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戦車とは?

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ポーランドで展示されるT-34/85(1940〜1960年代)
レオパルト2A5(2010年)
74式戦車(左)と10式戦車試作車(右)(2012年)

戦車(せんしゃ)は、戦線を突破することなどを目的とする高い戦闘力を持った装甲戦闘車両である。一般に攻撃力として敵戦車を破壊できる強力な火砲を搭載した旋回砲塔を装備し、防御力として大口径火砲をもってしても容易に破壊されない装甲を備え、履帯による高い不整地走破能力を持っている。

目次

  • 1 概要
  • 2 名称
    • 2.1 制式名称と愛称
  • 3 歴史
    • 3.1 概観
    • 3.2 第一次世界大戦
      • 3.2.1 黎明期
      • 3.2.2 発展
    • 3.3 第二次世界大戦
    • 3.4 冷戦期 - 現代
      • 3.4.1 第1世代主力戦車
      • 3.4.2 第2世代主力戦車
      • 3.4.3 第3世代主力戦車
      • 3.4.4 ポスト第3世代主力戦車
      • 3.4.5 第4世代主力戦車
    • 3.5 将来
    • 3.6 日本の戦車開発史
  • 4 装備と構造
    • 4.1 過去の装備
  • 5 兵装
    • 5.1 主砲砲弾
  • 6 装甲
    • 6.1 装甲の配置
    • 6.2 戦車の装甲の歴史
    • 6.3 増加装甲
    • 6.4 成形炸薬弾対策
  • 7 乗員
  • 8 走行装置
    • 8.1 履帯
    • 8.2 渡河
  • 9 兵器産業における戦車
    • 9.1 工業製品
    • 9.2 近代化改修
    • 9.3 戦車相当の戦闘車両の開発
  • 10 対戦車戦闘
    • 10.1 市街戦
    • 10.2 空襲
    • 10.3 歩兵
  • 11 戦車博物館
  • 12 戦車の運転(日本)
  • 13 脚注
    • 13.1 注釈
    • 13.2 出典
    • 13.3 参考文献
  • 14 関連項目


概要

戦車は戦う車の総称ではなく、自走砲装甲車などとは区別される。しかし、何をもって戦車と定義するかは曖昧な部分もあり、また時代地域によって変化する。21世紀初頭現在では大まかに

  1. (駆動について)走行装置が無限軌道(履帯、キャタピラ)であること
  2. (防御について)戦線を突破できるだけの防御力を持つ。具体的にはあらゆる方向からの小銃弾に耐え、正面は対戦車兵器に耐え得る。
  3. (攻撃について)戦車をはじめとする敵装甲戦闘車両を待ち伏せでなく積極的に砲撃し、撃破できること
  4. (武装について)全周旋回可能かつ全面を装甲化した砲塔を有すること
  5. (歴史的補足として)固有武装を用いて、あらゆる敵陸上部隊と直接的かつ持続的な戦闘を行えること。一般に戦車砲を収納した全周砲塔を持つ。

などが挙げられる。

ただ上記の条件にあてはまらなくても、保有する側が戦車と呼べば戦車扱いされる可能性もある歩兵戦闘車自走砲の多くも上記に該当するが、戦車とは異なった兵器である。直射射撃によって敵の保有する(ほぼ)すべての装甲車輌を撃破するように設計された兵器であることも、上の条件に加えられるかもしれない。

21世紀初頭において明文化された戦車の定義としては、欧州通常戦力削減条約に定める定義が存在する。同条約[3]のArticle II (C) に定める定義によれば、まず

  1. 「戦車」とは、自走式装甲戦闘車両で、装甲目標等に対する高初速直接照準火砲による重火力を発揮可能で、路外機動能力に優れ、高い自己防衛能力を備え、加えて兵員輸送のために設計されていないものを言う。この種の車両は、陸軍の戦車又は装甲部隊の主要な兵器システムとして運用される。

という全体の定義を示し、これに加えた

  1. 装軌道式装甲戦闘車両
  2. 空虚重量16.5トン以上
  3. 口径75mm以上の全周旋回砲を有する

の細部条件を満たす満たす車両を「戦車」と定義している。また、これに加えて

  1. 上記条件を満たす装輪装甲戦闘車両も戦車に含まれる

ともしており、上記定義から言えば、陸上自衛隊16式機動戦闘車も戦車に含まれることとなる。ただし、日本は上記条約を批准していないため、この定義に従う義務はなく、この定義をもって陸上自衛隊の主張に矛盾があるということにはならない。


