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大阪国際空港とは?

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大阪国際空港
Osaka International Airport
(伊丹空港 Itami Airport)

IATA: ITM - ICAO: RJOO
【概要】

【国・地域】
日本
【所在地】
大阪府豊中市
大阪府池田市
兵庫県伊丹市
【種類】
商業
【運営者】
関西エアポート株式会社
【運用時間】
7:00 - 21:00
【敷地面積】
311.9 ha
【標高】
12 m (39 ft)
座標
北緯34度47分04秒 東経135度26分21秒 / 北緯34.78444度 東経135.43917度 / 34.78444; 135.43917座標: 北緯34度47分04秒 東経135度26分21秒 / 北緯34.78444度 東経135.43917度 / 34.78444; 135.43917
【公式サイト】
Osaka Airport
【地図】

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ITM
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ITM
兵庫県の地図を表示
ITM
日本の地図を表示
大阪国際空港の位置
【滑走路】

方向
ILS
【長さ×幅 (m)】
【表面】

14R/32L | CAT I (32L側のみ) | 3,000×60 | 舗装
14L/32R | なし | 1,828×45 | 舗装

【リスト】

空港の一覧
ITM/RJOO
大阪国際空港の位置(大阪府より)
大阪国際空港付近の空中写真。(1985年撮影の6枚から合成作成)。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。
撮影時点では、後年に供用開始された新管制塔やW9高速脱出誘導路はまだ存在していない
上空から見た大阪国際空港(2014年)

大阪国際空港(おおさかこくさいくうこう、:Osaka International Airport)は、大阪府豊中市、同池田市兵庫県伊丹市にまたがる会社管理空港である。大阪空港(おおさかくうこう)あるいは伊丹空港(いたみくうこう、:Itami Airport)の通称でも知られる。かつては名実ともに国際空港であったが、現在は日本の国内線の拠点空港(基幹空港)として運用されている。近隣の関西国際空港神戸空港とともに関西三空港のひとつである。空港運営は関西エアポートが実施している。

目次

  • 1 概要
    • 1.1 利用状況
  • 2 歴史
    • 2.1 空港建設以前
    • 2.2 開港(「大阪国際空港」に至るまで)
    • 2.3 国際空港時代
    • 2.4 関西国際空港開港後
      • 2.4.1 3発以上のジェット機の乗り入れ制限
      • 2.4.2 橋下大阪府知事・大阪市長に関する動き
    • 2.5 関西国際空港との経営統合後〜現在
  • 3 施設
    • 3.1 ターミナルビル
      • 3.1.1 ラウンジ
    • 3.2 滑走路・誘導路
    • 3.3 航空管制施設など
    • 3.4 拠点がある機関
  • 4 運航路線
    • 4.1 北ターミナル
    • 4.2 南ターミナル
    • 4.3 統計
    • 4.4 運航都市
    • 4.5 休廃止路線
    • 4.6 国際線
      • 4.6.1 かつての就航路線
      • 4.6.2 関西国際空港開港後
  • 5 発着枠
    • 5.1 ジェット機枠
    • 5.2 低騒音機枠
    • 5.3 経緯
      • 5.3.1 発着枠の制限
      • 5.3.2 プロペラ機枠
      • 5.3.3 長距離国内線の規制
      • 5.3.4 経営統合と規制緩和
  • 6 交通
    • 6.1 鉄道
    • 6.2 バス
    • 6.3 道路
    • 6.4 アクセスに関する動き
      • 6.4.1 大阪国際空港との鉄道接続構想
      • 6.4.2 LRTの新設
  • 7 眺望ポイント
    • 7.1 ターミナルビル
    • 7.2 伊丹スカイパーク
    • 7.3 スカイランドHARADA
    • 7.4 千里川原田進入灯橋付近
    • 7.5 エアフロントオアシス下河原
    • 7.6 周辺の山岳
    • 7.7 その他
  • 8 対策協議会
    • 8.1 対策協議会の歴史
  • 9 事件・事故・インシデント
  • 10 脚注
    • 10.1 注釈
    • 10.2 出典
  • 11 関連項目
    • 11.1 周辺地域
    • 11.2 歴史関連
    • 11.3 空港を題材とした作品
  • 12 外部リンク

