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尾花高夫とは?

【基本情報】

【国籍】
日本
【出身地】
和歌山県伊都郡九度山町
【生年月日】
(1957-08-07) 1957年8月7日(61歳)
【身長
体重】
184 cm
90 kg
【選手情報】

【投球・打席】
右投右打
【ポジション】
投手
【プロ入り】
1977年 ドラフト4位
【初出場】
1978年4月22日
【最終出場】
1991年10月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


監督・コーチ歴


この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手 テンプレート


尾花 髙夫(おばな たかお、1957年8月7日 - )は、和歌山県伊都郡九度山町出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・監督。次女はファッションモデル尾花貴絵

現役時代はヤクルトスワローズに14年間所属。元横浜ベイスターズ監督であり、投手コーチとしては、ヤクルトスワローズ、福岡ダイエーホークス・ソフトバンクホークス、読売ジャイアンツで、リーグ優勝9回・日本一4回を経験している。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 プロ入りまで
    • 1.2 現役時代
    • 1.3 監督・コーチ時代
  • 2 監督としての采配
  • 3 エピソード
    • 3.1 野球関係
    • 3.2 野球以外
  • 4 詳細情報
    • 4.1 年度別投手成績
    • 4.2 年度別監督成績
    • 4.3 表彰
    • 4.4 記録
    • 4.5 背番号
  • 5 関連情報
    • 5.1 出演番組
  • 6 脚注
  • 7 関連項目
  • 8 外部リンク

経歴

プロ入りまで

PL学園高等学校ではエースとして活躍。しかし1975年夏の甲子園府予選は4回戦で初芝高に敗れ、甲子園には届かなかった。2年下のチームメートに当時は外野手であった米村明がいる。卒業後は新日本製鐵堺硬式野球部に進む。1976年都市対抗に出場するが、1回戦で河合楽器に敗れ、自身の登板はなかった。

現役時代

1978年ドラフト4位でヤクルトスワローズに入団。1年目から一軍に上がり、1979年には先発陣の一角として起用され4勝9敗を記録。1982年1985年まで4年連続2桁勝利。1982年8月4日の対阪神戦と8月8日の対広島戦では、2試合連続で延長戦完封勝利(両試合とも延長10回、スコアは1-0)の珍しい記録を達成した。同年はチーム最多の12勝、1984年にもチーム最多の14勝を挙げる。

松岡弘の引退後は、チームのエースとして活躍。関根潤三監督就任2年目の1988年には開幕投手として巨人との開幕戦に先発し、東京ドームでのプロ野球公式戦勝利投手第一号となった。1989年には通算100勝を達成。1991年10月12日に同年限りでの現役引退を表明した。先発投手としての起用が主だったが、制球力に優れていたことから、リリーフとして活躍することも多かった。

一方でチームが低迷する時期と被った事が多く、選手の駒不足から年間投球回数で200回を越えたのは6度、二桁敗戦を記録したのも6度、1986年から1988年三年連続リーグ最多敗戦を記録。これは1956年から1959年に大洋の秋山登が記録した四年連続リーグ最多敗戦投手以来の記録で右投手では尾花以降これを越えた選手は現れていない(左投手では2014年から2016年にかけて阪神の能見篤史がタイ記録となった)。特に、1982年は12勝16敗、1988年は9勝16敗であったが、いずれも防御率が2点台であり、打線によるRun supportが非常に低かった。

1992年1993年フジテレビニッポン放送で、1994年フジテレビでそれぞれ野球解説者を務めた。

監督・コーチ時代

1994年11月1日にヤクルト入団当時の監督で、ロッテの初代GMに就任したばかりの広岡達朗に請われ、ロッテの一軍投手コーチに就任することが発表された。翌1995年のチーム2位の躍進に大きく貢献したが、翌1996年10月10日退団が発表された。

ロッテ退団直後の1996年10月30日にヤクルト一軍投手コーチに就任し、監督の野村克也の下、「野村再生工場の現場監督」として、1997年のリーグ優勝・日本一に貢献した。1998年10月13日に退団が発表された。

