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日本体育大学とは?
【日本体育大学】
世田谷キャンパスの深沢新校舎
【大学設置】
1949年
【創立】
1893年
【学校種別】
私立
【設置者】
学校法人日本体育大学
【本部所在地】
東京都世田谷区深沢七丁目1番1号
北緯35度37分18.1秒 東経139度38分56.2秒 / 北緯35.621694度 東経139.648944度 / 35.621694; 139.648944座標: 北緯35度37分18.1秒 東経139度38分56.2秒 / 北緯35.621694度 東経139.648944度 / 35.621694; 139.648944
【キャンパス】
東京・世田谷(東京都世田谷区)
横浜・健志台(神奈川県横浜市青葉区)
【学部】
体育学部
スポーツ文化学部
スポーツマネジメント学部
児童スポーツ教育学部
保健医療学部
【研究科】
体育科学研究科
教育学研究科
保健医療学研究科
【ウェブサイト】
日本体育大学公式サイト
日本体育大学(にっぽんたいいくだいがく、英語: Nippon Sport Science University)は、東京都世田谷区深沢七丁目1番1号に本部を置く日本の私立大学である。1949年に設置された。大学の略称は日体(にったい)、日体大(にったいだい)、NSSU(旧略称NCPE)。
概要
歴史
1891年(明治24年)に日高藤吉郎により東京・牛込区原町の成城學校(現・成城中学高等学校)内に設立された「體(体)育會」(翌1892年に「日本體育會」と改称)を起源とする。
1893年(明治26年)日本體育會體操練習所(当初国民体育「社会体育等」の体育指導者養成を目指すがのちに体育教員養成にも幅を広げる)、日本體育會體操學校(当時の略称-体操学校)(「高等科・高等師範科・女子部高等科」)を経て、専門学校令による日本體育専門學校(本科・師範科・女子師範科)となった。体操練習所時代から教員養成には実績があり、全国から体育教員志望者・スポーツ好き・運動能力の高い受験生が殺到した。
幻となった1940年(昭和15年)東京オリンピックには多くの在校生(日本代表選手・競技役員・補助員「ボランティア」等)の参加が見込まれていたが、戦争の勃発は「敵性スポーツ」を悉く禁止に追い込んだ。いつしか「体育」も「軍事教練」に名を変え、在校生の多くが戦地に倒れていった(戦死學生の碑、日體生「戦死400名弱」-学徒の碑が本部世田谷深沢キャンパス西に有る)。この過去を忘れることなく第二次大戦後の1949年(昭和24年)、「民主体育」をスローガンに日本体育大学が開学した。
日体大はオリンピックと日本で最初に折衝を持った大学としても知られている。體操練習所が開設されたのは、国際オリンピック委員会(IOC)が結成された1894年のちょうど1年前。第2回のオリンピック競技大会がパリで開催されたのは1900年である。その年のオリンピック総会(当時、万国体育会議、今のIOC総会)に、日本代表として招待されたのが日本體育會體操練習所(現日体大)だった。以来、日体大はオリンピックと深い関係を保ちながら日本のスポーツの振興に貢献し、今に至っている。
建学の精神
建学の精神に創設者日高藤吉郎による「全国民が強健な体力を保持しなければ、国家の発展は望めない。」との信念を持つに至り「體育富強之基」(たいいくふきょうのもとい)を掲げている。
国民体育の振興、真に豊かな国家・社会を実現するため、体育・スポーツの普及・発展を積極的に推進し、健全な心身を兼ね備えた全人格的な人間を育成することを建学の理念としている。そのような校風は、「質実剛健・団結和協」「知徳兼修・体育奉公」と校歌の詞にも謳われている。校歌は、日本を代表する作曲家呉泰次郎(ごうたいじろう)が作曲し、国文学者の近藤忠義が作詞した。現在の校歌は、知徳兼修・体育奉公の2番・4番は割愛され、1番・3番を1・2番として歌われている。
日体スピリット(日体魂)「チャンス(Chance)の像」(1954年-昭和29年建像)の云われ、世田谷深沢キャンパス正面左側に競技者の銅像がある。ちょうどラガーメンが前方の体育館にパスをしょうとしているシーンを表現したもののようである。この像はチャンスと命名(命名者は初代学長 栗本義彦)されている。「ポイントゲッターになるよりも、チャンスメーカーになれ」、「トライゲッターであるよりも、チャンスメーカーたれ」という言葉はラガーマンのためのキャッチフレーズだが、ラグビー以外のスポーツウーマン・スポーツマン一般(ラグビー部員以外一般学生)生にも当てはめた標語を通して、日体大が目指そうとしている教育理念を表明しょうとしたものである。真のチャンスメーカーに徹する生き方こそが日体スピリット(日体魂)である。※大学案内要綱一部抜粋、元日本体育会総裁閑院宮載仁親王殿下直筆の建学の精神「體育富強之基」の額と肖像画が本部世田谷深沢キャンパスに掲げられている。