概要

大阪市北北西約12kmにあり、京阪神都市圏のほぼ中心に位置する日本の国内線の基幹空港。空港法上の拠点空港であり、航空法上の混雑空港に指定されている。国内線用の空港として運用され、国際線の旅客・貨物便は就航していない。

1939年に開設された大阪第二飛行場が前身。1959年から空港整備法上の第一種空港となり、1970年代には国際線が多数就航する国際空港として発展したが、騒音などの公害問題で住民訴訟が相次ぎ、地元自治体などが空港廃止を求める事態になった。国は、周辺環境対策の一環として航空機の機材や発着枠、運用時間などの制限を設けるとともに、空港廃止も視野に新たな空港の整備を進めた。1990年には、地元自治体などが空港存続に方針を転換。1994年には、すべての国際線が新たに整備された関西国際空港に移転したが、国内線用の空港として存続した。2008年の空港法改正で、国際航空輸送網又は国内航空輸送網の拠点となる「拠点空港」に位置づけられた。

滑走路クロース・パラレルで、A滑走路 (1,828 m) とB滑走路 (3,000 m) の長短2本が整備されている。周辺市街地の環境対策として、運用時間は7時から21時まで、1日の発着回数は370回(ジェット機200回、低騒音機170回)までに制限されている。また、空港周辺には緩衝緑地などが設けられている。

他空港と比較して運用時間の制約が厳しいこともあり、定時運航の面で優れた実績をあげている。2008年1月にフォーブス電子版が発表した世界の空港の効率性に関する番付で、「定刻通りに出発できる効率的な空港」第1位に選ばれた。加えて、1日200回以上の発着回数規模の空港を対象としたFlightsStats社の定刻運航賞も受賞している。その一部門であるアジアの主要空港における出発実績賞を2010年に、同じくアジアの地域空港における出発実績賞を2011年に、それぞれ連続受賞した。2010年・2011年ともに、定刻運航賞のすべての部門の受賞空港のなかで、最も優秀な定刻出発率となっている。2015年度には、英国の調査会社OAGによる空港の定時運航率ランキングで、定時運航率93.85%で小規模空港の世界一となった。

空港法上の正式名称は「大阪国際空港」で、これは国際線移転後も、「国際空港」の名称を据え置くよう地元自治体などが希望したためとされる。このほか、大阪空港(おおさかくうこう、英:Osaka Airport)の名称が広く用いられているほか、旧称の伊丹飛行場と伊丹ベースに由来して伊丹空港(いたみくうこう、英:Itami Airport)とも呼ばれている。単に「伊丹」でも通用する。

空港の設置・運営・管理は、2008年まで第一種空港として国が行い、費用を全額負担していたが、2008年6月の空港法改正により旧・第二種空港相当となり、地元自治体が一部負担をするようになった。2012年7月1日、関西国際空港との経営統合に伴い、空港の設置・運営・管理は特殊会社新関西国際空港株式会社に移管され、2016年4月1日からは、運営権を取得した民間会社の関西エアポート株式会社が、関西国際空港と一体的に運営・管理している。

敷地は大阪府豊中市池田市及び兵庫県伊丹市の2府県3市にまたがり、ターミナルビルと事務所等は主に豊中市に、滑走路等は池田市と伊丹市に配されている。空港ターミナルビル大阪モノレール線大阪空港駅エプロン付近では、これらの府県・市の境界が複雑に入り組み、飛地が無数に点在している(#空港建設以前を参照)。

マスコットは、飛行機をモチーフにした「そらやん」で、開港75周年を記念して2014年に製作された。2018年3月31日からは関西エアポートグループ全体の公式キャラクターとなっている。

利用状況

年間利用客数は1500万1,396人(2016年度)で、旅客数と着陸回数は日本の空港で第7位、関西三空港では関西国際空港に次ぐ第2位となっている。国内線だけで見ると、旅客数・着陸回数ともに関西三空港で最も多い。大阪市などのオフィス街へのアクセスの良さから、特にビジネスマンの需要が高い。

歴史

本節「歴史」では、大阪国際空港とその周辺の歴史と現状、および他の関西三空港(関西国際空港・神戸空港)などとの関連について、大阪国際空港の記述を主軸に解説する。

空港建設以前

本節「空港建設以前」では、後の大阪国際空港が設置される前の、現在の大阪府豊中市・池田市と兵庫県伊丹市の境界付近の地域の歴史について、上述の飛地が生まれた経緯などを中心に、解説する。

