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布袋寅泰とは?

この記事に雑多な内容を羅列した節があります。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2011年6月)
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テレビ番組内での各種情報は、信頼できる紙媒体またはウェブ媒体が紹介するまで、出典として用いないで下さい。Wikipedia:検証可能性に基づき除去される場合があります。

布袋 寅泰


【基本情報】

【出生名】
布袋寅泰
【別名】
HOTEI
【生誕】
(1962-02-01) 1962年2月1日(56歳)
【出身地】
日本 群馬県高崎市
【学歴】
新島学園高等学校(中退)
【ジャンル】
ロック
ビート
ニュー・ウェイヴ
デジタルロック
ポップ・ロック
パワー・ポップ
ファンク
ポストパンク
オルタナティヴ・ロック
エレクトロ
ブラスロック
インダストリアル・ロック
様々なジャンルのクロスオーバー
【職業】
ギタリスト
ミュージシャン
シンガーソングライター
作詞家
作曲家
音楽プロデューサー
【担当楽器】
ギター
ボーカル
ベース
ピアノ
キーボード
シンセサイザー
ドラムス
コンピュータープログラミング
【活動期間】
1981年 - 1988年(BOØWY)
1982年 - 1984年(AUTO-MOD)
1989年 - 1990年2011年(COMPLEX)
1988年、1990年 - (ソロ活動)

【レーベル】
Virgin Records
Spinefarm Records
【事務所】
DADA MUSIC
【公式サイト】
HOTEI.COM
デヴィッド・ボウイ
T・レックス
ロキシーミュージック
など

布袋 寅泰(ほてい ともやす、1962年2月1日 - )は、日本ロックミュージシャンギタリスト。身長187cm、血液型B型。。

群馬県高崎市江木町出身。ロンドン在住。BOØWY時代のビーイング、Ø-con' nection、ユイ音楽工房、ソロ活動後のIRc2 CORPORATIONを経て、渡英後はDADA MUSICに所属。同事務所のCEOも務める。

目次

  • 1 来歴
  • 2 音楽性
    • 2.1 ギタースタイル
    • 2.2 作曲
  • 3 人物
    • 3.1 エピソード
  • 4 使用ギター
    • 4.1 フェルナンデス(ゾディアック・ワークス)
    • 4.2 ゼマイティス
    • 4.3 ゾディアック・ワークス
    • 4.4 その他
  • 5 活動履歴
  • 6 ディスコグラフィー
    • 6.1 オリジナルアルバム
    • 6.2 シングル
    • 6.3 ベストアルバム
    • 6.4 ライブアルバム
    • 6.5 オフィシャルブートレッグCD
    • 6.6 その他のアルバム
    • 6.7 デジタルコンテンツ
    • 6.8 VHS/DVD/Blu-ray
    • 6.9 楽曲提供
      • 6.9.1 他アーティスト
      • 6.9.2 映画音楽
      • 6.9.3 TV
        • 6.9.3.1 ドラマ
        • 6.9.3.2 CMソング
      • 6.9.4 舞台音楽
      • 6.9.5 カヴァー
      • 6.9.6 リミックス
      • 6.9.7 その他
    • 6.10 外部参加
  • 7 ライブサポート
  • 8 ミュージックビデオ
  • 9 出演
    • 9.1 ラジオ
    • 9.2 CM
    • 9.3 映画
    • 9.4 ドラマ
    • 9.5 テレビ
  • 10 書籍
    • 10.1 著書
    • 10.2 関連書籍
  • 11 ゲーム
  • 12 コラボレーション
  • 13 脚注
  • 14 関連項目
  • 15 外部リンク

来歴

1981年BOØWYギタリストとしてデビュー。BOØWY解散後はソロ活動の他、吉川晃司とのユニット・COMPLEX、他ミュージシャンへの楽曲提供など幅広く活動している。またレコーディングではギターだけでなく、ベースドラムスキーボードなども演奏する。

また、世界では『HOTEI』名義で、イギリスドイツなど欧州でアルバムをリリースしている。イギリスのロックバンド、ジーザス・ジョーンズと親交があり、ジョイントツアーも行った。

