このキーワード
友達に教える
URLをコピー

岡山県とは?


岡山県旗

【国】
日本
【地方】
中国地方山陽地方
中国・四国地方
団体コード
33000-1
ISO 3166-2:JP
JP-33
面積
7,114.32km
(境界未定部分あり)
総人口
1,899,739
(推計人口、2018年10月1日)
人口密度
267人/km
【隣接都道府県】
兵庫県鳥取県広島県香川県
【県の木】
アカマツ
【県の花】
ももの花
【県の鳥】
キジ
【他のシンボル】
おかやま教育の日:11月1日
県歌:岡山県の歌(1957年制定)
県民愛唱歌:みんなのこころに(1982年発表)
マスコット:ももっち
岡山県庁

知事
伊原木隆太
【法人番号】
4000020330001
【所在地】
700-8570
岡山県岡山市北区内山下二丁目4番6号
北緯34度39分42.3秒東経133度56分5秒座標: 北緯34度39分42.3秒 東経133度56分5秒

【外部リンク】
岡山県

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村



【ウィキポータル】
日本の都道府県/岡山県
ウィキプロジェクト

岡山県(おかやまけん)は、日本都道府県のひとつ。中国地方南東部に位置し、瀬戸内海に面する県庁所在地岡山市である。

目次

  • 1 概要
  • 2 地理・地域
    • 2.1 概略
    • 2.2 広袤(こうぼう)
    • 2.3 気候
    • 2.4 自然公園
    • 2.5 県域の変化
    • 2.6 自治体
    • 2.7 地域圏
  • 3 歴史
    • 3.1 県名の由来
    • 3.2 原始・先史
    • 3.3 古代
    • 3.4 中世
    • 3.5 近世
    • 3.6 近代 - 太平洋戦争期
    • 3.7 戦後
  • 4 人口
  • 5 政治・行政
    • 5.1 歴代知事
    • 5.2 県議会
    • 5.3 行政機関
    • 5.4 財政
      • 5.4.1 2007年度(平成19年度)
      • 5.4.2 2006年度(平成18年度)
      • 5.4.3 2005年度(平成17年度)
      • 5.4.4 2004年度(平成16年度)
  • 6 姉妹都市
  • 7 経済・産業
    • 7.1 第一次産業
    • 7.2 第二次産業
    • 7.3 第三次産業
    • 7.4 岡山県に本社を置く企業
      • 7.4.1 上場企業
      • 7.4.2 非上場企業
    • 7.5 岡山県で創業し拠点事業所を置く主要企業
    • 7.6 岡山県に拠点事業所を置く主要企業
    • 7.7 岡山県が発祥とされる業種・物
  • 8 生活・交通
    • 8.1 警察
    • 8.2 交通
      • 8.2.1 鉄道
      • 8.2.2 道路
      • 8.2.3 バス
      • 8.2.4 航空
      • 8.2.5 港湾・船舶
    • 8.3 医療・福祉
    • 8.4 教育
    • 8.5 マスメディア
      • 8.5.1 テレビ局
      • 8.5.2 ラジオ局
      • 8.5.3 ケーブルテレビ局
      • 8.5.4 新聞
  • 9 文化・スポーツ
    • 9.1 概略
    • 9.2 方言
    • 9.3 食文化
    • 9.4 伝統工芸
    • 9.5 スポーツ
  • 10 観光
    • 10.1 有形文化財建造物
    • 10.2 史跡・旧跡
    • 10.3 その他の名所
    • 10.4 公園・テーマパーク等
    • 10.5 祭事・イベント
    • 10.6 文化施設
    • 10.7 おかやま国際観光親善大使
  • 11 岡山県を舞台とした作品
  • 12 岡山県出身の人物
  • 13 脚注
  • 14 関連項目
  • 15 外部リンク

概要

瀬戸内の気候と地勢を背景に古代より独自の文化圏としての歴史を有し、現代でも中国・四国地方の交通網の要衝として発展を続けている。県庁所在地の岡山市は2009年(平成21年)4月1日、全国で18番目の政令指定都市に移行した。

