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安田猛_(野球)とは?


コーチ歴

  • ヤクルトスワローズ (1982 - 1986, 1990 - 1994)

この表について
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プロジェクト:野球選手 テンプレート


安田 猛(やすだ たけし、1947年4月25日 - )は、福岡県北九州市出身のプロ野球選手(投手)。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 プロ入り前
    • 1.2 現役時代
    • 1.3 現役引退後
  • 2 プレースタイル
  • 3 逸話
  • 4 登場する作品
  • 5 詳細情報
    • 5.1 年度別投手成績
    • 5.2 タイトル
    • 5.3 表彰
    • 5.4 記録
    • 5.5 背番号
  • 6 脚注
  • 7 参考文献
  • 8 関連項目

経歴

プロ入り前

小倉高校では1965年第37回選抜高等学校野球大会に出場。1回戦で、この大会で準優勝する市和歌山商の岡本喜平と投げ合い惜敗。同年の春季九州大会は決勝に進出、佐伯鶴城高山中正竹と投げ合うが敗退。夏の県大会でも準決勝に進むが、三池工上田卓三に完封を喫する。三池工は第47回全国高等学校野球選手権大会で優勝。

高校卒業後は早稲田大学教育学部へ進学。東京六大学リーグでは1968年秋季リーグの優勝に貢献。リーグ通算18試合に登板し4勝2敗。早大時代は同期の小坂敏彦に次ぐ二番手に甘んじた。他の大学同期に谷沢健一荒川堯小田義人らがおり、安田も含め7人がプロ入りしている。

小田とともに社会人野球大昭和製紙に進み頭角を現わす。リリーフの切札として1970年第41回都市対抗野球大会に出場。順調に勝ち進み、準決勝では高校時に不覚をとった住友金属の山中、岡本と投げ合い、この大会3勝目をあげる。決勝では三菱重工神戸と対戦、引き分け再試合の末に優勝を飾る。この試合では7回に山根政明をリリーフし好投、最優秀選手の橋戸賞を受賞した。

なおこの大会の予選はぎりぎりの通過だった。本選出場まで1ヶ月しかない間に、大学の先輩である長倉春生捕手からアドバイスを受け、安田は遅いボールのマスターに取り組み60キロほどの超スローボールをものにした。この球を武器に全試合ロングリリーフに立ち、チームを優勝に導く。この都市対抗が野球人生のターニングポイントになったと語っている。

1971年第42回都市対抗野球大会に連続出場を果たすが、電電近畿との1回戦で先発の加藤初が先制を許し、その後は安田がリリーフするものの、よもやの敗戦を喫した。

現役時代

1971年のドラフト6位でヤクルトアトムズに入団。技巧派投手として入団当初から活躍し、1972年新人ながら7勝5敗、防御率2.08の成績で新人王最優秀防御率タイトルを獲得。翌1973年も防御率2.02で2年連続で最優秀防御率となるとともに、やはり2年連続でリーグ最多登板試合も記録する。更に同年にはリーグ最多無四球試合(5試合)を記録するとともに、同年7月16日の阪神タイガース戦から9月9日の阪神戦まで81イニング連続無四死球のプロ野球記録を樹立。なお、田淵幸一への敬遠四球で始まり、同じ田淵幸一への敬遠四球で記録が止まった。

1974年4月に新日鉄堺グラウンドで投球練習をしていた際に右膝半月板を損傷する。一時は歩けなくなるほどの重傷であったがシーズン中に復活し、前年度に比べて登板回数が半減する中で9勝を重ねた。1975年からは4年連続二桁勝利を記録。松岡弘とともに左右のエースとして毎年15勝前後の勝ち星を挙げて、上位に躍進中であったチームを支えた。1975年からは3年連続でリーグ最多無四球試合を記録する一方、1978年には15勝をあげてヤクルトの初優勝に貢献した。同年の阪急ブレーブスとの日本シリーズでは、第1戦に先発するが8回に崩れ逆転負け、第4戦でも先発に起用されるが早々に打ち込まれ、真価を発揮できなかった。

