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大日本帝国陸軍とは?

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大日本帝国陸軍


【中央官衙】

陸軍省
参謀本部
教育総監部
航空総監部
【主要兵力】

総軍
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軍一覧
師団一覧
連隊等一覧
飛行戦隊一覧
【歴史・伝統】

日本陸軍の歴史
日本陸軍の軍服
【その他】

階級一覧
兵科・兵種・各部一覧
兵器一覧
通称号

大日本帝国陸軍(だいにっぽんていこくりくぐん、だいにほんていこくりくぐん、旧字体:大日本帝國陸軍)は、1871年(明治4年) - 1945年(昭和20年)まで大日本帝国に存在していた軍隊組織である。通称は日本陸軍帝国陸軍陸軍。解体後は、陸上自衛隊との区別などのため旧日本陸軍旧帝国陸軍旧陸軍という名称も使用される。

目次

  • 1 名称
  • 2 概要
  • 3 意匠
    • 3.1 軍旗
    • 3.2 陸軍省制定行進曲
      • 3.2.1 観兵式分列行進曲
      • 3.2.2 観兵式行進曲
      • 3.2.3 乗馬部隊行進曲
    • 3.3 帽章
    • 3.4 軍装
  • 4 兵器
  • 5 制度
    • 5.1 組織
    • 5.2 階級:昭和19年(1944年)-廃止時
      • 5.2.1 階級章
    • 5.3 徴募・生活
  • 6 略史
    • 6.1 創成期
    • 6.2 外征期
    • 6.3 第一次世界大戦期
    • 6.4 軍縮期
    • 6.5 昭和初期
    • 6.6 第二次世界大戦期
    • 6.7 帝国陸軍の解体
    • 6.8 陸上自衛隊・航空自衛隊との関係
  • 7 軍閥・軍国主義思想
  • 8 アメリカ軍が見た大日本帝国陸軍
  • 9 脚注
  • 10 参考文献
  • 11 関連項目
  • 12 外部リンク

名称

大日本帝国陸軍の名称は、国外からの呼称もしくは対外的な連絡文書、公文書等の一部に明治10年代から用いられた。例として、1918年(大正7年)に当時の陸軍大臣大島健一イギリス国王ジョージ5世に充てた祝電「英国皇帝陛下ヘ陸軍大臣ヨリ祝電(一月二十五日午後一時三十分発電)」では、日本陸軍帝国陸軍大日本帝国陸軍の各名称が使用されている。

称はImperial Japanese ArmyJapanese Imperial ArmyJapanese Armyなど。このうち「大日本帝国陸軍(日本帝国陸軍)」に相当するImperial Japanese Armyの名称・呼称は、1913年(大正2年)にイギリス陸軍省が駐日イギリス大使経由で外務大臣牧野伸顕に充てた、日本の新型騎銃である四四式騎銃1挺の寄贈を依頼する英文などで使用されている。

概要

大日本帝国憲法制定前はその位置づけが未だ充分ではない点もあったが、憲法制定後は軍事大権については憲法上内閣から独立し、直接天皇統帥権に属するものとされた。したがって、陸海軍(日本軍)の最高指揮官は大元帥たる天皇ただ一人であり、帝国陸軍については陸軍大臣(大臣)・参謀総長(総長)・教育総監(総監)が天皇を除く最高位にあり(直隷)、これらは陸軍三長官と呼称された。なお、三長官には陸軍大将ないし陸軍中将が任命されるため、役職自体は帝国陸軍の最高位といえど階級自体は必ずしも最高位の者がなるものではなく、特に歴代の陸軍大臣と教育総監には少なくない陸軍中将が補職されている。

この三長官の補佐機関として、「省部」や「中央」とも呼称される陸軍省参謀本部教育総監部の3つの官衙(役所)が設けられており、陸軍大臣(陸軍省)が軍政人事を、参謀総長(参謀本部)が軍令作戦動員を、教育総監(教育総監部)が教育をそれぞれ掌っていた。また、三機関の序列第2位の次席相当職として陸軍次官(次官、陸軍省)・参謀次長(次長、参謀本部)・教育総監部本部長(本部長、教育総監部)がある。

1938年(昭和13年)12月、航空戦力の拡張・独立および統率柔軟化のため陸軍航空総監部が新設。航空総監(総監)を長とし、主に航空関連学校など陸空軍の教育を掌った。第二次大戦最末期には航空関連学校(一部補充学校を除く)ともども軍隊化され、航空総監部は廃止、航空総軍に改編された。

