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成蹊中学校・高等学校とは?
北緯35度42分56.9秒 東経139度34分20.5秒 / 北緯35.715806度 東経139.572361度 / 35.715806; 139.572361座標: 北緯35度42分56.9秒 東経139度34分20.5秒 / 北緯35.715806度 東経139.572361度 / 35.715806; 139.572361
【外部リンク】
公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校成蹊中学校・高等学校 (せいけいちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都武蔵野市吉祥寺北町三丁目に所在し、中高一貫教育を提供する私立中学校・高等学校。
概要[ソースを編集]
全国でも4校しかない私立の7年制・旧制高等学校(尋常科4年+高等科3年)である旧制成蹊高等学校の歴史を受け継ぐ伝統校。
安倍晋三(内閣総理大臣)や有名企業の会長・社長など、政財界に多くの人材を輩出している。
旧制高校時代は、一度尋常科に入学すれば帝国大学への進学が保証された。
かつては多くの生徒が東京大学(東京帝国大学)へ進学し、1949年には東大に64名合格し全国5位、私立校では全国トップであった。
財政的には三菱合資会社(後に三菱本社)社長であり、成蹊学園初代理事長だった岩崎小弥太が支援した。
高校開校にあたり、池袋から移転先として現在地の吉祥寺を岩崎小弥太が選定。岩崎小弥太は、吉祥寺に1万余坪の農園を所有しており、この農園に隣接した8万余坪の広大な土地を購入し、個人的に成蹊学園に寄附した。
生徒数は2012年5月現在、1767名(成蹊高校973名・成蹊中学794名)である。
沿革[ソースを編集]
明治末期~大正期の教育者である中村春二が、高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)時代からの友人であった、岩崎小弥太(後の三菱財閥総帥)と今村繁三(後の今村銀行頭取)の協力を得て創設した私塾「成蹊園」が母体となっている。
旧制成蹊高校当初の学級定員は1学級30名とし、尋常科は1学年1学級、高等科は文科・理科に分け1学年各1学級だった。
履修する第1外国語により、文科甲類(英語)・文科乙類(ドイツ語)・理科甲類(英語)・理科乙類(ドイツ語)と細分された。当時、医学部に進学する人はドイツ語を学ぶために理科乙類に入った。
学制改革に際しては、高等科は新制成蹊大学へ、尋常科は新制成蹊中学・高校へそれぞれ移行したと考えるのが一般的である。
1917年に目白に創設された成蹊女学校は、1921年に成蹊高等女学校となり、1954年に成蹊学園へ合併し、1956年に廃校となった。
年表[ソースを編集]
建学の理念[ソースを編集]
「個性の尊重」「品性の陶冶」「勤労の実践」
教育[ソースを編集]
高校1年次は芸術以外はすべて共通科目で、芸術は必修選択科目となっており、音楽・美術・工芸デザイン・書道の中から1つを選択する。
高校2年次からは文系・理系に分かれ、英語・数学が習熟度別の少人数クラス編成となる。第2外国語として、ドイツ語・フランス語・中国語・韓国語を選択することも可能。
高校3年次からは現代文・英語・体育など一部が必修となり、18のコースからなる選択科目が中心の授業になる。英語・理系数学は学力別に少人数授業が行われる。自分で選んだコースによって、クラス内でも時間割がそれぞれ異なるため、時間ごとに教室へ移動しての学習が多くなる。理系コースには、医歯薬系への進学者が多いことが本校の特色の一つとなっている。
- 国際学級
成蹊中学では帰国生受け入れのため、1964年から国際特別学級(1995年に国際学級と改称)を設置している。過去には全学年に設置されていたが、現在は国際学級が1学年制になり、中学2・3年からの国際学級編入試は廃止となったが、2008年からは中学2年への帰国生編入試を実施し、中2一般クラスへ編入する。
国際学級は1年次の1年間で修了し、中学2年からは一般クラスへ移る。国際学級は日本の教育に早期適応できるように、15名の少人数で授業が行われ、国語に重点が置かれている。中学2・3年では、帰国生向けの「帰国生英語特設クラス」で英語の授業が行われる。
国際学級に限らず小・中・高に1学期間以上在籍した生徒が保護者の海外転勤等で海外に行き、一定期間のうちに再度帰国する際、再入学できる制度がある(受け入れテスト有り)。
学校行事[ソースを編集]
- 体育祭・体育大会
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- 中学の体育祭は9月、高校の体育大会は5月と9月に行われる。
- 夏の学校