古代、沿岸域から内陸地域にかけては「吉備国」として、現在の広島県東部に位置する備後地方や香川県島嶼部などとも併せて大和朝廷に並ぶほどの勢力を成していた。江戸時代初期には岡山池田氏津山森氏が外様大名として入封し、城下町を形成した。特に池田綱政日本三名園後楽園を造成し、閑谷学校を開くなど、文化・教育面に多大な功績を残した。倉敷には寛永19年(1642年)に代官所が置かれ、江戸幕府直轄の物資集積地として船舶輸送中継も担う天領として発展した。

県内を南北に流れる3つの一級河川(高梁川旭川吉井川)による潤沢な水源、温暖で長い日照時間、江戸時代から昭和にかけての干拓によってもたらされた広い農地を背景として、水稲や麦、果樹の生産が盛んである。特に白桃、マスカット、ピオーネなどは生産量日本一であり、品質の高さから国内外に向けて高値で出荷されている。また、県北の標高1,200mに位置する蒜山高原では、ジャージー牛の大規模な放牧が行われており、チーズやヨーグルトやアイスクリーム等に加工されている。

倉敷市にある水島港は国際コンテナターミナルを備え、鉄鋼(製鉄)石油化学などの基礎素材型、自動車等の加工組立型の企業群が立地し、臨海工業地帯を形成している。1988年(昭和63年)に開通した瀬戸大橋1997年(平成9年)に全線開通した山陽自動車道をはじめとして、鉄道網、高速道路網が東西南北に整備されている。

近年では瀬戸内市で2019年4月運転開始予定の「瀬戸内 Kirei 太陽光発電所建設プロジェクト」や、真庭市の木質バイオマス発電事業や日本最大の257.7メガワットの太陽光発電所となる作東メガソーラー発電所(運転開始は2019年9月予定)など、有望地として自然エネルギーを最大限活用させる再生可能エネルギー推進が県下全域で進められている。

県庁所在地における快晴日数の多さや降水量1mm未満の日数が全国最多であることから、1989年(平成元年)から「晴れの国 おかやま」を県のキャッチフレーズとしている。

地理・地域

概略

県北部には、三本の一級河川(旭川高梁川吉井川)の県内源流ともなっている中国山地山岳地帯がそびえている。標高500〜1,000mの中央部には鍾乳洞などのカルスト地形が見られる吉備高原高地が連続的にひろがり、南部には三大河川によって形成された裾野の広い岡山平野が広がっている。岡山平野にはかつて瀬戸内海に浮かんでいた小さな島が丘陵地として残り、干拓江戸時代に繋がった児島半島が県の南端部にある。

主な山地としては蒜山(標高1,122m)や後山(標高1,345m)などがあり、主な湖沼としては、奥津湖、恩原湖、湯原湖、児島湾奥の締切堤防化によって人工的に造られた児島湖などがある。

なお、兵庫県とは山地および備前市取揚島で、鳥取県・広島県とは山地で、香川県とは海上および玉野市井島(石島)で隣接している。

広袤(こうぼう)

国土地理院地理情報によると岡山県の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは104.87km、南北の長さは116.98kmである。

重心
北緯34度54分15秒東経133度48分45秒 | 北端
北緯35度21分10秒東経133度59分52秒
↑ | 
西端
北緯35度3分11秒東経133度16分0秒← | 中心点
北緯34度49分32秒東経133度50分23.5秒 | 東端
北緯35度9分30秒東経134度24分47秒
 | ↓
南端
北緯34度17分54秒東経133度32分1秒 | 

気候

中国山地瀬戸内海に挟まれ、南部の平野地帯は典型的な瀬戸内海式気候を示す。一方、北部の中国山地沿いは日本海側気候に属し、豪雪地帯に指定されている。真庭市蒜山では冬季に1mを超える積雪となるほか、-10℃以下まで下がることもある。県北部山間域には4箇所のスキー場がある。中国山地と瀬戸内海の中間に位置する吉備高原は両者を折衷した気候を呈し、南部より多少冷涼で雨量も多く、冬季の寒さは厳しい。

日本列島に来襲する台風やその影響による風雨は中国山地・四国山地によって弱められることが多く、それに加えて夏には瀬戸内海で発生する「」や山地越えのフェーン現象の影響もあって、都市部や内陸の盆地を中心に猛暑日になる日も少なくない。県庁所在地の岡山市は、吉備高原に属する旧建部町・御津町地域を除いて日照時間が年間約2,000時間と長く、年間降水量は1,100mm程度であり、日本有数の降水の少ない土地である。降水量1mm以上の日数が日本で最少であることが岡山県のキャッチフレーズでもある「晴れの国おかやま」の根拠となっている。