右膝を故障した1979年以降は、成績が低迷。1981年には左膝の半月板も損傷し、同年限りで現役引退。

現役引退後

ヤクルト球団に籍を置いたまま、一軍投手コーチ(1982年 - 1986年, 1990年 - 1994年)、スカウト、スコアラー、編成部長を歴任。コーチ時代には2度のリーグ優勝と1993年の日本シリーズ制覇に貢献している。野村克也はヤクルト監督時代に雑誌「ナンバー」にて、安田を「名スコアラー」と評している。

2009年限りでヤクルトを退団すると、2010年から夕刊フジの野球評論家へ就任。評論活動と並行しながら、JR東日本硬式野球部の投手コーチも臨時で務めた。

その一方で、2012年には、1月20日付で日本学生野球協会から学生野球資格の回復を認定。この認定によって、同協会に加盟する高校・大学の硬式野球部に所属する選手を指導できるようになったため、2017年1月から母校の小倉高校で硬式野球部のコーチに就任した。コーチ就任の翌2月に体調を崩したため、病院で診察を受けたところ、スキルス性の胃がんがステージ4まで進行していることが判明。診察した医師から「余命1年」と宣告されたため、3月10日付でコーチを退任した。退任後は、6週間に1回のペースで東京都内の病院へ入院。入院のたびに抗がん剤の投与を72時間受ける生活を繰り返すことによって、がんの進行を食い止めながら、小倉高校での指導を不定期で続けている。

プレースタイル

小柄なサイドスローの投手で、抜群のコントロールと緩急自在の投球術、機敏な動きから「ペンギン投法」と呼ばれ、名投手としてファンに親しまれた。

左のサイドスローから繰り出す球は、スピードはないが何れもかなりのクセ球であり、真ん中のストレートも球速はせいぜい130㎞であったが、チェンジアップがかってフラフラと決まるものだった。球種は何種類あったのかと質問された際、「1つの球種だけでもスピードの差で3種類投げ分けていたから自分でもわからないよ」と答えている。

逸話

巨人長嶋茂雄王貞治との対戦を楽しみにしており、プロ野球の世界へ入った目的は金でも名誉でもなく、二人と勝負することであった。しかし、王との初対戦ではストレートの四球で歩かせてしまい、一塁出塁した王に対して思わず「すみません」と謝ったという。

一方で、王は安田を苦手にしており、王の対安田の通算打率は.254に留まっている。これは王の全盛期のセ・リーグの主力投手の中ではずば抜けた記録である(当時セ・リーグ最強の巨人キラーとして鳴らしていた平松政次への王の通算打率は.370、王への対抗心を激しく燃やした江夏豊は.287、星野仙一は.318)。ちなみに、王が本塁打世界新記録の756号をかけた打席で王と安田は7回対戦しているが、安田は真っ向勝負で1本の安打も許さず全て打ち取り、結局同僚の鈴木康二朗が756号を被弾してしまった。なお、安田は次の757号を打たれている。

プロ入りしてから伸び悩んでいたサイドスロー左腕の永射保は、安田が王を巧みに打ち取るのを見て「遅いクセ球で打者を翻弄する方法もあるんだ」と開眼し、以後、日本を代表するリリーフ投手になった。

王との関係は、王の引退翌年(1981年)に現役を退いてからも続いている。安田より前(2006年)に胃がんで胃の全摘手術を受けた王は、安田が同じ病と闘っていることを人づてに聞き付けると、自身のサインに「気力で乗り切ってください」というメッセージを添えた色紙を安田に贈った。安田自身は、この色紙を自宅に飾ることで、闘病生活の励みにしているという。

タレントの出川哲朗横浜市出身だが、現在に至るまで(ベイスターズではなく)東京ヤクルトスワローズのファンである。これは、スター選手だった王を安田が名ピッチングで押さえ込んだところをテレビで見て感動したことによるものである。

