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憲法改正論議とは?

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憲法改正論議(けんぽうかいせいろんぎ)とは、憲法の改正をめぐる議論のこと。「改憲論」(かいけんろん)、「改憲論議」(かいけんろんぎ)、「憲法論議」(けんぽうろんぎ)ともいう。

目次

  • 1 概説
  • 2 現日本国憲法に係る改正議論の経過
    • 2.1 ポツダム宣言受諾後
    • 2.2 55年体制下での議論
    • 2.3 55年体制崩壊後
    • 2.4 自民党政権の交代後、現在の議論
  • 3 憲法改正の手続
  • 4 憲法改正の限界
    • 4.1 限界説
    • 4.2 無限界説
    • 4.3 改正限界を超えた改正
    • 4.4 憲法の変遷
  • 5 憲法改正の論点
    • 5.1 憲法規範の性格と人権制約の原理
      • 5.1.1 憲法規範の性格
      • 5.1.2 公益及び公の秩序
        • 5.1.2.1 自民党議員の意見
        • 5.1.2.2 自民党憲法調査会 論点整理
        • 5.1.2.3 自民党憲法調査会に対する批判、見解
      • 5.1.3 国民の義務規定
    • 5.2 天皇の地位
    • 5.3 日本国憲法第9条、自衛隊
      • 5.3.1 国際情勢と憲法改正論議
      • 5.3.2 徴兵制の導入
    • 5.4 新しい人権
    • 5.5 首相公選制
    • 5.6 両院制
    • 5.7 軍事裁判所
    • 5.8 国家緊急権
    • 5.9 憲法裁判所
    • 5.10 公金による私学助成
  • 6 憲法改正に関連した動き
    • 6.1 1950年代
    • 6.2 1960年代
    • 6.3 1970年代
    • 6.4 1990年代
    • 6.5 2000年代
    • 6.6 2010年代
  • 7 脚注
  • 8 参考文献
  • 9 関連項目
  • 10 外部リンク

概説[ソースを編集]

日本国憲法は、現在の日本国家形態および統治組織作用を規定している憲法であり、資本主義憲法(ブルジョア憲法)の一種。

日本国憲法」および「資本主義憲法」も参照

形式上、大日本帝国憲法第73条の改正手続を経て制定された。1947年(昭和22年)に施行されて以来一度も改正されたことはない。

硬性憲法とされる日本国憲法の改正は、憲法上に第96条で規定されている。衆議院参議院それぞれの所属議員の三分の二以上の賛同によって発議され、国会から国民に提案され、国民投票での過半数の承認によって成立し、天皇により公布される。憲法改正における有権者たる日本国民は、国内の選挙や地方自治体の住民投票とは別途に国民投票法により定められる。「日本国憲法の改正手続に関する法律」では、全条文を一度に改正する全部改正は想定されていない。

なお、現在の憲法は戦後の占領体制下で公布されたという観点から憲法無効論も存在するが、いわゆる改憲派は、現憲法上の規定に基づく改正あるいは新憲法制定を唱える者が大多数である。

現日本国憲法に係る改正議論の経過[ソースを編集]

現憲法の施行に際し、日本国民にとっては、他国の憲法と比べてすでに多くの権利が保障されていること及び全体的に用語が少なく法律に委任している部分も多いことによって、改正の必要がないものとなっているという見解がある。

しかし、国防国体保持の観点から、自衛隊の合憲化や天皇国家元首化を提言する視点の憲法草案がいくつか発表されてきた。例を挙げると、中曽根康弘(1961年)、維新政党・新風(2003年)、愛知和男(2004年)、読売新聞(2004年)、PHP総合研究所(2004年)、自由民主党(2005年)、創憲会議(2005年)、大石義雄中川八洋などのものがある。

また、国民の権利を保護・増強する観点からも、議院内閣制が本来の権力分立として機能していない点や、一票の格差および憲法53条後段(臨時国会の開催義務)での国会議員自身の不作為や怠慢、また、内閣総理大臣に対する解散権の制限や、最高裁判所が違憲立法審査権に対し消極的な点(上告や特別抗告などの憲法違反の指摘を三行決定で終わらせ審議しないことに関した憲法裁判所の必要性)など、憲法改善の必要性が取り上げられることがある。

ポツダム宣言受諾後[ソースを編集]

1945年のポツダム宣言受諾後の大日本帝国憲法改正案として、現日本国憲法制定までに提案された改憲案には、日本共産党、社会党進歩党自由党憲法研究会佐々木惣一里見岸雄のものがあった。

