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干支とは?

出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2020年12月)
干支
1
甲子 | 2
乙丑 | 3
丙寅 | 4
丁卯 | 5
戊辰 | 6
己巳
7
庚午 | 8
辛未 | 9
壬申 | 10
癸酉 | 11
甲戌 | 12
乙亥
13
丙子 | 14
丁丑 | 15
戊寅 | 16
己卯 | 17
庚辰 | 18
辛巳
19
壬午 | 20
癸未 | 21
甲申 | 22
乙酉 | 23
丙戌 | 24
丁亥
25
戊子 | 26
己丑 | 27
庚寅 | 28
辛卯 | 29
壬辰 | 30
癸巳
31
甲午 | 32
乙未 | 33
丙申 | 34
丁酉 | 35
戊戌 | 36
己亥
37
庚子 | 38
辛丑 | 39
壬寅 | 40
癸卯 | 41
甲辰 | 42
乙巳
43
丙午 | 44
丁未 | 45
戊申 | 46
己酉 | 47
庚戌 | 48
辛亥
49
壬子 | 50
癸丑 | 51
甲寅 | 52
乙卯 | 53
丙辰 | 54
丁巳
55
戊午 | 56
己未 | 57
庚申 | 58
辛酉 | 59
壬戌 | 60
癸亥
十干十二支

干支(かんし、えと、中国語: 干支ピンイン:gānzhī)は、十干十二支を組み合わせた60を周期とする数詞。古代中国にはじまる暦法上の用語。 を始めとして、時間、方位、ことがらの順序などに用いられる。六十干支(ろくじっかんし)、十干十二支(じっかんじゅうにし)、天干地支(てんかんちし)ともいう。

概説

干支の60周期を表した図

中国を初めとしてアジア漢字文化圏において、時間方位角度、ものごとの順序づけを表すのにも用いられ、陰陽五行説とも結び付いて様々な卜占にも応用された。古くは十日十二辰十母十二子とも呼称した。

起源は商()代の中国にさかのぼる。日・月・年のそれぞれに充てられ、60日(ほぼ2か月)、60か月(ほぼ太陰太陽暦5年)、60年などをあらわす。幹・肝と、枝・肢と同源であるという。日本朝鮮半島ベトナム、西はロシア東欧などに伝わった。日本に暦が伝わったのは古墳時代から飛鳥時代にかけてで、朝廷百済より暦法や天文地理を学ぶために学問僧を招き、604年(推古12年)、日本最初の暦が作成されたと伝えられる。

日本では「干支」を「えと」と呼んで、ね、うし、とら、う、たつ…の十二支のみを指すことが多いが、「干支」は十干と十二支の組み合わせを指す語であり、「えと」は十干において「きの(甲)」「きの(乙)」「ひの(丙)」「ひの(丁)」と陽陰に応じて「え」「と」の音が入ることに由来するので、厳密には二重に誤りである。

1012最小公倍数60なので干支は60回で一周するが、干支の組合せはすべての組合せの半数しかない。例えば、一覧01〜60で5回ある「子」のうちに、「甲子」はあるが「乙子」はない。これは、10と12に共通の約数2があるので、干支の周期が積の120ではなく、最小公倍数の60になるからである。

十干と十二支

十干の10種類からなり、十二支の12種類からなっており、これらを合わせて干支と呼ぶ。十干十二支は戦国時代に作られた陰陽五行説よりもはるかに古い起源をもつので、陰陽五行説による説明は後付けであって学問的な意味はない。また生命消長の循環過程とする説もあるが、これは干支を幹枝と解釈したため生じた植物への連想と、同音漢字を利用した一般的な語源俗解手法による後漢時代の解釈である。鼠、牛、虎…の12の動物との関係がなぜ設定されているのかにも諸説があるが詳細は不明である。