近世以前

奈良時代には、本地域は摂津国に属していた。当時は一帯は田園地帯であった。これらの田畑は、条里制のもとに管理されており、一帯の農地は直線状に張り巡らされた用水路などによって区画整理されていた。なお、条里制によるこの区画整理の名残が、今日の飛地の境界線が直線による矩形状になっていることの由来であるとされている。これらの農地が飛地となる転機は、安土桃山時代太閤検地であった。太閤検地では、農地からの徴税システムを管理しやすくするために、農地の所有者や所属惣村の確定作業が行われた。このとき、農地管理の都合上、大きな村が細かく小さな多数の村に分割されることになった。ある農地の所有者は、この太閤検地の結果、所有する田畑が別の村の所属になることもあった。このような別の村の田畑になってしまった土地を代々相続していくうちに、これらが飛地となってしまったとみられている。この状況に加え、飛地の発生に一層の拍車をかけたのは、江戸時代の村の合併であった。太閤検地で大きな村が分割された際に、無数にできた小さな村は、似たような名称をもっていた。この名称が混乱をもたらした原因であった。例えば、現在の池田市である場所には、西今在家村と東今在家村が存在し、これらが江戸時代に合併して、今在家村になった。ところが、現在の豊中市である場所にも、同名の今在家村があった。そのため、2つの今在家村が存在することになった。これらの村境の管理も曖昧で、その結果、さらに飛地を生み出す結果となった。なお、混乱解消のために当時には、現池田市の今在家村は北今在家村、現豊中市の今在家村は南今在家村に改名した。左記の例を含むこのような合併による土地の再編成が、当時は繰り返されたという。その結果生まれた飛地は、江戸時代や明治時代の文献で確認されている。例えば、池田市にある正智寺所蔵の絵図の「享保十六年小坂田村絵図」には、1731年時点の小坂田村(現・伊丹市)の飛地が示されている。

近代以後

このようにして生まれた飛地を有する村々は、近代には現在の豊中・池田・伊丹の3市に合併していき、飛地も継承されていった。これら3市への合併当時も、市境の管理は曖昧なままであったが、これを確定させたのは現代になってからである。大阪国際空港が建設され、その拡張工事が実施された1967年に、必要に迫られて境界を確定させて、ようやく現在の姿になった。

現在の飛地は、すべて豊中市の内部および辺縁部にあり、そこには、池田市の飛地が6箇所と伊丹市の飛地が1箇所ある。池田市の飛地の中には、豊中市の二重飛地も1箇所存在する。一般的に飛地の居住者の一部は、行政サービスの水準などが「本土」の居住者より低下することがある。また、固定資産税などの管理も飛地では複雑となる。しかしながら、大阪国際空港には官民を含む多くの労働者はいるが、空港に居を構える者はおらず、境界確定当時の大阪国際空港の土地は国有地だったので、固定資産税なども発生しなかった。これらの事情から、豊中・池田・伊丹の3市は、これらの複雑な境界線や飛地を解消しようとはしなかったのである。2012年に、大阪国際空港の土地は新関西国際空港が所有する私有地となり、これら3市に対して固定資産税が発生することになったが、現在も飛地はそのままである。なお、空港管理事務所によると、このような飛地の存在による航空機等の運航への支障はない。

余談だが、関西国際空港も飛地を抱えている。関西国際空港島の対岸の3自治体(大阪府泉佐野市田尻町泉南市)の境界線が、海を越えて空港島まで延長されて、関西国際空港を直線的に3分割している。これは、泉佐野・田尻・泉南の3市町が固定資産税などを公平に徴収するためなどに、このような措置が取られているとされる。

開港(「大阪国際空港」に至るまで)

1950年代の伊丹エアベース

近畿地方の主要な国内線が発着する基幹空港である現在の大阪国際空港は、1939年(昭和14年)1月17日に、大阪第二飛行場として、兵庫県川辺郡神津村(現・伊丹市の一部)に開設された。大阪第二飛行場は、当時の木津川飛行場の新規移転先であった。当初は、軍民共用飛行場として大日本航空三菱MC-20中島AT-2ロッキードL14ダグラス DC-3なども就航していた。

