◆この
キーワードを
友達に教える
URLをコピー
新千歳空港とは?
新千歳空港 New Chitose Airport
|
国内線ターミナル(上)
国際線ターミナル(下)
IATA: CTS - ICAO: RJCC
【概要】
【国・地域】
日本
【所在地】
北海道千歳市
【母都市】
札幌市
【種類】
商業
【所有者】
国土交通省
【運営者】
北海道エアポート
【運用時間】
24時間
【開港】
1988年7月20日
ターミナル数 |
2
【敷地面積】
726 ha
【標高】
21.3 m
【座標】
北緯42度46分30秒 東経141度41分32秒 / 北緯42.77500度 東経141.69222度 / 42.77500; 141.69222座標: 北緯42度46分30秒 東経141度41分32秒 / 北緯42.77500度 東経141.69222度 / 42.77500; 141.69222
【公式サイト】
新千歳空港
【地図】
新千歳空港の位置
【滑走路】
【方向】
【ILS】
【長さ×幅 (m)】
【表面】
01L/19R
I/IIIb
3,000×60
舗装
01R/19L
I/I
3,000×60
舗装
【統計(2016年度)】
【旅客数】
21,545,032
【貨物取扱量】
204,693
【発着回数】
72,676
【リスト】
空港の一覧
新千歳空港(しんちとせくうこう、英: New Chitose Airport)は、北海道千歳市と苫小牧市にまたがって所在している国際空港。2020年6月1日に運営が北海道エアポートに移管(民営化)された。国際航空輸送網又は国内航空輸送網の拠点となる空港として空港法に基づく区分では第4条第1項第6号に該当する空港として政令で定める空港(国管理空港)に区分されている。通称としては「新千歳」または「千歳」。札幌市内にあるわけではないが、航空便の行先として「札幌」の名称が使用されることもある。
概要
北海道の経済・文化の中心地・札幌市の南東約40kmに位置する国内線の基幹空港。空港法に基づいて国土交通大臣が設置・管理する国管理空港で、国際線や国内線の拠点空港に区分される。空港の利用者数は国内で5番目に多い。また、旅客数では羽田-新千歳線が世界一位になったこともある。北海道では最大の空港で、鉄道や高速道路もよく整備されているため、実質的に北海道の空の玄関口となっている。
滑走路は2本あり、いずれも長さは3000mで、南北方向にクロースパラレルに配置されている。滑走路西側には国内線の旅客ターミナルビルがあり、JR千歳線が地下に乗り入れている。その西側に、千歳基地に面して国際線の旅客ターミナルビルがあり、2つのターミナルビルは商業施設などが入る連絡施設で結ばれている。滑走路北側には国内貨物ターミナルが、その西側には国際貨物ターミナルが位置する。旅客ターミナルビルと連絡施設、国内貨物ターミナルは、北海道などが出資する第三セクターの北海道空港株式会社が所有・運営していたが、2017年7月1日に、100%子会社の新千歳空港ターミナルビルディング株式会社に承継された。空港整備特別会計の空港別の財務状況で、数少ない黒字の空港である。
西側には航空自衛隊千歳基地が隣接し、誘導路で接続している。千歳基地は、空港法上の共用空港「千歳飛行場」に位置づけられており、両空港の航空管制は航空自衛隊が一体的に運用している。
オープンスポットが国内線ターミナルビルの南側、国際線ターミナルビル北側と国内貨物ターミナルに設けられており、特に冬季は夜間駐機にも使用されている。
2008年7月の北海道洞爺湖サミットの開催に伴い、先進各国の要人用の貴賓室や専用駐機場を新設するなどの工事が行われた。各国のVIP機専用の乗降スポット、貴賓室が新設され、駐機場(6機分)や構内駐車場(500台分)が増設されたほか、各国代表団が構内から直接車で移動できるよう、構内道路の補修などを行った。一部施設はサミット終了後に撤去されたが、駐機場などは、2012年現在も夜間駐機などに使用されている。
