このキーワード
友達に教える
URLをコピー

室伏広治とは?

【選手情報】

【フルネーム】
室伏アレクサンダー広治
Koji Alexander Murofushi
【国籍】
日本
【種目】
ハンマー投
【所属】
アシックス
【生年月日】
(1974-10-08) 1974年10月8日(45歳)
【生誕地】
静岡県沼津市
【身長】
187cm
【体重】
99kg
【自己ベスト】
ハンマー投:84m86(2003年)
獲得メダル
陸上競技
オリンピック
 | 2004 アテネ | 男子ハンマー投
 | 2012 ロンドン | 男子ハンマー投
世界陸上選手権
 | 2001 エドモントン | 男子ハンマー投
 | 2003 パリ | 男子ハンマー投
 | 2011 大邱 | 男子ハンマー投
アジア大会
 | 1994 広島 | 男子ハンマー投
 | 1998 バンコク | 男子ハンマー投
 | 2002 プサン | 男子ハンマー投


編集

室伏 広治(むろふし こうじ、1974年昭和49年〉10月8日 - )は静岡県沼津市出身の日本の男子ハンマー投選手、スポーツ科学者(中京大学博士)。東京医科歯科大学教授学位博士(体育学)。専門は陸上競技(ハンマー投)、スポーツ科学、スポーツパフォーマンス・システム研究。特にアスリートのパフォーマンス向上に関する研究。血液型A型。

フルネームは室伏アレクサンダー広治(Koji Alexander Murofushi)。2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会スポーツディレクター・理事。スポーツ庁 オリンピック・パラリンピック教育に関する有識者会議委員。

主な実績に2001年・世界陸上エドモントン大会銀メダル受賞、2004年・アテネオリンピック金メダル受賞、2011年・世界陸上大邱大会金メダル受賞、2012年・ロンドンオリンピック銅メダル受賞。2004年のアテネ五輪金メダルを評価され、紫綬褒章を授与されている。

2016年6月、競技引退の意向を表明。

来歴

父親は「アジアの鉄人」こと室伏重信(前日本記録保持者、中京大学名誉教授。広治自身も「鉄人」と呼ばれている)。母親はオリンピックやり投ルーマニア代表のセラフィナ・モーリツ(ルーマニア語: Serafina Moritzハンガリー語: Móritz Szerafina; 重信との離婚により広治とは生別)。父親が日本人で母親がハンガリー系ルーマニア人ハーフ。現地のミドルネーム(アレクサンダー)を持つ。妹はアテネ五輪女子ハンマー投代表・女子ハンマー投の日本記録保持者・女子円盤投の元日本記録保持者の室伏由佳。2015年5月、一般会社員女性と結婚。

静岡県沼津市生まれ。愛知県豊田市立東保見小学校豊田市立保見中学校千葉県成田高等学校中京大学体育学部を経て同学大学院体育学研究科に進学。2007年、中京大学大学院で博士号(体育学)取得。2011年4月、中京大学スポーツ科学部競技スポーツ科学科准教授に就任。

2004年・アテネオリンピックの男子ハンマー投金メダリスト。陸上・投擲種目で金メダルを取ったのはアジア史上初。

日本オリンピック委員会・2005年度選手強化キャンペーンのシンボルアスリート制度適用選手。IAAF選手委員(2期目)。2012年3月、日本陸上競技連盟が行っている格付けでSクラス(最高位)に認定された。同年12月13日、新設された「ゴールドアスリート」に指定された。

2014年6月、東京オリンピックパラリンピック組織委員会スポーツディレクターに就任。同年7月に東京医科歯科大学教授 兼 スポーツサイエンスセンター長に内定。同年8月に東京医科歯科大学特任教授を経て、同年10月より同教授に就任。

2015年3月12日、日本陸上競技連盟の新理事に6月改選の次期役員として内定したことが発表され、就任。

2015年6月、日本オリンピック委員会の理事に就任

2016年6月24日、リオデジャネイロオリンピック代表選考会を兼ねた日本選手権のハンマー投競技終了後、第一線からの引退を表明。

競技経歴

幼少期から大学生時代まで

幼少時からテニス、水泳、野球、少林寺拳法など様々なスポーツを経験しながら育つ。小学3年から中学2年まではロサンゼルス近郊に滞在しており、ゴルフやテニスを習っていた。帰国後は保見中学校に編入学、当初は複数の部活動を掛け持ちしていた。最終的に陸上競技部へ入部し三種競技B(砲丸投、走幅跳、400m)に取り組んでいたが、身長が急激に伸びた際の成長痛に悩まされておりほとんど練習していない状態だったという。
1990年に成田高等学校に進学。入学当初はやり投、走幅跳、三段跳、ハードルなどさまざまな競技に取り組んでいた。高校1年の夏前から専門種目としてハンマー投に取り組み、日本高校新記録・高校最高記録を樹立。インターハイは1991年・1992年と2連覇を達成。

