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平野佳寿とは?

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平野 佳寿
シアトル・マリナーズ #6

オリックス・バファローズ時代
(2011年8月6日、QVCマリンフィールドにて)

【基本情報】

【国籍】
日本
【出身地】
京都府宇治市
【生年月日】
(1984-03-08) 1984年3月8日(35歳)
【身長
体重】
6' 1" =約185.4 cm
185 lb =約83.9 kg
【選手情報】

【投球・打席】
右投右打
【ポジション】
投手
【プロ入り】
2005年 希望入団枠
【初出場】
NPB / 2006年3月26日
MLB / 2018年3月29日
【年俸】
$1,600,000+出来高(2020年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

【国際大会】

【代表チーム】
日本
WBC
2017年
この表について
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プロジェクト:野球選手 テンプレート


獲得メダル
日本
ワールド・ベースボール・クラシック
 | 2017 | 野球

平野 佳寿(ひらの よしひさ、1984年3月8日 - )は、京都府宇治市出身のプロ野球選手(投手)。MLBシアトル・マリナーズ所属。右投右打。

目次

  • 1 経歴
    • 1.1 プロ入り前
    • 1.2 オリックス時代
    • 1.3 ダイヤモンドバックス時代
    • 1.4 マリナーズ時代
  • 2 選手としての特徴
  • 3 人物
  • 4 詳細情報
    • 4.1 年度別投手成績
    • 4.2 WBCでの投手成績
    • 4.3 タイトル
    • 4.4 表彰
    • 4.5 記録
    • 4.6 背番号
    • 4.7 登場曲
    • 4.8 代表歴
  • 5 脚注
    • 5.1 注釈
    • 5.2 出典
  • 6 関連項目
  • 7 外部リンク

経歴

プロ入り前

小学3年時に軟式少年野球チームの「小倉リトルズ」で野球を始めると、主将を務め捕手内野手としてプレー。宇治市立北宇治中学校軟式野球部で投手に転向した。

京都府立鳥羽高校への進学後は、1年の秋からベンチ入り。野球部の1学年先輩に近澤昌志がいた。当時硬式野球部の監督だった卯瀧逸夫からエースになることを期待されていたが、腰痛に悩まされていたため、公式戦には3年春の京都府大会初戦を除いて救援で登板していた。ちなみに、公立高校の硬式野球部でありながら、チームは平野の2年時の春(第72回選抜高等学校野球大会)から3季連続で阪神甲子園球場の全国大会へ出場。平野も腰痛でこの大会のベンチ入りメンバーから外れたものの、3年時には春の第72回選抜高等学校野球大会準決勝(対東海大学付属相模高校戦)で先発として甲子園球場のマウンドに立っている。

京都産業大学への進学後は、関西六大学野球のリーグ戦で2年時からエースとして活躍。在学中にはリーグ戦通算で56試合に登板。36勝11敗、防御率1.33、404奪三振という成績を残すとともに、最優秀選手に2回、最優秀投手に4回、ベストナインに4回選ばれた。36勝と404奪三振は、いずれも2018年秋季終了時点でのリーグ記録である。

大学4年時の2005年には、関西運動記者クラブから、第49回(平成17年度)関西スポーツ賞(個人の部)に選出。「大学ナンバーワンの右腕投手」という評価も受けていたことから、この年のNPB大学・社会人ドラフト会議希望枠オリックス・バファローズに入団した。背番号は16。入団会見では、「一軍公式戦で2桁勝利を挙げて新人王を獲得したい」と語った。なお、チームに同姓の平野恵一内野手がいたことから、2007年のシーズン終了後に平野恵一が阪神タイガースへ移籍するまでは、「平野佳」という略称がスコアボードや報道で用いられた。

オリックス時代

2006年には、3月25日に、西武ライオンズとの開幕カード第2戦(インボイスSEIBUドーム)8回裏に救援投手として一軍公式戦にデビュー。同月30日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(フルキャストスタジアム宮城)で公式戦初先発・初勝利を記録すると、4月6日の対千葉ロッテマリーンズ戦(大阪ドーム)では、NPB全12球団の新人投手による完封勝利一番乗りを達成した。さらに、前半戦に先発で6勝を挙げたことを背景に、オールスターゲームにもパシフィック・リーグ(パ・リーグ)の監督推薦選手として出場した。一軍公式戦全体では、松坂大輔(西武)に次ぐリーグ2位の10完投、4完封を記録。しかし、後半戦では1勝しか挙げられず、7勝11敗に終わった。