2020年からの北海道エアポートによる道内7空港民営化に際しては中核となる「グローバルゲートウェイ」型空港に位置づけられ他の6空港の遠隔管理を担うオペレーションセンターを置き、内際両用の第3ターミナルとホテルの建設、情報提供を担う交通・観光センターの設置、ビジネスジェット施設新設、北海道全域の魅力発信を担う「北海道ショーケース」をコンセプトとしたターミナル改装等が計画されている。
日本初の24時間運用
1988年、道は新長期総合計画にて国際航空貨物の拠点を目指して「国際エアカーゴ基地構想」を掲げ、1991年から24時間運用体制の実現に向けて地元と協議を開始した。その結果1994年4月に、深夜時間帯(22時 - 翌朝7時)を、1日につき貨物便6便を限度に運用することで合意。日本の空港で初となる24時間運用は同年6月24日から始まり、30日早朝に1番機が到着した。1998年7月には、深夜発着枠6便の中に旅客便を含める弾力的な運用に変更された。2010年12月時点では、深夜発着枠は国内旅客便(4便)、国内貨物便(2便。運休日あり)によってほぼすべて使用された。
2013年12月には、道が地元に、深夜発着枠の30便拡大を提案。協議の結果、30便のうち24便は22時から0時と6時から7時の発着、6便は従来通り0時から6時の発着とすること、住宅の防音対策を行うこと、道の駅ウトナイ湖で地域振興策を行うなどの内容で、2015年2月に苫小牧市側
、同年8月には千歳市側の住民と合意。同年10月から運用が開始された。
利用状況
2016年度は下記の通りで、着陸回数は日本の空港で第6位、旅客数は第5位で、北海道の空の玄関口となっている。
-
【】
【航空機着陸回数】
【航空旅客数】
航空貨物取扱量
|
国際線
|
7,635回 | 272万726人 | 1万515トン
国内線
|
6万5,041回 | 1882万4,306人 | 19万4,178トン
合計
|
7万2,676回 | 2154万5,032人 | 20万4,693トン
千歳飛行場と新千歳空港の関係
千歳飛行場(旧:千歳空港)と新千歳空港は、隣接はしているものの、法的には別の飛行場である。しかし、航空自衛隊千歳基地でもある千歳飛行場は現在も共用飛行場となっており、新千歳空港とは誘導路でつながっていて航空機の行き来が可能であり、管制も一括して航空自衛隊が行っている。日本国政府専用機2機の格納庫、および運用を行う航空自衛隊航空支援集団特別航空輸送隊が置かれている。政府専用機が訓練等で新千歳空港の滑走路を使用することや、冬期の除雪作業などで新千歳空港の滑走路運用が難しい時、アクシデント発生時などには、千歳飛行場で民間航空機の離着陸が行われることもある。
千歳飛行場側には、滑走路は平行に2,700mと3,000mの2本がある。後者は900mの過走帯があり、実質4,000m級である。新千歳と併せて4本の滑走路があり、これらはほぼ並行している。2本ずつ同じ方向に隣接した滑走路は、パイロットからも混同される場合がある。大事には至っていないものの、空港北側からアプローチする場合を中心に、千歳飛行場との滑走路の誤認が、2006年までの3年間に11件発生しており、その対策が課題となっている。
旧千歳空港ターミナルビル建物は1995年3月にオープンした輸入促進商業施設「千歳ワールドマーケット・プレイスNEWS」として再利用されたが、1998年3月に経営悪化のため閉鎖された。その後立地していた場所は空き地となったが、海上保安庁庁舎の隣に日本航空ハンガー、政府専用機のエプロンより南側に、千歳飛行場時代からあるスポットが国土交通省管理のまま残されており、現在も民間機の駐機(通常は夜間駐機用が主体)に使用されている。これらにより、北方圏、アジア・太平洋地域とより利便性の高い輸送体制を確立した。管制業務は千歳飛行場と新千歳空港の両空港で一体運用され、航空自衛隊千歳管制隊が、両飛行場の間にある管制塔およびレーダールームで、航空管制業務を行っている。
