山本 由伸(やまもと よしのぶ、1998年8月17日 - )は、オリックス・バファローズに所属する岡山県備前市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。
備前市立伊部小学校の1年時から伊部パワフルズで野球を始めると、備前中学校の3年時には、東岡山ボーイズで二塁手兼投手として全国大会に出場した。
野球に集中できる環境を求め、先輩の紹介で宮崎県の都城高等学校へ進学し、1年生から本格的に投手として練習を始める。1年夏の選手権宮崎大会に「9番・三塁手」として出場。1年秋から本格的に投手へ転向すると、2年春にストレートで147km/h、同年夏の宮崎県新人野球大会で151km/hを計測した。さらに、同大会決勝の鵬翔戦ではノーヒットノーランを達成。2年秋の宮崎大会では、宮崎海洋戦で、5回参考ながら完全試合を記録した。しかし、3年夏の選手権宮崎大会では3回戦で宮崎商に敗れた。
2016年のNPBドラフト会議で、オリックス・バファローズから4巡目で指名。契約金4,000万円、年俸500万円(金額は推定)という条件で入団した。入団当初の背番号は43。都城高校からのNPB入りは、1994年のドラフト会議での指名を経て横浜ベイスターズと契約した福盛和男以来22年振りだった。
2017年、春季キャンプから二軍に帯同していたが、5月9日にウエスタン・リーグの対広島東洋カープ戦(舞洲サブ球場)に、先発投手として公式戦に初登板。8月中旬までは、同リーグの公式戦8試合の登板で、2勝0敗、防御率0.27という好成績を残した。この間には、通算投球イニング33回2/3で与四球を2個にとどめている。8月20日の対千葉ロッテマリーンズ戦(京セラドーム大阪)で、先発として一軍公式戦へデビュー。勝敗は付かなかったものの、速球で自己最速(当時)の152km/hを記録するなど、5回を投げて1失点6奪三振と好投した。同カードでは、8月31日の再戦(ZOZOマリンスタジアム)でも、5回2失点と好投。一軍公式戦初勝利を挙げた。高校から直接オリックスと契約した新人投手が、一軍公式戦で勝利投手になった事例は、平井正史が現役時代の1994年に記録して以来23年振りだった。一軍公式戦全体では5試合に先発登板。1勝1敗、防御率5.32を記録した。
2018年、春季キャンプから一軍に帯同しながら、フォームの変更に取り組んだ。オープン戦の終盤までは一軍の先発ローテーション入りを争ったが、公式戦の開幕を二軍で迎えた。ウエスタン・リーグの公式戦では開幕から4月中旬まで、6試合の登板で2勝0敗、防御率0.38という好成績をマーク。4月23日に一軍へ再び合流すると、同期入団の黒木優太と並んでセットアッパーへ起用された。4月28日に対福岡ソフトバンクホークス戦で公式戦初ホールドを挙げると、5月1日の対埼玉西武ライオンズ戦(京セラドーム大阪)では、球団史上2位タイ記録の若さ(19歳8ヶ月)で一軍公式戦初セーブを達成。その後も登板を重ねながら、パシフィック・リーグ(パ・リーグ)歴代3位(10代では史上初)の15登板試合連続ホールドポイントを記録した。オールスターゲームでは、パ・リーグの監督推薦選手として、オリックスの本拠地・京セラドーム大阪で催された第1戦(7月13日)の3回表に2番手投手として登板した。選出発表時点の年齢は19歳10ヶ月で、オリックスで10代の選手がオールスターゲームへ出場した事例は、前身の阪急ブレーブス時代の1956年に米田哲也が18歳4ヶ月(高卒1年目)で監督推薦選手として出場して以来62年振りであった。前半戦からの蓄積疲労などの影響で、後半戦へ入った直後に一時調子を落としたものの、20日の誕生日を10日後に控えた8月10日の対ロッテ戦(京セラドーム)で、シーズン26個目のホールドを記録。この試合までに救援で4勝を挙げていたことから、10代では史上初のシーズン30ホールドポイントを達成した。