名称

英語: Tank(タンク)
イギリスで作られた世界最初の戦車は、当初「水運搬車(Water Carrier)」という秘匿名称が付けられていた。イギリスでは委員会をその頭文字で呼ぶ風習があり、戦車開発のために委員会が設置されたが「W.C.(便所)委員会」では都合が悪かった。そこで「T.S.(Tank Supply=水槽供給)委員会」と呼ぶことにした。これにより戦車は「タンク」と呼ばれるようになり、のちに正式名称になった。この語源については「戦車を前線に輸送する際に偽装として『ロシア向け水タンク』と呼称した」など諸説あるものの、以後戦車一般の名称として定着した。
日本語: 戦車(せんしゃ)
もともと戦車という言葉は、中国同様に漢文中の戦車を意味していたが、日本史上ではほとんど使われたことが無い兵器だった。近代戦車については1917年(大正6年)の陸軍省調査書において『近迫戦に専用する「タンク」と称するものあり』と記され、1918年(大正7年)に日本陸軍へ導入された当初は英語のtankをそのまま音写して「タンク」あるいは装甲車と呼んでいたが、程なくして戦車と呼ばれるようになった。はっきりとした時期は定かでないが、1922年(大正11年)発行の論文中に戦車の訳語が登場する。また陸軍の会合の席上である大尉が思いつきで戦車と呼ぶのはどうかと提案したところ、その場の皆の賛同を得て受けいれられたという話もある。1925年(大正14年)陸軍歩兵学校制作の「歩兵操典草案」では兵卒向けの心得の中で戦車という語を用いつつ「一般にタンクと称する」と説明し、一般向けの冊子と思われる「学校案内」においても同様な表現を用いている。第二次世界大戦後に発足した自衛隊は当初、戦車という軍事用語を忌避して「特車」と呼称していたが、1962年(昭和37年)1月からは「戦車」と呼ばれるようになった。
中国語: 坦克(タンク)
一方、 中国語では「戰車」は古代戦車を意味する。近代戦車は tank を音写して「坦克」と呼んでいる。ただし、台湾では日本語と同様に「戰車」と呼んでいる。
朝鮮語: 전차(チョンチャ/南)または땅크(タンク/北)
大韓民国では、日本語と同様に古代戦車・近代戦車ともに「전차(戰車)」の語を用いるが、緊圧茶(磚茶)や電車(電気機関車)も同じ表記である。外来語として英語の tank を音写した語の表記は탱크(テンク)である。 北朝鮮では、ロシア語の танк を音写した「땅크」と呼ぶ。
ドイツ語: Panzer(パンツァー)
ドイツ語では Panzerkampfwagen(装甲・戦闘・車輌)の略称として Panzer(パンツァー)が一般的である。英語上ではPanzerは「ドイツの戦車」全般を意味する語として取り入れられている。元来ドイツ語でPanzer は装甲という意味で、英語の Armour / Armor と同様に、かつては中世騎士などが身につけた金属製の甲冑・を意味し、Panzergrenadier(装甲擲弾兵)などはこちらの用法から来ている。現代ではPanzerは装甲戦闘車両(戦車)の意味で使われる事が多いので、旧来の鎧はRüstungと呼んで区別されることが増えた。但し、日本語では装甲戦闘車輌としてのPanzerでも、例えばPanzerdivisionは「戦車師団」ではなく「装甲師団」や「機甲師団」と訳される。また、パンツァーファウストのように原語をそのまま音写するのが一般的な言葉もある。現代のドイツ軍でもパンツァーファウストの名前を受け継いだ後継兵器を使用しており、そのうちパンツァーファウスト3を日本の自衛隊が110mm個人携帯対戦車弾として採用している。そのため日本の公文書中にもパンツァーファウストの文字を見て取れる。
ヘブライ語: טנק‎(タンク)
ヘブライ語では近代戦車のことを、英語の「Tank」をヘブライ文字に置き換えた「טנק」(タンク)と表記する。なお古代戦車(チャリオット)は「מרכבה」(メルカバ)と呼ばれ、イスラエルの主力戦車の名称ともなっている。
フランス語: Char de combat(シャール・ド・コンバ)
フランス語では戦車のことを「Char」(シャール)と呼ぶが、もともとこの語は古代戦車(チャリオット)を指す名称であるため、近代戦車を指す際には「Char de combat」(シャール・ド・コンバ、直訳で「戦闘戦車」)と表記される。「char de bataille」(シャール・ド・バタイユ)や「char d'assaut」(シャール・ダッソー)とも表記される。
イタリア語: Carro armato(カルロ・アルマート)
直訳で「装甲車輌」。単に「Carro」(カルロ)とも。
ロシア語: Танк(タンク)
英語の「Tank」をキリル文字に置き換えたもの。