映画CMへの出演など、俳優・タレントとしての活動も行っており、テレビ出演もBOØWYの元メンバーの中では一番積極的に行っている。

「最新のHOTEIが最高のHOTEI」がモットー(ポルシェ社のキャッチコピーから)。現在の愛車はトヨタアルファードAMGE63Tシボレーのエクスプレスバン、アストンマーティンV8ヴァンテージ

A-ROCK本選会にてアイデア賞を受賞し、17歳(高校3年時に中退後)の時に上京。

1981年氷室京介らと共に暴威(後に「BOØWY」と改名)を結成。翌1982年にリリースしたアルバム『MORAL』でデビューする。BOØWYは1987年12月24日渋谷公会堂で解散を発表し、翌1988年4月に行われた東京ドームでのライブ『LAST GIGS』をもって活動を終えた。

BOØWY初期には、演劇型アプローチのロックバンド、AUTO-MOD(他に、高橋まこと、PERSONZの渡邉貢らが在籍)やPETSというバンドにも参加していたり、ギタリストとして知られるようになってからは、鈴木雅之のソロデビュー曲『ガラス越しに消えた夏』をはじめ、吉川晃司中島みゆき(後藤次利プロデュース)、アニメ『ストップ!! ひばりくん!』ED、『風の谷のナウシカ』サウンドトラック、山下久美子(吉田建プロデュース)などのアルバムに参加している。

1985年6月から8月にかけては泉谷しげるのバックバンドのメンバーとして、1986年以降は当時の妻だった山下久美子のバックバンドのメンバーとしても活動していた。

BOØWYでの活動を終えて、氷室京介が1988年7月21日にソロデビューしたのに続き、半年後の同年10月にソロ1stアルバム『GUITARHYTHM』をリリースし、ソロ活動を開始。藤井丈司ホッピー神山とのコラボレーションによるギターとコンピュータの融合で歴史に残る斬新なアルバムとして注目された。イギリスにおいてシングルを発表するも注目されることはなく、同年12月吉川晃司COMPLEXを結成し、シングル「BE MY BABY」でデビュー。2枚のアルバムを発表したが、音楽性の違いで吉川と対立し、1990年11月8日に行われた東京ドームでのライブをもって無期限活動休止に入る。

COMPLEX休止後は一貫してソロ活動に専念する。音楽プロデューサーとして今井美樹相川七瀬TOKIO藤井フミヤJILL(PERSONZ)や江角マキコなどのアーティストに楽曲を提供したり、『新・仁義なき戦い』や『KT』などの映画音楽も手掛ける。また『新・仁義なき戦い』や『サムライ・フィクション』などでは俳優としても活躍。その長身と強面を生かし、永瀬正敏とのコマーシャルにも出演。1990年-1993年、NHK-FM『ミュージック・スクエア』木曜日分のパーソナリティを務める。

1994年東大寺にて行われたUNESCO主催の『GME '94 〜21世紀への音楽遺産をめざして〜 AONIYOSHI』に日本を代表するアーティストのひとりとして出演。マイケル・ケイメンジョニ・ミッチェルINXSロジャー・テイラーライ・クーダーレイ・クーパーレナード衛藤らと共演した。

1996年、上記イベント『AONIYOSHI』をきっかけに交流を深めたマイケル・ケイメンからのオファーでアトランタオリンピックの閉会式に出演。1998年にはケイメンとギターとオーケストラとの融合作品『GUITAR CONCERTO』に参加したり、シングル「THANK YOU & GOOD BYE」のプロデュースをケイメンに依頼したこともあった。

2003年クエンティン・タランティーノからのオファーにより、『新・仁義なき戦いのテーマ』が『BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY』として映画『キル・ビル』のメインテーマに採用される。これによりイギリスiTunes Storeの音楽部門で1位を獲得したり、欧州サッカー連盟の入場テーマにも使用されたりと、同曲の知名度は飛躍的に上昇した。