登場する作品

いしいひさいち漫画がんばれ!!タブチくん!!』では、安田がモデルの『ヤスダ』投手が登場し、「新魔球」をたびたび披露して活躍する。この「新魔球」は前述の安田のクセ球がヒントになったものである(なお、チームメイトの大矢明彦が『オーヤくん』、当時ヤクルト監督だった広岡達朗が『ヒロオカ監督』で登場)、ペンギンに例えられるキャラクター描写もある。これに対する彼へのお礼は『がんばれ!!タブチくん!!』映画のペアチケットだけだったらしい。このキャラクターはコーチ昇格後だけでなく、小説雑誌編集者など役柄を変え、いしいマンガに重用され続け、今なお朝日新聞連載「ののちゃん」に小学校教師として(同僚役のタブチともども)登場し続け、いしいの漫画世界の主要キャラの一人になっている。ただし、これらの漫画でのイメージが強いせいか、友人でスワローズのファンであった小野ヤスシは自らの著書で、実際の本人とは違うと記している(教師役や編集者役にチェンジして以降はむしろ突っ込み役的な常識人キャラクターとなっているが、野球選手として描かれたヤスダはタブチ以上に破天荒にデフォルメされた描かれ方だった)。

詳細情報

年度別投手成績






























ブ




ド
































ボ











W
H
I
P

1972 | ヤクルト | 50 | 12 | 3 | 2 | 1 | 7 | 5 | -- | -- | .583 | 668 | 168.2 | 136 | 6 | 31 | 4 | 2 | 81 | 0 | 0 | 51 | 39 | 2.08 | 0.99
1973 | 53 | 14 | 11 | 4 | 5 | 10 | 12 | -- | -- | .455 | 799 | 208.2 | 175 | 13 | 25 | 9 | 1 | 107 | 0 | 0 | 50 | 47 | 2.02 | 0.96
1974 | 28 | 15 | 4 | 0 | 0 | 9 | 5 | 0 | -- | .643 | 547 | 130.1 | 143 | 6 | 17 | 5 | 4 | 63 | 0 | 0 | 50 | 46 | 3.18 | 1.23
1975 | 44 | 27 | 13 | 3 | 7 | 16 | 12 | 4 | -- | .571 | 978 | 243.2 | 238 | 20 | 36 | 10 | 0 | 101 | 1 | 0 | 78 | 74 | 2.73 | 1.12
1976 | 38 | 32 | 12 | 0 | 6 | 14 | 13 | 2 | -- | .519 | 954 | 229.1 | 242 | 38 | 32 | 9 | 2 | 79 | 0 | 1 | 113 | 100 | 3.93 | 1.19
1977 | 51 | 20 | 8 | 1 | 3 | 17 | 16 | 6 | -- | .515 | 894 | 214.0 | 229 | 35 | 51 | 10 | 3 | 108 | 2 | 0 | 95 | 89 | 3.74 | 1.31
1978 | 47 | 21 | 6 | 1 | 0 | 15 | 10 | 4 | -- | .600 | 800 | 182.2 | 228 | 13 | 50 | 9 | 3 | 71 | 1 | 1 | 92 | 80 | 3.93 | 1.52
1979 | 19 | 10 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | -- | .200 | 221 | 46.1 | 69 | 8 | 21 | 3 | 1 | 19 | 1 | 0 | 32 | 32 | 6.26 | 1.94
1980 | 22 | 9 | 2 | 2 | 1 | 4 | 3 | 1 | -- | .571 | 319 | 77.2 | 77 | 12 | 20 | 3 | 0 | 24 | 0 | 0 | 33 | 33 | 3.81 | 1.25
1981 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 32 | 7.0 | 11 | 3 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 7 | 7 | 9.00 | 1.86
通算:10年 358 | 160 | 59 | 13 | 23 | 93 | 80 | 17 | -- | .538 | 6212 | 1508.1 | 1548 | 154 | 285 | 62 | 16 | 655 | 5 | 2 | 601 | 547 | 3.26 | 1.22