1993年に中京大学に進学。父・室伏重信や溝口和洋のコーチングを受け、日本学生新記録・日本ジュニア新記録を樹立。インカレ4連覇を達成。1994年の広島アジア大会では67m48を投げて2位。1995年の第79回日本選手権では69m72を投げて大会初優勝を果たした。同年の世界陸上ヨーテボリ大会では67m06を投げて予選35位。

シドニーオリンピック(2000年)まで

1997年にミズノに入社。同年の世界陸上アテネ大会では74m82を投げて10位。1998年4月26日に行われた群馬カーニバルで父・室伏重信の持つ日本記録を更新する76m65を記録。12月13日のバンコクアジア大会では78m57で大会初優勝。1999年の世界陸上セビリア大会では75m18を投げて予選14位。

2000年5月13日の大阪国際グランプリでは初の80メートルスローとなる80m23を記録して優勝。シドニーオリンピックでは雨天のコンディションから76m60で9位に終わり入賞を逃した。IAAFグランプリファイナルでは80m32で2位。

アテネオリンピック(2004年)まで

2001年7月14日の中京大土曜記録会では世界歴代7位(当時)となる83m47を記録。8月5日の世界陸上エドモントン大会では82m92を投げて2位になり、銀メダルを獲得。投擲種目でのメダル獲得は世界陸上・五輪を通じて日本人初であった。9月7日にブリスベンで行われたグッドウィルゲームズでは82m92で優勝。

2002年5月11日のドーハグランプリでこの年のシーズンベストとなる83m33を記録。9月14日のIAAFグランプリファイナルでは81m14で優勝、20日のIAAFワールドカップでは80m03で2位。10月8日の釜山アジア大会では78m72で優勝し大会2連覇を達成。

2003年5月10日の大阪国際グランプリでは82m95で優勝、6投すべての試技で81mを超えた。6月8日の第87回日本選手権では83m29の大会新記録で9連覇を達成。6月29日のプラハ国際で世界歴代3位(当時)となる84m86を記録、過去15年における世界最高記録であった。
8月25日の世界陸上パリ大会では出発3日前の練習中にサークル内で滑って転倒し、右肘を強打。手の指に力が入らない状態で、一時は欠場を考えたコンディションながら80m12を投げて3位になり、銅メダルを獲得。

2004年6月6日の第88回日本選手権では82m09を投げて父・重信と並ぶ10連覇を達成。
8月22日に行われたアテネオリンピック の大会中は82m91の記録を残し2位となったが、83m19の記録で1位となっていたハンガリーアドリアン・アヌシュドーピング疑惑が浮上。アヌシュはIOCが求めていた再検査の為の尿検体提出を拒否、更に競技前後それぞれに提出した2つの尿検体が同一人物でないことが判明。アテネオリンピック最終日の8月29日にドーピング違反で失格処分となり、室伏が優勝者となった。
9月のスーパー陸上ではシーズンベストとなる83m15を投げて優勝。同競技会終了後に金メダル授与式が行われ、5万人近い観衆からの祝福を受けた。陸上・投擲種目における金メダル獲得はオリンピック、世界選手権を通じてアジア史上初。この年は出場した7試合すべてで優勝している。

北京オリンピック(2008年)まで

2005年は第89回日本選手権にのみ出場、76m47で11連覇を達成。

2006年の第90回日本選手権では80m17で12連覇を達成。9月10日のワールドアスレチックファイナルでは81m42、16日のIAAFワールドカップではシーズンベストとなる82m01を投げて優勝。この年は出場した8試合すべてで優勝している。

2007年6月30日の第91回日本選手権では79m24で13連覇を達成。8月27日の世界陸上大阪大会では、決勝8人のうち7人が80メートル以上を記録する中80m46で6位に終わった。ワールドアスレチックファイナルでは77m95で3位。

2008年6月27日の第92回日本選手権では80m98で14連覇を達成。
8月17日の北京オリンピック大会中は80m71で5位になったが、12月11日に2位:ワディム・デフヤトフスキーと3位:イワン・チホン(共にベラルーシ)の2選手のドーピング違反が発覚、当該選手が国際オリンピック委員会理事会において失格、メダル剥奪処分を受けたため、一時は3位に繰り上がる裁定がスポーツ仲裁裁判所により下されたが、2010年6月10日に処分が撤回されたため銅メダル獲得はならなかった。
9月14日のワールドアスレチックファイナルでは78m99で3位。

