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大家友和とは?

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大家 友和
Tomo Ohka
横浜DeNAベイスターズ コーチ #78

横浜時代
(2011年4月19日、横浜スタジアム)

【基本情報】

【国籍】
日本
【出身地】
京都府京都市右京区
【生年月日】
(1976-03-18) 1976年3月18日(42歳)
【身長
体重】
185 cm
91 kg
【選手情報】

【投球・打席】
右投両打
【ポジション】
投手
【プロ入り】
1993年 ドラフト3位
【初出場】
NPB / 1994年4月27日
MLB / 1999年7月19日
【最終出場】
MLB / 2009年10月4日
NPB / 2011年8月24日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


コーチ歴

  • OBC高島
  • 横浜DeNAベイスターズ (2018 - )

この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手 テンプレート


大家 友和(おおか ともかず、1976年3月18日 - )は、京都府京都市右京区出身の元プロ野球選手(投手、右投両打)、野球指導者。MLBでの登録名は「トーモ・オーカ(Tomo Ohka)」。2018年より横浜DeNAベイスターズで二軍投手コーチを務める。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 プロ入り前
    • 1.2 横浜時代
    • 1.3 MLB時代
      • 1.3.1 レッドソックス時代
      • 1.3.2 エクスポズ・ナショナルズ時代
      • 1.3.3 ブルワーズ時代
      • 1.3.4 ブルージェイズ時代
      • 1.3.5 カージナルス傘下・マリナーズ傘下・ホワイトソックス傘下時代
      • 1.3.6 インディアンス時代
    • 1.4 横浜復帰
    • 1.5 横浜退団後
    • 1.6 現役引退後
  • 2 選手としての特徴
  • 3 人物
  • 4 詳細情報
    • 4.1 年度別投手成績
    • 4.2 記録
    • 4.3 独立リーグでの投手成績
    • 4.4 背番号
  • 5 関連情報
    • 5.1 書籍
  • 6 脚注
  • 7 関連項目
  • 8 外部リンク

経歴

プロ入り前

小学生時代に野球を始める。当時のポジションはキャッチャーであった。京都成章高等学校に入学後、ピッチャーに転向する。3年生のとき、夏の京都府大会で準優勝し、プロのスカウトの注目を浴びた。高校時代の同級生に元広島東洋カープの捕手の倉義和がいる。高校2年生のとき、本屋でノーラン・ライアンの本「ピッチャーズ・バイブル」を購入し、それから徹底的にトレーニングに取り組んだ。

1993年のドラフト横浜ベイスターズから3位指名を受けて入団。背番号は56

横浜時代

1994年、高卒ルーキーながら一軍入りを果たす。同年4月29日のヤクルト戦で中継ぎとして登板し、わずか3球で初勝利を挙げる。

1997年オフ、フロリダ教育リーグに参加してメジャー挑戦を意識し始め、球団にその希望を伝える。

1998年、イースタンリーグで最優秀防御率のタイトルを獲得。そのオフ、球団がメジャーリーグ挑戦を了承したため自由契約となり、ジム・マスターアレクシスを代理人とした。

MLB時代

レッドソックス時代

1998年12月にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結ぶ。

1999年は傘下のAA級トレントン・サンダーで開幕を迎え、8連勝を記録して6月にAAA級ポータケット・レッドソックスに昇格。フューチャーズゲームに選出され世界選抜の先発を務める。7月17日にメジャーに昇格し、19日のフロリダ・マーリンズ戦でメジャー初登板初先発するも以降2連敗を喫し25日にマイナーに降格。8月23日にメジャーに再昇格し、25日に再降格したものの、9月4日に再昇格しリリーフとして起用される。10月1日のボルチモア・オリオールズ戦で3回を無失点に抑えメジャー初勝利を挙げる。

2000年はポータケットで開幕を迎え、6月1日のシャーロット・ナイツ戦でインターナショナルリーグ史上48年ぶり3人目となる完全試合を達成。15日には2年連続でのフューチャーズゲーム選出を果たすが、17日には金善宇と喧嘩して5試合の出場停止を受けた。7月21日にメジャーに昇格。28日にはマイナーに降格したが、8月6日に再昇格し3連勝を記録。その後6連敗を喫したものの、防御率3.12を記録した。

