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小林克也とは?

こばやし かつや
小林 克也
【生年月日】
(1941-03-27) 1941年3月27日(77歳)
【出生地】
日本広島県福山市
【血液型】
A型
【ジャンル】
ラジオDJナレータータレント俳優
【活動期間】
1970年 -

小林 克也(こばやし かつや、1941年(昭和16年)3月27日 - )は、日本ラジオDJナレータータレント俳優広島県福山市野上町出身。広島大学附属福山高等学校卒業、慶應義塾大学経済学部中退。DJ第一人者。自称「ミスター音楽」。愛称はKORBY(コービー)。福山ふるさと大使 第1号。

目次

  • 1 来歴・人物
  • 2 逸話
  • 3 出演
    • 3.1 ラジオ番組
      • 3.1.1 現在
      • 3.1.2 過去
    • 3.2 テレビ
      • 3.2.1 現在
      • 3.2.2 過去
    • 3.3 テレビドラマ
    • 3.4 映画
    • 3.5 アニメ声優
    • 3.6 PV
    • 3.7 ゲーム
    • 3.8 イントロ
    • 3.9 ナレーター/CM
      • 3.9.1 CM(テレビ)
      • 3.9.2 声の出演(テレビ)
      • 3.9.3 ナレーション(テレビ)
      • 3.9.4 ラジオ
      • 3.9.5 音声ガイド
      • 3.9.6 楽曲
    • 3.10 その他コンテンツ
  • 4 レコード・CD
    • 4.1 ザ・ナンバーワン・バンド名義
      • 4.1.1 アルバム
      • 4.1.2 シングル
    • 4.2 スネークマン・ショー名義
    • 4.3 カツヤ・コバヤーシ名義
    • 4.4 花咲コバヤシ名義
    • 4.5 ZELDA
  • 5 著書
  • 6 CDブック
  • 7 脚注
  • 8 参考文献
  • 9 関連項目
  • 10 外部リンク

来歴・人物

母親は教師で母子家庭だった。小学校3年生の頃、ラジオで岩国基地からの極東放送(FEN)を聴いたことから英語に興味を持ち始め、小学校6年の終わりごろから親戚の知り合いに英語を習い出し、英語の発音を徹底的に教えられる。中学時代はボイス・オブ・アメリカオーストラリア放送などを短波で熱心に聴取。1955年、ロックンロール元年を告げるビル・ヘイリー・アンド・ヒズ・コメッツロック・アラウンド・ザ・クロック」も短波で聴いた。エルヴィス・プレスリーをはじめとするロックに夢中になる。

広島大学附属福山高等学校にトップ合格した後も英語に熱中し、将来は英語を活かす仕事をすると決めていたため、幾何学など英語以外の科目はどうでもよくなったという。このため、大学受験では東京外国語大学なども受けたが英語以外の成績に問題があったことから合格せず、英語の配点が多い慶應義塾大学経済学部に入学。慶應義塾大学在学中に運輸省の通訳案内業国家試験に合格し外国人相手の観光ガイドのアルバイトを始めるも、こちらに精を出し過ぎ、好きな英語でも経済学の英語原書には全く興味を持てず、大学を中退。外国人相手のナイトクラブなどの司会を本業とした。1970年、『バブリング・ポップス』(ラジオ関東 = 現・アール・エフ・ラジオ日本)のDJで電波デビュー。この番組はワーナー・パイオニアの新譜(主に洋楽)を紹介する番組で、その英語力と、素晴らしい声質を活かし、一気にラジオ界の寵児となる。

1976年から選曲家の桑原茂一とともにラジオ大阪でラジオ番組「スネークマンショー」を開始。「スネークマン」の名は、小林が米国のDJウルフマン・ジャックのパロディとして登場させたキャラクターが由来である(小林が巳年生まれのため)。当初はDJスネークマンによる音楽番組であったが、後にDJのオーディションで知り合った俳優の伊武雅刀を誘って、小林がキャラクター「咲坂守」などで2人の掛け合いによるコントを番組の曲間に挟む形式になった。当時としてはシュールで過激、不謹慎、下ネタを連発するコントがやがて話題を呼び、大阪ローカルから東京に進出しマニア的なブームを起こした。さらにテクノポップバンドYMOが自身のレコード『増殖』に『スネークマンショー』を収録したことにより、音楽業界への知名度を上げたのはもちろん、後のエンターテイメントにまで幅広く影響を与えた。

