このキーワード
友達に教える
URLをコピー

尖閣諸島問題とは?

この記事には複数の問題があります改善ノートページでの議論にご協力ください。

  • 信頼性について検証が求められています。確認のための情報源が必要です。(2015年5月)
  • 独自研究が含まれているおそれがあります。(2015年5月)
  • 雑多な内容を羅列した節があります。(2013年7月)
  • あまり重要でない事項が過剰に含まれているおそれがあり、整理が求められています。(2013年7月)

尖閣諸島問題(せんかくしょとうもんだい)とは、日本が実効支配する尖閣諸島1970年代から台湾(中華民国)と中国(中華人民共和国)が領有権を主張している問題。

尖閣諸島の位置。
青:魚釣島、黄:久場島、赤:大正島
左から尖閣諸島の魚釣島北小島南小島を空撮
東シナ海ガス田の位置と日中中間線。日本名:春暁は「白樺」、断橋は「楠」、冷泉は「桔梗」、天外天は「樫」、龍井は「翌檜(あすなろ)」

目次

  • 1 経緯
    • 1.1 第二次世界大戦以前の概要
    • 1.2 アメリカ合衆国による沖縄統治時代
    • 1.3 問題の生起
  • 2 現状
    • 2.1 日本・中国・台湾の主張
    • 2.2 日本の対応
      • 2.2.1 1969年発行の中国の公式地図の発見
    • 2.3 国際法の観点
    • 2.4 中国の対応
      • 2.4.1 中国で発行された地図に対する見解
      • 2.4.2 中国による沖縄の領有権の主張
      • 2.4.3 中国脅威論と日本脅威論
      • 2.4.4 中国の尖閣海域における侵犯行為数
      • 2.4.5 「核心的利益」
    • 2.5 台湾の対応
      • 2.5.1 台湾による領有権宣言
      • 2.5.2 漢疆計画
      • 2.5.3 中国と台湾の共闘
    • 2.6 アメリカの立場
    • 2.7 保釣運動
    • 2.8 海洋調査
    • 2.9 軍事的衝突の可能性
      • 2.9.1 「六場戦争」
  • 3 争点
    • 3.1 誰が最初に発見し、実効支配をしたか
    • 3.2 1895年の日本による尖閣諸島編入の有効性
    • 3.3 第二次世界大戦終結前までの管轄
    • 3.4 第二次世界大戦の戦後処理、条約、抗議時期に関する争点
    • 3.5 尖閣諸島の領有が影響する問題
  • 4 尖閣諸島年表
    • 4.1 明治維新以前
    • 4.2 明治維新から第二次世界大戰まで
    • 4.3 第二次世界大戦以後
    • 4.4 2000年代
    • 4.5 2010年
    • 4.6 2011年
    • 4.7 2012年
    • 4.8 2013年
    • 4.9 2014年
    • 4.10 2015年
    • 4.11 2016年
    • 4.12 2017年
    • 4.13 2018年
  • 5 脚注
    • 5.1 注釈
    • 5.2 出典
  • 6 参考文献
    • 6.1 雑誌記事
    • 6.2 アジア歴史資料センターのサイト
    • 6.3 海洋政策研究財団・島嶼資料センターのサイト
    • 6.4 中国の文献
  • 7 関連項目
  • 8 外部リンク

経緯

以下では原則として「尖閣諸島」の呼称に統一して表記する。

尖閣諸島の領有権を巡る争点についての詳細は争点を参照

第二次世界大戦以前の概要

大日本帝国陸地測量部作成「吐噶喇及尖閣群島地図」(1930年測図・1933年発行)

尖閣諸島は琉球王国から中国大陸への航路上にあり、その存在は古くから琉球王国や中国歴代王朝で知られていた。近代以前は琉球人が航路の標識として利用する程度で、人の住む地から遠く離れていたので動力船の無い時代は漁に来ても魚を持ち帰ることができず、島そのものにも利用価値は無く漁に来たり上陸居住する者はいなかった。1879年琉球処分後には日本国内で発行される地図には尖閣諸島は琉球諸島に含められて記載された。

