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大谷翔平とは?

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大谷 翔平
ロサンゼルス・エンゼルス (マイナー)

北海道日本ハムファイターズ時代
(2013年3月6日)

【基本情報】

【国籍】
日本
【出身地】
岩手県奥州市
【生年月日】
(1994-07-05) 1994年7月5日(23歳)
身長
体重 6' 4" =約193 cm
203 lb =約92.1 kg
【選手情報】

【投球・打席】
右投左打
【ポジション】
投手外野手
【プロ入り】
2012年 ドラフト1位
【初出場】
NPB / 2013年3月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

【国際大会】

【代表チーム】
日本
プレミア12
2015年
この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手 テンプレート


大谷 翔平(おおたに しょうへい1994年7月5日 - )は、岩手県奥州市出身のプロ野球選手(投手外野手)。右投左打。MLBロサンゼルス・エンゼルス傘下所属。マネージメント契約はホリプロ(2016年12月 - )。血液型B型

投手と打者を共に本格的に行う二刀流であり、2014年にはNPB史上初となる「2桁勝利・2桁本塁打」(11勝、10本塁打)を達成。翌2015年には最優秀防御率最多勝利最高勝率の投手三冠を獲得。翌2016年には、NPB史上初の「2桁勝利・100安打・20本塁打」を達成。投打両方で主力としてチームのリーグ優勝と日本一に貢献し、NPB史上初となる投手と指名打者の2部門でのベストナインの選出に加え、リーグMVPに選出された。

又球速160km/hの日本のアマチュア野球最速投球記録、更に165km/hのNPB最速投球記録保持者である。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 プロ入り前
    • 1.2 日本ハム時代
    • 1.3 エンゼルス時代
  • 2 選手としての特徴
    • 2.1 投手
    • 2.2 野手
  • 3 二刀流に対する賛否
    • 3.1 二刀流賛成派
    • 3.2 投手専念派
    • 3.3 打者専念派
  • 4 人物
  • 5 詳細情報
    • 5.1 年度別投手成績
    • 5.2 年度別打撃成績
    • 5.3 年度別守備成績
    • 5.4 タイトル
    • 5.5 表彰
    • 5.6 記録
    • 5.7 背番号
    • 5.8 登場曲
    • 5.9 代表歴
  • 6 関連情報
    • 6.1 著書
    • 6.2 関連書籍
    • 6.3 出演
      • 6.3.1 CM
  • 7 脚注
    • 7.1 注釈
    • 7.2 出典
  • 8 関連項目
  • 9 外部リンク

経歴

プロ入り前

岩手県奥州市出身。社会人野球の選手だった父とバドミントン選手の母を持つ、スポーツマンの両親の末っ子として生まれる。「翔平」という名前は、父が奥州平泉にゆかりのある源義経にちなんで、義経の戦うと飛ぶイメージから「翔」の字を用い、平泉から「平」を取って名付けられた。

姉体小学校3年時に水沢リトルリーグで野球を始め全国大会に出場。当時の捕手が体が逃げてしまう程、球が速かったと語っている。小学校5年生にして110km/hを岩手県営野球場で記録している。水沢南中学校時代は一関リトルシニアに所属し、ここでも全国大会に出場した。

菊池雄星に憧れ、彼の出身校の花巻東高校へ進学。「日本一になる」「日本人最速となる163km/hを記録する」「ドラフトで菊池雄星を越える8球団から1位指名を受ける選手になる」事を目標に掲げた。入部後は監督の佐々木洋の「まだ骨が成長段階にある。1年夏迄は野手として起用して、ゆっくり成長の階段を昇らせる」という方針により、1年春は「4番・右翼手」で公式戦に出場。秋からエースを務め、最速147km/hを記録し、2年春には最速151km/hを記録し、「みちのくダルビッシュ」と呼ばれ注目を集める。第93回全国高等学校野球選手権大会初戦の帝京高校戦では骨端線損傷に因り右翼手として先発出場するが、4回途中から登板し、田中将大(駒澤大学附属苫小牧高等学校)に並ぶ甲子園での高校2年生最速タイ記録(当時)となる150km/hを記録。その後は治療に専念し、試合には打者限定で出場した。3年の第84回選抜高等学校野球大会では初戦の大阪桐蔭高校戦は、11四死球で9失点と大敗。3年夏の岩手大会の準決勝・一関学院高校戦ではアマチュア野球史上初となる最速160km/hを記録した。しかし決勝の盛岡大学附属高校戦では5失点を喫し、高校最後の全国選手権大会出場はならなかった。甲子園通算成績は14回を投げ防御率3.77、16奪三振。野手としては2試合で打率.333、1本塁打。