シーズン終盤に左内腹斜筋の損傷や左脇腹痛で戦線を2度離脱したものの、一軍公式戦にはオール救援で54試合に登板。4勝2敗1セーブ32ホールド、防御率2.89、リーグ2位の36ホールドポイントを記録した。入団2年目ながら選考資格を有していたパ・リーグ新人王の選出までには至らなかったが、新人王選考の記者投票では、田中和基(東北楽天ゴールデンイーグルス)の112票に次ぐ70票を獲得。シーズン終了後の契約交渉では、先発へ再び転向する意向を示すとともに、推定年俸4,000万円で契約を更改した。昇給率は400%で、オリックスでは1995年の平井・鈴木平以来の大幅昇給とされる。
2019年、先発の柱だった金子千尋・西勇輝が他球団へ移籍したことを背景に、春季キャンプから先発投手としての調整を本格的に再開。その一方で、日本代表のトップチームに初めて招集されると、オープン戦期間中の3月10日にメキシコ代表との強化試合で救援投手として実戦デビューを果たした。NPBでは、4月3日の対ソフトバンク戦(いずれも京セラドーム)でレギュラーシーズン初登板。一軍公式戦では2年振りの先発登板ながら、8回表1死までソフトバンク打線を無安打に抑えるなど、9回を1被安打2与四球無失点と好投した(試合は延長12回の末にスコアレスドロー)。前半戦は好投しながら打線の援護に恵まれない試合が続いたが、6月28日の対西武戦(メットライフドーム)では、一軍公式戦での初完封勝利を記録した。しかし、前年9月に続いて左脇腹痛を発症したため、8月上旬から1ヶ月余りにわたって戦線を離脱。離脱の直前までパ・リーグトップの防御率を記録していたが、一時は規定投球回への到達が危ぶまれていた。9月8日の対日本ハム戦(札幌ドーム)から一軍に復帰すると、4試合の先発登板を経て、チームのレギュラーシーズン最終戦だった9月29日の対ソフトバンク戦(京セラドーム)で6回を投げ切ったことによってリーグの最終規定投球回(143イニング)へ到達。到達時点での防御率がリーグトップの1.95であったことから、最優秀防御率のタイトルを初めて手中に収めた。同年の一軍公式戦で規定投球回を満たした投手のうち、1点台の防御率でシーズンを終えたのは、セントラル・リーグを含めても山本だけで、オリックスの投手としては2014年の金子(1.98)以来であった。シーズン終了後の11月に開催された第2回WBSCプレミア12で、日本代表へ本格デビュー。当初楽天の救援陣から選出されていた松井裕樹・森原康平が故障で出場を辞退したことから、この年の公式戦で一度も経験していないセットアッパーとして起用された末に、日本の大会初優勝に貢献した。その一方で、大会期間中の11月13日に、オリックスでの背番号を18へ変更することが球団から発表。大会終了後の同月30日に臨んだ契約更改で、オリックスの高卒4年目の選手としては史上最高額の年俸(前年から5,000万円増の推定9,000万円)を勝ち取った。
2020年、レギュラーシーズンでは、6月21日に楽天との開幕カード第3戦(京セラドーム大阪)に先発で初登板。8回を3被安打10奪三振無四球無失点という好投で、チームにシーズン初勝利をもたらすとともに、自身にも白星が付いた。7月5日の対西武戦(メットライフドーム)では、6回裏に1イニング3与死球(NPB一軍公式戦最多タイ記録)、1試合を通じて4与死球(球団史上最多タイ記録)と乱調だったにもかかわらず、7回を2失点に抑えた末にシーズン2勝目を挙げている。また、9月15日の対楽天戦(ほっともっとフィールド神戸)の3回表から10月13日の対ソフトバンク戦(京セラドーム大阪)2回表まで31イニング連続無失点をマーク。上半身のコンディション不良でシーズン最終盤に戦線を離脱したものの、シーズン全体では一軍公式戦18試合の登板で、自己最多タイの8勝(4敗)、千賀滉大(ソフトバンク)に次いでリーグ2位の防御率2.20を記録した。さらに、リーグ最多の149奪三振で、千賀と揃ってリーグ最多奪三振のタイトルを獲得。シーズン終了後の12月16日に、推定年俸1億5,000万円(チームの現役投手最高額で前年から6,000万円増)という条件で契約を更改した。オリックスの高卒選手による入団5年目での年俸1億円到達は、投手としては歴代最速で、野手を含めてもイチローに匹敵するとされる。
