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山本周五郎とは?

この記事に雑多な内容を羅列した節があります。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2013年7月)
山本 周五郎
(やまもと しゅうごろう)


【誕生】
清水 三十六(しみず さとむ)
(1903-06-22) 1903年6月22日
日本山梨県北都留郡初狩村
(現:大月市初狩町下初狩)
【死没】
(1967-02-14) 1967年2月14日(63歳没)、
日本神奈川県横浜市中区 本牧間門51付近、旅館「間門園」別棟
【墓地】
鎌倉霊園
【職業】
小説家
【言語】
日本語
【国籍】
日本
【最終学歴】
横浜市立尋常西前小学校
【活動期間】
1926年 - 1967年
【ジャンル】
小説
【代表作】
樅ノ木は残った』(1954-58年)
赤ひげ診療譚』(1958年)
青べか物語』(1960年)
季節のない街』(1962年)
さぶ』(1963年)
ながい坂』(1964-66年)
【デビュー作】
『須磨寺附近』(1926年)
ウィキポータル 文学

山本 周五郎(やまもと しゅうごろう、1903年(明治36年)6月22日 - 1967年(昭和42年)2月14日)は、日本小説家。本名、清水 三十六(しみず さとむ)。

年譜

 | 
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2013年7月)

7歳で東京府北豊島郡王子町・豊島の豊島小学校に入学した。8月10日、荒川が氾濫し住居が浸水し大被害を受ける。同年秋から神奈川県横浜市久保町(現・神奈川県横浜市西区久保町)に転居。西戸部小学校に転校した。翌1911年(明治44年)学区の編成替えで横浜市立尋常西前小学校2年に転学した。父は繭の仲買を営んでいた。また、輸入用麻製真田紐の巻き取り、生糸の仲買、小口金融業、小料理店甲子屋の経営、三業組合書記などの職を転々とした。
4年生の時、担任の先生から小説家になれと励まされ、志望するようになった。以来、学校新聞の責任を命じられたり、6年生の時には、級友の作文・図画を集めて回覧雑誌を作った。自分で雑誌の表紙を描き、扉絵には詩を付けたりした。
横浜市立尋常西前小学校(現横浜市立西前小学校)卒業。卒業と同時に東京木挽町二丁目(現:銀座二丁目)にあった質店の山本周五郎商店に徒弟として住み込む。
徴兵検査を受けたが、眼力が問題となり丙種合格で免れる。同年9月1日の関東大震災によって山本周五郎商店も被災しいったん解散となる。その後豊橋、神戸に転居。
再び上京。帝国興信所(現:帝国データバンク)に入社。文書部に配属。その後帝国興信所の子会社である日本魂社に転籍。
文藝春秋』4月号に『須磨寺附近』が掲載されこれが文壇出世作となる。
10月20日 - 脳溢血で母・とく死去。
千葉県東葛飾郡浦安町(現:浦安市)に転居。
10月 - 勤務不良により日本魂社から解雇される。
東京虎ノ門に転居。
11月 - 宮城県亘理郡吉田村(現:亘理町)出身の看護師・土生きよいと結婚。2男2女を儲ける。
東京馬込東に転居。空想部落と称された馬込文士村の住人となる。尾崎士郎、鈴木彦次郎の両人の推輓で講談社の時代小説を書くようになった。
キング』(講談社)に度々時代小説を執筆するようになった。当時の大衆雑誌『キング』は「1928年(昭和3年)」140万部と雑誌界の首位にあった。
5月 - 「だだら団兵衛」執筆、それまでは博文館の『少年少女 譚海』を中心に少年探偵ものや冒険活劇を書いていた。
6月26日 - 中風で父・逸太郎死去。
博文館が、周五郎の「大人向け」作品を掲載しだした。それまではほとんどが少年少女小説であった。
『婦人倶楽部』に各藩の女性を扱う「日本婦道記」(6月から12月までの7回掲載)が企画された。周五郎は3回(「松の花」、「梅咲きぬ」、「箭竹」は全くの創作で架空の女性を描いている)担当し、後の4回(いずれも実在の人物で、それなりの周知されている人物)は他の作家が担当した。『主婦之友』の「日本名婦伝」(吉川英治)に倣っている。
第17回直木賞に『日本婦道記』が選ばれるが辞退。周五郎の年間執筆数の約6割~7割が講談社の雑誌に掲載され、その大半が『婦人倶楽部』の「日本婦道記」であった。この執筆が作家的飛躍に繫がったと考えられている。
5月4日 - 膵臓癌で妻・きよい死去(享年36)。
自宅の筋向いに住んでいた吉村きんと再婚。横浜市中区に転居。
春 - 旅館「間門園」(神奈川県横浜市中区本牧間門51付近)を仕事場とする。
『樅の木は残った』が毎日出版文化賞に選ばれるが辞退する。
文藝春秋読者賞に『青べか物語』が選ばれるが辞退。
2月14日 - 間門園別棟で肝炎と心臓衰弱のため死去。享年64(満63歳)。墓所は神奈川県鎌倉市の鎌倉霊園。戒名は恵光院周嶽文窓居士。
没50年により、著作権の保護が消滅した。