9月には第25回AAA世界野球選手権大会日本代表に選出され、主に四番・指名打者として起用された。5位決定戦の対韓国代表戦に先発し、7回を投げ2失点、12奪三振、最速155km/hも記録するも敗戦投手となった。9月18日、国内外問わずプロ野球選手になる為に必要なプロ志望届を提出した。

プロ野球ドラフト会議前には日本プロ野球だけでなくメジャーリーグ球団からも注目され、本人は当初「(アメリカか日本かは)五分五分」と語っていたが、ロサンゼルス・ドジャーステキサス・レンジャーズボストン・レッドソックスとの面談を経て、10月21日メジャーリーグへの挑戦を表明。会見では「マイナーからのスタートになると思うけれども、メジャーリーグに挑戦したい気持ちでいる。入学当初からの夢だった。若い内に行きたい思いがあった。日本のプロにも憧れはあったが、メジャーへの憧れの方が強かった」と語った。しかし、10月23日北海道日本ハムファイターズGM山田正雄が大谷をドラフト会議で1位指名する事を公表し、日本ハム監督の栗山英樹も「大谷君には本当に申し訳無いけれど、指名をさせて頂きます」と話していた。

2012年10月25日に行われたドラフト会議では北海道日本ハムファイターズが大谷を1巡目で単独指名し交渉権を獲得。指名後の会見では「びっくりしたし動揺もしました。でも、自分の気持ちは変わりません。評価して頂いたのは有り難いですが、アメリカでやりたいという気持ちは変わりません」と語り、指名挨拶のため日本ハムから訪問を受けた際にも面会しなかった。しかしその後、2度目の訪問で指名挨拶を受け、両親を交えた入団交渉も4度に渡って行い、3度目の入団交渉からは栗山も同席する。交渉では『大谷翔平君 夢への道しるべ~日本スポーツにおける若年期海外進出の考察~』と題された30ページに及ぶ資料が提示され、高校卒業後直接アメリカへ渡った韓国の野球選手がメジャーリーグで活躍しているケースが少ない点や、過酷なマイナーリーグの現状、母国のプロリーグで実力をつけた選手の方がメジャーリーグで活躍できる確率が高い点などが説明された。更にダルビッシュ有が使用していた背番号11、投手と打者の「二刀流」育成プラン等を提示され、12月9日に日本ハム入団を表明。25日に契約金1億円+出来高払い5000万円、年俸1500万円(推定)で仮契約を結んで入団会見した。背番号はダルビッシュ等も着用した「11」に決まった。会見後には札幌ドームで監督の栗山英樹と投打で1球勝負するエキシビションも行われた。

2012年11月に花巻東高校が岩手県内向けに放送した生徒募集のCMについて、同校が大谷を日本高等学校野球連盟(高野連)の承認を得ないで出演させていた事が2013年1月に判明し、日本学生野球憲章抵触のため高野連が実態調査に乗り出し、野球部部長が厳重注意を受けた。

