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小池百合子とは?

小池 百合子
こいけ ゆりこ
2017年5月11日、総理大臣官邸にて

【生年月日】
(1952-07-15) 1952年7月15日(67歳)
【出生地】
日本 兵庫県芦屋市
【出身校】
関西学院大学社会学部中退
カイロ大学文学部社会学科卒業
【前職】
ニュースキャスター
アラビア語通訳
テレビ東京『ワールドビジネスサテライト』メインキャスター
【現職】
地方自治体首長
【所属政党】
(日本新党→)
(新進党→)
(自由党→)
(保守党→)
(保守クラブ→)
(自由民主党(細田派→無派閥)→)
(都民ファーストの会→)
(希望の党/都民ファーストの会→)
都民ファーストの会
【称号】
社会学士(カイロ大学・1976年)
【公式サイト】
小池百合子オフィシャルサイト
公選第20代 東京都知事

【当選回数】
1回
【在任期間】
2016年8月2日 - 現職
第2代 防衛大臣

【内閣】
第1次安倍内閣
【在任期間】
2007年7月4日 - 2007年8月27日
第5-7代 環境大臣

【内閣】
第1次小泉第2次改造内閣
第2次小泉内閣
第2次小泉改造内閣
第3次小泉内閣
第3次小泉改造内閣
【在任期間】
2003年9月22日 - 2006年9月26日
内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)

【内閣】
第2次小泉改造内閣
第3次小泉内閣
第3次小泉改造内閣
【在任期間】
2004年9月27日 - 2006年9月26日
衆議院議員

【選挙区】
(旧兵庫2区→)
(兵庫6区→)
(比例近畿ブロック→)
(東京10区→)
(比例東京ブロック→)
東京10区
【当選回数】
8回
【在任期間】
1993年7月19日 - 2016年7月14日
その他の職歴

参議院議員
(1992年7月26日 - 1993年7月4日)

小池 百合子(こいけ ゆりこ、1952年昭和27年〉7月15日 - )は、日本政治家東京都知事(第20代)。

アラビア語通訳者、ニュースキャスターを経て、1992年に政界へ転身した。

テレビ東京ワールドビジネスサテライト』キャスター(初代)、参議院議員(1期)、衆議院議員(8期)、総務政務次官(細川内閣)、経済企画総括政務次官(小渕第2次改造内閣第1次森内閣)、環境大臣(第5代第6代第7代)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)防衛大臣(第2代)、自由民主党広報本部長、自由民主党総務会長(第49代)、自由民主党国際人材議員連盟会長、都民ファーストの会代表、希望の党代表(初代)などを歴任した。

目次

  • 1 来歴
    • 1.1 生い立ち
    • 1.2 通訳、ニュースキャスター時代
    • 1.3 政界入り、反自民勢力として
    • 1.4 自民党との連立勢力から自民党入り
    • 1.5 自民党時代
    • 1.6 東京都知事に就任、自民党離党
    • 1.7 希望の党
  • 2 政策
    • 2.1 外交、安全保障
    • 2.2 経済
    • 2.3 内政
  • 3 人物
    • 3.1 政党遍歴
    • 3.2 病歴
    • 3.3 防衛事務次官更迭問題
    • 3.4 「臥薪嘗胆ヘア」と断髪式
    • 3.5 パーソナル
  • 4 政治資金
  • 5 発言
    • 5.1 小沢一郎
    • 5.2 辺野古移設案に関する非公式約束
    • 5.3 沖縄メディア
    • 5.4 水俣病問題
    • 5.5 「女性は子供を産む機械」発言への批判
    • 5.6 外国人参政権
    • 5.7 その他
  • 6 役職
  • 7 所属団体、議員連盟
  • 8 年譜
    • 8.1 選挙歴
  • 9 著作
    • 9.1 単著
    • 9.2 共著
    • 9.3 対談等
    • 9.4 監訳書
    • 9.5 論文
  • 10 脚注
    • 10.1 注釈
    • 10.2 出典
  • 11 関連項目
  • 12 外部リンク

来歴

生い立ち

兵庫県芦屋市生まれ。芦屋市立岩園小学校甲南女子中学校を経て、甲南女子高等学校卒業。在学中は、テニス部ソフトボール部ESS部に所属。高校在学中、神戸市で貿易商を営んでいた実父が石原慎太郎による将来的な新党結成を見据えた「日本の新しい世代の会」の推薦を受けて、1969年12月に実施された第32回衆議院議員総選挙旧兵庫2区から無所属で立候補したが落選している。実母は赤穂(赤穂市)の塩田地主であった小川家の出身。

