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天領とは?

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天領(てんりょう)は、江戸時代における江戸幕府の直轄地の俗称で、このほか幕府直轄領徳川幕府領徳川支配地幕府領幕領など様々な呼称があり、必ずしも絶対的な単一の歴史用語ではない。幕府直轄領は元禄以降、全国で約400万石あった。その領地は日本全国に散らばっており、江戸時代を通じて何らかの形で幕府直轄地が存在した国は51ヶ国と1地域(蝦夷地)に及び、年貢収取の対象となる田畑以外に交通商業の要衝と港湾、主要な鉱山、城郭や御殿の建築用材の産出地としての山林地帯が編入され江戸幕府の主要な財源であった。

幕府直轄地が「天領」と呼ばれるようになったのは明治時代である。大政奉還後に幕府直轄地が明治政府に返還された際に、「天朝の御料(御領)」などの略語として「天領」と呼ばれたのがはじまり。その後、この呼称が江戸時代にもさかのぼって使われるようになった。よって、江戸時代に使われていた呼称ではない。江戸幕府での正式名は御料・御領(ごりょう)であり、その他、江戸時代の幕府法令には御料所(ごりょうしょ、ごりょうじょ)、代官所支配所(しはいしょ、しはいじょ)とある。江戸時代の地方書では大名領や旗本領を私領としたのに対して公領・公料、また公儀御料所(こうぎごりょうしょ)とある。

大政奉還後の慶応4年(1868年、同年明治元年)には徳川支配地を天領と呼んだ布告があるが、同時期の別の布告では「これまで徳川支配地を天領と称し居候は言語道断の儀に候、総て天朝の御料に復し、真の天領に相成候間」とある。

幕府の直轄地についての呼称については、従来は「天領」と表記していたが、この「天領」という呼称が明治以降の俗称であるという点から、近年では「幕領」と呼ぶ傾向になっており、全国の歴史教科書なども「幕領」への表記の変更が進められている。

目次

  • 1 概要
  • 2 天領の規模の変遷
  • 3 天領の内訳の変遷
  • 4 関連用語
  • 5 幕末の天領
    • 5.1 蝦夷地
    • 5.2 奥羽地方
    • 5.3 関東地方
    • 5.4 北陸・甲信地方
    • 5.5 東海地方
    • 5.6 畿内近国
    • 5.7 山陽・山陰
    • 5.8 四国地方
    • 5.9 九州地方
  • 6 脚注
  • 7 参考文献
  • 8 関連項目

概要

豊臣政権時代の徳川氏蔵入地が基である。関ヶ原の戦い大坂の役などでの没収地を加えて、17世紀末には約400万石となった。その年貢収入は幕府の財政基盤となった。

長崎大坂など重要な都市や、佐渡金山などの鉱山湯の花から明礬を生産していた明礬温泉も天領とされた。佐渡甲斐飛騨隠岐は一国まるごと天領となった。

高山陣屋表門

幕府直轄の各領地には代官処がつくられ、郡代代官遠国奉行が支配した。また預地として近隣の大名に支配を委託したものもあった。観光地として有名な岐阜県高山市高山陣屋は、江戸幕府が飛騨国を直轄領として管理するために設置した代官所・郡代役所である。

1799年(寛政11年)には東蝦夷地(北海道太平洋岸および千島)が、1807年(文化4年)には和人地および西蝦夷地(北海道日本海岸や樺太(後に北蝦夷地として分立)およびオホーツク海岸)が天領とされたが、1821年(文政4年)には松前藩領に復した。1855年(安政2年)になると、和人地の一部と蝦夷地全土が松前藩領から再び天領とされているが、1859年(安政6年)の6藩分領以降に東北諸藩の領地となった地域もあった。

江戸時代末期に老中首座となった水野忠邦は、天保の改革の一環として上知令(江戸城大坂城の十里四方を天領とする)を発令したため、天領の石高は増えたが、周辺に領地を持つ大名から大きく非難された。

天領の規模の変遷

豊臣政権末期には、全国検地高1850万石余の内、12.2%に相当する222万3641石余が豊臣氏の蔵入地であった。一方徳川氏の関東入国当時の蔵入地の実態は明らかではないが、所領伊豆・相模・武蔵・上総・下総・上野の六か国240万石余のうち、100~120万石が直轄化されていたと推定されている。関ヶ原の戦いののち、豊臣氏の蔵入地の接収を含む没収高622万石余が論功行賞の加増・加転に、さらに徳川一門や譜代大名の創出、直轄領の拡大に当てられているが、江戸幕府の直轄地も、初期においては豊臣氏のそれと大差なかったものと考えられ、江戸幕府成立時点で230~240万石が幕府直轄領であったと考えられる。