太平洋戦争(第二次世界大戦)中は軍用飛行場伊丹飛行場(通称:摂津飛行場)となり、大阪府中河内郡大正村の大正飛行場(現在の八尾空港)や兵庫県加古郡尾上村加古川飛行場とともに、近畿圏における主要飛行場として陸軍が使用した。大戦後期の本土空襲時には、三式戦闘機「飛燕」を装備する飛行第56戦隊などが伊丹飛行場に駐屯し、大正駐屯の飛行第246戦隊(二式単座戦闘機「鍾馗」四式戦闘機「疾風」装備)などの飛行戦隊とともに京阪神大都市圏の防空に活躍した。

1950年代後半、国道176に掲示された伊丹エアベース入口ゲートサイン

敗戦後は占領軍に接収され、伊丹の名称を継承して、伊丹エアベースと名付けられた。現在広く用いられている大阪国際空港の通称である伊丹空港は、この時に定着したと言われている。接収解除後、1958年3月18日に大阪空港として再開港した。1959年7月3日には、第1種空港として国際路線を開設し、同時に大阪国際空港に改称した。

1960年代以降の高度経済成長期には、大阪市近郊の市街地が拡大し、大阪国際空港の周辺もベットタウン化の波が押し寄せた。同じころ、離着陸回数の増加や航空機の大型化・ジェット化が進み、1964年6月1日よりジェット機の乗り入れが開始した。ボーイング707ダグラス DC-8コンベア880などの大型ジェット機が相次いで就航した。これに対応して、1969年2月1日には現・旅客ターミナルビルが、1970年2月5日には3,000 mのB滑走路(14R/32L)が、それぞれ供用開始され、現在の大阪国際空港がほぼ完成した。なお、当時完成したばかりの空港ターミナルビルは、第11回BCS賞を受賞した。

またこの時期に、1962年のワイズマン報告書の関西新空港建設の提唱や、増え続ける航空需要に対してこれ以上の拡張が困難な大阪国際空港の現状を考慮して、新空港建設が検討されはじめ、現在の関西国際空港の計画へとつながっていく。

国際空港時代

1970年代の国際線ターミナル(現在の南ターミナル)

3,000 m級滑走路を整備し、1970年の大阪万博を迎え、大阪国際空港は国際空港としての全盛時代を迎えた。1970年代には、国内外の航空会社が相次いで新規参入・新規路線就航し、年間利用者数が1,000万人を越え、年間発着回数は15万7,000回(1971年)に達し、大いに賑わいを見せた。この頃には、滑走路以外の空港施設も充実し始め、各社の整備センターやハンガー、エンジン試運転用遮音壁、防音壁などが設置された。

しかし、空港の活性化と同時に、周辺地域との間に騒音や排気ガスなどの公害問題が発生した。空港周辺の環境悪化をうけて、1969年以降、空港周辺住民が夜間の飛行差し止めなどを求めて国を相手に訴訟を起こした。また、伊丹市が1973年10月1日に大阪国際空港撤去都市宣言を掲げたり、空港にジャンボ機が発着すると騒音測定を実施するなど、終始緊迫した状態が続いた。これをうけて、夜間飛行の制限や発着回数の見直しが行われた。1975年12月12日からは、民間機の7時以前・21時以降の離着陸が禁止された。この“門限”(カーフュー)が設けられて以来、21時以降に離着陸するいわゆる“門限破り”が発生すると、翌日の新聞でベタ記事になるほどだった。このような状況のなか、1974年8月13日の運輸省(当時・現国土交通省)の航空審議会(現・交通政策審議会航空分科会)答申では、当時建設に向けて動き出していた関西国際空港について、「関西国際空港は、大阪国際空港の廃止を前提として、その位置及び規模を定める」と明記された。こうして、関西国際空港は、近畿圏の航空交通網の拡充装置としてのみならず、大阪国際空港の騒音問題を解決し、その受け皿となる代替空港としての使命を帯びるようになっていった。この答申は、関西国際空港開港後の大阪国際空港の廃止を匂わせるものであったが、運輸省が公式に大阪国際空港の廃止方針を定めたというものではない。運輸省はこの答申について、直後から「仮に同空港が廃止されても、その機能を十分に果たしうる新空港の建設を推進すること」という意味合いであるとの見解を述べており、大阪国際空港の廃止を選択肢の一つに入れつつも、同空港の存続にも含みをもたせた、将来の情勢変化を見据えた政策をとることになった。その結果は後述のとおりで、その後の大阪国際空港を取り巻く情勢は変化し、大阪国際空港は関西国際空港開港後も存続することが決定している。

