラン街と子供服売場の改装を予定するなど2年間かけて10億円規模を投資して全館改装を行う計画

2012年(平成24年)2月期でも売上高241.49億円と北陸三県最大を誇る北陸1番店である。

富山店

富山店


【店舗概要】

【所在地】
930-0083
富山県富山市総曲輪(そうがわ)3丁目8番38
【座標】
北緯36度41分22秒 東経137度12分47秒 / 北緯36.68944度 東経137.21306度 / 36.68944; 137.21306
【開業日】
2007年(平成19年)9月21日
(宮市大丸富山店:1932年(昭和7年)11月10日)
【正式名称】
大和富山店
【施設所有者】
大和
【敷地面積】
約6,800 m²
【延床面積】
44,200 m²
【商業施設面積】
25,300 m²
【営業時間】
10:00-19:00
(6Fレストラン街 -22:00)
【前身】
宮市大丸富山店
大和富山店旧店舗
【最寄駅】
富山地方鉄道グランドプラザ前停留場
【外部リンク】
http://www.daiwa-dp.co.jp/toyama/
DaIWa

旧富山店は1932年(昭和7年)8月20日に富山市西町(にしちょう)で一部営業を開始し、同年11月10日に宮市大丸富山店開店として百貨店を開業した宮市大丸初の本格的な支店で、開業当初から金沢の本店を上回る売上を上げて1934年(昭和9年)12月2日に鉄筋コンクリート造り6階建に増築して中核店舗の一つとなっていた。

2004年(平成16年)に設立された富山市総曲輪通り南地区再開発事業組合に参画して保留床約31,600mのうち約28,000mを取得して約87億円とされた保留床処分による資金の大半を負担して2007年(平成19年)9月21日に開業した総曲輪フェリオの核店舗として現在地に移転・開業した。

開業4日間で推計約33万人を集めて地元紙に「お祭り騒ぎ」のようなにぎわいと呼ばれるほどの集客力を見せた総曲輪フェリオの中核として開業初日の金曜日に旧富山店の同じ曜日の4倍以上の2.1億円の売上を上げるなど3倍に広がった地下食品売場、北陸最大規模の化粧品売場や124に上る富山県初登場のブランドを武器に順調に地元富山の顧客を集め、旧店舗より約40億円増の年間売上200億円の目標を超えるなど順調な滑り出しを見せた。

その後リーマンショックによる景気低迷を受けて売上が急減した際も開業2年目に入ったことと重なったにもかかわらず予想以上の数字を残して営業黒字を維持していたため本店に継ぐ主力店舗として存続している。

2009年(平成21年)12月23日、富山地方鉄道富山市内軌道線の開通式・無料開放が行われ、翌日始発から平常運転となり、市電で買い物ができるように利便性がアップした。

2012年(平成24年)2月期でも前年比0.7%増の売上高188.44億円と北陸三県に5店舗ある百貨店で唯一前年比プラスとなるなど比較的堅調に売上を上げ続けている。

旧店舗跡地はその後建物を解体した上で再開発され、2015年8月22日に『TOYAMAキラリ』として開業した。


高岡店

高岡店


【店舗概要】

【所在地】
富山県高岡市御旅屋町101
【座標】
北緯36度44分44秒 東経137度0分50秒 / 北緯36.74556度 東経137.01389度 / 36.74556; 137.01389
【開業日】
1994年(平成6年)3月
(丸越高岡店:1937年(昭和12年)4月)
【正式名称】
大和高岡店
【施設所有者】
オタヤ開発
【営業時間】
2-6F 10:00-18:00
B1F・1F 10:00-18:30
【前身】
丸越高岡店
大和高岡店旧店舗
【外部リンク】
http://www.daiwa-dp.co.jp/takaoka/
DaIWa

1937年(昭和12年)4月に丸越初の支店である高岡店として現店舗の隣接地に開店し、1943年(昭和18年)12月21日の合併に伴って大和高岡店となった末広通りと御旅屋通りが交差する十字路の一角に位置していた旧店舗を、1994年(平成6年)3月に開業した御旅屋セリオに移転して開店した。

保留床の取得はしていないものの、保留床を取得してビルを管理・運営している高岡市の第三セクターオタヤ開発に高岡市と並ぶ20%を出資しているほか、2012年(平成24年)2月29日現在で49.25億円の敷金・保証金をオタヤ開発に差し入れて保証金返還の一部猶予をするなど様々な形で関与している。

2009年(平成21年)10月15日の4店閉店などの発表の際には建物も比較的新しく営業黒字を維持していたため、

香林坊店や富山店と比べて厳しい状況にあるが「小ぶりだが、しっかり利益を出せる店にしたい」として同じ県内にある富山店との営業部門の一部統合など棲み分けを図って存続することとなった。

