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尾崎行雄_(野球)とは?

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尾崎 行雄
【基本情報】

【国籍】
日本
【出身地】
大阪府泉大津市
【生年月日】
1944年9月11日
【没年月日】
(2013-06-13) 2013年6月13日(68歳没)
身長
体重 176 cm
83 kg
【選手情報】

【投球・打席】
右投右打
【ポジション】
投手
【プロ入り】
1962年
【初出場】
1962年4月8日
【最終出場】
1973年6月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手 テンプレート


尾崎 行雄(おざき ゆきお、1944年9月11日 - 2013年6月13日)は、大阪府泉大津市出身のプロ野球選手(投手)。

目次

  • 1 経歴
  • 2 詳細情報
    • 2.1 年度別投手成績
    • 2.2 タイトル
    • 2.3 表彰
    • 2.4 記録
    • 2.5 背番号
  • 3 脚注
  • 4 関連項目

経歴

同姓の政治家である尾崎行雄にあやかって同じ名を付けられた。元々左利きだったが、小学5年生の時に右投げに転じた。右投げから左投げへの転向はよくあるが、左投げから右投げに転向は珍しい事例だった。浪商高校(現・大阪体育大学浪商高)2年時に1961年第43回全国高等学校野球選手権大会で優勝投手となり、怪童と呼ばれた。前年夏の甲子園から三度にわたる法政大学第二高等学校柴田勲との対決は名勝負として知られる。

1960年、1年生の時に、1年上の大塚弥寿男捕手とバッテリーを組み、夏の甲子園に出場。2回戦で法政二高と当たるが、柴田勲投手との最初の対決は0-4で完封負けに終わった。法政二高はこの大会で優勝。翌1961年は春夏の甲子園に連続出場。春の選抜では準々決勝でまたも法政二高と対戦、3回に先制するが1-3で逆転負け。法政二高は夏春連続優勝を飾る。夏の選手権は準決勝で法政二高と三度目の対決。9回に2点差を追いつき、延長11回の熱戦の末2-4で初勝利、決勝に進出する。決勝では左腕エース森川勝年(慶大-松下電器)を擁する桐蔭高に苦戦するが、1-0で降し優勝。大塚以外の1年上のチームメートに大熊忠義三塁手住友平二塁手、1年下に高田繁外野手がいた。高田は、後年「今まで実際に見た投手の中で、真っすぐは誰がすごいの、って言ったら尾崎さんだね」と語っている。

同年11月6日に高校を中退し、11月14日に東映フライヤーズへの入団を表明した。1年目の1962年には初登板で勝利投手になるなど20勝9敗、防御率2.42の成績でリーグ初優勝に貢献。オールスターゲームに初出場を果たし、第2戦では勝利投手となる。同年は新人王に選出された。18歳での新人王は現在に至るまで史上最年少である。しかし同年の阪神タイガースとの日本シリーズでは、第1戦でリリーフ登板するものの、延長10回、吉田義男にサヨナラ二塁打を喫し敗戦投手。その後は登板機会がなく真価を発揮できなかった。1964年から1966年まで3年連続で20勝を記録し、1965年には27勝を挙げて最多勝を獲得した。しかし指にマメの出来る体質に苦しみ、また酷使の影響もあって肩を痛め、1968年以降は勝星から遠ざかる。1972年には6月に同季初先発、7回を投げ5年ぶりに勝利投手となる。同年は3勝を記録しわずかに復活の兆しを見せるが、翌1973年には登板機会が減少、同年オフに29歳で現役を引退。プロ通算107勝を挙げ、夏の甲子園の優勝投手としては戦後初のプロ通算100勝投手となった。

非常に球の速かった投手で、右肩痛を発症するまでは球種のほとんどがストレートであった。プロ野球史上における速球投手の話題では、必ずと言ってよいほど名前が挙がる選手である。湯浅景元の計算によると、尾崎の全力投球の球速は160.2キロを計測していた。

引退後はレストランを経営した後、スポーツ関係の会社に勤務。少年野球の指導を行っていた。2013年6月13日に肺がんのため死去。68歳没。通夜には、高田繁張本勲柴田勲など球界関係者をはじめとする500名近くが参列して別れを惜しんだ。