教育および研究
日本の中核をなす体育・スポーツ科学(SportScience)の専門大学という位置づけにあり、その歴史(体育大学系・スポーツ学科系で最古)の中で、数多くのオリンピック代表選手、世界選手権代表選手、体育教諭(スポーツ指導者「監督・コーチなど」)、養護教諭、更にはスポーツ科学者(スポーツ研究家)を輩出している名門体育大学、近年は国際的に活躍する指導者の育成にも力を入れている。
伝統的に保健体育の教員養成(養護教諭を含む)を目的としていることもあり、同校出身のプロスポーツ選手は他大学と比較しても多くはない。むしろ、プロ組織を持たない比較的マイナーなアマチュアスポーツにおいて世界レベルの選手を数多く育成しており、日本スポーツ界の底上げを担っている。2012年ロンドンパラリンピックにおいては、井田朋宏、石田直章、江黒直樹など監督・コーチとして8名の卒業生が参加した。
2012年ロンドンオリンピックにおいては選手23名(日本のメダル獲得数38個の内の10個獲得)、2008年北京五輪においては26名、2006年アジア競技大会(カタールドーハ大会)においては51名の選手を輩出している。1912年(大正元年)スウェーデンストックホルムオリンピック初出場から第29回北京オリンピックまでの日本代表選手団のメダル獲得数の4分の1を日体大(在校生・学部院卒業生)関係者が獲得している。その実績などから実技の日体大(体育・スポーツ「科学」の日体)と云われる所以は今なお受け継がれている。
東京・世田谷キャンパスは「体育・スポーツ科学の総合大学」にふさわしい都市型・高度情報型キャンパスに再開発(2011年完成)され、これに伴い教育・研究カリキュラムの抜本的な改革に着手している。世田谷キャンパスの設計は久米設計により行われた。
学風および特色
体育・スポーツの殿堂、明治時代中頃に創設された體(体)育會の下に設置された体操練習所(のち体操学校)からスタートした体育系(体育学・体育科学・スポーツ科学)大学の老舗である。そして、体育学から波及した色んな学科をいち早く取り入れた。例えば健康学科を体育系大学で初めて設置し、保健分野(養護「保健」学・生理学・健康学・公衆衛生学)でもよく知られ、伝統の体育指導者(体育教員‐高等学校教員、中学校教員・スポーツ指導者・スポーツ科学者等)輩出のみならず、養護教員・小学校教員・特別支援学校教員・医療関係従事者のOG・OBも多く輩出している。現在、健康学科ソーシャルサポート領域(旧社会福祉コース)においては、在学中(または卒業後)に社会福祉士の国家資格を取得し、福祉関係の仕事に就く学生もいる。
日体大生の就職志望は教員が一番多く、次に公務員(警察官・消防官・刑務官・防衛省職員自衛官、県「市」職員等)などが多い。進学者は8%程度で日体大大学院・筑波大学大学院・早稲田大学大学院・各都道府県国立大学大学院等数名が進学している。
スポーツを嗜む大学生(体育会部員)、スポーツ系学部学生には略称の「日体(にったい)」は広く認知されているが、一般学生・一般市民には「日体大(にったいだい)」で全国的によく知られている。特にオリンピック開催年には日体大関係者(学生、学部・院卒選手、コーチ等含む)の活躍により、よく話題になる大学である。学生の大半が運動系・文化系問わずクラブかサークルまたは学外実業団クラブ・スポーツクラブ等に入部し、練習・研究活動に切磋琢磨している。運動系(部・サークル)はインターカレッジ優勝を目指しているクラブが多い。因みにインカレの優勝旗が18旗有り、近年スポーツ学部(学科・コース)などを設置しクラブを強化する総合大学が多い中、単科大学では奮闘している。単科大学でのスポーツの強豪は、数えるしかなく、野球・ゴルフの東北福祉大学など数校である
2013年7月第27回ユニバーシアード競技大会(WORLD UNIVERSITY GAMES)ロシア・カザン大会選手監督関係者75名を派遣、日本の国別メダル総獲得数第2位(84個)に貢献した。日体大関係者のメダル総獲得数20個の内訳は、金メダル5個・銀メダル10個・銅メダル5個。
2016年7月・8月ブラジル開催リオオリンピック日本代表(団体競技・個人競技含む)選手数(大学・大学院在校生・卒業生含む) 1位日体大28名 2位早稲田大学18名 3位日本大学17名 4位筑波大学10名 明治大学10名 6位国士館大学9名 山梨学院大学9名 8位東洋大学8名 9位順天堂大学7名 東海大学7名 法政大学7名 中京大学7名であった。
