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戦車とは?

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(2018年12月)

T-54(2017年)
T-72(2014年)
レオパルト2(2015年)

戦車(せんしゃ、: tank)は、火砲および自動火器を備え、無限軌道により道路以外を走行する能力と、特殊鋼板製の装甲による防護力とを備えた車両。第一次世界大戦で初めて登場し、第二次世界大戦では地上の戦闘で中心的な役割を果たす兵器となった。

概要

戦車は一般に、履帯(キャタピラ)を備え、これにより不整地(舗装道路以外の場所、オフロード)でも行動することができる。主たる武装として強力な火砲(戦車砲、「備砲」)を備え、旋回砲塔を装備して砲の向きを変えることができ(ごく初期のものや一部の例外を除く)、これにより敵の陣地・戦車・車輌等々を攻撃できる。副武装として主に機関銃を装備し、これにより歩兵群や非装甲車輌なども制圧できる。防御のためには主に鋼板製の装甲を備え、これにより敵からの小銃機関銃などでの攻撃に耐える。

戦車は分類上は陸戦兵器のうち装甲戦闘車両の一種である、ということになる。しかし戦車は戦う車輌の総称ではなく、自走砲装甲車などとは区別される。何をもって戦車と定義するかは曖昧な部分もあり、また時代地域によって変化する。21世紀初頭現在では次のように要約できる。

  1. 走行装置が無限軌道(履帯、キャタピラ)であること
  2. 防御について、戦線を突破できるだけの防御力を持つ。具体的には、主に特殊鋼板製の装甲で覆われている。
  3. 攻撃力について、戦車をはじめとする敵装甲戦闘車両を待ち伏せでなく積極的に砲撃し、撃破できること。全周旋回可能かつ全面を装甲化した砲塔を有すること。

1の走行装置ついては#走行装置の節で詳説、2の防御については#装甲の節で詳説 、3の攻撃力については#兵装の節で詳説する。

ただし、上記の条件全てを満たさなくても、保有する側が戦車と呼べば戦車扱いされる可能性もある。例えばスウェーデンのStrv.103は上記のような旋回砲塔を持たず、大戦中の駆逐戦車や対戦車自走砲のような形状の車輛であるが、その開発・運用目的・戦闘能力から、スウェーデン軍では主力戦車として配備されていた。

現代の正規戦に通用する戦車は、製造に高い技術が求められるうえに部品点数も多く、日本では「戦車は千社」という諧謔があるほど、生産ラインの維持には層の厚い産業が必要である。そのような事情もあって、現在自国で戦車の開発と生産ができる国家は10に満たないと言われる。