2019 WBSCプレミア12での救援登板で最速158km/hを計測したストレートを軸に、スライダー・スプリット・カーブ・チェンジアップ・シュート・カットボールなど多彩な変化球を投げ分ける。
投球動作の際に上半身を突っ込ませながらリリースで左足を突っ張る投球フォームの持ち主で、投球時の下半身の使い方や、フィールディングに対する評価も高い。プロ野球の右投手では珍しい上記のフォームを身に付けたきっかけは、オリックス1年目(2017年)のオフシーズンに参加した筒香嘉智などとの合同自主トレーニングで、身体の強さ、柔軟性、連動性などを同時に高められるトレーニング方法を教わったことにある。これを機に、ブリッジの姿勢から手足を上げたり身体を回転させたりするなどの動きを伴う「強化体操」を、毎日3時間にわたって実践。筒香と共に師事するトレーナーからの勧めで、プラスチック製の槍(重さ400g)を使ったジャベリックスローや、ハンマーに似た道具(重さ約4kg)を使った円運動もトレーニングに取り入れている。
オリックスでの1年目には、先発登板時に相手打者に粘られることが多かった。投球数を減らす目的で、シーズン終了後にカットボールを強化したところ、最高速度が150km/hを上回るようになった。先発に復帰した2019年の春季キャンプでは、投球の幅を広げるために、カットボールと逆の方向に変化するシュートの投げ方を習得。習得に際しては、ランディ・ジョンソンが現役時代に投げていたツーシームの握り方を参考にしたという。フォークボールも高速で、150km/h台の球速を記録することを目標に掲げたところ、2020年9月22日の対ソフトバンク戦で初めて150km/h台(151km/h)に到達した。
野球日本代表監督の稲葉篤紀からは、オリックスでの2年目(2018年)から「強い球を投げる」との評価を受けていて、翌2019年から代表へ選ばれている。オリックスOBで元メジャーリーガーの井川慶からも、4年目(2020年)のレギュラーシーズン開幕直後に、「150km/h台のストレートと、ストレートと同じ腕の振りでフォークを放れる投手はMLBにも少ない。(左投手である)自分より数倍上の能力を持っているので、そのストレートが投げられるうちにMLBへ挑戦して欲しい」という表現でエールを送っている。
名前の「由伸」については、「誕生年(1998年)に読売ジャイアンツ(巨人)へ入団した高橋由伸にちなんで、巨人ファンの実父が名付けた」と報じられたが、山本自身はその説を否定しており、実際には実母の名前から「由」、実父の名前から「伸」の字を取る格好で、祖母が命名したという。
特技はどこでもよく眠れること。バス移動でも座った時に少しだけ眠るということが多い。周りがうるさくても平気で眠れる。よく眠って疲れを溜めない性質なのかもしれないということを話している。
2歳年上の頓宮裕真とは「実家が隣同士」という間柄で、幼少期から仲が良く、伊部パワフルズとオリックスでチームメイトになっている。頓宮は内野手登録で2019年にオリックスへ入団したが、入団後に本来のポジションである捕手へ戻ったことから、2020年3月10日のオープン戦(京セラドーム大阪での中日ドラゴンズ戦)ではプロ入り後初めて実戦でバッテリーを組んだ。
都城高校硬式野球部のチームメイトに戸郷翔征(宮崎県出身の右投手)の実兄がいた縁で、自身より2歳年下の戸郷とも中学生時代から面識がある。戸郷には、聖心ウルスラ学院高等学校への入学前に「(将来は自分のいるNPBで)一緒に野球しようぜ」と声を掛けたほか、在学中にサインの求めへ応じたこともあるという。戸郷は卒業後に巨人へ入団すると、山本と同じく1年目から一軍公式戦で先発勝利を挙げたほか、2年目に成績を大きく伸ばしている。