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山手線とは?

山手線

山手線E235系電車
(2020年1月12日 恵比寿駅)

【基本情報】

【通称】
山手貨物線、埼京線(相鉄・JR直通線含む)、湘南新宿ライン(複々線区間のうち2線)
【国】
日本
【所在地】
東京都
【種類】
普通鉄道(在来線幹線)
【起点】
品川駅(路線名称として)
【終点】
田端駅(同上)
【駅数】
30駅(西日暮里駅 - 高輪ゲートウェイ駅間の13駅含む)
【経由路線】
東北本線(田端駅 - 東京駅間)
東海道本線(東京駅 - 品川駅間)
電報略号
ヤテセ
【路線記号】
JY
【開業】
1885年(明治18年)3月1日
【所有者】
東日本旅客鉄道(JR東日本)
【運営者】
東日本旅客鉄道(JR東日本)
日本貨物鉄道(JR貨物)
【路線構造】
環状線
車両基地
東京総合車両センター
【使用車両】
使用車両を参照
【路線諸元】

【路線距離】
34.5 km
(田端駅 - 東京駅間 7.1 km、東京駅 - 品川駅間 6.8 km 含む)
軌間
1,067 mm
【線路数】
複線(品川駅 - 田端駅間は山手貨物線含めれば複々線)
電化方式
直流1,500 V 架空電車線方式
最大勾配
34 (田端駅 - 西日暮里駅間)
閉塞方式
路線データ参照
保安装置
D-ATC
最高速度
90 km/h
【路線図】

大崎駅五反田駅 目黒駅 恵比寿駅 渋谷駅 原宿駅 代々木駅 新宿駅 新大久保駅 高田馬場駅 目白駅 池袋駅 大塚駅 巣鴨駅 駒込駅 田端駅 西日暮里駅 日暮里駅 鶯谷駅 上野駅 御徒町駅 秋葉原駅 神田駅 東京駅 有楽町駅 新橋駅 浜松町駅 田町駅 品川駅


山手線(やまのてせん)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)が運営する鉄道路線である。

「山手線」には、次の4つの意味合いがある。旅客案内および運行管理上は2.が多用される。

  1. 路線名称としての「山手線」:東京都港区品川駅を起点に、渋谷駅新宿駅池袋駅を経由して北区田端駅を結ぶ全長20.6 kmの鉄道路線(幹線)の名称。東海道本線の支線。『鉄道要覧』に記載された山手線の区間でもある。駒込駅田端駅間の一部区間を除き、ほぼ全線複々線であるが、このうちの埼京線電車、湘南新宿ライン列車や特急列車貨物列車の走る線路を通称「山手貨物線」と呼ぶ。
  2. 運転系統としての「山手線」:上記 1. に東海道本線の一部および東北本線の一部区間を合わせて東京都区部内で環状運転を行う近距離電車の運転系統。実際にはこの運転系統のみが使用する専用の線路があり、それが「山手線」と呼ばれる。
  3. マルスのシステム上の経路表示における「山手線」:上記1.から、代々木駅 - 新宿駅間を除外し、田端駅 - 日暮里駅間を含む(代々木駅 - 新宿駅間は「中央東線」と表示される)。
  4. 運賃計算上の「東京山手線内」:東京駅からの営業キロ程が100キロ超200キロ以内の範囲に所在する駅に発着する乗車券(または1キロ超200キロ以内の範囲に所在する駅に発着する一部の特別企画乗車券)に表示されることがある運賃計算上の名称。上記2.の区間に加え、環状線内側にある中央本線神田駅 - 代々木駅間および総武本線秋葉原駅 - 御茶ノ水駅間を含む。また、この区間内相互の近距離運賃は区間外よりも低額に設定されている。

以降、特記のない場合は、2. の運転系統としての山手線を指すものとする。

概要

山手線は、日本の首都である東京都心部で環状運転を行い、多くの駅において、都心から各方面へと伸びるJR東日本(在来線新幹線)や私鉄各社の放射路線および都心部を走る地下鉄各線に接続している。1周の長さは34.5 km、1周の所要時間は内回り、外回りとも標準で59分、朝ラッシュ時は61分、夕方ラッシュ時は60 - 61分(いずれも大崎駅での停車時間を除く)である。ラインカラー1963年登場の103系電車の車体の色に使用されたウグイス色(、国鉄黄緑6号)であり、以降登場したステンレス車両の帯の色や旅客案内(路線図・サインシステムなど)にも使用されている。駅ナンバリングで使われる路線記号はJY

