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指名打者とは?

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DH制なし(写真上)とDH制あり(写真下)のスコアボード。
指名打者はDHと表示されている。
(阪神甲子園球場)

指名打者(しめいだしゃ、: designated hitter)とは、米国メジャーリーグの公式ルール日本の公認野球規則(5.11)などにもとづき、野球の試合において攻撃時に投手に代わって打席に立つ、攻撃専門の選手のことをいう。DH(「ディーエイチ」。designated hitterの頭文字をとった略)や指名代打(しめいだいだ)ともいう。

ソフトボールの試合においては、任意の野手に代わって打席に立つ打撃専門の選手として指名選手(DP; designated playerの略)が認められており、指名選手はどの守備位置の選手にも適用可能 である。対して、DHは投手以外の野手に代わることは認められない。

概要

指名打者(以下DHと表記)は一切守備に就かず、本来投手が担うべき打撃を代行する事で、投手と攻守を分担。試合開始前にメンバーを発表する際には、投手以外の野手とともに打順が定められる。先発出場したDHは、相手チームの先発投手に対して、少なくとも一度、打席を完了(安打または四死球失策等により走者となる、またはアウトになる)しなければならない。ただし、DHの打順が来る前に相手チームの先発投手が交代した場合はこの義務はなくなる。

なお、チームは必ずしもDHを起用しなくても良いが、起用しなかった場合には、その試合途中からDHを起用することはできない。逆に、DHを試合中に解除して守備の9人のみにするというメンバー変更は可能である。このときも再度DHを起用することはできない。

メジャーリーグベースボール(以下、MLB)のアメリカン・リーグナショナル・リーグ日本プロ野球(以下、NPB)のパシフィック・リーグ、韓国の韓国野球委員会、台湾の中華職業棒球大聯盟、キューバのセリエ・ナシオナル・デ・ベイスボルなどのプロ野球リーグ、四国アイランドリーグplusベースボール・チャレンジ・リーグなどの独立リーグや社会人野球、日本の大学野球リーグ(一部の連盟を除く - 後述)、および日本中学硬式の「フレッシュリーグ」等で採用されており、国際試合においても採用されることが多くなっているが、それ以外の少年野球高校野球においては採用されていない。

DHには守備力は全く不要であり、打撃技術は秀逸だが守備能力に難のある選手や、長打力から専ら打撃を期待される外国人選手などの打撃専業化を目的として起用されることが多い。そのためコンタクト、パワー、選球眼を含めたトータル・パッケージを求められるが、中でも打線の中軸を担えるだけの破壊力が必需である。具体例としては、MLBにおいては1シーズン30本塁打OPS.900の両方をコンスタントにクリア出来れば一流と目される。また、負傷により守備力が落ちている選手、あるいは足腰に不安があるベテラン選手等の守備配置による体力消耗軽減を目的として起用されることも多い。特にMLBにおいては、レギュラー選手の疲労回避手段や軽負傷選手の負担軽減を目的として、普段は守備についている選手をDHとして起用する例がしばしば見られる。ただ、守備をこなしてから打席に入ることで打撃のリズムを作るのを良しとする選手は、DHとしての起用を嫌う場合がある。DH専門の選手は選手寿命が短くなるという説 もある。

これらのことから、NPBにおいて、現役生活で長年にわたり指名打者で起用され続けた日本人選手は、門田博光山崎武司石嶺和彦などわずかな例しか存在していない。

歴史

MLB

1972年、過度な投高打低状態にあったアメリカンリーグ(ア・リーグ)では12球団のうち9球団が年間観客動員数が100万人を割る状態であった。これを解消するためオークランド・アスレチックスのオーナーだったチャーリー・O・フィンリーらのアイディアによって、翌1973年よりア・リーグで初めてDH制が採用された。DHとして最初に打席に立ったのはニューヨーク・ヤンキースロン・ブルームバーグであった。