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- 中学1年では自然観察を通じて仲間づくりを行い、中学2年では2000m級の山に登って心身を鍛える。
- 修学旅行
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- 中学3年の5月に行われる修学旅行は、4泊5日で京都・奈良へ行く。
- 学習旅行
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- 高校2年の夏休み・春休みに、海外を含めて約8つのコース別に分かれて行われる。生徒と教員が一緒に企画し、希望者参加型となっている。
- 蹊祭(こみちさい)
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- 毎年秋に行われる中高合同の文化祭。
- マラソン大会
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- 高校1年、2年の2月にマラソン大会を実施している。
国際教育[ソースを編集]
10スクールと呼ばれる米国の名門ボーディングスクール(全寮制の寄宿学校)3校など多数の国際交流がある。
- 留学プログラム
- 1856年創設のアメリカ屈指の全寮制私立学校であるセント・ポールズ・スクールは、日本では成蹊高校とだけ交換留学制度を設けている。1949年から成蹊高校から留学生を派遣し、1976年からはセントポールズ校からの留学生を受け入れている。成蹊OBの槇原稔・有馬龍夫・清水義明などは同校出身で、多くの留学生は帰国せずに、そのままハーバード大学、プリンストン大学などの海外の大学に進んでいる。
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オーストラリア・ニューサウスウェールズ州カウラ市にある公立高校で、1970年から交換留学を行っている。2003年から2年に1度実施の短期留学(ホームステイプログラム)も実施している。
- 1890年創設のアメリカ屈指の全寮制私立学校であるチョート・ローズマリー・ホール(チョート校)へは、2015年よりサマープログラムの派遣、2016年より長期留学生の派遣を開始した。サマープログラムは6月末からで、それぞれ選択したコースと科目を受けながら、5週間のプログラムに参加する。サマープログラムでは、2015年の第1回、2016年の第2回とも5名を派遣した。
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ケンブリッジ大学を構成する31のカレッジの中で3番目に古い1347年創立のペンブルック・カレッジが運営するサマースクールで、2006年より短期留学制度を開始した。夏休みに3週間、ケンブリッジ大学のスタッフが運営するプログラムに基づいて行われる。
- 春休み中の2週間、ホームステイ先からカリフォルニア大学デービス校(UCD)に通い、「英語とキャリア教育」を中心に学び、英語でのプレゼン力も鍛える。途中1日かけてスタンフォード大学とサンフランシスコを訪問する。サクラメント市のフードバンクでのボランティア活動や地元デービス高校生との交流なども実施。2015年の第2回は生徒31名、2016年の第3回は生徒29名が参加した。
- 交流校
- 1781年創設のアメリカ屈指の全寮制私立学校であるフィリップス・エクセター・アカデミー(エクセター校)で日本語を学ぶ高校生が、成蹊中高生の家庭にホームステイしながら本校に通い交流を深める。2016年6月には現地校7名の生徒が来日し、成蹊中高での2週間のサマースクールを経験した。また、同年9月から11月の秋学期(日本の2学期)の約2ヶ月半、同校の5名の生徒が来日し、ホームステイ留学を経験した。2015年以降、成蹊高校生が同校のサマースクールで5週間学ぶ奨学制度が創設された。
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デンマークのコペンハーゲン郊外の私立学校・ルンステッド高校は同国で唯一、日本語の授業がある学校。同校の国際教育の一環で、世界各国を訪問するプログラムがあり、日本短期訪問グループはそのうちの2泊3日を成蹊中高でのホームステイ交流に充てている。また、2016年からは10月のほぼ一カ月をホームステイ先から通学する短期留学制度が始まった。2017年夏からは、成蹊生も同校でのホームステイ体験とスウェーデンのカルマル市にある私立高CISでのホームステイ体験の相互交流を開始する。
- スウェーデン南部のバルト海に臨むカルマル市にある、私立学校カルマーレ国際高校では日本語を学ぶコースがある。同校は生徒たちを世界中の姉妹校に派遣しているが、成蹊中高との間に2015年に繋がりができた。そして2016年には同校から3名の生徒が成蹊中高でホームステイプログラムで一カ月滞在した。2017年より夏期派遣を行う。
施設・設備[ソースを編集]