1998年11月4日、ダイエー監督の王貞治に実績を高く評価され、ダイエーの一軍投手コーチに就任。背番号は87。7年間でチームを5度のシーズン1位、3度のリーグ優勝、2度の日本一に導いた。しかし、2005年10月1日、「子供のこともあり、これ以上単身赴任を続けられない」とシーズン全日程終了後に退団することが発表された。王監督は尾花の再就職先が決まっていないと聞き、自宅のある神奈川県横浜市から通えるようにと巨人に直々に打診した。

同年10月24日に巨人の一軍投手総合コーチへの就任が正式発表された。背番号はソフトバンク時代と同じ87。2006年2009年まで務め、継投や投手運営など、投手部門の責任者であった。就任前年のチーム防御率4.80(リーグ最下位)を、就任1年目の2006年には3.65、2007年は3.58、2008年は3.37と年々改善することに成功。2009年は「チーム防御率を2点台にする」と公約しその言葉通り、球団として19年ぶりとなるチーム防御率2点台の2.94と向上し、2007年~2009年のリーグ3連覇に大きく貢献した。

投手コーチとしてヤクルト、ダイエー、巨人でリーグ優勝7回、日本一に4回導いた手腕が評価され、横浜ベイスターズに監督就任を要請された。次のシーズンまで巨人とのコーチ契約が残っていたが、横浜と巨人の球団間の交渉を経て、2009年11月11日にベイスターズ監督の就任が発表された。3年契約。PL学園高校の出身者としては初のNPB球団監督就任となる。しかし、監督1年目は1955年以来球団55年ぶりの95敗を喫するなど、最下位に終わった。更にチーム防御率は12球団最下位、チーム打率は2年連続12球団最下位と低迷した。

2011年シーズンは内藤雄太のサヨナラ安打によって、チーム8年ぶりとなる開幕戦白星を飾るも、またも最下位に沈んだ。4年連続90敗だけは免れたものの、チーム防御率は2年連続12球団最下位、チーム打率・得点は11位と投打ともに奮起することが出来なかった。シーズン終了後、他の一軍コーチ陣とともに休養、事実上の解任が発表された。11月22日、正式に解任を通告された。

2012年シーズンは浪人生活を経験した後に同年11月13日に翌2013年シーズンより巨人の二軍投手総合コーチに就任することが発表された。2015年10月27日には、来季(2016年シーズン)から巨人の一軍投手コーチに就任する事が発表された。 2017年7月13日に、1軍ブルペン担当に配置転換することが発表される。 同年10月8日、来季(2018年シーズン)から編成本部アドバイザーとなることが球団から発表された。

2019年2月19日に秋田県・明桜高の総監督兼投手コーチと系列のノースアジア大学総合研究センター主任研究員に2月18日付で就任したことが発表された。2018年末に学生野球資格回復の研修を受け、2月5日に資格回復を認められた。

監督としての采配

横浜監督1年目に『アナライジング・ベースボール(分析野球)』のスローガンを掲げ、詳細なデータで説得力を持たせた上で何をしなければならないかを徹底的に分析し、指導・采配を採るという采配方針を掲げた。特に「投手は四球を減らし、打者は四球を多く選ぶ」ことを選手に求めていた。

投手起用は1試合に多くの投手を継投させる傾向があり、2011年シーズンの投手登板延べ人数664人はプロ野球記録である。攻撃面ではスターティングメンバーは打順を変更する事はあるが、選手はよほどの事が無い限り固定して使い続けていた。送りバントを多用する采配も行っていた。

2年目には伸び悩んでいた高崎健太郎を年間通して先発ローテーションに入れ、我慢強く起用し続けた。また、育成から支配下登録された国吉佑樹を起用したりした。 任期の2年間で村田修一を4番スタメンから外すことは1度もなかった。

野村克也の自著「俺の苦言を聞け!」の中で、横浜の監督に就任した尾花は、野村の影響でデータを駆使した細かい野球を標榜したと述べ、その野球知識と判断には狂いはなかったと誌している。一方で、言っていることは正しいが口が悪く、人を傷つけてしまう傾向があると、横浜監督としてうまくいかなかった理由をそのように述べ、「言葉」が監督の仕事のすべてと言ってもいい。そこでつまづくと選手らからの信頼を得ることが難しくなると説いている。 また野村自身も、横浜の監督就任を要請されているという噂が耳に入っていたが、球団社長が野村が嫌いであることを理由に依頼が来ることはなく、その結果、尾花が就任したとこの著書の中で明かしている。

