このキーワード
友達に教える
URLをコピー

日本万国博覧会とは?

日本万国博覧会
Japan World Exposition
Osaka 1970
開催期間中の会場風景。中央に太陽の塔を望む。1970年4月撮影。

【イベントの種類】
国際博覧会(旧・一般博)
【通称・略称】
大阪万博、70年万博、日本万国博、EXPO'70
【正式名称】
日本万国博覧会
【開催時期】
1970年3月15日 - 9月13日(6か月、183日間)
【会場】
日本大阪府吹田市万国博会場(千里丘陵・現万博記念公園)
【主催】
財団法人 日本万国博覧会協会
【プロデューサー】
丹下健三
【来場者数】
6,421万8,770人
【最寄駅】
万国博中央口駅、万国博西口駅
詳しくは大阪万博の交通を参照
【駐車場】

【EXPO 大阪 1970】

【概要】

BIE区分 一般博覧会
【名称】
日本万国博覧会
【標語】
人類の進歩と調和
【観客数】
6,421万8,770人
【運営者】
日本万国博覧会協会
【出展者】

【国数】
77
【団体数】
1040(日本国内)
4(国際機構)
76(外国政府)
10(政庁・州・都市)
3(外国企業)
【会場】

【国】
日本
【都市】
大阪
【会場】
千里丘陵(吹田市)
【座標】
北緯34度39分12.7秒 東経135度23分11.1秒 / 北緯34.653528度 東経135.386417度 / 34.653528; 135.386417座標: 北緯34度39分12.7秒 東経135度23分11.1秒 / 北緯34.653528度 東経135.386417度 / 34.653528; 135.386417
【経緯】

【立候補】
1965年4月22日
【選出】
1965年9月14日
【初日】
1970年3月14日
【最終日】
1970年9月13日
【一般博覧会】

【前回】
モントリオール万国博覧会(モントリオール)
【次回】
セビリア万国博覧会(セビリア)
【特別博覧会】

【次回】
スポーケン国際博覧会(スポケーン)
 | 
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2012年12月)

『シンボルマーク』

【作者】
大高猛
【製作年】
1966年採用

日本万国博覧会(にっぽんばんこくはくらんかい、英:Japan World Exposition, Osaka 1970)は、1970年3月15日から9月13日までの183日間、大阪府吹田市千里丘陵で開催された国際博覧会高度経済成長を遂げたばかりの活気ある日本で開催された。未来の生活を表現するため、当時最先端の技術やサービスは当然として、建造物からコンパニオンの制服に至るまで現在でいうレトロフューチャーのデザインを採用した。さらに、整然とした外見を実現するため、幾何学的なモチーフも盛り込まれた。簡潔に記号化された会場デザインは分かりやすく、会場の外観も洗練されていたため、のちのイベントにも大きな影響を与えた。時代の追い風が吹き、未来に向かって飛躍していた昭和の日本の象徴であり、閉会後も高度経済成長期を回顧する際には必ず日本万国博覧会が引用されている。

アジア初かつ日本で最初の国際博覧会(General category:一般博、現・登録博)であり、当時史上最大の規模を誇った。略称は開催地・開催年から大阪万博あるいは70年万博、一般的な英語表記としてはEXPO'70が用いられた。また、日本国内において単に万博あるいは万国博とも略される(本項の記述にも用いる)。主催は、財団法人 日本万国博覧会協会。博覧会の名誉総裁は当時の皇太子明仁親王、名誉会長は当時の内閣総理大臣佐藤栄作