ロンドンオリンピック(2012年)まで

2009年は第93回日本選手権にのみ出場、73m26で15連覇を達成。同年からアリゾナ州「Athletes' Performance」社に所属しているフィジカルトレーナーの咲花正弥、理学療法士のロバート・オオハシ、テクニカルコーチのトーレ・グスタフソン、中京大学スポーツ科学部教授の清水卓也と“チーム・コウジ”を結成。

2010年の第94回日本選手権では77m35で16連覇を達成、IAAFワールドチャレンジミーティングスでは8月29日のリエティ大会で世界ランキング1位となる80m99、9月1日のザグレブ大会で79m91を投げて優勝し、IAAFハンマースローチャレンジの初代年間チャンピオンとなった。

オリンピック凱旋パレード(2012年8月19日撮影)

2011年5月8日のセイコーゴールデングランプリ川崎では78m10で2位になり、世界選手権標準記録Aを突破。6月11日の第95回日本選手権では77m01で17連覇を達成。8月29日の世界陸上大邱大会では3投目と5投目に81m24を投げて優勝、世界選手権で初の金メダルを獲得。日本人選手で初となる五輪・世界選手権二冠覇者になるとともに、世界選手権における男子最年長優勝者(36歳と325日)となった。

2012年6月8日の第96回日本選手権では72m85で18連覇を達成。8月5日のロンドンオリンピックでは78m71で3位になり、銅メダルを獲得。

2011年と2012年の日本陸上連盟の年間表彰式「アスレティック・アワード」において、アスリート・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀選手)に選出されている。

2013年以降

2013年6月9日の第97回日本選手権では76m42で19連覇を達成。8月12日の世界陸上モスクワ大会では78m03を投げて6位入賞。

2014年6月7日の第98回日本選手権では73m93を投げて優勝、同大会の20連覇を達成。2014年の「アスレティック・アワード」では特別賞に選出される。

2015年の第99回日本選手権世界陸上北京大会を欠場。

2016年6月24日、2年ぶりの出場となったリオデジャネイロオリンピック代表選考会を兼ねた第100回日本選手権で自己ベストを20メートル以上下回る64m74を投げて12位。競技終了後、第一線からの引退を表明。

主な実績

主要国際大会

【年】
【大会】
【開催地】
【成績】
【記録】
備考
1992 | 世界ジュニア陸上競技選手権大会 | ソウル特別市 | 8位 | 65m78 | 
1993 | アジア陸上競技選手権大会 | マニラ | 2位 | 65m54 | 
1994 | アジア競技大会 | 広島市 | 2位 | 67m48 | 
1995 | 世界陸上競技選手権大会 | ヨーテボリ | 予選35位 | 67m06 | 
アジア陸上競技選手権大会 | ジャカルタ | 2位 | 69m24 | 
ユニバーシアード | 福岡市 | 15位 | 67m58 | 
1997 | 世界陸上競技選手権大会 | アテネ | 10位 | 74m82 | 
ユニバーシアード | シチリア | 8位 | 73m46 | 
1998 | アジア陸上競技選手権大会 | 福岡市 | 2位 | 74m17 | 
アジア競技大会 | バンコク | 優勝 | 78m57 | 大会新記録(当時)
1999 | ユニバーシアード | パルマ・デ・マヨルカ | 6位 | 77m14 | 
世界陸上競技選手権大会 | セビリア | 予選14位 | 75m18 | 
2000 | IAAFグランプリファイナル | ドーハ | 2位 | 80m32 | 
オリンピック | シドニー | 9位 | 76m60 | 
2001 | 世界陸上競技選手権大会 | エドモントン | 2位 | 82m92 | 投擲種目におけるメダル獲得は五輪・世界選手権を通じて日本人選手初。
グッドウィルゲームズ | ブリスベン | 優勝 | 82m92 | 陸上競技における同大会での優勝は日本人選手初。
2002 | アジア陸上競技選手権大会 | コロンボ | 優勝 | 80m45 | 大会新記録
IAAFグランプリファイナル | パリ | 優勝 | 81m14 | 同大会での優勝は日本人選手初。
IAAFワールドカップ | マドリード | 2位 | 80m03 | 
アジア競技大会 | 釜山広域市 | 優勝 | 78m72 | 大会新記録
2003 | 世界陸上競技選手権大会 | パリ | 3位 | 80m12 | 
2004 | オリンピック | アテネ | 優勝 | 82m91 | 投擲種目における優勝は五輪・世界選手権を通じて日本人選手初。
2006 | ワールドアスレチックファイナル | シュトゥットガルト | 優勝 | 81m42 | 
IAAFワールドカップ | アテネ | 優勝 | 82m01 | 同大会での優勝は日本人選手初。
2007 | 世界陸上競技選手権大会 | 大阪市 | 6位 | 80m46 | 
ワールドアスレチックファイナル | シュトゥットガルト | 3位 | 79m95 | 
2008 | オリンピック | 北京市 | 5位 | 80m71 | 
ワールドアスレチックファイナル | シュトゥットガルト | 3位 | 78m99 | 
2010 | IAAFハンマースローチャレンジ | 大阪市 | 3位 | 77m86 | 
IAAFハンマースローチャレンジ | リエーティ | 優勝 | 80m99 | 2010年世界ランキング1位
IAAFハンマースローチャレンジ | ザグレブ | 優勝 | 79m71 | 合計238.52ポイントで同シリーズ総合優勝。
同シリーズの初代年間チャンピオンとなった。
2011 | 世界陸上競技選手権大会 | 大邱広域市 | 優勝 | 81m24 | 五輪・世界選手権の二冠制覇は日本人選手初。
世界選手権における男子最年長優勝(36歳と325日)。
2012 | オリンピック | ロンドン | 3位 | 78m71 | 
2013 | 世界陸上競技選手権大会 | モスクワ | 6位 | 78m03 | 