1885年8月に内務卿山県有朋沖縄県に対して、魚釣島、大正島、久場島の三島への調査を命じた。沖縄県令の西村捨三は部下の石澤兵吾に現地住人からの聞き取り調査を行わせ、9月21日に石澤が現地住人から受け取った報告書では、「『中山伝信録』の赤尾嶼は久米赤島、黄尾嶼は久場島、釣魚台は魚釣島に相当すへき」と記された。石澤からの報告を受けた西村は翌日の9月22日に山県有朋に「既に清國も旧中山王を冊封する使船の詳悉せるのみならず、夫々名称をも附し、琉球航海の目標と為せし事明らかなり。依て今回大東島同様、踏査直に國標取建候も如何と懸念仕候間。」と国標建設に懸念を表明したが、10月9日、山県有朋は外務卿井上馨に「清国所属の証跡は少しも相見え申さず」と書簡を送り意見を求めた。10月21日、外務卿井上馨は山県に、清国がその存在を知り清国の新聞が臺灣附近の島に注意を促している時期に公然と国標を建てるのは政治的に好ましくないと回答した。9月22日大阪朝日新聞によれば、清国新聞とは英人の英字紙「上海マーキュリー」であり、臺灣附近の島は八重山諸島を指す。10月30日午前8時に石澤ら一行は釣魚島西岸に上陸し午後2時に離陸、計6時間の現地調査を行い、調査の中で石澤は魚釣島に漂着した中国式小船(伝馬船)の遺物を確認している。魚釣島を後にした一行は久場島を目指すが上陸できず、久米赤島でも上陸調査は出来なかった。

1887年6月軍艦「金剛」は水路部測量班長・加藤海軍大尉を乗船させ,那覇から先島群島(尖閣諸島方面)に向かい、魚釣島等の調査を行った。ただし笹森儀助は、金剛は附近を回航したのみとする。日本政府はそれ以降も、1890年に沖縄県属の塙忠雄による漁業状況聞取調査、1893年に沖縄県八重山島取調書(野田正以下の提出資料他尖閣諸島に関する聞き取り調査)を行い、尖閣諸島における漁業者(糸満人)の活動実態を確認している。

尖閣諸島 魚釣島の住民

その後日本人が入植し、アホウドリ羽毛の採取や海鳥剥製の製作、そして鰹節の製造などが行われた。特に鰹節の製造は島の基幹産業となり、最盛期、同島には99戸、248人もの日本人が暮らしていた。しかし南洋諸島からの安価な製品が出回るようになると経営が苦しくなり、米軍の沖縄侵攻の可能性があり鰹節工場は閉鎖され1940年に無人島となった。

日本政府は、尖閣諸島は歴史的にも一貫して日本の領土である南西諸島の一部を構成しており、1885年から沖縄県を通じて現地調査を行い,尖閣諸島が無人島であるだけでなく,清国の支配が及んでいる痕跡がないことを確認した上で、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行って、正式に日本の領土に編入した。この行為は先占の法理によって国際法上正当とし、なお尖閣諸島に日本が清国から割譲を受けた台湾および澎湖諸島は含まれない(1895年下関条約第2条による)としている。

一方、中国政府は、の時代、琉球への冊封使の報告書である古文書に釣魚台を目印に航行したとの記述があることや(但し水先案内人は琉球職員がつとめた)、江戸時代の日本の学者林子平が書いた三国通覧図説にある地図の彩色(但し林子平圖では臺灣と尖閣とを別の色に塗る)などを主張の根拠に挙げているほか、日本政府が密やかに「領有」を閣議決定し国際社会に宣言しなかった等の歴史的な経緯から見ると、日本のいわゆる「領有権の取得」は国際法上の意味を持たないと主張している。

アメリカ合衆国による沖縄統治時代

人民日報の沖縄に関する記事。冒頭で尖閣諸島は琉球群島に含まれるとの主旨が記述されている(1953年1月8日紙面)
中国・北京市にある地図出版社が出版した中国地図集より。台湾、南沙諸島など中国政府が領有を主張する地域に国境線が引かれているが、尖閣諸島の記載がなく現在発行の地図のように国境もない(1958年出版)
台湾の中華郵政が発行した中華人民共和国から金門島馬祖列島を防衛したことに対する記念切手。それ故、尖閣諸島と南海諸島は記されていない(1959年9月3日発行)