上方・関東の天領の石高・年貢高に関しては、向山誠斎著『癸卯日記 四』所収の「御取箇辻書付」により享保元年(1716年)から天保12年(1841年)までの年度別の変遷が古くより知られていたが、さらに大河内家記録「御取箇辻書付」の発見により、17世紀中頃からの天領の石高の変遷が明らかになった。それによれば、天領の石高が初めて300万石を超えたのが徳川家綱政権下の万治3年(1660年)だが、寛文印知の前後には300万石を切り、延宝3年(1675年)に至って再び300万石台を回復し、以降300万石を下回ることはない。徳川綱吉政権下になると大名改易による天領石高の増加が著しく、元禄5年(1692年)に初めて400万石を突破し、宝永6年(1709年)以降400万石を下回ることはない。徳川吉宗政権下では無嗣断絶による公収が相次ぎ、享保16年(1731年)には450万石に達し、延享元年(1744年)には江戸時代を通じて最大の463万4076石余となった。その後徳川御三卿が相次ぎ分立することにより、延享4年(1747年)以降天領の石高は減少する。宝暦13年(1763年)から寛政5年(1793年)まで430万石台を維持した後、寛政7年(1795年)~寛政10年(1798年)には再び450万石台に戻るが、その後徐々に石高は減少し、天保9年(1838年)には410万石台に落ちる。天保以降では文久年間の石高の数字が残っており、幕末まで410万石台を維持したと考えられる。

なお個々の年度の石高は史料によって異なり、例えば元禄7年(1694年)の天領総石高は、『癸卯日記』所収の「御取箇辻書付」では395万5560万石余とあるのに対し、『近藤重蔵遺書』所収の「御蔵入高並御物成元払積書」では418万1000石余と20万石以上の差がある。また天保9年(1838年)の天領総石高は『癸卯日記』所収の「御取箇辻書付」では419万4210石余とあるのに対し、『天保九年戌年御代官並御預所御物成納払御勘定帳』では419万1968石6斗5升8合9勺9才、天保12年(1841年)の天領総石高は『癸卯日記』所収の「御取箇辻書付」では416万7613石余とあるのに対し、同じ向山誠斎の著作である『丙午雑記』所収の「天保十二丑地方勘定下組帳」では412万2044石3斗0升8合9勺8才と、微妙に数字が異なる。

以下に『大河内家記録』と『癸卯日記』所収の「御取箇辻書付」による天領の石高・年貢高の変遷の詳細を示す。譜代の大名や旗本への加増・改易・減封や臨時の役知の支払いは天領を切り崩して行われるため、天領の所領・石高は年度毎に必ず変動する。。

「御取箇辻書付」による天領総石高・年貢高の変遷
(慶安4年[1651年]~天保13年[1842年])
【年号 / 西暦】
【石高 (石余)】
【年貢高 (石余)】
【内米 (石余)】
【内金 (両余)】