DH制制定以降のMLBではポール・モリターエドガー・マルティネスデビッド・オルティーズなどDHのスター選手も現れた。2004年、長年DHとして活躍したマルティネスの引退の際にア・リーグはこれを称え、年間最優秀指名打者賞をエドガー・マルティネス賞と改名する事を決定した(しかし2010年、マルティネスがアメリカ野球殿堂入りの対象者となった際には、野球記者の投票は36.2%しか集まらなかった)。同年1月に招集されたMLB特別委員会で、以後のMLBオールスターゲームではア・リーグ、ナショナルリーグ(ナ・リーグ)のどちらの本拠地での開催であってもDH制を採用することが決定した。

2020年からはナ・リーグでもDH制が導入されることになった。

NPB

当初、阪急ブレーブス高井保弘が代打で多くの本塁打をマークし、1974年毎日新聞にアメリカの記者の「あれだけの選手というのはもったいない、日本もアメリカに倣い指名打者制度を導入すべき」という趣旨のコラムが掲載されたことがきっかけで議論され、人気低迷にあえいでいたパシフィック・リーグがア・リーグの成功を参考に1975年から採用した。日本で最初にDHとして打席に立ったのは日本ハムファイターズ阪本敏三であった。採用初年度はリーグの平均打率(.247→.254)と投手の完投数(197→302)がそれぞれ向上し、平均試合時間の5分短縮にも成功したが、肝心の人気向上には繋がらなかった。

日本選手権シリーズでは1985年に初めて採用され、阪神タイガース弘田澄男が初めてDHとして打席に立ったセ・リーグ選手となった。このときは、隔年で全試合採用の年と全試合不採用の年とに分けるという方式がとられ、そのルールに従い、翌1986年は採用せずに実施された。その後、パ・リーグ本拠地球場での採用を毎年続けることに規定が改められ、1987年よりパ・リーグ代表チームの本拠地の試合で採用されている。

オールスターゲームでは1983年に初採用されたが、セントラル・リーグが投手を打席に立たせて最後まで抗議の意思を示したため1年で中断。その後セ・リーグが態度を軟化させて1990年からパ・リーグ所属チームの本拠地球場でのみ両リーグが採用するようになり、1993年から全試合に採用されている。

2005年に始まったセ・パ交流戦では日本シリーズの例に倣い、当初からパ・リーグ所属チームの主催試合でのみこの制度が採用されている。なお2014年についてはセ・リーグ球団が主催する試合では指名打者を使い、パ・リーグ球団の主催では指名打者を適用しない9人制と通常とは異なる方式を採用して行われた(詳細後述)。

オープン戦は導入初年度の1975年は、パ・リーグ所属チーム同士の対戦でしか指名打者制は使えなかった(パ・リーグ所属チームの主催試合でも相手がセ・リーグ所属チームの時は使えなかった)が、2年目の1976年からは、パ・リーグ所属チームの主催試合であれば相手に関係なく使えるようになり、さらに1979年からはセ・リーグ所属チームの主催試合でも試合前に両監督の合意があれば、相手に関係なく(セ・リーグ所属チーム同士の対戦であっても)指名打者制が使えるようになった。

ファーム(二軍)の公式戦では、イースタン・リーグでは2008年までは一軍がパ・リーグに所属するチームのホームゲームのみで採用されていたが、2009年からは全チーム全試合で採用されるようになった。また、ウエスタン・リーグでも2013年より一軍がパ・リーグに所属するチームのホームゲームに加えて、阪神タイガースのホームゲームでも採用されるようになった。この結果、2013年以降は中日ドラゴンズ広島東洋カープのホームゲームを除いては全試合で指名打者制が採用されている。

二軍の教育リーグではオープン戦と同様にセ・リーグ同士のチームが対戦する場合も含めて採用されている。

日本の野球では、スコアボードに出場選手を表示する際、それぞれの選手に守備番号が付されるが、指名打者を起用する試合においては、投手は本来の「1」ではなく「P」と表示されることがある。また特にパネル式のスコアボードを採用している球場(2004年以前の宮城球場他)では、選手メンバー表の人数が9人しか掲示できないため、攻撃の時はその指名打者の選手、守備の時はその箇所に投手の氏名と表示を入れ替える場合がある他、過去の後楽園球場平和台野球場のように、チーム名を表示する箇所に投手名を掲示するパターンもあった。