甲南女子高校卒業後に関西学院大学社会学部に入学するものの、父親の会社の都合で家族が東京都、六本木に引っ越す。「国際連合公用語アラビア語が加わる」旨を伝える新聞記事をきっかけに、アラビア語通訳を目指すことにし、1971年9月に大学を中退して父親の貿易先でもあったエジプトへ留学。“朝堂院大覚”こと松浦良右の資金援助で両親もカイロ市日本食レストランを経営した。カイロ市のカイロ・アメリカン大学(英語: American University in Cairo)でアラビア語を修め、カイロ大学に移って1976年10月に卒業した。エジプト滞在中にカイロ近郊にあるギザの大ピラミッドを登り、その天辺で茶道の形式に則りお茶を点てたこともある。

なお、自身の著書においてカイロ大学を「首席で卒業」としているが、真偽は定かでない。ジャーナリストの山田敏弘がカイロ大学のアーデル・アミン・サーレ教授に取材して在籍記録を調べたところ小池が1976年にカイロ大学文学部社会学科をグッドの成績で卒業した記録が残っており、サーレ教授は「カイロ大学は今でも4人に1人は留年するが、彼女は4年間で卒業している。これはすごいこと。10月に卒業したことになっているが、普通は7月卒業なので、2か月遅れたのは卒業前にも補習を受ける必要があったからだろう。相当に大変だったのではないか」と話していたという。

通訳、ニュースキャスター時代

カイロ大学卒業後はアラビア語の通訳として活動。PLO議長アラファトリビアカダフィの会見では、コーディネーター兼インタビュアーを務めた。1984年東京大学に在籍していたトルコ人留学生ヌスレット・サンジャクリの抗議により「トルコ風呂」の名称が「ソープランド」に改められた際、小池はこの運動を支援しており、本人も後日新聞報道でそれを認めている。小池によれば、トルコ留学生の熱心な訴えを聞き、国家の尊厳を守るという「大義」に加えて、個人的な共感の結果であったという。自ら厚生省(現在の厚生労働省)に乗り込み、当時第2次中曽根内閣の厚生大臣(同厚生労働大臣)であった渡部恒三に「日本中でトルコの名前が出ているが、これはやめてくれ」と直談判、渡部の指導により『トルコ風呂』という名称は使用されなくなった。

1979年から1985年まで、日本テレビ竹村健一の世相講談』でアシスタントキャスターを務めた。NHK海外ウィークリー』の幸田シャーミン野中ともよテレ朝BIG NEWS SHOW いま世界は』の安藤優子より1年早いデビューで、元々フリーから出発した女性キャスターとしては草分け的存在であった。その後、1988年よりテレビ東京ワールドビジネスサテライト』初代メインキャスターを務めた。

1990年度の日本女性放送者懇談会賞を受賞した。

政界入り、反自民勢力として

1992年第16回参議院議員通常選挙を前に、複数の政党から立候補の誘いを受けていたが、「政治を変えるには大きな中古車を修理するのではなく、小さくても新車の方がいい」との理由で、前熊本県知事細川護熙が結党した日本新党に、野田佳彦前原誠司らとともに入党した。細川とは、同年5月に「ワールドビジネスサテライト」に細川がゲスト出演した際が初対面であり、番組出演をきっかけに細川が参議院議員候補として小池に白羽の矢を立てたという。当時の参議院比例区拘束名簿式であったが、小池は党代表の細川に次ぐ2位に記載され、日本新党が比例区で4議席を獲得したため初当選した。

1993年第40回衆議院議員総選挙に日本新党公認で鞍替え立候補し、旧兵庫2区(定数5)において日本社会党元委員長の土井たか子に次ぐ得票数2位で当選した。自由民主党は選挙前の党分裂により減少した議席数を回復できなかったのに対して、日本新党は躍進し、非自民非共産の連立による細川内閣が成立した。小池は総務政務次官に就任するが、連立政権は1年足らずで崩壊する。

