このキーワード
友達に教える
URLをコピー

徳川家とは?

(徳川家から転送)
 | 
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2013年6月)

 | 
この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。ご存知の方は加筆をお願いします。(2017年7月)

【徳川氏】

徳川葵(定紋・将軍家)

【本姓】
称・賀茂氏
称・清和源氏(河内源氏義国流)
称・藤原氏
【家祖】
徳川家康
【種別】
武家
華族(公爵)
【出身地】
上野国新田荘世良田郷徳川村
三河国
【主な根拠地】
武蔵国江戸
尾張国
紀伊国
伊勢国
常陸国水戸
東京都
【著名な人物】
徳川家康
徳川秀忠
徳川家光
徳川光圀
徳川綱吉
徳川吉宗
徳川家斉
徳川家茂
徳川慶喜
徳川家達
徳川恒孝(現当主)
徳川家広
【支流、分家】
御三家
(尾張家紀州家水戸家)
御三卿
(田安家一橋家清水家)
徳川慶喜家(華族公爵)
凡例 / Category:日本の氏族

徳川氏(とくがわし/とくがわうじ、旧字体: 德川氏)は、徳川家康が創始した日本の氏族。新田氏系得河氏・得川氏の末裔を称した際に嘉字を用いて徳川と称したことが始まりとなり、江戸幕府将軍家と親族の家名とした。しかし『徳川家譜』に記される家系に関しては『尊卑分脈』の該当記録に似通った流れはあるものの、当代史料による検証がならず、得川氏と家康の家系との同一性は実証できていない。

目次

  • 1 出自
    • 1.1 徳川氏の創設
    • 1.2 本姓について
  • 2 系譜
    • 2.1 徳川宗家
    • 2.2 御三家
    • 2.3 御三卿
    • 2.4 分家
  • 3 徳川と松平
  • 4 徳川氏縁故社寺・菩提寺
  • 5 肖像画
  • 6 脚注
    • 6.1 系図脚注
  • 7 出典
  • 8 参考文献
  • 9 関連項目
    • 9.1 徳川家関連自治体
  • 10 外部リンク

出自

徳川家康(狩野寿信画)
 | 
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2013年6月)

徳川氏は、松平氏当主の徳川家康が創始した苗字で、松平氏の伝承によると、ルーツは三河国(愛知県)の庄屋である松平太郎左衛門信重に婿養子に入った、時宗の遊行僧と伝えられる徳阿弥である。彼は清和源氏系河内源氏義国流得川氏(徳川氏、世良田氏)の末裔で、浪人となり大浜称名寺で開かれた連歌会での出会いが信重の養子に入るきっかけと伝えられる(父祖の地上野国新田郡徳川郷の時宗寺院、徳川満徳寺は後に縁切寺とされた)。還俗して松平親氏と名のったという。

なお親氏を初代とする松平家9代(安祥松平家6代)の家康が興した親氏流松平氏嫡流である徳川将軍家(徳川宗家)のほかに徳川姓を許されるのは、家康直系の子孫(親藩)のうちでも特に徳川御三家(尾張家紀州家水戸家)、御三卿(田安家一橋家清水家)およびこれらの後嗣のみ(但し、一時期これら以外に館林徳川家甲府徳川家駿河徳川家も存在した)であり、これらの家に養子として入る者も家康の男系の子孫たちであった。

徳川氏の創設

永禄9年(1566年)、官職を得ていて朝臣でもあった松平家康が朝廷の許可を得て、家康個人のみが「徳川」に「復姓」(事実上の改姓)し、従五位下三河守に叙任された。このとき正親町天皇は先例のない申請に対して躊躇したが、吉田兼右万里小路家の文書を調査した結果、新田氏系得川氏が二流に分かれ、一方が「藤原姓」となったという先例が発見された。この件には近衛前久が関与しており、その経緯を子である近衛信尹に送った書状が現存している。

ここで重要なのは、松平一族が徳川に改姓したのではなく、「徳川」は家康個人のみに許される称号であったことである(嫡男の信康については、名乗った説とそうでない説、徳川氏を名乗っていたが没後に江戸幕府の後述の方針でその事実が抹消された説がある)。「徳川」姓は、家康個人が松平氏内部で専制権力を確立して松平一族と家臣団を統制するために使われたと考えられる。初代家康が慶長10年(1605年)に将軍職と当主の座を辞して隠居するまでに徳川姓を称したのは、世子の秀忠ただ一人であった。公認される限り11人いた家康の男子で徳川姓を許されたのは、三男で世子の秀忠、及び御三家の祖となる九男義直・十男頼宣・十一男頼房(1636年(寛永13年)7月、徳川賜姓し、松平姓から改姓した)の4名にすぎない。後の3名は、秀忠が二代当主(将軍)になって以後に元服したものである。

本姓について

日光東照宮に残る家康の口宣案等はすべて源家康となっており、徳川氏が源氏を継続的に称していたことになっているが、これは三代将軍徳川家光の代である1645年(正保2年)に、散逸した分を補填したとして改変されたものであると見られている。

