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日本の新聞とは?

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売店に陳列される販売用新聞(一般紙・夕刊紙)

日本の新聞では、日本における新聞について記す。

目次

  • 1 概説
  • 2 歴史
  • 3 印刷の変遷
  • 4 題字の「新」の字体
  • 5 一般紙
    • 5.1 新聞社発表の発行部数(スポーツ紙、夕刊紙、機関紙を含む)
    • 5.2 一般的な記事構成
  • 6 スポーツ紙、夕刊紙
  • 7 特定分野の専門紙・業界紙
  • 8 新聞が社会に与える影響
  • 9 小説
  • 10 一コマ漫画
  • 11 4コマ漫画
    • 11.1 主要紙の系譜
  • 12 短歌、俳句
  • 13 囲碁・将棋
    • 13.1 将棋
    • 13.2 囲碁
  • 14 読者からの投稿
  • 15 新聞社株式の譲渡制限
  • 16 新聞が閲覧できる図書館など
  • 17 脚注
  • 18 関連項目
  • 19 外部リンク

概説

日本には現在の新聞と似たものとして瓦版(読売とも呼ばれていた)が江戸時代以前から存在し、木製のものが多かった。現存する最古の瓦版は1614年1615年大坂の役を記事にしたものである。現在の紙媒体の新聞は、幕末から明治時代に欧米を真似て作り、国民に広まった。新聞という言葉は幕末に作られた造語である。

日本の新聞は大きく分けて、広い分野を扱う一般紙と、スポーツや株式・産業など、特定の分野を重点に扱う専門紙に大別される。日本において新聞を制作・発行する企業新聞社と呼ばれ、新聞社の事業としては、新聞の発行のみならず、雑誌書籍出版事業、各種イベントの主催(例:『毎日新聞』または『朝日新聞』と高野連による高校野球大会、『読売新聞』による箱根駅伝)といった文化事業も行っていることが多い。その他、企業等の広報誌制作業務の受託(取材から印刷まで引受け)も行う。新聞社によっては重要な収入源になっていることもある。また、印刷工場の余力を生かし、他紙(例えば宗教団体の機関紙等)の印刷業務を引き受け収益をあげている社もあり、新聞販売や広告収入以外にも収入源を確保するよう経営の安定化に務めている。公共性が求められる代表的なものとして、大辞林大辞泉などでは公器(おおやけのもの、公共の機関)の使用例(「新聞は社会の公器」など)として用いられている。また新聞特殊指定により、再販売価格維持制度で保護されている。

近年、日本の新聞は諸問題を抱え、諸外国同様に過渡期を迎えている。記者クラブ問題などから、上杉隆など、新聞に対する信憑性を疑問視する論客も多くなった。再販売価格維持制度も新聞販売店を圧迫するなどしており、新聞の売れ残りを地域の新聞販売店が負担させられてしまうとして問題になっている。別の一方で『石巻日日新聞』が東日本大震災時に壁新聞で被災者に情報を伝えたことが「信頼できる情報源」として評価され、国際新聞編集者協会の特別賞を受賞するなど、報道が評価されることもある。また、『日本経済新聞』・『産経新聞』のように、電子媒体で部数を伸ばす新聞も増えてきた。

なお、著作権については、発行後50年以上を経た記事や写真でも、著作者の本名か周知の変名を付し公表されたものは著作者の死後50年保護されるなど、特定の場合は著作権が切れていないことがあるので注意が必要である。

公職選挙法では「この法律に定めるところの選挙運動の制限に関する規定(中略)は、新聞紙(これに類する通信類を含む。以下同じ。)又は雑誌が、選挙に関し、報道及び評論を掲載するの自由を妨げるものではない」としており、ここでいう新聞は「毎月三回以上有償頒布するものであること」、「第三種郵便物の承認のあるものであること」と定めている。選挙に関する報道をする日本の新聞は、この条件を満たす必要があるが、業界紙では満たしていない場合もある。

歴史

1874年11月2日付の読売新聞
1879年6月7日の紙面(朝野新聞)
1879年1月25日付の朝日新聞

江戸時代後期の幕末には、手書きの回覧文章を「新聞」と称するケースがあった。1861年6月22日(文久元年5月15日)には英字新聞として『ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドバタイザー』、同じ年の11月23日(10月21日)には横浜で英語の週刊新聞『ジャパン・ヘラルド』が発行された。