制式名称と愛称

戦車の名称は、兵器としての制式名称と、軍や兵士達によって付けられた愛称とに大別される。愛称については配備国により慣例が見られる。アメリカは軍人の名前から(もともとは供与元のイギリス軍による命名則)、ドイツは動物の名前、ソ連・ロシアの対空戦車は河川名にちなんでいる。イギリスの巡航 (Cruiser) 戦車や主力戦車では「C」で始まる単語が付けられている。日本は旧軍では皇紀、自衛隊では西暦からきた制式名で呼ばれ、前者の場合、カテゴリーや開発順を表す秘匿名称(例・チハ…チ=中戦車のハ=いろは順の三番目)もつけられていた。

歴史

概観

リトル・ウィリー(1915年)

戦車は第一次世界大戦時に、歩兵の突撃を支援して膠着した塹壕線の突破を目的とする、歩兵支援兵器として登場した。戦間期から第二次世界大戦にかけて運用方法が各国で研究され、その過程で武装、重量、装甲厚や機動性などの違いによる多種多様な形態の戦車が作られ、歩兵の突撃を支援する歩兵戦車、多目的の中戦車、重武装で重装甲の重戦車、機動性重視の軽戦車巡航戦車空挺戦車水陸両用戦車といった多数の種類が登場した。

第二次大戦では陸上戦闘の主役となり、多くの戦訓をもとに戦車の運用法が大きく進歩し、戦車のみの部隊による集中運用方式の有効性が立証され、機甲部隊による運用方式が確立された。また生産性の問題から、いったん増えた戦車の種類も単一機種で多目的な用途をこなせる主力戦車(: main battle tankMBT)に集約されはじめた。第二次世界大戦後は数次の中東戦争などの戦訓を経て、21世紀初頭現在各国の戦車編成は、一種類の主力戦車にほぼ統合されている。

第一次世界大戦

黎明期

ソンムの戦いに展開するマークI戦車「雄型」
第一次世界大戦の戦車(1927年)

近代工業化による内燃機関の発達にあわせて、第一次世界大戦前より各国でのちに戦車と呼ばれる車輌の構想が持たれるようになっていたが、技術的限界から実現されることはなかった。

第一次世界大戦で主戦場となったヨーロッパではドイツの西部において大陸を南北に縦断する形で塹壕が数多く掘られいわゆる西部戦線を形成した。戦争開始からそれほど間をおかずに巧妙に構築された塹壕線、機関銃陣地、有刺鉄線による鉄条網が施されることとなり防御側の絶対優位により、生身で進撃する歩兵の損害は激しく、戦闘は膠着することとなった。対峙する両軍は互いに激しい砲撃の応酬を行ったため、両軍陣地間にある無人地帯は土がすき返され、砲弾跡があちらこちらに残る不整地と化して初期の装甲車など装輪式車両の前進を阻んでいた。これらの閉塞状況を打破するため、歩兵と機関銃を敵の塹壕の向こう側に送り込むための新たな装甲車両が求められた。

このとき注目されたのが、1904年に実用化されたばかりのホルトトラクターであった。これはアメリカのホルト社、現在のキャタピラー社が世界で最初に実用化した履帯式のトラックで、西部戦線での資材運搬や火砲の牽引に利用されていた。このホルトトラクターを出発点に、イギリス、フランスなどが履帯によって不整地機動性を確保した装軌式装甲車両の開発をスタートさせた。

イギリスではアーネスト・ダンロップ・スウィントン陸軍中佐がホルトトラクターから着想を得て機関銃搭載車として用いることを考えたが、このアイディアは実現されなかった。その一方、飛行場警備などに装甲自動車中隊を運用していたイギリス海軍航空隊のマーレー・スウェーター海軍大佐が陸上軍艦 (Landship) の提案を行った。1915年3月、この海軍航空隊の提案を受けて、当時海軍大臣であったウィンストン・チャーチルにより、海軍設営長官を長とする「陸上軍艦委員会」が設立され、装軌式装甲車の開発が開始された。