【】
【】
【】
【】
【】
【】

慶安4年 | 1651 | 1,590,910 | 665,280 |  | 
承応元年 | 1652 | 1,602,290 | 598,320 |  | 
承応2年 | 1653 | 1,610,910 | 608,760 |  | 
承応3年 | 1654 |  |  |  | 
明暦元年 | 1655 |  |  |  | 
明暦2年 | 1656 | 1,224,900 | 427,120 | 275,200 | 60,769
明暦3年 | 1657 | 2,925,470 | 1,119,530 | 966,030 | 61,390
万治元年 | 1658 | 2,916,540 | 1,033,550 | 887,970 | 58,220
万治2年 | 1659 | 2,918,600 | 1,114,270 | 966,950 | 58,920
万治3年 | 1660 | 3,064,770 | 979,050 | 837,210 | 56,730
寛文元年 | 1661 | 1,132,750 | 422,390 | 274,940 | 58,980
寛文2年 | 1662 | 2,734,390 | 1,099,600 | 957,270 | 56,940
寛文3年 | 1663 | 2,663,100 | 880,760 | 764,490 | 46,505
寛文4年 | 1664 | 2,793,360 | 1,073,170 | 918,900 | 54,205
寛文5年 | 1665 | 2,829,950 | 1,053,970 | 897,760 | 54,960
寛文6年 | 1666 | 2,872,220 | 1,033,310 | 892,330 | 48,810
寛文7年 | 1667 | 2,900,950 | 1,042,360 | 895,670 | 51,089
寛文8年 | 1668 | 2,852,630 | 1,010,610 | 904,180 | 36,820
寛文9年 | 1669 | 2,925,450 | 965,900 | 815,300 | 53,140
寛文10年 | 1670 | 2,994,660 | 1,057,460 | 902,170 | 53,120
寛文11年 | 1671 | 2,974,750 | 1,130,750 | 971,390 | 54,720
寛文12年 | 1672 | 2,882,950 | 1,031,520 | 854,790 | 61,050
延享元年 | 1673 | 1,406,560 | 465,940 | 297,000 | 58,760
延享2年 | 1674 | 1,432,720 | 427,730 | 264,370 | 56,070
延享3年 | 1675 | 3,136,270 | 1,074,890 | 876,800 | 69,520
延享4年 | 1676 | 3,106,250 | 1,110,620 | 831,190 | 73,910
延享5年 | 1677 | 3,096,630 | 1,196,460 | 969,520 | 80,940
延享6年 | 1678 | 3,130,160 | 1,200,400 | 985,590 | 77,380
延享7年 | 1679 | 3,007,200 | 1,121,840 | 948,550 | 68,900
延享8年 | 1680 | 3,262,250 | 942,590 | 740,440 | 79,110
天和元年 | 1681 | 3,401,270 | 1,026,270 | 851,750 | 69,390
天和2年 | 1682 | 3,640,200 | 1,269,880 | 1,013,720 | 92,300
天和3年 | 1683 | 3,210,560 | 1,116,150 | 839,110 | 100,340
貞享元年 | 1684 | 3,433,770 | 1,177,310 | 910,960 | 97,710
貞享2年 | 1685 | 3,414,130 | 1,094,570 | 869,500 | 93,630
貞享3年 | 1686 | 3,554,930 | 1,218,940 | 961,189 | 97,380
貞享4年 | 1687 | 3,731,400 | 1,179,030 | 942,230 | 89,200
元禄元年 | 1688 | 3,813,000 | 1,242,320 | 981,830 | 96,940
元禄2年 | 1689 | 3,972,910 | 1,348,270 | 1,061,690 | 107,350
元禄3年 | 1690 | 3,880,000 | 1,385,820 | 1,101,120 | 106,130
元禄4年 | 1691 | 3,971,300 | 1,353,580 | 1,078,510 | 102,390
元禄5年 | 1692 | 4,013,840 | 1,402,120 | 1,114,410 | 107,809
元禄6年 | 1693 | 4,034,490 | 1,307,740 | 1,034,370 | 101,710
元禄7年 | 1694 | 3,955,560 | 1,315,480 | 1,058,510 | 96,610
元禄8年 | 1695 | 3,887,180 | 1,276,370 | 1,000,470 | 102,990
元禄9年 | 1696 | 4,136,900 | 1,314,830 |  | 
元禄10年 | 1697 | 4,346,500 | 1,386,400 |  | 
元禄11年 | 1698 | 3,889,400 | 1,240,430 |  | 
元禄12年 | 1699 | 3,889,100 | 1,100,880 |  | 
元禄13年 | 1700 | 3,762,800 | 1,138,400 |  | 
元禄14年 | 1701 | 3,849,300 | 1,114,590 |  | 
元禄15年 | 1702 | 3,841,900 | 1,199,490 |  | 
元禄16年 | 1703 | 3,882,500 | 1,262,280 |  | 
宝永元年 | 1704 | 3,750,300 | 1,178,380 |  | 
宝永2年 | 1705 | 4,021,900 | 1,299,660 |  | 
宝永3年 | 1706 | 4,001,100 | 1,350,830 |  | 