1862年1月1日(文久元年12月2日)には初の日本語の新聞として『官板バタビヤ新聞』が刊行される。これはジャワで発行されていたオランダ語の新聞『ヤパニッシュ・クーランド』を、幕府の蕃書調所が和訳したものである。3月には『官板海外新聞』と改名するが、一般には「バタビヤ新聞」として知られていた。また、播州の水夫であったジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)が、1864年に出した『新聞誌』(翌年『海外新聞』に改名)が、日本での新聞第2号とされている。

明治時代に入ると、文明開化の流れに乗って新聞が多数創刊された。1868年に小冊子形態の新聞が刊行され、佐幕色の『中外新聞』、『江湖新聞』(1868年創刊)が、1870年には日本最初の日刊紙である『横浜毎日新聞』が創刊される。1872年には『東京日日新聞』(現在の毎日新聞)、『郵便報知新聞』などがそれぞれ創刊された。明治政府は新聞の普及が国民の啓蒙に役立つという認識から、新聞を積極的に保護する政策を取った。当時の明治政府は日本各地に無料の新聞縦覧所や新聞を人々に読み聞かせる新聞解話会を設置したほか、新聞を公費で買い上げたり郵便で優遇したりして各新聞社を支援していた。

1874年に民選議院設立建白書の提出などを契機として自由民権運動が盛んになると、それまでの御用新聞より民権派の勢力が強くなり、政府に批判的な論調が目立つようになった。こうしたことから明治政府は1875年新聞紙条例讒謗律を制定して新聞の言論弾圧に乗り出した。この頃の新聞は、政論中心で知識人を対象とした「大新聞」と娯楽中心で一般大衆を対象とした「小新聞」に分かれていた。

1874年に『讀賣新聞』、1879年に『朝日新聞』が創刊。1894年からの日清戦争1904年からの日露戦争戦時報道1905年9月1日の『大阪朝日新聞』には「天皇陛下に和議の破棄を命じた賜はんことを請い奉る」という記事と8月29日ポーツマス条約の講和条件を引用などの新聞報道により起きた民衆の暴動事件日比谷焼打事件、その後の全新聞による「警視庁廃止」の論陣などを経て、従来の論説中心から報道取材が行われるようになる。1909年には新聞紙条例を経た新聞紙法が制定される。

1890年記者クラブ誕生。

1918年米騒動の際、寺内正毅内閣総理大臣は新聞報道を禁止し、それに対する記者大会の報道で『大阪朝日新聞』が革命を示唆したとして、当時の朝憲紊乱罪に該当するものとして弾劾されている(白虹事件)。

1923年9月1日関東大震災の際には、電話回線に大きな被害が出た上、陸上交通もほとんど途絶となり、各新聞で記事の制作が困難となった。震災当時、大阪朝日新聞では東京から電話で原稿を読み上げてもらって記事製作中であったが、電話回線途絶によりそれが不可能となった。この為、新聞は真偽不明のデマも載せざるを得なくなり、一部の新聞が9月3日4日に、内務省警保局の意図的に発した“朝鮮人により放火・爆破がされている模様、暴動に警戒すべし”の電報指令を報道記事にした為、朝鮮人などの虐殺事件を引き起こした。このことは日本の新聞史上の汚点といえる。また、この震災で東京の新聞社は大打撃を受け、その後は大阪に強いバックを持つ『東京朝日新聞』と『東京日日新聞』が躍進した。また、東京発祥の『讀賣新聞』は、当時わずか5万部という弱小紙であったが、警視庁警務部長を難波事件で辞職した正力松太郎が経営権を取得し、当時の新風俗、ラジオ放送、将棋ボクシング等を取り上げた紙面で好評を博し、『東京朝日新聞』『東京日日新聞』の大阪資本2紙に勝る勢いで部数を伸ばした(『日本創業者列伝』宝島社文庫の正力の項による)。