日本ハム時代

2013年は春季キャンプでは投手と野手の練習メニューを並行してこなし、2月途中から一軍に合流。オープン戦や春季教育リーグでも投手、右翼手指名打者として出場。オープン戦では3月17日の対中日ドラゴンズ戦で山内壮馬から初本塁打を記録。3月21日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では投手として登板した後、打席に立ち、更に右翼手の守備に就いた。投手登録のまま打者として開幕一軍入りし、3月29日のシーズン開幕戦(埼玉西武ライオンズ戦、西武ドーム)では八番・右翼手で先発出場。高卒外野手の開幕戦先発出場は2011年駿太(オリックス・バファローズ)以来で、球団では1959年張本勲以来54年振り。開幕戦では2安打1打点を記録。高卒新人が開幕戦で複数安打を記録したのは1960年矢ノ浦国満(近鉄バファローズ)以来53年ぶり2人目。その後は下位打線で出場しながら二軍の試合で投手として調整していたが、4月13日のオリックス戦(ほっともっとフィールド神戸)で外野守備中に右足首を捻挫し、出場選手登録を抹消された。5月4日に復帰し、5月6日の西武戦(西武ドーム)ではプロ入り後初めて一番打者として出場。5月23日の東京ヤクルトスワローズ戦で投手として初登板、初先発。5回2失点で勝敗は付か無かったが、新人投手の初登板では史上最速となる157km/hを記録した。6月1日の中日戦で先発投手を務め、5回3失点でプロ初勝利を挙げる6月18日の広島戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)はセ・リーグ球団の主催試合で指名打者が使えないという事もあり、五番・投手で先発出場。先発投手が三~五番を打つのは1963年梶本隆夫(阪急ブレーブス)以来50年ぶり。投手としては4回3失点で降板したが、降板後に右翼手の守備に就き、打者としては安打1、打点1を記録した。7月10日の楽天戦(クリネックススタジアム宮城)では永井怜からプロ初本塁打を打つ。高卒新人でプロ初勝利とプロ初本塁打を記録したのは1967年江夏豊(阪神)以来、46年ぶり 。翌11日(楽天戦)の試合前練習中に外野をランニングしていたところ、フリー打撃の打球が右のこめかみ付近に直撃し試合を欠場、「右頬骨不全骨折」と診断されたが、その3日後の14日(千葉ロッテマリーンズ戦)で復帰し、大谷智久から自身初の代打本塁打・本拠地初本塁打・2試合連続本塁打となる2号本塁打を打った。オールスターゲームにはファン投票で外野手として初選出され、第1戦では5回から投手として登板し1回2安打無失点、最速157km/hを記録する投球を見せ、降板後は左翼の守備に就き、打席では2打数無安打。第2戦では高卒新人としてはオールスターゲーム史上初となる一番打者で起用され、第1打席でオールスターゲーム初安打となる二塁打を記録した。第3戦では、高卒新人としては1986年清原和博以来となるオールスターゲームでの打点を記録し、敢闘選手賞とスカイアクティブテクノロジー賞を受賞し、賞金100万円と賞品のマツダ車1台が贈られる。8月9日のロッテ戦では6回からプロ入り後初の救援登板。8月18日の福岡ソフトバンクホークス戦(帯広の森野球場)では五番・右翼手で先発出場し、8回からは投手を務め1回を1安打無失点に抑える。投手としては13試合に登板し、3勝無敗、防御率4.23を記録した。打者としては77試合に出場し、打率.238、3本塁打、20打点を記録した。