参謀本部は戦時事変時に陸海軍の最高統帥機関(諸外国軍における最高司令部に相当)として設置される大本営において大本営陸軍部となり、大元帥の名において発する大陸命を作成する存在であるが、これをもって参謀総長がいわゆる陸軍最高指揮官(陸軍最高司令官・陸軍総司令官に相当)となるわけではない。なお、教育総監(教育総監部)は帝国陸軍の教育を掌握する建前であるが、憲兵経理衛生法務機甲航空参謀諜報といった特定職務に関係する学校等は、それぞれ陸軍省・参謀本部・航空総監部やその外局の管轄である。

意匠

軍旗

陸軍御国旗/軍旗の意匠に用いられた旭日旗
詳細は「軍旗#大日本帝国陸軍」および「旭日旗」を参照

帝国陸軍の前身である御親兵が発足するよりも前の1870年6月(明治3年5月)、新生帝国陸軍のシンボルとして十六条旭日旗を意匠とした陸軍御国旗を採用し、更に1879年(明治12年)に改めて陸軍御国旗の仕様を一部改正した旭日旗が軍旗として制定されている。

この軍旗は連隊旗として歩兵連隊騎兵連隊のみに対し大元帥(天皇)から親授されるものであったが、旭日旗の意匠は「帝国陸軍の象徴」として軍民問わず広く認知・使用されていた。また、旭日の意匠を用いたいわゆる「旭日旗」を日本において初めて考案・採用したのは帝国陸軍である。

陸軍省制定行進曲

観兵式分列行進曲

詳細は「陸軍分列行進曲」を参照

1886年(明治19年)、シャルル・ルルー兵部省の委託により作曲した行進曲。自身が作曲した軍歌抜刀隊』と『扶桑歌』の2つの曲を基に『観兵式分列行進曲"扶桑歌"』として制作された。初演は陸軍教導団軍楽隊演奏にて鹿鳴館で行われた。本曲は1902年(明治35年)の第2回目の改定を経て現在の形となった。翌年の1903年(明治36年)に兵部省を改編・発足した陸軍省の制式行進曲に制定される(ルルー自身は1889年(明治22年)に帰国しており、改定を知らなかったとも)

主に観兵式における分列式で奏楽された。また、民間の各レーベルにおいてレコード化され、国民学校芸能科音楽の課題曲になるなど、民間においても親しまれていた。

陸軍分列行進曲』という名称でも知られるが、「陸軍〜」の冠称については、戦前から呼ばれていたという資料がない。英訳は『Army Defile March "Fusouka"』など。

観兵式行進曲

作曲者・作曲年不明。自動車化歩兵部隊機甲部隊機械化砲兵部隊輓馬砲兵部隊飛行部隊等の分列行進・分列飛行の際に奏楽された行進曲。

乗馬部隊行進曲

作曲者・作曲年不明。騎兵部隊の分列行進の際に奏楽された。ギャロップ(襲歩)式の行進曲。

帽章

星章

帝国陸軍の建軍初期は旭日章を意匠としたものを「日章」と称し帽章に使用していたが、のちに一般師団(一般将兵)に属する者および陸軍軍属は「五芒星(五光星)」を意匠とした「星章」を、「近衛」の称呼を冠する近衛師団に属する部隊に属する者は「星章」の周囲を「桜葉」で覆ったものを帽章として使用した。しかしながら、旭日章を帽章とする「第一種帽」は将校准士官が正装時に着用する「正帽」として、また、儀丈部隊でもある近衛騎兵連隊に属する下士官兵は騎兵将校准士官正衣(正帽)に準じる「供奉服」を、ともに第二次大戦期まで存続・使用している。

軍装

軍服 (大日本帝国陸軍)」および「軍刀」を参照

兵器

大日本帝国陸軍兵器一覧」および「日本製航空機の一覧#大日本帝国陸軍」を参照

制度

組織

帝国陸軍の組織は、役所である官衙部隊組織である軍隊将兵を養成ないし再教育する学校(実施学校・補充学校)と、これらのいずれにも属さない特務機関とに区分されていた。

大日本帝国陸軍の軍の一覧」、「大日本帝国陸軍師団一覧」、「大日本帝国陸軍連隊一覧」、および「大日本帝国陸軍飛行戦隊一覧」も参照

階級:昭和19年(1944年)-廃止時

陸軍軍人の階級:1944年(昭和19年)8月10日-廃止
階級 兵科 各部
技術部 経理部 衛生部 獣医部 軍楽部 法務部
【】
憲兵主計
建技軍医
薬剤
歯科医
衛生獣医
獣医法務
事務
大元帥
天皇