山手線は、日本の文明開化期に私鉄の日本鉄道が当時国内有数の貿易港であった横浜港関東地方内陸部の各地(埼玉県群馬県栃木県)さらに東北地方および北陸地方方面を結ぶ貨物線として建設した、赤羽駅 - 品川駅(および大井町駅)間を結ぶ鉄道路線(当初は品川線と呼称)である。当時の東京の人口密集地域であった下町を避け、街外れだった山手に建設された。その後、同じく日本鉄道が現在の常磐線方面と横浜港方面間の接続を目的として建設した池袋駅 - 田端駅間(当初は豊島線と呼称)を加え現在の山手線の線路の原型が完成、国有化の後、太平洋戦争後の高度経済成長期に池袋駅 - 赤羽駅間を現行の赤羽線として分離した。開業以来、武蔵野線が開通するまでは、関東北部および東北方面から横浜港方面に向けの輸出品輸送、逆方向の輸入品輸送の大動脈であった。現在も少数であるが東北本線方面と東海道本線方面を結ぶ貨物列車が毎日運行されている。

旅客輸送は、開業当初は新橋駅 - 品川駅 - 新宿駅 - 赤羽駅間を往復する列車が1日数往復のみ運行され、その後、東京山手の人口増に伴い上野駅を起点として池袋駅、新宿駅渋谷駅、品川駅、新橋駅を経て東京駅方面に至る環状運転が開始され、その後、上野駅 - 東京駅間の開通により京浜線と東北本線の相互直通運転が開始された時期と同じくして現在の運行形態へと移行、定着した。

明治後期から昭和期にかけての私鉄各社は、地下鉄道であれば東京地下鉄道東京高速鉄道のように東京15区内に路線を敷設できたが、地上線となると東京15区内が東京市電の路線網内だったこともあり敷設が難しく、山手線の各駅に隣接して都心側のターミナル駅を設置することとなった。戦後も引き続き山手線内に新設する路線は全て地下鉄道であることが条件となったため、私鉄の資本力では山手線内に直通することは実現不可能となった。山手線の各駅は都内交通への乗り継ぎ・中継地となり、やがて各私鉄が自力で都心延伸するよりもターミナルに自社の商業施設を集中した方が利益になると判断し始め、大手私鉄のターミナル駅周辺にある渋谷新宿池袋副都心として発展を遂げていく。

こうした新都心を相互に連結する山手線は、東京の交通網の基本路線として機能しており、太平洋戦争後、私鉄が営団地下鉄(現在の東京地下鉄〈東京メトロ〉)や都営地下鉄相互直通運転を開始し、郊外から電車が直接都心に乗り入れるようになっても、依然として東京山手の副都心間を結ぶ路線等として機能している。朝ラッシュ時の混雑率が250 %を越えていた時期もあったが、地下鉄網の発達や並行する山手貨物線の旅客化、山手線自身の6ドア車導入による11両化、上野東京ラインの開業等、新線開業が相次いだことにより混雑は大幅に緩和された。2015年度以降の朝ラッシュ時混雑率は外回り、内回りとも170 %を下回っている(利用状況の節も参照)。

通勤などビジネスや通学、買い物といった日常生活のほかに、訪日外国人を含めた観光目的での利用も多い。JR東日本も観光での利用者開拓に力を入れており、2017年に山手線プロジェクトチームを設置。山手線を「東京感動線」と称して、2018年から沿線の文化や店舗を紹介するフリーマガジン『TOKYO MOVING ROUND』を配布するなどしている。

なお、平均駅間距離はJR東日本管内の路線では最も短く、JRグループ全体でも大阪環状線に次いで2番目に短い。

路線名の読み方

山手線の読み方は、対義語の山の手下町からの「やまのてせん」であり、太平洋戦争前も「やまのてせん」と読んでいた。開業時の申請書には表記を「山ノ手線」とする旨が書かれており、開業時表記は「山手線」となったが、読みは「やまのてせん」だった。 ところが終戦直後、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ/SCAP) の指示により、鉄道施設や道路標識などにローマ字併記が進められた際、山手線には国鉄部内での通称だった「ヤマテ」につられて「YAMATE=Loop=Line」とローマ字を振ったことがきっかけとなり、その後「やまてせん」という読み方が一般に定着してしまった。