2007年、 『HOTEI presents "SUPER SOUL SESSIONS" BRIAN SETZER vs HOTEI vs CHAR』と冠したライブにおいて、Charブライアン・セッツァーとの競演を果たし、翌2008年にはKREVA亀田誠治との単発ユニット『The THREE』にて、映画『隠し砦の三悪人THE LAST PRINCESS』の主題歌をリリースしている。

長らくソロ・ミュージシャンとして活動していたが、2011年4月28日に公式サイト上にて、東日本大震災の復興支援ライブとして21年ぶりに東京ドームにてCOMPLEXの一夜限りの復活を発表。当初は7月30日のみの予定だったが、5月末には7月31日の追加公演も発表された。『日本一心』と銘打ったこのライブの動員数は2日間で10万人以上、収益は6億5431万8473円に上った。収益金は震災の復興、復旧に全額寄付された。

同じく2011年には、映画『ミッション:インポッシブル』シリーズのメインテーマを布袋がアレンジするという形で、12月に公開された同シリーズの第4作『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』の日本国内向け宣伝用楽曲を手掛けている。

2012年夏、長らく住み慣れた日本を離れロンドンへと移住。音楽面をはじめ自身に多大な影響を及ぼした同地にて新たな夢を叶える旨を表明した。

2014年3月6日、ローリングストーンズの『14 ON FIRE JAPAN TOUR』東京ドーム公演に、バンド側からオファーを受けゲストとして出演。「RESPECTABLE」で共演を果たした。

2015年4月、イギリス現地のレーベル『スパインファーム・レコード』と契約。同年10月にはアルバム『STRANGERS』をイギリス、欧州、日本にて同時リリースした。

音楽性

BOØWY時代やCOMPLEX時代は8ビートを基調としたポップな楽曲(いわゆるビート・ロックパワー・ポップ)をメインに制作していたが、ソロアーティストとなって以降はデジタルロックニューウェイヴファンクグラムロックポップ・ロックプログレッシブテクノクラウト・ロックブラス・ロックハウスレゲエパンクポストロックエレクトロニカドラムンベースアンビエントロカビリーなどをはじめとした様々な要素を取り入れたサウンドを展開しており、アルバム毎に音楽コンセプトを一変させ、世界観の異なる作品をリリースしている。このような姿勢について布袋は「日々変化してこそロックン・ロール」と語っている。

自身が最も影響を受けたミュージシャンにデヴィッド・ボウイT-REXロキシー・ミュージックを、また自身をギタリストにした人物としてマーク・ボランミック・ロンソンクリス・スペディングを挙げている。特にデヴィッド・ボウイへの敬愛は強く、インタビューなどで頻繁に名前が登場している。また自身の音楽コンセプトを毎回変えるというスタイルもボウイから受けた影響のひとつである。他にも10ccエルヴィス・コステロXTCスパークスクラフトワークデフ・スクールスティーヴ・ハーレイ&コックニー・レベルディーヴォトーキング・ヘッズDAFウルトラヴォックスジグ・ジグ・スパトニックジーザス・ジョーンズギャング・オブ・フォーテレヴィジョンデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズブームタウン・ラッツセックス・ピストルズリー・リトナーアル・ディ・メオラブリジット・フォンテーヌなどをはじめ多岐に及ぶ。現在でも非常に多くのミュージシャンを愛聴しており、自他共に認めるレコードマニアである。

基本的にブリティッシュムーブメント(特にグラムロック、パンク、ニューウェイヴ)からの影響が強いが、一方でレイ・パーカーJr.ワウ・ワウ・ワトソンジョニー・"ギター"・ワトソンアル・マッケイなど、ブラックミュージック系のギタリストを好んでコピーしていたことから、ファンクへの拘りも非常に強い。