宝永4年 | 1707 | 4,047,500 | 1,270,490 |  | 
宝永5年 | 1708 | 3,972,900 | 1,251,930 |  | 
宝永6年 | 1709 | 4,017,800 | 1,275,140 |  | 
宝永7年 | 1710 | 4,150,700 | 1,317,380 |  | 
正徳元年 | 1711 | 4,144,200 | 1,299,740 |  | 
正徳2年 | 1712 | 4,167,600 | 1,265,970 | 1,022,620 | 97,340
正徳3年 | 1713 | 4,117,600 | 1,390,500 | 1,131,215 | 103,709
正徳4年 | 1714 | 4,126,000 | 1,316,060 | 1,057,963 | 103,226
正徳5年 | 1715 | 4,127,000 | 1,457,700 | 1,151,622 | 112,406
享保元年 | 1716 | 4,088,530 | 1,389,570 | 1,074,035 | 115,176
享保2年 | 1717 | 4,098,371 | 1,365,060 | 1,080,090 | 102,494
享保3年 | 1718 | 4,044,570 | 1,435,542 | 1,127,181 | 111,765
享保4年 | 1719 | 4,050,850 | 1,393,529 | 1,092,581 | 109,236
享保5年 | 1720 | 4,057,180 | 1,395,682 | 1,098,490 | 107,949
享保6年 | 1721 | 4,066,500 | 1,305,650 | 1,027,061 | 100,722
享保7年 | 1722 | 4,043,320 | 1,414,290 | 1,115,508 | 108,478
享保8年 | 1723 | 4,112,390 | 1,303,930 | 1,050,289 | 91,534
享保9年 | 1724 | 4,278,370 | 1,488,360 | 1,190,997 | 107,910
享保10年 | 1725 | 4,360,670 | 1,466,215 | 1,166,544 | 108,849
享保11年 | 1726 | 4,310,100 | 1,500,691 | 1,204,965 | 107,182
享保12年 | 1727 | 4,414,850 | 1,621,980 | 1,374,545 | 110,750
享保13年 | 1728 | 4,409,753 | 1,465,486 | 1,181,659 | 101,501
享保14年 | 1729 | 4,446,688 | 1,608,354 | 1,292,703 | 114,346
享保15年 | 1730 | 4,481,056 | 1,551,345 | 1,233,428 | 115,654
享保16年 | 1731 | 4,530,908 | 1,365,049 | 1,090,557 | 100,769
享保17年 | 1732 | 4,521,401 | 1,392,391 | 1,062,635 | 119,558
享保18年 | 1733 | 4,541,744 | 1,461,986 | 1,153,187 | 113,489
享保19年 | 1734 | 4,541,816 | 1,343,519 | 1,061,441 | 101,655
享保20年 | 1735 | 4,539,331 | 1,462,706 | 1,137,432 | 119,238
元文元年 | 1736 | 4,565,359 | 1,334,481 | 1,018,661 | 115,445
元文2年 | 1737 | 4,567,151 | 1,670,819 | 1,314,779 | 128,643
元文3年 | 1738 | 4,580,554 | 1,533,133 | 1,181,529 | 127,282
元文4年 | 1739 | 4,583,446 | 1,668,584 | 1,313,907 | 127,838
元文5年 | 1740 | 4,581,523 | 1,492,492 | 1,153,881 | 122,431
寛保元年 | 1741 | 4,586,472 | 1,570,388 | 1,228,550 | 123,445
寛保2年 | 1742 | 4,614,502 | 1,419,558 | 1,140,592 | 98,989
寛保3年 | 1743 | 4,624,664 | 1,636,409 | 1,298,149 | 122,666
延享元年 | 1744 | 4,634,076 | 1,801,855 | 1,462,749 | 123,262
延享2年 | 1745 | 4,628,935 | 1,676,322 | 1,335,114 | 124,001
延享3年 | 1746 | 4,634,065 | 1,766,214 | 1,422,876 | 124,602
延享4年 | 1747 | 4,415,820 | 1,551,214 | 1,237,156 | 117,334
寛延元年 | 1748 | 4,411,241 | 1,590,491 | 1,270,661 | 117,702
寛延2年 | 1749 | 4,397,089 | 1,673,573 | 1,353,984 | 117,411
寛延3年 | 1750 | 4,390,109 | 1,693,726 | 1,380,425 | 115,691
宝暦元年 | 1751 | 4,394,525 | 1,704,664 | 1,389,211 | 115,471
宝暦2年 | 1752 | 4,409,637 | 1,715,630 | 1,398,975 | 115,947
宝暦3年 | 1753 | 4,413,541 | 1,680,002 | 1,365,578 | 115,165
宝暦4年 | 1754 | 4,407,515 | 1,650,387 | 1,336,747 | 114,783
宝暦5年 | 1755 | 4,412,347 | 1,642,551 | 1,336,213 | 113,371
宝暦6年 | 1756 | 4,406,064 | 1,649,384 | 1,331,264 | 116,328