第二次世界大戦後は一時連合国(実質的にはアメリカ合衆国)の管理下に置かれた。連合国の一員であった中華民国1945年10月25日に、台湾総督府が統治していた台湾と澎湖諸島を接収し、日本も1951年に締結したサンフランシスコ平和条約で最終的に放棄した。台湾は1945年以降に中華民国台湾省となったが、尖閣諸島は含まれていなかった。尖閣諸島を行政的に管轄していた八重山支庁が機能不全に陥り八重山自治会による自治が行われていたが、12月になって11月26日に告示された「米国海軍軍政府布告第1-A号」によってアメリカ軍による軍政下に入り、その後琉球列島米国民政府および琉球政府が管轄する地域に編入された。またアメリカ空軍が設定していた防空識別圏も尖閣諸島上空に設定されていた。この時期の中華人民共和国および中華民国で編纂された地図では尖閣諸島を日本領として明記している(後述)。

日本は1952年に台湾に逃れた蒋介石中国国民党政権との間で、その支配下にある台湾を適用範囲とする日華平和条約(1972年失効)を締結しており、同2条で台湾における日本の領土権の放棄を規定しているが、ここでは「日本国は、1951年9月8日にアメリカ合衆国のサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第二条に基き、台湾及び澎湖諸島並びに新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄したことが承認される」としているものの尖閣諸島は台湾に属するとは解釈されていなかった。

また、1953年1月8日付けの中国共産党中央委員会の機関紙人民日報は「琉球群島人民による反米闘争」と題する記事で、琉球群島(当時の米軍占領地域)の範囲を記事冒頭で「琉球群島は我国(中国)の台湾東北(北東)と日本の九州島西南の海上に位置する。そこには尖閣諸島、先島諸島大東諸島沖縄諸島トカラ諸島大隅諸島など7つの島嶼からなっており(後略)」と紹介しており、琉球群島に尖閣諸島が含まれていると紹介している。

これに対し清華大学国際関係研究院の劉江永は、「この記事は1953年1月8日4面の資料欄に掲載されたもので、日本語の資料を翻訳した無署名の資料で、評論でも社説でもない。よって中国政府の釣魚島帰属に関する立場を代表するものではない。いわゆる中国側が釣魚島は日本に属すると認めたとの説は成立しない。」と反論している。

尖閣諸島近海は好漁場であるため、台湾漁民による操業が行われており日本側漁民との摩擦が生じていた。1955年には第三清徳丸襲撃事件が起き、中華民国国旗を掲げた海賊船による襲撃で死者行方不明者6名を出す事件が発生している。

1960年代に入っても尖閣諸島に大量の台湾人漁民が入域し、島に生息する海鳥とその卵を乱獲したほか、付近海域で密漁する事態は続発していた。日本の気象庁離島課は絶滅危惧種のアホウドリが尖閣諸島に生息している可能性があるとして、関係部署に依頼し琉球大学の高良鉄夫教授らを1963年春に調査団として派遣した。この調査団は100万羽以上の海鳥が生息する事を確認したが、アホウドリではなく台湾漁船をも発見した。この漁船は夜の漁のために停泊していたが、その合間に海鳥を乱獲していた。そのため調査団は不法行為だと注意したが無視されたという。そのため高良教授は「このまま放置しておいたら現在生息している海鳥も衰亡の一途をたどる。何か保護する方法を考えなければいけない」と語ったが、実行力のある対処は行われなかった。

これは尖閣諸島を管轄する琉球政府には外交交渉権がなく、また本来主権を持つ日本政府も当時の沖縄の施政権は返還されていなかったため、当時国家承認していた中華民国(台湾)に対して尖閣諸島における台湾漁民の傍若無人ぶりを抗議できなかったという。そのうえ琉球政府の上部にある琉球米民政府およびアメリカ合衆国政府は、在台北のアメリカ大使館を通じて「抗議」したものの、台湾当局が積極的な取締りをしなくても、台湾の蒋介石政権との「米華関係」を重視したため不問にしたとみられている。

1968年に行われた調査では台湾漁民の乱獲による海鳥の激減ぶりが数字の上でも明らかになった。5年前の調査と比較して南小島のカツオドリが20万羽から1万羽、北小島のセグロアジサシは50万羽から10万羽に激減していた。これは島から漁民が台湾に海鳥の卵を菓子の原料として大量に運び去ったうえに、無人島ゆえに人間を警戒しない海鳥を捕獲していたためであった。調査団は台湾人に食べられた大量の海鳥の屍骸や漁船だけでなく、南小島において台湾人60人が難破船を占拠しているのも確認している。