日本国憲法の制憲過程はGHQの意向が強く反映されたものであり、また原案策定中の1946年2月13日のホイットニーGHQ民政局長との面談席上でGHQ草案の採用が「天皇ノ保持」のため必要でありさもなければ「天皇ノ身体」の保障は出来ないなる主旨の「脅迫」めいた主旨の発言があったことは2月19日時点で幣原内閣の閣僚、3月には昭和天皇や枢密顧問官に報告されている。この経緯は1954年7月7日に憲法改正担当大臣であり直接の当事者であった松本烝治により自由党憲法調査会において広く紹介され、「これでは脅迫に他ならないではないか」という見方を広く導き出すことになった。この主旨での「押し付け憲法論」が広く国民の間に広がったのはこの松本演説によるところが大きい。

詳細は「GHQ草案手交時の脅迫問題」を参照

ここから「日本国憲法は、太平洋戦争敗北後、日本を占領した連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって作られ、押しつけられた憲法である。日本政府はGHQの憲法改正案を拒否すると天皇の地位が危うくなる(=国体護持の)ため、GHQの憲法改正案をやむをえず受け入れたものである」とする押し付け憲法論や「日本国民自らが定める憲法」にするために憲法を改正して自主憲法を制定すべき、とする自主憲法論保守派の人々によって強く主張された。

GHQによる憲法改正草案要綱をマッカーサーが承認した際、この問題にいち早く着目したのは米国のマスコミであり、1946年3月8日付けクリスチャン・サイエンス・モニターは「これは日本の憲法ではない。…日本に対するアメリカの憲法である」、3月7日付けデンバー・ポストは「表面に現れた形式に関するかぎり、マッカーサー元帥は日本の民主主義を作りつつある。」とし、3月8日付けポートランド・オレゴンのように憲法はアメリカ軍の占領期間中しか寿命を持たないだろうと予言したものもあった。極東委員会のメンバーたちも総じて、提案され、検討されている草案は基本的に連合国最高司令官とその司令部の作品であって、日本人の作品ではないと信じていた。 押しつけ憲法を改正して自主憲法を制定し、日本を「真の独立国」とするために、三木武吉は保守合同によって改憲派で総議員の3分の2以上の確保を目指し、自主憲法の制定を実現させようとした。そして三木武吉、鳩山一郎らの努力によって1955年11月15日日本自由党日本民主党が合同し自由民主党(自民党)が結党した。これが保守合同である。自民党初代総裁には鳩山一郎首相(当時)が選ばれた。

自由民主党は、初代総裁・鳩山一郎が日本の独立確保という視点から「新憲法制定」と「経済復興」を結党の理念に掲げ公約にして以降、今日に至るまでアピールの強弱があるものの憲法改正を訴え続けている。自民党は長らく政権政党ではあったが、憲法が国家権力の暴走を抑えるためのものでもあるため、具体的な改正内容については国会議員自らの権力や既得権益を減らすことになるような意見の分かれるテーマもあって、55年体制から長い間選挙や政局で改正発議を可能とするための衆参両院の2/3以上の議席を獲得するには至っていなかった。

55年体制下での議論[ソースを編集]

自民党は、党是の第一条に憲法改正して自主憲法制定を目指すことを明確にした。鳩山一郎は憲法改正が必要であるという考えを明確に示し、「この1600億円の大金を使っている、警察予備隊は、あれは一体、巡査(警察)なんですか?兵隊(軍隊)なんですか? それは、軍隊でありますから、私は憲法改正が必要であると思います。」と発言し、憲法改正を実現させる決意を示した。そして鳩山内閣と自民党は保守勢力を増やすために公職選挙法を改正して小選挙区制度を導入しようとしたが(ハトマンダー)、これには野党だけでなく自民党内からも懸念の声が噴出し、小選挙区を導入することはできなかった。また、鳩山内閣は改憲を実現するために内閣憲法調査会設置法を国会で成立させた。なお、当時の自民党有力者は「自主」憲法の制定を主張する一方で、「押し付け」た側であるアメリカ合衆国政府から資金援助(「共産主義の影響を排除する為の、プロパガンダ的秘密支援計画」の一環として)を受けていたことが、米国の外交資料により明かになっている(米国の対日政策の転換については「逆コース」を参照)。

その後も自民党は1965年までに憲法調査会(第一次)を設置するなど憲法改正について積極的な動きを見せていたが、国民の間には憲法9条を改正しようとする動きに対しての反発があり、社会党など改憲反対派の強固な反対もあり、自民党は改憲が発議できる3分の2以上の国会における議席を確保するには至らなかった。

