日本興亜損害保険株式会社(にっぽんこうあそんがいほけん、英: NIPPONKOA INSURANCE CO., LTD.)は、かつて存在した日本の損害保険会社である。通称、日本興亜損保。本社は東京都千代田区霞が関3丁目7番3号にあった。
2010年4月1日に損害保険ジャパンとともに経営統合してNKSJホールディングス(当時)傘下となり、2014年9月1日に損害保険ジャパンを存続会社として合併して損害保険ジャパン日本興亜となり、2020年4月1日に統合時の存続会社名であった損害保険ジャパンに商号を変更した。持株会社NKSJホールディングスは、損害保険ジャパン日本興亜の発足と同時に「損保ジャパン日本興亜ホールディングス」に商号を変更し、2016年10月1日に現在のSOMPOホールディングスへ再度商号を変更した。
2001年4月1日に日本火災海上保険株式会社と興亜火災海上保険株式会社が合併して発足し、2002年4月1日に太陽火災海上保険株式会社と合併した。
特定の金融グループに属さない独立系の保険会社であったが、三和銀行と親密でフィナンシャルワンに発足当初から参加していることなどから、現在はMUFG系とみなされることが多いが、日本興亜損保は現在も自らを独立系としている。太陽生命保険に加えて近年は明治安田生命保険とも親密である。
筆頭株主のサウスイースタン・アセット・マネジメントは損害保険ジャパンとの経営統合を要求し、統合で草刈場とされることを懸念した兵頭誠社長の留任に反対を表明した。このため自主独立路線を貫けるか、業界再々編の中で行方が注目されていた。世界的な金融危機による自動車保険の急激な契約減少と、三井住友海上火災保険などが経営統合するなど大手同業他社の経営規模が拡大することを受けて、2009年3月13日に株式会社損害保険ジャパンと経営統合に合意し、2010年4月1日に共同で株式移転して共同持株会社のNKSJホールディングスを設立した。
経営統合後は独自ブランドで商品を展開したが、2012年3月23日に、株式会社損害保険ジャパンと2014年上半期を目途に合併して「損害保険ジャパン日本興亜株式会社」となることを取締役会で決議して正式発表した。この合併は2014年8月27日に金融庁から認可されて9月1日に実施された。当社は解散し、持株会社は「損保ジャパン日本興亜ホールディングス株式会社」に、グループは「損保ジャパン日本興亜グループ」に、それぞれ改称された。
合併当初からCMキャラクターに石原軍団を起用していたが、2010年4月以降は榮倉奈々を起用した。石原軍団起用時から、コンセプトは「さすが、わたしの保険」、キャッチフレーズは「あなたを全力でささえる」である。プロゴルファーの原江里菜とは引き続きプロモーション契約を結んでいる。
日本の損害保険会社として初のエコファースト企業となり、耳が葉を模している妖精の「エコラッタ」をキャラクターとして環境活動の取り組みをPRしている。
当社の子会社である日本興亜生命保険の保険販売代理店が、生命保険商品の販売に当たり虚偽説明、重要事項の説明不足、無登録募集などの違法な保険募集を行っていたが、日本興亜生命保険はそれを知りながら、代理店の監督責任があるにもかかわらず代理店の違法行為を放置し続けた。2003年11月6日に金融庁は、日本興亜生命保険に12日間の業務停止命令および業務改善命令の行政処分を言い渡した。
2005年9月27日に、当社を含む損保16社の保険金不払い事件が判明した。この時点で判明した不当な不払いは22,087件の7億8,257万円で、主に自動車保険の特約に集中していた。11月25日に判明した10社と合わせて26社となり、当社も金融庁から業務改善命令の行政処分を受けた。
金融庁の指導で損害保険各社が一斉に実施している現契約内容の確認作業について、当社は2007年4月から、説明点検運動と称して契約者自身に契約内容を確認するよう依頼していた。
2007年4月1日に松澤建が社長を退き代表権の無い会長職就くことが2007年1月12日に発表され、松澤は大量不払い問題による引責辞任を否定したが、事実上は引責辞任と見られる。松澤は、この発表以降に金融庁から何らかの行政処分が下された場合に会長職を辞任する意向を示し、3月14日の行政処分を受けて会長職に就かない可能性が濃厚となるも就任した。
後任には当時副社長職を務めていた兵頭誠が昇格し社長となった。