陸上軍艦委員会による幾つかのプロジェクトののち、フォスター・ダイムラー重砲牽引車なども参考にしつつ、1915年9月に「リトル・ウィリー」を試作した。リトル・ウィリー自体は、塹壕などを越える能力が低かったことから実戦には使われなかったが、のちのマーク A ホイペット中戦車の原型となった。リトル・ウィリーを反省材料とし、改良を加えられた「マザー (Mother)」(ビッグ・ウィリー)が1916年1月の公開試験で好成績を残し、マーク I 戦車の元となった。

マーク I 戦車が初めて実戦に投入されたのは1916年9月15日ソンムの戦いの中盤での事だった。

世界初の実戦参加であったソンム会戦でマーク I 戦車は局地的には効果を発揮したものの、歩兵の協力が得られず、またドイツ軍の野戦砲の直接照準射撃を受けて損害を出した。当初想定されていた戦車の運用法では大量の戦車による集団戦を行う予定であった。しかしこのソンムの戦いでイギリス軍は49両戦車を用意し、稼働できたのは18両、そのうち実際に戦闘に参加できたのは5両だけだった。結局、膠着状態を打破することはできずに連合国(協商国)側の戦線が11kmほど前進するにとどまった。

その後、1917年11月20日カンブレーの戦いでは世界初となる大規模な戦車の投入を行い、300輌あまりの戦車による攻撃で成功を収めた。その後のドイツ軍の反撃で投入した戦車も半数以上が撃破されたが、戦車の有用性が示された攻撃であった。第一次世界大戦中にフランス、ドイツ等も戦車の実戦投入を行ったものの、全体として戦場の趨勢を動かす存在にはなり得なかった。

発展

フランスのルノーFT-17 (1917〜1949年)
戦間期に開発されたソ連の多砲塔戦車T-35重戦車(1934年)

初めて「戦車」としての基本形を整えたのは第一次大戦中に登場したフランスのルノーFT-17という軽戦車であった。

FT-17は、それまでの車台に箱型の戦闘室を載せる形ではなく、直角に組み合わせた装甲板で車体を構成し、横材となる間仕切りで戦闘室とエンジン室を分離することでエンジンの騒音と熱気から乗員を解放した。小型軽量な車体と幅広の履帯、前方に突き出た誘導輪などによって優れた機動性を備えており、全周旋回砲塔は良好な視界と共に1つの砲で360度の射界を持っていた。

FT-17は3,000輛以上生産され、当時もっとも成功した戦車となった。第一次世界大戦後には世界各地に輸出され、輸出先の国々で最初の戦車部隊を構成し、また初期の戦車設計の参考資料となった。

第一次世界大戦から第二次世界大戦の間、各国は来るべき戦争での陸戦を研究し、その想定していた戦場と予算にあった戦車を開発することとなった。敗戦国ドイツも、ヴェルサイユ条約により戦車の開発は禁止されたものの、農業トラクターと称してスウェーデンで戦車の開発、研究を行い、また当時の国際社会の外れ者であるソ連と秘密軍事協力協定を結び、赤軍と一緒にヴォルガ河畔のカザンに戦車開発研究センターを設けた。

第一次世界大戦中から第二次世界大戦直前までに開発された戦車は、第一次世界大戦において対歩兵戦闘に機関銃が大いに活躍したことから機関銃を主武装にするものが多く見られた。これは当初、想定された戦場が塹壕戦であったためであるが、第二次世界大戦初期には砲を主武装にした戦車に移行した。

第二次世界大戦

第二次世界大戦で連合軍を恐れさせたティーガーI(1943年)
三式中戦車大日本帝国陸軍
クルスクの戦い、戦車戦が第二次大戦中最大の戦車戦(1943年7月4日 〜 8月27日)
M4中戦車イタリア戦線(1944年)

第二次世界大戦中を含め、各国において開発されたものは巡航戦車歩兵戦車多砲塔戦車豆戦車軽戦車中戦車重戦車など多岐にわたった。これは戦車の運用に対する様々な戦術が新たに研究・提案された結果ではあったが、その多くは一長一短があった。

第二次世界大戦では、戦術的に、戦車を中心に、それを支援する歩兵、砲兵など諸兵科を統合編成した機甲師団対フランス戦においてその威力を発揮し、戦車は陸戦における主力兵器としての価値を証明した。