第二次世界大戦太平洋戦争中は、政府情報局による新聞統制が敷かれて戦意高揚以外の内容は許されなかったが、政府発表による戦意高揚を煽ることもあった。戦争中に行われた新聞統合や一県一紙制の導入は、現在に至るまで大きな影響を与えている。当時は政府や軍部の公式発表である大本営発表を恒常的に掲載したが、多くは戦果を大幅に誇張して損害を矮小化した虚偽報道で、国民は事実と異なる日本軍の戦果を知らされていた。南方戦線から生還した山本七平は戦後に、市井のひとびとが「この戦争は日本海海戦のような一大決戦が最後にあり最後にかならず勝てる」と思っていたことに強く衝撃を受けた、と語っている。2005年に日経ビジネス人文庫で刊行された山本の『孫子の読み方』によれば、敗戦当時の日本軍は決戦可能な状況ではなかった。

1945年7月27日に論評なしにポツダム宣言の存在を新聞に公表すると、7月28日に『讀賣報知』は「笑止、対日降伏條件」、『毎日新聞』は「笑止!米英蒋共同宣言、自惚れを撃破せん、聖戰飽くまで完遂」「白昼夢 錯覚を露呈」、などと報道したことから政府は再び論評を発表し、鈴木貫太郎首相は7月28日の記者会見で「共同聲明はカイロ會談の焼直しと思ふ、政府としては重大な価値あるものとは認めず「黙殺」し、斷固戰争完遂に邁進する」と述べたと毎日新聞は1945年7月29日の紙面で報じ、翌日に『朝日新聞』は「政府は黙殺」などと報じた。「昭和20年7月27日に論評なしに黙殺」は「特に何の意見も言わない」の意だが、日本の同盟通信社は「全面的に無視」の意で「ignore it entirely」と訳し、ロイターAP通信は「拒否」の意で「Reject」と訳して報じた。

3月東京大空襲で治安が悪化し地方の交通手段が悪化したことから、都市圏以外の地方都市へ向けた新聞の輸送が困難になり、全国紙(中央紙)の輸送を東京・大阪・福岡の3大都市とその周辺府県のみに制限し、残りを地方紙と合同題字とする「持ち分合同」とした。

第2次世界大戦が終結した翌日の1945年8月16日の『毎日新聞』は、8月15日に皇居前で整然と土下座した人々を「“忠誠足らざるを”詫び奉る(宮城前)」として7段抜きと合成と修整を加えた写真を掲載して『朝日新聞』や『都新聞』など他紙に先んずるなど、太平洋戦争中は戦意を高揚させる記事が多かった。

1945年9月19日GHQプレスコードSCAPIN-33「日本に与うる新聞遵則」を発令し、9月21日発布された。

昭和天皇との会見(1945年9月27日)

内閣情報局は、昭和天皇ダグラス・マッカーサー総司令官が9月27日に会見時の写真を掲載した29日付けの新聞を発売禁止と処分したが、新聞検閲権限は無いとしてGHQは処分の即時解除を命令した、と翌30日の新聞は報じた。占領軍将兵の犯罪など連合国軍に関する記事は、プレスコードで検閲されていた。

産経新聞社編が扶桑社文庫で刊行した『新聞記者 司馬遼太郎』は、「旧来の新聞が軍国主義に大きく加担していたことから勢力を削ぐため、GHQは貴重である紙を旧来の社に少なく新興の社に多く配給して新たな媒体の育成を図り、新たな新聞を次々に誕生させた。」と記している。

戦後発祥の新聞で長く発行されたものは『栃木新聞』、『日刊福井』、『新大阪』、『奈良新聞』、『岡山日日新聞』、『日刊新愛媛』、『フクニチ新聞』、『鹿児島新報』、『沖縄タイムス』など第二県紙が多い。京都は多くの新聞社が生まれたが経営基盤が弱く短期間で消滅した。全国紙は1942年に諸経済紙を統合して1950年に一般紙になった産経新聞のみで、地方紙は奈良新聞と沖縄タイムスのみである。

1945年に『読売新聞』社長の正力松太郎A級戦犯容疑で逮捕され、巣鴨拘置所に収容される。1947年に不起訴で釈放されるも公職追放されて『読売新聞』を退職する。1951年に追放解除で『読売新聞』に復帰する。

1946年7月23日日本新聞協会の創立に当たって(旧)新聞倫理綱領が制定された。7項目の綱領のうち、「新聞の自由」に次いで「報道、評論の限界」が掲げられ、新聞は自らの節制により限界を設けることとされた。2000年に制定された現在の新聞倫理綱領では、「言論・表現の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじなければならない」とした上で、自由と責任、正確と公正、独立と寛容、人権の尊重、品格と節度の5項目を自らに課している。