2001年は開幕メジャー入りを果たし先発ローテーション入りし2連勝。4月はリーグ4位の防御率2.28を記録。5月10日のシアトル・マリナーズ戦ではイチローと初対決し、最速93mph(約150km/h)を記録したが左前安打を浴び、デビッド・コーンの復帰に伴い13日にマイナーに降格。6月7日に再昇格するが登板はなく10日に再降格し、29日に再昇格。

エクスポズ・ナショナルズ時代

2001年7月31日にウーゲット・ウービナとのトレードでリッチ・ランドルズと共にモントリオール・エクスポズに移籍。 移籍後は7連敗を喫したが、8月30日のアトランタ・ブレーブス戦で5回2/3を2失点に抑え移籍後初勝利。最後の3試合は17回2/3で防御率2.55、WHIP1.07と安定した投球を見せた。

2002年3月5日にはエクスポズと再契約。4月28日のセントルイス・カージナルス戦ではマット・モリスに投げ勝ち、以降4連勝を記録。前半戦を含む8勝4敗、防御率3.19、WHIP1.27の成績で折り返す。9月7日のブレーブス戦ではアンドリュー・ジョーンズへの死球が危険球とみなされ退場処分と6試合の出場停止を受けたが、後半戦も5勝4敗、防御率3.16、WHIP1.20と安定した投球を続け、チーム最多の13勝をマーク。オフには日米野球に出場。「まっすぐにこだわった」という投球を見せたが、中村紀洋に3点本塁打を浴びるなど3回1/3を7失点に終わった。

2003年7月9日のフィラデルフィア・フィリーズ戦では7回までノーヒットノーランの好投を続けるも、7回にプラシド・ポランコが空振りした際にバットが内野スタンドにすっぽ抜ける。観客がバットを返さなかったため、ポランコは替えたバットで打ち、三塁線へ弱いゴロになったが、三塁手のエドワーズ・グスマンが取り損ねて初安打となった。後半戦は15試合の登板で3勝3敗、防御率3.76、WHIP1.41の投球を見せ、シーズンを通して2年連続10勝をマークし、クオリティ・スタートはリーグ4位の22を記録した。オフには1年233万7500ドルで再契約。

2004年3月23日に滋賀県草津市でNPO法人Field of Dreams」を発足させた。レギュラーシーズンでは4月は5度の先発で全て敗戦という幸先の悪いスタートを切る。防御率3.01、WHIP1.35と安定した投球を続けていたが、6月10日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦でカルロス・ベルトランのピッチャーライナーを腕に受けて骨折し故障者リスト入り。9月15日のフロリダ・マーリンズ戦で復帰したが、得点援護率が2.87と低いこともあり15先発で3勝に終わった。オフには1年275万ドルで再契約。

2005年はチームが本拠地移転によりワシントン・ナショナルズと名称を変更。開幕から先発で起用されたが、前年までの通算で2.31だった与四球率が5月上旬までで5.70と制球が乱れ先発を外される。6月4日のフロリダ・マーリンズ戦では降板を要求する監督のフランク・ロビンソンに背を向けたため罰金1000ドルを科せられる。

ブルワーズ時代

2005年6月10日にトレードによりミルウォーキー・ブルワーズに移籍。 6月14日のタンパベイ・デビルレイズ戦で移籍後初先発し、自身初の完封勝利を挙げる。前半戦を5勝4敗、防御率3.62、WHIP1.32で折り返し、9月5日のシンシナティ・レッズ戦で10勝に到達。与四球率も移籍後は1.99と復調した。

2006年2月の前半二週間、毎日放送のラジオ番組『月極ラジオ』で、メインパーソナリティを担当。15日にNPB/MLB合わせてこの年の日本人投手最高年俸となる1年453万ドルでブルワーズと再契約。4月15日のニューヨーク・メッツ戦では7回5安打2失点に抑え、打撃でも4回にバスター打法で勝ち越し2点適時打を放ち勝利投手となる。25日のブレーブス戦で長谷川滋利を抜いて日本人メジャーリーガー史上2位となる通算46勝を挙げた。2勝1敗、防御率3.18、WHIP1.356と好投を続けていたが、5月1日のヒューストン・アストロズ戦で右肩の張りを訴え途中降板。回旋筋裂傷が判明し故障者リスト入りし、7月18日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦で復帰。8月24日のコロラド・ロッキーズ戦では6失点を喫するも、初めて左打席に立ち自ら4打点をマークし勝利。しかし9月15日の走塁中に左太腿を痛めシーズンを終了した。