岡山県内各地の平年値(統計期間:1981年(日応寺は2003年) - 2010年、出典:気象庁・気象統計情報)
平年値
(月単位) 南部(瀬戸内海沿岸部) 中部(瀬戸内海側内陸部) 北部(中国山地・吉備高原)
岡山
倉敷
玉野
笠岡
瀬戸内市
虫明 【和気
高梁
岡山市北区
福渡 岡山市北区
日応寺新見
新見市
千屋 真庭市
久世 真庭市
上長田 【津山
奈義
美作市
今岡
平均
気温
(°C) 最暖月 28.3
(8月) | 27.5
(8月) | 27.8
(8月) | 27.9
(8月) | 27.0
(8月) | 26.1
(8月) | 26.7
(8月) | 26.2
(8月) | 26.2
(8月) | 24.2
(8月) | 22.8
(8月) | 26.1
(8月) | 23.4
(8月) | 26.0
(8月) | 25.5
(8月) | 25.3
(8月)
最寒月 4.9
(1月) | 4.3
(1月) | 5.4
(1月) | 4.3
(1月) | 4.0
(1月) | 2.6
(1月) | 2.7
(1月) | 2.3
(1月) | 2.9
(1月) | 0.8
(1月) | -0.4
(1月) | 2.0
(1月) | 0.1
(1月) | 2.2
(1月) | 1.7
(1月) | 1.4
(1月)
降水量
(mm) 最多月 171.5
(6月) | 153.2
(6月) | 145.1
(6月) | 158.6
(6月) | 155.8
(6月) | 179.1
(7月) | 190.0
(7月) | 191.5
(7月) | 216.3
(7月) | 234.8
(7月) | 261.9
(7月) | 248.2
(7月) | 270.1
(7月) | 247.3
(7月) | 264.3
(7月) | 265.1
(7月)
最少月 31.0
(12月) | 30.5
(12月) | 30.8
(12月) | 29.4
(12月) | 32.7
(12月) | 34.9
(12月) | 36.1
(12月) | 36.0
(12月) | 27.8
(1月) | 42.9
(12月) | 91.1
(12月) | 52.8
(1月) | 140.9
(12月) | 46.3
(12月) | 53.4
(12月) | 66.5
(12月)

自然公園

瀬戸内海国立公園
瀬戸内海国立公園大山隠岐国立公園
氷ノ山後山那岐山国定公園
高梁川上流県立自然公園、吉備史跡県立自然公園、湯原奥津県立自然公園、吉備路風土記の丘県立自然公園、備作山地県立自然公園、吉備清流県立自然公園、吉井川中流県立自然公園

県域の変化

実行されなかったもの

自治体

1
2
岡山県の自治体 /
略数字 : 1.早島町, 2.里庄町
 |  | 
新旧市町村境界図
左・2004年9月30日以前、右・2007年1月21日以降

詳細は「Template:岡山県の自治体」を参照
岡山県の廃止市町村一覧」も参照

2004年(平成16年)以降、岡山県内でも平成の大合併が進められ、2011年(平成23年)現在、以下の15・10・10・2がある。町はすべて「ちょう」、村はすべて「そん」と読む。

県庁所在地の岡山市は2009年(平成21年)4月に政令指定都市に移行し、 北区中区東区南区の各4行政区が設置された。

地域圏

広域行政圏

岡山県の広域行政圏は旧地方振興局単位で分けられる。


商工会連合会地区

商工会連合会の地区は上記と異なる。

その他に広域市町村圏がある。

歴史

県名の由来

県名は県庁所在地の岡山市に由来する。「岡山」とは元々現在の岡山城のある場所に存在した小高い丘のことを指して呼んだものであったが、戦国時代宇喜多秀家が「岡山」に城を築き、その後形成された城下町を含めて岡山と呼ぶようになったことに由来する。なお、秀家の書状から「岡山」が城下町の地名として呼ばれ始めたのは文禄3年(1594年)頃からであると推測される。