十干

詳細は「十干」を参照
十干 日本語 中国語 朝鮮語 ベトナム語 本義
音読み 訓読み 意味
 | こう | きのえ | 木の兄 | jiǎ/ㄐㄧㄚˇ | 갑 (gap) | giáp | 草木の芽生え、鱗芽のかいわれの象意
 | おつ、いつ | きのと | 木の弟 | yǐ/ㄧˇ | 을 (eul) | ất | 陽気のまだ伸びない、かがまっているところ
 | へい | ひのえ | 火の兄 | bǐng/ㄅㄧㄥˇ | 병 (byeong) | bính | 陽気の発揚
 | てい | ひのと | 火の弟 | dīng/ㄉㄧㄥˉ | 정 (jeong) | đinh | 陽気の充溢
 | ぼ | つちのえ | 土の兄 | wù/ㄨˋ | 무 (mu) | mậu | “茂”に通じ、陽気による分化繁栄
 | き | つちのと | 土の弟 | jǐ/ㄐㄧˇ | 기 (gi) | kỷ | “紀”に通じ、分散を防ぐ統制作用
 | こう | かのえ | 金の兄 | gēng/ㄍㄥˉ | 경 (gyeong) | canh | 結実、形成、陰化の段階
 | しん | かのと | 金の弟 | xīn/ㄒㄧㄣˉ | 신 (shin) | tân | 陰による統制の強化
 | じん | みずのえ | 水の兄 | rén/ㄖㄣˋ | 임 (im) | nhâm | “妊”に通じ、陽気を下に姙む意
 | き | みずのと | 水の弟 | guǐ/跟ㄍㄨㄟˇ | 계 (gye) | quý | “揆”に同じく生命のない残物を清算して地ならしを行い、新たな生長を行う待機の状態

十二支

詳細は「十二支」を参照
十二支 日本語 中国語 朝鮮語 ベトナム語 本義
【音読み】
訓読み
 | し | ね | zǐ/ㄗˇ | 자 (ja) | tý | “孳”で、陽気が色々に発現しようとする動き
 | ちゅう | うし | chǒu/ㄔㄡˇ | 축 (chuk) | sửu | “紐”で、生命エネルギーの様々な結合
 | いん | とら | yín/ㄧㄣˊ | 인 (in) | dần | “演”で、形をとっての発生
 | ぼう | う | mǎo/ㄇㄠˇ | 묘 (myo) | mão/mẹo | 同音“冒”に通じ、開発の意
 | しん | たつ | chén/ㄔㄣˊ | 진 (jin) | thìn | “震”、同音“申”に同じ、生の活動
 | し | み | sì/ㄙˋ | 사 (sa) | tỵ | “已”に通じ、陽盛の極、漸く陰に移ろうとする所
 | ご | うま | wǔ/ㄨˇ | 오 (o) | ngọ | “忤(さからう)”に通じ、上昇する陰と下退する陽との抵触
 | び | ひつじ | wèi/ㄨㄟˋ | 미 (mi) | mùi | “昧”で、陰気の支配
 | しん | さる | shēn/ㄕㄣˉ | 신 (shin) | thân | 陰気の支配
 | ゆう | とり | yǒu/ㄧㄡˇ | 유 (yu) | dậu | 酒熟して気の漏れる象。陰気の熟する所
 | じゅつ | いぬ | xū/ㄒㄩˉ | 술 (sul) | tuất | 同音“恤”であり、“滅”である。統一退蔵。
 | がい | い | hài/ㄏㄞˋ | 해 (hae) | hợi | “核”で、生命の完全な収蔵含蓄

干支概略史

亀甲獣骨文字(肩胛骨に甲骨文字が刻されている)、上海博物館
殷商帝室の系譜

干支はすでに商()代に現れており、殷墟出土の亀甲獣骨にたくさんの干支が日付を表すために用いられている。甲骨文には、干名だけで日を表すこともあり、祖王の名を「祖甲」「父丁」など、その人に関連する特定の干名で呼ぶ例があることから、十二支よりも十干の方がより基本的であったことが伺える(これについては、「殷#殷王の一覧」も併せて参照のこと)。