1990年代、冬季に新千歳空港で凍結があった際、千歳飛行場の滑走路を使用して離陸したこともある。
2017年8月、訪日外国人増加に対応するため、千歳基地の東側滑走路の民間利用について検討が行われることとなった。特に中国や韓国などアジア圏の観光客が増加しており、アジア圏の格安航空会社 (LCC) の新千歳空港発着便の増便に備えるため、2018年度以降に千歳基地の民間利用が可能かどうか調査する。千歳基地の民間利用が実現した場合、新千歳空港は千歳基地の滑走路1本を含めた滑走路3本を実質的に使用することとなる。
ほとんどの内外航空会社のシステムでは空港コードにCTSを使用しているが、唯一日本航空のみ札幌の都市コードであるSPKを当空港用に使用している。
歴史
前身の千歳空港は軍民共用空港であり、1951年の民間航空再開後、自衛隊機と民間機が共用で使用してきた。しかし、1978年に千歳空港と東京国際空港(羽田空港)間の旅客数が世界最多となるなど旅客数・貨物量が増加。大阪や名古屋、福岡など全国の大都市や、道内各地を結ぶ路線が就航するなど、北海道のハブ空港として機能するようになった。一方で、ソ連機の領空侵犯に対する自衛隊機のスクランブル出動は年間200回にも及び、その間、民間機は地上や周辺空域で待機を余儀なくされ、長い場合は30分にもわたることがあった。そのため、航空機の安全確保と航空需要の拡大に対応するため、新たに新千歳空港が建設されることとなり、1975年(昭和50年)11月20日に着工。1988年(昭和63年)7月20日に、民間専用の空港として開港した。
前史
-
1916年(大正5年) - 渡部栄蔵千歳村議が山田旦千歳村長・中川種次郎郵便局長と市街地南方のサンナシ沢へ盆栽用の赤松苗木を取りに出掛けた際、低生産な火山灰地を用いての飛行場開発を発案する。
-
1922年(大正11年) - 千歳村が逓信大臣に国設飛行場誘致の請願を行う。
-
1923年(大正12年) - 岡田伊太郎を紹介議員として千歳村ママチへの飛行場設置が国会で採択される。
-
1925年(大正14年)
- 8月 - 千歳村が小樽新聞社(現:北海道新聞社)の旅行会提案を受け入れ、小樽新聞社が社有航空機の派遣を提案。
- 9月下旬 - 小樽新聞社社員が千歳を訪れ航空路直下の地形と着陸地の調査を実施、千歳神社近辺や室蘭街道沿いが不適当と判断された後渡部栄蔵が市街地南方のサンナシ沢火山灰地を提案し視察の後同地約6700坪の着陸場整備を決定。
- 10月中旬 - 千歳村民による約2日間の抜根等の労力奉仕により約10ヘクタールの着陸場の造成を完了。
- 10月22日 - 小樽新聞社の旅行会に合わせ酒井憲次郎の操縦による小樽新聞社の社有機である三菱R2-2「北海1号機」が初めて着陸する。
-
1929年(昭和4年)2月 - 千歳への国営飛行場設置案が衆議院で採択。
-
1933年(昭和8年)2月 - 千歳村が陸軍飛行場設置請願書を第七師団長・北海道庁長官・札幌逓信局長宛に提出、飛行場案を民間用から陸軍用に転換する。
-
1934年(昭和9年)
- 9月15日 - 千歳村陸軍飛行隊設置促成会を設立、飛行場建設を決定。
千歳飛行場/空港時代
- 1934年
- 9月28日 - 千歳飛行場第一期工事着工、4万5千坪を整備。
- 10月28日 - 千歳飛行場竣工式が行われる。
-
1935年(昭和10年)
- 1月26日 - 村の協議会で陸軍飛行隊の誘致を議決、その後130町歩の飛行場用地を確保。
- 3月25日 - 千歳飛行場への陸軍飛行隊設置の請願が採択される。
- 4月4日 - 第二期工事着工。
- 6月6日 - 第二期工事竣工、10万3620坪に拡張。
- 8月17日-23日 - 陸軍航空特別演習を実施。
-
1936年(昭和11年)
-
1937年(昭和12年)
- 4月 - 大湊海軍航空隊の檜貝嚢治と小福田祖が北海道と青森での飛行場適地調査に着手、その後石狩川流域・苫小牧・千歳を候補とし良好な地質や拡張性の高さから千歳を適地と判断。