卒業は通常の単位取得のほか、過去に中途退学した学生でも「3年以上の在籍で100単位以上の取得。その後の社会的な活躍や貢献によって、特別卒業認定証を授与する」という規約の適用を教授会が認めれば卒業となり、千葉真一が2013年3月10日に特別卒業認定証第1号として承認されている。翌2014年3月10日には前年度の千葉に引き続き、本田大三郎と松木安太郎が同認定で卒業した。
エッサッサ
エッサッサとは、日本体育大学で伝統的に行なわれている応援スタイル及び運動のこと。大学生活において、新入生特別活動(前期授業の一環)で教えられ、習得した後は各部祝勝会等で凱歌として披露されることが多い。新入生特別活動においては、エッサッサ(女子学生は荏原体育)を初め学校体育(行事)等で必要な集団行動の訓練、校歌指導なども行われている。荏原体育(えばらたいいく)とは、伝統的に行われている女子学生による応援スタイル運動のこと、体育研究実演発表会での「集団行動の演技」は、エッサッサほどではないが、教育界では著名である。
エッサッサは大正時代後期に各学校でスポーツ応援が盛んとなり、東京高等商船学校(現東京海洋大学)の応援歌「錨をあげて」や、東京農業大学の「青山ほとり」、などに対抗するスタイルのものを求めて、前身の体操学校在校生の師範科生であった平井一が考案した。
当時、アメリカから導入された「ピストン・ロッジ・アームモーション走法」を参考に、掛け声を「エッサッサ」と定めたことに始まる。また、そのエッサッサという雄たけびを上げるのと同時に己の想いを乗せて体外に放出するといわれ、現在の諸手の拳を交互に前方へ押し出すモーションも初期のピストン・ロッジ・アームモーション走法から進化して気持ちを乗せることから現在の形になった。
日体大卒業生が体育教師として着任した全国の一部の高等学校や中学校にも広まり、体育祭・運動会などで男子のマスゲームの一環として披露されることがある。
一般的(公式)に頭に長めの白鉢巻を巻き上半身裸、白い短パンを着用し、裸足のスタイルで行う。肉体の美、精神の美(雄たけび等)、集団の集合離散の美を追求する。なお、横浜健志台キャンパスには井上久照作の「エッサッサ像」が建立されている。
2013年9月に行われた東日本大震災復興支援 スポーツ祭東京2013(第68回国民体育大会兼第13回全国障害者スポーツ大会)の総合開会式で、応援パフォーマンスとして「エッサッサ」が演じられた。
過去、学校の体育祭プログラムで定番だった組体操(組み立て体操)・騎馬戦・棒倒しなどが、重大な怪我の発生などにより、プログラムからなくなりつつあるが、そうした中、地域に拠っては怪我の少ないエッサッサ・集団行動が再び見直されプログラムに組み込まれることがある。
集団行動
集団行動の訓練(女子大生編)が2011年11月8日・15日・22日、12月13日にテレビ朝日系番組トリハダ(秘)スクープ映像100科ジテンで紹介された。集団行動のメンバーの称号はNTF45(エヌテイエフ フォーティーファイブ)で、NはNIPPON(日本)、TはTAIIKUDAIGAKU(体育大学)、Fは(FAIRY)妖精を表す。女子大生45人が美しい演技をする妖精の様になって欲しいという願いから生まれた。
沿革
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1891年(明治24年) - 日高藤吉郎、東京市牛込区原町の成城學校(現・成城中学高等学校)内に「体育会」創設
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1892年(明治25年) - 日本体育会に改称
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1893年(明治26年) - 日本体育会体操練習所となる。東京市麹町区飯田町4丁目に設置
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1899年(明治32年) - 国庫補助金(5年間)を受けて「準国立(準官営)」となる。女子の入学受け入れにも着手
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1900年(明治33年) - 日本体育会体操学校(各種学校)と改称。東京市麹町区飯田町1丁目字牛が淵に完成し移転