関西三空港の経緯と現状#過去の経緯」も参照
大阪空港訴訟」も参照

1977年10月1日からは、1日の離着陸回数が370回まで(内訳はジェット機枠が200回、プロペラ機枠が170回)と制限された。後年、プロペラ機枠においては、暫定的な経過措置として代替ジェット枠(YS-11代替枠やボンバルディア CRJ枠など)の特例が存在し、その後一部のジェット機も利用可能な低騒音機枠への転換が行われたが、1977年に決定された「1日合計370回」という総発着枠は2017年まで変更されていない。発着回数が年間13万5,000回(1日370回)に制限された状態での空港運用となったが、空港利用者数は増加を続け、1980年代には年間利用者数が2,000万人を超えた。DC-10ボーイング747ボーイング767などの新型機が導入されるなど、航空機の大型化がさらに進んだ。同時に、航空機の低騒音化や空港内外の防音設備の整備も進められ、大阪空港訴訟和解成立するなど、1980年代は空港と周辺住民の調和に向けて前進をはじめた時期でもあった。

そんな中、1985年8月12日には大惨事が起こった。同日、日本航空ボーイング747SR-100型機(JA8119)東京(羽田)発大阪(伊丹)行・JAL123便として飛行中に相模湾上空で操縦不能に陥り、約30分間の迷走飛行後に群馬県山中に墜落し、死者520名と重傷者4名を出した(日本航空123便墜落事故)。JAL123便の目的地であった大阪国際空港には、多くの関係者が詰めかけた。なお、JA8119型機の墜落事故の遠因とされるしりもち事故は、1978年6月2日に大阪国際空港で起こっており、このときの修理不良が123便の墜落事故の原因となった。

1987年、泉州沖に建設地が決まった関西国際空港の建設工事が着工され、近畿の航空業界は新時代へ向けて歩みを進め始めた。1990年に入り、関西国際空港の開港が間近に迫ると、運輸省は大阪国際空港周辺の調査を行った。その結果、運輸省は、近畿経済圏における大阪国際空港の重要性や、都市型空港であるが故の利便性の高さ、国家的な交通戦略上の大阪国際空港の必要性などを確認していた。これらの調査結果をうけ、運輸省は関西国際空港開港後の大阪国際空港の存続方針を固めていた。またその当時、それまで大阪国際空港の廃止を掲げていた関連団体や住民は一転して、大阪国際空港の利便性の良さ・空港がもたらす経済効果などから、騒音問題の改善も手伝って、大阪国際空港の存続を求める機運を高めていた。このような背景から、大阪国際空港の存続を運輸省が地元自治体に打診し、地元はこれを受諾した。その結果、1990年12月3日には、大阪国際空港の存続及び今後の同空港の運用等に関する協定(いわゆる存続協定)が、大阪国際空港騒音対策協議会(後の大阪国際空港周辺都市対策協議会;通称11市協、詳細は当該項目および#対策協議会を参照)と運輸省との間で結ばれた。こうして、大阪国際空港は関西国際空港開港後も存続することが決定した。また当時、大阪国際空港は地方を中心に新路線開拓や増便が行われ、関西国際空港開港後の国内線専用空港としての運用を見据えた路線展開が、この時期に行われていた。

泉州沖に建設された関西国際空港(画像は2007年時点のもの)

1994年に入り、関西国際空港の施設はほぼ完成し、後は9月の開港を待つのみとなった。大阪国際空港の国際線の関西国際空港への移管に先立ち、6月には大阪国際空港のIATA空港コードがOSAからITMに変更された(OSAは引き続き大阪国際空港・関西国際空港に共通の大阪のIATA都市コードとされた)。関西国際空港開港前日の9月3日、大阪国際空港の最後の国際線となった大阪(伊丹)発グアム行の日本航空のチャーター便を含む『伊丹空港サヨナラフライト』を送り出して、1960年より続いてきた「国際空港」としての大阪国際空港の歴史は、この日をもって終了した。なお、この便の復路は、翌日のグアム発関西国際空港行であった。このサヨナラフライトには、大阪国際空港長室に飾られていたDC-6B模型航空機と関西国際空港長へ宛てた親書が積み込まれており、これらは翌日に到着した関西国際空港で空港長に届けられた。