1946年11月12日、『読売新聞』は「漢字を廃止せよ」との社説を掲載し漢字廃止(国語国字問題参照)を主張した。

1950年代民間放送の設立が認められると、各新聞社はこぞって自己資本による放送局の設立に乗り出した。当時設立された民間放送局のほとんどは新聞社の強い影響下に置かれることになり、新聞は放送業界においても大きな発言力を持つようになった。民放のネットワークは、全て五大紙の系列に属している。

印刷の変遷

日本の新聞の歴史は、紙などが庶民に普及し出した江戸時代に見る事が出来る。有名な物では、瓦版と呼ばれるもので、亙に文字を彫り込み、凹版印刷の要領で多量に印刷し、作る物である。

明治期になるとヨーロッパなどから活字印刷技術が導入され、凸版印刷が主流になる。

昭和中期に入ると鉛板に活字を彫り、1枚の板状の凸版印刷となる。

昭和後期から平成期になると、印刷にコピー機の原理が加わる。レーザーを使用したフィルムプリンタの登場により、新聞紙面大のフィルムに文字を焼き付け、現像。ネガであるため白抜きの文字になる。以下は、液体コピー機の原理と同じである。作成したフィルムをフィルタとして大型の感光ドラムに照射し、感光ドラムまたは感光フィルム(以下感光体)の表面電位を変化させ、感光体に文字を電位変化という形で作成する。次に液体トナーと呼ばれるインク物質を感光体に触れさせ、電位変化のあった感光体の文字部分にインクを付着させる。次に紙と触れさせ転写を行う。カラー印刷を行う場合は、4色の色別に印刷機が組み合わされる。

また、新聞の印刷は1980年代前半ごろまでは鉛版を使い、手作業で紙面を製作していったが、1980年代後半以後からは、CTS(コールドタイプシステム)という方式を採用し、紙面作成のイメージをDTPで組み立てるようになり、紙面作成・印刷までの時間の大幅な時間短縮にもつながった。更に、同時期ごろまで、全国紙の場合は、主に発行本社が所在する北海道(札幌市)、東京都(千代田区中央区)、愛知県(名古屋市)、大阪府(大阪市)、福岡県(福岡市北九州市)か、それに近い近隣府県の印刷工場で印刷を行い、そこから航空便、船便、鉄道輸送を使って遠隔地に向けて新聞を配送していたため、遠隔地や離島では、情報格差の開きが懸念され続けたが、1980年代後半以後は、印刷技術向上が進み、地方都市に自社印刷工場を建設したり、あるいはコスト削減の目的で地方紙と提携し、地方紙の印刷工場を使い、電話回線(NTTデジタル回線網)や、通信衛星を使って、現地印刷による紙面発行が可能となり、情報の格差縮小にもつながっている。特に日本経済新聞は自社工場のほか、地方紙への委託印刷を積極的に進めている(当該項参照)。

題字の「新」の字体

朝日新聞の看板
峡中新聞(現・山梨日日新聞)発祥の地の記念碑

新聞の題字では、「新」の文字の「木」の部分の横棒が一本多く「未」となっているものがしばしば使われる。本来、「新」や「親」の偏の部分は「辛」と「木」からなり(「シン」という読みも「辛」による)、このように横棒が一本多い字体が字源的には正しい。

1954年の時点では、日本新聞協会加盟社で題字に「新聞」とある60社のうち、45%にあたる27社がこの横棒の一本多い「新」を使用していた。この件では1952年から54年にかけて各紙に度々読者からの投書が寄せられており、林達夫も「文學界」1953年9月号に「新聞について」という記事を寄せ、当用漢字新字体現代仮名遣いを率先して採用し普及させた新聞が「一般の常識からは遠い」文字を使っていると批判した。これに対し日本新聞協会の内部では、全国各紙で題字を通常の「新」に統一するよう新聞協会用語懇談会で提案されたが、題字はデザインであるという反対意見もあり見送られた。

