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安藤美姫とは?

獲得メダル
フィギュアスケート
主要な国際競技会
大会 1位 2位 3位
世界選手権 2 | 0 | 1
四大陸選手権 1 | 0 | 1
グランプリファイナル 0 | 1 | 0
世界国別対抗戦 0 | 0 | 1
世界ジュニア選手権 1 | 1 | 1
ジュニアグランプリファイナル 2 | 0 | 1
合計 6 | 2 | 5

世界選手権
 | 2007 東京 | 女子シングル
 | 2009 ロサンゼルス | 女子シングル
 | 2011 モスクワ | 女子シングル
四大陸選手権
 | 2008 高揚 | 女子シングル
 | 2011 台北 | 女子シングル
世界国別対抗戦
 | 2009 東京 | 団体
グランプリファイナル
 | 2009 東京 | 女子シングル
世界ジュニア選手権
 | 2002 ハーマル | 女子シングル
 | 2003 オストラヴァ | 女子シングル
 | 2004 ハーグ | 女子シングル
ジュニアグランプリファイナル
 | 2001 ブレッド | 女子シングル
 | 2002 ハーグ | 女子シングル
 | 2003 マルメ | 女子シングル

安藤 美姫(あんどう みき、ラテン文字:Miki Ando, 1987年12月18日 - )は、日本の元フィギュアスケート選手(女子シングル)。2002年ジュニアグランプリファイナルにおいて、ISU公式大会で女子選手として史上初の4回転ジャンプを成功させた。

主な実績に2007年2011年世界選手権各優勝、2010年バンクーバーオリンピック5位、2006年トリノオリンピック日本代表(15位)。世界ジュニア選手権2011年四大陸選手権各優勝、全日本選手権3回優勝(2003年2004年2010年)など。

目次

  • 1 人物
  • 2 経歴
    • 2.1 幼少期( -2001)
    • 2.2 ジュニア時代
    • 2.3 2004-2005シーズン
    • 2.4 2005-2006シーズン
    • 2.5 2006-2007シーズン
    • 2.6 2007-2008シーズン
    • 2.7 2008-2009シーズン
    • 2.8 2009-2010シーズン
    • 2.9 2010-2011シーズン
    • 2.10 2011-2012シーズン
    • 2.11 2012-2013シーズン
    • 2.12 2013-2014シーズン
    • 2.13 引退後
  • 3 技術・演技
  • 4 記録
  • 5 主な戦績
    • 5.1 詳細
  • 6 プログラム使用曲
  • 7 メディア出演等
    • 7.1 テレビ
    • 7.2 テレビドラマ
    • 7.3 CM
    • 7.4 映画
    • 7.5 書籍
  • 8 受賞
    • 8.1 スポーツ賞
    • 8.2 その他
  • 9 脚注
  • 10 外部リンク

人物

愛知県名古屋市出身。名古屋市立見付小学校名古屋市立城山中学校中京大学附属中京高等学校卒業。これまでの所属クラブは名東FSC、オリオンFSC。高校卒業後はトヨタ自動車に入社し、同時に中京大学体育学部に社会人学生として入学、2011年(平成23年)3月に卒業した。血液型A型

スケート教室入会の直後に父親を亡くしている。トリノオリンピックシーズンのショートプログラムでは父親に捧げる「戦場のメリークリスマス」を選曲。愛用しているネックレスのリングは父親の結婚指輪で、心の支えにしている。

尊敬するスケーターは荒川静香ミシェル・クワン。荒川静香や中野友加里鈴木明子武田奈也らとはプライベートでも非常に仲が良い。海外のスケーターとも仲が良く、特にジョアニー・ロシェットカロリーナ・コストナーはジュニア時代から一緒の試合に出ていた同年代のスケーターだったため親交が深い。

歌手の絢香と親交があり、2006年~2007年の時期のエキシビションで絢香の「I believe」を使用し、2007年世界選手権のエキシビションでは共演した絢香に「I believe」を生演奏を依頼した。

ディズニーキャラクタースティッチに似ていると言われている。バンクーバーオリンピックの時には、ファンからもらったスティッチのぬいぐるみをバンクーバーへ一緒に持って行った。

ニュースキャスター安藤優子が『ミキティ』なるニックネームをつけたが市井に普及していない。小学生時代はバードウォッチング部のクラブ活動をしており、「鳥と会話出来る」などと主張している。