この事実を重く受け止めた各国は、戦車の改良と増産に着手し陸軍の改変をすすめることになる。ドイツでは独ソ戦におけるT-34ショックは、海軍艦艇における戦艦ドレッドノート」の出現による既存・計画艦艇の陳腐化と同様の衝撃をもって受け止められ、独ソ間でのシーソーゲームは急速な戦車の発展及び対戦車兵器の開発を推し進める原動力となった。東部戦線で恐竜的な進化を遂げた独戦車は、西部戦線で戦った米英軍の戦車より性能で優越することになる。しかしアメリカの戦車は量産性が高く、アメリカの高い工業力とあいまって大量の戦車を生産することができた(M4中戦車だけで5万両以上)。しかもM4中戦車は機械的な信頼性が高く、アメリカ軍の高い兵站能力とあいまって、多数の戦車を戦線に配置することができた。これによりアメリカ軍は数の優越で、質の劣勢を補うことができた。

なお、用途に応じた戦車として、偵察戦車指揮戦車駆逐戦車火炎放射戦車対空戦車架橋戦車回収戦車水陸両用戦車地雷処理戦車空挺戦車などが存在した。これらの殆どは、既存の戦車の車体や走行装置を流用して製作された。

冷戦期 - 現代

T-72Б3 (T-72B3)。(1971年)

第二次世界大戦後第1世代の中戦車(第1世代主力戦車)は、アメリカではM36/41 90mmライフル砲、イギリスではオードナンス QF 20ポンド砲、ソビエトではD-10T 100mmライフル砲を搭載して開発された。しかし欧州正面では、東西双方の陣営がより重武装、重装甲のコンカラーM103あるいはIS-3T-10などの重戦車を並行配備していた。また、M24やその後継であるM41といった軽戦車もその機動力によって偵察などの任務に不可欠であると認識されていた。

1960年代半ばまではこの軽戦車・中戦車・重戦車という区分が軍事作戦上の意味を持っていたが、センチュリオン用に開発されたL7 105mm砲を装備する第二次世界大戦後第2世代の戦車(第2世代主力戦車)が十分な火力と機動力を得たことから、重量とアンダーパワーによる運用の不自由さを持つ重戦車や、貧弱な武装と装甲しか持たない軽戦車、あるいは自走化された対戦車砲である駆逐戦車は存在意義を失っていった。

第二次世界大戦戦後第2世代の戦車(第2世代主力戦車)が従来の軽戦車や重戦車の任務を統合していくなかで、従来の中戦車のみが主戦力として生き残り、その運用要求から第二次世界大戦戦後第3世代の戦車(第3世代主力戦車)が開発されるに及んで、生産や配備、編制上での「主力」ではない、あらゆる局面において活用される戦車としての「主力戦車」 (MBT) の概念が完成したとも言える。また、この過程において軽戦車や歩兵戦車などが果たしていた役割を担うための車輌として、歩兵戦闘車のような主力戦車よりも軽量の戦闘車輌が多数生み出された。

第二次世界大戦後の戦車の開発には、東西の冷戦が大きく影響している。双方で主にヨーロッパにおける地上戦を想定した軍備拡張が行われ、その中心である戦車の能力は相手のそれを上回る事が必須条件であった。そのため、ソ連を中心とする東側諸国が新戦車を開発すると、その脅威に対抗すべく米欧の西側諸国も新戦車を開発するというサイクルが繰り返された。その結果、大きく下記の様に世代分類されている。米ソが直接交戦する事態こそ無かったものの、朝鮮中東ベトナムなどでの代理戦争において、双方の戦車が対峙する事となった。

イスラエルとアラブ諸国が争った中東戦争ではしばしば(第一次中東戦争は歩兵支援にとどまったが)大規模な戦車戦が繰り広げられた。特に1973年10月に勃発した第四次中東戦争ではアラブ側・イスラエル側併せて延べ7,000輌(イスラエル約2,000輌、エジプト2,200輌、シリア1,820輌、その他アラブ諸国約890輌)の戦車が投入され、シナイ半島、ゴラン高原において複数の西側製戦車(センチュリオンショット」、M48パットン/M60パットンマガフ」など)とソ連製戦車 (T-54/55T-62、なおイスラエル軍も「Tiran-4/5/6」として使用)が正規戦を行った。シナイ方面で行われた10月14日の戦車戦クルスク大戦車戦以来最大の規模となり、また対戦車ミサイルが大規模に投入され戦車にとって大きな脅威となった事から、以後の戦車開発に戦訓を与えた。