読み方が「やまのてせん」に戻ったのには2つの理由がある。1つは1970年から始まったディスカバー・ジャパンキャンペーンで、駅名や路線名を分かりやすいようにしようとする動きが起こったためである。もう1つは、群馬県内の吾妻線(あがつません)が開通したことである。吾妻線が「あづません」と読まれないようにするため、国鉄では全路線の線路名称にふりがなを付けることを決定。山手線には「やまのてせん」というふりがなを振り、吾妻線が大前駅まで開通した1971年3月7日から実施した。国鉄当局が「やまのてせん」を選択して復活させた理由は、線名の由来・発祥からして、「やまのてせん」の方が伝統的に正しいことと、根岸線山手駅(やまてえき 1964年5月開業)との混同を避けるためである。 これに伴い、その趣旨を徹底させるため、電車に掲出される方向幕の行先表示は、漢字表記は「山手」を「山手線」に、ローマ字表記は「YAMATE」を「YAMANOTE LINE」と改めた。

歴史

1925年に環状運転を開始した時の山手線。上野駅に進入する外回り電車。
1988年まで使用されていた103系電車。写真は1974年から製造されたATC対応車。(1985年3月3日、有楽町駅)
2005年まで使用されていた205系電車(2003年2月2日 田端駅)
2020年まで使用されていたE231系電車(2012年 御徒町駅-東京駅間)
2015年から使用されているE235系電車(2018年 鶯谷駅)

山手線は元々、日本鉄道が現在の東北本線および東海道本線を連絡するために品川駅 - 赤羽駅間の山の手に敷設した線路であった。東京市街地の拡大に伴い、市街を巡る大都市の基幹交通路線に性格を変えていった。電車が運行を開始したのは1909年、現在のように環状運転が実施されるようになったのは1925年のことである。

日本鉄道品川線と呼ばれたこの路線は、港があった品川・横浜方面と東京の北側を結ぶ日本鉄道第一区線の一部として計画された路線であった。しかし起伏地である山の手に線路を敷くには技術的にも資金的にも困難であったことから、まずは日本鉄道第一区線の開業を優先し、1883年(明治16年)7月28日江戸下町の北部にあたる現在の上野駅の地を起点として開業、その後の1885年(明治18年)3月1日、当初の計画に準じ、日本鉄道第一区線と官設鉄道(現在の東海道本線)とを連絡する品川駅 - 赤羽駅間(現在の山手線品川駅 - 池袋駅間と赤羽線池袋駅 - 赤羽駅間)が開業した。当時、日本鉄道の南端は上野駅、官設鉄道の北端は新橋駅で、この両駅を結べば建設距離は短くて済んだが、両駅間の土地は江戸の下町に当たるため鉄道を敷設することは難しかった。一方で山の手を通すと遠回りにはなるものの、当時の山の手の居住人口は少なく、鉄道敷設への理解も得られ易く、この経路が選ばれた。開業後の1886年(明治19年)7月1日時点では、新橋駅 - 品川駅 - 赤羽駅間には毎日4往復の直通旅客列車が運行されていた。1891年(明治24年)9月1日に日本鉄道第一区線から第五区線が全通し、横浜・新橋・品川・上野方面と、高崎宇都宮福島仙台盛岡青森方面が鉄路で結ばれた。

一方、同じ日本鉄道の路線である土浦線(1901年に海岸線に改称、現在の常磐線)と品川・横浜方面の連絡線の建設も計画された。土浦駅 - 南千住駅 - 田端駅間を結ぶ日本鉄道土浦線は、1896年(明治29年)12月25日、日本鉄道第一区線上に田端駅を開業すると同時に開通、土浦、水戸方面と東京の北側を直結させた。この海岸線と山手線を結ぶ短絡線(山手線枝線、当初は豊島線と呼称)は、1903年(明治36年)4月1日に日本鉄道品川線に池袋駅を開業し、同時に田端駅と池袋駅間を結ぶ線路の開通によって営業を開始した。この短絡線の建設に当たっては、当初は目白駅を分岐点とする計画もあったが、同駅周辺に十分な用地の確保が困難だったため、現在の池袋駅が開設され分岐点となった。駒込駅 - 巣鴨駅間で線路が南西を向いているのは、当初は目白駅を分岐点としていた名残といわれる。この短絡線は当初、豊島線と呼称されていたが、開業に先立つ1901年(明治34年)11月16日、日本鉄道は逓信大臣の認可の下、定款の区線名称を変更し品川線と豊島線(当時未成線)を合わせ山手線とした。

