安樂 智大(あんらく ともひろ、1996年11月4日 - )は、愛媛県松山市出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。「樂」の字が旧字体のため、安楽智大の表記も見られる。
愛媛県松山市で出生してから、実父の転勤に伴って高知市へ転居。高須小学校2年生の時に軟式野球チーム「高須ザイオン」で投手として野球を始めた。その後再び松山に移り住み道後小学校3年生から「東雲イーグルス」に、道後中学校時代は「松山クラブボーイズ」に所属した。
済美高等学校では1年生の秋に背番号1を背負った。2年生の時、第85回記念選抜高等学校野球大会では初戦で2年生の甲子園最速となる152km/hを記録。チームは準優勝し、全5試合への先発登板で、初戦での延長13回完投(投球数232)を含む計46回を投げ奪三振37、被安打44、失点18(自責点12)、防御率2.35を記録した。また、この大会での投球数は772球に上り、それによる疲労、および3回戦で打球を受けた右手の症状の悪化により、4月および5月の大会では登板を回避した。第95回全国高等学校野球選手権大会・愛媛大会の準決勝では自己最速となる157km/hを記録した。全国大会初戦では甲子園最速となる155km/hを記録した。全2試合に先発登板、計19回を投げ奪三振21、被安打22、失点14(自責点13)、防御率6.16だった。大会後、第26回AAA世界野球選手権大会の日本代表に選ばれ、予選1次ラウンドのベネズエラ戦で2安打16奪三振無四球完封勝利を挙げると、2次ラウンドのキューバ戦では8回10奪三振無失点の成績で、大会の最優秀防御率と最高勝率を記録し、ベストナインに相当する「オールスターチーム」の先発投手にも選ばれた。9月17日、秋季愛媛大会・中予地区予選の対松山北戦に先発登板、5回参考記録ながら無安打無得点(1四球)を達成した。9月22日、秋季県大会の1回戦に登板した際に右肘尺骨神経麻痺を起こし、その後投げられない状態が続いた。3ヶ月後にキャッチボールを再開し、主将として迎えた3年生時の4月の練習試合でおよそ7ヶ月ぶりに実戦登板した。第96回全国高等学校野球選手権大会・愛媛大会の1回戦では297日ぶりに公式戦登板、9回5安打7奪三振で完封勝利を収めた。3回戦では148km/hを記録し、9回を投げ11奪三振するも5安打4失点でチームは敗退した。8月初旬、チームの2年生による1年生へのいじめがあったことが発覚。安楽自身は関与していないものの、当時のチームのキャプテンであった事もあり、9月行われた第10回18Uアジア野球選手権大会の日本代表には選ばれなかった。
2014年のプロ野球ドラフト会議で、東京ヤクルトスワローズと東北楽天ゴールデンイーグルスから1巡目で指名[1]された。指名の重複による抽選を経て交渉権を獲得した楽天に、契約金1億円、年俸は推定で1,200万円という条件で入団した。背番号は20。
2015年は春季キャンプを一軍で迎えたが、途中で二軍に降格すると、シーズンの開幕も二軍で迎えた。イースタン・リーグの公式戦には、5月2日の横浜DeNAベイスターズ戦(楽天イーグルス利府球場)6回表に、4番手投手として初登板。6月29日の「侍ジャパン大学日本代表 対 NPB選抜」(明治神宮野球場)では、当初NPB選抜チームのメンバーに入っていたチームメイトの小野郁が故障したことを受けて、小野の代替選手に選出。先発を予定していた田中英祐(千葉ロッテマリーンズ)も右肘の張りを訴えて出場を辞退したため、急遽先発を任されると、1回を投げて被安打0、与四球1、無失点という成績を残した。2軍では、19試合の登板で、4勝1敗、防御率2.57という好成績を残した。球団は安楽の扱いについて、シーズン開幕前の時点で「入団から2年間は二軍で育成する」という方針を公表していたが、10月5日の福岡ソフトバンクホークス戦(楽天koboスタジアム宮城)で、先発投手として一軍デビュー。最速146km/hを記録し、6回を被安打2、奪三振4、与四球5、無失点という内容で、一軍での初勝利を挙げた。ドラフト制度の導入(1966年)以降にNPBの球団へ入った高卒新人投手による一軍公式戦初登板初勝利は、2012年の武田翔太(ソフトバンク)以来史上18人目で、楽天の投手としては初めての事例だった。