春秋戦国時代に、自然や世界の成り立ちをから説明する五行思想が起こり、干支も五行と結びつけられるようになった。

古くは十干を「十日」、十二支を「十二辰」と呼んだ。『史記』律書では上を母、下を子に見立てて「十母十二子」と呼んでいる。幹(干)と枝(支)に喩えて「干支」と呼ばれるようになったのは後漢代からである。

月や年を表すために干支を用いるようになった時期は、殷代よりも後の時代に属する。

年を表すには、古来、著しい事件や帝王即位年を基準とすることが多かったが、戦国時代の中ごろになって木星(歳星)の天における位置によって年を指し示すことが考案された。後述のように、この方法がやがて発達し、当初は木星の位置により、次には十二支により、代には干支の組合せによって年を表す例が広く行われるようになった。

1日(24時間)を十二支に分けるようになった時期も漢代である。十二支に対して十二獣を充当することは代にも見られるが、文献における初出は後漢代からである。また、「外事には剛日を用い、内事には柔日を用いる」とされたのも漢代であり、これは、戦国時代の陰陽家の影響を受けている。

方位への応用も、陰陽五行思想と結びついたことによって漢代に広がった。

ただし、全10巻中8巻が『四庫全書』にも収められているの時代に編纂された兵書である『神機制敵太白陰經』 (李筌編)のうち、巻四「戰具」や巻九「遁甲」において、夜半、鶏鳴といった十二時による時刻名とともに、この時刻の干支は云々と記載されているので、時刻を干支で呼ぶ習慣の定着には長い時を要し、唐の時代にはまだ古い記憶の名残があったと推測できる。

干支による紀日

干支によって日付を記述する干支紀日法は、すでに殷代の甲骨文に現れている。

西洋では1月を4分割して「」(7日)というサイクルを編み出した(ただし7という数字は天体から)が、古代中国では1月を3分割して「」(10日)というサイクルを考案し、十干という順序符号をつけた。甲骨文には「卜旬(ぼくじゅん)」があり、これは、ある特定の日(癸の日)から向こう10日間の吉凶を占ったものである。10日、すなわち十干を3回繰り返すと1か月(30)になるので、十干と十二支を組み合わせると、2か月(60日)周期で日付を記録することになる。

ある日を甲子とすると、第2日が乙丑、第3日が丙寅というように進んで第60日の癸亥へと進み、第61日に至ると再び甲子に還って日を記述していった。これは、3,000年以上経った今に至るまで、断絶することなく用いられている。また、干支紀日は『日本書紀』など東アジア歴史書にも広く使用されている。

殷代においては、干支はもっぱら紀日法として用いられ、年に関しては1から始まる順序数(自然数)を使用しており、月に関しても順序数を基本としていた。

現在のような順序数による紀日法がいつ始まったかはわかっていないが、現在のところ、山東省臨沂県(りんぎけん)から出土した銀雀山漢墓竹簡、および武帝7年(元光元年、紀元前134年)の暦譜竹簡の例が最古とされている。

中国でも日本でもはしばしば改定されているが、干支による紀日は古代から連綿と続いており、古い記録の日付を確定する際の有力な手がかりになる。

さらに、旧暦の月は29日また30日で規律があまりなく、閏(うるう、月と月の間にさらに一ヶ月を入れる)もあるため、干支を使えば閏があるかないかがわかる。

一例として、史料に「○月甲寅朔(1日は甲寅の日)」のように記録したら、「乙丑、…(なにかのできごと)」はその月の12日であることは自明。そして「七月甲子」と「八月甲子」の間に60日もあるから七月と八月の間に「閏七月」があることがわかる。