原始・先史

旧石器時代

現在の岡山県の地域には、鷲羽山遺跡(倉敷市)などの原始からの遺跡が存在しており、旧石器時代から人々が居住していたことが窺える。県の最北端上斎原村(現鏡野町)に旧石器時代の恩原遺跡がある。その遺跡の下層(約2万5千年前の土層)からナイフ形石器が出土しており、その上層から約1万年前の細石刃も出土している。恩原遺跡では二基の跡が検出されている。うち一基は10個ぐらいの小石を半円形に並べており、焚き口幅40cm、奥行35cmの小規模な炉で、石組みの中に木炭塊があり、炉の周辺に灰土が広がっていて、2万2千年前の旧石器時代人の生活痕跡を示す珍しい遺構である。

縄文時代

地球の温暖化による海面上昇で瀬戸内海が出現した。そのことを示すのが瀬戸内市牛窓町の黄島貝塚である。その後は、人々は狩猟・採集・漁労の自然からの贈り物で生活し、豊かになっていった。縄文時代も後期になり、津雲貝塚で170体以上の人骨が発掘されている。晩期には岡山市北区の津島江道遺跡では水田遺構そのものが検出されている。縄文時代の終わり頃には、狩猟・採集活動をしながら水稲耕作も行われた。

弥生時代

また、彦崎貝塚(岡山市南区)では縄文時代前期の土層からイネプラント・オパールが大量に出土し、朝寝鼻遺跡(岡山市北区)でも同様の発見があり、縄文時代前期には畑作によるイネの栽培が始まっていたとみられる。

造山古墳
古墳時代

古代には吉備国といわれ、畿内地域や北九州地域、出雲地域等とともに、日本列島の中心地のひとつとして栄えていた地域である。吉備国畿内勢力と同盟関係を築いて日本列島の統一期(4世紀中葉)に影響を与えた。優れた鉄製技術を持ち、その支配地域は現在の岡山県・広島県中東部・香川県島嶼部・兵庫県播磨地方に及び、加古川を境界とし、さらには四国芸予諸島にも至っていたと推定されている。また、大きさが全国の古墳の中で第4位、一般人でも立ち入れる古墳としては全国第1位の規模をもつ造山古墳(岡山市北区)や全国第9位の作山古墳(総社市)、両宮山古墳(赤磐市)等の大型古墳が岡山県内に残されている。

古代

6世紀前半に大和朝廷への臣従したのち、吉備国は勢力抑圧のために備前国備中国備後国の3国に分割され、さらには備前国から美作国が分国された。国府は現在の岡山市(備前国)、総社市(備中国)、津山市(美作国)にそれぞれ置かれた。

旧吉備国からは奈良時代に中央政権で権勢を振るった吉備真備道鏡天皇位簒奪を阻んだ和気清麻呂らの優れた人材を輩出した。

平安時代には備前・備中は受領にとって実入りの多い、「上国」のひとつとされており、農業生産力が高かった。またこの時代に各地に荘園が拓かれた。特に鹿田荘は藤原氏の氏の長者が受け継ぐ4つの荘園(殿下渡領)のひとつであった。その他に大安寺荘(岡山市北区)など。平安時代末期には平氏の勢力圏に置かれ、寿永2年(1183年)には県の南東部、倉敷市玉島地区で、翌年には藤戸地区で源平合戦が繰り広げられた(水島の戦い藤戸の戦い)。

中世

鎌倉時代に入ると元来東国を拠点としていた那須氏松田氏三村氏庄氏赤木氏などの有力御家人が地頭職などを得て移住・土着した(東国から西国に移った鎌倉幕府御家人という意味で西遷御家人と呼ばれる)。

南北朝時代後醍醐天皇が隠岐に流される際の通り道になったことで、児島高徳など宮方に与同する武士が現れ、隠岐脱出後は最初に拠点を構えた伯耆船上山が近隣であったため多くの武士が宮方として活動した。観応の擾乱室町幕府が分裂すると山陰に勢力をもつ山名氏が侵攻し、北部美作を中心に山名氏の勢力下に置かれる。しかし、山名氏は明徳の乱で衰退した。

