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天皇とは?

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  • 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2015年10月)
  • 一次情報源または主題と関係の深い情報源のみに頼って書かれています。(2017年2月)

日本
天皇
天皇旗

【在位】


第126代天皇
徳仁

2019年(令和元年)5月1日より
【詳細】

【敬称】
天皇陛下
【第一順位継承者】
秋篠宮文仁親王(皇嗣)
【初代】
神武天皇
【成立】
神武天皇即位元年1月1日
(西暦紀元前660年2月11日)
【宮殿】
〈公務〉
皇居 宮殿
(東京都千代田区)
〈住居〉
赤坂御用地 赤坂御所
(東京都港区)
【ウェブサイト】
宮内庁
称号: 天皇


【敬称】
陛下
His Majesty the Emperor
または
His Imperial Majesty (H.I.M.)
皇室




天皇(てんのう、: emperor)は、日本国憲法に規定された日本国および日本国民統合の象徴たる地位、または当該地位にある個人。7世紀頃に大王が用いた称号に始まり、歴史的な権能の変遷を経て現在に至っている。

2019年(令和元年)5月1日より在位中の第126代天皇は徳仁(第125代天皇明仁第1皇男子)。

皇位の象徴である高御座

概要

公務を行う天皇明仁(在位当時)
徳仁の即位を祝う一般参賀、宮殿長和殿(2019年5月4日)
一般参賀に出席する天皇徳仁、皇后雅子秋篠宮文仁親王(2019年5月4日)

「てんのう」は、「てんおう」の連声(れんじょう)とされる。古代の日本では、ヤマト王権の首長を「大王」(オオキミ)といったが、天武朝ごろから中央集権国家の君主として「天皇」が用いられるようになった。「天皇」は大和朝廷時代の大王が用いた称号であり、奈良時代から平安時代にかけて政治祭祀の頂点だったが、摂関政治院政武家の台頭により政治的実権を失っていった。室町時代には多くの宮中祭祀の廃絶もあり劣位となったが、「江戸時代末に尊王論が盛んとなり、王政復古明治憲法における天皇制へとつながった」といわれる。

明治憲法上は、天皇は神聖不可侵であること(第3条)、国の元首であり、統治権を総攬すること(第4条)が規定されていた。

百瀬孝は、「神聖不可侵」とは、天皇の神格化のことではなく、不敬行為を許さぬこと、政治上の責任を負わないこと(天皇無答責)、一般に国法の適応(特に刑事上の責任)を負わないこと、皇位を廃することは不可能であることという4つの法律的内容を持つとし、神聖不可侵性は君主が持つ本来的な性格であり、日本特有のものではなく、国際法上元首には神聖不可侵性が現在でも保証さるべきものとされていると主張する。一方、新田均は「現人神」「唯一神」「唯一天皇」「総」「絶対至尊」といった類の呼称もされ、こうした天皇を全世界・全宇宙頂点とする価値観は「八紘一宇」「天皇総帝論」「唯一の思想的原動力」「国家社会主義」「純なる日本的世界観」「大和民族の宿」「惟神(かんながら)的世界観」とのように呼称されていたと主張する。(詳細は天皇#一神教・国家神道を参照。)

戦前には「皇帝」と「天皇」が併用されていたが、1936年(昭和11年)には「天皇」で統一された。

戦後の日本国憲法においては「日本国および日本国民統合の象徴」と規定された。天皇は憲法が限定的に列挙している国事行為のみを行い、国政に関する権能は一切ない(第4条第6条 - 第7条)。国事行為は国家意思形成に関わらない形式的・儀礼行為であり、天皇が国事行為を行うには常に内閣の助言承認が必要であって、内閣は自らの助言と承認に責任を負う(第3条)。天皇は国事行為の責任を負わないが、民事責任は負っている。天皇の刑事責任を免責する明文規定は無いが、摂政はその在任中は訴追されないと定める皇室典範21条から、天皇もその在位中は訴追されないとの類推がある。

明治憲法においては天皇を元首とする明記があったが、現行の日本国憲法には元首の規定はなく、そのため日本の元首について様々な見解がある。象徴天皇を元首とする説、実質的機能を重視し内閣(または内閣総理大臣)を元首とする説、元首は不在とする説等がある。条約締結や外交使節任免および外交関係処理の権限をもつ内閣を元首とするか、内閣を代表する内閣総理大臣を元首とする学説が多い。内閣法制局は「日本国憲法においては天皇を元首であるといっても差し支えない」「天皇は限定された意味で、国家元首である」とする一方、最終的には定義によるとしている。国際慣行上は天皇が元首として扱われている。