2007年には、先発投手として一軍公式戦27試合に登板すると、2完封勝利を含む8勝を挙げた。防御率も前年の3.81から3.72に改善させる一方で、リーグ2位の18被本塁打やリーグワーストの13敗を記録した。

2008年には、公式戦の開幕直前に右肘痛を発症。後の検査で遊離軟骨(骨の断片が肘に入っている状態)であることが判明したため、3月27日に遊離軟骨の除去手術を受けた。その影響でシーズンをリハビリに充てたため、一・二軍とも実戦登板の機会はなかった。

2009年には、一軍の開幕ローテーションへ復帰。先発で公式戦1試合に登板したが、後に逆流性食道炎を発症したことから、4月11日に出場選手登録を抹消された。5月24日に一軍へ復帰すると、同日の読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)に先発。6回1失点という内容で、一軍公式戦では2007年9月30日の対西武戦(京セラドーム大阪)以来602日振りの勝利を挙げた。次に先発で登板した5月31日の対横浜ベイスターズ戦では、2007年8月7日の対千葉ロッテマリーンズ戦(いずれもスカイマークスタジアム)以来662日振りの完封勝利を記録。しかし、一軍公式戦全体では3勝12敗、防御率4.72に終わった。

2010年には、先発から中継ぎに転向すると、一軍公式戦63試合に登板。防御率1.67、39ホールドポイントという好成績を残すとともに、パ・リーグの救援投手では最も多い101三振を奪った。また、パ・リーグの監督推薦選手として、オールスターゲームへ4年振りの出場を果たした。

2011年には、パ・リーグの投手で最も多い72試合に登板。前年とほぼ同じ投球回数(83.2回)で99三振を奪ったほか、セットアッパーとして43ホールド・49ホールドポイント(いずれもリーグ新記録)を挙げたことから、最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。パ・リーグの特別表彰も受賞した。また、オールスターゲームにも、パ・リーグの監督推薦選手として2年連続で出場した。シーズン終了後の12月に、2009年頃から交際していたゴルフ場勤務の女性と結婚。

2012年には、シーズン開幕前の3月10日に東京ドームで催された東日本大震災復興支援ベースボールマッチで、プロ入り後初めて日本代表に選出。8回表に登板すると、チャイニーズタイペイ打線を相手に、1イニングを無失点に抑えた。シーズンではパ・リーグ3位の70試合に登板。チーム2位の7勝、防御率2.15を挙げた。シーズン終盤にクローザーへ転向すると、9セーブを記録。また、投球回数79.2回で80三振を奪ったことから、3年連続で投球回数を上回る奪三振数を記録した。

2013年には、阪神から平野恵一が復帰したことに伴って、平野恵一が現役を引退する2015年まで「平野佳」の表記を再び使用した。シーズンでは、クローザーとして一軍公式戦60試合に登板。2勝5敗で自身4シーズン振りの負け越しに至ったものの、パ・リーグ2位の31セーブを記録したほか、9ホールドを挙げた。

2014年には、一軍公式戦62試合に登板すると、シーズン40セーブのパ・リーグ新記録(当時)を樹立。1勝6敗ながら、最多セーブのタイトルを初めて獲得した。なお、シーズン中に国内FA権の資格要件を満たしたが、シーズン終了後に球団との間で3年契約を結んだ。

2015年には、故障によって実戦に登板しなかった2008年を除いて、プロ入り後初めての一軍公式戦未勝利でシーズンを終了。シーズン中には、一軍公式戦で救援失敗が相次いだ影響で、中継ぎへの再転向や二軍調整も経験。結局、一軍公式戦では33試合の登板で、3敗12セーブ10ホールド、防御率4.06という成績に留まった。

2016年には、球団がクローザー候補としてエリック・コーディエを獲得したことから、コーディエにつなぐセットアッパーとして、一軍公式戦の開幕を迎えた。しかし、コーディエに救援の失敗が相次いだことを背景に、5月からクローザーへ復帰。6月18日の対広島東洋カープ戦(マツダスタジアム)では、前日12回裏の比嘉幹貴に続いて、9回裏に鈴木誠也からサヨナラ本塁打を浴びた。それでも、7月から2ヶ月間の登板試合で無失点を続けた結果、通算58試合の登板でリーグ2位の31セーブと防御率1点台(1.92)でシーズンを終えた。

