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小関竜也とは?

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小関 竜也
埼玉西武ライオンズ 外野守備・走塁コーチ #79

【基本情報】

【国籍】
日本
【出身地】
栃木県佐野市
【生年月日】
(1976-07-24) 1976年7月24日(43歳)
【身長
体重】
178 cm
70 kg
【選手情報】

【投球・打席】
左投左打
【ポジション】
外野手
【プロ入り】
1994年 ドラフト2位
【初出場】
1996年10月4日
【最終出場】
2008年8月19日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


コーチ歴

  • 読売ジャイアンツ (2011 - 2018)
  • 埼玉西武ライオンズ (2020 - )

この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手 テンプレート


小関 竜也(おぜき たつや、1976年7月24日 - )は、栃木県佐野市出身の元プロ野球選手(外野手、左投左打)、コーチ野球解説者2003年シーズン途中から2004年までの登録名小関 竜弥(読み同じ)。2020年からは埼玉西武ライオンズのコーチを務める。長女はアイドルグループカントリー・ガールズ小関舞

目次

  • 1 来歴
    • 1.1 プロ入り前
    • 1.2 西武時代
    • 1.3 メジャー挑戦
    • 1.4 巨人時代
    • 1.5 横浜時代
    • 1.6 横浜退団後
    • 1.7 引退後
  • 2 選手としての特徴
  • 3 登場曲について
  • 4 詳細情報
    • 4.1 年度別打撃成績
    • 4.2 年度別守備成績
    • 4.3 表彰
    • 4.4 記録
    • 4.5 背番号
    • 4.6 登録名
  • 5 関連情報
    • 5.1 評論家時代の出演番組
    • 5.2 ドラマ出演
  • 6 出典
  • 7 関連項目
  • 8 外部リンク

来歴

プロ入り前

実家は佐野市内にある佐野ラーメンの有名店「万里」。

国学院栃木高校では、エース投手兼主将兼四番打者を務めた。なお、同学年の控え投手は渡辺俊介(後に千葉ロッテマリーンズ)だった。

西武時代

慶應義塾大学への推薦入試を受けて不合格となり、1994年度プロ野球ドラフト会議にて西武ライオンズから2位指名を受けて投手として入団。入団後に打者へ転向。

プロ2年目の1996年、10月4日の対近鉄バファローズ25回戦の8回裏に笘篠誠治への代打として一軍初出場を果たすが、同年中の出場はこの1試合のみだった。翌1997年も1試合の出場に留まる。

1998年には104試合に出場し、同年のパシフィック・リーグ(パ・リーグ)最優秀新人に選出された(パ・リーグで入団4年目の新人王は小関が初で、2019年時点では唯一)。

1999年にプロ入り初の規定打席到達を果たした。

2002年には自身最高の打率.314を記録。松井稼頭央との不動の一・二番コンビを形成し、リーグ最多の43犠打を記録。自身初のリーグ優勝を経験した。読売ジャイアンツ(巨人)との日本シリーズ第2戦(10月27日、東京ドーム)では、1回表二死満塁で巨人・桑田真澄が二塁へ牽制球をした際、三塁走者だった小関はその隙をついて本塁を狙ったが、返球が早くアウトとなった。この大きなチャンスを逃した西武は巨人打線に打ち込まれ、西武打線は桑田に抑えられ、チームはストレートの4連敗で日本シリーズ優勝を逃した。

2003年は、打率3割は逃したが、5三塁打とリーグ最多の32犠打を記録した。

2004年赤田将吾佐藤友亮が台頭したこともあり、レギュラーとして出場できず、90試合の出場に終わった。ただしリーグ優勝を決めたプレーオフ第二ステージの第五戦では、十回表の先頭打者で決勝点の口火を切る二塁打を放った。

2005年は、選手会長に就任し飛躍が期待されたが、開幕スタメンは前年台頭した赤田将吾佐藤友亮に奪われる。4月2日の試合中に佐藤が負傷し長期離脱(9月に復帰)となったものの、自身はそのチャンスを生かせず47試合の出場に終わり、打率.198と低迷した。シーズン終了後に大幅減俸を提示された事もあり、メジャーリーグへの挑戦を申し出た結果、西武球団は小関を功労者であるとして自由契約とした。もともとトレード要員であったという説はあったものの、小関はその時点で29歳とまだ若く、また野手層の薄いチーム状況であったため、監督の伊東勤が「(来季以降も)若手と競わせるつもりだった」と編成部への不信感をあらわにするようなコメントをするなど、フロントと現場との意思疎通がうまく行っていないことを示唆する出来事であった。

メジャー挑戦

2006年2月8日、守備および送球の良さを買われ、ミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約。メジャー昇格を目指していたが、4月13日に球団のマイナー選手の外国人枠が埋まっていることが判明。その後の交渉も不調で残留は困難と判明。2日後の4月15日、巨人の入団テストを受けて合格。