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1901年(明治34年) - 日本体育会を社団法人組織に改組
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1903年(明治36年) - 体操学校に女子部を開設
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1904年(明治37年) - 日本体育会及び体操学校男子部を東京府荏原郡大井村の新築校舎へ移転
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1926年(大正15年) - 日体独自の応援スタイル「エッサッサ」完成
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1937年(昭和12年) - 日本体育会及び体操学校男子部を東京都世田谷区深沢(現在地)に移転
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1940年(昭和15年) - 社団法人を解散し財団法人日本体育会に組織変更。体操学校女子部が深沢へ移転
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1941年(昭和16年) - 専門学校令による日本体育専門学校設立
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1946年(昭和21年) - 日本体育専門学校が土浦海軍航空隊跡に移転
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1949年(昭和24年) - 学校教育法による日本体育大学体育学部体育学科設立
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1951年(昭和26年) - 日本体育専門学校廃止
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1953年(昭和28年) - 日本体育大学女子短期大学設置(短期大学初の体育科)
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1962年(昭和37年) - 体育学部健康学科設置
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1963年(昭和38年) - 日本体育大学女子短期大学に保育科設置
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1965年(昭和40年) - 武道学科設置
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1968年(昭和43年) - 神奈川県横浜市青葉区鴨志田町に用地を取得し、新キャンパス建設に着手
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1971年(昭和46年) - 健志台総合グラウンド開設
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1975年(昭和50年) - 社会体育学科設置、大学院体育学研究科体育学専攻(修士課程)設置(体育系では初の大学院設置)
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1981年(昭和58年) - 日本(にほん)体育大学から日本(にっぽん)体育大学に公的に呼称変更
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1991年(平成 3年) - 日本体育大学(日本体育会)創立100周年式典挙行(日本武道館)
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1996年(平成 8年) - 大学の英文表記を NIPPON SPORT SCIENCE UNIVERSITY(NSSU)に変更
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1997年(平成 9年) - 大学院体育学研究科体育学専攻を大学院体育科学研究科体育科学専攻(修士課程)に改称
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1998年(平成10年) - 大学院体育科学研究科を修士課程から博士課程(前期・後期)に改組