日本の元首」も参照

日本国憲法下の天皇が君主に該当するかどうかについても議論がある。君主とは伝統的に、国家で特定の一人が主権を持つ場合のその主権者であり、帝王天子・皇帝・きみなどとも言われる。『日本大百科全書』は、天皇は通常の立憲君主の権限は無いとし、『法律用語辞典(第4版)』は、象徴天皇と元首天皇を別としている。また『国史大辞典』は法制上、象徴天皇は君主ではないとしている。一方佐々木弘道は、象徴天皇制をイギリス立憲君主制に比して、君主権力がよりいっそう消極的な、日本独特の君主制とする。佐藤功は「国民主権下の君主制」と呼ぶのが適当であろうとしている。清宮四郎イギリスの君主に比べて権限が制約されているものの、歴史的に見て君主と言ってもあえて誤りというほどのものではないとしている。内閣法制局の見解では「日本は共和制ではないことはまず明らか」「立憲君主制と言っても差しつかえないが、明治憲法下における統治権の総攬者としての天皇をいただくという意味での立憲君主制ではない」としている。

象徴天皇制#「君主」に関する議論」も参照

天皇は日本国憲法第10条に規定された日本国籍を有する「日本国民」であるが、一方で日本国憲法第1条にある「主権の存する日本国民」ではない。『世界大百科事典』によれば日本国憲法によって主権者国民となり、「天皇は主権者の一員でもない」とされている。「象徴規定にはとくに法的意味はなく、また国民を統合する機能は憲法上天皇には期待されていない」という。天皇へ認可された権能は極めて限定されており、「行政権ももたず国を対外的に代表することもない天皇を君主とか元首とみることは困難」とされる。天皇の地位は主権者である国民の総意に基づいており(第1条)、「国民の総意によって天皇制度を改廃することが可能」となっている。「神勅主義は明確に否定されているので、神秘的・宗教要素がここに介入する余地は皆無」であり、天皇は的な宗教的活動が禁止されている(第20条)こともあって、「天皇、国家の世俗化が要求されている」。「神道が特別な地位を与えられることはもはや許されない」のであり、皇位継承の際に行われた大嘗祭三種の神器の継承は、「天皇家の私事としてのみありうる」とされる。

天皇制

『岩波 日本史辞典』によると「天皇制」は、日本君主制を指す。「広義には前近代天皇制と象徴天皇制を含め、狭義には明治維新から第二次世界大戦敗戦までの近代天皇制を指す」語であり、「象徴天皇制は天皇が元首でないので君主制としない説もある」とされている。「君主制(王制)」について、『日本大百科全書(ニッポニカ)』は「一般には、世襲の君主が、ある政治共同体において最高権力(主権)をもつ政治形態」としている。

「天皇制」という項目を掲載している学術資料は、Kotobankに登録されている辞事典としては『デジタル大辞泉』、『大辞林』(第三版)、『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』、『百科事典マイペディア』、『世界大百科事典』(第2版)、『日本大百科全書(ニッポニカ)』がある。2017時点で「天皇制」を使用している研究論文は、Google Scholar(グーグル・スカラー)では約15,700件、CiNii Articlesでは6156件がある。

天皇制」および「皇室」も参照

語源

古くは「スメラミコト」「スメロキ」「スベラギ」等と呼んだ。元は皇帝天子・君主の敬称であり、古代中国最高神神格化された北極星(天皇大帝)を指す語である。

道教の神話では、3~4世紀の道家葛洪が『元始上真衆仙記』に太元母が13人の天皇を産んだと記しており、同じく13世紀の道家・謝守灝は『混元聖紀』に天地開闢の時に12人の天皇氏があったと記している。11世紀の欧陽脩が書いた『新唐書』「本紀第四 則天皇后 中宗」によれば、674年にの第3代皇帝高宗天皇と号したとしている。他方で、7世紀中頃以降で、中国語天皇・地皇・人皇の一つに由来しており、スメラミコトの漢語表現であるとする説もある(この世紀に「天皇」の文字が初めて文献に現れたとする事典もある)。