- 9月 - 海軍省が村有地131ヘクタールの寄付を条件に海軍航空基地の設置を決定。
- 10月18日 - 海軍航空基地着工。
-
1939年(昭和14年)
- 8月27日 - ニッポン号が羽田空港から本空港を経由し世界一周親善飛行に出発。
- 11月5日 - 千歳海軍航空隊が開庁。1200m×80mの直角に交差した滑走路を有し、着陸場は大日本帝国海軍の飛行場となる。
-
1942年(昭和17年)
- 千歳航空基地から北東に約3.4kmの地点に第2千歳飛行場滑走路(800m)完成、その後1300mに延伸。
- 11月1日 - 千歳海軍航空隊を第七〇三海軍航空隊に改称。
-
1943年(昭和18年)
-
1945年(昭和20年)10月 - 終戦に伴い連合国軍に接収され、米軍戦闘機駐留部隊が駐留する。
-
1951年(昭和26年)
-
5月22日 - 日本政府により拠点空港「北海道空港」に指定される。
-
9月1日 - 札幌管区気象台千歳航空測候所を設置。
-
10月26日 - 民間航空が再開され、日本航空により千歳 - 東京間に民間航空機が就航する。
-
11月16日 - 飛行場西側の米軍基地敷地内に平屋建て120坪の民間航空ターミナルビル竣工。
-
1953年(昭和28年)10月 - 西側滑走路の改良を完了、2700m×45mとする。
-
1957年(昭和32年)8月 - 米軍が三沢飛行場へ移駐し航空自衛隊第二航空団設置、民間と自衛隊の共用飛行場となる。
-
1959年(昭和34年)7月20日 - 米軍千歳飛行場地区が日本国政府(防衛庁)に返還される。返還に伴い滑走路東側への民間航空専用地域の建設を決定。
-
1960年(昭和35年)
- 7月 - 民間航空ターミナルビル増築。
- 8月1日 - 全日空が千歳 - 東京間に国内線初のターボプロップ機ビッカース バイカウント744を就航。
-
8月13日 - 東側滑走路着工。
-
1961年(昭和36年)
-
1962年(昭和37年)
-
1963年(昭和38年)
-
3月29日 - 千歳空港ターミナルビル竣工、鉄筋コンクリート一部二階建て・床面積3416平方メートル。一階を旅客施設、二階を官庁施設とした。
-
4月1日 - 千歳空港ターミナルビル供用開始。
- 1964年(昭和39年)
- 2月 東側滑走路(2700×45m)供用開始。
- 11月30日 - 民航専用地域第1期整備工事完成。
-
1966年(昭和41年)
- 6月 - 川島正次郎自民党副総裁が千歳空港の国際空港化を発言。
-
7月16日 - 福田篤泰北海道開発長官の札幌周辺での新空港建設計画の発言や札幌経済協議会の石狩町生振への空港建設要請に対し、千歳市議会が千歳空港を民間専用の国際空港とすることについての要望意見書を議決。
-
1967年(昭和42年)
- 5月30日 - ターミナルビル到着口に手荷物ターンテーブル設置。
- 7月26日 - 大橋武夫運輸大臣が千歳空港の国際化整備検討の意向を表明。
- 12月14日 - 東側滑走路補強工事完成。
-
1969年(昭和44年)
- 1月9日 - VOR供用開始。
- 5月1日 - ILS供用開始。
- 10月1日 - 千歳空港が出入国港に指定される。
-
1970年(昭和45年)
- 6月24日 - 千歳空港近辺での民間専用空港建設の申し合わせを決定。
- 8月13日 - 28日 - 凶器発見器設置。
- 10月7日 - ターミナルビル増築完成、3階建1万714平米で1階到着・2階出発の発着分離とする。また手荷物用クレセントベルトコンベア2機や館内放送設備等を設置。
- 12月 - 東側滑走路を3000mに延長。
-
1971年(昭和46年)
- 6月 - 新空港建設地を千歳空港東側に決定。
- 12月15日 - フィンガー増築工事第一期完成、ゲートラウンジ4箇所・ボーディングブリッジ大型機用4基小型機用2基供用開始。ノーズイン駐機を導入。
-
1972年(昭和47年)
-