ブルージェイズ時代

2007年1月にトロント・ブルージェイズと1年150万ドル+最高150万ドルの出来高で契約。4月29日に野茂英雄に次いで日本人メジャーリーガー史上2人目となるメジャー通算50勝を達成する。6月18日に解雇された。

カージナルス傘下・マリナーズ傘下・ホワイトソックス傘下時代

2007年6月19日にセントルイス・カージナルスとマイナー契約を結ぶ。7月4日に契約解除される。

2007年7月13日にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結ぶ。8月5日に解雇される。

2008年2月22日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約。傘下のAAA級シャーロット・ナイツでプレーし8試合のリリーフ登板を含む28試合の登板で5勝11敗、防御率4.18、WHIP1.33の成績に終わり、メジャー昇格はなかった。

インディアンス時代

2008年12月6日、クリーブランド・インディアンスとマイナー契約。2009年5月28日にメジャーに昇格。5月30日のニューヨーク・ヤンキース戦に登板しメジャー通算1000投球回を達成した。

横浜復帰

2010年は3月にメキシカンリーグキンタナロー・タイガースに入団したが、1週間で解雇された。

4月7日に横浜ベイスターズと2年契約を交わし、12年ぶりに日本球界に復帰。背番号は44。5月2日の東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)に先発で復帰登板し、6回1/3を投げ1失点の好投で勝利投手となった。日本では前述の初勝利である1994年4月29日のヤクルト戦以来16年(5847日)ぶりの勝利であり、これは遠山奬志の10年ぶりの勝利を抜く日本プロ野球最長ブランク記録である。

2011年は開幕から不調が続き、7試合に先発して6敗と1勝もあげることが出来なかった。9月27日に右肩のクリーニング手術を受けた。10月9日に球団から戦力外通告を受けた。12月2日、自由契約公示された。

横浜退団後

2013年1月、韓国の独立球団高陽ワンダーズの春季キャンプに臨時インストラクターとして参加。4月8日、野球の独立リーグ、BCリーグ富山サンダーバーズに入団することで合意したことが発表された。オフの12月16日に古巣・ブルージェイズとマイナー契約を結んだことが発表された。

2014年、ブルージェイズのスプリングトレーニングに招待選手として参加するが、3月3日にマイナーに降格し、22日に自由契約となった。

その後は独立リーグ・アトランティックリーグブリッジポート・ブルーフィッシュのスプリング・トレーニングに参加。2014年4月23日にブリッジポートと契約したことが発表される。5月6日のヨーク・レボリューション戦で9回を3安打5奪三振と好投し、移籍後初完封勝利を挙げた。シーズン終了までブリッジポートに所属し、26試合の先発で7勝12敗、防御率5.15、WHIP1.67の成績を残す。

2015年3月9日にBCリーグの富山に復帰したが、8月10日に自由契約となり、退団。その後、8月21日に同じBCリーグに所属する福島ホープスへ入団した。なお、福島入団時より、登録を両打ちから右打ちへ変更している。

2016年は福島で16試合に登板し7勝4敗、防御率2.82だった。オフの10月2日にメジャーリーグの公開トライアウトを受け、12月15日ボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結び、AAA級ノーフォーク・タイズに配属された。

2017年3月28日に自由契約となった。その後帰国し、調整を続けていたが契約を結ぶ球団がなかったことから6月19日に現役引退を表明した。

現役引退後

自身が設立したField of Dreamsの傘下であり、従前よりゼネラルマネージャーを務める社会人野球クラブチームOBC高島のコーチに就任した。同年の11月より古巣である横浜DeNAベイスターズの二軍投手コーチに就任。

選手としての特徴

最速94mph(約151.2km/h )、平均87.8mph(約141.1km/h)のフォーシームツーシーム、平均86.1mph(約138.5km/h)のカットボール、平均79.6mph(約128.0km/h)のスプリッター、さらに平均82.5mph(約132.7km/h)のスライダー、平均72.8mph(約117.1km/h)のカーブを投げる。