名称

英語: Tank(タンク)
イギリスで作られた世界最初の戦車は、当初「水運搬車(Water Carrier)」という秘匿名称が付けられていた。戦車開発のために、リヴェンジ級戦艦ネルソン級戦艦の設計を手掛けたユースタス・テニソン・ダインコートを委員長とした委員会が設置されたが、英国陸軍連絡将校スウィントン大佐が「W.C.(便所)委員会」では都合が悪いと異論を唱えた 。そこで「T.S.(Tank Supply=水槽供給)委員会」と呼ぶことにした。これによりイギリスでは戦車は通称で「tank タンク」(≒水槽)という言葉で呼ばれるようになり、のちに英語圏での正式名称になった。この語源については「戦車を前線に輸送する際に偽装として『ロシア向け水タンク』と呼称した」など諸説あるものの、以後戦車一般の名称として定着した。
日本語: 戦車(せんしゃ)
もともと戦車という言葉は、中国同様に漢文中の戦車を意味していたが、日本史上ではほとんど使われたことが無い兵器だった。近代戦車については1917年(大正6年)の陸軍省調査書において『近迫戦に専用する「タンク」と称するものあり』と記され、1918年(大正7年)に日本陸軍へ導入された当初は英語のtankをそのまま音写して「タンク」あるいは装甲車と呼んでいたが、程なくして戦車と呼ばれるようになった。はっきりとした時期は定かでないが、1922年(大正11年)発行の論文中に戦車の訳語が登場する。また陸軍の会合の席上である大尉が思いつきで戦車と呼ぶのはどうかと提案したところ、その場の皆の賛同を得て受けいれられたという話もある。1925年(大正14年)陸軍歩兵学校制作の「歩兵操典草案」では兵卒向けの心得の中で戦車という語を用いつつ「一般にタンクと称する」と説明し、一般向けの冊子と思われる「学校案内」においても同様な表現を用いている。第二次世界大戦後に発足した警察予備隊(後の自衛隊)は当初、戦車という軍事用語を忌避して「特車」と呼称していたが、1962年(昭和37年)1月からは「戦車」と呼ばれるようになった。
中国語: 坦克(タンク)
一方、 中国語では「戰車」は古代戦車を意味する。近代戦車は tank を音写して「坦克」と呼んでいる。ただし、台湾では日本語と同様に「戰車」と呼んでいる。
朝鮮語: 전차(チョンチャ/南)または땅크(タンク/北)
大韓民国では、日本語と同様に古代戦車・近代戦車ともに「전차(戰車)」の語を用いるが、緊圧茶(磚茶)や電車(電気機関車)も同じ表記である。外来語として英語の tank を音写した語の表記は탱크(テンク)である。 北朝鮮では、ロシア語の танк を音写した「땅크」と呼ぶ。
ドイツ語: Panzer(パンツァー、パンヅァー)
ドイツ語では Panzerkampfwagen(装甲・戦闘・車輌)の略称として Panzer(パンツァー)が一般的である。英語上ではPanzerは「ドイツの戦車」全般を意味する語として取り入れられている。元来ドイツ語でPanzer は装甲という意味で、英語の Armour / Armor と同様に、かつては中世騎士などが身につけた金属製の甲冑・を意味した。現代ではPanzerは装甲戦闘車両(戦車)の意味で使われる事が多いので、旧来の鎧はRüstung(武具、武装)と呼んで区別されることが増えた。但し、日本語では装甲戦闘車輌としてのPanzerでも、例えばPanzerdivisionは「戦車師団」ではなく「装甲師団」や「機甲師団」、Panzergrenadierも装甲擲弾兵と訳される。また、パンツァーファウスト擲弾発射筒のように原語をそのまま音写するのが一般的な言葉もある。現代のドイツ軍でもパンツァーファウストの名前を受け継いだ後継兵器を使用しており、そのうちパンツァーファウスト3を日本の自衛隊が110mm個人携帯対戦車弾として採用している。そのため日本の公文書中にもパンツァーファウストの文字を見て取れる。
ヘブライ語: טנק‎(タンク)
ヘブライ語では近代戦車のことを、英語の「Tank」をヘブライ文字に置き換えた「טנק」(タンク)と表記する。なお古代戦車(チャリオット)は「מרכבה」(メルカバ)と呼ばれ、イスラエルの主力戦車の名称ともなっている。
フランス語: Char de combat(シャール・ド・コンバ)
フランス語では戦車のことを「Char」(シャール)と呼ぶが、もともとこの語は古代戦車(チャリオット)を指す名称であるため、近代戦車を指す際には「Char de combat」(シャール・ド・コンバ、直訳で「戦闘戦車」)と表記される。「char de bataille」(シャール・ド・バタイユ、戦う戦車)や「char d'assaut」(シャール・ダッソー、突撃戦車)とも表記される。
イタリア語: Carro armato(カルロ・アルマート)
直訳で「装甲車輌」。単に「Carro」(カルロ)とも。
ロシア語: Танк(タンク)
英語の「Tank」をキリル文字に置き換えたもの。

制式名称と愛称

戦車の名称は、兵器としての制式名称と、軍や兵士達によって付けられた愛称とに大別される。愛称については配備国により慣例が見られる。アメリカは軍人の名前から(もともとは供与元のイギリス軍による命名則)、ドイツは動物の名前、ソ連・ロシアの対空戦車は河川名にちなんでいる。イギリスの巡航 (Cruiser) 戦車や主力戦車では「C」で始まる単語が付けられている。日本は旧軍では皇紀、自衛隊では西暦からきた制式名で呼ばれ、前者の場合、カテゴリーや開発順を表す秘匿名称(例・チハ…チ=中戦車のハ=いろは順の三番目)もつけられていた。

歴史

第一次世界大戦

ソンムの戦いに展開するマークI戦車「雄型」
第一次世界大戦の戦車(1927年)