2017年には、春季キャンプ前の1月24日に、第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表へ選出された。投手では最後の選出であったが、同大会では秋吉亮と並んでチーム最多の6試合に登板すると、通算投球回数(5回1/3)を上回る7三振を奪った。シーズンでは一軍公式戦の開幕からクローザーに起用されたが、7月上旬から中旬までの登板試合で3度のサヨナラ負けを経験。7月21日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(Koboパーク宮城)で3度目のサヨナラ負けを喫したことを機に、平野自身が再調整を希望したため、翌22日付で出場選手登録を抹消された。8月10日から一軍に復帰すると、同日の対西武戦(京セラドーム)9回表の救援登板で、2年連続・自身4度目の一軍公式戦シーズン20セーブを達成。さらに、8月27日にメットライフドームで催された同カードでシーズン23個目のセーブを挙げたことによって、NPB史上13人目の一軍公式戦通算150セーブを達成した。一軍公式戦全体では、前年に続いて58試合へ登板。3勝7敗と大きく負け越しながら、セーブ数を29まで伸ばしてシーズンを終えた。

2017年シーズンでオリックスとの3年契約が満了したため、シーズン終了後には、11月7日付で海外FA権の行使をNPBに申請した。MLB球団への移籍を視野に入れた行使で、申請の前には、イチローなどの代理人を務めるジョン・ボッグスと契約。オリックス球団がFA権行使後の残留を認めていることから、MLB球団との契約へ至らなかった場合に、オリックスとの間で複数年契約を再び結ぶ意向も示していた。しかし実際には、WBC本大会での投球内容に対する高い評価などを背景に、MLBの複数球団から獲得を打診された。

ダイヤモンドバックス時代

2017年12月22日にMLBのアリゾナ・ダイヤモンドバックスが、平野との間で2年契約の締結に合意したことを発表した。背番号は、この年のWBC日本代表でも着用していた「66」。平野自身は発表の時点で日本に滞在していたため、同月26日に、オリックス球団主催の記者会見で契約の締結を報告した。

2018年には、3月29日に本拠地チェイス・フィールドで開かれたコロラド・ロッキーズとのMLB開幕戦で、7回表に救援投手として公式戦にデビュー。後にセットアッパーへ定着すると、5月6日の対ヒューストン・アストロズ戦から、7月3日の対セントルイス・カージナルス戦(いずれもチェイス・フィールド)までの26登板試合連続で無失点を記録した。この無失点記録は、上原浩治ボストン・レッドソックス時代の2013年に達成した27登板試合連続記録に次ぐ長さで、MLB公式戦への登板経験がある日本人投手としては歴代2位に当たる。開幕からクローザーを務めてきたブラッド・ボックスバーガーの不調を背景に、9月中旬からはクローザーに転向。転向後初めて登板した同月11日の対コロラド・ロッキーズ戦(クアーズ・フィールド)で、MLB公式戦初セーブを挙げた。レギュラーシーズンのMLB公式戦には、通算75試合の登板で、4勝3敗、防御率2.44、ナショナル・リーグ3位の32ホールドをマーク。オリックス時代のパ・リーグ公式戦におけるレギュラーシーズン自己最多登板記録(2011年の72試合)を上回ったばかりか、日本人メジャーリーガーとしてのレギュラーシーズン最多登板記録を達成するとともに、クローザーとして3セーブを挙げた。この活躍に対して、全米野球記者協会(WBAAA)のアリゾナ支部では、レギュラーシーズン終盤の9月25日に平野を「ダイヤモンドバックス新人王」へ選出。ポストシーズン終了後にWBAAAが全米規模で実施したナ・リーグ新人王の記者投票でも、選考対象の1つである3位票で1票を得た。