干支による紀月

古くから中国では冬至を含む月を11月とする習わしがあり、この月を「子月」と呼び、以下12月を「丑月」、正月を「寅月」と呼んだ。

こうした呼び方は戦国時代からあったが、さらに月名に十干を加えることは代には行われており、その場合の配当は年の干名によって各月の干が割り当てられた。たとえば、寅月についていえば、甲や己の年は、乙や庚の年は、丙や辛の年は、丁や壬の年は、戊や癸の年はとなる。つまり、干名が甲である年の寅月は「丙寅月」となる。詳細を、下表に示す。

【月の十二支】
節気の区切り 【中気
旧暦 新暦の月 【甲・己年】
【乙・庚年】
【丙・辛年】
【丁・壬年】
戊・癸年
寅月 | 立春—啓蟄 | 雨水 | 正月 | 2月 | 丙寅月 | 戊寅月 | 庚寅月 | 壬寅月 | 甲寅月
卯月 | 啓蟄—清明 | 春分 | 二月 | 3月 | 丁卯月 | 己卯月 | 辛卯月 | 癸卯月 | 乙卯月
辰月 | 清明—立夏 | 穀雨 | 三月 | 4月 | 戊辰月 | 庚辰月 | 壬辰月 | 甲辰月 | 丙辰月
巳月 | 立夏—芒種 | 小満 | 四月 | 5月 | 己巳月 | 辛巳月 | 癸巳月 | 乙巳月 | 丁巳月
午月 | 芒種—小暑 | 夏至 | 五月 | 6月 | 庚午月 | 壬午月 | 甲午月 | 丙午月 | 戊午月
未月 | 小暑—立秋 | 大暑 | 六月 | 7月 | 辛未月 | 癸未月 | 乙未月 | 丁未月 | 己未月
申月 | 立秋—白露 | 処暑 | 七月 | 8月 | 壬申月 | 甲申月 | 丙申月 | 戊申月 | 庚申月
酉月 | 白露—寒露 | 秋分 | 八月 | 9月 | 癸酉月 | 乙酉月 | 丁酉月 | 己酉月 | 辛酉月
戌月 | 寒露—立冬 | 霜降 | 九月 | 10月 | 甲戌月 | 丙戌月 | 戊戌月 | 庚戌月 | 壬戌月
亥月 | 立冬—大雪 | 小雪 | 十月 | 11月 | 乙亥月 | 丁亥月 | 己亥月 | 辛亥月 | 癸亥月
子月 | 大雪—小寒 | 冬至 | 十一月 | 12月 | 丙子月 | 戊子月 | 庚子月 | 壬子月 | 甲子月
丑月 | 小寒—立春 | 大寒 | 十二月 | 1月 | 丁丑月 | 己丑月 | 辛丑月 | 癸丑月 | 乙丑月

干支による紀年

紀年法とは、を記したり数えたりするための方法のことで、中国を中心とした漢字文化圏では年号紀元に基づく紀年法とともに、60年周期の干支による干支紀年法が併用されてきた。その起源は木星の観測と深い関わりがある。

歳星紀年法

木星

歳星紀年法は、天球における木星の位置に基づく紀年法である。

中国の戦国時代に始まった。木星は約12年で天球上を一周し、十二次(天球を天の赤道帯に沿って西から東に12等分した12の区画)を1年に一次進む。そこで、木星は年を示す星であるとして「歳星」と呼び、木星十二次における位置でを記した。たとえば「歳在星紀(歳、星紀に在り)」は、木星天球上の「星紀」という場所に存在する年という意味である。

太歳紀年法

太歳と木星の移動

太歳紀年法は、木星の鏡像である太歳天球における位置に基づく紀年法である。

木星天球上を十二次に沿って西からに進むが、当時の人たちがよく使っていた十二辰(天球を天の赤道帯に沿って東から西に十二等分した区画、十二支が配当された)に対しては、運行の方向と順序が逆であった。そこで、木星の円軌道に一本の直径を引き、その直径を軸に木星と線対称の位置に存在する太歳という仮想の星を設定し、その十二辰における位置で年を記すようにしたものである。