タイトル

表彰

記録

初記録
その他の記録

背番号

脚注

  1. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  2. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  3. ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
  4. ^ 「1ヶ月あれば投手は生まれ変われることを体験した男 安田猛」 『週刊ベースボール』2009年8月17日号、ベースボール・マガジン社、2009年、雑誌20443-8/17、16-17頁。
  5. ^ 田淵敬遠で始まり田淵敬遠で終わった安田猛の無四死球記録
  6. ^ 『引退 そのドラマ』46頁
  7. ^ 『引退 そのドラマ』50頁
  8. ^ 【夕刊フジ編集局から】安田猛氏の「それ行け!ヤスダ」新連載スタート
  9. ^ 学生野球資格回復に関する規則第4条による適性認定者日本学生野球協会
  10. ^ 小倉・安田コーチ体調不良で辞任 元ヤクルト投手デイリースポーツ 2017年3月18日
  11. ^ 「安田猛さん がん闘病、母校小倉高を指導…元ヤクルト左腕」毎日新聞、2017年5月24日
  12. ^ “王キラー”安田猛氏 「余命1年」のがん闘病…王さんの言葉「気力で乗り切って」が支えにスポーツニッポン 2019年5月10日
  13. ^ 『魔球伝説』文春ビジュアル文庫、安田の項
  14. ^ 『引退 そのドラマ』47頁
  15. ^ ヤバイよ!出川哲朗 ヤクルトファンクラブ初の名誉会員に - スポニチAnnex 2012年11月17日
  16. ^ いしい『がんばれ!!タブチくん!!』双葉社2巻30頁、3巻49頁、他
  17. ^ いしい『がんばれ!!タブチくん!!』双葉社3巻56頁

参考文献

関連項目

業績
セントラル・リーグ新人王
1950年代 | 

1960年代 | 
  • 1960 堀本律雄
  • 1961 権藤博
  • 1962 城之内邦雄
  • 1964 高橋重行
  • 1966 堀内恒夫
  • 1967 武上四郎
  • 1968 高田繁
  • 1969 田淵幸一

  • 1970年代 | 
  • 1970 谷沢健一
  • 1971 関本四十四
  • 1972 安田猛
  • 1974 藤波行雄
  • 1976 田尾安志
  • 1977 斉藤明雄
  • 1978 角三男
  • 1979 藤沢公也

  • 1980年代 | 
  • 1980 岡田彰布
  • 1981 原辰徳
  • 1982 津田恒美
  • 1983 槙原寛己
  • 1984 小早川毅彦
  • 1985 川端順
  • 1986 長冨浩志
  • 1987 荒井幸雄
  • 1988 立浪和義
  • 1989 笘篠賢治

  • 1990年代 | 
  • 1990 与田剛
  • 1991 森田幸一
  • 1992 久慈照嘉
  • 1993 伊藤智仁
  • 1994 藪恵市
  • 1995 山内泰幸
  • 1996 仁志敏久
  • 1997 澤崎俊和
  • 1998 川上憲伸
  • 1999 上原浩治

  • 2000年代 | 
  • 2000 金城龍彦
  • 2001 赤星憲広
  • 2002 石川雅規
  • 2003 木佐貫洋
  • 2004 川島亮
  • 2005 青木宣親
  • 2006 梵英心
  • 2007 上園啓史
  • 2008 山口鉄也
  • 2009 松本哲也

  • 2010年代 | 
  • 2010 長野久義
  • 2011 澤村拓一
  • 2012 野村祐輔
  • 2013 小川泰弘
  • 2014 大瀬良大地
  • 2015 山崎康晃
  • 2016 高山俊
  • 2017 京田陽太
  • 2018 東克樹

  • 記述のない年は該当者なし

    セントラル・リーグ最優秀防御率
    1950年代 | 

    1960年代 | 
  • 1960 秋山登
  • 1961 権藤博
  • 1962 村山実
  • 1963 柿本実
  • 1964 G.バッキー
  • 1965 金田正一
  • 1966 堀内恒夫
  • 1967 権藤正利
  • 1968 外木場義郎
  • 1969 江夏豊

