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新宿駅とは?

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出典検索: "新宿駅"ニュース 書籍 スカラー CiNii J-STAGE NDL dlib.jp ジャパンサーチ TWL
(2010年3月)

【新宿駅】

新宿駅全景
(2018年6月、渋谷区側より撮影)

しんじゅく
Shinjuku


【所在地】
東京都新宿区渋谷区
所属事業者
東日本旅客鉄道(JR東日本・駅詳細)
京王電鉄
小田急電鉄(駅詳細)
東京地下鉄(東京メトロ・駅詳細)
東京都交通局(都営地下鉄)
【乗換】
西武新宿駅(西武鉄道新宿線)
新宿西口駅(都営地下鉄大江戸線)
東口駅ビル「ルミネエスト新宿
南口遠景(2005年5月)
南口遠景(2017年5月)

新宿駅(しんじゅくえき)は、東京都新宿区渋谷区にまたがって所在する、東日本旅客鉄道(JR東日本)・京王電鉄小田急電鉄東京地下鉄(東京メトロ)・東京都交通局(都営地下鉄)のである。乗降客数が世界一多く、ギネス世界記録にも認定されている。

概要

東京の副都心新宿に位置するターミナル駅である。1885年日本鉄道により現在の山手線が開業したのが当駅の始まりである。4年後の1889年には南豊島郡淀橋町となる。この当初は東京市に含まれておらず、東京市の郊外として周辺は田畑が広がっていた。開業時から新宿を副都心にする計画が発表されるまでは当駅周辺はまだ街の外れで閑散としており利用客は少ないものだった。1923年関東大震災をきっかけに、浅草銀座日本橋といった地盤が弱い下町の繁華街が壊滅的な被害を受け、表層地盤が比較的強い新宿や東京西部の郊外に人口がシフトした。次第に市街地が西側に拡大するにつれ、東京市西部のターミナル駅として多くの私鉄が乗り入れるようになる。ターミナルとなって周辺が発展するにつれて利用客は増え続け、1931年には私鉄日本国有鉄道(国鉄)などを合わせた利用者数で日本一になった。また、鉄道の一大拠点として成長するにつれ、戦前から東口は東京有数の繁華街として発展していった。そして、1966年の乗車人数では、国鉄池袋駅の41万67人を抜いて、当駅が41万69人と日本一になっている。さらに1960年代から当駅西側一帯(西新宿)で進められた新宿副都心計画によって、70年代には多くの超高層ビルが建てられ利用者の増加に拍車がかかった。

東京都西部の多摩地域を中心に郊外ベッドタウンを結ぶ中央線や私鉄などの路線と、新宿駅から千代田区港区といった都心方面に伸びる地下鉄やJRの路線が結集しており、多くの通勤・通学客が郊外から都心方面への乗り換えなどで利用する。さらに、当駅周辺は東口を中心として日本最大の繁華街歓楽街となっており、昼夜を問わず人の流れが絶えることはない。また、西口の西新宿には超高層ビルが林立し、オフィス街としての機能も持つ。JRの駅を中心に東・西・南口、周辺の各地下鉄駅、商業施設などが通路や地下街などで広範囲に連絡している。

1日平均乗降者数は約353万人(2017年) と世界一(ギネス世界記録認定)多い駅であり、地下道などで接続する西武新宿駅新宿西口駅まで含めると約377万人(2017年)となり、この数字は横浜市静岡県の人口に匹敵している。

乗り入れ路線

JR東日本・京王電鉄・小田急電鉄・東京メトロ・東京都交通局の5社局が乗り入れるターミナル駅である。以下のうち、京王線小田急小田原線都営地下鉄新宿線は当駅を起点としている。

JR東日本

JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は山手線中央本線であり(詳細は路線記事および「鉄道路線の名称」を参照)、山手線を当駅の所属線としている。一方、当駅に乗り入れている運転系統は以下のように多岐にわたっている。また、特定都区市内制度における「東京都区内」および東京山手線内に属する。また、JR東日本の駅には「 SJK 」のスリーレターコードが付与されている。