宝暦7年 | 1757 | 4,420,503 | 1,552,846 | 1,262,896 | 105,630
宝暦8年 | 1758 | 4,426,889 | 1,649,532 | 1,332,456 | 116,202
宝暦9年 | 1759 | 4,471,712 | 1,701,560 | 1,383,755 | 116,464
宝暦10年 | 1760 | 4,461,631 | 1,685,345 | 1,369,539 | 115,682
宝暦11年 | 1761 | 4,465,654 | 1,680,127 | 1,359,958 | 117,523
宝暦12年 | 1762 | 4,458,083 | 1,674,699 | 1,354,852 | 117,320
宝暦13年 | 1763 | 4,375,836 | 1,643,963 | 1,334,204 | 113,262
明和元年 | 1764 | 4,376,432 | 1,636,386 | 1,324,862 | 113,954
明和2年 | 1765 | 4,387,292 | 1,594,040 | 1,284,248 | 113,332
明和3年 | 1766 | 4,387,045 | 1,538,971 | 1,241,641 | 108,724
明和4年 | 1767 | 4,394,756 | 1,589,767 | 1,287,527 | 114,163
明和5年 | 1768 | 4,378,684 | 1,547,248 | 1,229,794 | 116,619
明和6年 | 1769 | 4,378,574 | 1,594,461 | 1,275,740 | 117,153
明和7年 | 1770 | 4,371,923 | 1,467,010 | 1,131,973 | 123,549
明和8年 | 1771 | 4,375,647 | 1,353,282 | 1,021,543 | 123,363
安永元年 | 1772 | 4,375,961 | 1,525,624 | 1,193,539 | 123,281
安永2年 | 1773 | 4,378,819 | 1,508,026 | 1,175,311 | 123,413
安永3年 | 1774 | 4,379,699 | 1,530,615 | 1,208,170 | 119,349
安永4年 | 1775 | 4,387,091 | 1,520,866 | 1,199,900 | 117,450
安永5年 | 1776 | 4,387,201 | 1,569,988 | 1,250,265 | 117,405
安永6年 | 1777 | 4,392,791 | 1,556,681 | 1,237,367 | 116,793
安永7年 | 1778 | 4,372,435 | 1,517,858 | 1,190,441 | 118,462
安永8年 | 1779 | 4,373,996 | 1,525,452 | 1,194,575 | 119,859
安永9年 | 1780 | 4,371,639 | 1,427,789 | 1,124,839 | 108,691
天明元年 | 1781 | 4,348,278 | 1,465,836 | 1,147,934 | 114,663
天明2年 | 1782 | 4,332,441 | 1,460,933 | 1,138,370 | 116,529
天明3年 | 1783 | 4,350,709 | 1,219,484 | 968,418 | 95,865
天明4年 | 1784 | 4,360,521 | 1,492,139 | 1,172,935 | 116,465
天明5年 | 1785 | 4,330,634 | 1,403,708 | 1,093,200 | 114,412
天明6年 | 1786 | 4,341,213 | 1,081,485 | 851,493 | 83,945
天明7年 | 1787 | 4,361,544 | 1,444,933 | 1,164,205 | 112,291
天明8年 | 1788 | 4,384,334 | 1,433,377 | 1,162,389 | 108,395
寛政元年 | 1789 | 4,384,279 | 1,410,414 | 1,118,088 | 107,612
寛政2年 | 1790 | 4,380,524 | 1,442,995 | 1,159,230 | 105,731
寛政3年 | 1791 | 4,382,813 | 1,356,289 | 1,088,669 | 99,550
寛政4年 | 1792 | 4,393,572 | 1,470,399 | 1,187,978 | 105,196
寛政5年 | 1793 | 4,393,000 | 1,476,278 | 1,199,720 | 103,481
寛政6年 | 1794 | 4,403,622 | 1,471,301 | 1,190,091 | 105,320
寛政7年 | 1795 | 4,504,516 | 1,545,767 | 1,257,316 | 107,963
寛政8年 | 1796 | 4,507,226 | 1,559,023 | 1,269,573 | 108,164
寛政9年 | 1797 | 4,501,193 | 1,561,828 | 1,274,532 | 107,273
寛政10年 | 1798 | 4,504,565 | 1,544,821 | 1,256,977 | 107,609
寛政11年 | 1799 | 4,499,020 | 1,501,108 | 1,212,107 | 107,801
寛政12年 | 1800 | 4,493,395 | 1,552,740 | 1,265,727 | 107,103
享和元年 | 1801 | 4,474,977 | 1,558,351 | 1,273,466 | 106,658
享和2年 | 1802 | 4,488,636 | 1,443,666 | 1,170,456 | 102,311
享和3年 | 1803 | 4,485,711 | 1,562,872 | 1,272,120 | 107,627
文化元年 | 1804 | 4,487,780 | 1,536,203 | 1,266,228 | 107,990
文化2年 | 1805 | 4,487,885 | 1,546,915 | 1,277,485 | 107,771
