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山根和夫とは?
コーチ歴
山根 和夫(やまね かずお、1955年8月2日 - )は、岡山県真庭郡勝山町(現・真庭市)出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。
実兄は都市対抗に20年連続出場を果たした鈴木政明投手(勝山高校※1967年のドラフト会議で広島から9位指名も入団せず→大昭和製紙※1969年のドラフト会議でアトムズから12位指名も入団せず→ヤマハ発動機→プリンスホテル、和夫と同じく結婚して改姓)。
経歴
勝山高校卒業後、社会人野球の日本鋼管福山に入社。エース・田村忠義(山根と同年のドラフトでヤクルトから2位指名も入団せず)の控え投手であったが、右の本格派として早くから注目されていた。1975年のドラフトで広島東洋カープから2位指名されるも、会社に慰留されたこともあり、1976年の都市対抗に出場。翌1977年に入団した。
入団当時はチームで一番球が速く、150km/hほど出ていたが、コントロールが悪く、入団当初はその投球を問題視されていた。しかし投手コーチに選手生命をかけてフォーム改造を直訴すると、フォームをノーワインドアップのスリー・クォーターにしてコントロールが安定した。直球のスピードは落ちたが、新しく覚えた浅い握りの高速フォーク(今で言うSFF)が武器となった1979年には先発陣の一角を占め8勝を記録。日本シリーズの相手の近鉄は同年5月から翌年9月にかけて公式戦215試合連続得点という日本記録を達成し、この年もプレーオフを含めて無得点は1試合で、それも3人の継投による零封だったが、山根は第五戦の広島市民で2安打の完封勝利を挙げた。日本一を決めた第七戦も先発で5回0/3を3失点で勝利投手となり、同シリーズ2勝1敗、防御率1.80で最優秀投手に選出された。翌1980年もプレーオフを含めて無得点が1試合のみ(松本幸行の完封勝利)の近鉄を相手に日本シリーズの第四戦で2安打で完封勝利を挙げ、第七戦でも先発で6回3失点で勝利投手となった。その後も主力投手として活躍する。1984年にはチーム最多の16勝を挙げ、4年ぶりのリーグ優勝に貢献した。また日本シリーズに弱かったエース・北別府学に代わり、シリーズの主戦投手として活躍。特に1984年の日本シリーズで3試合に先発し、この年打撃三冠王を獲った阪急ブレーブスのブーマーを鋭いシュートで完璧に抑えチームに3度目の日本一をもたらした。
その後は右肩痛のため1985年から未勝利に終わり、1986年オフに西武ライオンズへ移籍。フォームをサイド気味に変えて1988年に中継ぎ、抑えとして4年ぶりの勝利(5勝2セーブ)をあげて西武の日本一に貢献した。翌1989年にも6勝4セーブを記録するが、1990年には登板機会がなくなり同年限りで引退。
引退後は、ラジオ日本「ジャイアンツナイター」解説者・日刊スポーツ評論家(1991年 - 1996年)を経て、日本ハムファイターズで二軍投手コーチ(1997年)・一軍投手コーチ(1998年 - 1999年)を務めた。
人物
-
達川光男が正捕手になるきっかけを作ったのは山根である(詳細は達川の項を参照)。
- 結婚の際に婿養子に入ったため、現在の本姓は「清水」である。だが、「野球に関わる仕事をしている時は『山根』の方が通りがいいだろう」ということで、選手・コーチとしてユニフォームを着ている間は「山根和夫」の名でリーグに登録していた他、野球評論家・解説者としても「山根」姓を使用していた。
-
1984年の日本シリーズで優勝のかかった第7戦に先発。そのまま完投勝利で日本シリーズ胴上げ投手となったが、試合が終了した瞬間にマウンドに駆け寄った捕手の達川がそのまま山根に飛び付き、投手の山根が受け止めて喜びを表現した。広島はこのシリーズを最後に日本一になってないため今のところ(2016年現在)広島最後の日本シリーズ胴上げ投手となっている。
詳細情報
年度別投手成績
【年
度】
【球
団】
【登
板】
【先
発】
【完
投】
【完
封】
【無
四
球】
【勝
利】
【敗
戦】
【セ
丨
ブ】
【ホ
丨
ル
ド】
【勝
率】
【打
者】
【投
球
回】
【被
安
打】
【被
本
塁
打】
【与
四
球】
【敬
遠】
【与
死
球】
【奪
三
振】
【暴
投】
【ボ
丨
ク】
【失
点】
【自
責
点】