金田正一はDH制が採用された1975年にロッテオリオンズの監督を務めていたが「1975年にDH制が採用された時は嫌だったな。投手交代こそ采配の妙味だ。投手に打順が回った時の代打の使い方もな。自分はそれがうまかったんだが、DH制度では持ち味が消されてしまうんだ」と述べている。

日本のアマチュア野球

日本の学生野球では、全日本大学野球選手権大会が1992年からDH制を採用した。これを受け、1994年秋から東都大学野球連盟が採用した。以後大半の連盟がこれを採用するに至ったが、東京六大学野球連盟関西学生野球連盟では採用されていない。また明治神宮野球大会では採用されていない。社会人野球では都市対抗野球大会が1989年で社会人野球日本選手権大会全日本クラブ野球選手権大会が1988年からDH制を採用した。

1991年から7年連続で開催された全日本アマチュア野球王座決定戦でも導入されていた。

日本の高校野球では、国民体育大会高等学校野球競技選抜高等学校野球大会全国高等学校野球選手権大会およびその予選の全てにおいて採用されていない。松坂大輔横浜高校3年18歳の誕生日1998年9月13日甲子園球場での第3回AAAアジア野球選手権大会決勝戦で後攻の松坂世代が最上級生で大半の日本代表明徳義塾高校3年寺本四郎が7番DHで先攻の台湾代表張誌家が5番DHで先発出場。

国際大会

1984年のロサンゼルスオリンピック公開競技として野球が採用されて以来、2008年北京オリンピックで野球競技が廃止されるまでDH制が採用された。アジアシリーズワールド・ベースボール・クラシック(WBC)やWBSCプレミア12世界大学野球選手権大会ユニバーシアード野球競技アジア プロ野球チャンピオンシップ、1986年以降の日米大学野球選手権大会など、野球の国際大会では数多く採用されている。

DH制の規定

野球規則(5.11)などにルールがある。

指名打者の特定

指名打者は、試合開始前に選ばれ、球審に手渡す打順表に記載する必要がある(野球規則5.11(a)(1) )。

指名打者は打順表の中でその位置が固定されており、選手交代があってもその位置を変更することはできない(野球規則5.11(a)(7) )。試合途中から指名打者になれるのは、代打または代走としてDHと交代して守備についていない選手のみである。

なお、ルール上の投手と選手登録における投手とは関係がない。野手登録の選手が投手を務めることと同様に、投手登録の選手が野手やDHを務めることは可能である。

打順表に記載された指名打者

打順表に記載された指名打者は少なくとも一度は打席を完了しなければならないが、相手チームの先発投手が降板した場合には交代できる(野球規則5.11(a)(2) )。

試合前に指名打者を指名しなかった場合

DH制のある試合であっても指名打者の指名は義務ではないが、試合前に指名しなかったときは、その試合で指名打者を使うことはできない(野球規則5.11(a)(3) )。

しかし、前述でも記載があるように、DH制のある試合でDHを最初から使用しないことは一方的不利を免れないので、オープン戦以外では特殊な事情がない限りは起こりえない。公式戦で試合開始時からDHを使用しなかったのは、日本シリーズ対策として投手に打席を経験させるために消化試合でDHを使わなかった西武ライオンズの例、投手登録だが野手を兼任する大谷翔平が先発投手の試合でDHを使わなかった北海道日本ハムファイターズの例がある。