文化3年 | 1806 | 4,482,740 | 1,519,075 | 1,250,456 | 107,447
文化4年 | 1807 | 4,453,870 | 1,425,102 | 1,163,522 | 107,211
文化5年 | 1808 | 4,459,079 | 1,391,881 | 1,151,226 | 96,261
文化6年 | 1809 | 4,457,080 | 1,501,989 | 1,230,897 | 108,436
文化7年 | 1810 | 4,455,394 | 1,527,031 | 1,256,777 | 99,994
文化8年 | 1811 | 4,478,873 | 1,532,910 | 1,241,483 | 108,476
文化9年 | 1812 | 4,434,556 | 1,520,969 | 1,240,486 | 102,731
文化10年 | 1813 | 4,437,458 | 1,501,877 | 1,221,763 | 103,459
文化11年 | 1814 | 4,442,669 | 1,535,799 | 1,249,917 | 105,053
文化12年 | 1815 | 4,423,929 | 1,501,023 | 1,214,791 | 105,240
文化13年 | 1816 | 4,423,274 | 1,483,067 | 1,196,505 | 105,212
文化14年 | 1817 | 4,412,452 | 1,518,991 | 1,231,283 | 105,629
文政元年 | 1818 | 4,334,570 | 1,519,374 | 1,233,374 | 104,982
文政2年 | 1819 | 4,352,548 | 1,537,207 | 1,250,568 | 105,133
文政3年 | 1820 | 4,333,634 | 1,490,752 | 1,205,297 | 104,672
文政4年 | 1821 | 4,326,489 | 1,433,694 | 1,148,678 | 104,968
文政5年 | 1822 | 4,320,482 | 1,496,240 | 1,208,342 | 105,244
文政6年 | 1823 | 4,333,886 | 1,403,384 | 1,117,660 | 105,592
文政7年 | 1824 | 4,223,923 | 1,427,619 | 1,158,677 | 98,889
文政8年 | 1825 | 4,223,068 | 1,317,840 | 1,065,745 | 94,194
文政9年 | 1826 | 4,229,389 | 1,428,537 | 1,163,502 | 97,406
文政10年 | 1827 | 4,218,089 | 1,434,498 | 1,166,669 | 98,523
文政11年 | 1828 | 4,194,554 | 1,339,578 | 1,077,787 | 96,223
文政12年 | 1829 | 4,201,033 | 1,399,289 | 1,133,201 | 97,797
天保元年 | 1830 | 4,182,691 | 1,378,578 | 1,113,204 | 97,715
天保2年 | 1831 | 4,201,301 | 1,429,328 | 1,162,448 | 97,980
天保3年 | 1832 | 4,204,038 | 1,396,390 | 1,120,504 | 101,292
天保4年 | 1833 | 4,205,910 | 1,258,230 | 1,005,367 | 96,023
天保5年 | 1834 | 4,202,806 | 1,427,193 | 1,150,709 | 101,648
天保6年 | 1835 | 4,205,570 | 1,304,313 | 1,036,653 | 98,054
天保7年 | 1836 | 4,202,493 | 1,039,970 | 807,068 | 931,161
天保8年 | 1837 | 4,229,581 | 1,392,915 | 1,122,234 | 100,023
天保9年 | 1838 | 4,194,210 | 1,305,746 | 1,046,104 | 97,412
天保10年 | 1839 | 4,192,837 | 1,407,218 | 1,140,499 | 99,311
天保11年 | 1840 | 4,166,475 | 1,382,698 | 1,138,359 | 97,735
天保12年 | 1841 | 4,167,613 | 1,434,342 | 1,168,412 | 97,737
天保13年 | 1842 | 4,191,123 |  |  | 
注釈
  1. ^ 慶安4年(1651年)~承応2年(1653年)分は「関東分御勘定帳無之」とあり、上方分のみの集計かつ年貢の米納・金納の内訳不明。
  2. ^ 承応3年(1654年)、明暦元年(1655年)分は「御勘定帳無之」とあり、石高・年貢高不明。
  3. ^ 明暦2年(1656年)、寛文元年(1661年)、延享元年(1673年)、延享2年(1674年)分は「上方御勘定帳無之」とあり、関東分のみの集計。
  4. ^ 元禄9年(1696年)~正徳元年(1711年)分は「内訳無之」とあり年貢の米納・金納の内訳不明。
  5. ^ 大河内家記録「御取箇辻書付」では、享保元年(1716年)分が米107万4003石余、享保3年(1718年)分が米112万7189石余、享保7年(1722年)分が米111万5514石余、享保8年(1723年)分が米105万0911石余、享保13年(1728年)分が米118万1658石余、宝暦6年(1756年)分が米133万0262両余、天明7年(1787年)分が年貢高此取146万8770石余となっている。
  6. ^ 大河内家記録「年々御取箇辻書付」では天明元年(1830年)分が年貢高此取156万5836石余、天明4年(1784年)分が高436万0520石余、寛政元年(1789年)分が年貢高此取156万5836石余、寛政2年(1790年)分が年貢高此取142万3687石余となっている。
  7. ^ 文化5年(1808年)分は神宮文庫「勘定出納大略」では米185万1226石余となっている。
  8. ^ 天保13年(1842年)の分は勝海舟編『吹塵録』所収「天保十三年全国石高内訳」により、年貢高は不明。