日本選手権での成績

【年】
【所属】
【大会】
【成績】
【記録】
備考
1992年 | 成田高3 | 第76回日本陸上競技選手権大会 | 4位 |  | 
1993年 | 中京大1 | 第77回日本陸上競技選手権大会 | 2位 | 65m74 | 
1994年 | 中京大2 | 第78回日本陸上競技選手権大会 | 3位 | 64m10 | 
1995年 | 中京大3 | 第79回日本陸上競技選手権大会 | 優勝 | 69m72 | 日本選手権初優勝
1996年 | 中京大4 | 第80回日本陸上競技選手権大会 | 優勝 | 70m38 | 2連覇
1997年 | ミズノトラッククラブ | 第81回日本陸上競技選手権大会 | 優勝 | 74m06 | 3連覇
1998年 | 第82回日本陸上競技選手権大会 | 優勝 | 76m67 | 4連覇、日本新記録(当時)、大会新記録(当時)
1999年 | 第83回日本陸上競技選手権大会 | 優勝 | 75m64 | 5連覇
2000年 | 第84回日本陸上競技選手権大会 | 優勝 | 76m39 | 6連覇
2001年 | 第85回日本陸上競技選手権大会 | 優勝 | 78m83 | 7連覇、大会新記録(当時)
2002年 | 第86回日本陸上競技選手権大会 | 優勝 | 79m15 | 8連覇、大会新記録(当時)
2003年 | 第87回日本陸上競技選手権大会 | 優勝 | 83m29 | 9連覇、大会新記録
2004年 | 第88回日本陸上競技選手権大会 | 優勝 | 82m09 | 10連覇
2005年 | 第89回日本陸上競技選手権大会 | 優勝 | 76m47 | 11連覇、日本選手権最多連勝(当時)
2006年 | 第90回日本陸上競技選手権大会 | 優勝 | 80m17 | 12連覇、日本選手権最多連勝(当時)
2007年 | 第91回日本陸上競技選手権大会 | 優勝 | 79m24 | 13連覇、日本選手権最多連勝(当時)
2008年 | 第92回日本陸上競技選手権大会 | 優勝 | 80m98 | 14連覇、日本選手権最多連勝(当時)
2009年 | 第93回日本陸上競技選手権大会 | 優勝 | 73m26 | 15連覇、日本選手権最多連勝(当時)
2010年 | 第94回日本陸上競技選手権大会 | 優勝 | 77m35 | 16連覇、日本選手権最多連勝(当時)
2011年 | 第95回日本陸上競技選手権大会 | 優勝 | 77m01 | 17連覇、日本選手権最多連勝(当時)
2012年 | 第96回日本陸上競技選手権大会 | 優勝 | 72m85 | 18連覇、日本選手権最多連勝(当時)
2013年 | 第97回日本陸上競技選手権大会 | 優勝 | 76m42 | 19連覇、日本選手権最多連勝(当時)
2014年 | 第98回日本陸上競技選手権大会 | 優勝 | 73m93 | 20連覇、日本選手権最多連勝
2016年 | 第100回日本陸上競技選手権大会 | 12位 | 64m74 | 