2014年3月30日のオリックス戦(札幌ドーム)でプロ入り初の猛打賞を記録。4月12日の西武戦(札幌ドーム)でプロ入り初の二桁奪三振とシーズン初勝利を記録。5月13日の西武戦(函館オーシャンスタジアム)では、9回を被安打6・奪三振9の内容でプロ入り初完封勝利。6月4日の広島戦(札幌ドーム)ではパ・リーグ史上最速の160km/hを計測。その後も6月11日の巨人戦(札幌ドーム)、6月18日の阪神戦(甲子園)、6月25日の横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)で最速160km/hを4試合連続、他球場でも計測した。20歳となった7月5日のロッテ戦では、プロ入り初の1試合2本塁打を記録。7月9日の対楽天戦(楽天Koboスタジアム宮城)では毎回の16奪三振で1失点の完投で8勝目。1試合16奪三振は、1980年木田勇と並ぶ球団タイ記録。毎回奪三振は自身初で、球団では史上10人目(13度目)。また1968年の江夏豊の20歳2ヶ月を更新する16奪三振以上のNPB最年少記録とした。オールスターゲームには前年の外野手に続き、投手として監督推薦で選出。投手と野手の両方で選出されるのは関根潤三以来2人目。7月19日の第2戦(甲子園)に先発登板し、1回裏に先頭打者の鳥谷敬への2球目でオールスターゲーム史上最速の162km/hを計測、この後、阿部慎之助への初球でも計測。公式戦を入れると、2008年の巨人のマーク・クルーン以来の史上2人目のタイ記録。1イニングを投げ、打者5人に対し3被安打1失点の内容で、全23球のうち12球で160キロ以上を記録した。試合は12対6でパ・リーグが勝利し大谷が勝利投手となるが、20歳0ヶ月での先発勝利は池永正明の19歳1ヶ月に次ぐオールスターゲーム年少記録となった。前半戦終了迄に7連勝していたが、後半戦最初の登板となった7月26日の楽天戦(コボスタ宮城)では8イニングを投げ被安打5、奪三振10、失点2の内容で勝敗はつかず、8月3日のソフトバンク戦(札幌ドーム)で日本人最速タイ記録の161km/hを計測したが、7イニングを投げ被安打9、失点2で敗戦投手となり連勝がストップ。8月26日のソフトバンク戦(福岡 ヤフオク!ドーム)で自身初の10勝目を挙げたが、同一シーズンで10勝と6本塁打を記録したのはパ・リーグ史上初。8月29日のロッテ戦(東京ドーム)で初回に自身初の2日連続となる8号本塁打を記録し、二桁勝利を挙げた投手としては1950年の藤本英雄(26勝)の7本塁打のNPB記録を更新した。9月7日のオリックス戦(京セラドーム大阪)で10号本塁打を記録し、NPB史上初となる「同一シーズンで二桁勝利と二桁本塁打」を達成した。10月5日の楽天戦(札幌ドーム)では初回に銀次への投球が球速162km/hを計測し、自己最速とNPBシーズン公式戦記録(2008年6月1日マーク・クルーンが記録)に並び、由規の日本人NPB最速と自らのパ・リーグ記録を更新した。10月11日クライマックスシリーズ(CS)ファーストステージ(オリックス戦)の第1戦(京セラドーム)でポストシーズン初登板初先発。2回には二死満塁からの2四死球で2点を取られたが、6イニングを3失点に抑えCS初勝利を挙げた。20歳3ヶ月の投手がCSで勝利するのは2009年の田中将大の20歳11ヶ月を更新する史上最年少記録。投手としては24試合に登板し、11勝4敗、防御率2.61を記録した。打者としては86試合に出場し、打率.274、10本塁打、31打点を記録した。オフには日米野球2014日本代表に選出。背番号は過去に涌井秀章等が着用した「16」に決まった。第1戦では中継ぎとして登板し、1回を三者凡退に抑えた。先発となった第5戦では4回2失点7奪三振という結果だったが敗戦投手になった。12月には高卒3年目選手では松坂大輔以来史上2人目となる年俸1億円(推定)で契約を更改した。