なお、東側がソ連・ロシア製戦車の調達で統一されていたのに対して、西側においても開発費・調達費削減などの目的で競作や共同開発による戦車の共通化が幾度か試みられたが(レオパルト1AMX-30の競作、MBT-70の共同開発など)、各国の戦術思想の違いや自国企業への利益誘導などによる仕様要求の不一致からいずれも失敗に終わっており、主砲などの装備レベルでのデファクトスタンダードに留まっている。

第1世代主力戦車

第1世代
センチュリオン(1945〜1963年)
90mm砲(西側)、100mm砲(東側)を搭載し、丸型の鋳造砲塔を持つ。基本的に第二次世界大戦時の戦車の後継・発展型がほとんどである。ジャイロ式砲身安定装置により走行中の射撃も可能である。
センチュリオンT-54/55M48パットン61式戦車などが相当


第2世代主力戦車

第2世代
レオパルト1(1965〜1984年)
西側はイギリス製のロイヤル・オードナンスL7などの105mm ライフル砲を搭載(チーフテンのみ120mm砲)、東側は115mm滑腔砲を搭載し、より避弾経始に優れた亀甲型形状の鋳造砲塔と、アクティブ投光器による暗視装置を持ち、夜戦能力を得た。
対戦車ミサイルが発達し、随伴歩兵による携帯用対戦車兵器を持つ敵歩兵部隊の掃討がより重要となったことは歩兵戦闘車の開発を加速し、戦車部隊と機械化歩兵部隊がともに行動する戦術がより重視されることとなった。実戦で、歩兵部隊の対戦車ミサイルが大きな威力を発揮したことから「戦車不要論」(機動を防御力とする考え方)が生まれるなど、戦車の防御力が攻撃力に対し立ち遅れていた時代でもあった。
M60パットンT-62T-64レオパルト1Strv.103チーフテンAMX-30などが相当


第2.5世代
T-72(2007年)
120mm級の火砲を搭載し、当時まだ珍しかった複合装甲を採用し、軽量化に裏づけされた機動性等、走・攻・守のバランスに優れたソ連の新戦車T-72の登場は西側に脅威を与え、 第3世代主力戦車開発の起爆剤となった。一方、イスラエル初の国産戦車メルカバは中東戦争の教訓と乗員保護重視の思想を反映した独自の設計と、初陣でT-72を破った事で注目を集めた。ただし中東戦争で使われたT-72は性能を落とした輸出型、いわゆるモンキーモデルであった上に乗員の練度や運用にも問題があったとされ、依然としてソ連製戦車は西側に脅威を感じさせていた。
先進国の多くは主力戦車を第3世代、3.5世代主力戦車に更新しているが、それ以外の国の多くではT-72などの第2.5世代主力戦車が採用されている。これは第3世代主力戦車と比べコストが低く、重量も軽量なため、道路などのインフラの未熟な国でも運用できることが大きい。そのため市場価値が未だ大きく、旧共産圏の国々では新規生産と改良が継続されている。
T-7274式戦車レオパルト1A1メルカバCM11K196式戦車などが相当


第3世代主力戦車

第3世代
日本90式戦車(1990年)
西側はドイツのラインメタル社製120mm L44などの滑腔砲を搭載し、複合装甲の導入による平面的なスタイルが特徴。パッシブ型(投光器で光を照射するアクティブ型と違い、敵の発した光を受容する)の暗視装置を持つ。東側は対戦車ミサイルも発射可能な125mm 2A46を搭載し、防御面では複合装甲と爆発反応装甲を併用している。
M1エイブラムスチャレンジャー1レオパルト2T-8090式戦車98式戦車アリエテなどが相当


ポスト第3世代主力戦車

第3.5世代
冷戦終結に伴う軍事的緊張の緩和と軍事費削減、重量の限界などで「第4世代主力戦車」の登場前に、第3世代主力戦車のアップグレードが図られた。モジュール装甲の導入のほか、トップアタック機能がある対戦車ミサイルなどの上方からの攻撃への考慮。火砲の長砲身化等による威力の向上。車間情報システムの搭載によるC4I化が図られている。
改修開発
M1A2エイブラムス(1992年)
既存の戦車を改修によりアップグレードがなされ、延命が図られている。火砲の換装や装甲の追加・改善、暗視装置など電子機器の改良がなされているが、重量が増加し概ね3トン以上、最大で約10トン増加している。
M1A2エイブラムスチャレンジャー2レオパルト2A5T-84T-90AM99式戦車などが相当


新規開発
メルカバMk.4(2004年)
上記にように緊張の
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2019/01/11 07:27

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