ライブ活動には非常に精力的であり、現在でもアリーナホールライブハウスなど様々な規模のステージを踏んでいる。「ライブアーティストでありたい」「あくまでライブをやりたいから楽曲を作る」などステージを意識した発言は数多い。ステージセットや演出への拘りも強く、代名詞とも言えるアグレッシブで独特のステージアクションを評価しているミュージシャンも多く存在する。サポートメンバーはツアー毎に入れ替わることが多く、ライブコンセプトやサポートメンバーのスタイルなどによって過去の楽曲にもさらなるアレンジを施し、時にオリジナルテイクと大きく姿を変える。基本的にほぼ毎回のライブ及びツアーのたびに、新たにアレンジされた過去の楽曲が披露されている。

楽曲のみに留まらず、ファッションやビジュアル、アートワークも活動コンセプトの一端として重視している。作品の世界観に合わせてスーツや革ジャン、近未来風ファッションやゴシック調の衣装にも袖を通し、スタイリングも変える。このような姿勢はBOØWY結成当初から持ち合わせており、ヘアメイクや衣装、ライブコンセプトのアイディアをたびたびメンバーに提案していた。『INSTANT LOVE』の時期に、青山のブティック「T-KIDS」に衣装提供を直談判し実現させたというエピソードもある。また高校時代にレタリング通信教育を受けていたことから、BOØWY時代初期はライブの宣伝チラシのデザインも担当していた。

音楽以外に絵画や詩、映画、文学なども好み、曲作りに影響を受けたエピソードも著書やインタビューなどで語られている。アンディ・ウォーホルジャン・コクトーアルチュール・ランボーサルバドール・ダリアントニ・ガウディフィンセント・ファン・ゴッホケネス・アンガースタンリー・キューブリックウィリアム・バロウズ小池真理子などを趣味として挙げている。旅に出ることも多く、様々な土地でのエピソードがたびたび楽曲に反映されている。特にロンドンへの愛着は一際強く、2012年に同地へ移住する以前から別宅としてアビーロードフラットを所有しており、レコーディングやプライベートでたびたび訪れていた。

ギタースタイル

前述のような音楽趣向からビートへの拘りは非常に強く、様々な場面で口にしている。また自身のことを「リズム・ギタリストとかリード・ギタリストとかあるけど、僕はビート・ギタリスト」だと語っている。布袋のギタースタイルの象徴のひとつとして『BAD FEELING』のリフに代表される独特のカッティングが挙げられるが、これもビートへの拘りとファンク・ミュージックからの影響を強く受けていることが背景にある。

バッキングの際はブリッジミュートを駆使してリズムを際立たせるプレイをすることが多く、ハードロックなどの歪み系のサウンドは出すことは少ない。「のっぺりと歪んだギターはあまり好みじゃなく、そういった音楽はあまり聴いてこなかった」とも発言している。ギターを弾く際のピッキングのアタック感やリズム感を意識している発言も多く、様々なミュージシャンから「布袋のギターはコンピューターのような正確さだ」と評されており、スティーヴ エトウは「迷った時には彼のギターを聴けば確実」と語っている。

アマチュア時代は毎日クラフトワークを聴きながら楽曲のループに合わせてギターフレーズを考えていたという時期も存在し、理想のギタリスト像について「マーク・ボランレイ・パーカーJr.を合わせたようなギタリストになりたかった」「マーク・ボランのようなグラムな衣装で、黒人のようなファンキーなカッティングを、クラフトワークのビートをバックに踊りながら弾くギタリストという何とも奇妙なものだった」と語っている。同時にパンクやニューウェイヴからの影響により、アマチュア時代からストラップを長くして腰の位置で弾くなど、テクニックよりもオリジナリティーを重視してきた結果、未だに小指はうまく使えないという。一方で5弦6弦を親指で抑えるといったスタイルを多用している。