2011年終わりごろに受けた手術で、球威が低下。横浜戦力外後、ナックルボールを投球の軸、および決め球にする投球スタイルに一変し、2013年富山サンダーバーズに入団した。

2009年終了時のメジャー通算打率は.138(33安打)。2004年には盗塁も記録している。

投球間隔がとても短いことで知られる。捕手がサインを出すと同時に、投球動作に入っている。

人物

メジャーやマイナーを転々としてきたが、メジャーでの成功・失敗について「よく成功とか失敗とか言われるが、じゃあ何が成功で、何が失敗なのか。僕はアメリカに来て野球が楽しいと思えるだけで、成功だと思うんです。僕らは見せてナンボの世界にいますから、成績を残せなければ失敗と言われるのも仕方がないと思うが、やりたいことをやるのが一番だと思います。先発でもリリーフでも、マイナーでもメジャーでも、野球をやれるだけで僕は十分、幸せなんです」と語っている。

エクスポズ投手時代に設立した草津シニア(「Field of Dreams」の中学生向けベースボールチーム)からは、日本プロ野球の選手として京山将弥を輩出している。京山が近江高校を経てDeNAへ入団した2017年の秋季キャンプからは、大家もDeNAの二軍投手コーチに就任。就任後は、一軍の経験がなかった京山にカットボールの投げ方を教えることによって、翌2018年の飛躍につなげている。

詳細情報

年度別投手成績




【球

団】























ブ




ド
































ボ











W
H
I
P

1994 | 横浜 | 15 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 126 | 28.0 | 29 | 1 | 18 | 1 | 0 | 18 | 0 | 0 | 13 | 13 | 4.18 | 1.68
1995 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 44 | 9.1 | 3 | 0 | 13 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 2 | 2 | 1.93 | 1.71
1996 | 14 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 95 | 18.0 | 27 | 3 | 14 | 0 | 1 | 11 | 3 | 0 | 19 | 19 | 9.50 | 2.28
1998 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 10 | 2.0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 2 | 9.00 | 2.00
1999 | BOS | 8 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | .333 | 65 | 13.0 | 21 | 2 | 6 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 12 | 9 | 6.23 | 2.08
2000 | 13 | 12 | 0 | 0 | 0 | 3 | 6 | 0 | 0 | .333 | 297 | 69.1 | 70 | 7 | 26 | 0 | 2 | 40 | 3 | 0 | 25 | 24 | 3.12 | 1.38
2001 | 12 | 11 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 0 | 0 | .286 | 241 | 52.1 | 69 | 7 | 19 | 0 | 2 | 37 | 1 | 1 | 40 | 36 | 6.19 | 1.68
MON
WSH
 | 10 | 10 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | 0 | .200 | 228 | 54.2 | 65 | 8 | 10 | 0 | 1 | 31 | 1 | 0 | 30 | 29 | 4.77 | 1.37
'01計 22 | 21 | 0 | 0 | 0 | 3 | 9 | 0 | 0 | .250 | 469 | 107.0 | 134 | 15 | 29 | 0 | 3 | 68 | 2 | 1 | 70 | 65 | 5.47 | 1.52
2002 | 32 | 31 | 2 | 0 | 1 | 13 | 8 | 0 | 0 | .619 | 806 | 192.2 | 194 | 19 | 45 | 7 | 7 | 118 | 2 | 1 | 83 | 68 | 3.18 | 1.24
2003 | 34 | 34 | 2 | 0 | 1 | 10 | 12 | 0 | 0 | .455 | 864 | 199.0 | 233 | 24 | 45 | 11 | 9 | 118 | 8 | 0 | 106 | 92 | 4.16 | 1.40
2004 | 15 | 15 | 0 | 0 | 0 | 3 | 7 | 0 | 0 | .300 | 367 | 84.2 | 98 | 11 | 20 | 1 | 1 | 38 | 3 | 0 | 40 | 32 | 3.40 | 1.39
2005 | 10 | 9 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 0 | 0 | .571 | 231 | 54.0 | 44 | 6 | 27 | 1 | 1 | 17 | 3 | 0 | 23 | 20 | 3.33 | 1.31
MIL | 22 | 20 | 1 | 1 | 0 | 7 | 6 | 0 | 1 | .538 | 543 | 126.1 | 145 | 16 | 28 | 4 | 2 | 81 | 5 | 0 | 65 | 61 | 4.35 | 1.37
'05計 32 | 29 | 1 | 1 | 0 | 11 | 9 | 0 | 1 | .550 | 774 | 180.1 | 189 | 22 | 55 | 5 | 3 | 98 | 8 | 0 | 88 | 81 | 4.04 | 1.35
2006 | 18 | 18 | 0 | 0 | 0 | 4 | 5 | 0 | 0 | .444 | 421 | 97.0 | 98 | 12 | 35 | 1 | 5 | 50 | 4 | 0 | 58 | 52 | 4.82 | 1.37
2007 | TOR | 10 | 10 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 0 | 0 | .286 | 251 | 56.0 | 68 | 10 | 22 | 1 | 0 | 21 | 2 | 0 | 39 | 36 | 5.79 | 1.61
2009 | CLE | 18 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | 0 | 0 | .167 | 306 | 71.0 | 77 | 18 | 19 | 1 | 4 | 31 | 0 | 3 | 47 | 47 | 5.96 | 1.35
2010 | 横浜 | 22 | 22 | 1 | 0 | 0 | 7 | 9 | 0 | 0 | .438 | 525 | 121.2 | 145 | 16 | 22 | 1 | 3 | 62 | 2 | 0 | 72 | 62 | 4.59 | 1.37
2011 | 7 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | .000 | 145 | 32.2 | 41 | 6 | 10 | 2 | 0 | 14 | 1 | 0 | 26 | 25 | 6.89 | 1.56
NPB:6年 63 | 33 | 1 | 0 | 0 | 8 | 17 | 0 | *0 | .320 | 945 | 311.2 | 247 | 26 | 79 | 4 | 4 | 112 | 6 | 0 | 134 | 123 | 5.23 | 1.54
MLB:10年 202 | 178 | 5 | 1 | 2 | 51 | 68 | 0 | 1 | .429 | 4620 | 1070.0 | 1182 | 140 | 302 | 27 | 34 | 590 | 35 | 2 | 568 | 506 | 4.26 | 1.39