永禄9年(1566年)の叙爵は実際には、「系図発見」の経緯もあって藤原家康としておこなわれており、この時点では藤原氏を称していた。笠谷和比古は源氏の棟梁である足利将軍家に家康がつてを持たなかっただけでなく、将軍家が当時当主不在であるという異常事態を迎えており、取り次ぎを行った近衛前久が官位奏請を行うためには藤原氏一門であるほうが好都合であったという指摘を行っている。

以降、家康の姓氏使用についてはかなり恣意的であり、藤原氏や源氏をその度毎に使い分けるなどしている。徳川氏が源氏であるという見解が明確に整えられたのは後のことであり、源氏の名家である吉良氏から系図を借り受けてのことであった。これを近衛前久が発給時期不詳の書状で「将軍望に付ての事」と指摘していることもあり、家康の源氏名乗りは将軍職就任を目的とした、1603年(慶長8年)の征夷大将軍就任直前のものであるという見解が渡辺世祐中村孝也の研究以来定説となってきていた。

一方で同時代史料によると、松平氏3代の信光は加茂朝臣(賀茂)姓を名乗ったものがあり、松平氏の葵紋も賀茂氏とのつながりを伺わせるものもあることなどから、実際には賀茂氏流であるという指摘も行われている。清康の時代にもすでに安祥松平氏は清和源氏(源姓世良田氏)と名乗ったこともあり、家康自身も今川からの独立直後である永禄4年(1561年)に発給した菅沼氏への安堵状にて「源元康」と署しており(「菅沼家譜」『久能山東照宮所蔵文書』)、永禄4年から6年の間に、5点の正文を含む6点に「源氏」の署名がみられる。

米田雄介官務である「壬生家文書」にある口宣を調査したところ、天正14年(1585年)の権中納言就任以前の口宣はすべて藤原姓であるが、天正15年(1586年)などは不明であり、天正20年(1592年)9月、徳川家を清華家格とする「清華成り」の発給の際には源姓となり、以降一貫して源姓を称していた事が明らかになっている。米田は源氏改姓を天正20年と見ているが、笠谷は『聚楽行幸記』で家康が「大納言源家康」と署名したという記事を指摘し、天正16年の聚楽第行幸頃の時期であると見ており、足利義昭出家による将軍家消滅が契機であったと見ている。以降の現存する発給文書でも源姓となっている。

1586年には秀忠が豊臣氏を下賜されており、家康とともに羽柴の苗字を許されているが、当時称豊臣・羽柴の許可は大名のみならず医師等まで幅広く行われていた。

系譜

徳川宗家

徳川将軍家」も参照
徳川宗家(将軍家)系図
凡例
1) 実線は実子、点線は養子
2) 太字は当主(将軍)。数字は家督継承順。
3) 女子および幼時早世した人物は省略。
徳川家康

 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 

 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 

松平信康 | 結城秀康
(越前松平) | 秀忠 | 松平忠吉 | 武田信吉 | 松平忠輝 | 義直
(尾張家) | 頼宣
(紀州家) | 頼房
(水戸家)

 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 

 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 

家光 | 忠長 | 保科正之
(会津松平)

 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 

 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 

家綱 | 綱重 | 綱吉

 | 
 | 
 |  |  | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 

 | 
 | 
 | 

綱吉 | 綱豊 | 松平清武
(越智松平)

 | 
 | 


家宣

 | 
 | 


家継

 | 
 | 


吉宗

 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 

 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 

家重 | 宗武
(田安家) | 宗尹
(一橋家)

 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 

 | 
 | 
 | 

家治 | 重好
(清水家)

 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 

 | 
 | 
 | 

家基 | 家斉

 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 

 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 

家慶 | 敦之助 | 斉順 | 斉明 | 斉荘 | 池田斉衆 | 松平斉民 | 斉温 | 松平斉良 | 斉彊 | 松平斉善 | 蜂須賀斉裕 | 松平斉省 | 松平斉宣

 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 |  |  | 
 | 

 | 
 | 
 | 

家定 | 慶昌 | 慶福

 | 
 | 


家茂

 | 
 | 


慶喜

 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 

 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 

茂栄 | 家達 |  | 池田仲博 | 慶久
(慶喜家) | 勝精 | 

 |  |  |  | 
 | 


 |  |  | 家正

 | 
 | 
 | 
 | 
 | 
 | 

 | 
 | 
 | 
 | 

家英 | 恒孝

 |  |  |  | 
 | 


 |  |  | 家広

御三家

尾張徳川家
尾張徳川家」を参照
紀州徳川家
紀州徳川家」を参照
水戸徳川家
水戸徳川家」を参照

御三卿

田安徳川家
田安徳川家」を参照
一橋徳川家
一橋徳川家」を参照
清水徳川家
清水徳川家」を参照

分家

松戸徳川家
松戸徳川家」を参照
徳川慶喜家
徳川慶喜家」を参照

徳川と松平

徳川家康個人の男系子孫たる徳川氏諸家は、松平の名乗りのみを認められた家康子孫の諸松平家(越前松平家会津松平家等)とともに親藩を構成し、江戸時代の約265年にわたって日本の支配層として君臨した。明治維新の後も、徳川氏は武家の最上流として華族に遇せられ、宗家公爵、御三家は侯爵、御三卿は伯爵に列せられ、現在、徳川家康の子孫で徳川を姓とする家は次の8家とその別家である。