このような台湾人による領土占拠の既成事実が積み重なることで、当時から地元西南群島の住民から第二の竹島になる危惧を指摘する声もあったが、この当時は日本国内では尖閣諸島における台湾人の不法入域は殆ど重要視されることはなかった。なお南小島の占拠者であるが、退去勧告を発し再度の入域を希望する場合には許可証を得るように指導した。彼らは解体作業を片付けるために翌年にかけて入域したが、この時は琉球列島高等弁務官の入域許可を得た合法的な行為であり、この措置に対し台湾の中華民国政府からの異議はなかった。

その後も台湾漁民による不法入域は続き、朝日新聞1969年7月11日付け夕刊には「沖縄の島に招かざる客」との題で、北小島に停泊している台湾漁船と漁の合間に海鳥の卵を取っている漁民の写真が掲載されている。この記事を執筆した筑紫哲也は、「(沖縄への)日本人の出入域にはきわめてきびしい統治者の米国もこの"お客様"には寛大」と揶揄するとともに、「地元の声」として台湾との間で第二の竹島になる可能性があることを警告していた。

当時の琉球政府も、尖閣諸島が石垣市に属することを前提に警察本部救難艇による警備を実施し、接近した台湾漁船に退去を命令する等の活動を実施していた。1970年7月には領域表示板の建立を行っている。

問題の生起

1968年の海底調査の結果、東シナ海の大陸棚に石油資源が埋蔵されている可能性があることが指摘され、1970年に台湾が領有権を主張しはじめ、これに中国も追随した。1969年および1970年に国連が行った海洋調査では、推定1,095億バレルという、イラクの埋蔵量に匹敵する大量の石油埋蔵量の可能性が報告された。結果、周辺海域に豊富な天然資源があることがほぼ確実であると判明すると、1970年7月に台湾はアメリカ合衆国のパシフィック・ガルフ社に周辺海域の大陸棚探査権を与え領有権を主張した。(1971年4月パシフィック・ガルフ社は米国務省の意見で撤退。) また、石原慎太郎によれば、江藤淳との共著において次のように記している。

「尖閣列島周辺の海底に油田があるという話が持ち上がって以来次々と妙なことが起こった。返還前のことですが、米国の石油メジャー会社が、時の佐藤首相に、外相がらみで自分たちによる試掘を持ちかけてきた。佐藤首相は自国日本のことだからといってそれを退けた。すると彼らは同じ話を台湾と北京に持ち込み、「あの島々は本来なら中国の領土の筈だ」とそそのかした。」

1970年9月2日には、台湾の水産試験所の船が魚釣島に上陸、台湾の国旗である青天白日旗を掲揚した。この際周辺海域で操業中の台湾漁船からは拍手と万歳の声が挙がったという。台湾当局はこの時の「青天白日旗」を掲揚した写真を撮らせ世界中の通信社に配信したため、日本政府が抗議した。なおこの「青天白日旗」はその後間もない9月中旬に琉球政府によって撤去され、米国民政府に保管されている。

1971年2月にはアメリカ合衆国在住の台湾人留学生らによる尖閣諸島は中国固有の領土だと主張する反日デモが発生し、6月に台湾、12月に中国が相次いで領有権を主張した。1972年(昭和47年)5月15日に沖縄は日本へ返還されており、沖縄返還の直前に主張し始めた。その根拠は、尖閣諸島が中国側の大陸棚に接続しているとの主張にくわえ、古文書に尖閣諸島を目印として航海に役立てていたという記述が見られることで、最も古くから同諸島の存在を認識していたという解釈による。中国人が先に発見したから領有権を主張できるというものである。

ただし、1970年以前に用いていた地図や公文書などによれば両国とも日本領であると認識していたようで、米国の施政時代にも米国統治へ抗議したことはないため、中国と台湾が尖閣諸島の領有権を主張し始めた動機としては海底油田の発見しか考えられない。そのため、国際判例上、以前に黙認によって許容した関係に反する主張は、後になって許されないとする禁反言が成立する可能性も指摘されている。

海底油田という要素のほかに中国で流布している言説によれば、中華人民共和国との国交樹立締約に怒った中華民国が国交締結前日にいやがらせとして提出した領土主張を、機をみて中華人民共和国側(周恩来)も同日に領有問題の追加主張を開始したところ、これを当時の日本国交渉担当の福田赳夫 大平正芳が「棚上げして後世に託す」という玉虫色のままで国交樹立を妥結させ、今日の領土主張の齟齬にいたったとされている。「棚上げ合意」については、龍谷大学の倪志敏が史的経緯を上梓している。