【防
御
率】
W H I P
|
1977 | 広島 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 52 | 12.0 | 11 | 2 | 7 | 0 | 0 | 8 | 1 | 0 | 7 | 3 | 2.25 | 1.50
1978 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 3 | 0.1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 27.00 | 6.00
1979 | 27 | 14 | 5 | 2 | 1 | 8 | 4 | 0 | -- | .667 | 537 | 130.1 | 129 | 12 | 23 | 6 | 2 | 83 | 2 | 0 | 48 | 42 | 2.91 | 1.17
1980 | 35 | 33 | 14 | 2 | 3 | 14 | 13 | 0 | -- | .519 | 958 | 230.2 | 233 | 24 | 53 | 6 | 1 | 112 | 2 | 0 | 90 | 76 | 2.96 | 1.24
1981 | 29 | 28 | 14 | 3 | 6 | 12 | 11 | 0 | -- | .522 | 794 | 195.1 | 199 | 18 | 28 | 5 | 3 | 94 | 0 | 1 | 80 | 67 | 3.09 | 1.16
1982 | 30 | 29 | 10 | 1 | 2 | 7 | 12 | 0 | -- | .368 | 823 | 191.2 | 209 | 19 | 43 | 6 | 4 | 66 | 3 | 2 | 84 | 72 | 3.38 | 1.31
1983 | 34 | 29 | 9 | 1 | 3 | 10 | 13 | 2 | -- | .435 | 884 | 207.2 | 212 | 27 | 53 | 2 | 4 | 67 | 0 | 0 | 100 | 88 | 3.81 | 1.28
1984 | 32 | 32 | 13 | 3 | 2 | 16 | 8 | 0 | -- | .667 | 920 | 222.0 | 224 | 25 | 50 | 1 | 4 | 102 | 4 | 0 | 90 | 84 | 3.41 | 1.23
1985 | 10 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | -- | .000 | 88 | 18.2 | 31 | 6 | 5 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 20 | 20 | 9.64 | 1.93
1986 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 11 | 2.0 | 3 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 4.50 | 2.50
1987 | 西武 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 33 | 7.0 | 5 | 1 | 7 | 0 | 1 | 4 | 0 | 0 | 2 | 2 | 2.57 | 1.71
1988 | 32 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 2 | -- | 1.000 | 199 | 49.1 | 36 | 4 | 17 | 5 | 0 | 39 | 0 | 0 | 8 | 7 | 1.28 | 1.07
1989 | 31 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 1 | 4 | -- | .857 | 228 | 53.1 | 54 | 7 | 16 | 3 | 1 | 29 | 0 | 0 | 25 | 23 | 3.88 | 1.31
通算:13年
|
278 | 170 | 65 | 12 | 17 | 78 | 64 | 8 | -- | .549 | 5530 | 1320.1 | 1348 | 145 | 304 | 34 | 20 | 612 | 12 | 3 | 556 | 486 | 3.31 | 1.25