ペンネームの由来

ペンネーム「山本周五郎」の由来として(他のペンネームとして、俵屋宗八・俵屋宗七・横西五郎・清水清・清水きよし・土生三・佐野喬吉・仁木繁吉・平田晴人・覆面作家・風々亭一迷・黒林騎士・折箸闌亭・酒井松花亭・参々亭五猿・甲野信三を用いた)、自身の出世作となった『須磨寺附近』(『文藝春秋』1926年[昭和元年])を発表する際に本人の住所「山本周五郎方清水三十六」と書いてあったものを見て、文藝春秋が誤って山本周五郎を作者名と発表した説があるが、以前にも山本周五郎をペンネームとして使用していた形跡があり定かではない。しかしながら雇主であった店主の山本周五郎は、自らも洒落斎という雅号を持ち文芸に理解を持っていた。そのため、周五郎を文壇で自立するまで物心両面にわたり支援し、正則英語学校(現正則学園高等学校)、大原簿記学校にも周五郎を通わせている。ペンネームにはそのことに対する深い感謝の念が込められていたと思われる。講談社には時代小説を書くと決めていたらしく、山本周五郎のペンネームだけを使った。

作風

作風は時代小説、特に市井に生きる庶民や名も無き流れ者を描いた作品で本領を示す。また、伊達騒動に材を求めた『樅ノ木は残った』や、由井正雪を主人公とした『正雪記』などの歴史小説にも優れたものがある。周五郎は、純文学の作家を目指していた。ところが、1932年に大衆色の強い講談社の雑誌『キング』に人間の信頼をテーマにした時代小説を書いた。

ハードボイルド作家の生島治郎は『樅ノ木は残った』には海外小説の影響が感じられるとして、「おれは彼がチャンドラーを読んでたような気がする」と語っている。

山本の小説に登場する人物は、辛酸を嘗め尽くし、志半ばで力尽きてしまうものが少なくないが、かれらに、生きる上でのヒントとなる、含蓄のある台詞を吐かせる、というのも山本の作風である。

『婦人倶楽部』連載の「日本婦道記」で第17回直木賞に推されるも辞退し、直木賞史上唯一の授賞決定後の辞退者となった、直木賞を受賞辞退した裏には、一説に賞を主催する文藝春秋菊池寛との不和が挙げられる。辞退の理由として、完全な仕事を目指した初版『小説 日本婦道記』出版の前であったこと、改稿以前の『婦人倶楽部』版が受賞対象になったこと、が挙げられる。また、『主婦之友』の「日本名婦伝」の著者で、審査員だった吉川英治の評(「書く物として『名婦伝』のごときは至難の業のほうである」)を許せなかった可能性もある。周五郎は9年掛けて「よじょう」(1952年)でついに恨みを晴らすのである。功績を記念し、1988年より新潮社などにより山本周五郎賞が発足した。