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2005年(平成17年) - 日本体育大学女子短期大学を日本体育大学女子短期大学部に改称
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2006年(平成18年) - 日本体育大学女子短期大学部専攻科保育専攻設置
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2012年(平成24年) - 学校法人日本体育会を学校法人日本体育大学に改称
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2013年(平成25年) - 児童スポーツ教育学部児童スポーツ教育学科設置。日本体育大学女子短期大学部募集停止。学校法人日本体育大学に日体大総合研究所を設置
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2014年(平成26年) - 保健医療学部整復医療学科、緊急医療学科設置。大学専攻科体育専攻を廃止
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2015年(平成27年) - 日本体育大学女子短期大学部を廃止
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2017年(平成29年) - スポーツ文化学部武道教育学科、スポーツ国際学科設置。これに伴い、体育学部武道学科募集停止。
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2018年(平成30年) - スポーツマネジメント学部スポーツマネジメント学科、スポーツライフマネジメント学科設置。これに伴い、体育学部社会体育学科募集停止。
基礎データ
所在地
- 東京:東京・世田谷キャンパス(本部) - 東京都世田谷区深沢7丁目1番1号
- 神奈川:横浜・健志台キャンパス - 神奈川県横浜市青葉区鴨志田町1221-1
象徴
- シンボルマーク - 日本の花を代表する桜を使用し、6つの花弁を持った花桜でデザインされている。
- シンボルマスコット - Triumphant Lion(トライアンファント・ライオン〈獅子〉、略称:T-ライオン)
- ロゴマーク - NIPPONTAIIKUDAIGAKU・NSSUの頭文字Nの文字を取り、走る選手(ランナー)を表現した、Nと●の合体ロゴマークがある。
- 校章は「體大」たいだいの立字(康煕字体)を使用し、体育会系クラブ「学友会」旗のほか、スポーツ応援などで多用されている。
- 略語の「NITTAIまたはNITTAIDAI」・「NSSU」もユニフォーム等に多く使用されている。硬式野球部の帽子には「日体」の英文字表記「NS」の略称を使用している。
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スクールカラーは決められていないが、日体ブルー「ニッタイブルー」(青色ブルー、空色・スカイブルーを含む)と云われ「日体生が大空に羽ばたく空」のイメージの青色系をユニフォームに使用しているクラブ・サークルが多い(詳細は#学生生活の各クラブを参照)。応援用のぼり旗や手旗も白地に日体ブルーの青色文字(青地に白抜き文字の手旗もある)の形で使用している。横浜健志台キャンパス400mトラック、ボクシング部リング場フロアー、世田谷キャンパス柔道場(公式試合場3面)の外枠デンジャラスゾーン(危険地帯)なども日体ブルーである。ただしハンドボール部など、白の半袖に黒の2本ライン横縞など創部以来の伝統のユニフォームを長年使用している部・サークルもある。
教育および研究
組織
学部
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体育学部
- 体育学科
- スポーツ教育専攻(2012年以前の入学者を対象)
- スポーツコーチング専攻(2012年以前の入学者を対象)
- アスレチックトレーニング専攻(2012年以前の入学者を対象)
- スポーツ教育領域(2013年以降の入学者を対象)
- 競技スポーツ領域(2013年以降の入学者を対象)
- 健康学科
- 健康教育専攻(2012年以前の入学者を対象)
- 福祉支援専攻(2012年以前の入学者を対象)
- ヘルスプロモーション領域(2013年以降の入学者を対象)