1月7日 - 2月13日 - 札幌オリンピック開催に伴い臨時CIQを設置。12カ国から25機が飛来。
- 4月 - 新千歳空港建設促進期成会発足。
- 12月 - 東側滑走路の幅員を60mに拡張。
-
1973年(昭和48年)
- 7月1日 - フィンガー第二期増築工事完成、ゲートラウンジ2箇所・ボーディングブリッジ6箇所増設。動く歩道4基設置。
- 9月12日 - 新千歳空港整備基本計画策定。3000m滑走路2本と年間3600万人対応のターミナルビルを建設し1978年12月に滑走路1本による暫定開業の計画とした。
- 12月24日 - 新千歳空港設置公示。
-
1974年(昭和49年)
- 2月25日 - ハイジャック対策用金属探知機・手荷物透視検査装置導入。
-
3月30日 - 空港整備法において第二種空港に指定される。
-
4月1日 - 千歳 - 東京間に初のワイドボディ機として日本航空がボーイング747SR、全日空がロッキードL-1011を就航させる。
-
9月30日 - 空港整備法における第二種空港に格付けされる。
- 10月31日 - 東亜国内航空の丘珠空港便の移転計画に伴い第9ゲートラウンジコンコース延長部を竣工。
- 12月 - VORにDMEを付加、千歳VOR/DME運用開始。
-
1975年(昭和50年)
- 6月30日 - 米軍千歳基地完全閉鎖。
- 7月20日 - ターミナルビル駐車場を全面有料化。
-
9月2日 - 新千歳空港エプロン・誘導路工事を着工。
-
11月10日 - 新千歳空港起工式を挙行。
-
1976年(昭和51年)
- 4月1日 - 新千歳空港エプロン2バース完成。
- 10月15日 - 東側滑走路南方移転工事着工。
- 12月16日 - ターミナルビル南側に第2到着ターミナルビル完成、旅客手荷物引渡ベルトコンベア3基を備え日本航空と東亜国内航空が使用。
-
1977年(昭和52年)
- 4月15日 - 日本航空が保税上屋を開設。
- 8月1日 - フィンガー第三期増築工事完成、大型機用ボーディングブリッジ2基新設・全ゲートラウンジへの冷房を設置。
- 10月31日 - 有料駐車場内に無料休憩所完成。
-
1978年(昭和53年)
- 6月1日 - 東側滑走路を移動工事のため閉鎖。
- 12月1日 - 東側滑走路移動工事完成、南方へ1000m移動。
- 12月12日 - 初の本空港出発の国際チャーター便として全日空マニラ行「千歳市民号」を運航。
-
1979年(昭和54年)
- 7月1日 - 検疫飛行場に指定、函館検疫所千歳空港出張所開設。
- 9月28日 - 第9ゲートラウンジ増築完成、ボーディングブリッジ2基増設。
- 12月11日 - 国鉄千歳空港駅着工。
-
1980年(昭和55年)
-
2月29日 - ターミナルビル第2別館増築竣工。
- 4月1日 - 第6ゲートラウンジ増築竣工、ボーイング747の駐機に対応する。
- 5月1日 - 国鉄千歳空港駅ターミナル連絡歩道橋着工。
-
10月1日 - 国鉄千歳空港駅(現:南千歳駅)開業。空港ターミナルビルと連絡する。
-
12月23日 - ターミナルビル南側の旧日本航空器材庫を改装し国際線ターミナルビル(877平米)を設置。
-
1981年(昭和56年)
- 2月19日 - 防衛庁が初の国際線となる日本航空新東京国際空港経由ホノルル線の暫定乗り入れを認可。
- 3月16日 - 植物・動物検疫飛行場に指定。
- 3月20日 - 税関空港に指定。
- 3月23日 - 初の国際定期便として日本航空により新東京国際空港経由ホノルル国際空港便が就航。新東京国際空港で大型機へ乗り継ぐ国際線接続連絡便。
- 8月1日 - ターミナルビル本館と第2到着ビルの間に鉄骨造一部地下1階地上3階一部5階建ての第3ビルを竣工、従来のビルと合わせてALC板で一体化し床面積4万6千平米の一棟とする。
- 11月1日 - 千歳空港総合案内システム「CATIS」運用開始、案内放送を自動化。
-