西武ライオンズ
1987年、1990年、1992年、1998年に、リーグ優勝決定後に各年1試合ずつ、計4試合で9番に先発投手を起用した。打席に立った投手は1987年が渡辺久信、1990年が工藤公康渡辺智男、1992年が渡辺久信・潮崎哲也石井丈裕、1998年が西口文也の延べ計7人。1992年10月10日の試合では渡辺久が左前安打を打っている。
大谷翔平
大谷は日本ハムに入団した2013年以降、投手として先発する試合以外で、野手として先発出場した経験は多かったが、2015年までは投手として打席に立ったのはセ・パ交流戦でDH制のない試合に限られていた。しかし2016年5月29日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で6番・投手として先発し、DH制のある試合では初めて登板中に打席に立った。その後、この年の公式戦では大谷が先発投手の試合でDHを使用しなかったケースが計7試合あった。この場合は西武のケースと異なり、大谷自身の打力に期待してDHを使用しないため打順は試合によってまちまちで、2016年7月3日の対福岡ソフトバンクホークス戦では1番・投手で先発し、1回表に投手登録の選手としてはプロ野球史上初の初回初球先頭打者本塁打を打っている。2017年は10月4日のオリックス・バファローズ戦の1試合のみで、パ・リーグでは指名打者制導入後初、2リーグ制後では1951年10月7日の藤村富美男以来の4番・投手で先発した。

控え選手を指名打者にする場合

指名打者に代打・代走を出す場合、他の交代とは変わった形となる。通常は代打・代走を出すとポジションも代打・代走として扱われ、交代した選手と同じ守備位置を守る場合もそのイニング終了時に変更の申告が必要となる。しかし指名打者は交代時点で指名打者となり、イニング終了時の申告は必要ない。スコアボードの表記を代打・代走とするか規則通り指名打者にするかは競技団体・チームで対応が分かれている。

指名打者への代打

指名打者に代えて代打者を使った場合には、その代打者が以後指名打者となり、いったん退いた指名打者は再び試合に出場できない(野球規則5.11(a)(4) )。

1982年8月12日、近鉄バファローズ阪急ブレーブス
阪急監督の上田利治はこの試合の近鉄の先発投手を読み切れず(実際には左腕投手の鈴木啓示が先発した)、指名打者に投手の山沖之彦偵察要員として起用し、1回に山沖に打順が回ると右打者の河村健一郎を代打に送ろうとした。だが上記ルールによって打者交代が認められず、山沖がそのまま打席に立つ羽目になった(山沖は三振)。
1998年5月15日、オリックス・ブルーウェーブ福岡ダイエーホークス
オリックスの指名打者として先発発表されていたトロイ・ニールが開始直前になって腹痛を訴えた。しかしメンバー発表後であったため上記ルールにより交代は認められず、ニールは打席に立たなければならなかった。ニールは第一打席で本塁打を打つと全速力でホームまで走り、ハイタッチもする間もなく、そのままトイレへ直行した。
2011年5月20日、オリックス・バファローズ広島東洋カープ
広島の野村謙二郎監督は先発の指名打者に投手の今村猛を偵察要員として起用してしまい、メンバー表交換の際にオリックスの岡田彰布監督に指摘されて初めて気付いた。上記ルールにより代打は認められないため、今村は2回表の第一打席に立ち、犠牲バントを成功させた。次の打席では石井琢朗が代打に出された。

ただし、DHとして起用された選手が怪我などによって退場する場合にのみ特例として代打が認められる。

2010年4月9日、千葉ロッテマリーンズ埼玉西武ライオンズ
ロッテの指名打者として福浦和也が第一打席に入ったが、自打球で負傷退場。神戸拓光が代打に起用され、本塁打を打った。

指名打者への代走

指名打者に代えて代走者を使った場合には、その代走者が以後指名打者を引き継ぐ。指名打者を代走者として使うことはできない(野球規則5.11(a)(6) )。

指名打者が守備についた場合

指名打者を守備につかせることもでき、自分の番のところで打撃を継続する。この場合、投手が退いた守備者の打順を引き継ぐ。2人以上の交代が行なわれた場合の打順は監督が指名する(野球規則5.11(a)(5) )。