  1. 徳川宗家 - (旧将軍家。徳川宗家)
  2. 尾張徳川家 - (御三家)
  3. 紀州徳川家 - ( 〃 )
  4. 水戸徳川家 - ( 〃 )
  5. 一橋徳川家 - (御三卿)
  6. 田安徳川家 - ( 〃 )
  7. 清水徳川家 - ( 〃 )
  8. 松戸徳川家 - (水戸徳川家分家)

現在の子孫は、徳川・松平一門の会に所属し、その会員数は約600名である。 他方、次の家は絶家した。

また紀州徳川家は断絶が確定的であり、田安徳川家、清水徳川家も男系断絶が濃厚である。 尾張徳川家、松戸徳川家の男系は既に断絶している。

徳川氏縁故社寺・菩提寺

肖像画

2012年徳川記念財団所蔵が所蔵している歴代将軍の肖像画紙形(下絵)が公開された。

脚注

  1. ^ 徳川姓とする史料が現存せず、松平姓であったとされる

系図脚注

  1. ^ (紀州)徳川光貞の四男。頼宣の孫。
  2. ^ (一橋)徳川治済の長男。宗尹の孫。
  3. ^ (水戸)徳川斉昭の七男。一橋家9代当主。
  4. ^ 高須藩主・松平義建の五男。一橋家10代当主。
  5. ^ (田安)徳川慶頼の三男。
  6. ^ (会津)松平一郎の次男。母は家正長女・豊子。

出典

  1. ^ 「紋章・マーク・シンボル」野ばら社。
  2. ^ 辻達也「徳川氏」『国史大辞典』(吉川弘文館)
  3. ^ 最後の当主徳川慶朝2017年(平成29年)9月25日に、心筋梗塞により死去、後継者を欠いたため絶家。
  4. ^ 笠谷和比古 1997, pp. 36.
  5. ^ 称名寺 (府中市)
  6. ^ 笠谷和比古 1997, pp. 38.
  7. ^ 笠谷和比古 1997, pp. 34.
  8. ^ 笠谷和比古 1997, pp. 39.
  9. ^ 小和田哲男「松平清康」『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞出版。
  10. ^ 『静岡県史〈資料編:中世3〉』p1102。『愛知県史〈織豊1〉』p61。
  11. ^ 笠谷和比古 1997, pp. 40.
  12. ^ 笠谷和比古 1997, pp. 35.
  13. ^ 米田雄介「徳川家康・秀忠の叙位任官文書について」『栃木史学』〈8号〉、1994年
  14. ^ 笠谷和比古 1997, pp. 46.
  15. ^ 村川浩平 1996, pp. 81.
  16. ^ 村川浩平 1996, pp. 75.
  17. ^ 村川浩平 1996, pp. 66-68.
  18. ^ 将軍の肖像画、下絵はリアル 徳川宗家に伝来、研究進む:朝日新聞 2012年8月8日
  19. ^ 鶴は千年、亀は萬年。 - 2012年8月8日

参考文献

関連項目

 | 
関連項目が多すぎます。関連の深い項目だけに絞ってください。必要ならば一覧記事として独立させることも検討してください。(2019年7月)

徳川家関連自治体

徳川家に関連する自治体には、以下の都や市町村がある。ただし、「一豊公&千代様サミット」や「伊達交流サミット」のような市町村連合は、今の所は結成されていない。

出典:wikipedia
2019/11/23 03:54

HAPPY Wikipedia

あなたの考える「徳川家」の意味を投稿しよう
「徳川家」のコンテンツはまだ投稿されていません。
全部読む・投稿 

徳川家スレッド一覧

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「徳川家」のスレッドを作成する
徳川家の」
友達を探す
掲示板を探す
このページ
友達に教える
URLをコピー

注目のキーワード

錦織圭/北島康介/2014_FIFAワールドカップ・アジア予選/サッカー日本女子代表/消費税/東京スカイツリー/ダルビッシュ有/イチロー/香川真司/野田内閣/復興庁/石川遼/HKT48/AKB48/ワールド・ベースボール・クラシック日本代表/黒田博樹/尖閣諸島/バレンタインデー/ONE_PIECE

キーワードで探す

 
友達を探す
掲示板を探す
ハッピーWiki
ハッピーメール
ハッピーランド
HAPPY NEWS
2010Happy Mail