2019年には、ロッキーズから移籍したグレッグ・ホランドがクローザーに起用されたことから、前年に続いてセットアッパーとしてレギュラーシーズンをスタート。シーズンの序盤に救援の失敗が相次いだことや、右肘の炎症で8月17日から9月8日まで故障者リストに入っていた影響で、5勝5敗1セーブ16ホールド、防御率4.75と前年の成績を下回った。その一方で、5月30日の対ロッキーズ戦(クアーズフィールド)でMLB公式戦通算100試合登板を達成したほか、シーズン通算でも62試合に登板。この年で2年契約を満了したことから、契約時の条件に沿って、10月31日付でFAの対象選手になった。

FA公示後のMLBウインターミーティングでは、再契約を求めるダイヤモンドバックスに加えて、平野の獲得を目指す他球団(シアトル・マリナーズなど5球団)の関係者がボッグスと接触。2019年内には所属球団が決まらなかったものの、平野自身はNPBへ復帰せず、MLBで現役生活を続ける意向を示していた。

マリナーズ時代

2020年1月30日にシアトル・マリナーズと160万ドルの単年契約で合意したことが発表された。クローザーへの起用を見越した契約で、オプションとしてトレードで他球団へ移籍した際には球団から25万ドルの手当を受け取れる条項や、マイナー降格を拒否できる条項も含まれている。背番号は日本人メジャーリーガーでは初となる「6」。

選手としての特徴

平野の投球フォーム(オリックス二軍のサーパス時代)

スリークォーターから平均球速約148km/h、最速156km/hのストレートに、フォークボールスライダーカーブを投げる。変化球で特筆すべきはフォークボールで、鋭い変化と大きな落差で空振りを奪う決め球に使われることが多い。先発時代は大学時代から使われるスライダー、カーブも織り交ぜていたが、リリーフ転向後はほぼ全てストレートとフォークボールで配球を組み立てている。

投手の制球力を示す指標の1つK/BB(奪三振÷与四球)では、リリーフに転向して以降、2010年3.60、2011年5.82、2012年16.00、2013年5.07になっており、特に2012年シーズンでは79回2/3を投げて、四球はわずかに5しか与えていない。MLB球団のスカウトからは、2014年の時点で、「四球が少なく、三振を奪えることが最大の魅力」と評価。

連投やイニング跨ぎなどの過酷な登板にも耐えられるほどの体力の持ち主で、故障が少ない一方で、三振以外のアウトにゴロが多いことも特徴。本拠地のチェイス・フィールドがバッターズ・フィールド(打球が飛びやすい環境で打者に有利な球場)であるダイヤモンドバックスが平野の獲得に踏み切ったのは、MLBの投手には珍しくフォークボールを勝負球に使うことに加えて、打球に占めるゴロアウトの比率が高いことにもよるとされている。

人物

座右の銘は「一所懸命」。これはアマチュア時代の監督の教えからの影響である。

プライドの高い性格でもあり、実家の母親への電話は自身が打たれて負けた試合の言い訳が殆どだという。また、自身が打たれた翌日の新聞には目を通さない主義であると語っている。