日本全国の総石高に占める天領の割合は、慶長10年(1605年)にける日本全国の総石高2217万1689石余に対して推定230~240万石であり、10.4~10.8%となる。また元禄10年代(1697年~1703年)の全国の石高(元禄国絵図・郷帳高)2578万6929石余に対して約400万石であり、15.5%となる。さらに天保期における日本の天保年間の総石高(天保国絵図・郷帳高)は3055万8917石余と算出されているが、勝海舟編『吹塵録』所収「天保十三年全国石高内訳」によると、1842年(天保13年)の天領は総石高の13.7%に当たる420万石弱を占めた。

全国類別石高(天保13年)
【類別】
【石高】
【割合 (%)】

禁裏仙洞御料 - 天皇上皇女院御料地 | 4万0247石余 | 0.1
御料所高 - 幕府直轄領(天領) | 419万1123石余 | 13.7
万石以上総高 - 大名領分 | 2249万9497石余 | 73.6
寺社御朱印地 - 寺社名義領 | 29万4491石余 | 1.0
高家並交替寄合 - 高家交代寄合(老中支配の旗本)領 | 17万9482石余 | 0.6
公家衆家領寺社除之分 - 公家領・宮家領・寺社除地、
万石以下拝領高並込高之分 - 旗本(若年寄支配の旗本)知行所・込高地 | 335万4077石余 | 11.0
六拾余州並琉球国共 - 日本全国・琉球国領地総計 | 3055万8917石余 | 100.0
注釈
  1. ^ 寺社名義の所領のうち幕府による年貢取立の対象になっていない土地。
  2. ^ 転封などの際に、知行高は変らないのにもかかわらず新旧所領の年貢率の違いによって領主が実質的減収となってしまう場合、特別に加増された石高。

天領の内訳の変遷

徳川の関東入国直後には、直轄領は関東総奉行や代官頭によって支配されていたが、慶長年間に関東総奉行や代官頭が消滅後は、その配位下の代官・手代衆が昇格して天領支配を担当するようになった。天領の管轄は当初江戸(関東)と京都・大坂(上方)に二分されていたが、寛永19年(1642年)に勘定頭が設置されると、司法・行政区域が統一され、地方の支配組織は老中→勘定奉行→郡代・代官への系統へと整備されるようになった。また江戸時代の当初から遠隔地の都市・港・鉱山には遠国奉行が置かれていたが、こらも老中支配下に統合された。