2013年1月1日付でトヨタ自動車を退社した。安藤の側から「2011・2012年の2年間、公式戦に出場できなかったため社員の義務を果たせなかった」と申し出て、契約満了となったものである。

2013年4月3日に女児を出産し、これを同年7月1日放送の報道ステーション(ANN系列)のインタビューで公表した。

経歴

幼少期( -2001)

8歳の時、友人に誘われ子どものスケート教室に入る。教室のコーチに勧められて9歳で門奈裕子が教える名東フィギュアスケートクラブに入会し、翌年には2回転アクセルを、その翌年には3回転サルコウと3回転トウループを習得。1998年(平成10年)に全日本ノービス選手権Bクラスで3位となり、1999年(平成11年)の同大会Aクラスで優勝した。2000-2001シーズンから小塚嗣彦、小塚幸子が教えるオリオンフィギュアスケートクラブに移り、週末は新横浜の佐藤信夫コーチの元にも通うようになる。3回転ルッツ-3回転ループを習得し、全日本ノービス選手権Aクラスを連覇、また2つの国際競技会で優勝した。

ジュニア時代

2001-2002シーズン、全日本ジュニア選手権優勝、ISUジュニアグランプリ (JGP)JGPファイナルを含む3戦全てで優勝し、華々しいジュニアデビューを飾る。シニアの全日本選手権でも3位に入った。2002-2003シーズンのJGPファイナルでは、フリースケーティングで女子シングル史上初の4回転サルコウに成功。

2003-2004シーズンはJGPファイナルで2季ぶりに優勝。全日本ジュニア選手権では4回転サルコウを成功させ、荒川静香以来史上2人目となる3連覇を達成した。全日本選手権では4回転サルコウ、3回転ルッツ-3回転ループ、3回転トーループ-3回転トーループを入れた1クワド6トリプルの構成を完璧に成功させ、村主章枝、荒川静香らを抑えて初優勝。世界ジュニア選手権2002年大会から毎年1つずつ順位を上げ、2004年大会でついに優勝を果たした。世界選手権でも4位と健闘した。

2004-2005シーズン

2004-2005シーズンから参戦したグランプリシリーズ (GPシリーズ)では、スケートアメリカNHK杯中国杯の3戦に出場。NHK杯のフリーでは会心の演技を披露する。また、フリーの冒頭では3回転ルッツ-3回転ループ-2回転トゥループという女子では最高難易度のコンビネーションを成功させ、GOEと合わせて15.2点という高得点を記録する。 これは現在でも1度のジャンプでの歴代最高得点である。GPシリーズの活躍もあり、1季目ながらGPファイナルに進出し、4位となる。全日本選手権では2連覇を果たした。冬季国体では、安藤を見るために競技会場の収容能力をはるかに超える観客が詰め掛け、入場制限が掛けられた。世界選手権は6位。

2005-2006シーズン

2005年5月からアメリカに練習拠点を移し、キャロル・ヘイス・ジェンキンスの指導を受ける。2005-2006シーズンのGPシリーズロシア杯NHK杯に出場。ロシア杯ではジェンキンスの下で伸ばした表現力が評価され、演技構成点で以前よりも高い得点を得られるようになり、総合得点ではパーソナルベストを更新した。GPファイナルでは4位となった。全日本選手権では6位に終わったものの、五輪代表選考のポイントでは総合3位となり、トリノオリンピックの代表に選出された。トリノでは、前年末に骨折した右足小指が完治しないまま競技に臨み、ショートプログラム (SP) 8位と出遅れる。フリーでは4回転サルコウを回転不足で転倒するなどミスが続き、総合15位に終わった。

2006-2007シーズン

新コーチのニコライ・モロゾフと

トリノオリンピック後からニコライ・モロゾフにコーチを変えた。モロゾフの指導により食事のメニューも細かくして体を絞り、大人の女性の魅力を出すための表現力を磨き、スピンやステップでも更に得点を稼げるように技術を高めた。3月には門奈裕子のもとで基礎からジャンプを作り直した。スケートアメリカでは、SP、フリーともに3回転ルッツ-3回転ループを決め、ノーミスの素晴らしい演技を披露する。フリーでは技術点で70点を超え、当時の歴代最高得点を記録。総合得点でもパーソナルベストを約20点更新し1位となり、GPシリーズ初優勝を果たす。2戦目のエリック・ボンパール杯では2位となり、GPシリーズランキング1位でGPファイナルへの出場権を獲得した。