戦後世論の動向が憲法改正に積極的でなかった事から、自民党も当面の目標として改憲を掲げなくなった時期があった。世論動向から改憲を掲げる事が政党にとって必ずしも有利にはならないという判断から、政治の場で改憲を語る事への自粛が求められ、大臣など政府の公職に就いている人物が改憲を積極的に主張し難い状況が続き、憲法議論そのものがタブー視される時期が続いた(80年代には自民党内にも党綱領からの削除を求める意見があった)。

55年体制崩壊後[ソースを編集]

平成に入って消費税課税も始まり、1990年代以降団塊ジュニアバブル崩壊のアオリを受けて不況も続いていた中、55年体制は崩壊し自民党は2/3どころか単独過半数すら喪失し、議論は党派を超えて交渉や協議を重ねることが要求された。

2005年、自民党が立党50年を機に第一次素案 を発表した(この素案は、“自衛軍”の保持、軍事裁判所(軍法会議)の明記以外にも、環境権など新しい人権の追加という国民に受け入れやすい要素を合わせ持っていた)。この後、与党優勢を背景に国民投票法制定も含めて憲法改正に関する環境整備を進めようとする改憲派と、主に戦力の不保持と交戦権の放棄を規定している日本国憲法第9条を守ろうとする護憲派が対立した。

日本共産党社会民主党は、特に第9条を取り上げて憲法改正を「憲法改悪」と表現して反対した。護憲派では九条の会などが結成された。2007年日本国憲法の改正手続に関する法律案をめぐる与野党協議の決裂で自民党と民主党の協力関係が崩れたことに加え、改憲を公約に掲げた自民党が参院選で大敗した。

2004年〜2005年の世論調査では、改憲賛成に「議論した結果改正することがあってもよい」という容認を含めれば、60-80%台に増えている(読売新聞朝日新聞毎日新聞、日本世論調査会)。ただし、9条改正の賛成、反対のみを問うアンケートでは、賛成57%、反対36%(日本世論調査会)、賛成・反対ともに39%(NHK) といった数字も出ている。もっとも、「マガジン9条」(現在は「マガジン9」) が2006年1月に実施したアンケート で、「9条を変える」が82%、「9条を変えない」が18%となった。

一方、2007年4月の読売による世論調査では、改憲賛成が過半数を占めたものの、大きく数を減らした。なかでも9条に関しては改正賛成が35%にとどまる一方で、改正せず解釈で対応するべきとの意見及び厳密に守るべきとの意見が合計で約6割になった。特に、民主党支持層で改憲反対が増え、9条については改正反対の意見が根強いことを示した。2008年4月に同紙が行なった調査ではわずかながら改憲反対が賛成を上回った(42.5%に対し43.1%)。一方で、各政党が憲法議論をさらに活発化させるべきだと思う人は71%であり、時代にそぐわない部分が増えているとの認識も根強いと読売は分析している。

なお、自民党「憲法改正草案大綱(たたき台)」(2004年11月17日)は、ときの防衛庁長官中谷元の要請に応えて防衛庁勤務の三等陸佐が作成した「憲法草案」を採り入れていたことが判明。「自衛隊に使い勝手のいい(=容易に軍事行動を起こせる)改憲案だ」との批判を受けて撤回した。

主要な左派革新派が過去に社会主義的改憲を主張したこともある。しかし、近年は憲法改正反対派が主流となっていることから、主要な左派・革新派から日本国憲法の改正案などの発表はされていない。

政党などの憲法に関する意見表明としては、平和人権を強化する「護憲的改憲」(日本新党など)、21世紀の日本のかたちを構想して自由濶達に議論する「論憲」(民主党)、創造的議論で国家権力の恣意的解釈を許さない基本法にする「創憲」(民主党)、憲法9条は別として新しい人権を加える「加憲」(公明党)、憲法を活かす「活憲」(辻元清美など)、憲法を修正する「修憲」、米国憲法のように補正を加えていくなどの「追憲」、「廃憲」などの造語競争が起こっている。自民党のなかでも野中広務官房長官は改憲に反対であった。

当初は第9条が大きな争点であった憲法改正論議は、その後の情報化社会の到来や国民プライバシーに関する意識変革と相まって、多様な論点での議論が求められはじめ、また護憲を党是に掲げている社会党に替わって1996年に民主党が野党第一党となった事などから、政治の場で憲法を議題にする事をことさらに問題視すべきでないといった認識も広まり、2004年には自民党だけでなく、公明党、民主党などの各党憲法調査会が結成され、改憲論議が広く交わされる事となった。