エピソード

 | 
この元プロ野球選手のエピソードに関する文献や情報源が必要です。出典を明記するためにご協力をお願いします。(2009年9月)

 | 
この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2009年9月)

野球関係

野球以外

詳細情報

年度別投手成績






























ブ




ド
































ボ











W
H
I
P

1978 | ヤクルト | 7 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 58 | 13.1 | 15 | 3 | 4 | 0 | 1 | 6 | 0 | 0 | 6 | 6 | 4.15 | 1.43
1979 | 36 | 22 | 2 | 1 | 0 | 4 | 9 | 0 | -- | .308 | 615 | 137.0 | 163 | 15 | 49 | 4 | 7 | 75 | 1 | 0 | 84 | 75 | 4.93 | 1.55
1980 | 34 | 26 | 10 | 0 | 0 | 8 | 13 | 1 | -- | .381 | 857 | 209.1 | 182 | 20 | 70 | 2 | 2 | 123 | 3 | 0 | 91 | 70 | 3.01 | 1.20
1981 | 30 | 19 | 4 | 1 | 0 | 6 | 6 | 0 | -- | .500 | 532 | 125.2 | 135 | 18 | 34 | 2 | 4 | 84 | 2 | 0 | 65 | 59 | 4.21 | 1.34
1982 | 42 | 32 | 14 | 2 | 6 | 12 | 16 | 4 | -- | .429 | 996 | 246.0 | 226 | 21 | 45 | 4 | 6 | 154 | 2 | 0 | 84 | 71 | 2.60 | 1.10
1983 | 41 | 16 | 4 | 0 | 1 | 11 | 10 | 6 | -- | .524 | 712 | 165.0 | 193 | 19 | 44 | 9 | 2 | 88 | 1 | 0 | 93 | 86 | 4.69 | 1.44
1984 | 45 | 20 | 8 | 1 | 2 | 14 | 8 | 7 | -- | .636 | 723 | 175.0 | 172 | 27 | 47 | 9 | 3 | 106 | 6 | 0 | 70 | 67 | 3.45 | 1.25
1985 | 40 | 25 | 10 | 1 | 1 | 11 | 8 | 7 | -- | .579 | 893 | 205.0 | 229 | 23 | 57 | 3 | 12 | 107 | 4 | 1 | 108 | 100 | 4.39 | 1.40
1986 | 34 | 27 | 9 | 1 | 3 | 9 | 17 | 1 | -- | .346 | 878 | 201.1 | 241 | 22 | 39 | 7 | 8 | 86 | 4 | 0 | 105 | 95 | 4.25 | 1.39
1987 | 33 | 29 | 9 | 2 | 2 | 11 | 15 | 3 | -- | .423 | 869 | 206.2 | 227 | 24 | 37 | 7 | 5 | 145 | 4 | 0 | 111 | 91 | 3.96 | 1.28
1988 | 31 | 31 | 10 | 3 | 4 | 9 | 16 | 0 | -- | .360 | 949 | 232.0 | 242 | 17 | 42 | 5 | 1 | 125 | 2 | 0 | 81 | 74 | 2.87 | 1.22
1989 | 27 | 25 | 8 | 0 | 1 | 11 | 8 | 0 | -- | .579 | 738 | 167.2 | 225 | 21 | 35 | 1 | 2 | 77 | 4 | 0 | 91 | 82 | 4.40 | 1.55
1990 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 100 | 21.2 | 29 | 2 | 6 | 1 | 2 | 9 | 0 | 0 | 17 | 12 | 4.98 | 1.62
1991 | 21 | 14 | 3 | 0 | 1 | 5 | 8 | 0 | -- | .385 | 416 | 97.1 | 109 | 10 | 19 | 2 | 3 | 40 | 4 | 0 | 55 | 47 | 4.35 | 1.32
通算:14年 425 | 291 | 91 | 12 | 21 | 112 | 135 | 29 | -- | .453 | 9336 | 2203.0 | 2388 | 242 | 528 | 56 | 58 | 1225 | 37 | 1 | 1061 | 935 | 3.82 | 1.32