3季連続で進出したGPファイナルでは、SPではパーソナルベストを更新する素晴らしい演技で首位と僅差の2位につけたものの、フリー当日に腹痛をおこし、満足な演技ができないまま5位に終わった。地元名古屋で開催された全日本選手権では、フリーの演技中に右肩を亜脱臼しながら最後まで滑りきり2位となった。しかし故障のため日本学生氷上競技選手権大会と、ユニバーシアードは欠場することになった。世界選手権ではSP、フリーいずれもパーソナルベストを更新する会心の演技で金メダルを獲得。伊藤みどり佐藤有香、荒川静香に次いで日本人歴代4人目の世界女王となった。

2007-2008シーズン

2008年四大陸選手権

2007-2008シーズン、GPシリーズでは、フリップのエッジ矯正の影響でルッツも安定していなかったため3回転-3回転は回避した。スケートアメリカでは2位となったが、NHK杯はフリーで3度転倒して4位に沈み、GPファイナル進出を逃した。全日本選手権ではSP、フリー共に3回転-3回転を成功させ、気迫のある演技で国内選手権ながら総合200点を越え2位となった。四大陸選手権で2年ぶりに4回転サルコウに挑んだが、回りきれずに2回転になった。世界選手権ではSPを前季に使用した「シェヘラザード」に戻して臨んだ が8位と出遅れる。フリーは当日の朝、左ふくらはぎを痛め、強行出場したが演技途中で棄権した。この後、怪我や調子の波が大きい自分はリンクに立ち続ける資格がないのではないかと悩み、周囲には「辞めたほうがいいと思う」と漏らしていた。しかし、モロゾフの慰留や、関係者と話をしていくうちにスケートに向かう気持ちを取り戻し、バンクーバーオリンピックを目標に競技を続けることを決めた。

2008-2009シーズン

2008-2009シーズンはすべての試合で4回転に挑む意向を示していたが、スケートアメリカはモロゾフのクリーンに滑ることを優先しようという指示で、中国杯では練習不足のため、それぞれ回避した。中国杯終了後、フリープログラムを『ジゼル』から『交響曲第3番』に変更。2季ぶりに進出したGPファイナルのフリーでは4回転サルコウに挑戦し、回転不足と判定されたものの片足での着氷に成功した。SPの転倒などもあり、総合順位は最下位だったものの、自分自身で納得のいく演技ができたと語っている。全日本選手権ではフリー前の6分間練習で村主章枝と衝突する事故があった ものの3位に入った。世界選手権では、SPとフリー共に会心の演技を披露。ジャンプで回転不足の判定などがあったものの、技術点のみならず、演技構成点でも高い得点をマークし、総合3位に。2年ぶりにメダルを獲得した。

2009-2010シーズン

2009-2010シーズン、ロステレコム杯NHK杯とGPシリーズで連勝。GPファイナルでは2位に入り、オリンピック日本代表に内定した。バンクーバーオリンピックでは、SPとフリー共に安定した演技を見せたが、回転不足などのミスがあり得点はあまり伸びず、5位入賞となった。

2010年、中国杯優勝

翌月の世界選手権では、SPで冒頭のジャンプを転倒してしまい11位と出遅れるが、フリーではスピンのミスが1つあったものの、それ以外はほぼノーミスの素晴らしい演技を披露し3位に。総合得点でも驚異的な追い上げを見せ、4位となった。

2010-2011シーズン

2010-2011シーズン、中国杯ロステレコム杯とGPシリーズで連勝。GPファイナルでは、ショートプログラムを『ブロークンソロウ』『エジプティアン・イン・ザ・ナイト』から『ミッション』に変更。SPではプログラム変更の影響が出てしまい、転倒などのミスにより5位と出遅れたが、フリーではノーミスの演技を披露し1位となる。しかし総合ではSPの点差が響き5位となった。全日本選手権では、SPで首位と僅差の2位につけると、フリーでは会心の演技を披露し1位に。総合でも国内選手権ながら200点を越える得点で1位となり、6年ぶり3度目の優勝を果たした。この結果により、世界選手権四大陸選手権の出場権を獲得した。四大陸選手権ではフリーと総合得点でパーソナルベストを更新、総合得点で200点の大台を超え初優勝。