学園入口から中学校・高等学校正門まで約600メートル続くケヤキ並木(124本)は「日本の音風景100選」(環境省)、「新東京百景」(東京都)に選定されている。
- 中学・高等学校中央館…中学校生徒ホール、高校食堂(300席)、コンピュータ教室A(50席)、コンピューター室B(40席)、視聴覚教室B、中学校図書室、高校図書室、分割教室(30名×4部屋)、会議室、事務室
- 理科館…物理・化学・生物・地学の各研究室、講義室、実験室あわせて11の教室、屋上には成蹊気象観測所と天文気象部(高校)が使用する天文観測ドームがある。
- 造形館…金工室、木工室、美術室、工芸室がある。
- 特別教室棟…1学年全員が入れる大教室、調理室、被服室、和室、書道室、音楽室(2部屋)、第二視聴覚室、共同研究室がある。
- 中学校ホームルーム棟(2007年7月竣工)
- 高校ホームルーム棟(2008年12月竣工)
- テニスコート(5面・全面人工芝)
- 中高グラウンド
- バスケットボール・バレーボールコートなど(3面・屋外)
- 体育館2棟(第一体育館、第二体育館)
※この他に、学校行事などでは成蹊大学の施設を利用することがある。
制服[ソースを編集]
- 男子:冬服は、黒蛇腹の縁取りを施した紺色のホック留め詰襟。夏服は、白いワイシャツまたは開襟シャツに、紺色のズボンを着用する。中学は冬服の場合襟に学年とクラスを表した金バッジを、夏服の場合はワイシャツないし開襟シャツに校章を付ける。
- 女子:セーラー服。冬服は紺襟に桃のマークと白線3本が入った紺のセーラー服で、夏服は紺襟に桃のマークと白線3本が入った白のセーラー服。中学はえんじ色のスカーフ、高校は黒色のスカーフを着用する。
進路[ソースを編集]
成績上位者には、成蹊大学への内部推薦の権利を持ちながら、他大学を受験できる内推併願制度がある。
例年、卒業生の約2~3割が系列校の成蹊大学に進学し、その他の多くは国公立大学や私立大学へ進学する。
2020年の大学合格状況は、東京大学4名、慶應義塾大学41名、早稲田大学43名、上智大学31名など。
医学部への進学も多く、2020年は27名が医学科に合格した。
部活動[ソースを編集]
硬式テニス部は強豪で、中学男子は全国大会優勝3回・準優勝2回を誇る。
ラグビー部は旧制高校時代の1923年創部の古豪で、花園に4度出場。
都心ながら校内に馬場を持つ馬術部や、スキー部も全国大会に出場している。
籠球部(バスケットボール部)は1927年創部で、旧制成蹊高校時代の1927年、全国高校バスケットボール大会準優勝。1931年には、第10回全日本籠球選手権大会(現 全日本総合バスケットボール選手権大会)で、高校生ながら大学を含む強豪チームを破り、全日本制覇という偉業を達成したことがある。
天文気象部は気象観測で知られ、メディアにも度々登場し(構内に1926年設立の成蹊気象観測所がある)、「小柴昌俊科学教育賞」奨励賞を受賞している。
- 硬式テニス部
- ラグビー部
- 中学 2002年以降の主な戦績
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東日本中学生ラグビーフットボール大会
- 2002年・第22回大会 3位
- 2003年・第23回大会 ベスト8
- 2004年・第24回大会 1回戦敗退
- 2007年・第27回大会 1回戦敗退
- 2015年・第35回大会 1回戦敗退
- 関東中学生ラグビーフットボール大会
- 2002年・第53回大会Aブロック 優勝
- 2003年・第54回大会Bブロック ベスト4
- 2004年・第55回大会Aブロック 5位
- 2006年・第57回大会Bブロック 優勝
- 2011年・第62回大会Dブロック 優勝
- 2014年・第65回大会Cブロック 3位
- 2015年・第66回大会Bブロック 優勝
- 2016年・第67回大会Cブロック 優勝
- 高校
- 馬術部
- 1929年、第6回全国高校馬術競技大会優勝
- 全日本高等学校馬術競技大会(インターハイ)多数出場
- スキー部
運動部[ソースを編集]
中高共通
- 野球部
- 水泳部(高校男子は水球)
- 硬式テニス部(男・女)
- ソフトテニス部
- 陸上競技部
- 卓球部
- ラグビー部
- サッカー部
- バスケットボール部(男・女)
- 女子バレーボール部
- 山岳部
- 剣道部
高校
- 柔道部
- スキー部
- 馬術部
- 自転車(サイクリング)部
- 男子バレーボール部
- バドミントン部
- 水球部(男子)
文化部[ソースを編集]
中高共通
- ダンス部
- 英語部
- 写真部
- 美術部
- 演劇部
- コーラス部
- 吹奏楽部(成蹊ウィンドオーケストラ)
- 弦楽(ストリングス)部
- 書道部
中学
- 自然科学部
- 科学技術部
- 社会探検部
- 家庭部
- イラスト漫画部
新制成蹊高等学校出身者(五十音順)[ソースを編集]
政治・行政[ソースを編集]
法曹[ソースを編集]
実業[ソースを編集]
学術[ソースを編集]
文化[ソースを編集]