近代工業化による内燃機関の発達にあわせて、第一次世界大戦前より各国でのちに戦車と呼ばれる車輌の構想が持たれるようになっていたが、技術的限界から実現されることはなかった。

第一次世界大戦で主戦場となったヨーロッパではドイツの西部において大陸を南北に縦断する形で塹壕が数多く掘られいわゆる西部戦線を形成した。戦争開始からそれほど間をおかずに巧妙に構築された塹壕線、機関銃陣地、有刺鉄線による鉄条網が施されることとなり防御側の絶対優位により、生身で進撃する歩兵の損害は激しく、戦闘は膠着することとなった。対峙する両軍は互いに激しい砲撃の応酬を行ったため、両軍陣地間にある無人地帯は土がすき返され、砲弾跡があちらこちらに残る不整地と化して初期の装甲車など装輪式車両の前進を阻んでいた。これらの閉塞状況を打破するため、歩兵と機関銃を敵の塹壕の向こう側に送り込むための新たな装甲車両が求められた。

第一次世界大戦では、対峙する軍隊がたがいに塹壕を掘り合い、将兵がそこに身を隠した状態で小銃・機関銃や火砲などを撃ちあって戦い、自陣の前には敵兵が容易に侵入できないように鉄条網などの障害物まで敷設されるようになった。歩兵や騎兵が旧来のような突撃を試みても、彼我の中間に広がる無人地帯では身を隠すこともできず、無防備なまま銃砲撃を受けて撃退されてしまった。こうした情勢が原因で戦線がすっかり膠着してしまい、一方が圧倒的に優勢になって戦線が一気に動くこともなく、何カ月もにもわたって決着がつかないまま、死傷者の数ばかりが大幅に増えることになってしまった。このように膠着してしまった戦線を突破するために考え出されたのが、戦車である。つまり戦車は当初、歩兵が塹壕から出て敵陣へ突撃する時に、彼等が敵の小銃や機関銃などの的になってしまわないように一種の移動する「壁」のようになり、同時に搭載した銃砲で敵陣を制圧する「歩兵支援兵器」として登場したのである。

このとき注目されたのが、1904年に実用化されたばかりのホルトトラクターであった。これはアメリカのホルト社(現キャタピラー社)が世界で最初に実用化した履帯式のトラックで、西部戦線での資材運搬や火砲の牽引に利用されていた。このホルトトラクターを出発点に、イギリス、フランスなどが履帯によって不整地機動性を確保した装軌式装甲車両の開発をスタートさせた。

イギリスではアーネスト・ダンロップ・スウィントン陸軍中佐がホルトトラクターから着想を得て機関銃搭載車として用いることを考えたが、このアイディアは実現されなかった。その一方、飛行場警備などに装甲自動車中隊を運用していたイギリス海軍航空隊のマーレー・スウェーター海軍大佐が陸上軍艦 (Landship) の提案を行った。1915年3月、この海軍航空隊の提案を受けて、当時海軍大臣であったウィンストン・チャーチルにより、海軍設営長官を長とする「陸上軍艦委員会」が設立され、装軌式装甲車の開発が開始された。

陸上軍艦委員会による幾つかのプロジェクトののち、フォスター・ダイムラー重砲牽引車なども参考にしつつ、1915年9月に「リトル・ウィリー」を試作した。リトル・ウィリー自体は、塹壕などを越える能力が低かったことから実戦には使われなかったが、のちのマーク A ホイペット中戦車の原型となった。リトル・ウィリーを反省材料とし、改良を加えられた「マザー (Mother)」(ビッグ・ウィリー)が1916年1月の公開試験で好成績を残し、マーク I 戦車の元となった。

マーク I 戦車が初めて実戦に投入されたのは1916年9月15日ソンムの戦いの中盤での事だった。

世界初の実戦参加であったソンム会戦でマーク I 戦車は局地的には効果を発揮したものの、歩兵の協力が得られず、またドイツ軍の野戦砲の直接照準射撃を受けて損害を出した。当初想定されていた戦車の運用法では大量の戦車による集団戦を行う予定であった。しかしこのソンムの戦いでイギリス軍は49両戦車を用意し、稼働できたのは18両、そのうち実際に戦闘に参加できたのは5両だけだった。結局、膠着状態を打破することはできずに連合国(協商国)側の戦線が11kmほど前進するにとどまった。