1982年(昭和57年)12月27日 - 第3ビル4階部分が完成、ターミナル増築を終了し床面積4万8023平米となる。
-
1983年(昭和58年)5月 - 新空港滑走路工事着手。
-
1985年(昭和60年)
- 11月 - 新空港変更基本計画策定。年間2462万人規模の国内拠点空港と国際航空拠点として積雪寒冷地への対応を行い3期制で第1期はA滑走路と誘導路の整備、第2期は1992年までの新ターミナルビルへの移行、第3期は2000年までのB滑走路等の整備を行うとした。
- 12月 - ナイトエプロン整備工事完了
-
1986年(昭和61年)
- 1月31日 - ニューメディア対応型情報サービス施設「HAPIS」(Hokkaido Air-Port Information Service)を設置、レーザーディスクやタッチパネル画面を用いた観光情報案内の提供や大型液晶画面、三面回転式広告、TVモニター12基を配置した。
- 3月12日 - 新空港変更基本計画を告示。
- 7月15日 - 国際航空貨物の受け入れを目的に「札幌国際エアカーゴターミナル」設立。
-
1987年(昭和62年)
- 11月 - 北海道新長期総合計画にて国際エアカーゴ基地構想の拠点に設定。
- 12月 - 新千歳空港第一期工事完成。
-
1988年(昭和63年)6月20日 - 新千歳空港管制塔(高さ70.6m)の供用を開始。
新千歳空港時代
- 1988年
-
7月20日 - 新千歳空港が開港する。A滑走路(3,000m×60m)運用開始。国際定期便用正規空港(レギュラーエアポート)に指定。
- 10月 - 出発ロビー内に32面マルチビジョン「ハピスマルチビジョン」を設置。
-
1989年(平成元年)
- 5月30日 - 国際定期便の拡張に対応した臨時便取り扱い施設の増改築を竣工。
- 7月8日 - 新千歳空港ターミナルビル着工。
- 8月17日 - 政府専用機の駐機場建設地が新千歳空港に決定。
-
1990年(平成2年)10月1日 - 税関職員常駐化を開始。
-
1992年(平成4年)
-
6月30日 - 千歳空港ターミナルビル供用終了、新千歳空港ターミナルビルへの移動作業を人員5,000人規模の動員で実施。
-
7月1日 - 新千歳空港ターミナルビル(15万3000平米・地上4階一部5階建て)が完成、ターミナルビル地下に新千歳空港駅を開設。
- 12月 - 滑走路面監視装置を設置。
-
1993年(平成5年)
-
3月9日-8月30日 - 5日に分けて24時間開港テストフライトを実施。
- 6月 - B滑走路着工。
- 9月20日 - 空港内緑地3700平米に公園施設と千歳着陸一号機「北海一号機」ブロンズ像が完成。
-
1994年(平成6年)
- 3月11日 - 24時間運用を地元住民と合意。
- 6月23日 - 24時間開港開始。
- 6月30日 - 貨物便を対象に国内初の深夜早朝便受け入れを開始。
-
1995年(平成7年)11月 - 空港緑地の公園施設を「空港公園翼の広場」と命名。
-
1996年(平成8年)4月26日 - B滑走路(3,000m×60m)供用開始。
-
1997年(平成9年)
- 2月1日 - 小樽検疫所千歳空港出張所が千歳空港検疫支所に昇格。
- 5月 - 深夜早朝発着枠の旅客利用がKLMオランダ航空便のみ認められる。
-
1998年(平成10年)6月 - 深夜早朝枠の旅客利用が本格的に認められる。
-
2000年(平成12年)10月2日 - 管制塔ドップラーレーダー運用開始。
-
2001年(平成13年)
- 3月31日 - ターミナルビル駐車場連絡橋バリアフリー化完成。
- 11月18日 - 第2ターミナルの苫小牧市内への建設を前提に滑走路500m延長案を合意。
-
2003年(平成15年)
- 10月24日 - 苫小牧市内への第2ターミナル建設が否決された事に伴い、苫小牧市側が滑走路延長案の合意を撤回。
- 11月30日 - ターミナルビル喫煙室工事完成、翌日より完全分煙化とする。