目次

  • 1 概要
  • 2 演出者
  • 3 シンボルマーク
  • 4 参加した国・地域・国際機関
  • 5 パビリオン一覧(50音順)
  • 6 館・展示物
  • 7 沿革
    • 7.1 招致活動
    • 7.2 開催準備
    • 7.3 会期中
    • 7.4 開催後
  • 8 記録
  • 9 会場内・会場への交通
  • 10 記念発行物
  • 11 テレビ・ラジオにおける大阪万博
    • 11.1 開催中のテレビ番組
    • 11.2 開催中のラジオ番組
  • 12 テーマソング
  • 13 万博に出展し、その後実現普及したもの
  • 14 万博で登場したがいまだ普及途上にあるもの
  • 15 万博が舞台、もしくは関係のある作品
    • 15.1 小説
    • 15.2 漫画・アニメ
    • 15.3 テレビドラマ
    • 15.4 バラエティ番組
    • 15.5 映画
      • 15.5.1 公式記録映画
      • 15.5.2 題材作品
    • 15.6 楽曲
    • 15.7 現代音楽(万博で初演・公開されたもの)
    • 15.8 その他
  • 16 博覧会閉幕後
    • 16.1 パビリオンの転用
  • 17 開催時間・入場料
  • 18 脚注
    • 18.1 注釈
    • 18.2 出典
  • 19 関連項目
  • 20 外部リンク

概要

開催期間中の会場風景。右前方に太陽の塔が垣間見られる(1970年4月撮影)。

「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、77か国が参加し、戦後、高度経済成長を成し遂げアメリカに次ぐ経済大国となった日本の象徴的な意義を持つイベントとして開催された。コンセプトは「規格大量生産型の近代社会」。その日本においては1964年東京オリンピック以来の国家プロジェクトであり、多くの企業研究者建築家芸術家らがパビリオン建設や映像音響などのイベント制作・展示物制作に起用された。大阪市など会場周辺市街地では万博開催への整備がなされ、道路鉄道地下鉄建設など大規模開発が進められ政府の万国博関連事業として6,500億円あまりが支出された。一方、第二次世界大戦以来の規模となる芸術家らの国家イベントへの動員は文化・芸術界内部で批判があったほか、同じく1970年に予定されていた日米安保条約改定に関する議論や反対運動(70年安保闘争)を大イベントで国民の目からそらすものだとして、大学生らによる反対運動も行われた。

常識を覆すような超巨大プロジェクトゆえに日本全国で物議を醸したが、世界各国の新技術や文化を結集し、一時の未来世界を作り上げたことで6,422万人が来場し、大成功を収めた。日本万国博覧会では、サインシステム動く歩道モノレールリニアモーターカー電気自転車電気自動車テレビ電話携帯電話缶コーヒーファミリーレストランケンタッキー・フライド・チキンなど、21世紀の現代社会で普及している製品やサービスが初めて登場した。日本万国博覧会を機に広く有用性が認知され、直後に日常生活にも広がっていった製品は少なくない。しかし、リニアモーターカーなど、技術的な難易度が高く、現代でも実用化に至っていない製品もある。レトロフューチャー的な施設デザインは、清潔感があることから、のちの展示会などでも頻繁に採用されている。

テーマ館の太陽の塔やアメリカ館・ソ連館などの、人気パビリオンでは数時間待ちの行列ができるなどして大変混雑した。特にアポロ12号が持ち帰った「月の石」を展示したアメリカ館の行列は延々と続き、途中であきらめて他の館へ行く人も多かった。その異常な混雑ぶりから、テーマをもじって「人類の辛抱と長蛇」や「残酷博」と揶揄されたことがある。また、国際博覧会史上初めて黒字となった。

大阪万博の最終的な総入場者数は約6,421万人で、2010年中国上海で開かれた上海万博に抜かれるまでは万博史上最多であった(上海万博は約7,308万人)。また、愛称の「万博(バンパク)」は、この博覧会の正式名称の「万国博覧会」を略したものだが、その後の博覧会の愛称にも引き継がれている(科学万博=つくば博、花の万博=大阪花博、愛知万博=愛・地球博)。

なお、1940年3月15日から8月31日にかけて東京で開催される予定で、日中戦争の激化などを受けて開催延期された「紀元2600年記念日本万国博覧会」の前売り券が本博覧会で代替として使用できたため、約3,000枚が実際に使用された。