その後、1917年11月20日カンブレーの戦いでは世界初となる大規模な戦車の投入を行い、300輌あまりの戦車による攻撃で成功を収めた。その後のドイツ軍の反撃で投入した戦車も半数以上が撃破されたが、戦車の有用性が示された攻撃であった。第一次世界大戦中にフランス、ドイツ等も戦車の実戦投入を行ったものの、全体として戦場の趨勢を動かす存在にはなり得なかった。

フランスのルノーFT-17 (1917〜1949年)
戦間期に開発されたソ連の多砲塔戦車T-35重戦車(1934年)

初めて「戦車」としての基本形を整えたのは第一次大戦中に登場したフランスルノーFT-17という軽戦車であった。

それまでの戦車は砲の死角を低火力な機関銃で補うか重量が嵩む砲を複数搭載したが、FT-17は360度旋回する砲塔を装備し砲の死角を無くした。また、それまでの戦車は車内でエンジンを点検する機関手が搭乗していたがエンジンの騒音と熱気が乗員を苦しめていたことからFT-17では隔壁で戦闘室と機関室を分離し、同時に機関手も廃止された。それまでの車台に箱型の戦闘室を載せる形ではなく、直角に組み合わせた装甲板で車体を構成し、小型軽量な車体と幅広の履帯、前方に突き出た誘導輪などによって優れた機動性を備えた。

FT-17は3,000輛以上生産され、当時もっとも成功した戦車となった。第一次世界大戦後には世界各地に輸出され、輸出先の国々で最初の戦車部隊を構成し、また初期の戦車設計の参考資料となった。

当時開発が盛んだった多砲塔戦車は多数の砲塔を装備するが重量の制約上から強力な主砲を装備することが不可能で、非力な砲が何門もあったところで戦力にならないため衰退した。

第一次世界大戦から第二次世界大戦の間、各国は来るべき戦争での陸戦を研究し、その想定していた戦場と予算にあった戦車を開発することとなった。敗戦国ドイツも、ヴェルサイユ条約により戦車の開発は禁止されたものの、農業トラクターと称してスウェーデンで戦車の開発、研究を行い、また当時の国際社会の外れ者であるソ連と秘密軍事協力協定を結び、赤軍と一緒にヴォルガ河畔のカザンに戦車開発研究センターを設けた。

戦車が出現した第一次世界大戦中は対戦車用の火砲は存在しない為、対歩兵用の機関銃に耐えられる程度の装甲で十分であり戦車自身の武装も機関銃だった。対戦車用の火砲が登場すると戦車自身の武装も火砲へ移行し装甲もより分厚くなっていき、第二次世界大戦直前には機関銃が主武装の戦車は廃れていった。

第二次世界大戦

第二次世界大戦で連合軍を恐れさせたティーガーI(1943年)
三式中戦車大日本帝国陸軍
クルスクの戦い、戦車戦が第二次大戦中最大の戦車戦(1943年7月4日 〜 8月27日)
輸送船から上陸するM4中戦車イタリア戦線(1944年)

戦間期に戦車の運用方法が各国で研究され、第二次世界大戦前には、戦術的に、戦車を中心に、それを支援する歩兵、砲兵など諸兵科を統合編成し、戦車を主戦力とする戦車連隊や機甲師団が編成され、対フランス戦においてその威力を発揮し、戦車は陸戦における主力兵器としての価値を証明した。

この事実を重く受け止めた各国は陸軍の改変をすすめ、各国で中戦車が大規模に配備されるようになり、中戦車の数が充実する様になるとそれまで主戦力だった軽戦車は二級兵力に成り下がり偵察や水陸両用戦車といった用途で使用された(中国の15式軽戦車のように現在でも製造・運用されている軽戦車も存在する)。

攻守ともに当時としては破格で8万両以上生産されたソ連のT-34は米英軍の戦車より質及び量で優越することになる。独ソ戦におけるT-34ショックは、海軍艦艇における戦艦ドレッドノート」の出現による既存・計画艦艇の陳腐化と同様の衝撃をもって受け止められ、独ソ間でのシーソーゲームは戦車の発展及び対戦車兵器の開発を推し進めた。また、T-34は避弾経始に優れた曲面形状の鋳造砲塔傾斜装甲を取り入れており、第2世代主力戦車(いわゆる第二次世界大戦後第2世代の戦車)まで、各国で避弾経始を意識した戦車設計が行われた。