巨人時代

2006年に、「打者走者以外の塁空過で打者の本塁打が取り消される」というNPB史上初の珍事を演じている(→幻の本塁打一覧)。6月11日に行われたセ・パ交流戦千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)の3回表、二死一塁でロッテ・渡辺俊介から李承燁が打球を右翼側外野スタンドに直接叩き込んだが、プレイ再開後にロッテ・今江敏晃が一塁走者だった小関の三塁空過をアピール。これが三塁塁審の西本欣司に受け入れられて小関はアウトになった。既に二死だったため、李の得点は認められず、従って本塁打も取り消された。李には単打が記録された。

この件に関して、後の2009年5月26日に放送された『斉藤一美 うるわしの夜』(文化放送)に出演した際に、本人は「踏んでないわけない。踏まないなら変な感触がある」「フジテレビにはベースを踏んだ映像が残っている」「(その時の審判を)今でも許せない。死ぬまで許せない」「今はインターネットがあるのでいつまでも残ってしまう」「清武英利代表が『小関は踏んだ』ということをアピールしてくれてうれしかった」と語っている。この年の巨人は故障者が続出し、小関も入団後は出場機会があったが、打率.258で本塁打0に終わり、救世主とはならなかった。

なお、小関は西武時代にも1999年6月25日の福岡ダイエーホークス戦でも三塁を空過してアウトになっている。

2007年は若手選手が台頭したこともあり、二軍でも出場機会が得られないまま戦力外通告を受ける。同年の12球団合同トライアウトで2本塁打を打ち、横浜ベイスターズへの入団が決定。石井琢朗は、正式な球団発表の前に小関からの「よろしくお願いします」という旨の電話があったことを自身のブログで明かしている。石井は小関と同郷であり、自主トレを一緒に行うなど親交がある。

横浜時代

2008年は開幕戦に先発出場し、開幕から4試合連続で複数安打(その内1試合は猛打賞)を記録するなど絶好調であったが、5月に入り失速。その後は主に左の代打として起用された。8月半ばに登録を抹消されるとその後の一軍出場はなかった。10月1日に戦力外通告を受ける。守備では無失策を記録し、持ち味は発揮していた。

横浜退団後

2009年は2度目のメジャーリーグ挑戦を目指し、3月にコロラド・ロッキーズのトライアウトを受けるが不合格。4月14日に現役引退を発表。

引退後

引退後は野球評論家としてJ SPORTSで解説を務めた(ただし、解説者としての初仕事は「NACK5 SUNDAY LIONS」のゲスト解説)。2011年から2016年は古巣巨人の二軍外野守備走塁コーチ2017年からは二軍打撃コーチを務めている。2018年をもって退団。

2019年からは西武OBとしてフジテレビTWOテレ玉の野球解説者に復帰した。

2020年からは西武の一軍外野守備走塁コーチを務める。

この他にも、古巣埼玉西武ライオンズの社会貢献活動あるいは講演活動に協力し、埼玉県内の小・中学校で自身の経験を基にした講演等を行っている。

選手としての特徴

西武時代は走攻守揃った選手として3度のリーグ優勝を経験し、レギュラーの右翼手だった頃は、右翼手でありながら中堅手よりも多くの打球を処理していた。2013年5月25日に聖澤諒に破られるまでは、パ・リーグの外野手の連続無失策記録(658、プロ入り時から2000年9月6日のロッテ戦まで)を保持していた。

盗塁は二桁を越える年が多かったが、盗塁刺も多かった。特に2002年はリーグ最多である。

登場曲について

西武時代、西武ライオンズ球場がドーム化され西武ドームとなるのに合わせ、各選手が打席に入る際やイニング間の投球練習の間に流すテーマ曲を決めることになった。小関は『レッツゴー!ライオンズ』(TBS)内でファンからテーマ曲のアイディアを公募し、その結果テレビドラマ『太陽にほえろ!』で劇中曲として使われた『ジーパン刑事のテーマ』(青春のテーマ)を使用することを決めた。

ところがある時期から一部の西武ファンが、小関が打席に入る際、場内で流れる同曲のリズムに合わせて小関コールを入れるようになり、これが後にホームのみならずビジターゲームでも応援団がトランペットで演奏するようにまでなった。

小関は巨人移籍後も同曲をテーマ曲に選曲。ファン・応援団による小関コールも西武時代同様に行われた。しかし巨人に在籍した2年間は出場機会に恵まれず、特に2007年シーズンは出場が僅か5試合。東京ドームで同曲が流れたのは僅か2回だけであった。