1991年5月29日、近鉄バファローズ対オリックス・ブルーウェーブ戦
オリックスのDHで起用された石嶺和彦が9回表に代走の飯塚富司が出て退き、飯塚が守備に就いたため、その裏から登板したドン・シュルジーが6番の打順に入った。延長戦突入後の11回に打席に入ったシュルジーは決勝本塁打を放った。指名打者制の導入後、パ・リーグの投手が打った初めての本塁打であった。
2014年8月16日、埼玉西武ライオンズ北海道日本ハムファイターズ
10回表の攻撃において4番・レフトで出場していた日本ハムの中田翔が走塁中に左足首を負傷し、選手交代の必要が発生したが、その時点で日本ハムは控え野手を使い切っていたため、栗山英樹監督はDHの杉谷拳士を中田に代わってレフトの守備に就かせ、中田の打順である4番に投手の増井浩俊を入れた。なお、増井は延長11回表の二死満塁で打席に立ち、凡退している。

投手の他の守備位置への変更

投手が投手以外の守備位置へ移った場合、それ以後指名打者の役割は消滅する(野球規則5.11(a)(8) )。投手だった選手はDHの打順に入り、DHは退いた形となる。新たに登板した投手に対してはDHを使用することができない。

2013年7月19日、オールスターゲーム第1戦
パ・リーグの3番手投手として登板した大谷翔平は5回に投手として1イニングを投げた後、6回から守備位置を左翼手に変更したため、大谷に代わり登板した菊池雄星がDHで出場していたアンドリュー・ジョーンズに代わって五番の打順に入った。

代打者が投手となった場合

代打者がそのまま投手となった場合、それ以後指名打者の役割は消滅する(野球規則5.11(a)(9) )。

投手が指名打者に代わって代打者または代走者となった場合

登板中の投手が指名打者に代わって代打者または代走者となった場合、それ以後指名打者の役割は消滅する。その投手は指名打者に代わってだけ打撃または走者になることができる(野球規則5.11(a)(10) )。

指名打者が守備位置についた場合

指名打者が守備位置についたときは、それ以後指名打者の役割は消滅する(野球規則5.11(a)(12) )。

指名打者が投手になった場合

DHの選手が投手として救援登板することもできる。その時点でDHは消滅する。

1995年5月9日、西武ライオンズ対オリックス・ブルーウェーブ戦
8回裏2死の時点で0-9の大量リードをされていた西武が、ファンサービスの一環として5番・DHで入っていたオレステス・デストラーデを投手として救援登板させた。デストラーデは1被安打2四球を許し1死も取れずに降板した。
2016年10月16日、北海道日本ハムファイターズ対福岡ソフトバンクホークス戦(クライマックスシリーズ ファイナルステージ第5戦)
日本ハムの大谷翔平はこの試合に3番・DHとして先発出場していたが、7-4と3点リードで迎えた9回表にDHを解除し、5番手投手としてマウンドに上がった。大谷は自己の日本記録(164/km/h)をさらに更新する165km/hの球速を3度記録するなど、この回を三者凡退に抑えてチームは勝利し、1勝のアドバンテージを含む対戦成績を4勝2敗として日本シリーズ進出を決めた。大谷はポストシーズンも含めて自身初のセーブを挙げたが、野手として先発出場した選手がセーブを挙げるのもポストシーズンまで含めてプロ野球史上初のケースであった。

打順

DHが消滅し投手が打順表に入る場合、原則として投手の打順は打順表の空いたところを引き継ぐこととなるが、投手に関係する守備位置交代を含めて同時に2人以上の選手の交代を行った場合、新たに打順表に入る選手の打順は、投手の打順も含めて監督が指定する。

他の守備位置についていた選手が投手となった場合

他の守備位置についていた選手が投手になれば、それ以後指名打者の役割は消滅する(野球規則5.11(a)(14) )。

2013年8月18日、北海道日本ハムファイターズ対福岡ソフトバンクホークス戦
5番・右翼手で先発出場した日本ハムの大谷翔平は8回表に守備位置を投手へ変更したため、大谷に代わって右翼手に入った赤田将吾はDHで出場していたミチェル・アブレイユに代わり、3番の打順に入った。なお、8回裏は大谷には打順が回らず、9回表は谷元圭介が登板、5番には飯山裕志が入り大谷は退いたため、大谷がこの試合で投手として打席に立つことはなかった。