2016年は4月23日の埼玉西武ライオンズ戦(西武プリンスドーム)を皮切りに、一軍公式戦3試合に先発で登板。この間の成績こそ0勝2敗にとどまったものの、いずれの試合でも序盤3イニングを無失点に抑え、序盤3イニングの通算奪三振率が12.00という高い値に達していた。さらに、一軍救援陣の防御率が5.96と高かったことなどから、セ・パ交流戦期間中には中継ぎ投手として3試合に登板。3試合目に当たる6月8日の対東京ヤクルトスワローズ戦(コボスタ宮城)で3回1/3を投げて3点を失ったことから、翌9日に出場選手登録をいったん抹消された。イースタン・リーグ公式戦には通算9試合に登板。(1完封勝利を含む)3勝1敗、防御率2.96という好成績を残した。二軍調整中の7月14日には、フレッシュオールスターゲーム(倉敷マスカットスタジアム)で、同リーグ選抜の7番手投手として8回裏から登板。2イニングを無失点に抑えた。8月4日のオリックス・バファローズ戦(コボスタ宮城)から、先発投手として一軍に復帰。19日の同カード(京セラドーム大阪)で、一軍でのシーズン初勝利を挙げた。9月18日の西武戦では8回1失点の好投で勝利投手となり、チームの西武戦の年間対戦成績では初めてとなる勝ち越しを決めた。一軍公式戦全体では15試合を投げ、3勝5敗と負け越したものの、防御率は3.42をマーク。コボスタ宮城でのレギュラーシーズン最終戦であった10月1日のオリックス戦では、8回を5被安打1失点に抑える好投で、自身のシーズン最終登板を勝利で締めくくった。オフの10月12日に第1回WBSC U-23ワールドカップの日本代表に選出された。同大会ではオープニングラウンド第2戦(10月29日)のチャイニーズタイペイ戦で先発起用され、6回を5安打(1本塁打含む)3失点、8奪三振に抑えた。スーパーラウンド進出後の第2戦(11月4日)、パナマ戦で大会2度目の先発に起用され、7回まで2失点に抑えていたが、8回裏に野手選択によって勝ち越され、日本代表にとって大会初めての敗北を喫した。その後チームは優勝を果たし、金メダルを獲得した。
2017年は開幕ローテーション入りを期待されたが、開幕直前に大腿二頭筋を負傷し、シーズン初登板は6月14日のヤクルト戦(神宮)となった。6月30日のソフトバンク戦(Koboパーク宮城)でシーズン初勝利を挙げたが、以降は勝ち星を伸ばすことができず、この1勝のみでシーズンを終えた。
2018年は開幕ローテーション入りを目指し、春期キャンプを1軍で迎えたものの、そこで右肩を痛めてしまい離脱、開幕ローテーション入りはできなかった。シーズン開幕後も2軍での調整が続いたが、7月には二軍で無四球完封を記録するなど状態が上向き、シーズン終了間際のの9月11日に今シーズン初の一軍で先発登板した。しかし6回4失点と打ち込まれその後の試合も2回5失点20日に登録抹消。その後も1軍に復帰することなくこれらの2試合のみの登板で防御率10.13 0勝2敗の成績で自身初の0勝でシーズンを終えた。
2020年は中継ぎとして、プロ入り後で最多の登板数となり5ホールドを記録。被打率や奪三振率も自己ベストとなった。
プロでの最速152km/hの速球と、スライダー、フォークボールを使用する。
高校2年生時の春の選抜大会の初戦で当時2年生の甲子園最速となる152km/hを記録。夏の甲子園・愛媛大会の準決勝で自己最速となる157km/hを、全国大会初戦では甲子園最速となる155km/hを記録した。右肘負傷後の3年生の夏の最後の試合では、148km/hを記録し、プロ初登板の試合では最速146km/hを記録した。
2020年シーズンでは、ストレートの球速は最速150kmまで回復している。
99 石井一久