中国共産党は、清がイギリスなどの西欧列強に領土を奪われた経験から、軍事的実力のない時期に国境線を画定してはならないという考え方をもっている。中国とインドの事例(中印国境紛争)では、1954年の周恩来とネルー平和五原則の合意および中国国内のさらなる安定を待って、インドが油断している機会を捉えて、1962年11月、大規模な侵攻により領土を拡張した。当時はキューバ危機が起きており、世界がそちらに注目している中での中国による計算し尽くされた行動であった。

軍事的優位を確立してから軍事力を背景に国境線を画定するという中国の戦略の事例は、中ソ国境紛争などにも見られ、その前段階としての軍事的威圧は、東シナ海および南シナ海で現在も進行中である。日中国交正常化時の中国側の領土棚上げ論は、中国に軍事的優位を確立するまでの猶予を得るための方便である。2011年現在、中国人民解放軍の空軍力は、日本、韓国、在日在韓米軍を合計したものに匹敵し、インドを含むアジアで最強であり、その急激な近代化がアジアの軍拡を誘発している。このように尖閣問題の顕在化は、中国の軍事力が優位になってきた事がもたらしたものである。

また1968年に地下資源が発見された頃から、中国と台湾は領有権を主張しはじめた。例えば、1970年に刊行された中華人民共和国の社会科地図において南西諸島の部には、"尖閣諸島"と記載され、国境線も尖閣諸島と中国との間に引いてあった。しかし、1971年の版では、尖閣諸島は"釣魚台"と記載され、国境線も日本側に曲げられている。

1978年4月機銃で武装した100隻を超える中国漁船が海上保安庁の退去命令を無視して領海侵犯を繰り返した。福田赳夫内閣が抗議すると中国は事件は偶発的と応えた。1978年8月鄧小平が「再び先般のような事件を起こすことはない」と約束し、福田内閣は日中平和友好条約に調印した。

現状

日本・中国・台湾の主張

中国および台湾は尖閣諸島を「固有の領土」であるとの主張を繰り返している。

中国のメディアでは、「中国的聖神領土釣魚列島」他、神聖な領土と形容している。

政府レベルでは中国・台湾ともに話し合いでの問題解決を主張しているが、実際には相互に事前通報する取り決めが日中政府間で結ばれている排他的経済水域(EEZ)内はおろか、尖閣諸島周辺の日本の領海内で中国人民解放軍海軍の艦船による海洋調査が繰り返されていたり、台湾および香港の中国人活動家の領海侵犯を伴った接近が繰り返されている。このような行動に対して日本政府はことあるごとに抗議しており、台湾側は民間抗議船の出航を止めたことがある。中国側は日本政府の抗議を無視している。なお、日本は実力行使に訴えたことはないが、偶発的事故によって台湾の民間抗議船を沈没させる事故(後述。日本側が過失を認め賠償金を支払っている)が発生している。

また地元八重山諸島の漁民によれば、日本の排他的経済水域(EEZ)内の尖閣諸島近海で操業していると、中国の海洋調査船にはえ縄を切断されたり、台湾の巡視船から退去命令を受けたりと中台双方から妨害されているうえ、台湾漁船が多く操業しているため、自分達が中国の漁業取締船に逆に拿捕される危惧があることを訴えている。

日本の対応

日本は「尖閣諸島は歴史的にも国際法上も明らかに日本固有の領土であり、かつ、実効支配していることから、領土問題は存在せず、解決すべき領有権の問題はそもそも存在しない」とする立場を取っている。なお、国連による国連憲章は第6章で紛争の平和的解決を定めており、軍事的手段による解決を否定している。また安全保障理事会は、武力による紛争解決を図った国に対する軍事制裁などを定めた国連憲章第7章に基づく行動を決めることが出来る。なお当事者のひとつである中華人民共和国は常任理事国であるため拒否権をもっているが、第27条3項は『その他のすべての事項に関する安全保障理事会の決定は、常任理事国の同意投票を含む9理事国の賛成投票によって行われる。但し、第6章及び第52条3に基く決定については、紛争当事国は、投票を棄権しなければならない。』としており、仮に中国が武力による尖閣諸島問題の解決を図った場合、賛否すら表明することが出来なくなる。

日本の国内には民間レベルで灯台の建設を進めたり、定住しようとする計画もあるが、日本政府はそれを押し留めている。外務省が中国に対して弱腰であるという意見も存在する。