なお、民主党憲法無効論による創憲が党是とされるなど、近年は憲法無効論による意見が増えている。2012年3月たちあがれ日本応援団長の石原慎太郎東京都知事は「憲法改正は時間の無駄。もし新党の党首に私がなるとしたら憲法無効論を党是とする」と語った。石原を共同代表に迎えた日本維新の会は綱領に“日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し…”と明記した。

改憲に積極的に賛成している層は、近隣諸国(想定としては自衛隊が定義する対象国)による侵略からの防衛・抑止のために、また、日本国外に派兵して国際貢献もできるようにするために軍の保持を明記して合憲にすべきと主張している。改憲に積極的に反対している層は、新しい人権に関しては現行憲法の人権規定で対応可能であり、改正は不要だとしている。積極的賛成ではないが容認する中間層は、新しい人権を追加する改憲に賛成である。また北朝鮮中国の脅威などから自衛隊から軍への昇格にもあまり反対しない状況が生じている。

自民党政権の交代後、現在の議論[ソースを編集]

社会保障費の増大や日本の財政問題に対して、2009年8月の衆議院選挙消費税増税に明確な反対をした民主党が308議席を獲得して、自民党は1955年の結党以来初めて衆院第1党から転落した。

当時の大阪府知事であった橋下徹は地方が国の奴隷となっている行政の矛盾を参議院改革に絡めて訴え、また民主主義にはある種の愚行権(幸福追求権)も認められるところ一時は憲法改善が大きく取り上げられた。

2010年には自民党・憲法改正推進本部(保利耕輔本部長)が“憲法改正論点整理の要旨”を発表。天皇の明文元首化や国歌国旗の制定、永住外国人の参政権否定の他に、徴兵制度を定めることについて検討すると明記されていたことが論議を呼んだが、大島理森幹事長は「公式なものではない」と話して徴兵制度の導入を否定した。

2011年3月の東日本大震災及び東京電力福島第一原子力発電所事故に際して、民主党のいわゆる素人政治による官僚の活用力不足が見られ、また改憲には国会議員が自らの既得権益を手放す覚悟も求められたため、やがて民主党は財政再建のためには増税が不可欠であると主張を転換した。国民政治不信が膨らむ中、2012年に大阪維新の会一院制への移行を含めた憲法改正の方針となる「維新版・船中八策(維新八策)」を提示し、9月には自らの身を切る議員定数削減の覚悟を踏まえて現在の衆議院議員も半減する方針を明記した。

2012年4月には自民党も2005年に作成していた改憲草案を修正して、野党として保守色を高めた新憲法改正草案を国会へ提出する方針を示していた。いずれも国家運営の体制改革を意図したものであった。その後、2012年12月に民主党消費税の増税を断行し、解散総選挙によって民主党は議席を約4分の1に減らし、自民党及び公明党与党に復帰した。2013年7月の参議院選挙では、自民党・公明党が連立与党として過半数を大きく超える議席を確保し、その後は他の党とも連携して、具体的な改正内容を精査し現実的な改正手順も模索されている。

リチャード・アーミテージジョセフ・ナイは、憲法第9条と集団的自衛権について、「―何も日本は憲法を改正する必要はないということです。(以下略)」(アーミテージ)、「個人的な見解ですが、“九条改正”という戦いに精力を注ぐよりも “解釈改憲”で行くべきだと思います。(以下略)」(ナイ)と述べているという。もっともアーミテージは、2012年7月22日の読売新聞への寄稿では、「……だが、こう言わなければ正直ではあるまい。日本の憲法上の制約は今後、日米同盟にとって、さらに重大な問題になるだろう。」と述べている。2015年には、安倍内閣安保法案に関して集団的自衛権に対する解釈改憲を進めたため、9条を根拠として憲法を改正する必要性が薄らいでしまった。

政教分離問題や一票の格差問題に対して、最高裁判所において憲法違反あるいは違憲無効といった判例を出す裁判官がおり、また憲法を改正すべきだとする意見が過半数を占める世論調査結果もあり、改正に賛成する政治家は増えている。改憲の発議に係る憲法上の条文に関して、結局は国民が新しい憲法を要望し賛成するかの問題になるものだが、「憲法尊重擁護義務」を求められる国会議員が憲法改正を訴えることは「新憲法の制定」や「クーデター」に相当するだろうという議論もある。

なお、改正反対をとなえる反戦団体・市民団体の動きもあって、平和主義の堅持など一定の条件を満たすことを前提に一部の改正を容認している人はいるものの、いわゆる9条改正の賛成派が過半数で常態化したことはない。他の党からも現憲法の問題点の改善に向けた具体的な改憲案や方策の提示はなく、国家権力の制御に関する国民的な議論が求められている。2016年(平成28年)の第24回参議院議員通常選挙で、改憲勢力とされる自由民主党公明党おおさか維新の会日本のこころを大切にする党が初めて衆参両院で三分の二に達することとなった。