しかし、横棒の一本多い「新」を題字に掲げる新聞はその後次第に減っていき、毎日新聞は1978年1月1日から通常の「新」に改めた。2016年現在、協会加盟社では朝日新聞山梨日日新聞福井新聞伊勢新聞神戸新聞日本海新聞四国新聞南海日日新聞南日本新聞の9紙がこの字体を題字に使用している。協会非加盟の新聞では、名寄新聞美幌新聞、近江同盟新聞、丹波新聞奈良日日新聞紀州新聞日高新報、藝陽日日新聞、大分団地新聞の地方紙9紙と、日本食糧新聞などの専門紙25紙が使用している。

一般紙

一般紙には、国内全域で販売される全国紙、複数の都道府県を対象にしたブロック紙、一つの県単位で発行される地域密着の地方紙がある。

販売方法としては、各地域の新聞販売店からの宅配による月極め販売と、鉄道駅売店、コンビニエンスストアなどでの一部ごとの販売が行われ、朝刊夕刊が発行される場合が多い。一般に朝・夕刊の1日2回発行する新聞を「セット版」、どちらかのみ(全国紙、一部地方紙など一般には朝刊のみを指す)を発行するものを「統合版」という。『大分合同新聞』のような朝夕刊連続紙も存在し、同紙では夕刊が配達されない地域は発行翌日の朝刊と一緒に配達するシステムをとっている。ただ、近年は朝刊だけを購読する家庭が増えてきており(「セット割れ」)、『産経新聞』(東京本社)のように夕刊を廃止した社もある。

全国紙では、欧米などの主要な国に紙面が伝送されて、現地で国際版が印刷されており、一部主要都市の書店やホテルなどで販売されている。

地方新聞の題字(1面)は、その地域の名産品、気候、文化、観光名所などをデザインにあしらったものもある。

1日のページ数は朝刊が20ページから多いものでも40ページ近く、夕刊は8ページから20ページ近くである。ただし、大型選挙(参議院衆議院の国政選挙、あるいは統一地方選挙)の開催翌日や年末(12月29日-12月31日)の朝刊は特別紙面体制の関係で16-20ページに縮小(夕刊は年末年始=12月29日から1月3日と日曜・祝日は専売紙の一部を除いて休刊)。また年始には特別に増ページされることが多い。

2007年12月(毎日)、2008年3月(朝日・読売)と、紙面の活字が大きくなった。2014年には、従来の15段から12段組みへの移行も、さらに活発化した。

内容としては政治経済社会的なニュースだけでなく、テレビ・ラジオの番組表(通称ラテ欄)、天気予報、読者投稿欄や囲碁将棋欄などの家庭一般向け記事が掲載される。自社の論説委員が書いた社説を掲載して、その新聞社の見解や意見を社会に示すこともある。また一面の下部にコラムが掲載され、社会常識の問題として入学試験に引用されたりする。日本政府から政府広報として日本国民に周知する事柄が広告として掲載されることもある。

一般紙については宅配制度などによって新聞普及率が高く、テレビラジオ電車内や駅構内など各種メディアへの広告(コマーシャル)や、新聞社が通話料を負担するフリーダイヤルによる購読申し込み窓口の設置、新聞販売店や「拡張員」と呼ばれる外部セールスマンによる訪問販売などにより、営業活動を行っている。販売員の恫喝や不退去などの強引な訪問販売が常態化していることから「新聞はインテリがつくってヤクザが売る」と揶揄される。現在、身分証を交付される「新聞セールスマン」の制度が存在する。

宅配される新聞には折り込みチラシが挟まれることも多い。また雨天時などには、防水材料による袋に収められて配達されることもある。

新聞社発表の発行部数(スポーツ紙、夕刊紙、機関紙を含む)