国連海洋法条約は、平和や安全、秩序を脅かさない限り、軍艦であっても他国の領海を自由に通航できる無害通航権を定めているが、日本政府は「中国が無害通航を主張することは、日本の尖閣諸島領有権を認めることと同義になるため、中国が無害通航を求める可能性は低い」とみており、中国軍艦が尖閣諸島の領海へ侵入した場合、無害通航を認めず、海上警備行動を発令して自衛隊の艦船を派遣し、中国軍艦に速やかな退去を促す方針である。また、自衛隊は尖閣諸島防衛のために2016年3月末までに、与那国島に沿岸監視部隊を新設し150人を配備する方針である。

1969年発行の中国の公式地図の発見

2015年2月、1969年に中国で刊行された「中華人民共和国国家測絵(そっかい)総局(現・国家測絵地理信息局)」の「公式地図」で魚釣島から赤尾嶼(大正島)まで「尖閣群島」として掲載されていたことが判明した。巻頭には毛沢東主席の言葉が掲載されており、尖閣諸島海域で海洋資源が発見されたのが1968〜69年であったことから、資源が発見される直前まで日本領だと判断していたとみられる。

国際法の観点

※本記事「争点」を参照。

国際法判例のひとつのプレア・ビヘア寺院事件では、紛争発生以降の片方の当事国による実効的支配が領有権主張の有利な条件と認められなかった。この紛争発生の時点を決定的期日(Critical date)といい、国際裁判で領土をめぐる紛争を審理する場合、どのような事実に対し国際法の原則と規則を適用するかが重要になるが、紛争国は互いに自国にとって有利になる行動や措置を実行しているので、時間的範囲を決定する必要がある。この場合中国側が領有権を主張し始めた以降の日本の実効的支配や中国と台湾による主権行使行動については認められないことになる。国際司法裁判所の判例(1953年マンキエ・エクレオ事件)も、紛争が発生した日以後の紛争当事国の行動を重視しないとしている。そのため、決定的期日以前の紛争国の行動が審議されることになる。裁判例としてクリッパートン島事件がある。

中国の対応

中国で発行された地図に対する見解

中国で発行された地図に尖閣諸島が日本名で記載されているものがあることについて、中国の人民日報は、「地図の一部は植民地時代の地図を使用したもので、改訂されず日本風の名称のまま記載されている。」「戦後中国が復興する過程で過去の古い地図を修正していた。」との理由を述べ、過去の地図の名称や国境が矛盾している事は現在の中国政府の立場と無関係だと主張している。また上海国際問題研究院の廉徳瑰は、「日本の1970年代以前の地図にも、釣魚島が日本に属すことを明らかにしていないものが多数ある。」「1946年1月29日に外務省が米軍に提供した「西南諸島一覧表」では「赤尾嶼」「黃尾嶼」などの中国語の名称が使われている。」との主張をしている。

中国による沖縄の領有権の主張

中国人による沖縄県への認識」も参照

近年、中国は沖縄の領有権を主張する動きを見せている。また台湾もかつて沖縄返還に抗議していた(中華民国#沖縄県への認識参照)。例えば政府系研究機関が「沖縄県は終戦によって日本の支配から脱しているが、いまだ帰属先の策定が行われていない」と沖縄未定論を主張しはじめている。これに対して日本側で尖閣諸島問題は将来的な沖縄侵攻の布石と見ることも出来るとの指摘もある。

韓国の東亜日報によれば、2012年7月12日に中国国防大学戦略研究所長の金一南少将は中国ラジオ公社において「釣魚島(尖閣諸島)に関しては日本側に必ず、行動で見せてやらなければならない」「沖縄の中国への帰属問題を正式に議論しなければならない」「沖縄は本来、琉球という王国だったが1879年に日本が強制的に占領」したとしたうえで、「琉球がどの国に帰属し日本がいかに占領したのか、詳しく見なければならない」「日本は琉球から退くのが当然」と主張した。

2012年11月14日、中国、韓国、ロシアによる「東アジアにおける安全保障と協力」会議で、中国外務省付属国際問題研究所のゴ・シャンガン副所長は「日本の領土は北海道、本州、四国、九州4島に限られており、北方領土、竹島、尖閣諸島にくわえて沖縄も放棄すべきだ」と公式に演説した。そのためには中国、ロシア、韓国による反日統一共同戦線を組んで米国の協力を得たうえで、サンフランシスコ講和条約に代わって日本の領土を縮小する新たな講和条約を制定しなければいけない、と提案した。モスクワ国際関係大学国際調査センターのアンドレイ・イヴァノフは、この発言が中国外務省の正式機関の幹部で中国外交政策の策定者から出たことに対し、中国指導部の意向を反映していると述べている。