憲法改正の手続[ソースを編集]

日本国憲法は、第9章第96条に改正の手続を定めている。この規定を実施するためには法律の制定が必要になるが、2007年になって日本国憲法の改正手続に関する法律が制定され、完全施行は2010年5月18日である。憲法の条文中の「各議院の総議員の三分の二以上の賛成」および「国民投票…の過半数の賛成」という改正の要件につき、その母数が明確でない(議員の母数につき議員の法定数か現に在職する議員数か、国民投票の母数につき有権者総数か有効投票数か)ため、その解釈には争いがあったが、同法は国民投票について有効投票総数を母数とした。

日本国憲法の改正手続が、諸外国の憲法の改正手続きと比較すると厳格であるとする意見がある。改正手続き規定を改正できるかどうか、憲法学上は二分しているが、厳格であるとする立場から出された憲法改正大綱や草案では、改正手続きが緩和されていることがある(自民党、民社協会、維新の会、みんなの党など)。自民党新憲法草案では現行の「各議院の総議員の三分の二以上の賛成」という要件を、「各議院の総議員の過半数」に緩和する。その後の、国民投票の承認の要件は現行通りである。

憲法改正の限界[ソースを編集]

日本国憲法第96条にいう「改正」の意義について、憲法学者などによる議論がある。

限界説[ソースを編集]

憲法の根本原理を改正の限界とする。芦部信喜 は、学説は主に限界説と無限界説に分かれるが、法的な限界が存在するとする学説が通説であり、かつそれが妥当と主張する。

限界説を前提とした憲法第96条の改正限界について、清宮四郎は、「例えば、国会の発議について両議院対等の原則を変更して衆議院の優位を認め、または、発議について特別の憲法会議を設けたり、あるいは、国会の議決における「硬性」の度合いをいくぶん変更したりする程度」の改正は許容される、とする。

限界説に対しては、「改正に限界があるとすれば、天皇主権から国民主権への改正によって成立した日本国憲法は改正の限界を超えたものである」という批判(福田恆存)や、大日本帝国憲法発布の際の勅語にも「現在及将来の臣民は此の憲法に対し永遠に従順の義務を負ふへし」(原文旧字カタカナ)という文言があるため上記の憲法尊重擁護義務を根拠とした限界は認められないとする批判がある。これに対し限界説は、八月革命説を用いて反論している。すなわち、ポツダム宣言の受諾により法的には一種の革命があったものと捉え、大日本帝国憲法と日本国憲法との連続性を否定することで、上記の批判を失当とする。

無限界説[ソースを編集]

改正に限界がないとする。

阪本昌成・現近畿大学教授は、無限界説を前提に、憲法第96条について、「…無限界説に立つ以上、憲法を改正するに当たって、権力主体としての国民は、改正手続に関し、「国会による発議権を否認し、国民が発案する」という憲法改正案であれ、「国民投票を不要とする」という改正案であれ、いずれの案であってもこれを承認することができる。」と述べている。

改正限界を超えた改正[ソースを編集]

法的連続性が切断された「新憲法制定」と憲法改正との相違点は、「改正」の定義の差にすぎないとする指摘がある。改正の限界を超えた改正も、改正後の憲法が国民から広く受け入れられて安定した秩序を形成することができれば、新しい根拠によって憲法の効力が承認されていると見なすことができ、改正憲法か新憲法かを判断する標識であるにすぎないとされ、その権利が改正権者自身の手にある限り、理論上の新憲法制定が改正の名において行われることはありうる。

憲法の変遷[ソースを編集]

憲法の変遷とは、憲法の規定の文言になんらの改定が加えられることなく、内閣行政府による有権解釈に基づく国家実行が行われ、議会が明示的ないし黙示的に追認することによって、事実上規範の意味が変化し、憲法改正されたのと同じ結果を生ずることを意味する。一般的には事態を客観的に観察した結果を示す言葉であるが、これに司法的性格を持たせることができるか議論がある。実効性が失われた憲法規範は法としての性格を持たないとして、これを肯定する見解がある。他方、違憲状態はあくまでも事実にしか過ぎず、司法的性格をもちえないとして、これを否定する見解がある。

憲法改正の論点[ソースを編集]

日本国憲法改正案一覧」および「伊藤修 (参議院議員)#憲法改正論」も参照

日本での憲法改正をめぐる論点はいくつかある。

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