詳細情報

年度別投手成績





















ブ



ド





















ボ







W
H
I
P

1962 | 東映
日拓
 | 49 | 19 | 9 | 4 | 1 | 20 | 9 | -- | -- | .690 | 851 | 207.2 | 170 | 10 | 63 | 4 | 9 | 196 | 5 | 0 | 72 | 56 | 2.42 | 1.12
1963 | 17 | 13 | 4 | 3 | 0 | 7 | 5 | -- | -- | .583 | 380 | 93.0 | 83 | 13 | 29 | 0 | 1 | 60 | 0 | 1 | 34 | 30 | 2.90 | 1.20
1964 | 55 | 33 | 11 | 4 | 1 | 20 | 18 | -- | -- | .526 | 1167 | 286.0 | 233 | 23 | 90 | 2 | 9 | 197 | 1 | 0 | 93 | 81 | 2.55 | 1.13
1965 | 61 | 37 | 26 | 6 | 5 | 27 | 12 | -- | -- | .692 | 1444 | 378.0 | 261 | 23 | 63 | 4 | 11 | 259 | 1 | 0 | 91 | 79 | 1.88 | 0.86
1966 | 65 | 29 | 15 | 2 | 6 | 24 | 17 | -- | -- | .585 | 1162 | 292.0 | 268 | 23 | 40 | 4 | 2 | 122 | 4 | 1 | 100 | 85 | 2.62 | 1.05
1967 | 28 | 21 | 7 | 2 | 1 | 6 | 14 | -- | -- | .300 | 531 | 126.2 | 132 | 16 | 25 | 3 | 3 | 67 | 0 | 0 | 58 | 43 | 3.05 | 1.24
1968 | 14 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 88 | 19.0 | 27 | 5 | 5 | 0 | 2 | 4 | 0 | 0 | 15 | 13 | 6.16 | 1.68
1969 | 7 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 2 | -- | -- | .000 | 75 | 17.1 | 22 | 5 | 2 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 14 | 11 | 5.82 | 1.38
1970 | 24 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | -- | -- | .000 | 193 | 43.0 | 56 | 11 | 11 | 0 | 0 | 41 | 0 | 0 | 30 | 28 | 5.86 | 1.56
1971 | 24 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | -- | -- | .000 | 170 | 40.1 | 46 | 6 | 12 | 0 | 1 | 26 | 1 | 1 | 22 | 20 | 4.50 | 1.44
1972 | 17 | 2 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | -- | -- | .750 | 151 | 39.2 | 27 | 4 | 7 | 1 | 2 | 29 | 0 | 0 | 12 | 10 | 2.25 | 0.86
1973 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 32 | 6.0 | 12 | 4 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | 9 | 9 | 13.50 | 2.33
【通算:12年】
364 | 163 | 73 | 21 | 15 | 107 | 83 | -- | -- | .563 | 6244 | 1548.2 | 1337 | 143 | 349 | 18 | 40 | 1010 | 12 | 4 | 550 | 465 | 2.70 | 1.09
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 東映(東映フライヤーズ)は、1973年に日拓(日拓ホームフライヤーズ)に球団名を変更

タイトル

  • 最多勝:1回 (1965年)
  • 最多奪三振(当時連盟表彰なし):2回 (1964年、1965年) ※パシフィック・リーグでは、1989年より表彰

表彰

記録

初記録
節目の記録
その他の記録
  • 8連続奪三振(1962年4月29日、対西鉄戦)

背番号

  • 19 (1962年 - 1973年)

脚注

  1. ^ 甲子園高校野球人名事典68P、森岡浩、東京堂出版、2004年、ISBN 978-4490106503
  2. ^ 【11月11日】1961年(昭36) みんな踊らされた?怪童・尾崎行雄、1日12時間6球団と交渉”. SPORTS NIPPON NEWSPAPERS. 2011年6月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月4日閲覧。
  3. ^ 「時代」を彩った男と女 元東映フライヤーズ投手尾崎行雄編 29歳で引退した元凶はボウリングの“剛球” - リアルライブ” (2009年9月14日). 2012年5月4日閲覧。
  4. ^ 高田繁、浪商エースで甲子園立てず…投手断念
  5. ^ 『朝日新聞』1961年11月8日付朝刊 (12版、7面)
  6. ^ 『朝日新聞』1961年11月15日付朝刊 (12版、7面)
  7. ^ 年度別成績 1962年 パシフィック・リーグ
  8. ^ 年度別成績 1965年 パシフィック・リーグ
  9. ^ 沢村栄治は160キロ超? 往年の名投手の球速は… - 日本経済新聞” (2014年5月12日). 2015年3月19日閲覧。
  10. ^ “尾崎行雄氏 しめやかに通夜 張本、高田氏ら500人が参列”. スポーツニッポン. (2013年6月18日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/06/18/kiji/K20130618006041010.html 2016年11月12日閲覧。

関連項目

業績
パシフィック・リーグ最多勝利投手
1950年代 | 

1960年代 | 

1970年代 | 

1980年代 | 

1990年代 | 

2000年代 | 

2010年代 | 


パシフィック・リーグ最多奪三振
1950年代 | 

1960年代 | 

1970年代 | 

1980年代 | 

1990年代 | 

2000年代 | 

2010年代 | 

1989年にタイトル制定

パシフィック・リーグ ベストナイン(投手)
1950年代 | 

1960年代 | 

1970年代 | 

1980年代 | 

1990年代 | 

2000年代 | 

2010年代 | 


パシフィック・リーグ新人王
1950年代 | 

1960年代 | 

1970年代 | 

1980年代 | 

1990年代 | 

2000年代 | 

2010年代 | 

記述のない年は該当者なし

東映フライヤーズ開幕投手
1940年代 | 

1950年代 | 

1960年代 | 
出典:wikipedia
2018/01/16 20:47

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