- 12月5日 - 全日空が新千歳 - 羽田間で深夜枠貨物便を運航開始。
-
2006年(平成18年)12月27日 - 東京国際空港線年間旅客数が1000万人を突破。
-
2007年(平成19年)10月31日 - B駐車場立体化完成。
-
2008年(平成20年)
- 3月26日 - A駐車場立体化完成。
-
4月24日 - 国際線ターミナル建設に伴う千歳アウトレットモール・レラ隣接地への空港公園移設工事が完成。
-
5月24日 - 国際線ターミナル起工式を挙行。
-
6月18日 - 空港法改正により、4条1項5号に該当する空港として政令で定める空港に区分される。
-
2009年(平成21年)8月 - 国内線ターミナル増築リニューアル工事着工。
-
2010年(平成22年)
-
2011年(平成23年)
-
7月15日 - 国内線ターミナルビルリニューアル第1期開業、増築部と連絡施設3階を供用開始。
-
12月15日 - 国内線ターミナルビルリニューアル第2期開業、国内線2階出発ロビー拡張などの改修部を供用開始。
-
2012年(平成24年)
-
3月16日 - 国内線ターミナルビルリニューアル全面開業。3階フードコート・展望エリアを供用開始。
-
12月9日 - 国際線年間旅客数が100万人を突破。
-
2013年(平成25年)3月 - 国際航空運送協会(IATA)から混雑度レベル2空港に指定される
-
2014年(平成26年)3月30日 - ボーイング747-400Dが同空港国内線発着便においてラストフライト。1974年以来、40年間のボーイング747の運航に終止符が打たれることとなった。
-
2015年(平成27年)
- 3月16日 - 国内線旅客ターミナルの大規模改修工事を開始。
-
10月15日 - 深夜早朝発着枠を従来の6枠から30枠に拡大。
-
2016年(平成28年)
-
3月31日 - B滑走路19L側にILS設置。
-
10月30日 - 中国・ロシア機の発着制限を緩和、毎日発着可能とする。
-
11月13日 - 国際線ターミナル周辺の再編事業を着工。ターミナル増築、南側誘導路設置などを予定し2020年3月完成予定。
-
2017年(平成29年)
- 3月26日 - 日中時間帯の発着数を1時間32回から42回に拡大。国際線ターミナルにボディスキャナーを導入。
- 7月1日 - 北海道空港が北海道内7空港民営化に向け新千歳空港ターミナル事業を子会社「新千歳空港ターミナルビルディング」に移管。
-
2018年(平成30年)
- 2月1日 - B駐車場P2立体駐車場の供用を開始。
- 7月 - 札幌国際エアカーゴターミナルが国際貨物荷捌き施設を1.3倍に拡張。
- 8月7日 - 国内線旅客ターミナルの大規模改修を終了、出発カウンターの再配置や手荷物自動検査システムの導入やバスラウンジの新設が行われた。
- 9月6日 - 北海道胆振東部地震により開港以来初の施設全面閉鎖となり、設備の破損や停電などにより欠航するなどの影響が出た。
- 9月7日 - 国内線の運航を再開。
- 9月8日 - 国際線の運航を再開。
- 10月28日 - 国内線乗降客からの施設使用料徴収を開始。
- 11月1日 - 胆振東部地震で休業していた「エアターミナルホテル」「新千歳空港温泉」が営業再開、空港内の商業施設が全て復旧する。
- 12月20日 - 国際線ターミナル拡張部の駐機スポット3バースをオープンスポットとして暫定供用開始。
-
2019年(令和元年)
- 5月 - 胆振東部地震を踏まえ、各機関個別の防災計画を改め大地震と大雪に対応したタイムライン方式の事業継続計画を策定。
- 7月3日 - 国土交通省が本空港を含む道内7空港民営化の優先交渉権者を北海道空港ら17社による「北海道エアポートグループ」に決定。
- 8月30日 - 国際線ターミナル増築部1-4階の旅客取り扱い区域を開業。
- 11月1日 - 国際線ターミナル内イベントスペース「新千歳ポルトムホール」開業。
-
2020年(令和2年)