関西国際空港開港後

国内線の基幹空港としての再出発

1994年9月4日、近畿圏第2の主要空港として関西国際空港が開港し、大阪国際空港からすべての国際線と全体の2割の国内線が関西国際空港へ移った。なお、概ね1000km以上の長距離路線は基本的に関西空港に展開すると定められた。これより、大阪国際空港は国内線の基幹空港として運用が開始されたが、関西国際空港開港直後は、大阪国際空港は旅客数・便数ともに減少し、かつての賑わいは失われた。しかし、大阪国際空港の方がアクセス利便性が勝ることや、関西国際空港への一部国内線の移管に合理性がないことなどから、2002年頃より北海道沖縄方面などの長距離便を含め、大阪国際空港への復便や開設が相次ぎ、2000年代中頃には、大阪国際空港はかつての国内線の旅客数・便数に並ぶ実績をあげた。

関西国際空港開港の翌年の1995年1月17日には、阪神・淡路大震災が発生した。大阪国際空港では、滑走路や誘導路に亀裂が生じたほか、空港ターミナルビルなどが損傷する被害を出した。しかし、航空機の運航には支障は出なかったため、その日のうちに、警視庁消防庁自衛隊アメリカ軍政府チャーター便が被災地支援に多数飛来した。加えて、大阪国際空港の平時の運用時間(7時 - 21時)外となる21時台に、特別措置として臨時便を運航させた。この措置は2月7日 - 4月17日の期間続けられ、復興を支援した(なお、2011年の東日本大震災の復興支援時にも、同様の措置が取られ、大阪国際空港において、発着枠を超える運用や21時を過ぎる遅延便への柔軟な対応がなされていた。)。

ターミナルビル屋上(ラ・ソーラ)のガーデニング
ターミナルビル屋上からの大阪市内方面の遠景

震災からも復興し、前述の大阪国際空港の再活性化にあわせるように、1999年にはターミナルビルが大改装された。1969年に供用開始された既存建物をそのまま活用しつつも、新築建物並みのサービス提供を実現したことや、屋上のデッキ(ラ・ソーラ)のガーデニングが評価され、2000年12月11日に第20回大阪都市景観建築賞の奨励賞を受賞した。空港周辺施設の整備もすすみ、1997年4月1日の、大阪モノレール線大阪空港駅の開設をはじめ、緩衝緑地の公園化などが相次ぎ、地域と密接した空港づくりの努力が行われている。

一方で、2000年代に入り、関西国際空港の経営は巨額の負債に苦しめられていた。また、空港の運用実績の指標となる発着回数も伸び悩んでいた。このころ時を同じくして2000年代に、国土交通省は大阪国際空港周辺の環境対策(騒音軽減)を理由に大阪国際空港の機能を制限し始めた。具体的には、大阪国際空港で利用する航空機の小型化や、大阪国際空港に就航している長距離国内線の関西国際空港などへの移転などが挙げられる(下記参照)。これらの措置については、大阪国際空港の環境対策を名目にしているものの、実際は、発着回数が伸びず財政難にも苦しむ関西国際空港へ配慮であり、大阪国際空港の航空便・旅客を関西国際空港へ行政主導で移転させる、あからさまな関西国際空港の救済策であると、複数の報道機関・航空関係者・有識者らが指摘した。

2004年9月29日、国土交通省は、上記の理由により段階的に大型機の乗り入れ規制を強化し、YS-11代替枠やボンバルディア CRJ枠を縮小・廃止した。さらに2005年からは、3発以上のジェット機の乗り入れ制限(後述)が行われた。また、2005年から2006年にかけては、「飛行距離が1,000 kmを越える路線」の他空港への移管が国土交通省の方針のもと行われた。女満別空港便・旭川空港便・函館空港便が関西国際空港に、石垣空港便が神戸空港に移管された。さらに、大阪国際空港の新千歳空港便と那覇空港便を減便し、その減便分を関西国際空港便・神戸空港便に振り替えた。この飛行距離による制限には、上述のジャンボジェット機制限のような騒音との合理的な理由がなく、理不尽なものであるとの批判があった。また、同措置に対しては大阪国際空港利用者の84%が反対と回答しており、大阪国際空港近隣居住者のみならず、北海道沖縄県居住者らも「利便性が低下する」と反対していた。これらをうけて、2011年には、空港周辺の豊中市や池田市、伊丹市が、北海道や沖縄県、鹿児島県の自治体と共同で、大阪国際空港からの国内長距離便の増便や復活を求める要望書を国土交通大臣に提出した。さらに、要望書では、低騒音のジェット機を発着枠に余裕があるプロペラ機枠としてカウントすることなどを求めていた。大阪国際空港の地元や就航先の航空利用者・関係者のこれらの要望の一部は、2012年の関西国際空港との経営統合を機に、実現されることになった({#関西国際空港との経営統合後〜現在)。