(線路名称上の)山手線では、電車線を走行する環状線としての山手線電車のほか、山手貨物線を走行する埼京線湘南新宿ラインが全列車停車する。旅客案内ではそれぞれ別路線として扱われている。また、空港連絡特急成田エクスプレス」や、東武日光線直通特急なども山手貨物線経由で乗り入れている。

中央本線では、急行線を走行する中央線快速電車と、緩行線を走行する中央・総武線各駅停車の2系統が運行されている。また、甲府駅松本駅方面へ向かう特急列車も発着する(複々線区間では急行線走行)。

京王電鉄

京王電鉄の路線は、線路名称上は京王線のみであるが、運転系統は当駅を起点とする「京王線」と、都営地下鉄新宿線と直通運転を行っている「京王新線」に分かれており、後者が発着する駅は「新線新宿駅」と呼ばれている。京王八王子駅方面の列車のほか、北野駅から高尾線に直通する列車、調布駅から相模原線に直通する列車も設定されている。新宿駅・新線新宿駅共通で「KO 01」の駅番号が与えられている。新宿駅・新線新宿駅とも単独で新宿管区に所属する。

小田急電鉄

小田急の路線は、当駅を起点とする各駅停車、快速急行、急行は小田原駅までの小田原線相模大野駅から江ノ島線に直通する列車、新百合ヶ丘駅から多摩線に直通する列車が運行されている。特急ロマンスカーは小田原駅より先、箱根登山鉄道鉄道線箱根湯本駅まで直通する。「OH 01」の駅番号が与えられている。

東京地下鉄

東京地下鉄(東京メトロ)の路線は、丸ノ内線が乗り入れており、駅番号が与えられている。

東京都交通局

東京都交通局(都営地下鉄)の路線は、2路線が乗り入れており、各路線ごとに駅番号が与えられている。

その他の鉄道路線

以下の駅とは地下通路などでつながっているが、各鉄道会社によっては公式な接続駅となっている駅もある。

地下鉄各線との連絡

当駅において京王・小田急・東京メトロ・都営地下鉄の相互間で乗継割引が適用される場合があるが、連絡する事業者によって割引の有無が異なる。なお、東京メトロ丸ノ内線と都営地下鉄新宿線・大江戸線は両駅間の距離が遠いため、乗継割引が適用されない。丸ノ内線と新宿線の乗換は新宿三丁目駅、丸ノ内線と大江戸線の乗換は東京メトロ新宿駅・都営地下鉄新宿西口駅間(同一駅扱い)または新宿三丁目駅 - 新宿駅間のみ新宿線経由乗り換え(あるいは中野坂上駅接続)で行えば乗継割引70円が適用される。

乗継割引適用の有無(○:適用、×:不適用)

京王
○ 小田急
○ | ○ 東京メトロ
○ | ○ | × 都営新宿駅
× | × | ○ | × 都営新宿西口駅

歴史

新宿駅の駅名は、江戸時代に甲州道中(甲州街道)の日本橋高井戸の間に新しく作られた宿場内藤新宿」が由来となっている。

1885年(明治18年)3月1日、日本初の私鉄(実質上の半官半民会社)である日本鉄道赤羽 - 品川間(のちの山手線の一部および赤羽線にあたる)で支線を開業。その中間駅として「内藤新宿駅」を開業した。これが現在の新宿駅の起こりである。初代駅舎は現在の新宿駅東口駅ビルルミネエスト新宿」(旧:マイシティ)の位置にあった。初代駅舎は木造改札口は1箇所、列車は2両編成であった。当時は町外れに駅が設けられたため駅前には茶屋があるのみで、乗降客は1日50人程度、雨の日はほとんど利用がないこともあったという。