中国の戦国時代には、この直径はの起点との起点とを結んで引かれ、たとえば、「太歳在寅(太歳、寅に在り)」という記述があれば、その年は太歳の位置に存在する年、つまり木星の位置に存在する年のことである。その翌年は「太歳在卯」となり、太歳木星に位置する。

さらに、「太歳在寅」「太歳在卯」と記録する代わりに、太歳が位置する各「年」に名称を設けて使用することが行われた(『爾雅』「釈天」より)。

【太歳の位置】












歳名 摂提格 | 単閼 | 執徐 | 大荒落 | 敦牂 | 叶洽 | 涒灘 | 作噩 | 閹茂 | 大淵献 | 困敦 | 赤奮若
セッテイカク | ゼンエン | シュウジョ | ダイコウラク | トンショウ | キョウコウ | トンタン | サクガク | エンモ | ダイエンケン | コントン | セキフンジャク

漢代に入ると、『淮南子』天文訓に「淮南元年冬、天一在丙子」と記述されるように、十干と組み合わせた干支太歳の位置が記述されるようになった。

この太歳の位置を示す十干にも歳名が付けられた。

【太歳の位置】










歳名 閼逢 | 旃蒙 | 柔兆 | 強圉 | 著雍 | 屠維 | 上章 | 重光 | 玄黓 | 昭陽
エンホウ | センモウ | ジュウチョウ | キョウギョ | チョヨウ | トイ | ジョウショウ | チョウコウ | ゲンヨク | ショウヨウ

この十干(歳陽)と十二辰(歳陰)の歳名とを組み合わせ、例えば、ある年を閼逢摂提格とすると、その翌年は旃蒙単閼、第3年は柔兆執徐…となり、第60年の昭陽赤奮若に至ると、再び閼逢摂提格から始めるという60年周期の歳名とした。

ただし、木星の公転周期は正確には11.862年であるため、実際には1年に一次と少し進んでいることになり、約86年に一次(太歳は一辰)ずれることになる。これを「超辰」と呼ぶ。この超辰によるずれを解消するため、顓頊暦では、太歳を設定するための直径をの起点との起点に引き、秦の始皇帝元年(紀元前246年)を木星にあり、太歳にある年とする新しい基準を設けた。

前漢太初元年(紀元前104年)の改暦(太初暦)では、超辰を行い、丙子丁丑に改めた。後に三統暦の補正では超辰は114年に一次ずれると定義し、太初元年を再び丙子に戻し、太始2年(紀元前95年)を乙酉から丙戌へ超辰するとした。これによって三統暦による太歳紀年と後の干支紀年は太始2年から見かけ上、同じになる。

干支紀年法

後漢建武26年(西暦50年)は、当時使われていた劉歆三統暦の超辰法に従うならば、庚戌辛亥とすべき年であった。にもかかわらず、光武帝に随従していた学者たちは超辰を行わず、庚戌のまま紀年を続けた。さらに元和2年(西暦85年)の改暦では三統暦の超辰法自体が廃止された。これ以後、木星を観測して、その位置でを記録することはなくなった。この時から、木星の運行とは関係なく、60年周期の干支を1年ごとに機械的に進めていく干支紀年法が用いられるようになり、絶えることなく現在まで続いている。これは、後代に干支が伝来した朝鮮や日本とも共通である。

民間では干支のうちの十二支の部分だけを用い、それに動物を配当した生肖紀年法が今も広く用いられている。なお、広開土王碑12世紀成立の高麗朝による正史三国史記』の干支に1年の違いがあるなど、時代や地域によっては必ずしも一定しないことも散見される。

生肖紀年法

詳細は「十二支」を参照

十二支と十二獣がいつから結びつけられたのかは不明であるが、1975年湖北省雲夢睡虎地の代の墓から出土した竹簡には既に現在のように動物が配当されている様子が伺われる。