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日本の新聞の発行部数
【順位】
【紙名】
【発行部数】
発行所
【朝刊】
夕刊
1 読売新聞(讀賣新聞) | 約851万部 | 約242万部 | 株式会社読売新聞東京本社
株式会社読売新聞大阪本社
株式会社読売新聞西部本社
2 朝日新聞 | 約595万部 | 約183万部 | 株式会社朝日新聞社
3 聖教新聞 | 約550万部 | 聖教新聞社
4 毎日新聞 | 約282万部 | 約72万部 | 株式会社毎日新聞社
5 幸福実現NEWS | 約250万部 | 幸福実現党
6 中日新聞 | 約240万部 | 約39万部 | 株式会社中日新聞社
7 日本経済新聞 | 約243万部 | 約115万部 | 株式会社日本経済新聞社
8 スポーツニッポン | 約172万部 | 株式会社スポーツニッポン新聞社
9 日刊ゲンダイ | 約168万部 | 株式会社日刊現代
10 日刊スポーツ | 約166万部 | 株式会社日刊スポーツ新聞社
株式会社日刊スポーツ新聞西日本
株式会社北海道日刊スポーツ新聞社
11 夕刊フジ | 約155万部 | 株式会社産業経済新聞社
12 東京スポーツ | 約152万部 | 株式会社東京スポーツ新聞社
13 産経新聞 | 約150万部 | 約44万部 | 株式会社産業経済新聞社
14 スポーツ報知 | 約135万部 | 株式会社報知新聞社
株式会社読売新聞東京本社中部支社
株式会社スポーツ報知西部本社
15 しんぶん赤旗 | 約130万部 | 日本共産党中央委員会
16 サンケイスポーツ | 約123万部 | 株式会社産業経済新聞社
17 北海道新聞 | 約100.3万部 | 約41.4万部 | 株式会社北海道新聞社
18 佼成新聞 | 約100万部 | 佼成新聞社
19 公明新聞 | 約80万部 | 公明党機関紙局
20 自由民主 | 約68万部 | 自由民主党広報本部
21 デイリースポーツ | 約67万部 | (発行)株式会社神戸新聞社
(編集)株式会社デイリースポーツ
22 西日本新聞 | 約65.8万部 | 約8万部 | 株式会社西日本新聞社
23 静岡新聞 | 約64.2万部 | 株式会社静岡新聞社
24 中国新聞 | 約61.4万部 | 株式会社中国新聞社
25 神戸新聞 | 約53万部 | 約18.1万部 | 株式会社神戸新聞社
26 日刊工業新聞 | 約53万部 | 日刊工業新聞社
27 東京新聞 | 約48万部 | 約17万部 | 株式会社中日新聞社(東京本社)
28 京都新聞 | 約45.6万部 | 約20.2万部 | 株式会社京都新聞社
29 新潟日報 | 約44.6万部 | 株式会社新潟日報社
30 信濃毎日新聞 | 約47.8万部 |  | 株式会社信濃毎日新聞社
31 河北新報 | 約45.2万部 | 約5.9万部 | 株式会社河北新報社
32 日本工業新聞 | 約41万部 | 日本工業新聞社
33 山陽新聞 | 約40万部 | 約3.8万部 | 株式会社山陽新聞社
34 日刊建設工業新聞 | 約38万部 | 日刊建設工業新聞社
35 日本農業新聞 | 約35万部 | 株式会社日本農業新聞
36 建設通信新聞 | 約31.9万部 | 日刊建設通信新聞社
37 南日本新聞 | 約31.8万部 | 株式会社南日本新聞社
(参考) 中日新聞
東京新聞
北陸中日新聞
日刊県民福井 | 約298万部 | 約58万部 | 株式会社中日新聞社

集計方法によりシェアは変動する。

日本新聞協会によると2010年のスポーツ新聞発行部数の合計(日刊ゲンダイは日本新聞協会未加盟なのでこれに含まない)が4,415,120部であるのでスポーツ新聞が自称する発行部数は著しく誇張されたものである。

日本新聞協会の調べによる2018年10月現在の日本の新聞発行部数の総数は、48,926,722部(セット紙を朝・夕刊別に数えた場合で協会加盟分のみ)となっており、2000年代以降漸減傾向にある。なお、公称発行部数と実際の販売部数は大きく乖離している。それについては新聞販売店の項目を参照のこと。

一般的な記事構成

(経済中心型の日経新聞以外の多くの全国紙・地方・ブロック紙の朝刊を例に挙げる)

※全面広告では、新聞社広告局が制作した広告特集扱いの記事もある。

スポーツ紙、夕刊紙

夕刊紙と呼ばれる新聞は、主に退勤時のサラリーマンなどに向けて、夕刊のみ売店やコンビニエンスストアなどで販売されるもので、野球などのスポーツや芸能(テレビ・ラジオ・タレント ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

出典:wikipedia
2019/08/18 18:55

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