2015年、3月27日の楽天戦(札幌ドーム)で自身初の開幕投手を務め、5回2/3を被安打3、失点1、6奪三振に抑え勝利投手になった。5月14日の西武戦(西武ドーム)では、チームでは1979年高橋直樹以来となる完投勝利での開幕6連勝を飾った。一方で打撃面では低調で、4月1日の対ロッテ戦(QVCマリンフィールド)では先発の藤岡貴裕から野手では2試合目、6打席目でのプロ入り最速となる第1号本塁打を放つが、4月19日のソフトバンク戦ではプロ入り初の1試合4三振を記録した。オールスターには2位の牧田和久と28万票以上の大差をつけ、投手部門で選出。投手と野手でファン投票選出されたのは53年の投手部門、63年の外野手部門で選出された関根潤三(近鉄)以来2人目となった。オールスターには第1戦に先発し、結果は2回2安打1失点という成績だった。8月8日の楽天戦では自身初となるサヨナラ安打を記録した。8月18日、対ロッテ戦(QVCマリン)で9回12奪三振の完封で前年の11勝を上回る自己最多の12勝目を挙げた。最終的には10月6日のパ・リーグ全日程終了時点でハーラートップの15勝、防御率2.24、勝率.750で最多勝利最優秀防御率最高勝率の投手三冠に輝いた。高卒3年目での15勝到達は、球団では2007年ダルビッシュ有以来となった。一方野手としては年間通して低迷から抜け出せずにシーズン途中から指名打者を近藤健介に奪われる。最終的な打率も.202に終わる不本意な結果となった。10月9日に、WBSCプレミア12日本代表の最終ロースター28名に選出された事が発表された。プレミア12では投手一本で専念。プレミア12開幕戦の韓国戦で先発して、6回を2安打無失点に抑える活躍を見せて勝利に貢献した。日本はグループリーグを突破して準決勝の韓国戦でも先発し、7回を1安打無失点に抑えたがチームは3-4で敗れた。この好投を評価されてプレミア12のベストナインに選出された。この年はその他、8月17日に日本郵便北海道支社が大谷の写真を使った切手セットを北海道内で発売すると発表した。プロ野球選手の切手は前例があるが、日本ハムの選手では初めてとなった。

2016年、開幕投手を務めたが、打線の援護に恵まれず、先発した5試合で白星が無かった。先発6戦目となった5月1日のロッテ戦(QVCマリン)で9回を4失点で抑えてシーズン初完投初勝利を飾った。しかし、5月途中まで防御率3点台と、シーズン途中まで投手として調子が上向くまで時間を要した。 その一方で、このシーズンは打撃が好調。5月11日のオリックス戦(東京D)では相手先発東明大貴から、自身初の4試合連続の本塁打を記録した。5月29日、楽天戦(コボスタ宮城)ではパ・リーグ史上初となる指名打者を解除し、6番・投手としてスタメン入りをし、投手としては7回4安打1失点で3勝目をあげ、打者としては3安打1打点の猛打賞を記録した。6月5日の巨人戦(東京D)でルイス・クルーズへの投球で自身の持つNPB公式戦最速記録を更新する球速163km/hを計測した。7月3日、ソフトバンク戦(ヤフオク)では自身初となる1番・投手として先発して、打者としては初球先頭打者本塁打を放ち、投手としては8回10奪三振で抑え、自らで取った1点を守り切り8勝目(4敗)をあげる活躍をした。(投手のNPBにおける1番先発は1971年外山義明(ヤクルト)以来45年ぶり史上3人目だが、先頭打者本塁打は史上初。因みにMLBに置いても投手の先頭打者本塁打は過去に例がない。)6月は4勝0敗、奪三振41個、防御率0.29の成績で自身2度目となる月間MVPを受賞した。7月10日の対千葉ロッテマリーンズ戦で試合中にマメを潰してしまい途中降板。その影響で約2ヶ月の間、先発投手としての登板は無かった。マツダオールスターゲームでは投手としてファン投票に選出されたが、マメの影響で投げられない事が考慮され、異例の野手として出場が許可された。7月15日、オールスター第1戦試合前のホームランダービーでは一回戦で山田哲人、決勝戦で柳田悠岐を破り、優勝を果たした。7月16日、オールスターの第2戦では5番・指名打者として先発して、自身初のオールスター本塁打を放つ等MVPを受賞する活躍を見せた。7月24日の対オリックス・バファローズ戦で、3年振りとなるリリーフ登板で1回を無失点に抑え、プロ初ホールドを記録。9月7日の対ロッテ戦で約2ヶ月振りに先発投手に復帰すると、9月13日に対オリックス戦で、糸井嘉男への投球で自身の持つNPB公式戦最速記録を更新する球速164km/hを計測した。9月28日の西武戦(西武ドーム)で9回1安打15奪三振で完封勝利を挙げ、日本ハムの4年ぶりのリーグ優勝達成に貢献。この試合で10勝を挙げ、自身2度目の「同一シーズンで二桁勝利と二桁本塁打」を達成したどころか、NPB史上初の「10勝、100安打、20本塁打」を達成した。惜しくも規定投球回に後3回満た無かった為2年連続の最優秀防御率は逃した。クライマックスシリーズファイナルステージでは、第1戦に8番・投手として先発出場し2打数1安打、7回1安打6奪三振無失点で初勝利。第5戦では3番・指名打者として先発出場し9回にDH解除でリリーフ登板。自身初セーブを挙げ、4年振りの日本シリーズ進出を決めた。同試合では自身の持つNPB最速記録を更新する球速165km/hをマークしている。日本シリーズでは、第1戦(マツダスタジアム)に8番・投手として先発出場、6回3失点で敗戦投手となる。投手としてはこの1試合のみの登板となるが、打者としては第2戦に9回表に代打で出場、第3・4・5戦(札幌ドーム)では3試合とも3番・指名打者として先発出場する。特に第3戦では延長10回裏、2死2塁の場面で広島の大瀬良大地からサヨナラ適時打を放ち、チームのシリーズ初勝利に貢献した。チームはこの勝利から4連勝で4勝先取となり、自身初の日本一も経験した。優勝が決まった第6戦では出場機会が無かったものの、スコア4-4の同点、8回表2アウト満塁、打席に中田翔、次の打者が投手のバースという場面で大谷がネクストバッターズサークルで待機したが、後に栗山監督は「大谷を起用するつもりは全く無かった」と、相手投手ジャクソンに重圧を掛ける意図があった事を明かしている。結果的に中田は押し出し四球で、その後この回だけで計6得点が入った事に因り勝敗がほぼ決まった。10月18日に「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表に選出された。東京ドームで行われた11月13日のオランダ戦では、7回表に放った打球が右翼方向の天井に入り、ルールに因って二塁打となっている。因みにこれは、2002年に記録した松井秀喜以来となる。11月25日、パ・リーグのベストナインが発表され、史上初の投手と指名打者のダブル受賞を果たした。本来、ベストナイン投票規定では投手部門と野手部門の重複投票は禁止されていたが、今季の大谷の活躍を考慮し9月下旬に規則変更されていた。12月22日、ホリプロとマネージメント契約を締結した事を発表。