これとは別に大名に支配を委ねた大名預地があった。豊臣政権の太閤蔵入地が形を変えたもので、徳川綱吉による幕府支配機構の整備と強化のもと、貞享4年(1687年)に廃止されたが、元禄4年(1691年)には復活した。さらに正徳2年(1712年)には財政立て直しのために再び新井白石により大名預地は廃止されて代官の直支配となったが、年貢収納率の低下を招いたため、享保7年(1722年)に再び徳川吉宗により大名預地は復活した。

天領は当初関東と上方の二分に分けられていたが、享保2年(1717年)以降、関東・海道・北国・東国・畿内・中国・西国の七筋に区分されるようになった。

18世紀以降の天領の石高における内訳の変遷は以下の通りである。

天領石高内訳変遷
【内訳】
元禄15年
(1702年) 享保15年
(1730年) 宝暦7年
(1757年) 天保9年
(1838年) 文久3年
(1863年)
郡代・代官支配地 | 3,867,435.700 | 3,602,380 | 3,896,000 | 3,284,478.26665 | 3,173,924.14438
関東筋 | 1,199,833.906 | 1,076,451 | 1,149,400 | 932,014.13504 | 882,192.33367
畿内筋 | 662,924.000 | 668,647 | 414,300 | 463,696.31026 | 521,454.30627
海道筋 | 497,333.000 | 738,747 | 715,300 | 719,794.80472 | 691,916.20596
北国筋 | 555,300.000 | 267,118 | 734,400 | 355,058.24664 | 240,506.50338
奥羽筋 | 455,394.794 | 319,988 | 380,000 | 375,375.91618 | 378,040.55971
中国筋 | 252,050.000 | 407,564 | 365,000 | 284,327.64181 | 286,813.23685
西国筋 | 244,600.000 | 123,865 | 137,600 | 154,211.21200 | 173,000.99854
遠国奉行支配地 | 138,188.000 | 139,651 | 9,100 | 144,196.73099 | 149,406.53199
浦賀(相模国)奉行 |  | 770 | 700 | 6,517.38299 | 3,456.14331
神奈川(武蔵国)奉行 |  |  |  |  | 6,187.78250
伏見奉行 | 4,320.000 | 4,494 | 5,000 | 5,166.68200 | 5,174.96700
佐渡奉行 | 130,433.000 | 130,952 |  | 132,512.66600 | 132,572.37700
新潟(越後国)奉行 |  |  |  |  | 2,015.26218
長崎奉行 | 3,435.000 | 3,435 | 3,400 |  | 
代官・遠国奉行支配地合計 | 4,005,623.700 | 3,742,031 | 3,905,100 | 3,428,674.99764 | 3,323,330.67637
大名預所 |  | 739,025 | 577,800 | 763,366.31504 | 752,411.43166
関東筋 |  |  | 12,700 |  | 44,551.89540
畿内筋 |  | 42,272 | 255,800 | 106,465.51481 | 83,296.10637
海道筋 |  | 59,909 | 30,400 | 70,710.78082 | 70,710.78082
北国筋 |  | 397,955 | 123,700 | 254,358.19707 | 256,785.96562
奥羽筋 |  | 180,207 | 103,500 | 170,964.18122 | 166,818.83083
中国筋 |  | 34,273 | 23,300 | 111,829.02950 | 103,141.17024
西国筋 |  | 24,409 | 28,400 | 49,038.61162 | 27,106.68238
総石高 |  | 4,481,056 | 4,482,900 | 4,192,041.31268 | 4,075,742.10803

関連用語

  • 領分(藩) - 石高1万石以上の大名が知行する領地(大名領)。
  • 知行所 - 石高1万石未満の旗本が知行する領地(旗本領)で、大名の「〜藩」とは区別して「〜領」と呼んだ。
  • 禁裏御料 - 天皇上皇 (院)女院の財政基盤となった御料地。
  • 公家衆家領 - 公家宮家の財政基盤となった料所。
  • 朱印地 - 由緒ある寺院神社に幕府が特例の朱印状をもって付与した所領で、表向きには公領扱いのため領内で幕府の代官が年貢を取り立てることもあった。
  • 寺社除地 - 寺社名義の所領のうち寺社が占有的に支配することを得た私領で、幕府への年貢も免除され収益は全て寺社のものとなった。

幕末の天領

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地方区分は現代のもの。人名は代官を務めた旗本

蝦夷地

いずれも箱館奉行の「御預所」。戊辰戦争(箱館戦争)後の令制国およびをカッコ内に記す。

奥羽地方

戊辰戦争(東北戦争)後の令制国をカッコ内に記す。

関東地方

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