1994年、日本新党を含む旧連立派各党を糾合した野党第一党となる新進党の結党に参加する。1996年第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制の導入に伴い兵庫6区(伊丹市宝塚市川西市)から出馬し、自民党の阪上善秀に競り勝ち再選。新進党では、初代幹事長でありのちに新進党党首に就任した小沢一郎の側近となり、1997年の新進党解党後は小沢率いる自由党に参加。

自民党との連立勢力から自民党入り

内閣総理大臣森喜朗らと共にロシア大統領ウラジーミル・プーチンと面会(2001年3月)

1999年、自民党と自由党の連立(自自連立)に伴う小渕第2次改造内閣の発足に際して経済企画政務次官となり、第1次森内閣まで務める。

2000年の自由党分裂に際して小沢と決別して連立与党に残留、保守党結党に参加した。同年の第42回衆議院議員総選挙では保守党公認に加えてコスタリカ方式を条件とする連立与党の推薦を受け当選(3選目)し、今回比例単独に回った自民党の阪上に次回選挙の選挙区出馬枠を譲ることとした。2002年民主党を離党した熊谷弘らの合流に伴う保守新党結成を前に、党首の野田毅および月原茂皓と共に、保守党を離党し保守クラブ(自民党へ合流するため、一時的に結成した形式上の政治団体)を経て自由民主党に入党。党内派閥に関しては、野田と月原が近未来政治研究会に入会したのに対し、小池は清和政策研究会(当時は派)に入会した。

自民党時代

2003年第1次小泉第2次改造内閣環境大臣として初入閣。同年の第43回衆議院議員総選挙では、保守党時代のコスタリカ方式の約束により自民党から比例単独で立候補。比例近畿ブロックの自民党候補名簿で重複組のひとつ上の3位に記載され、比例近畿で自民党が9議席獲得したため4選。第2次小泉改造内閣より内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)を兼任。環境大臣は第3次小泉改造内閣まで務め、2005年夏の軽装化キャンペーン「クール・ビズ」の旗振り役を務める。

2005年第44回衆議院議員総選挙では、郵政国会郵政民営化法案に反対票を投じた小林興起の当選を阻止するため東京10区刺客として国替えする意向を表明。この総選挙では、小泉純一郎の意向で女性候補が比例区の名簿で上位に優遇される措置が取られ、小池もその対象であった。しかし、小池は対立候補から事実上当選が確実な状態であることを指摘され、選挙区での戦いが不利になることを懸念。優遇の措置を辞退して選挙に臨んでいる。選挙の結果、民主党鮫島宗明や小林を大差で破り、5選。

国務長官コンドリーザ・ライスと会談前に握手(2007年8月9日)
答礼訪日時に旭日大綬章を受勲したアメリカ統合参謀本部議長ピーター・ペースと(2007年8月17日)

2006年に発足した第1次安倍内閣では、内閣総理大臣補佐官(国家安全保障問題担当)に任命される。その後、2007年7月3日防衛大臣久間章生の辞任後の後任の防衛大臣に起用された。女性初の防衛大臣である。在任中、テロ対策特別措置法の延長問題に関して、民主党が求めている自衛隊派遣に関する国会の事前承認について「国会がチェック機能を果たす観点から1年ごとの(法改正による)延長という仕切りがある。今の制度でも十分役割を果たしている」と否定的な見方を示した。

2007年8月、米下院慰安婦決議可決を受けての日米関係の動揺を防ぐため、第167回国会を欠席して米国を訪問し、国防長官ロバート・ゲーツ副大統領ディック・チェイニーと会談する。野党テロ対策特別措置法の延長に反対している状況を説明した上で、「これからも引き続き、役割を果たしていきたい」と、インド洋での自衛隊の給油活動を継続する方針を伝えた。国務長官コンドリーザ・ライスとの会談では「私は『日本のライス』と呼ばれているようですが、日本でライスは(こめ)になります。よって、マダム・スシと呼んでみてはいかがでしょうか」などと英語でジョークを飛ばした。なお、訪米のための国会欠席について8月9日に行われた自民党国防部会などの合同会議で、山崎拓から「いささか当を得ない行動ではないか。今、党はテロ対策特別措置法を抱えている」と批判されている。

