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川崎市とは?

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川崎市旗
1965年(昭和40年)6月18日制定 | 川崎市章
1925年(大正14年)4月15日制定

【国】
日本
【地方】
関東地方
【都道府県】
神奈川県
市町村コード
14130-5
法人番号
7000020141305
【面積】
143.01km

【総人口】
1,539,657[編集]
(推計人口、2020年6月1日)
人口密度
10,766人/km
【隣接自治体】
横浜市
東京都大田区世田谷区調布市狛江市稲城市多摩市町田市
千葉県木更津市(海上で隣接)
【市の木】
ツバキ
【市の花】
ツツジ
川崎市役所

【市長】
福田紀彦
【所在地】
210-8577
神奈川県川崎市川崎区宮本町1番地
北緯35度31分51.2秒東経139度42分10.8秒座標: 北緯35度31分51.2秒 東経139度42分10.8秒
市庁舎位置

【外部リンク】
川崎市

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村



【特記事項】
市外局番:044(市内全域)
ウィキプロジェクト
川崎 六郷の渡し舟 歌川広重

川崎市(かわさきし)は、神奈川県の北東部に位置する政令指定都市である。

市域は7区の行政区に分かれる(川崎区幸区中原区高津区多摩区宮前区麻生区)。中世以前は市内全域が旧武蔵国に属し、神奈川県内の市町村では唯一、旧相模国に属していた地域を含まない。

概要

政令指定都市20市の中で面積が最も小さい。神奈川県内で横浜市に次ぐ第2の都市であり、非都道府県庁所在地の市では最大かつ唯一人口が100万人を超えている。財政状況は良く、財政力指数は1.00(2015年度)で政令指定都市では最も財政に余裕がある。面積が狭く、市のほぼ全域で宅地化が進んでいるので人口密度は高い。古くは東海道中原道大山道津久井道が南北に通り、その宿場を中心にして発展してきた。川崎大師は初詣に多くの参拝客が訪れる寺社として有名であり、その数は神奈川県で1位である。川崎駅京急川崎駅周辺が市の中心地であり、特に川崎駅東口を中心に関東有数の繁華街が広がっているほか、西口にはショッピングセンターとして日本2位の売上を誇る巨大商業施設ラゾーナ川崎プラザが位置しており、駅周辺は非常に賑わっている。東海道線京急線を中心に古くからの市街地が形成されているほか、現在は市の北西部を中心に東京近郊のベッドタウンが広がり、臨海部に広がる京浜工業地帯の工業都市でもある。また、多摩川沿いの武蔵小杉駅周辺には東京への通勤者向けのタワーマンションが林立しており、川崎市は繁華街、工業地域、超高層マンション街、郊外の新興住宅地と多様な面を併せ持っている。2015年度の東京都へ通勤・通学する15歳以上就業者・通学者の割合は41.1%であり、いわゆる「神奈川都民(川崎都民)」が非常に多く、その地理的な近さから東京との結びつきが非常に強い。

地理

神奈川県の北東部、県の最東端に位置し東京都横浜市にはさまれた細長い市域を持つ。県内では、横浜市以外の市町村とは隣接していない。市の北側を多摩川が流れ東京都との境となっている。街道沿いには古くから栄えていた街が点在し、周辺は閑静な住宅地となっている。しかし、駅周辺は東京との近さから近年開発が進み、特に川崎駅前周辺は市内随一の繁華街で昼夜を問わず人が多い。西部の多摩丘陵にはのどかな田園風景が広がり、新興住宅地が多い。東部の東京湾岸の埋立地は隣接する横浜市鶴見区沿岸部とともに大規模な重工業地帯となっているなど、多様な面を見せる。

東京のベッドタウンとしての性格が強く、東海道線横須賀線京急線京王相模原線東急東横線東急田園都市線小田急線などの通勤路線を通じて東京都心部との交流が深い。各路線ごとに東京区部・横浜市北部を含めた沿線地域圏を形成しているため、稲田堤若葉台(京王相模原線)、登戸新百合ヶ丘(小田急線)を始めとした北部の住民は新宿渋谷といった東京都心部のターミナルへの志向が強く、川崎市中心部の川崎駅(川崎区)に行くことは比較的少ない。各々の区が東京の衛星都市としての位置づけである。

一級河川

運河

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歴史

六郷の渡し 1860年代
詳細は「川崎市の歴史」を参照

市成立前

原始以前

北西部の丘陵地帯に人が定住したのは古く、黒川などでは旧石器時代縄文時代の遺跡が確認できる。しかし、多摩川沿いや臨海部の低地はかつて海底だった場所が多く、多摩川の堆積作用や海面の低下により徐々に陸地化が進んだ。

古代

7世紀に律令体制の整備により武蔵国橘樹郡(たちばなぐん)の一部となり、奈良時代には現在の高津区に郡衙が置かれ、地域行政の中心になったと推定される。平安時代からは荘園が発達し、稲毛氏が広い地域を支配した。

中世

前述の稲毛氏の一族稲毛三郎重成源頼朝の御家人の1人となって活躍した。また大治3年(1128年)には川崎大師(平間寺)が建立され、門前町の形成が始まる。その後鎌倉時代から戦国時代にかけては小規模領主による分治が進み、やがて北条氏の支配下に入った。

近世

慶長16年(1611年)には小泉次大夫の指揮により二ヶ領用水が完成、中野島から大師・大島に至る多摩川流域平野のほぼ全域を流れ、農業生産力の向上をもたらした。二ヶ領用水で潤った水田で生産された米は稲毛米と呼ばれ、江戸で寿司飯として人気となる。また江戸幕府が成立したことで東海道中原街道の重要性が高まり、川崎宿(現川崎駅周辺)の整備が進んだ。ただし、川崎宿が正式な宿場に指定されたのは東海道五十三次の中で最後となる元和9年(1623年)のことである。このとき多摩川の橋は流され、以後川崎宿は六郷の渡しの渡河点、及び川崎大師への玄関口として繁栄する。この他にも中原街道丸子の渡し大山街道二子の渡し津久井街道の登戸の渡しが整備され、いずれも後に東京への鉄道が建設される宿場町が形成された。

近代

大山街道の商店 溝の口

明治・大正期は川崎駅周辺で都市化が急速に進行する一方、丘陵地帯では従来の農山村も維持されていた。その後昭和前期になると鉄道路線の開業が相次ぎ、私鉄沿線には住宅地が、多摩川沿いの南武線沿線には主に工業地が展開した。

市成立後

近代

京浜工業地帯

現代

大師橋

人口


川崎市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 川崎市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 川崎市
緑色 ― 日本全国
 | 
青色 ― 男性
赤色 ― 女性


川崎市(に相当する地域)の人口の推移

総務省統計局 国勢調査より


行政

行政区域の変遷

出典:wikipedia
2020/08/13 23:37

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