このようにリズムへの拘りは強いが、歌メロディーに踏襲したリードギターも大きな特徴である。ロック・ミュージックのギターソロやフレーズにおいて使用頻度が高いペンタトニック・スケールが布袋のギターソロ等ではほとんど使用されておらず、通常のドレミと同じ西洋七音階にて構成されている。特にBOØWY時代は「音階は音が離れていないほうが耳馴染みがいい」、「ギターソロは驚かせるものではなく、聴き手をほっとさせたい」、「アドリブっぽくならないように」と、本人曰く“簡単だけど耳に残るフレーズ”を徹底的に追求した。同時にギターソロに関してはテクニックよりも感情移入主義であるとしており、「(自分は)作曲者としてはBOØWYの『MARIONETTE』やCOMPLEXの『BE MY BABY』など、基本的にメロディが湧いてくるタイプ。ギター弾きっていうのは無限のメロディを持っていなかったら成り立たないし、優れたアドリブを弾けるには優れたメロディーメイカーじゃないと不可能。最終的には解釈もコード進行も関係ないし、全部気持ちの豊かさから来るもの」と語っている。

BOØWY時代はコーラスアナログ・ディレイハーモナイザーをはじめ自らを「エフェクターの鬼」と称するほど多種多様のエフェクターを用いていたが、「(BOØWY時代は)4人バンドでコード楽器は俺しかいなかったから、広げたり飛ばしたりをやらないとすごくモノクロなロックンロールになってしまうのも手伝って、結構使ってた。BOØWYをやめた時にもうエフェクターを使う必然性はないなって」という言葉が示す通り、ソロ以降その数は減少している。しかしソロ・キャリアでもデジタル要素の強い作品をリリースするなど使用率は決して低くはなく、特にディレイは現在までマストアイテムとして定着している。

ピックはオニギリ型のハードタイプを愛用。ピックと爪を同時に弦に当てながら弾く(ピッキング・ハーモニクス)為、独特のサウンドを奏でる。一度のライブで爪がかなり消耗することから、ツアー中はコーティングを欠かさず行っている。また「ギターは左手も大事だけど、それ以上に右手が大事」としており、「同じフレーズでもピッキング・ハーモニクスを利かせるなど、右手の使い方次第でサウンドに個性を出すことが出来る」と語っている。布袋自身の手は長身ながら小さく柔らかい為、このことと前述の5弦6弦を親指で押さえるというスタイルが『BAD FEELING』や『2人のAnother Twilight』など独特のカッティングを駆使したいわゆる「手癖フレーズ」を生み出すのに功を奏したと評している。マーティ・フリードマンは自身の著書にて、ギターの音を聞いただけで誰が弾いているかわかる日本の個性派ギタリストとしてChar松本孝弘と共に布袋の名を挙げている。今井寿TAKUYASUGIZOなど布袋からの影響を公言しているプロのギタリストも数多い。

プレイのみに留まらず、独特のステージアクションも布袋の象徴として挙げられることは多い。ギターを始めた当初からステージで演奏することを考慮し、自宅でも立って弾いていたという。BOØWYがブレイクする以前は新宿のツバキハウスや六本木のクライマックスなどのディスコへも盛んに足を運んでおり、「ギターをかき鳴らすアクションでジャンプしながら踊っていた。間違いなく自分のステージアクションの原型は、ツバキハウスとクライマックスのダンスフロアで出来上がったと断言できる」とのことである。

作曲

楽曲制作に関しては、作曲を優先(曲先)にする。ギターリフから作ったもの、ベースリフから作ったもの、メロディから作ったもの、リズムパターンから作ったものと、バラエティに富んでいる。前述の通りライブへの拘りが非常に強い為、作曲の時点ではあまり意識しないが、編曲はライブを意識して行っており、基本的に「ライブで再現出来ないことはCDでも演らない」というスタンスである。ステージでのパートはギターとボーカルのみだが、レコーディングの際はベースキーボードなども自らが演奏する。またデモテープ制作時はプログラミングも行う。

外出先などでフレーズが思い浮かんでも録音したり譜面に書き残すといったことは一切しない。本人によると「忘れてしまうようなフレーズは、所詮その程度のものだったということ」であり、『GUITARHYTHM IV』のようにデモテープを一切制作していないというアルバムも存在する。そもそもギターの譜面に関しては読むことが出来ず、自分が作った楽曲を譜面に起こすことも出来ない。コードも基本的なもの以外はよく知らないという。その為、BOØWY時代初期にスタジオミュージシャンの仕事が入った時は、小さいコードブックを隠し持ってスタジオ入りしていた。