- ソーシャルサポート領域(2013年以降の入学者を対象)
- 武道学科 ※2017年4月学生募集停止(スポーツ文化学部開設のため)
- 武道教育専攻(柔道・剣道・相撲・少林寺拳法・合気道・弓道・なぎなた)(2012年以前の入学者を対象)
- 伝統芸能専攻(日本舞踊・民族舞踊・能舞踊)(2012年以前の入学者を対象)
- 武道教育領域(柔道・剣道・相撲・空手・少林寺拳法・合気道・弓道・なぎなた)(2013-2016年入学者を対象)
- 伝統芸能領域(日本舞踊・民族舞踊・能舞踊を総合)(2013-2016年入学者を対象)
- 社会体育学科 ※2018年4月学生募集停止(スポーツマネジメント学部開設のため)
- 地域スポーツ専攻(2012年以前の入学者を対象)
- スポーツマネジメント専攻(2012年以前の入学者を対象)
- アウトドアスポーツ専攻(2012年以前の入学者を対象)
- セラピューティックレクリエーション専攻(2012年以前の入学者を対象)
- 生涯スポーツ領域(2013年以降の入学者を対象)
- スポーツマネジメント領域(2013年以降の入学者を対象)
- ※上記4学科ともに「保健体育」の中学校教諭一種免許状、高等学校教諭一種免許状の取得が可能。また、武道学科では2012年以前の入学者を受け入れ対象としていた伝統芸能専攻にて、司書教諭免許取得の道も開かれていた。
- ※毎年、上記4学科の希望者を対象に、講習会受講後に小学校教員資格の認定試験(教員資格認定試験小学校二種免許)が行われ、合格した学生の中から各都道府県の採用試験を受験して小学校の教諭に採用される学生もいる。
- ※在学中に通信教育(ダブルスクール・小学校教員資格)を受けることができる制度がある(但し若干名である)。
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スポーツマネジメント学部
- スポーツマネジメント学科
- スポーツライフマネジメント学科
大学院
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体育科学研究科(2017年度入学者まで)
- 体育科学専攻(博士前期課程)
- 体育科学コース
- スポーツ文化・社会科学系
- トレーニング科学系
- 健康科学・スポーツ医科学系
- 体育実践学コース
- 体育科学専攻(博士後期課程)
- スポーツ文化・社会科学系
- トレーニング科学系
- 健康科学・スポーツ医科学系
- 教育・コーチング学系
- 体育科学研究科(2018年度以降入学者を対象)
- 体育科学専攻(博士前期課程)
- 体育科学コース
- スポーツ文化・社会科学系
- トレーニング科学系
- 健康科学・スポーツ医科学系
- 体育実践学コース
- 体育科学専攻(博士後期課程)
- スポーツ文化・社会科学系
- トレーニング科学系
- 健康科学・スポーツ医科学系
- スポーツ教育・健康教育学系
- コーチング学専攻(博士前期課程・博士後期課程)
-
教育学研究科
-
保健医療学研究科
教育・研究施設
日本体育大学図書館
世田谷本館、横浜・健志台分館に約48万冊の蔵書をもつ。国内外の体育・スポーツに関する文献が特に充実している。一般公開され広く一般人にも利用されている。
総合スポーツ科学研究センター
「設置機関」(学則第7条)のひとつ。日本体育大学におけるスポーツ科学研究活動の推進・支援を目的に設立された。電子ジャーナルの『日本体育大学スポーツ科学研究』を刊行している。学則の第7条によると当センターに「体育研究所及びオリンピックスポーツ文化研究所を・・・置く」とされている。
体育研究所
スポーツ科学、スポーツ医学に関する計測機器を多数そろえる。学外にも保有機材の利用に門戸を開いている。
オリンピックスポーツ文化研究所
アスレティックデパートメント
「設置機関」のひとつ(学則第7条)。「アスレティックデパートメントにハイパフォーマンスセンター、コーチングエクセレンスセンター及びスポーツ・トレーニングセンターを置く」(学則第7条)とされている。
ハイパフォーマンスセンター
コーチングエクセレンスセンター
スポーツトレーニングセンター
通称トレセン。トップアスリートの競技力向上などを目的とした施設。国内指折りの充実したトレーニング施設には学外からの利用もある。
スポーツキュアセンター
学則第7条の2によると「スポーツキュアセンター(保健医療学部附属整骨院)」となっている。
健康管理センター
国際交流センター
アドミッションセンター
教育支援センター
学生支援センター
学生寮
社会貢献推進機構