2010年(平成22年)から売場を縮小して賃料負担軽減を目指し、その跡に2011年(平成23年)2月25日に高岡市子育て支援センター、同年3月10日には北日本新聞カルチャーパーク高岡のほか地元有力企業5社の施設が入居するなど地元の政財界の支援を受けながら売場縮小と集客力の改善の両立を目指し、若い女性客が増えて婦人衣料や子供服の売上が伸びて売場減少に伴って店舗全体の売上は減少しているものの存続売場ベースでは前年比プラスになるなど地元政財界による集客支援の効果があったとして2011年(平成23年)11月に御旅屋セリオへ移転後初となる地下食品売り場の大規模改装を行ってチーズ、ワイン、調味料などをそろえたテナントを導入しててこ入れを行った。

また、この他にも御旅屋セリオの開業と共に整備されて隣接している半地下式の御旅屋メルヘン広場の中央にある噴水などを2010年(平成22年)に撤去してイベント会場などとして使い易くして集客に役立てるなど高岡市が支援策を採っているほか、隣接する旧高岡店跡を整備して地元高岡市出身の漫画家、藤子・F・不二雄の作品「ドラえもん」のドラえもんのほか、のび太やジャイアン、スネ夫などのキャラクターをかたどった12体の銅像が並んでいた万葉の杜から銅像などを撤去して2011年(平成23年)3月に顧客の要望が多い駐車場にするなど集客力の強化に向けて周辺の整備も合せて行われた。なお万葉の杜にあった銅像は撤去に伴って高岡市に寄贈され、ドラえもん文庫がある高岡市立中央図書館が入居しているウイング・ウイング高岡前の広場に移設された。

しかし、売場面積縮小が響いて2012年(平成24年)2月期で前年比6.3%減の売上高60.03億円と大和の現存する百貨店3店の中で最も大きく落ち込み、2012年(平成24年)3月から閉店時間を1時間早めて午後6時とするなど更なる経費削減による業績改善を目指している。

2013年(平成25年)4月13日には高岡店が入居する御旅屋セリオ8階屋上に屋上庭園「セリオスカイガーデン」がオープンした。高さ32m、広さ825平方メートルの天然芝が張られた庭園には池やウッドデッキなどが設置されており、高岡市内が一望できるほか、二上山新湊大橋も望める。今後市民の憩いの場、イベント会場として活用される。

サテライトショップ

富山店の管轄下で贈答品、食料品、地場産品、衣類等を扱う小型店舗で、文化教室の会場となるなどイベントも行われている。

3店舗があり内、富山県の2店舗は20年以上営業していて2店舗とも単独で収益が上がっているため、2012年(平成24年)2月に食料品や衣類などの品ぞろえを拡充して売上拡大を目指す方針が発表された。また2016年(平成28年)には、石川県で初めてのサテライトショップとして野々市市サテライトショップがオープンした。

上市サテライトショップ

富山県中新川郡上市町西中68

黒部サテライトショップ

富山県黒部市新牧野108


野々市サテライトショップ

石川県野々市市堀内4丁目95番地(アルビス野々市明倫通り店内)

ギフトショップ

パトリア大和

パトリア大和の入居するビル

石川県七尾市御祓町1

1995年(平成7年)4月29日に七尾駅前のパトリア内に売場面積約1,210mというギフトショップとしてはやや大きめの店舗として開業した。

小松ギフトショップ

石川県小松市土居原町716

百貨店店舗小松店の閉店の翌々日2010年(平成22年)6月27日に同店の贈答品需要などを引継ぐことを目指してJR小松駅前のホテル1階に開店したギフトショップである。

開店から1か月で前年の小松店の中元利用実績8,000人の約20%に当たる約1,500人が利用するなど順調な滑り出しを見せた。


インターネットショップ

大和のホームページにて、一部の商品を買うことが出来るインターネットショッピングのサービスの導入を開始した。

過去に存在した店舗

ラブロ片町

ラブロ片町
詳細は「ラブロ片町」を参照

1986年(昭和61年)9月に大和の本店が香林坊アトリオ内に移転したことに伴い、旧本店の活用策として11月に開業した商業施設である。

運営は100%出資子会社のディー・アンド・シー。

2014年(平成26年)3月16日に再開発のため閉店となった。

片町A地区市街地再開発組合によって周辺の建物も含めて再開発が行われ、解体の上で跡地には2015年(平成27年)9月18日に再開発ビル「片町きらら」が開業した。

新潟大和

新潟大和

大和新潟店(2010年4月)

【店舗概要】

【所在地】
新潟県新潟市中央区古町通7番町
【開業日】
1937年(昭和12年)9月29日
【閉業日】
2010年(平成22年)6月25日
【正式名称】
大和新潟店
【施設所有者】
本館:大和
新潟プラザビル:堀川事業・タカツ商事
【商業施設面積】
20,696 m²
【前身】
萬代百貨店
丸越新潟店
DaIWa

新潟県新潟市にあった百貨店。

地元新潟の片山三男が埼玉県行田の足袋商本山政一と紙問屋の藤井忠太郎店跡に店舗を建設し、1937年(昭和12年)9月29日に萬代百貨店として新潟市の中心市街地古町地区の一角に開業した。

