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安閑天皇とは?

在位期間
531年2月7日 - 535年12月17日
継体天皇25年2月7日 - 安閑天皇2年12月17日

【時代】
古墳時代
【先代】
継体天皇
【次代】
宣化天皇
【】

【陵所】
古市高屋丘陵(高屋築山古墳)
【漢風諡号】
安閑天皇
【和風諡号】
広国押武金日天皇
【諱】

【別称】
広国押建金日命
【父親】
継体天皇
【母親】
尾張目子媛(尾張連草香女)
【皇后】
春日山田皇女、紗手媛、香香有媛、宅媛
【子女】
なし
【皇居】
勾金橋宮

安閑天皇(あんかんてんのう、466年?〈雄略天皇10年?〉 - 536年1月25日?〈安閑天皇2年12月17日〉)は、日本の第27代天皇(在位:531年3月10日?〈継体天皇25年2月7日〉 - 536年1月25日?〈安閑天皇2年12月17日〉)。

諱・諡号

日本書紀』では、勾大兄皇子(まがりのおおえのみこ)としている(「まがりのおいねのみこ」とも読む)。

和風諡号は、『古事記』に広国押建金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと)、『日本書紀』に広国押武金日天皇とある。漢風諡号「安閑天皇」は代々の天皇とともに淡海三船により名付けられたとされる。

系譜

継体天皇の長子。母は尾張目子媛(おわりのめのこひめ、尾張連草香女)。

記紀に皇子女の記述はない。『本朝皇胤紹運録』によれば子に豊彦王(とよひこのみこ)がいるという。秦氏は通常は始皇帝の子孫とされるが、この記載に従えば安閑天皇の落胤となる。しかしこの豊彦王については他に史料が見当たっておらず所拠不明である。

系図

 | (27)安閑天皇 | 
 | 
 | 石姫皇女
(欽明天皇后)
 | 
 | 
 | 

 | 
 | (28)宣化天皇 | 
 | 
 | 上殖葉皇子 | 
 | 十市王 | 
 | 多治比古王 | 
 | (多治比)
 | 
 | 
 | 
 | 

 | 
 | (29)欽明天皇 | 
 | (30)敏達天皇 | 
 | 押坂彦人
大兄皇子
 | 
 | (34)舒明天皇 | 
 | 
 | 
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 | 
 | 春日皇子 | 
 | 
 | 茅渟王 | 
 | (35)皇極天皇
(37)斉明天皇
 | 

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 | 
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 | 
 | 
 | 
 | 大派皇子 | 
 | 
 | 
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 | 
 | (36)孝徳天皇 | 
 | 有間皇子 | 

 | 
 | 

 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 難波皇子 | 
 | 大俣王 | 
 | 栗隈王 | 
 | 美努王 | 
 | ()諸兄
橘氏へ〕
 | 
 | 
 | 
 | 

 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | (31)用明天皇 | 
 | 厩戸皇子
(聖徳太子) | 
 | 山背大兄王 | 

 | 
 | 
 | 

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 | 
 | 
 | 
 | 
 | (33)推古天皇 | 
 | 
 | 来目皇子 | 

 | 

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 | 
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 | (32)崇峻天皇 | 
 | 
 | 当麻皇子 | 

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 | 穴穂部間人皇女 | 
 | 
 | 殖栗皇子 | 

 | 


皇居

都は勾金橋宮(まがりのかなはしのみや。現在の奈良県橿原市曲川町か)。

なお、1889年から1956年まで存続した「金橋村(高市郡)」(現、橿原市)は、この宮号による近代の復古地名であった。金橋村がなくなった今でも駅名(JR金橋駅)や小学校名、郵便局名等々にその名を留めている。

事績

継体天皇の後を受けて、66歳にして即位したが、わずか4年で崩御した。『古事記』では乙卯年(535年)3月13日に崩じたとされる。

安閑天皇の治世の出来事として『安閑記』に、関東から九州までの屯倉の大量設置と、41箇所の屯倉の名が列挙され、これに伴う犬養部の設置が記されている。

なお、『日本書紀』に引く「百済本記」(「百濟本記爲文 其文云 大歳辛亥三月 軍進至于安羅 營乞乇城 是月 高麗弑其王安 又聞 日本天皇及太子皇子 倶崩薨 由此而言 辛亥之歳 當廿五年矣」)によれば、531年頃に天皇と太子・皇子が共に薨去したという所伝があるという。このことから、継体天皇の死後、安閑天皇・宣化天皇の朝廷と欽明天皇の朝廷が並立し、二朝間で内乱があったのではないかとする説もある(「辛亥の変」説)。

後世、神仏習合の教説で蔵王権現と同一視されたため、明治時代の神仏分離以降に、従来蔵王権現を祭神としていた神社で安閑天皇を祭神とし直したところが多い。

陵・霊廟

(みささぎ)は、宮内庁により大阪府羽曳野市古市5丁目にある古市高屋丘陵(ふるちのたかやのおかのみささぎ)に治定されている。宮内庁上の形式は前方後円。遺跡名は「高屋築山古墳」で、墳丘長122メートルの前方後円墳である。

また皇居では、皇霊殿(宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。

在位年と西暦との対照表

在位年と西暦との対照表

日本書紀』における安閑天皇の在位年には不自然な点があり、安閑天皇在位紀年には『日本書紀』のほかにも諸説がある。詳細は「継体・欽明朝の内乱」を参照。

年代は『日本書紀』に記述される在位を機械的に西暦に置き換えたもの。

『日本書紀』(本文)における紀年

【安閑天皇】
【】
【】
【元年】
2年
西暦 | 532年 | 533年 | 534年 | 535年
干支 | 壬子 | 癸丑 | 甲寅 | 乙卯

(参考)『日本書紀』或本におけるこの時期の紀年(継体天皇は安閑天皇の先代の天皇)

【継体天皇】
【26年】
【27年】
28年
西暦 | 532年 | 533年 | 534年
干支 | 壬子 | 癸丑 | 甲寅

なお、『古事記』には、継体天皇について「天皇、御年肆拾參歳。〈丁未四月九日崩也。〉」とあって、527年の崩御とされている。また安閑天皇については「〈乙卯三月十三日崩也。〉」とあり、『日本書紀』と同じく535年の崩御とされている。(〈〉内は割注)

脚注

出典

  1. ^ 『本朝皇胤紹運録』現神播磨国大僻大明神是也。秦氏祖云々。
  2. ^ 『日本書紀』継体天皇段 「廿五年二月。(中略)丁未。天皇崩磐余玉穂宮。時年八十二。」 安閑天皇段「廿五年春二月辛丑丁未。男大迹天皇立大兄天皇。即日、男大迹天皇崩。(中略)元年(中略)是年也太歳甲寅。二年(中略)十二月癸酉己丑。天皇崩勾金橋宮。時年七十。」 「男大迹天皇」は継体天皇のこと。「大兄」は勾大兄皇子(安閑天皇)のこと。
  3. ^ 『日本書紀』継体天皇段 割注の形式で「或本云、天皇廿八年歳次甲寅崩。」

関連項目

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 | 
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出典:wikipedia
2020/09/24 08:56

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