当機構内に「スポーツプロモーションオフィス」が置かれている。
健康管理センター
学生・教職員等の心身両面の健康管理に携わっている。
研究
これまで教員養成やスポーツ選手育成を大学教育の主眼としてきたこともあり、教員・学生(大学院生)共に充分な研究環境が整っているとはいえない状況にあった。そのため、大学院博士後期課程の設置から10年を経た2008年、研究活動の振興を図るための基本事項を定めた「基本計画(5ヶ年計画)」が策定された。
文部科学省委託事業
スポーツ・アカデミー形成支援事業
2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会に向けて、文部科学省が実施する「スポーツ・アカデミー形成支援事業」の委託先大学(Bタイプ)に採択された。オリンピズムの普及とスポーツ医科学研究の推進を図るため、同じく採択を受けた筑波大学及び鹿屋体育大学と連携し、各国の体育・スポーツ系大学とのネットワーク構築を目指している。
学生生活
- 学友会が組織されているが、学長を会長とし学生・教職員が会員となる独自の組織となっている。これには、現役選手が教職員として学内に残ることが多く、必然的に学生・教職員の垣根を越えた活動が求められていることによる。
- 学友会の組織には、総務部、運動部、応援部、厚生文化部のほか、サークル同好会が置かれ、約80の公認クラブ・サークルが活動している。
- キャンパスがふたつ有り、多くの学生が学生寮(健志台合宿寮・世田谷深沢第一学生寮等)か、各部合宿所で生活し、学生時代を謳歌している。比較的寮費・合宿費が安いのと、クラブの練習日程・開始時間(雨天変更)等の連絡(情報)が入るので4年間過ごす学生も多いという。下宿の場合、クラブ活動の場所が主に東京・世田谷キャンパスならば桜新町駅界隈に、横浜健志台キャンパスならば青葉区青葉台駅周辺に下宿する学生が多い。授業期間中は東京・世田谷キャンパス-横浜・健志台キャンパス間で往復の無料シャトルバスが運行されている。
- 学生寮においては過去に男子寮・女子寮の合同の寮生旅行、寮生対抗の水泳大会等のイベントも催されたが現在はない。学生寮(合宿所も含む)において各部新入生歓迎会、教育実習壮行会、クリスマス会、インカレ等の大会で優勝した場合の祝勝会、部員の誕生会(教員-監督・コーチ等含む)、近隣住民参加型の合同の餅つき大会、成人式を祝う会、卒業生送別試合、卒業生送別会、就職試験(教員採用試験・公務員採用試験対策など)の勉強会など各寮(合宿所も含む)で親睦と知識を深める為、現在も恒例として行われている所もある。入寮(合宿所含む)は、入部クラブにもよるが、順天堂大学のような全寮制ではなく準全寮制(教育寮により入寮を勧める)である。
スポーツ
- 体育系のクラブ活動がそのまま大学教育と直結するため、国内有数の強豪クラブ(大半のクラブが所属する地区における大学リーグの上位に所属)を多く抱える。また、それぞれの競技種目・分野で連勝などの記録を持っている。
- 競技種目によっては「常勝日体大」として他大学を圧倒した時期もあったが、近年は強化のノウハウを熟知した卒業生が他大学の指導者(教職員など)に就任するなどして、日体大を倒す状況がしばしば見受けられる。後述する水泳部水球ブロックの連勝を止めた専修大学(監督に日体大OB)がその好例である。
水泳部水球ブロック
- 水泳部水球ブロック(男子)が持つ376連勝(21年間無敗-スポーツ無敗記録一覧)の記録は、他大学・実業団のクラブ競技などの目標となっている。日体大は、関東学生水球リーグに所属している。
- 男子-日本学生選手権水泳競技大会水球競技 優勝41回(2017年現在最多優勝校で20連覇中)。関東学生水球リーグにおいて優勝30回。
- 全日本体育大学-日本選手権水泳競技大会水球競技大会 優勝37回(13連覇含む)
- 女子-関東学生女子水球リーグ(春季・秋季含む)優勝8回(3連覇含む)日本学生選手権水泳競技大会水球競技 優勝1回
- 日体クラブ-日本選手権水泳競技大会水球競技大会 優勝12回(3連覇含む)
- 日本選手権大会でのアベック優勝-10回 全日体男子(最多優勝チーム)・日体クラブ女子 2013年男女アベック優勝
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2014年日本学生選手権大会水球競技において、アベック優勝。
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2016年から全日体大はクラブチーム「Kingfisher74」に改組された。
体操競技部