  • 1970年代 | 
  • 1970 村山実
  • 1971 藤本和宏
  • 1972 安田猛
  • 1973 安田猛
  • 1974 関本四十四
  • 1975 安仁屋宗八
  • 1976 鈴木孝政
  • 1977 新浦寿夫
  • 1978 新浦寿夫
  • 1979 平松政次

  • 1980年代 | 
  • 1980 松岡弘
  • 1981 江川卓
  • 1982 斉藤明夫
  • 1983 福間納
  • 1984 小林誠二
  • 1985 小松辰雄
  • 1986 北別府学
  • 1987 桑田真澄
  • 1988 大野豊
  • 1989 斎藤雅樹

  • 1990年代 | 
  • 1990 斎藤雅樹
  • 1991 佐々岡真司
  • 1992 盛田幸妃
  • 1993 山本昌広
  • 1994 郭源治
  • 1995 T.ブロス
  • 1996 斎藤雅樹
  • 1997 大野豊
  • 1998 野口茂樹
  • 1999 上原浩治

  • 2000年代 | 
  • 2000 石井一久
  • 2001 野口茂樹
  • 2002 桑田真澄
  • 2003 井川慶
  • 2004 上原浩治
  • 2005 三浦大輔
  • 2006 黒田博樹
  • 2007 高橋尚成
  • 2008 石川雅規
  • 2009 チェン

  • 2010年代 | 
  • 2010 前田健太
  • 2011 吉見一起
  • 2012 前田健太
  • 2013 前田健太
  • 2014 菅野智之
  • 2015 K.ジョンソン
  • 2016 菅野智之
  • 2017 菅野智之
  • 2018 菅野智之


  • 日本シリーズにおけるセントラル・リーグ出場チーム第1戦先発投手
    1950年代 | 

    1960年代 | 
  • 1960 鈴木隆
  • 1961 中村稔
  • 1962 小山正明
  • 1963 伊藤芳明
  • 1964 村山実
  • 1965 金田正一
  • 1966 城之内邦雄
  • 1967 金田正一
  • 1968 金田正一
  • 1969 堀内恒夫

  • 1970年代 | 
  • 1970 堀内恒夫
  • 1971 堀内恒夫
  • 1972 堀内恒夫
  • 1973 高橋一三
  • 1974 松本幸行
  • 1975 外木場義郎
  • 1976 堀内恒夫
  • 1977 小林繁
  • 1978 安田猛
  • 1979 北別府学

  • 1980年代 | 
  • 1980 山根和夫
  • 1981 江川卓
  • 1982 小松辰雄
  • 1983 江川卓
  • 1984 山根和夫
  • 1985 池田親興
  • 1986 北別府学
  • 1987 桑田真澄
  • 1988 小野和幸
  • 1989 斎藤雅樹

  • 1990年代 | 
  • 1990 槙原寛己
  • 1991 佐々岡真司
  • 1992 岡林洋一
  • 1993 荒木大輔
  • 1994 桑田真澄
  • 1995 T.ブロス
  • 1996 斎藤雅樹
  • 1997 石井一久
  • 1998 野村弘樹
  • 1999 野口茂樹

  • 2000年代 | 
  • 2000 工藤公康
  • 2001 石井一久
  • 2002 上原浩治
  • 2003 井川慶
  • 2004 川上憲伸
  • 2005 井川慶
  • 2006 川上憲伸
  • 2007 川上憲伸
  • 2008 上原浩治
  • 2009 D.ゴンザレス

  • 2010年代 | 
  • 2010 吉見一起
  • 2011 チェン
  • 2012 内海哲也
  • 2013 内海哲也
  • 2014 R.メッセンジャー
  • 2015 石川雅規
  • 2016 K.ジョンソン
  • 2017 井納翔一
  • 2018 大瀬良大地


  • ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    出典:wikipedia
    2019/07/23 13:54

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