年次ベスト

太字は自己ベスト

【年】
【所属】
【7.26kg】
【6.35kg】
やり投
円盤投
備考
1990年 | 成田高1 |  | 57m82 |  |  | 
1991年 | 成田高2 | 61m76 | 68m22 | 60m46 |  | 高校最高記録(当時)・高校記録(当時)
1992年 | 成田高3 | 66m30 | 73m52 | 68m16 |  | 高校最高記録・高校記録・千葉県高校記録(やり投、当時)
1993年 | 中京大1 | 68m00 |  |  |  | 日本学生記録(当時)
1994年 | 中京大2 | 69m54 |  |  |  | 日本学生記録(当時)
1995年 | 中京大3 | 72m32 |  |  | 44m64 | 日本学生記録(当時)
1996年 | 中京大4 | 73m52 |  |  |  | 日本学生記録
1997年 | ミズノトラッククラブ | 75m72 |  |  |  | 
1998年 | 78m17 |  |  |  | 日本記録(当時)
1999年 | 78m57 |  |  |  | 日本記録(当時)
2000年 | 81m08 |  |  |  | 日本記録(当時)
2001年 | 83m47 |  |  |  | 世界歴代7位(当時)・アジア記録(当時)・日本記録(当時)
2002年 | 83m33 |  |  | 41m93 | 
2003年 | 84m86 |  |  |  | 世界歴代3位(当時)・アジア記録・日本記録
2004年 | 83m15 |  |  |  | 
2005年 | 76m47 |  |  |  | 
2006年 | 82m01 |  |  |  | 
2007年 | 82m62 |  |  |  | 
2008年 | 81m87 |  |  |  | 
2009年 | 78m36 |  |  |  | 
2010年 | 80m99 |  |  |  | 
2011年 | 81m24 |  |  |  | 
2012年 | 78m71 |  |  |  | 
2013年 | 78m03 |  |  |  | 
2014年 | 73m93 |  |  |  | 

選手としての特徴

高速ターンや「倒れ込み」という回転中に軸を背面方向に倒す父譲りの技術を武器としている。

体重は初めて80mを超えた当時で95kg、自己ベストを投げた2003年で97kg。

父・重信は広治の体力的な素質について、「体力的な面では、スピードとジャンプ力があります。短距離選手に負けないようなスピードがあり、ジャンプでは立ち幅跳びで3メートル60ほどいっていました。その並外れたスピードとジャンプ力が、軽量ながらハンマーを飛ばせているんだと思いました」と評している。

瞬発力を要する運動を得意とする反面、持久力が求められる運動を苦手としている。広治は「小学校で初めてマラソン大会に出た時、序盤はトップだったのにゴール時点では最下位で、とてもショックを受けた記憶があります。しかし、父に『お前はマラソンが得意ではないというだけの話だ』と言われました。人には得意なことと苦手なことがあると気付いた経験です」と語っている。

広治はコントロールテストのベスト記録について、「バック投げは一般用の砲丸(7.26kg)で20m行くか行かないぐらいかな。立ち五段跳びは18m30で、両脚だと19mは跳びました。立ち幅跳びは3m60がベストです。握力はテレビ番組で計測したときに針が振り切れてしまったのでわからないですね」と語っている。

「筋力をつけるだけではハンマーでは勝てない」という持論から、2005年以降はバーベルに複数のハンマーをぶら下げたアンバランスな状態でウエイトトレーニングを行う、扇子や投網を投げる、新聞紙を片手で丸める等の感覚を磨くことを目的とした独特のトレーニングを行っている。

人物・エピソード

人物

名前は「世界を広く治めるように」と父が命名、外国人にも発音しやすい名前にしたとい

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2020/03/30 08:53

HAPPY Wikipedia

あなたの考える「室伏広治」の意味を投稿しよう
「室伏広治」のコンテンツはまだ投稿されていません。
全部読む・投稿 

室伏広治スレッド一覧

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「室伏広治」のスレッドを作成する
室伏広治の」
友達を探す
掲示板を探す
このページ
友達に教える
URLをコピー

注目のキーワード

錦織圭/北島康介/2014_FIFAワールドカップ・アジア予選/サッカー日本女子代表/消費税/東京スカイツリー/ダルビッシュ有/イチロー/香川真司/野田内閣/復興庁/石川遼/HKT48/AKB48/ワールド・ベースボール・クラシック日本代表/黒田博樹/尖閣諸島/バレンタインデー/ONE_PIECE

キーワードで探す

 
友達を探す
掲示板を探す
ハッピーWiki
ハッピーメール
ハッピーランド
HAPPY NEWS
2010Happy Mail