12球団合同トライアウトを経て横浜へ移籍。ここでも小関は「自分のテーマ曲として定着しているし、あの曲で横浜を盛り上げたい」と、再び同曲をテーマ曲に選んだ。

2009年には西武・星秀和が、小関本人に直接許可をもらって使用していた。

詳細情報

年度別打撃成績









































































O
P
S

1996 | 西武 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000
1997 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ----
1998 | 104 | 387 | 322 | 44 | 91 | 11 | 4 | 3 | 119 | 24 | 15 | 10 | 27 | 0 | 33 | 1 | 5 | 37 | 2 | .283 | .358 | .370 | .728
1999 | 123 | 464 | 373 | 46 | 100 | 9 | 4 | 1 | 120 | 34 | 16 | 8 | 32 | 2 | 46 | 0 | 11 | 53 | 6 | .268 | .368 | .322 | .690
2000 | 125 | 417 | 340 | 50 | 89 | 11 | 4 | 1 | 111 | 32 | 7 | 5 | 23 | 4 | 43 | 1 | 7 | 54 | 1 | .262 | .353 | .326 | .679
2001 | 133 | 495 | 407 | 40 | 114 | 17 | 4 | 3 | 148 | 38 | 17 | 6 | 32 | 2 | 46 | 1 | 8 | 37 | 2 | .280 | .363 | .364 | .726
2002 | 135 | 569 | 487 | 59 | 153 | 35 | 1 | 4 | 202 | 50 | 15 | 12 | 43 | 4 | 25 | 0 | 10 | 59 | 1 | .314 | .357 | .415 | .772
2003 | 113 | 457 | 397 | 48 | 111 | 12 | 5 | 1 | 136 | 33 | 9 | 3 | 32 | 3 | 21 | 0 | 4 | 38 | 7 | .280 | .320 | .343 | .663
2004 | 90 | 328 | 286 | 43 | 77 | 13 | 2 | 3 | 103 | 32 | 1 | 3 | 11 | 2 | 24 | 0 | 5 | 29 | 5 | .269 | .334 | .360 | .695
2005 | 47 | 104 | 86 | 10 | 17 | 3 | 1 | 0 | 22 | 1 | 0 | 0 | 6 | 0 | 8 | 0 | 4 | 16 | 1 | .198 | .296 | .256 | .552
2006 | 巨人 | 56 | 137 | 128 | 8 | 33 | 4 | 2 | 0 | 41 | 10 | 3 | 0 | 4 | 0 | 4 | 0 | 1 | 15 | 1 | .258 | .286 | .320 | .606
2007 | 5 | 4 | 4 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1 | 4 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .250 | .250 | 1.000 | 1.250
2008 | 横浜 | 49 | 103 | 93 | 9 | 20 | 1 | 0 | 1 | 24 | 3 | 0 | 1 | 1 | 0 | 8 | 2 | 1 | 11 | 1 | .215 | .284 | .258 | .542
NPB:13年 982 | 3466 | 2924 | 359 | 806 | 116 | 27 | 18 | 1030 | 259 | 83 | 48 | 211 | 17 | 258 | 5 | 56 | 351 | 27 | .276 | .344 | .352 | .696

年度別守備成績

【年
度】
【球
団】
外野


















1997 | 西武 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .---
1998 | 103 | 213 | 7 | 0 | 3 | 1.000
1999 | 122 | 250 | 4 | 0 | 0 | 1.000
2000 | 116 | 224 | 3 | 1 | 0 | .994
2001 | 130 | 204 | 3 | 1 | 1 | .995
2002 | 135 | 270 | 2 | 1 | 0 | .996
2003 | 109 | 215 | 4 | 3 | 0 | .986
2004 | 79 | 115 | 2 | 1 | 0 | .992
2005 | 32 | 36 | 0 | 1 | 0 | .973
2006 | 巨人 | 40 | 44 | 0 | 1 | 0 | .978
2007 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | .---
2008 | 横浜 | 29 | 37 | 0 | 0 | 0 | 1.000
通算 899 | 1608 | 25 | 9 | 4 | .995

表彰

記録

背番号

西武時代、背番号・守備位置が同じだったイチローと比較されるのを嫌ったために、背番号を51から31へ変更した。小関自身が、かつて背番号31をつけていた掛布雅之前田智徳を好きな選手として挙げている事もその理由の一つである(ただし、小関の引退後のことだが、そのイチローも後にニューヨーク・ヤンキースで背番号31をつけている)。巨人に移籍した2006年は背番号49だったが、2007年に再び愛着ある背番号31へ変更した。