前述の存続協定が結ばれた頃には、既に周辺自治体は大阪国際空港との共存方針に舵を切りはじめていたが、時を経て、空港との共存に対応した様々な変更が行われている。存続協定から17年後となる2007年4月1日、空港の周辺環境の改善などをうけ、伊丹市は、前述の大阪国際空港撤去都市宣言から方針を大幅転換した大阪国際空港と共生する都市宣言を採択し、かねてからの空港との共存路線を改めて宣言した。さらに、「時代の流れである」として、大阪国際空港近隣の同市を含む大阪府・兵庫県の11市から構成される11市協が、その正式名称を「大阪国際空港騒音対策協議会」から「大阪国際空港周辺都市対策協議会」へ変更した。

国が管理運用していた時代は、空港整備特別会計の空港別の財務状況において、数少ない黒字空港で、特に2006年度分の空港別の財務状況では、43億円の黒字を計上していた。この大阪国際空港がうみだす利益は、負債を抱える関西国際空港との統合において、業界関係者によって着目されることになった(#関西国際空港開港後〜現在を参照)。

関西三空港の経緯と現状」も参照

空港施設に視点を転ずると、2000年代半ば頃からは、大阪国際空港の「地域と密接した空港づくり」はさらに促進され、新規テナントカルチャースクールの進出がさらに進んだ。航空利用者のみならず、周辺地域の一般客を呼び込む、レジャー施設としての要素を取り入れ始めた。さらに、空港ターミナルビルの再々改修が行われ、老朽化していた中央ブロックなどが新しく生まれ変わった。中央ブロックでは、大阪エアポートホテルは、2010年3月25日に改修を終えて大阪空港ホテルとして再開した。

また空港周辺では、2000年代半ば頃まで、B滑走路(14R/32L)の14R端付近の中村地区に、航空法の告示範囲内に300世帯の住宅等が乱立していた。住民との協議の末にこれらの住宅などの移動が完了し、2009年5月に跡地に整備された道路が開通し、残りの跡地も整備が行われた。これにより、告示範囲内に違法占拠している住宅等はなくなった。

大阪国際空港の再国際化を模索した動きもみられている。2010年7月9日、中国東方航空エアバスA320により上海浦東国際空港への国際線チャーター便が運航された。運航にあたっては、ひょうごツーリズム協会が費用を負担した(詳細は#関西国際空港開港後の国際線を参照)。また、2011年11月4日、ひょうごツーリズム協会は中国国際航空ボーイングB737-800により、広東省旅游文化節にあわせての観光PRとして大阪国際空港から広州白雲国際空港へ向けてのチャーター便も運航し、これは11月7日に帰国した。

上記の兵庫県による国際チャーター便の運航に関する動きや下記の#橋下大阪府知事・大阪市長に関する動きなどをうけて、大阪国際空港と他の関西三空港のあり方について、各方面で議論が起こることになった。これまで大阪国際空港と関西国際空港、神戸空港は、限られた旅客や航空便などのパイを取り合い、互いの足を引っ張り合う競争関係にあった。これを改めて関西三空港が相互補完をして、航空需要の掘り起こしを行うべきだとの意見などが現れ、やがて、大阪国際空港と関西国際空港の一体経営などが模索された。これには、関西国際空港の抱える巨額の負債を大阪国際空港の利益で補填し、関西国際空港の国際競争力を高めるという狙いもあった。やがて、国土交通省や関係機関は、下記の新関西国際空港株式会社の設立へと動き出し、両空港の経営統合に向けての準備が進められた。関連法の整備も進み、2011年5月17日には、関西国際空港及び大阪国際空港の一体的かつ効率的な設置及び管理に関する法律国会で可決・成立し、経営統合が現実のものとなった。

3発以上のジェット機の乗り入れ制限

エンジンが3基ある日本航空のマクドネル・ダグラスDC-10-40と4基ある全日空のボーイング747
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出典:wikipedia
2018/05/28 10:21

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