表彰
記録
- 初記録
- 初登板:1977年8月25日、対読売ジャイアンツ21回戦(広島市民球場)、7回表1死に4番手で救援登板、1回2/3を無失点
- 初奪三振:同上、7回表に河埜和正から
- 初勝利:1979年7月12日、対読売ジャイアンツ15回戦(広島市民球場)、2回表に2番手で救援登板、6回2/3を無失点
- 初先発:1979年7月31日、対読売ジャイアンツ16回戦(広島市民球場)、5回0/3を2失点
- 初先発勝利・初完投勝利・初完封勝利:1979年8月5日、対ヤクルトスワローズ17回戦(明治神宮野球場)
- 初セーブ:1983年10月3日、対読売ジャイアンツ25回戦(浜松球場)、6回裏2死に3番手で救援登板・完了、3回1/3を1失点
- その他の記録
背番号
-
35 (1977年 - 1979年)
-
17 (1980年 - 1990年)
-
84 (1997年 - 1999年)
脚注
-
^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
-
^ 『昭和55年 写真生活』p28-29(2017年、ダイアプレス)
関連項目
外部リンク
業績
|
日本シリーズ優秀選手 |
1950年代 |
1960年代 |
1970年代 |
1980年代 | 1980 木下富雄, 山根和夫, 平野光泰 1981 平田薫, 江川卓, 河埜和正 1982 大田卓司, スティーブ, 中尾孝義 1983 田淵幸一, テリー, 中畑清 1984 山本浩二, 高橋慶彦, 福本豊 1985 R.ゲイル, 真弓明信, 長崎啓二 1986 清原和博, 石毛宏典, 津田恒実 1987 石毛宏典, 秋山幸二, 槙原寛己 1988 清原和博, 森山良二, 郭源治 1989 岡崎郁, 香田勲男, 阿波野秀幸
1990年代 | 1990 渡辺久信, 辻発彦, 伊東勤 1991 工藤公康, 渡辺久信, 野村謙二郎 1992 石毛宏典, 秋山幸二, 飯田哲也 1993 飯田哲也, 高津臣吾, 潮崎哲也 1994 桑田真澄, H.コトー, 辻発彦 1995 T.ブロス, 池山隆寛, 高津臣吾 1996 大島公一, 鈴木平, イチロー 1997 石井一久, 稲葉篤紀, 池山隆寛 1998 斎藤隆, 石井琢朗, 駒田徳広 1999 工藤公康, 永井智浩, 城島健司
2000年代 | 2000 仁志敏久, 村田真一, 高橋尚成 2001 岩村明憲, 石井一久, 真中満 2002 清原和博, 上原浩治, 斉藤宜之 2003 井口資仁, 城島健司, 桧山進次郎 2004 A.カブレラ, 和田一浩, 谷繁元信 2005 渡辺俊介, サブロー, 李承燁 2006 ダルビッシュ有, F.セギノール, 森本稀哲 2007 山井大介, 森野将彦, 荒木雅博 2008 中島裕之, 平尾博嗣, 鈴木尚広 2009 亀井義行, D.ゴンザレス, 小谷野栄一
2010年代 | 2010 内竜也, 清田育宏, 大島洋平 2011 杉内俊哉, B.ファルケンボーグ, 和田一浩 2012 長野久義, 阿部慎之助, J.ボウカー 2013 田中将大, 銀次, 内海哲也 2014 柳田悠岐, D.サファテ, 武田翔太 2015 明石健志, R.バンデンハーク, 武田翔太 2016 A.バース, 西川遥輝, 中田翔 2017 柳田悠岐, 内川聖一, 濱口遥大 2018 森唯斗, 柳田悠岐, 中村晃 2019 高橋礼, A.デスパイネ, 松田宣浩
日本シリーズ最優秀投手賞 |
1950年代 |
1960年代 |
1970年代 |
1979年限りで廃止
日本シリーズにおけるセントラル・リーグ出場チーム第1戦先発投手 |
1950年代 |
1960年代 |
1970年代 |
1980年代 |
1990年代 |
2000年代 |
2010年代 |
セントラル・リーグ最優秀投手 |
1960年代 |
1970年代 |
1980年代 |
1990年代 |
2000年代 |
2010年代 |
セントラル・リーグ ベストナイン(投手) |
1950年代 |
1960年代 |
1970年代 |
出典:wikipedia
2019/12/02 19:39
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