THANK YOU & GOOD BYE』など一部を除き、現在までほぼ全ての作品でセルフ・プロデュースを執っているが、これについては「僕のプロデューサーって立場はあくまでもギタリストの延長線。いいミュージシャン、いいギタリストでいる為には、ドラムもベースも歌も知らなきゃいけないっていう。初めて作った『MORAL』がまったく満足いかない仕上がりになってしまったことが、一番きっかけとして大きかった。これはスタジオの作業をもっと知らなきゃいけない、ただ演奏しただけでは結果的に作品としてのあるレベルには至らないと痛感した。それからミュージシャンとしての自分自身を大切に、色んなことをクリアしてプロデューサーと呼ばれるようになった」としている。

高橋まことは布袋の音楽スタイル、プロデュース・ワークについて「一見するとルーツが見えづらいが、敢えて言うなら「ひとりミクスチャー」。あらゆるジャンルの音楽を貪欲なまでに呑み込んで、すべて自分の中で消化して布袋色に染め上げてしまう。自らのルーツ・ミュージックに立ち返ることを布袋は決してしなかった。なぜなら彼にとってのルーツ・ミュージックとは「布袋寅泰」そのものだからだ。自分自身をルーツにしようとしていたのは間違いないだろう」、「ルーツが見えづらい上にツールも多く、ギター以外の楽器も一通り何でもこなせる。レコーディング時にはかなり具体的なフレーズを要求してくることが多かった。本人がドラムも叩けるからこそであり、意思の疎通も非常にスムーズだった」と著書に記している。

人物

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この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2016年1月)

自身の著書『秘密』によると、父親は韓国人で、韓国にも家庭があり、母は日本での妻という立場だったとのこと。貿易商であり1年の大半を国外で過ごしていたため、日本に戻ることはほとんどなく母子家庭同然だったという。紳士かつ厳格な人物で、父親が帰国すると家族全員が正装して夕食のテーブルにつき、テーブルマナーにも厳しかったという。映画「新・仁義なき戦い」に、昌龍の役で出演を決めた理由について、「彼の生い立ちと同じく、僕も父親が韓国人で、アウトサイダーとして生きざるを得なかった」と語っている。

母親は余市生まれ、ロシア(樺太)育ちの日本人ロシア人とのハーフで、日本国籍とのこと。アイヌの血も引いている。かつて高崎駅前にてクラブを経営していた。父親とは対照的に天真爛漫な人物で、BOØWY初期は布袋の音楽活動に対し否定的だったが、1986年に初の日本武道館ワンマンライブに招いた際には終演後「あなたならやると信じていたわ」と言われたというエピソードがある。

妹はかつてガラパゴスのヴォーカルとして活動していた狩野環。ガラパゴスは1991年から1992年に行われた布袋のGUITARHYTHM ACTIVEツアーで前座を務めたり、布袋が同バンドの楽曲『月の流す涙』をラジオ内でカヴァーしたりと、音楽上でも交流があった。1994年のガラパゴス解散後は、新たにSUPER EGOを結成。後に同バンドのドラマーと結婚した。姪はシンガーソングライターのタグチハナ。狩野環の長女であり、2015年にメジャーデビューしている。なお布袋は「ハナ」という名前を盟友であるジーザス・ジョーンズのマイク・エドワーズの女児にセカンドネームとして贈った。

幼少時代にピアノを始める。母親がハリウッド映画サウンドトラックアルゼンチン・タンゴを好んで聴いており、彼女からのリクエストでこれらの楽曲を弾くことも多かったという。14歳の頃、マーク・ボランのポスターを見て感銘を受け、ギターを始める。初めて買ったギターはストラトキャスタータイプで、この時の資金は母親の財布から失敬した1万円だった。

幼少時代から服装には拘りを持っており、カブスカウトの制服に憧れたり、小学校高学年になると長髪にしてベルボトム ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典:wikipedia
2018/12/07 22:46

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