天皇という二字は、「是全ク漢土ノ制ニ傚ヘル故ニ、今目シテ漢風諡ト云フ(これは全く漢の国の制度に倣っているため、今日に見れば漢風諡と言う)」とされる。また、ある分野で強大な権力を持つ人を指す。なお、天皇(てんこう)三皇の一種である他に、天帝天子も意味し天皇(てんのう)に通じる他、皇天(こうてん)天皇皇室天の神上帝・天帝などを意味する。

地位

憲法の規定

日本国憲法における天皇

詳細は「象徴天皇制」を参照

日本国憲法では、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」(第1条)「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」(第4条)と規定されている(象徴天皇制)。なお天皇を元首や君主とする規定は存在しない。

国籍・日本国民

天皇も日本国憲法第10条に規定された日本国籍を有する「日本国民」である。研究者による憲法論においては、天皇が「主権者としての国民」「人権享有主体としての国民」に該当するか否かが論じられており、憲法論の皇統譜についての箇に「日本国籍を有するものでも戸籍に記載されない唯一の例外に天皇および皇族がある」という記載がある。記帳所事件における1989年(平成元年)7月19日の東京高裁判決では「天皇といえども日本国籍を有する自然人の一人であって」と判断されている。

裁判権
皇室裁判所」も参照

刑事裁判権は、皇室典範第21条が「摂政は、その在任中、訴追されない」と規定されており、これは天皇については刑事裁判権が及ばないことを前提にしていると解されている。告訴権については、名誉毀損罪に関する刑法232条2項は、内閣総理大臣が代わって告訴を行うとしており、天皇に告訴権がある事を前提とする。

民事裁判権は、1989年(平成元年)11月20日の記帳所事件における最高裁判決で

天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であることにかんがみ、天皇には民事裁判権が及ばないものと解するのが相当である。したがって、訴状において天皇を被告とする訴えについては、その訴状を却下すべきものである

とする。

大日本帝国憲法における天皇

詳細は「天皇制」および「天皇機関説」を参照

大日本帝国憲法では、天皇は「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」(第1条)、「天皇ハ國ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リテ之ヲ行フ」(第4条)と規定され(元首かつ君主)、憲法解釈として憲法を絶対主義的に解釈する天皇主権説立憲主義的に解釈する天皇機関説の争いがあった。

天皇についての学術的言説

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この節の加筆が望まれています。 (2017年1月)

権能

日本国憲法下の権能

詳細は「国事行為」および「天皇の公的行為」を参照
内閣総理大臣を任命する天皇(国事行為)
国会開会式に出席する天皇(公的行為)

日本国憲法下においては、天皇は「国事に関する行為(国事行為)」のみを行い、国政に関する権能を一切有していない(日本国憲法第4条1項)。次に掲げる国事行為は、すべて内閣の助言と承認のもとに行われる儀礼的・形式的な行為である。

なお、ここでいう「総選挙」とは、衆議院議員総選挙のほか参議院議員通常選挙を含んでいる。
なお、本条の「儀式」は天皇が主宰して行う国家的性格を持つ儀式をいう。これに対しては他人が主宰する儀式への参列もこれに含むとする反対説もある。宗教色は排除される。
ただし、国事行為の委任については、国事行為に含まれないとする見方もある。

これらの国事行為に関し、天皇は政治的に責任を負わない(無答責)。ただし、君主無答責とは異なり、天皇の政治的無答責は「象徴」としての地位に内在するものではなく、憲法第3条に定める国事行為についての内閣の責任と憲法第4条に定める政治的諸関係からの厳格な隔離から導き出されるものと解されている。

この他、天皇の公務として公的行為がある。国会開会式への出席や宮中晩餐会などが挙げられる。

大日本帝国憲法下の大権

詳細は「天皇大権」を参照

称号

日本国内における称号

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出典検索: "天皇"ニュース 書籍 スカラー CiNii J-STAGE NDL dlib.jp ジャパンサーチ TWL
(2017年1月)

十六弁八重表菊紋。天皇および皇族の御紋である。後鳥羽天皇の日本刀の御所焼に付した菊紋に始まる。

日本で「天皇」号が成立したのは7世紀後半、大宝律令で「天皇」号が法制化される直前の天武天皇または持統天皇の時代とするのが通説である。13世紀以降、「天皇」号の使用は一時廃れたが、19世紀初頭に再び使用されるようになり、現在に至っている。