年度別監督成績

年度
球団
【順位】
試合
勝利
敗戦
引分
勝率
ゲーム差
【チーム
本塁打】
【チーム
打率】
【チーム
防御率】
年齢
2010年 | 横浜 | 6位 | 144 | 48 | 95 | 1 | .336 | 32.0 | 117 | .255 | 4.88 | 53歳
2011年 | 6位 | 144 | 47 | 86 | 11 | .353 | 27.5 | 76 | .239 | 3.87 | 54歳
通算:2年 288 | 95 | 181 | 12 | .345 | Bクラス2回

表彰

記録

背番号

関連情報

出演番組

脚注

  1. ^ 永谷脩「『投手王国』を築いた男、一人静かに福岡を去る。」 Sports Graphic Number640号、文藝春秋、2006年、116頁。
  2. ^ 横浜新監督に尾花氏 時事通信
  3. ^ 横浜、尾花監督が休養 球団売却で人事不透明に”. 共同通信 (2011年10月22日). 2011年10月24日閲覧。
  4. ^ 来季のコーチングスタッフが決定読売ジャイアンツ(2012年11月13日)
  5. ^ 来季の一、二軍コーチングスタッフについて - 読売巨人軍公式サイト(2015年10月27日)
  6. ^ 【巨人】斎藤2軍監督が1軍投手コーチに 2軍監督には内田氏(スポーツ報知)- Yahoo!ニュース” (2017年7月13日). 2017年7月13日閲覧。
  7. ^ 日めくりプロ野球10年1月”. Sponichi Annex. 2010年10月10日閲覧。
  8. ^ ただし、この采配は前監督の大矢明彦と同じくここ近年の横浜の先発投手陣が脆弱ゆえに取らざるをえなかった戦略であるが、それに伴い中継ぎ陣への負担も増すなど、苦しい采配を強いられていた。
  9. ^ 2012年7月14日放送分の、虎バンにゲスト出演した古田本人が語っていた。
  10. ^ 飯田絵美「王の道 王貞治を演じきるということ」 メディアファクトリー
  11. ^ 球界スペシャル対談 伊原春樹VS尾花高夫(3)”. アサ芸+ ネットで読めるアサヒ芸能. 2014年9月11日閲覧。
  12. ^ [1]
  13. ^ 旭化成キャンペーンモデルに横浜・尾花監督の次女起用 - スポーツニッポン2011年1月12日

関連項目

外部リンク

横浜ベイスターズ監督 2010 - 2011


ヤクルトスワローズ開幕投手
1950年代 | 

1960年代 | 
  • 1960 金田正一
  • 1961 北川芳男
  • 1962 金田正一
  • 1963 金田正一
  • 1964 金田正一
  • 1965 村田元一
  • 1966 渋谷誠司
  • 1967 村田元一
  • 1968 石戸四六
  • 1969 河村保彦

  • 1970年代 | 
  • 1970 石岡康三
  • 1971 松岡弘
  • 1972 松岡弘
  • 1973 松岡弘
  • 1974 松岡弘
  • 1975 松岡弘
  • 1976 松岡弘
  • 1977 松岡弘
  • 1978 安田猛
  • 1979 松岡弘

  • 1980年代 | 
  • 1980 鈴木康二朗
  • 1981 松岡弘
  • 1982 鈴木康二朗
  • 1983 尾花高夫
  • 1984 高野光
  • 1985 梶間健一
  • 1986 荒木大輔
  • 1987 荒木大輔
  • 1988 尾花高夫
  • 1989 尾花高夫

  • 1990年代 | 
  • 1990 内藤尚行
  • 1991 内藤尚行
  • 1992 西村龍次
  • 1993 西村龍次
  • 1994 川崎憲次郎
  • 1995 岡林洋一
  • 1996 T.ブロス
  • 1997
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    出典:wikipedia
    2019/07/17 09:50

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