また、入場料の引き下げのために、日本政府閣僚会議の要請のもとモーターボート競走業界より21億円あまりの協賛金が拠出されたほか、日本船舶振興会(現・日本財団)もその他に補助金を交付するなど、万博への協賛が実施された。このほか、日本自転車振興会は広報事業・協会本部ビル・動く歩道・オペレーションコントロールセンター・昇降機・公式記録・記録映画の事業費として20億円あまり、日本小型自動車振興会は電光案内板資金として1,000万円あまり、競馬業界では万国博と馬匹や畜産の関連性の薄さから中央競馬からの支援はなかったものの、大阪府都市競馬組合・兵庫県・和歌山県から1億6,200万円の寄付が寄せられた。

演出者

財団法人日本万国博覧会協会の会長理事は石坂泰三、事務総長理事は初代が新井真一(元通産省官僚、のちに実業家)。新井はテーマの画策、テーマ館の総合プロデューサーを岡本太郎に依頼、説得するなど奔走したが志半ばで更迭された。理由は定かではないが、何らかの政治的な力学が働いたのではとメディアは伝えている。2代目は鈴木俊一(のちの東京都知事)。

開会式の演出は内海重典(宝塚歌劇団演出家)、閉会式演出は内海と同じく宝塚歌劇団の高木史朗が担当した。

SF作家小松左京は自発的にプロジェクトに参画し、1965年7月に文化人類学者梅棹忠夫社会学者加藤秀俊らと「万国博を考える会」を発足。同年10月に第1回総会を開催、その後BIE(パリ博覧会国際事務局)に提出するテーマと基本理念づくりのため草案を練り、テーマが「人類の進歩と調和」に決まった。小松はその後、テーマ展示プロデューサーに就任した岡本太郎との個人契約という形で、テーマ展示サブプロデューサーとして太陽の塔の地下展示を作り上げた。

万博会場の総合設計を行ったのは建築家の丹下健三であった。会場やパビリオンには随所にメタボリズムの意匠が見て取れる。黒川紀章菊竹清訓らメタボリストたちは、広大な敷地に会期の間だけ「都市」を出現させ、終わったらすべてを無に帰すという博覧会の特徴が上手くメタボリズムと適応したためか、大阪万博以降の博覧会(沖縄海洋博など)にも関与した。

シンボルマーク

参加した国・地域・国際機関

国際博覧会史上アジアで初めて開催される大阪万博に、できるだけ多数の国の参加を得て充実した意義あるものとするため、在外公館を通じて未参加国に対して参加勧奨に努めるとともに、総理大臣または万博担当大臣の特使および万博日本政府代表のほか博覧会協会幹部職員などを派遣して折衝を行った。その結果、同年中に新たに中央アフリカ共和国ほか25か国が参加を決定し、参加決定国は合計81か国に上ったが、他面、参加申し込み後にオーストリアイスラエルポーランドボリビアレバノンコンゴ・キンシャサガイアナハイチが参加を取り消した。最終的には、77か国(日本を含む)、4国際機関、1政庁、9州市が参加した。