元帥大将 元帥陸軍大将(名誉職) |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  | 
大将 陸軍大将 |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  | 
中将 陸軍中将 | 陸軍技術中将 | 陸軍主計中将 | 陸軍建技中将 | 陸軍軍医中将 | 陸軍薬剤中将 | 陸軍歯科医中将 |  | 陸軍獣医中将 |  |  | 陸軍法務中将 | 
少将 陸軍少将 | 陸軍技術少将 | 陸軍主計少将 | 陸軍建技少将 | 陸軍軍医少将 | 陸軍薬剤少将 | 陸軍歯科医少将 |  | 陸軍獣医少将 |  |  | 陸軍法務少将 | 
大佐 陸軍大佐 | 陸軍憲兵大佐 | 陸軍技術大佐 | 陸軍主計大佐 | 陸軍建技大佐 | 陸軍軍医大佐 | 陸軍薬剤大佐 | 陸軍歯科医大佐 |  | 陸軍獣医大佐 |  |  | 陸軍法務大佐 | 
中佐 陸軍中佐 | 陸軍憲兵中佐 | 陸軍技術中佐 | 陸軍主計中佐 | 陸軍建技中佐 | 陸軍軍医中佐 | 陸軍薬剤中佐 | 陸軍歯科医中佐 |  | 陸軍獣医中佐 |  |  | 陸軍法務中佐 | 
少佐 陸軍少佐 | 陸軍憲兵少佐 | 陸軍技術少佐 | 陸軍主計少佐 | 陸軍建技少佐 | 陸軍軍医少佐 | 陸軍薬剤少佐 | 陸軍歯科医少佐 | 陸軍衛生少佐 | 陸軍獣医少佐 | 陸軍獣医務少佐 | 陸軍軍楽少佐 | 陸軍法務少佐 | 陸軍法事務少佐
大尉 陸軍大尉 | 陸軍憲兵大尉 | 陸軍技術大尉 | 陸軍主計大尉 | 陸軍建技大尉 | 陸軍軍医大尉 | 陸軍薬剤大尉 | 陸軍歯科医大尉 | 陸軍衛生大尉 | 陸軍獣医大尉 | 陸軍獣医務大尉 | 陸軍軍楽大尉 | 陸軍法務大尉 | 陸軍法事務大尉
中尉 陸軍中尉 | 陸軍憲兵中尉 | 陸軍技術中尉 | 陸軍主計中尉 | 陸軍建技中尉 | 陸軍軍医中尉 | 陸軍薬剤中尉 | 陸軍歯科医中尉 | 陸軍衛生中尉 | 陸軍獣医中尉 | 陸軍獣医務中尉 | 陸軍軍楽中尉 | 陸軍法務中尉 | 陸軍法事務中尉
少尉 陸軍少尉 | 陸軍憲兵少尉 | 陸軍技術少尉 | 陸軍主計少尉 | 陸軍建技少尉 | 陸軍軍医少尉 | 陸軍薬剤少尉 | 陸軍歯科医少尉 | 陸軍衛生少尉 | 陸軍獣医少尉 | 陸軍獣医務少尉 | 陸軍軍楽少尉 | 陸軍法務少尉 | 陸軍法事務少尉
准尉 陸軍准尉 | 陸軍憲兵准尉 | 陸軍技術准尉 | 陸軍主計准尉 | 陸軍建技准尉 |  |  |  | 陸軍衛生准尉 |  | 陸軍獣医務准尉 | 陸軍軍楽准尉 |  | 陸軍法事務准尉
曹長 陸軍曹長 | 陸軍憲兵曹長 | 陸軍技術曹長 | 陸軍主計曹長 | 陸軍建技曹長 |  |  |  | 陸軍衛生曹長 |  | 陸軍獣医務曹長 | 陸軍軍楽曹長 |  | 陸軍法事務曹長
軍曹 陸軍軍曹 | 陸軍憲兵軍曹 | 陸軍技術軍曹 | 陸軍主計軍曹 | 陸軍建技軍曹 |  |  |  | 陸軍衛生軍曹 |  | 陸軍獣医務軍曹 | 陸軍軍楽軍曹 |  | 陸軍法事務軍曹
伍長 陸軍伍長 | 陸軍憲兵伍長 | 陸軍技術伍長 | 陸軍主計伍長 | 陸軍建技伍長 |  |  |  | 陸軍衛生伍長 |  | 陸軍獣医務伍長 | 陸軍軍楽伍長 |  | 陸軍法事務伍長
兵長 陸軍兵長 | 陸軍憲兵兵長 | 陸軍技術兵長 |  |  |  |  |  | 陸軍衛生兵長 |  |  | 陸軍軍楽兵長 |  | 陸軍法事務兵長
上等兵 陸軍上等兵 | 陸軍憲兵上等兵 | 陸軍技術上等兵 |  |  |  |  |  | 陸軍衛生上等兵 |  |  | 陸軍軍楽上等兵 |  | 陸軍法事務上等兵
一等兵 陸軍一等兵 |  | 陸軍技術一等兵 |  |  |  |  |  | 陸軍衛生一等兵 |  |  |  |  | 
二等兵 陸軍二等兵 |  | 陸軍技術二等兵 |  |  |  |  |  | 陸軍衛生二等兵 |  |  |  |  | 
詳細は「軍隊における階級呼称一覧」、「兵科」、および「近代陸軍の編制」を参照