1980年代漫才ブームを起こしたことで知られる『THE MANZAI』(フジテレビ、1980年〜1982年)の斬新な演出の一つとしてナレーションにアメリカナイズされた小林が起用された。

1981年にスタートしたテレビ朝日深夜番組ベストヒットUSA』では司会(VJ:ヴィジュアルジョッキー)を務め、洋楽ミュージックビデオを紹介。数多くの来日アーティストに小林自らインタビューを行うなど、本格的な洋楽番組として名を馳せた。1989年に終了するが、単発特番が組まれた後、2003年からはBS朝日NACK5などで復活。

『ベストヒットUSA』を観た石井聰亙からのオファーを受け、1984年『逆噴射家族』で主演デビュー 本作での怪演っぷりも評価された。2013年の宮藤官九郎監督作『中学生円山』で、平岡拓真演じる主人公の名前「円山克也」は『逆噴射家族』での小林克也が由来と宮藤は話している。その後も時折、映画、テレビドラマに出演している。

1982年に結成した中年バンド「小林克也 & ザ・ナンバーワン・バンド」でのアバンギャルドな音楽活動でも知られる。ハワイ移民の広島弁をフィーチャーしたデビュー曲「うわさのカム・トゥ・ハワイ」は日本語ラップのはしりとして一部に評価が高い。桑田佳祐は自身の「ラップの起源は『うわさのカム・トゥ・ハワイ』。あれを克也さんに聴かされて、それにちなんで他のラップのアルバムを1、2枚聴いた」と述べている。

現在でもラジオDJとしてレギュラー番組を多数抱え、リスナーに絶大な支持を受けている。日本に長年に渡り洋楽を紹介した功績は限りなく大きい。小室哲哉は「小林克也さんのあとを継ぎたいとずっと思っている」と話している。そのためか、『小林克也のSUPER DANCE BEATS』など小林の名を冠したCDがいくつか存在する。また、抜群な語学力を活かし、英語関連の著書、教材も多数手掛ける。

2018年8月には、NHK-FMで「小林克也の音楽グラフィティ」を5夜に渡って放送し、ピーター・バラカン、山下達郎、亀淵昭信らと鼎談を繰り広げた。同番組の中で「ベストヒットUSA」では自分の好きな曲はほとんどかからず、ピーターがうらやましかったと秘話を明らかにした。(小林且弥については(英語版を参照)

逸話

出演

ラジオ番組

現在

過去

上記のうち、『ファンキーフライデー』『お願い!DJ!』『ZIP HOT 100』の3番組はいずれも4時間以上の長時間生放送番組であり、放送日もそれぞれ金曜・土曜・日曜と連続している点は注目に値する。しかし、『ZIP HOT 100』は本人の意思により3月26日放送をもって降板した。詳しい経緯は 小林克也のRADIO BAKA の「3つ目のボタン」中の『小林時々日記』に書かれている。

テレビ

現在

過去

テレビドラマ

映画

アニメ声優

PV

ゲーム

イントロ

ナレーター/CM

CM(テレビ)

ほか

声の出演(テレビ)

ほか多数

ナレーション(テレビ)

ほか多数

ラジオ

ほか

音声ガイド

楽曲

その他コンテンツ

レコード・CD

ザ・ナンバーワン・バンド名義

アルバム

シングル

スネークマン・ショー名義

カツヤ・コバヤーシ名義

花咲コバヤシ名義

ZELDA

著書

CDブック

脚注

  1. ^ (華麗な人)English口ずさみ独学 小林克也さん:朝日新聞デジタル
  2. ^ 小林克也さんを「福山ふるさと大使」第1号に.毎日新聞(2017年10月3日).2017年10月8日閲覧。
  3. ^ 「yumiyoriな話」総集編 読売新聞、2011年9月10日17面、松任谷由実 『才輝礼讃 - 38のyumiyoriな話』 中央公論新社2011
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    出典:wikipedia
    2018/12/03 03:11

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