自動車大国であったアメリカで開発されたM4中戦車は高度な自動車技術が応用されているため信頼性が高く、アメリカ軍の高い兵站能力によって5万両以上が生産された。75mm砲すら不足していたイギリスにとっては最良の戦車でありイギリスはレンドリースによってM4中戦車をアメリカからを受け取った。配備当初は数の優越で質の劣勢を補っていたがドイツ軍重戦車が活躍するようになるとそれに対抗できる強力な戦車が求められアメリカではM26重戦車(M3 90mmライフル砲搭載)が、イギリスでは重戦車相当のセンチュリオン重巡航戦車(オードナンス QF 17ポンド砲搭載)が開発され、更にセンチュリオンは歩兵戦車巡航戦車を統合した。また、これらの重戦車は車体に傾斜装甲を採用したことで重量の割に高い防御力を発揮した。

戦車においては長らく圧延鋼板リベット留めした構造が大半であったがリベットは被弾や付近での爆発による衝撃で千切れ飛び、車内の戦車兵や随伴歩兵が死傷する事故が相次いだ。また、留め具であるリベットを失った装甲板は脱落することもあった。戦地の部隊が鋼板や土嚢等を防護力を高めるための増加装甲として独自に取り付ける事例が多かった。一部の先進国では圧延鋼板を線で接合する溶接技術や鋳造鋼をボルトで接合する製法が採り入れられた。また、先進国の戦車は重装甲なため大出力なエンジンが必要だったが、航空機用エンジンが転用されることが多かった。

なお、用途に応じた戦車として、偵察戦車指揮戦車駆逐戦車火炎放射戦車対空戦車架橋戦車回収戦車水陸両用戦車地雷処理戦車空挺戦車などが存在した。これらの殆どは、既存の戦車の車体や走行装置を流用して製作された。

冷戦

センチュリオン(1945〜1963年)
M60(1960〜1984年)
T-72(1972年)
レオパルト2(1979年)

第1世代主力戦車は西側ではセンチュリオン、M26を発展させたM46パットンが登場し、東側ではそれらの西側中戦車に対抗してT-44を攻守共に強化したT-54(D-10T 100mmライフル砲搭載)が登場した。当時の西側中戦車は、かつては重戦車に分類されていたがソ連のT-10と同級のコンカラーM103ファイティングモンスターといったさらに強力な重戦車が開発され、相対的に中戦車へと成り下がった。

特徴として丸型の鋳造砲塔を持ち、ジャイロ式砲身安定装置により走行中の射撃も可能である。

第2世代主力戦車はイギリスで開発されたロイヤル・オードナンスL7 105mmライフル砲が西側戦車で広く採用された。東側では西側に先駆け滑腔砲(115mm滑腔砲)を搭載した。中戦車の重戦車化によって重戦車は存在意義を失い、中戦車があらゆる局面において活用される主力戦車(: main battle tankMBT)として生き残った。ただし、ソ連では高性能で高価なT-64及びT-80と、廉価版のT-62及びT-72という、重量による区別とは異なるハイローミックスの二本立てが存在した。また、自走化された対戦車砲である駆逐戦車は存在意義を失っていったが、軽戦車や歩兵戦車などが果たしていた役割を担うための車輌として、歩兵戦闘車のような主力戦車よりも軽量の戦闘車輌が多数生み出された。

対戦車ミサイルが発達し、随伴歩兵による携帯用対戦車兵器を持つ敵歩兵部隊の掃討がより重要となったことは歩兵戦闘車の開発を加速し、戦車部隊と機械化歩兵部隊がともに行動する戦術がより重視されることとなった。戦車の防御力が攻撃力に対し立ち遅れ、防御力を捨て機動力で戦車を守るという考え方が生まれ、「戦車不要論」が主流となった時代でもあった。