2017年、WBC日本代表に選出されるも足首の調子が悪く辞退。シーズンも怪我の影響で満足のいくプレーは出来ず、投手としてはプロ入り後ワーストタイの3勝、野手としても65試合出場、8本塁打という成績に終わっている。9月12日の楽天戦で通算40勝となり、史上4人目となる40勝・40本塁打を達成。最終登板となった10月4日のオリックス戦ではプロ野球史上66年ぶりとなる「4番・投手」で出場し、打席では4打数1安打、投球では10奪三振の完封勝利を記録。

オフの11月11日にポスティングシステムを利用してメジャーリーグに挑戦する事を表明した。11月29日に代理人を通じてMLBの全30球団に対し、「自身に対する評価」「今後の育成法」、といった内容を書き記した質問状を送付した。12月4日に書類審査の結果、候補とする西側海岸沿いを中心とする移籍先を7球団(シアトル・マリナーズロサンゼルス・エンゼルステキサス・レンジャーズサンフランシスコ・ジャイアンツロサンゼルス・ドジャースサンディエゴ・パドレスシカゴ・カブス)に絞ったと代理人が声明する。落選した球団には、ヤンキースやレッドソックスといった名門も多く含まれており、MLBファンの間で大きな反響を呼んだ。

エンゼルス時代

2017年12月8日(日本時間9日)にロサンゼルス・エンゼルスと契約合意に至ったと発表され、同日に球団側も大谷の獲得を表明し、背番号は「17」と発表された。翌9日(日本時間10日)にマイナー契約を結び、ルーキー級アリゾナリーグ・エンゼルスに配属され、本拠地のエンゼル・スタジアム・オブ・アナハイムで入団記者会見が行われ、日本ではその一部が日本テレビ系列の『シューイチ』内で生中継された。