人物

逸話

主な作品

 | 
この節の加筆が望まれています。

小説

全集

日記

関連書籍

翻案作品

映画

テレビドラマ

ほか多数

舞台

オペラ

漫画

脚注

  1. ^ 『曲軒・山本周五郎の世界』、p.6
  2. ^ 『曲軒・山本周五郎の世界』、p.6
  3. ^ 『歴史読本』編『山本周五郎を読む』、同編集部編、新人物往来社、2012年、p.298
  4. ^ 『曲軒・山本周五郎の世界』、p.6
  5. ^ 『曲軒・山本周五郎の世界』、p.8
  6. ^ 『歴史読本』編『山本周五郎を読む』、同編集部、新人物往来社 2012年、p.298
  7. ^ 『曲軒・山本周五郎の世界』、p.6
  8. ^ 『歴史読本』編『山本周五郎を読む』同編集部編、新人物往来社、2012年、p.299
  9. ^ 『歴史読本』編『山本周五郎を読む』同編集部編、新人物往来社、2012年、p.299
  10. ^ 竹添敦子『「日本婦道記」論』 双文社出版 2015年 99ページ
  11. ^ 『キング』は、「天皇制ナショナリズム、それも、モダニズムと立身出世・修養主義を加味した新しいナショナリズムを思想的主柱とし(中略)批判力に乏しい民衆を意のままにファシズムに動員した先導者、ファシズムへの地ならしをした極めて保守的なジャーナリズム」との評価もある(竹添敦子著『「日本婦道記」論』 双文社出版 2015年 101ページ)
  12. ^ 竹添敦子『「日本婦道記」論』 双文社出版 2015年 99ページ
  13. ^ 竹添敦子『「日本婦道記」論』 双文社出版 2015年 103ページ
  14. ^ 竹添敦子『「日本婦道記」論』 双文社出版 2015年 102ページ
  15. ^ 竹添敦子『「日本婦道記」論』 双文社出版 2015年 108ページ
  16. ^ 1940年(昭和3年)上半期の第11回芥川賞を高木卓が辞退して、世上騒然たる物議を醸し出している。両文学賞史上、受賞辞退はこの二名だけである。(齋藤愼爾『周五郎伝 虚空巡礼』 白水社 2013年 294ページ)
  17. ^ 「直木三十五賞『辞退のこと』」が『文藝春秋』(昭和18年9月号)に掲載された。その前文は、「こんど直木賞に擬せられたそうで甚だ光栄でありますが、自分としてはどうも頂戴する気持ちになれませんので勝手ながら辞退させて貰いました。この賞の目的にはなにも知りませんけれども、もっと新しい人、新しい作品に当てられるのがよいのではないか、そういう気がします。新しいとだけでは漠然としすぎますが、とにかくいまの清新なものがほしいという感じは誰にもあると思う。局外者がこんなことを云うのはおせっかいに類するけれども、新人と新風とを紹介する点にこの種の賞の意味があるので、もちろん在来もそうであったとは思いますが、今後もなおそういうものが選ばれてゆくことを希望したいと思います」である。(齋藤愼爾『周五郎伝 虚空巡礼』 白水社 2013年 280ページ)
  18. ^ 某評論家は、周五郎が辞退した理由を、当時の周五郎の「主要な作品発表の舞台は、おおむね博文館系の雑誌だったために、博文館への義理立てとでも云った心情から、文藝春秋の文学賞を遠慮したのではないか。そういう律儀な性格がとらしめた、一見、佶屈たる行動」と述べているらしい(木村久爾典『山本周五郎-馬込時代』(福武書店)の第12章「直木賞を蹴る」による)(齋藤愼爾『周五郎伝 虚空巡礼』 白水社 2013年 296ページ)。
  19. ^ 竹添敦子『「日本婦道記」論』 双文社出版 2015年 103ページ
  20. ^ 回想記『夫 山本周五郎』(清水きん、福武文庫、1988年)がある。
  21. ^ 最初期からのペンネームである。山本周五郎に次ぐ位置づけである。このペンネームによる随筆等もある(竹添敦子『「日本婦道記」論』 双文出版社 2015年 161ページ)
  22. ^ 例えば、池内紀『作家のへその緒』(新潮社 2011年、p.205)は「問われるたびに山本周五郎はそんなふうに答えた」と書いている。
  23. ^ 竹添敦子『「日本婦道記」論』 双文出版社 2015年 100ページ
  24. ^ 竹添敦子『「日本婦道記」論』 双文社出版社 2015年 99-100ページ
  25. ^ 『生島治郎の誘導訊問 眠れる意識を狙撃せよ』双葉社、1974年、42-43ページ
  26. ^ 竹添敦子『「日本婦道記」論』 双文社出版社 2015年 151-152ページ
  27. ^ 竹添敦子『「日本婦道記」論』 双文社出版社 2015年 152-153ページ
  28. ^ 付録-山本周五郎賞受賞作
  29. ^ 竹添敦子著『「日本婦道記」論』 双文出版社 2015年 102ページ
  30. ^ 竹添敦子『「日本婦道記」論』 双文出版社 2015年 53ページ
  31. ^ 竹添敦子『「日本婦道記」論』 双文出版社 2015年 1ページ ISBN 978-4-88164-634-2 c3095
  32. ^ 竹添敦子『「日本婦道記」論』 双文出版社 2015年 14ページ
  33. ^ 竹添敦子『「日本婦道記」論』 双文社出版社 2015年 92ページ
  34. ^ 番組エピソード 大河ドラマ『樅(もみ)ノ木は残った』-NHKアーカイブス
  35. ^ 金曜時代劇 赤ひげ - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス

参考文献

関連項目

外部リンク

第17回直木三十五賞
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2020/05/28 11:53

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