日本万国博覧会に参加した国・地域・国際機関の一覧
国旗は1970年開幕当時
参加した国 (括弧)は、申し出の順番
アジア
韓国 (2) |  中華民国 (4) |  クウェート (15) |  トルコ (18) |  タイ (20) |  フィリピン (21)
ラオス王国 (29) |  ビルマ (30) |  サウジアラビア (33) |  セイロン (35) | インドネシア (38) |  キプロス (41)
シンガポール (44) | パキスタン (45) |  インド (47) |  ベトナム (50) |  ネパール (52) |  アブダビ首長国 (60)
イラン (61) |  マレーシア (62) |  アフガニスタン (63) |  カンボジア (65) | RCD(地域開発共同体 | 
ヨーロッパ
オランダ (5) |  ソビエト連邦 (7) |  ベルギー (8) |  ドイツ (9) |  スイス (10) |  フランス (13)
ブルガリア (14) |  イギリス (16) |  ポルトガル (19) | デンマーク (24) | ノルウェー (25) | スウェーデン (26)
フィンランド (27) |  ギリシャ王国 (31) |  チェコスロバキア (34) |  アイスランド (39) |  バチカン (49) |  イタリア (55)
マルタ (66) |  モナコ (69) |  アイルランド (76) | 
北アメリカ
カナダ (1) |  アメリカ合衆国 (3) | キューバ (17) |  ドミニカ共和国 (32) |  エルサルバドル (64) |  ニカラグア (70)
パナマ (71) |  コスタリカ (72) | 
南アメリカ
チリ (48) | コロンビア (51) |  エクアドル (53) |  ペルー (54) |  アルゼンチン (57) |  ブラジル (58)
ベネズエラ (67) |  ペルー (73) | 
アフリカ
ザンビア (6) |  アルジェリア (22) |  エチオピア帝国 (28) |  象牙海岸(36) |  タンザニア (37) | ガーナ (40)
マダガスカル (42) |  ウガンダ (43) |  ガボン (46) |  中央アフリカ (56) |  ナイジェリア (59) |  アラブ連合共和国 (68)
シエラレオネ (75) |  モーリシャス (74) | 
オセアニア
ニュージーランド (11) |  オーストラリア (12) | 
参加した国際機関など (括弧)は、正式名、所属の国名・地域など。
国際連合 | EC(ヨーロッパ共同体) | OECD(経済協力開発機構) |  イギリス領香港(イギリス領) |  ケベック州(カナダ) |  コロンビア州(カナダ)
オンタリオ州(カナダ) |  ワシントン州(アメリカ) |  ハワイ州(アメリカ) |  アラスカ(アメリカ) | ミュンヘン市(ドイツ) | ロサンゼルス(アメリカ)
  1. ^ 台湾が「中華民国」の正式国名で参加した、最後の国際博覧会である。
  2. ^ 後のミャンマー。
  3. ^ 後のスリランカ共和国
  4. ^ 当時、南北に分かれていたうちの南ベトナムである(1976年に北ベトナムへの統合により消滅)。
  5. ^ 現在はアラブ首長国連邦(UAE、1971年結成)を構成する首長国のひとつ。
  6. ^ イラン(61)・トルコ(18)・パキスタン(45)の三ヵ国、後のECO(経済協力機構)。
  7. ^ 後のロシア連邦独立国家共同体構成国。
  8. ^ 西ドイツのみ参加。
  9. ^ 後に王制を廃止、ギリシャとなる。
  10. ^ 後にチェコスロバキアに分裂。
  11. ^ 後のコートジボワール。
  12. ^ 後のEU(ヨーロッパ連合)。

パビリオン一覧(50音順)

タイ館(中央)
レストラン・プラハ
中央が化学工業館、左奥に三菱未来館
住友童話館
せんい館
タカラ・ビューティリオン
東芝IHI
富士グループパビリオン
左がみどり館、右が日立
左より順に、みどり館、古河パビリオン、電力館。右端は空中ビュッフェ。
エキスポタワー
大阪日本民芸館(日本民芸館)
EXPO'70パビリオン(日本鉄鋼館)
万国博美術館(旧国立国際美術館)
国際館
出典:wikipedia
2020/02/08 22:02

HAPPY Wikipedia

あなたの考える「日本万国博覧会」の意味を投稿しよう
「日本万国博覧会」のコンテンツはまだ投稿されていません。
全部読む・投稿 

日本万国博覧会スレッド一覧

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「日本万国博覧会」のスレッドを作成する
日本万国博覧会の」
友達を探す
掲示板を探す
このページ
友達に教える
URLをコピー

注目のキーワード

錦織圭/北島康介/2014_FIFAワールドカップ・アジア予選/サッカー日本女子代表/消費税/東京スカイツリー/ダルビッシュ有/イチロー/香川真司/野田内閣/復興庁/石川遼/HKT48/AKB48/ワールド・ベースボール・クラシック日本代表/黒田博樹/尖閣諸島/バレンタインデー/ONE_PIECE

キーワードで探す

 
友達を探す
掲示板を探す
ハッピーWiki
ハッピーメール
ハッピーランド
HAPPY NEWS
2010Happy Mail