2018年2月6日に、スプリングトレーニングに招待選手として参加することが決まった。

選手としての特徴

投手と打者を両立する「二刀流」選手。

パ・リーグ主催試合では指名打者を解除して先発投手ながら打席に入る場合や、セ・リーグ主催試合では先発投手ながら主軸を打つ場合もある。又投手としてのみ先発登板するケースや、野手としてのみ(主に指名打者や右翼手で)先発出場するケースの他に、投手として先発出場し降板後に野手として守備に就くケースや、野手として先発出場し途中の回から救援登板するケースもある。

投手

大谷の投球フォーム(2013年)

オーバースローから繰り出す、平均154.7km/h・最速165km/hのストレート、平均139km/hのフォークボール、鋭くブレーキのかかるスライダーを軸に、平均115km/hのカーブも投げる。高校時代はカットボールチェンジアップも混ぜた。

高校時代はフォームの安定やスタミナが課題とされていた。高校通算奪三振145に対し、与四死球61を記録するなど制球力にも課題があり、NPB通算与四球率は3.3に達している。日本ハム時代に捕手としてバッテリーを組んだ近藤健介は「リズムが出来てくればしっかりとコースにコントロール出来るが、四球から崩れるという失点パターンに注意している」と語っている。

野手

打席での大谷(2013年)

野手としても非常に優秀な選手であり、高校通算56本塁打を記録した抜群の長打力に加え、一塁到達まで3.8秒台の俊足、強肩を兼ね備える。

高校時代にはプロのスカウトから「高橋由伸タイプで三冠王を狙える素材」「松井秀喜以来の長距離打者」と評された。外角にも強くレフトへホームラン性の打球を飛ばす事が出来、逆方向への本塁打が多い。

指名打者の難しさについては「極端な言い方をすると、4回代打で出場する様なもの。如何に集中しながらゲームに臨むかが一番大事だと思います」と話している。

二刀流に対する賛否

先述の「二刀流」という起用法に関しては、専門家の間でも以下の通りに意見が大別している。

二刀流賛成派

長嶋茂雄

入団直後の大谷を見て、「バッターも良いけどやっぱりオレはピッチャーだな。とにかく彼はこれまでの日本人が持っていない物を持っている。何より体がいい。(身長も)194~5(cm)あるわけでしょう。それでいてあの身のこなしが出来る。あの動きを見ると、やっぱりMLBのピッチャーだなと思う」と投手派の意見を語っていたが、後に「今は(二刀流をやめろとは)言えないね、スケールが違う。二刀流のままでいい」と意見を変えている。

王貞治

将来的に投手と打者のどちらかに専念していくという見解を持ちつつも、「200勝、2000安打のどちらかなんて言わず、両方達成して名球会に来ればいい。二刀流を続けるというなら、それぐらいの意気込みでやってほしいよな」と語っている。

落合博満

「せっかく自分がやりたいと言っているのに、その芽を摘む必要がどこにあるのか。やらせてみて、結果責任は自分で取ればいい」と述べ、二刀流を推奨している。

松井秀喜田中将大

松井秀喜田中将大は、本人の意思を尊重した選択を勧めており、「可能なら両方続けたらいいし、いずれどちらかに決めるならそれもいいと思う」、「中々出来る事では無い。納得するまでやればいい」とそれぞれ語っている。

投手専念派

野村克也

当初は二刀流起用について「日本プロ野球界を舐めるな」と言った旨の意見を持っていたが、その後の活躍を見て翻意。二刀流を続ける事を勧めており、「あれだけのバッティングとピッチングが出来るなら、大賛成。今まで誰もやった事がない事をやるというのも、魅力である。『10年に1人の逸材』と呼ばれる者はよくいるが、プロ野球80年の歴史で、あんな選手は初めてだろう」と語っていた。しかし2017年4月のインタビューでは「『二兎を追うもの一兎をも得ず』にならないか」「ピッチャーは五体満足じゃなければ投げられない。全力投球は全身を使った仕事だから、どこのケガも本当はダメ。ただ、

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出典:wikipedia
2018/02/25 18:14

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