次いで1889年(明治22年)4月11日甲武鉄道により新宿 - 立川間が開業し、同年8月11日には八王子まで延伸された。

1906年(明治39年)3月、新宿駅構内の改良工事が竣工。2代目駅舎が現在の東口付近から「甲州口」(現:南口付近、甲州街道沿い)へ移転した。駅舎移転に伴い、甲武鉄道は駅南端の「甲州口」のほか、北端の「青梅口」(現:西口付近、大久保駅寄りの青梅街道沿い)の2箇所にプラットホームを設置した。青梅口付近の淀橋には淀橋浄水場があり、また東京地方専売局淀橋工場が銀座三丁目(銀座松屋裏)から移転するなど、付近で働く労働者が増えたため通勤需要に応えたものである。同年3月31日には鉄道国有法公布、これにより同年10月1日に甲武鉄道は国有化され中央本線の一部となった。

1923年(大正12年)に関東大震災が発生し、東京市中心部は壊滅的な被害を受けた。震災で被災した人々は浅草両国などの下町から、地盤の安定した東京西部の武蔵野台地へ移り住み、人の流れが大きく変わることとなった。これにより新宿駅の利用者も急増した。翌1924年(大正13年)には震災復興のための拡張工事が行われ、甲武鉄道によって作られた中央線の2箇所のプラットホームを一本化。1925年(大正14年)には鉄筋コンクリート造2階建ての3代目駅舎が完成した。そして震災4年後の1927年(昭和2年)には、早くも一日あたりの乗降客数が日本一に達した。

これと前後して私鉄の乗り入れも相次ぎ、1915年(大正4年)に京王電気軌道(現・京王電鉄)が南口の甲州街道上に、1923年(大正12年)には帝国電灯西武軌道線(のちの都電杉並線)が東口に、1927年(昭和2年)には小田原急行鉄道(現・小田急電鉄)が西口にそれぞれ新宿駅を開業させている。

京王線の新宿起点は、新宿駅ではなく新宿追分交差点であり、現在の新宿三丁目駅の位置付近(伊勢丹新宿店の交差点南側路上)にあった。のちに隣接する路面外の土地に移設され京王新宿駅を名乗るが、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)に空襲初台変電所が被災して京王線の電圧が下降した影響で南口跨線橋の急勾配を電車が走行できなくなり、同年7月に東横線新宿駅予定地だった現在の西口に移転している。

詳細は「京王線の新宿駅付近の廃駅」を参照

初代新宿駅はかつての宿場町として栄えた内藤新宿(現:新宿1~3丁目付近)からは西に外れた場所にあったわけだが、2代目駅舎が甲州街道沿いに建設されたことにより、街道沿いに商店が立ち並び始め、宿場町から新宿駅周辺にかけて賑わいを見せるようになる。さらに3代目駅舎が青梅街道沿いに移ったことで、駅東口の繁華街が青梅街道沿いに拡がった。この頃には新宿駅付近に百貨店が開店し、1926年(大正15年)にほてい屋1930年(昭和5年)に三越新宿店(現:ビックロ)が開業。1933年(昭和8年)には伊勢丹が開業し、隣接地にあったほてい屋を1935年(昭和10年)に買収した。

戦後には、1952年(昭和27年)に西武鉄道の新宿線が西武新宿駅(歌舞伎町付近)まで延伸した。また地下鉄各線が新宿駅に乗り入れて開業している。1960年代には、新宿駅を出てすぐの甲州街道上を走っていた京王線が路面区間解消のために地下化され、小田急小田原線も限られたスペースでの発着番線確保のために駅が二層化された。1964年(昭和39年)には民衆駅(国鉄駅ビル)として、東口に新宿ステーションビル(のち「マイシティ」を経てルミネエスト新宿)が開業した。

京王と小田急のホームが地上にあった一時期に、のりばの番号が国鉄(現・JR)→小田急→京王の順で連番だったこともある。当時は各社の駅をつなぐ連絡跨線橋が設置され乗り換えに供用されていた。また軌間が同じ国鉄と小田急の間には連絡線が設置されていた。

年表

新宿駅(1925年)
新宿駅周辺の白黒空中写真(1963年6月撮影)
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
出典:wikipedia
2021/01/19 11:17

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