登録名

関連情報

評論家時代の出演番組

ドラマ出演

出典

  1. ^ “カントリー・ガールズに西武・小関コーチの長女「巨人戦の始球式で投げたい」”. SANSPO.COM(サンスポ). (2015年3月26日). http://www.sanspo.com/geino/news/20150326/ido15032620330002-n1.html 2015年3月30日閲覧。
  2. ^ [1]小関 MANIAX. 2015年4月5日閲覧
  3. ^ 第3アウトが次のような場合には、そのアウトにいたるプレイ中に、走者((3)にあたる場合は後位の走者)が本塁に触れても、得点は記録されない。 ―― (1)(2)省略。(3)前位の走者が塁に触れ損ねてアウトにされたとき。(公認野球規則5.08(a)【例外】)なお、この塁空過が無死または一死で発生していたならば、李の得点と本塁打はそのまま認められる。(同【5.08原注】規則説明)
  4. ^ 森脇浩司、清水崇行、小関竜也の3氏が二軍コーチに就任
  5. ^ 巨人 来季1軍コーチングスタッフ発表 二岡2軍コーチら昇格”. スポニチ Sponichi Annex 野球 (2016年10月26日). 2017年5月23日閲覧。
  6. ^ https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/10/25/kiji/20191025s00001173210000c.htmlスポニチ 2019年10月25日掲載
  7. ^ 【楽天】聖沢が連続無失策パ・タイ記録 - プロ野球ニュース nikkansports.com 2015年3月30日閲覧。
  8. ^ “【楽天】聖沢が659回無失策のパ新記録 - プロ野球ニュース”. nikkansports.com. (2013年5月25日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20130525-1132741.html 2015年3月30日閲覧。

関連項目

外部リンク

埼玉西武ライオンズ 2019 - 2020
監督 | 
85 辻発彦

一軍コーチ | 

二軍監督・コーチ | 
  • 77 松井稼頭央(監督)
  • 92 清川栄治(投手総合)
  • 90 杉山賢人(投手)
  • 91 許銘傑(投手)
  • 82 野田浩輔(バッテリー)
  • 80 嶋重宣(打撃)
  • 89 平尾博司(打撃)
  • 75 高木浩之(内野守備・走塁)
  • 70 佐藤友亮(外野守備・走塁)
  • 88 上本達之(育成)

  • 三軍コーチ | 
  • 71 田邊徳雄(総括)
  • 93 青木勇人(投手)

  • 投手 | 
  • 11 今井達也
  • 12 渡邉勇太朗
  • 13 高橋光成
  • 14 増田達至
  • 17 松本航
  • 18 多和田真三郎
  • 19 齊藤大将
  • 20 高木勇人
  • 21 十亀剣
  • 23 野田昇吾
  • 25 平井克典
  • 26 粟津凱士
  • 27 内海哲也
  • 28 森脇亮介
  • 29 小石博孝
  • 29 小川龍也
  • 30 榎田大樹
  • 34 佐野泰雄
  • 36 伊藤翔
  • 40 田村伊知郎
  • 45 本田圭佑
  • 48 武隈祥太
  • 50 廖任磊
  • 50 中塚駿太
  • 54 ニール
  • 57 國場翼
  • 59 南川忠亮
  • 61 平良海馬
  • 66 松本直晃
  • 66 相内誠
  • 67 藤田航生
  • 69 郭俊麟

  • 捕手 | 
  • 2 岡田雅利
  • 10 森友哉
  • 38 牧野翔矢
  • 62 駒月仁人
  • 78 齊藤誠人

  • 内野手 | 
  • 0 水口大地
  • 3 山川穂高
  • 4 山野辺翔
  • 5 外崎修汰
  • 6 源田壮亮
  • 31 佐藤龍世
  • 32 永江恭平
  • 39 呉念庭
  • 51 西川愛也
  • 52 山田遥楓
  • 56 金子一輝
  • 60 中村剛也
  • 63 綱島龍生
  • 99 メヒア

  • 外野手 | 
  • 1 栗山巧
  • 7 金子侑司
  • 9 木村文紀
  • 46 鈴木将平
  • 53 愛斗
  • 55 秋山翔吾
  • 58 熊代聖人
  • 65 斉藤彰吾
  • 65 戸川大輔
  • 72 川越誠司
  • 73 高木渉

  • 育成選手 | 
  • 124 與座海人(投手)
  • 125 東野葵(投手)
  • 126 大窪士夢(投手)
  • 127 中熊大智(捕手)


  • 業績
    パシフィック・リーグ新人王
    1950年代 | 

    1960年代 | 
  • 1961 徳久利明
  • 1962 尾崎行雄
  • 1965 池永正明
  • 1967 高橋善正
  • 1969 有藤通世

  • 1970年代 | 
  • 1970 佐藤道郎
  • 1971 皆川康夫
  • 1972 加藤初
  • 1973 新美敏
  • 1974 三井雅晴
  • 1975 山口高志
  • 1976 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  • 出典:wikipedia
    2019/11/28 11:13

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