開業後、東北・信越・常磐線のみならず中央線と東海道線を結ぶ役割も担うようになり、また、日露戦争の勃発などで貨物輸送量が大幅に増え、1904年の新宿駅 - 池袋駅間を皮切りに1910年まで複線化が行われた。この際、池袋駅 - 赤羽駅間は複線化から取り残され、支線的性格を強めた。

日本鉄道が国有化された1906年(明治39年)11月1日時点では、品川駅 - 赤羽駅間に貨物列車のほかこの区間を単純往復する旅客列車も運行された(毎日9往復)。1909年(明治42年)10月12日の各鉄道路線に路線名が付与された際は、池袋駅 - 赤羽駅間も含め現在の山手線区間(品川駅 - 池袋駅 - 田端駅間)と合わせて東北線の部 山手線となった。この当時は、池袋駅より北側は現在の赤羽線を経由して赤羽駅までが山手線本線、旧豊島線区間は山手線の支線であった。その後、同年12月16日から現在の烏森駅(現・新橋駅) - 新宿駅 - 上野駅間が電化され、電車の「C」の字形運転が開始された。この時、品川駅 - 烏森駅間は京浜線(現在の京浜東北線)に乗り入れる形を採っていた。東海道本線が東京駅まで延伸開業し、中央線も同駅まで延伸されると、中央線と山手線を接続し、中野駅 - 新宿駅 - 東京駅 - 品川駅 - 新宿駅 - 池袋駅 - 田端駅 - 上野駅間で「の」の字運転が開始され、この頃から現在の赤羽線区間が山手線枝線の運行形態になった。1923年関東大震災で一時中断したが、1924年4月25日までこの形態は続いた。1925年(大正14年)11月1日に東北本線の秋葉原駅 - 神田駅間が完成し、東京 - 上野間が高架で複線化された時に中央線への乗り入れは中止され、環状運転が開始された。この時、京浜線も田端まで延伸されている。

環状運転開始当時のダイヤは、基本的に毎時5本(12分間隔)で運転され、一周の所要時間は72分、池袋駅‐赤羽駅間(現在の赤羽線)の所要時間は10分であった。この他通勤時間帯には臨時電車が運転されたほか、田端駅‐田町駅間は京浜線電車も運転されていた。

戦後、復興に伴う輸送量の増大で山手線、京浜線とも増発が行われ、1956年11月19日から共有だった両者の線路(田端駅 - 田町駅間:11.7 km)を分離し、内側を環状運転を行う山手線、外側を往復運転を行う京浜東北線(分離時に改名)が走るようになった。

1972年(昭和47年)には、当初山手線本線であった赤羽駅 - 池袋駅区間の線路名称が赤羽線に変更された。赤羽線は山手線の本線として運営されてきたため池袋駅では10両編成化に伴う新ホーム設置(現行3・4番線)までは山手線外回り始発電車ホーム(現行8番線)を発着していた。ラインカラーもかつて山手線で使われていた「カナリア(黄色)」が、山手線が「ウグイス(黄緑色)」に塗装変更された後も使われた。1985年(昭和60年)9月30日、赤羽線は埼京線の一部として運行される現在の形態に移行した。

車両は1960年代初めまでは72系が使用使用されていたが、1961年(昭和36年)からカナリア色の101系が使用された。その後1963年(昭和38年)からウグイス色の103系が主力となったが、老朽化のため1988年(昭和63年)6月で運行を終了し、205系に全て置き換わった。この時導入されたサハ204形が6扉車の初めである。この後、E231系500番台に置き換わったが、6扉車はサハE230形500番台として継承された。しかし、ホームドア設置のため6扉車は2011年(平成23年)9月4日に全車運用を離脱し、廃車となった。2015年(平成27年)からはE235系が運行を開始した。

年表

日本鉄道国有化前

山手線の運行系統の変遷

*が付いている駅は、後に路線分離により赤羽線の駅となった駅。

国有鉄道時代

1928年から1944年の間に撮影された大塚駅
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