初日から空前の人出となるなど集客では順調な滑り出しを見せたが、ライバルの小林百貨店が初年度から5.5万円の利益を上げたのに対し、萬代百貨店はノウハウ不足で半年後の決算で大赤字となったため、1938年(昭和13年)に宮市大丸と系列の丸越から経営陣が派遣されてその傘下に入り、1939年(昭和14年)に金沢市の丸越と合併して丸越新潟店になり、1943年(昭和18年)12月に合併で大和が誕生したのに伴い、大和新潟店となった。

第二次世界大戦後の一時期は商品が不足していたこともあって1階を消防車の駐車場に貸して2・3階のみで営業し、1950年(昭和25年)頃でもアメリカ合衆国から輸入した中古衣料が跳ぶように売れるような状況であった。

その後品揃えが元に戻って通常の百貨店営業に戻っていき、ラジオ新潟(現新潟放送)の本社とスタジオが開業初期は7階に入居していたが、1955年(昭和30年)10月1日未明に新潟市中心部を襲った昭和新潟大火で店は全焼してしまったことに伴い移転した。

ところがこの大火からわずか10日間で1階部分のみとはいえ営業再開に漕ぎ着けたことが市民から高く評価されて再開後はライバルの小林百貨店を売上高で凌駕するようになった。

その後1964年(昭和39年)の新潟地震の際にも建物の被害がなかったこともあって翌日からパンや瓶詰などの食品を販売するなど災害のたびに迅速に対応を行った。

1960年(昭和35年)7月には新潟市本町通に新潟丸大が開店し1964年(昭和39年)7月に百貨店法による営業を認可を受けて正式に百貨店となり、1970年(昭和45年)にイチムラの新潟店(後の新潟ウィズ)も開店したことから当社長岡店のライバル百貨店2社と2都市で近接して競い合う3つ巴の状況となると共に、当店のある古町地区は百貨店4店が立ち並ぶ繁華街となった。

新潟を代表する繁華街を代表する百貨店として第1回新潟県美術展覧会や地元美術家の個展開催などを通じて地域の文化の中心としての役割も果たしていた。

しかし、1973年(昭和48年)11月に万代シティにダイエー新潟店開業(売場面積19,262m)すると、1979年(昭和54年)に全国のダイエー店舗で売上1位になるほどの顧客を集め、1991年(平成3年)2月期には売上高約191億円上げて1992年(平成4年)2月期に売上高約207億円を記録した当店に匹敵するレベルに達するなど、古町地区や当店にとって強力なライバルが登場し、さらに1984年(昭和59年)4月1日に万代に新潟伊勢丹開業(売場面積22,800m)が開業して万代地区の商業機能が一段と強化されると共に、2009年(平成21年)3月期に同店が売上高約350億円で当店の2009年(平成21年)2月期の74億円や小林百貨店の後身の新潟三越の2009年(平成21年)3月期の売上高約169億円を大きく引き離して地域一番店になるほどの販売力を見せるなど百貨店間の競合や古町地区の「地盤沈下」が生じていった。

そこへ追い討ちを掛けるように2000年(平成12年)の大規模小売店舗法の改正に伴う規制緩和が行われたため、

2000年(平成12年)2月8日のアピタ新潟亀田店(売場面積37,462m)の開店を皮切りに、2002年(平成14年)6月19日のアークランドサカモトを核店舗としたアークプラザ新潟(売場面積35,634m)、9月30日のコメリを核店舗とした河渡ショッピングセンター(売場面積24,046m)、2003年(平成15年)2月8日のアピタ新潟西店(売場面積29,436m)、2007年(平成19年)10月26日のイオン新潟南ショッピングセンター(売場面積41,699m)郊外への広大な無料駐車場を備えた大型店進出が相次ぎ、古町の歩行者は2000年(平成12年)から8年間で7割以下に減って年間売上額も1994年(平成6年)ごろの約1430億円をピークに2007年(平成19年)には約860億円に落ち込み、1985年(昭和60年)に開業してファッションや飲食関連のテナントが集積し人気を集めていた新潟ウィズも ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典:wikipedia
2018/08/15 10:14

HAPPY Wikipedia

あなたの考える「大和_(百貨店)」の意味を投稿しよう
「大和_(百貨店)」のコンテンツはまだ投稿されていません。
全部読む・投稿 

大和_(百貨店)スレッド一覧

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「大和_(百貨店)」のスレッドを作成する
大和_(百貨店)の」
友達を探す
掲示板を探す
このページ
友達に教える
URLをコピー

注目のキーワード

錦織圭/北島康介/2014_FIFAワールドカップ・アジア予選/サッカー日本女子代表/消費税/東京スカイツリー/ダルビッシュ有/イチロー/香川真司/野田内閣/復興庁/石川遼/HKT48/AKB48/ワールド・ベースボール・クラシック日本代表/黒田博樹/尖閣諸島/バレンタインデー/ONE_PIECE

キーワードで探す

 
友達を探す
掲示板を探す
無料コミックを探す
占い・診断
着メロを探す
GAMEを探す
デコメを探す
きせかえツールを探す
FLASH待ち受けを探す
ハッピーWiki
ハッピーメール
ハッピーランド
HAPPY NEWS
2010Happy Mail