中国は、ロシアに対し、北方領土問題においてロシアを支持する代わりに、ロシアも尖閣諸島問題において中国の主張を支持するよう2010年ごろから働きかけている。ただし、日本との関係を重視するロシアは、中国の提案を受け入れていない。

中国脅威論と日本脅威論

日本で中国脅威論があり、事実として中国の核ミサイルの射程に日本はいる。一方、中国でも日本は尖閣諸島を足がかりに台湾、アメリカなどと同盟を組んで中国を再侵略しようとしているという、日本の軍国主義化を恐れる日本脅威論の調も見られ、双方ともに不信感と、それを政治的に利用しようとする民族主義的、国家主義的な意図が絡み合っており解決が困難となっている。

中国の尖閣海域における侵犯行為数

日本政府による尖閣国有化以降、同海域において中国の行動が活発化している。以下そのデータ。

【年】
【接続水域】
領海侵犯
2008年 | 2回 | 2回
2009年 | 0回 | 0回
2010年 | 46回 | 2回
2011年 | 12回 | 2回
2012年 | 428回 | 73回
2013年 | 819回 | 188回
2014年 | 726回 | 88回
2015年 | 709回 | 95回













「核心的利益」

2010年3月、南シナ海に関して戴秉国国務委員が「南シナ海は中国の核心的利益に属する」と、米政府スタインバーグ国務副長官へ伝えた。のちに中国は「そんなことはいっていない」「南シナ海問題の解決が核心的利益といった」と発言を修正した。従来「核心的利益」の語は、台湾チベット自治区新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)に限って用いられていたもので、毎日新聞は「安全保障上で譲歩できない問題と位置づける」用語であると解説している。

同2010年10月には中国が東シナ海を、国家領土保全上「核心的利益」に属する地域とする方針を新たに定めた。2012年1月17日には人民日報は尖閣諸島を「核心的利益」と表現した。2012年10月25日には中国国家海洋局の劉賜貴局長が再び「南シナ海での権益保護は我が国の核心的利益にかかわる」と発言し、同局サイトにも掲載され、事実上公式の発言となった。2013年4月26日には中国外務省の華春瑩副報道局長が「釣魚島問題は中国の領土主権の問題であり、当然中国の核心的利益に属する」と明言したが、4月28日の同省の公式サイトの掲載文では曖昧な表現に改竄された。

南沙諸島」も参照

台湾の対応

台湾の場合、尖閣諸島は台湾島に付随する諸島の一つであったが、1895年の併合地化以来、日本に領有権が移っている。そのため尖閣諸島沖の漁業権問題の他に日本の併合地責任論も絡んでいるともいわれる。ただし前述の「問題の生起」の項でも触れているように、1970年以前に用いていた台湾の地図や公文書などでは尖閣諸島を日本領であると認識しており、米国の施政時代にも米国統治に対して抗議しておらず、台湾による尖閣諸島の領有権主張は周辺海域に豊富な天然資源があるとの国連の調査結果が公表されてからである。

1971年4月10日、国民政府外交部は、4月9日にアメリカ国務省のスポークマンであるチャールズ・ブレイが「アメリカは来年、尖閣列島を含む南西諸島の施政権を日本に返還する」と発言したことに対して、情報司長談話を発表してこれに対抗し、尖閣列島は国民政府に返還すべきであると発表した。台湾の国民政府が尖閣の領有権に関してアメリカ政府に要求したのはこれが初めてである。また、4月10日午後、アメリカ東部の大学に留学している中国人留学生を中心にした尖閣列島の日本領有に反対するデモ隊が、ワシントンのアメリカ国務省横の広場で集会を開いたのちに、アメリカ国務省、国民政府大使館、日本大使館に向かい、抗議行動を行った。ロサンゼルスでも、中国系のアメリカ人学生200人が日本総領事館にデモ行進を行い、「大東亜共栄圏粉砕」「佐藤内閣打倒」などのプラカードを掲げながら、20分にわたり気勢を上げた。