その他の規定

指名打者に代わって出場させようとする選手については、指名打者の番がくるまでは届け出る必要はない(野球規則5.11(a)(13) )。

指名打者は、捕手を務める以外は、ブルペンに座ることができない(野球規則5.11(a)(15) )。

DH制の採用

MLB

アメリカンリーグでは1973年より採用されている。ナショナルリーグでは2019年までは採用されていなかったが、2020年より採用されることになった。

NPB

パシフィックリーグでは1975年より採用されている。セントラルリーグでは採用されていない。

連続フルイニング出場記録の扱い

NPBでは、指名打者のみの出場であっても連続フルイニング出場記録は継続の扱いとなるが、MLBにおいては、指名打者では連続フルイニング出場を認めないという見解が出されている。

阪神タイガース金本知憲2006年4月にカル・リプケンが持つ903試合連続フルイニング出場の世界記録(MLB記録)を上回り、その後も記録を更新していたが、故障を抱えていたため、セ・パ交流戦のパ・リーグ主催試合で金本を通常の左翼手ではなく、指名打者で起用することが検討された(2005年の交流戦では指名打者での起用はない)。当時MLBは指名打者を含む連続フルイニング出場について公式な見解を出していなかったため、阪神球団がMLBに問い合わせ、上記の見解が出された。

実際には、金本は2009年までの交流戦では指名打者で起用されることがなく、2010年4月18日の横浜ベイスターズ戦でスタメンから外れたことで連続フルイニング出場が途切れたため、NPBとMLBの見解の違いは特に問題にならず、同年には金本の1492試合連続フルイニング出場がギネス世界記録に認定された。なお記録が途切れてから引退までは、交流戦のパ・リーグ主催試合の大半で金本は指名打者として出場した。

日本選手権シリーズ

1985年より隔年採用、1987年よりパ・リーグ主催試合でのDH制採用となった日本選手権シリーズでは、セ・リーグ所属チームの主催試合ではDH制が採用されていないため、パ・リーグの投手が打席に立たなければならない上、DH起用が前提となっているタイプの選手をどのように活用するか(代打専門とするか、慣れない守備に付かせるか)という点で、パ・リーグ側のチームには一層の事前準備が求められる。

セ・パ交流戦

2005年から始まったセ・パ交流戦ではパシフィックリーグの本拠地での試合に限りDH制が採用されている。セントラルリーグの本拠地ではDH制が採用されていないため、パ・リーグの投手も打席に立つ義務がある。また、普段はDHとして起用されている選手をどう守備に組み込むか、またほとんど打席に入ることがない投手をどう扱うか、一方のセ・リーグのチームは誰を指名打者として起用するかが戦術の大きな要素となる。

2014年にはセ・パ両リーグは交流戦の10周年記念として、この年の交流戦のセ・リーグ主催試合で指名打者制を採用し、パ・リーグ主催試合では指名打者制を使わない9人制の適用と、これまでと逆の方式で行った。

DH制導入後、DH制度規定試合での投手専任の選手の打撃

大谷翔平(日本ハム)は野手兼任であるため、ここでは扱わない。

試合中のDH解除により打席に入った投手
【日付】
【選手】
【所属】
【相手】
結果
1975年6月3日 | 太田幸司 | 近鉄 | 日本ハム | 右飛
1975年8月10日 | 佐々木宏一郎 | 南海 | 太平洋クラブ | 三ゴロ野選(打点1)
1976年6月27日 | 大石弥太郎 | 阪急 | 太平洋クラブ | 遊飛
1978年4月8日 | 山田久志 | 阪急 | 日本ハム | 三振
1978年8月23日 | 倉持明 | クラウンライター | 日本ハム | 四球
1981年8月10日 | 山田久志 | 阪急 | 日本ハム | 遊ゴロ
1982年8月12日 | 宮本四郎 | 阪急 | 近鉄 | 左飛
1982年9月27日 | 稲葉光雄 | 阪急 | 南海 | 二ゴロ
1982年 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出典:wikipedia
2020/08/01 20:22

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