後漢の王充が著した『論衡』物勢篇では、十二支を動物名で説明しており、これによって干支の本来の意味が失われ、様々な俗信を生んだ。ただし、日、月、時刻方位などを干支で示す慣習が廃れた今日でもなお、干支紀年に限っては今なお民間で広く定着している要因ともなっている。日本の風習である年賀状などにも動物の絵柄が好んで描かれているが、下表のとおり、配当される動物には国によって違いが見られる。

【各国の十二獣】
【子】
【丑】
【寅】
【卯】
【辰】
【巳】
【午】
【未】
【申】
【酉】
【戌】

中国の十二獣 | 鼠 | 牛 | 虎 | 兎 | 竜 | 蛇 | 馬 | 羊 | 猴 | 鶏 | 狗 | 猪()
日本の十二獣 |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  | 
韓国の十二獣 | 鼠 | 牛 | 虎 | 兎 | 竜 | 蛇 | 馬 | 羊 | 猿 | 鶏 | 犬 | 豚
タイの十二獣 | 鼠 | 牛 | 虎 |  | 竜 | 蛇 | 馬 | 山羊 | 猿 | 鶏 | 犬 | 豚
ベトナムの十二獣 | 鼠 | 水牛 | 虎 |  | 竜 | 蛇 | 馬 | 山羊 | 猿 | 鶏 | 犬 | 豚
モンゴルの十二獣 | 鼠 | 牛 | ・虎 | 兎 | 竜 | 蛇 | 馬 | 羊 | 猿 | 鶏 | 犬 | 豚
インドの十二獣 | 鼠 | 牛 | 虎 | 兎 | 竜 | 蛇 | 馬 | 羊 | 猿 | ガルダ | 犬 | 豚
アラビアの十二獣 | 鼠 | 牛 | 虎 | 兎 |  | 蛇 | 馬 | 羊 | 猿 | 鶏 | 犬 | 豚
ロシアの十二獣 | 鼠 | 牛 | 虎 | 兎・猫 | 竜 | 蛇 | 馬 | 羊・山羊 | 猿 | 鶏 | 犬 | 豚
ベラルーシの十二獣 | 鼠 | 牛 | 虎 | 兎・猫 | 竜 | 蛇 | 馬 | 羊 | 猿 | 鶏 | 犬 | 豚

干支紀年と日本

稲荷山古墳

干支紀年の日本への伝来時期はよくわかっていない。日本に中国の暦本百済を通じて渡来したのは欽明天皇15年(554年)とされるが、実際には、それ以前にさかのぼる可能性が高い。上述のように、日本で最初の暦がつくられたのは604年(推古12年)のことと伝わる。

埼玉県行田市埼玉の埼玉古墳群の一つ、稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣には「辛亥年七月中記」の紀年があり、銘中「獲加多支鹵(わかたける)大王」を雄略天皇とする考えが主流であることから、「辛亥年」を471年とする説が有力である。ただし、これに対しては531年とする反論もある。

一方、和歌山県橋本市隅田の隅田八幡宮に所蔵されている人物画像鏡には、「癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿…」という銘文が鋳されており、この「癸未年」は、「男弟(おとど)王」が継体天皇と考えられることから、503年とする見方が有力である。

陰陽五行説との連関

詳細は「陰陽五行思想」を参照

陰陽五行説と十干

陰陽五行説では、十干に対し、天運を表すの五行にそれぞれ陰陽一対を配して表す。訓読みでは十干の名称は、甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)となり、五行のそれぞれに「(の)え」・「(の)と」がついたものである。「(の)え」は「(の)」を意味する。「(の)と」は「(の)おと」に由来し、「(の)」を意味する。「えと」の呼称もこれに由来している。

陰陽五行説と十二支

十二支にも五行が配される。四季に対応する五行は、が木、が火、が金、は水であり、土は各季節の最後の月にあたり、季節の変わり目を表す。土用の丑の日は夏の最終月(土用)のの日という意味である。各季節に十二支を配すと、

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