記録

NPB投手記録
NPB打撃記録

独立リーグでの投手成績


















ブ






































ボ








W
H
I
P

2013 | 富山 | 21 | 7 | 7 | 0 | 2 | .500 | 111.0 | 478 | 108 | 6 | 25 | 59 | 5 | 48 | 46 | 5 | 1 | 0 | 3.73 | 1.50
2015 | 12 | 3 | 5 | 0 | 1 | .375 | 46.0 | 233 | 71 | 2 | 18 | 27 | 1 | 44 | 42 | 2 | 0 | 0 | 8.22 | 2.13
福島 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 7.0 | 27 | 3 | 0 | 5 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0.00 | 0.71
'15計 15 | 4 | 5 | 0 | 1 | .444 | 53.0 | 260 | 74 | 2 | 23 | 29 | 2 | 44 | 42 | 2 | 1 | 0 | 7.13 | 1.94
2016 | 16 | 7 | 4 | 0 | 1 | .636 | 79.2 | 331 | 73 | 4 | 28 | 26 | 7 | 38 | 25 | 2 | 0 | 1 | 2.82 | 1.25
通算:3年 52 | 18 | 16 | 0 | 4 | .529 | 243.2 | 1069 | 255 | 12 | 76 | 114 | 14 | 130 | 113 | 9 | 2 | 1 | 4.18 | 1.52

背番号

関連情報

書籍

脚注

  1. ^ 輝くマウンドへ
  2. ^ 2012年の選手契約について”. 横浜ベイスターズ (2011年10月9日). 2011年10月21日閲覧。
  3. ^ 大家友和投手入団内定のお知らせ”. BCリーグ (2013年4月8日). 2011年4月8日閲覧。
  4. ^ Blue Jays sign two MLB.com
  5. ^ 大家はマイナーへ「ナックル発展途上」日刊スポーツ、2014年3月3日。
  6. ^ 大家が自由契約「驚いていない」日刊スポーツ、201
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    出典:wikipedia
    2018/12/15 00:49

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