イージス艦機密情報漏洩事件について、「防衛省内で誰も責任を取っていない。私は責任を取りたい」として、内閣改造で自身の再任を固辞、離任した。

2008年9月、福田康夫の辞任に伴って実施された自由民主党総裁選挙に立候補した。自民党結党以来、女性の自民党総裁選出馬は史上初であった。結果は、麻生太郎与謝野馨に次ぐ3位。党員票は麻生に次ぐ2位であったが、地方票は多くの都道府県が1位総取り方式を採用したため、0票であった。

2009年第45回衆議院議員総選挙では自民党への逆風を受けて小選挙区では民主党新人の江端貴子に敗れ、比例東京ブロックで復活当選した。9月3日、「派閥単位でなく、党全体で結束すべき」として町村派を退会し、無派閥となった。麻生退陣に伴う2009年自由民主党総裁選挙で推薦人に名を連ねた谷垣禎一が当選、谷垣総裁の下で党広報本部長を務める。2010年6月9日自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC)設立総会で、相談役に就任した。

2010年9月の党役員人事で、自由民主党総務会長に就任した。党三役に女性が就任するのは結党以来初めてであった。2011年9月退任。

2012年第46回衆議院議員総選挙では、東京10区で前回敗れた江端を大差で破り7選。選挙後、自由民主党広報本部長に就任する。2014年第47回衆議院議員総選挙で8選。

東京都知事に就任、自民党離党

東京都知事選衆議院議員若狭勝とともに街頭演説(2016年7月、新宿駅東南口)
(ビデオ) 小池百合子(2017年5月4日)

2016年、東京都知事選挙に立候補する意思を表明。当初は自民党東京都連に推薦を依頼したが、「東京の改革のために覚悟を持って臨みたい」として無所属での出馬を宣言して推薦を取り下げ、自民党に進退伺を提出する。自民党は小池を応援した者の処分などを通達したが、選挙戦では前任の舛添要一東京都議会の自民党会派の体質などを批判する。投票の結果、2位以下の候補を大きく引き離す291万2628票を獲得し、女性としては初めて東京都知事に当選した(全国の知事の中では7人目の女性知事)。

2016年9月20日、小池を支援する政治団体として『都民ファーストの会』が発足。2017年1月23日には小池系の議員による地域政党となる。6月1日、都民ファーストの会の代表に就任し、同日自民党に離党届を提出した(離党届は7月3日に受理)。同年夏の東京都議会議員選挙においては小池が主催する政治塾『希望の塾』の塾生などを擁立し、選挙の結果、都議会で小池系の勢力が過半数を占めた。都議選後、すぐに党の代表を辞任したため、選挙だけが目的の食い逃げと批判された。

都知事就任後は、築地市場移転問題等の対応にあった。2017年10月には、舛添要一前東京都知事の下で選任された3名の東京都副知事を任期途中で解任し、22年ぶりの女性東京都副知事となる猪熊純子ら2名を新たに副知事として選任した。2019年には猪瀬直樹以来となる民間出身副知事として宮坂学を起用。

希望の党

2017年9月25日、自らが代表となる新党「希望の党」の結成を発表し、同日に総務大臣あてに「希望の党」の設立を届け出て受理された。第48回衆議院議員総選挙では民進党との合流を決断。民進党議員の公認を希望の党で受け入れる形となったが、『全員を受け入れるつもりはない』という小池の発言が民進党の一部議員の反発を招き、立憲民主党の結党へと繋がる。野党が2分された結果、自民党に大敗し、野党第一党の座も立憲民主党に奪われた。この結果に党内の求心力は低下し、11月14日に代表を辞任した。11月20日、後任代表の玉木雄一郎の要請で特別顧問に就任した。その後、野党再編の有り方を巡り希望の党が分裂。分党措置により保守系議員らが新たに結成した希望の党から特別顧問就任を打診されたものの固辞し、国政からは距離を置くことを表明した。

政策

外交、安全保障

核武装
2003年11月、毎日新聞の衆議院議員アンケートで、日本の核武装について「国際情勢によっては検討すべきだ」と回答した。
対リビア外交
日本リビア友好協会の会長を務めており、日本とリビアとの関係の強化、発展を目指している。なお、この日本リビア友好協会は、リビアからの要求に基づき、政府に代わり「日本リビア間の経済、産業、科学技術、文化等の協力促進に関する合意書」を締結した団体である。国際連合によるリビア制裁の間も、日本とリビアとの関係強化を図るためさかんに活動しており、同国の革命指導者である ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2019/10/22 18:28

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