当初日本・東京開催予定だったが東日本大震災の為中止、約1か月延期後ロシアモスクワで代替開催された世界選手権では、SPで首位と僅差の2位となるも、FSで1位となる。結果総合でも1位となり、4年ぶり2度目の世界選手権優勝を果たした。世界選手権を複数回制したことは史上16人目の快挙である。この試合では、初めてSP・フリー共に全てのスピンで最高評価のレベル4を獲得した。肩の怪我の影響でビールマンスピンができなくなってから苦戦していたレイバックスピンでのレベル4獲得は、トリノオリンピックのSP以来であった。また、当シーズンのフリーでは全ての試合で1位となった。そして、当シーズンは出場した国際大会と全日本選手権を合わせた6戦中5勝を挙げ、現在までの安藤の競技人生の中で最高の成績を記録した。

2011-2012シーズン

2011-2012シーズンは10月のジャパンオープンのみ出場し、競技生活は休養した。元々前シーズンに休養するつもりだったが、1シーズン延期していた。このシーズン安藤は世界中のアイスショーへ精力的に出演し、特にスターズ・オン・アイスでは佐藤有香と共に日本人レギュラーメンバーとして活躍。また、2012年3月11日には、自身が総合演出・企画・構成を務めたアイスショー、リボーン・ガーデンに出演した。この企画を行った理由について安藤は、2011-2012シーズンの競技生活をしないと決めてから、東日本大震災によって被災してしまった人々に何かできないかと方法を模索しており、単にチャリティーでもアイスショーでもなく、東日本で起こったことを忘れないためのイベントをやりたかった。「リボーン・ガーデン」と題したのは、まさに再生を、前に進んで行くこと、新しく始めることを願ったから、と話している。4月に東京で開催された世界フィギュアスケート国別対抗戦にはゲストとしてエキシビションに出演、怪我により個人ナンバーを辞退したキャシー・リード&クリス・リード組に代わり、2つのナンバーを披露した。その一方で、2012年3月、コーチのニコライ・モロゾフに師弟関係の継続を断られた。

2012-2013シーズン

2012-2013シーズン、競技への復帰が発表され、GPシリーズには中国杯エリック・ボンパール杯への出場が予定されていたが、選手を指導する後任のコーチが見つからないこと、グランプリシリーズに向けての技術的・精神的な調整が間に合っていないことを理由に欠場することを表明した。安藤の公式フェイスブックには、安藤は毎日練習に励んでいたが、後任コーチが見つからないこともあり、このままでは満足する演技ができないと悩み、日本スケート連盟と相談しての苦渋の決断であったこと。一方で安藤自身「現役選手として競技生活を終えたい」という気持ちを強くもっており、もういちどゼロから一人のフィギュアスケーターとして、次のチャンスに向けて練習を続ける覚悟でいるということ。事実上2012-2013シーズンの公式試合へ出場しないことなどが併せて発表された。

2013-2014シーズン

2013年1月に所属のトヨタ自動車を退職していたことを発表。同年7月1日、テレビ番組でのインタビューにて『4月に長女を出産していたこと』を公表すると共に、「2013年-2014年シーズンを最後に現役を引退する」ことも併せて宣言。現役生活の集大成へ向けて「責任を持って頑張りたいので、皆様に温かい目で応援して戴きたい」と最後のシーズンへ賭ける思いも披瀝している。

2013年7月、所属を新横浜プリンスクラブとし、併せて登録を愛知県スケート連盟から神奈川県スケート連盟に変更することが明らかになった。これにより、ソチオリンピックの出場権を獲得するには、ISU公認の国際大会に出場しミニマムポイントを獲得すること。そして2013年10月の関東選手権、11月の東日本選手権を突破して、全日本選手権に出場する必要が生じた。

2013年9月、ネーベルホルン杯で競技復帰し、2位となった。コーチは一時的に以前仕事をしていたバルテル・リッツォに依頼をし、大会1週間前から練習を始めた。大会後に正式にバルテル・リッツォのコーチ就任が決まった。なお、安藤はこの大会でISUの定めるソチ五輪参加必要条件とされるミニマムポイント(総得点のうちのTESの部分のみ)2013-2014シーズン基準(女子シングル:ショートプログラムTES20.00,フリープログラムTES36.00)を共に満たした。

