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忌野清志郎とは?

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忌野 清志郎

2003年当時の清志郎(右)

【基本情報】

【出生名】
栗原 清志
(くりはら きよし)
【別名】
肝沢幅一
ボス
キヨシロー
【生誕】
1951年4月2日
日本東京都中野区
【死没】
(2009-05-02) 2009年5月2日(58歳没)
日本・東京都
【学歴】
東京都立日野高等学校卒業
【ジャンル】
ロック
R&B
ロックンロール
ブルース・ロック
フォーク・ロック
グラム・ロック
パンク・ロック
【職業】
シンガーソングライター
音楽プロデューサー
俳優
【担当楽器】
ボーカル
ギター
ウクレレ
ハーモニカ
ドラムス
サックス
ピアノ
オルガン
フルート
ホラガイ
【活動期間】
1967年 - 2009年
【レーベル】
東芝EMI/イーストワールド
ポリドール
ユニバーサルミュージック
SWIM RECORD
avex io
ワーナーミュージック
【事務所】
ベイビィズ
【共同作業者】
参加ユニット
仲井戸麗市
三宅伸治
井上陽水
ブロックヘッズ
スティーヴ・クロッパー
坂本龍一
篠原涼子
ライムスター
及川光博
細野晴臣
坂本冬美
【公式サイト】
公式ウェブサイト 地味変

忌野 清志郎(いまわの きよしろう、1951年4月2日 - 2009年5月2日)は、日本ロックミュージシャン。本名:栗原 清志(くりはら きよし)。血液型A型。

RCサクセションを筆頭に、忌野清志郎 & 2・3'S、忌野清志郎 Little Screaming Revue、ラフィータフィーなどのバンドを率い、ソウル・ブルースを下地にしたロックサウンドを展開。そのステージ上における圧倒的な存在感と、1983年に発表されたRCサクセションのライブアルバム「THE KING OF LIVE」の印象から、ザ・キング・オブ・ロックの異名を取った。

アニメ監督の西久保瑞穂は従弟、消しゴムハンコ作家の百世は娘にあたる。

経歴

少年時代からバンドデビューまで

バンド全盛期からソロ活動まで

晩年 死去

葬儀

人物

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音楽性

共通語(標準語)のイントネーションにこだわった楽曲製作が特徴で、曲先の場合でも、イントネーションがおかしくなった場合は、メロディーを修正してでもイントネーションを正しくするという手法を取っていた。また、促音を強調し、日本語のメリハリを強調するという発声法を1970年代半ばから続けていた。日本語をはっきり明瞭に歌うというスタイルは、後に甲本ヒロト真島昌利(共にザ・クロマニヨンズ)、どんと(BO GUMBOS)、水戸華之介(アンジー)、宮田和弥 (JUN SKY WALKER(S))、中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)、YO-KING(真心ブラザーズ)、宮本浩次(エレファントカシマシ)、トータス松本(ウルフルズ)、佐藤伸治(フィッシュマンズ)などの数多くのフォロワーを生む。

サウンド的なルーツは主にビートルズベンチャーズなど1960年代中期に日本で人気のあったロック、ブラザーズ・フォアピーター・ポール・アンド・マリーなど1960年代に日本で人気のあったフォーク、オーティス・レディングを筆頭としたソウル・ブルース系のミュージシャンで、多くの楽曲で彼らのオマージュを行っている。ライブにおいてジェイムス・ブラウンのマントショーを再現することもしばしばあった。

前述の促音を強調をするきっかけになったのがオーティスの「ガッタ、ガッタ」シャウトだったり、「愛しあってるかい?」のフレーズがオーティスのMCからの意訳だったりと、オーティスからの影響は非常に強く、清志郎自身も最も影響を受けたミュージシャンの一人としてオーティスの名を挙げている。1991年にはスティーブ・クロッパープロデュースでアルバム『Memphis』を製作、翌1992年にはBooker T. & THE MG's(元オーティスのバックバンド)とツアーを行った。2006年にはオーティスの足跡を辿るドキュメンタリー番組をきっかけにスティーブと再会し、スティーブのプロデュースでアルバム『夢助』を製作した。

RCサクセションの停滞時期に、行き詰まって複雑なコード進行の曲ばかり作ってしまう悪循環に陥っているという反省から、たとえシンプルなコード進行の曲であってもロックのダイナミズムを持つローリング・ストーンズの楽曲研究を重ねた。のちに『RHAPSODY』で結実。RCサクセションのロックバンド化と並行しての作業だったことから、当時のライブパフォーマンスなどにも強い影響を及ぼした。

歌詞の転機は少なくとも

の3度ある。ただし、いかにドギツイ歌詞の場合も高田渡のように諧謔精神を忘れなかった。

ミュージシャン間の交流

2010Happy Mail