特徴として砲塔内容積と避弾経始を両立するため砲塔は横に広くなり、アクティブ投光器による暗視装置により夜戦能力を得た。

ソ連製のT-72は125mm 2A26の搭載、2層のガラス繊維材を装甲板で挟み込んだ複合装甲の採用、軽量化によって当時の戦車の中では走・攻・守いずれにおいても優れていた。一方、豊富な戦車戦経験と戦車の改造技術を持つイスラエル初の国産戦車メルカバはその独自の設計と、1982年レバノン内戦でT-72を破った事で注目を集めた。メルカバのM111 APFSDS弾はT-72が採用された当時の西側砲弾より強力でありメルカバより前に設計されたT-72がM111を想定した防御力を持っているはずもないためであるが、この戦訓を基にT-72の装甲強化モデルが開発され、依然としてソ連製戦車は西側に脅威を感じさせていた。

第3世代主力戦車は西側ではドイツでラインメタル L44 120mm滑腔砲が開発され一般化し、複合装甲(性質の異なる装甲素材を重ね合わせた装甲で単一素材の圧延鋼板装甲より強固とされる)を導入し、パッシブ型(投光器で光を照射するアクティブ型と違い、敵の発した光を受容する)の暗視装置を持つ。東側は対戦車ミサイルも発射可能な2A46を搭載し、防御面では複合装甲だけでなく箱状の爆発反応装甲を併用している。

ソ連戦車以外は砲塔が車体同様に溶接構造となり、T-80以外はレーザー測遠機を装備した

第1世代M46パットン、M47パットンM48パットン、T-54、T-55、センチュリオン、61式戦車などが相当
第2世代M60パットンT-62T-64レオパルト1Strv.103チーフテンAMX-30などが相当
第2.5世代T-7274式戦車レオパルト1A1メルカバCM1196式戦車などが相当
第3世代M1エイブラムスK1チャレンジャー1レオパルト298式戦車T-8090式戦車アリエテなどが相

現代

M1A2エイブラムス(1990年)
冷戦終結に伴う軍事的緊張の緩和と軍事費削減、更に東側の戦車開発を担ったソ連の分裂により戦車開発競争は旧東側、旧西側陣営でともに停滞した。次世代主力戦車の登場を前に、第3世代主力戦車をもとにポスト冷戦時代の紛争の戦訓や関連技術の進展を反映させた戦車群(第3.5世代主力戦車)が開発された。
着脱が可能で破損時の交換や新型装甲への換装が容易であるモジュール装甲(外装式と内装式がある)の導入のほか、トップアタック可能な対戦車ミサイルなどの上方からの攻撃への考慮。火砲の長砲身化等による威力の向上。戦闘部隊と司令部だけでなく戦闘部隊や戦闘車両同士においても相互に情報共有を行うシステムとして車間情報システムの搭載によるC4I化が図られている。また、戦車開発技術の獲得・維持、現用戦車の陳腐化、改修による能力向上の困難・費用対効果の悪さといった理由から緊張の緩和・軍事費削減等、戦車の新規開発は難しい環境にありながら、それでも以下の理由で戦車の新規開発が続けられている(ルクレールメルカバMk.410式戦車K2T-14などが相当)。
M1A2エイブラムスチャレンジャー2レオパルト2A599式戦車T-84T-90AMアルタイなどが相当(既存の戦車を改修によりアップグレードがなされ、延命が図られている。主砲、装甲、エンジン、光学機器や電子機器の改良がなされているが、重量が増加し概ね3トン以上、最大で約10トン増加している。)
世界の第3.5世代主力戦車の比較表
10式 M1A2 SEPV2 メルカバ Mk 4 レオパルト2A7 K2 T-14 99A式
画像  |  |  |  |  |  | 
開発形態 新規 | 改修 | 新規 | 改修 | 新規 | 改修
全長 9.42 m | 9.83 m | 9.04 m | 10.93 m | 10.0 m | 10.8 m | 10.2 m(推定)
全幅 3.24 m | 3.66 m | 3.72 m | 3.74 m | 3.60 m | 3.50 m | 3.40 m(推定)
全高 2.30 m | 2.37 m | 2.70 m | 3.03 m | 2.50 m | 3.30 m | 2.40 m(推定)
重量 約44 t | 約63.28 t | 約65 t | 約67 t | 約55 t | 約55 t | 約50 t(推定)
主砲 44口径120mm滑腔砲
(10式戦車砲)
 |  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2020/10/23 17:22

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