2013年12月、ソチオリンピックへの出場を懸けて3年ぶりの出場となった全日本選手権で、ショートプログラムではトリプルトゥーループ+トリプルトゥーループのコンビネーション、トリプルルッツなど、要素を全てミス無く実施し64.87で5位につける。優勝を狙ったフリースケーティングでは当日の朝練習まで「ミスなくきれいに滑ろうか」と迷った末「最後の最後は自分らしく終わりたいと思った。ジャンプの安藤美姫と言われた時の気持ちでやりたかった」 と難しい構成を選択した。シングルサルコウ、シングルルッツなどのミスが見られ、フリープログラム単独では9位、総合7位に終わった。演技終了後のインタビューでは「シーズン当初(スケート連盟から)優勝しか(ソチ五輪への)道はないと言われていた」事を明かした。オリンピックへの出場権が獲得できなかったことから、大会終了後に現役引退を表明した。

翌日、民放の番組に出演し「ショート(プログラム)の点数を見てオリンピックはないと察した。」と話し、「2日後にはアイスショーの契約が入っている」 ことも明かした。引退後は指導者を目指すと話した。

引退後

引退後はプロスケーターとしてアイスショーに出演する傍ら、テレビのバラエティ番組等に出演することもある。また、2016年からは振付師としても活動している。

技術・演技

力強さと女性的な美しさを併せ持ち、主要国際競技会で4回転ジャンプ(サルコウ)を史上初めて成功させた女子選手である。2001年から練習を始め、「練習中に、遊びでやってみたらできちゃった」のだという。3回転ジャンプはアクセルを除く5種類をクリーンかつ正確に跳ぶことができる。以前はフリップをアウトサイドエッジで踏み切っていたが、2007-2008シーズンから踏み切りの矯正に成功しており、エッジエラーの判定を受けたことがない数少ない選手のうちの1人である。ジュニア時代の練習では、競技会で成功させている4回転サルコウに加え、4回転ループ、4回転トゥループ、3回転アクセルを成功させていたが、現在の練習でも取り組んでいるのは4回転サルコウと3回転アクセルのみである。

ジャンプコンビネーションの組み合わせも非常に多彩であり、ISUジャッジングシステム施行前には3回転ルッツ-3回転ループと3回転トゥループ-3回転トゥループの2種類で成功している。ジャッジングシステム施行後は、3回転-3回転のコンビネーションジャンプはルッツ-ループとフリップ-ループ の2種類で成功しており、また2回目のループジャンプが若干の回転不足ながらサルコウ-ループとトゥループ-ループの着氷にも成功している。3回転ルッツ-3回転ループは、安藤が現役時代のISU公認の競技会では、イリーナ・スルツカヤアデリナ・ソトニコワと安藤の3人しか成功しておらず、非常に難度の高いコンビネーションである。その後は青木祐奈樋口新葉アリーナ・ザギトワアレクサンドラ・トゥルソワが成功させており、現在までに計7人が成功させている。また、2回転半アクセル-3回転トゥループのコンビネーションも成功させており、2回目のジャンプに3回転のトゥループとループの両方を付けられる数少ない選手のうちの1人である。練習では3回転ルッツ-3回転ループ-3回転ループ、2回転半アクセル-3回転ループなどの難しいコンビネーションも成功させている。

2006-2007シーズンから2010-2011シーズンにおいては、基本的に試合にはニコライ・モロゾフだけが帯同するが、ジャンプが崩れたときには電話で門奈裕子のアドバイスを求めている。モロゾフも門奈の指導に信頼をおいており、練習中で門奈がいる場合は安藤のジャンプに関して何も言わず、門奈の指導を黙って聞いているという。

記録

主な戦績

大会/年 99-00 00-01 01-02 02-03 03-04 04-05 05-06 06-07 07-08 08-09 09-10 10-11 13-14
オリンピック |  |  |  |  |  |  | 15 |  |  |  | 5 |  | 
世界選手権 |  |  |  |  | 4 | 6 |  | 1 | 棄権 | 3 | 4 | 1 | 
四大陸選手権 |  |  |  |  |  |  |  |  | 3 |  |  | 1 | 
世界国別対抗戦 |  |  |  |  |  |  |  |  |  | 5 |  |  | 
全日本選手権 |  |  | 3 | 5 | 1 | 1 | 6 | 2 | 2 | 3 | 4 | 1 | 7
GPファイナル |  |  |  |  |  | 4 | 4 | 5 |  | 6 | 2 | 5 | 
GP中国杯 |  |  |  |  |  | 4 |  |  |  | 2 |  | 1 | 
GP
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2018/09/20 17:50

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