中華民国(台湾)の台湾独立派の政党で李登輝率いる台湾団結連盟(台連)は、尖閣諸島は日本固有の領土であると主張しているが、台湾では少数派にとどまっている。

当時台北市長であった馬英九は、「台湾は日本と交戦することを躊躇してならず、台湾は東京に対し漁業域の確定を要求すべき」と発言していたが、総統就任後、2008年秋に尖閣諸島の主権問題の棚上げ・周辺海域の共同資源開発を提案し、漁業権交渉を優先させる方針を明らかにしている。中国の海洋調査活動については「問題を複雑化する」として否定的であり、日台間にトラブルに対処する緊急連絡窓口を設けることで合意するなど、「主権問題棚上げ論」に傾きつつある。また、台湾当局は尖閣諸島問題で中国側との連携、協力は一切しないと再三にわたり言明している。

2008年6月に発生した聯合号事件では、台湾側が中華民国行政院海岸巡防署の巡視船を派遣するなど緊張が高まったが、日本の海上保安庁が謝罪と賠償を表明して収束した。

中国漁船衝突事件直後の2010年9月13日には、日本側EEZ内に侵入した台湾の抗議船を保護する名目で、海岸巡防署巡防船12隻を派遣している。

また、2012年には台湾の漁船団を護衛するため尖閣諸島海域に入った台湾の巡視船が日本の巡視船に放水するなどした。

台湾による領有権宣言

2012年10月19日、台湾の立法院は尖閣諸島の領有を宣言する決議を史上初めて行った。野党の親民党が提案し、与党の国民党や最大野党の民進党の賛成により可決した。

漢疆計画

2012年11月9日中国新聞網は、1990年に台湾軍による尖閣諸島強襲作戦「漢疆計画」があったことを報じた。

その中で香港の亜州週刊(2012年11月18日号)における馬英九総統のインタビューを紹介。漢疆計画とはヘリコプターで台湾兵士が尖閣諸島に上陸をして日本の灯台を破壊し、中華民国国旗を建てその後に撤退する計画であったという。当時の柏村(ハオ・バイツン)行政院院長が計画を支持し、45人の兵士が訓練にあたっていた。しかし馬は、最終的に当時の李登輝総統が計画中止を命じたと述べている。

中国と台湾の共闘

中国政府は、日本の揺さぶりのため、台湾や香港の領有権主張に賛意を示している。中国共産党は、尖閣海域に侵入しようとする台湾や香港の活動家に資金援助を行なっているとされる。台湾や香港が前面に出てくれば、日中の対立構図から外れ、アメリカの介入が少なくなるとの読みがある。

2013年1月24日、台湾の抗議船と巡視船が、一時、尖閣諸島沖の接続水域に入った。この時、中国の海洋監視船も入り、台湾の抗議船に同行する姿勢を見せた。これは、中台共闘を日米両国にアピールする思惑があったとされる。ただし、この時は台湾の巡視船が、中国の海洋監視船に離れるように警告している。台湾側は、中台共闘が、中国の統一工作に利用されるとの恐れがあると見られる。この24日の抗議船の出港情報は、事前に日本にも台湾から伝えられており、台湾は中台連携と受け取られないように注意している。

台湾外交部は、中国が平和的解決に向けた構想を示していないことなどを理由に、尖閣諸島問題では中国と「連携しない」と表明している。

日本側は、台湾と中国の連携阻止のため、2013年4月10日、尖閣周辺の日本の ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典:wikipedia
2018/08/14 15:41

HAPPY Wikipedia

あなたの考える「尖閣諸島問題」の意味を投稿しよう
「尖閣諸島問題」のコンテンツはまだ投稿されていません。
全部読む・投稿 

尖閣諸島問題スレッド一覧

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「尖閣諸島問題」のスレッドを作成する
尖閣諸島問題の」
友達を探す
掲示板を探す
このページ
友達に教える
URLをコピー

注目のキーワード

錦織圭/北島康介/2014_FIFAワールドカップ・アジア予選/サッカー日本女子代表/消費税/東京スカイツリー/ダルビッシュ有/イチロー/香川真司/野田内閣/復興庁/石川遼/HKT48/AKB48/ワールド・ベースボール・クラシック日本代表/黒田博樹/尖閣諸島/バレンタインデー/ONE_PIECE

キーワードで探す

 
友達を探す
掲示板を探す
無料コミックを探す
占い・診断
着メロを探す
GAMEを探す
デコメを探す
きせかえツールを探す
FLASH待ち受けを探す
ハッピーWiki
ハッピーメール
ハッピーランド
HAPPY NEWS
2010Happy Mail