詳細情報

年度別投手成績




【球

団】























ブ




ド
































ボ











W
H
I
P

2006 | オリックス | 26 | 24 | 10 | 4 | 0 | 7 | 11 | 0 | 0 | .389 | 730 | 172.1 | 182 | 12 | 39 | 2 | 6 | 105 | 3 | 2 | 82 | 73 | 3.81 | 1.28
2007 | 27 | 26 | 2 | 2 | 1 | 8 | 13 | 0 | 0 | .381 | 710 | 171.2 | 172 | 18 | 28 | 0 | 5 | 124 | 1 | 0 | 75 | 71 | 3.72 | 1.17
2009 | 20 | 18 | 2 | 1 | 0 | 3 | 12 | 0 | 0 | .200 | 495 | 114.1 | 129 | 14 | 38 | 0 | 0 | 91 | 2 | 0 | 60 | 60 | 4.72 | 1.46
2010 | 63 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 2 | 2 | 32 | .778 | 334 | 80.2 | 67 | 4 | 28 | 1 | 1 | 101 | 3 | 0 | 19 | 15 | 1.67 | 1.18
2011 | 72 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 2 | 2 | 43 | .750 | 317 | 83.2 | 48 | 4 | 17 | 2 | 2 | 99 | 5 | 0 | 18 | 18 | 1.94 | 0.78
2012 | 70 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 4 | 9 | 21 | .636 | 307 | 79.2 | 65 | 4 | 5 | 1 | 2 | 80 | 6 | 0 | 21 | 19 | 2.15 | 0.88
2013 | 60 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 31 | 9 | .286 | 258 | 62.2 | 57 | 2 | 14 | 0 | 1 | 71 | 1 | 0 | 16 | 13 | 1.87 | 1.13
2014 | 62 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 6 | 40 | 8 | .143 | 238 | 60.1 | 52 | 6 | 13 | 0 | 0 | 70 | 1 | 1 | 23 | 23 | 3.43 | 1.08
2015 | 33 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 12 | 10 | .000 | 136 | 31.0 | 29 | 4 | 14 | 0 | 1 | 39 | 5 | 0 | 14 | 14 | 4.06 | 1.39
2016 | 58 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 4 | 31 | 8 | .500 | 237 | 61.0 | 44 | 2 | 16 | 0 | 1 | 57 | 4 | 0 | 13 | 13 | 1.92 | 0.98
2017 | 58 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 7 | 29 | 8 | .300 | 240 | 57.1 | 57 | 5 | 16 | 0 | 1 | 47 | 2 | 0 | 19 | 17 | 2.67 | 1.27
2018 | ARI | 75 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 3 | 32 | .571 | 262 | 66.1 | 49 | 6 | 23 | 4 | 2 | 59 | 6 | 1 | 22 | 18 | 2.44 | 1.09
2019 | 62 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 5 | 1 | 15 | .500 | 233 | 53.0 | 51 | 7 | 22 | 2 | 3 | 61 | 2 | 0 | 31 | 28 | 4.75 | 1.38
NPB:11年 549 | 68 | 14 | 7 | 1 | 48 | 69 | 156 | 139 | .410 | 4002 | 974.2 | 902 | 75 | 228 | 6 | 20 | 884 | 33 | 3 | 360 | 336 | 3.10 | 1.16
MLB:2年 137 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 8 | 4 | 47 | .529 | 495 | 119.1 | 100 | 13 | 45 | 6 | 5 | 120 | 8 | 1 | 53 | 46 | 3.47 | 1.22

WBCでの投手成績




















|
ブ





























ボ
|










2017 | 日本 | 6 | 0 | 1 | 0 | 0 | 19 | 5.1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 2 | 2 | 3.38

タイトル

表彰

記録

NPB初記録
投手記録
打撃記録
MLB初記録
NPB節目の記録
MLB節目の記録
その他の記録

背番号

登場曲

代表歴

脚注

注釈

  1. ^ 京都府立北嵯峨高校を経て鳥羽高校に赴任。平野が卒業後の2007年から2015年まで、私立の立命館宇治高校で硬式野球部の監督を務めた。3校通算で9回にわたって甲子園球場の全国大会で指揮を執るとともに、北嵯峨高校時代には細見和史、立命館宇治高校時代には金子侑司などを指導した。立命館宇治高校の監督を勇退してちからは、鳥羽高校への入学当時の平野について、「体格や投球フォームが北嵯峨高校時代の細見に似ていた」と述懐している。
  2. ^ それまでの記録は2006年MICHEALの39セーブ。なお平野の記録を翌2015年デニス・サファテが41セーブで更新。
  3. ^ 日本ハムのクローザー・増井浩俊がこの年に国内FA権を行使していたことから、平野の移籍に備えて、増井をクローザー候補として獲得していた。
  4. ^ 実際には、アトランタ・ブレーブスロナルド・アクーニャ外野手を新人王に選出。アメリカン・リーグの新人王には、2017年まで日本ハムに所属していた大谷翔平が選ばれた。

出典

  1. ^ Yoshihisa Hirano Contract Details, Salaries, & Earnings” (英語). Spotrac. 2020年1月31日閲覧。
  2. ^ 恩師が語る平野 佳寿投手(鳥羽-オリックス・バファローズ)「高校時代は2番手。だけどエースとして活躍することを期待していた」(1)”. 高校野球ドットコム (2017年3月16日). 2018年11月16日閲覧。
  3. ^ 恩師が語る平野 佳寿投手(鳥羽-オリックス・バファローズ)「高校時代は2番手。だけどエースとして活躍することを期待していた」(2)”. 高校野球ドットコム (2017年3月16日). 2018年11月16日閲覧。
  4. ^ <
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    出典:wikipedia
    2020/02/03 23:33

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