室町時代には鎌倉幕府倒幕に活躍した播磨の豪族・赤松則村(円心)が播磨備前美作3国の守護職に任ぜられ、以後赤松氏が代々三国の守護職を受け継ぎ、この三国はほぼ連動した歴史を展開する。赤松満祐嘉吉の乱で時の将軍足利義教を討ったため、赤松氏は一時衰亡し、その後は赤松氏と地域の覇権を争っていた山名氏が三国を領有した。紆余曲折の末、復活した赤松氏は応仁の乱で東軍に組みし、管領細川勝元より三国守護職を約束され、赤松政則が西軍の山名氏の勢力を追い払うことで再び三国守護職に返り咲く。しかし、戦国時代守護代であった三石城城主・浦上村宗によって政則の子が殺され赤松氏は衰退の一途を辿る。赤松氏に取って代わり備前を中心に勢力を伸ばした浦上氏であったが、宗景の代に家臣であった宇喜多直家の下剋上によって滅ぼされ、備前と美作では宇喜多氏が勢力を伸ばした。

備中では室町期は守護細川氏が、戦国時代は出雲から侵攻した尼子氏庄氏ら有力国人を従えていた。その後毛利氏の支援を得た三村家親が備中全域を統一し、美作・備前の一部も勢力下に治め三国を制する勢いであったが、永禄9年(1566年)三村家親が籾村の佛頂山興善寺に在陣中暗殺され、さらに後を継いだ三村元親が翌年宇喜多氏との明善寺合戦に敗退した。その後、織田氏の誘いを受けて毛利氏と争うに至り、三村氏は滅亡した(備中兵乱)。

このように現在の岡山県域では多数の戦国武将が群雄割拠の様相を呈し、戦国期を通じ、現在の岡山県域を統一する一大勢力は遂に出なかった。これは、岡山県が戦国前期には尼子氏・大内氏等の草刈場と化し、後期においては羽柴秀吉の水攻めで有名な備中高松城の戦いに代表されるように東の織田氏と西の毛利氏の衝突地点となったためである。備前の宇喜多氏や備中の三村氏などを除き、戦国期の在地国人勢力に顕著な活躍は見られなかった。しかし、その宇喜多氏・三村氏にしても東西勢力の代理戦争を演じていた面がないわけではない。秀吉との縁を得て後述のように戦国末期(近世初期)まで家を保持・成長させた宇喜多氏は在地勢力の例外といえる。

近世

岡山城(国の史跡)
備中松山城(国の史跡・重要文化財)
倉敷美観地区

現在の岡山の地は「岡山」・「石山」・「天神山(天満山)」と呼ばれていた3つの小高い丘のある備前国西部の農村地帯の一角に過ぎなかったが、岡山の地の利に目を付けた直家は「石山」に小規模な城を築いていた金光氏の当主・金光宗高を謀略により切腹させて開城の後、岡山の地に入封した。直家の子宇喜多秀家は備前・備中・美作3国守護の座に就き、秀吉の許しを得て「岡山」に築城し、商人を備前福岡から呼び寄せるなど、城下町が形成されていった。秀家はその後、慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで西軍が敗れ、豊臣家五大老のひとつの地位を占めていた宇喜多氏は所領没収のうえに八丈島に流された。

戦勝側である小早川秀秋が3国51万石を領有したが2年で後継ぎなく死去、断絶となり、慶長8年(1603年)、西国将軍と称された姫路藩藩主・池田輝政の次男、池田忠継が分家として備前38万石に入った。忠継・忠雄のあとに池田本家の鳥取藩から領地の交換で岡山に31万5千石で入封した池田光政(輝政の孫)が備前 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典:wikipedia
2018/12/08 11:16

HAPPY Wikipedia

あなたの考える「岡山県」の意味を投稿しよう
「岡山県」のコンテンツはまだ投稿されていません。
全部読む・投稿 

岡山県スレッド一覧

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「岡山県」のスレッドを作成する
岡山県の」
友達を探す
掲示板を探す
このページ
友達に教える
URLをコピー

注目のキーワード

錦織圭/北島康介/2014_FIFAワールドカップ・アジア予選/サッカー日本女子代表/消費税/東京スカイツリー/ダルビッシュ有/イチロー/香川真司/野田内閣/復興庁/石川遼/HKT48/AKB48/ワールド・ベースボール・クラシック日本代表/黒田博樹/尖閣諸島/バレンタインデー/ONE_PIECE

キーワードで探す

 
友達を探す
掲示板を探す
ハッピーWiki
ハッピーメール
ハッピーランド
HAPPY NEWS
2010Happy Mail