称号の由来

「天皇」は、字音仮名遣では「てんわう」と表記する。「てんわう」が中世までに連声により「てんのう」に変化したとされる。中国では始皇帝が、秦の統一後に、皇帝と名乗る以前の大王時代に支配者の新しい名称を求めて例示された「天皇・地皇・泰皇」中に「天皇」号があるが泰皇を改定して「皇帝」号を創始した(『史記』始皇帝本紀)。この記事を参照して、第2回遣隋使国書「天子」使用で煬帝から無礼とされことから、天を含み王がない号として天皇号を選んだとの吉田孝の説がある。後に、中国の唐の高宗は 道教から「天皇」と称した。(上元元年(674年)8月)、『旧唐書』には、「皇帝を天皇と為し、皇后を天后と為す」(巻8)とある。死後は皇后の則天武后によって 「天皇大帝」 の(おくりな)が付けられた。(681年)。中国ではこの時のみ天皇号が使われ、以後使われていない。

古い訓読みでは、すべらぎ(須米良伎)、すめらぎ(須賣良伎)、すめろぎ(須賣漏岐)、すめらみこと(須明樂美御德)、すめみまのみこと(皇御孫命)などと称した。

「スメル」については、『岩波 古語辞典』では、「すめら」(皇)の項で、サンスクリットsume:ru」(須弥山)と音韻・意味が一致し、モンゴル語sümer」(須弥山)と同源であろうとしている。また、「統べる」の転訛と見る説があったが、上代特殊仮名遣からこれは否定されている。他には、清浄さから神聖さを想起させる「澄める」の転訛と見て、光り輝いて煌めくさまを表す「皇」の訓としたとする説があり注目されているが、現在も判然としていない。

万葉集には「天皇」の表記が12例知られ、このうち7例が「オオキミ」、5例が「スメロキ」と訓ませている。それぞれの文意の比較から、「オオキミ」は今上天皇、「スメロキ」は「天皇」の他に「皇祖神」、「皇神祖」、「皇祖」に対しても「スメロキ」と訓ませているため、過去の歴代天皇や皇祖神に対して用いられていることがわかっている。

日本では「天皇」という文字は、奈良の法隆寺金堂の薬師仏光背銘に「池辺大宮治天下天皇」及び「小治田大宮治天下大王天皇」とある。池辺大宮は用明天皇(在位585~587)で、小治田大宮は推古天皇(在位592~628)の代であり製造は推古15年とされた。このことから、戦前に津田左右吉推古天皇期という説が、過去には有力だった。しかし、戦後に、美術的な様式からも同じ金堂内の623年製造銘の釈迦三尊像より新しいと推定され、製造は後世であり、666年野中寺弥勒像銘が金石文では天皇号の確実な初見だとしている。推古8年(600年)第1次遣隋使では「オホキミ」号を使用し、推古天皇16年(607年)第2次遣隋使国書で「日出處天子致書」と日中とも「天子」として煬帝を怒らせ、それへのからの国書は皇帝が蕃夷の首長に下す形式である。それへの日本からの返書の国書に「東天皇敬白西皇帝」云々と日本書紀にあり、日本の天皇と隋の皇帝との使い分けが見られるが、前回国書の対等書式とは違う身分が上の貴人に差し出すへりくだった形式となっていて外交姿勢を改めたことになる。ただし、「東天皇」は後の編纂時に改定されたもので「大王」か「天王」だったという説と、そのまま天皇号の始まりとする両説がある。考古学的には、 明日香村飛鳥池遺跡出土の天皇木簡が最も古く一緒に出土した木簡から天武朝( - 686年10月1日〈朱鳥元年9月9日〉)の時期のものと判定されている。

「天皇」の語と関連した語がある古い記録
【文書・銘】
【年代】
【抜粋】
【出典】
現存
遣隋使国書 | 607年 | 日出處天子致書日沒處天子無恙 | 隋書(636年成立) | 
法隆寺金堂
薬師如来像光背銘
 | 607年 | 池辺大宮治天下天皇 | 法隆寺金堂薬師如来像 | 実物が存在。
への国書 | 608年 | 東天皇敬白西皇帝 | 日本書紀(720年成立) | 日本書紀以外に記録がない。
法興寺丈六
釈迦光背銘 | 609年 | 多知波奈土與比天皇 | 元興寺伽藍縁起
並流記資財帳
(746年成立) | 実物が失われている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2020/12/04 02:22

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