帝国陸軍においては戦闘職種および憲兵兵科(へいか)、後方の支援職種を各部(かくぶ)とし、合わせて兵科部(へいかぶ)と称した。歩兵科砲兵科騎兵科工兵科輜重兵科航空兵科の兵科区分は、1940年(昭和15年)9月13日および15日の改正により憲兵を除き廃止されまとめて「兵科」とし、また、兵科「定色」(兵科色)も廃止された。なお、これはあくまで従来の兵科区分を撤廃しただけであり、広義で戦闘職種を意味する「兵科」の呼称や職種を更に細分化した「兵種」、および各部と各部の「定色」は存続している。建軍最初期の僅かな期間を除き(西郷隆盛陸軍元帥)、日本軍において元帥は階級ではなく、元帥府に列せられた陸海軍大将に与えられる称号である(元帥陸軍大将)。帝国陸軍においては大将から少尉を将校、准尉を准士官、曹長から伍長を下士官、兵長から二等兵までをと称していた。将官のうちの大将は親任官、中将・少将は勅任官佐官尉官奏任官、准士官・下士官は判任官でこれらは武官たる官吏となり、これらの階級に任命される際には任官と称する。兵は国民の義務たる兵役によって軍隊に入隊し与えられる階級であるため、官吏ではなく任官とも称しない。なお陸軍予科士官学校・陸軍幼年学校・陸軍少年飛行兵学校などの生徒は階級を指定されない。

なお、1932年(昭和7年)6月に改正されるまでは下士官を下士、兵を卒(「一等兵」は「一等卒」、「二等兵」は「二等卒」)と、同年2月に改正されるまでは「准尉」を「特務曹長」と称していた。また、1932年(昭和7年)2月には各部の相当官制は廃止され兵科に準ずることとなり(「各部将校相当官」は「各部将校」)、階級呼称も同様になった(「陸軍軍医総監」は「陸軍軍医中将」、「陸軍一等薬剤正」は「陸軍薬剤大佐」、「陸軍一等主計」は「陸軍主計大尉」、「陸軍上等蹄鉄工長」は「陸軍獣医務准尉」、「陸軍一等楽手」は「陸軍軍楽曹長」、「陸軍上等看護兵」は「陸軍衛生上等兵」など)。「兵長」は1940年(昭和15年)9月に新設されたものである。「准尉」は叩き上げの古参下士官が任官する階級(判任官たる将校待遇の下士官)であり、「見習士官」(階級は曹長)や士官候補生たる陸軍士官学校本科・陸軍航空士官学校・陸軍経理学校本科の生徒(階級は軍曹)とは全く異なる位置づけである。

おおむね太平洋戦争(大東亜戦争)頃の部隊・隊指揮官の補職例は以下の通り。

1942年(昭和17年)初期頃の
飛行第64戦隊長加藤建夫陸軍中佐

階級章

以下は1938年(昭和13年)に改正された昭和13年制式階級章(襟章)。襟章の地質が緋色でなく白色になる法務部将校(法務官)を除き全兵科部共通で、御服を着用する大元帥は陸軍大将の階級章に更に菊花紋を付し、元帥陸軍大将は陸軍大将の階級章と共に元帥徽章を右腹部に付し元帥佩刀を佩用する。陸軍予科士官学校・陸軍幼年学校・陸軍少年飛行兵学校・陸軍少年戦車兵学校生徒など、階級を指定されない生徒は星章を付さない無地の階級章を佩用する(少年飛行兵では地質の色は緋色ではなく淡紺青色)。