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日系人の強制収容とは?

この記事の内容の信頼性について検証が求められています。
確認のための文献や情報源をご存じの方はご提示ください。出典を明記し、記事の信頼性を高めるためにご協力をお願いします。議論はノートを参照してください。(2009年12月)
マンザナー強制収容所
強制収容される日系アメリカ人
アメリカ軍により発せられた強制立ち退き令を報じる羅府新報。文中の「PE赤電車」はパシフィック電鉄(Pacific Electric)を指す。

日系人の強制収容(にっけいじんのきょうせいしゅうよう、: Japanese Internment)とは、第二次世界大戦時においてアメリカ合衆国やアメリカの影響下にあったペルーブラジルなどのラテンアメリカ諸国の連合国、またカナダオーストラリアなどのイギリス連邦において行われた、日系人日本人移民に対する強制収容所への収監政策である。1942年から1946年に亘って実施された。

目次

  • 1 起源
    • 1.1 日系人に対する監視
    • 1.2 開戦
    • 1.3 強制収容計画の推進
      • 1.3.1 軍統制の模索
      • 1.3.2 日系アメリカ人への誹謗
      • 1.3.3 日本軍本土上陸への恐怖
    • 1.4 「大統領令9066号」への署名
    • 1.5 マジック情報
    • 1.6 日系人だけに対する差別的扱い
    • 1.7 日本人外交官、駐在員への扱い
  • 2 強制収容の実施
    • 2.1 日系アメリカ人と日本人移民
    • 2.2 南米諸国の日系人と日本人移民
  • 3 強制収容所
    • 3.1 所在地
    • 3.2 施設
    • 3.3 住居
    • 3.4 食事
    • 3.5 リクリエーション
    • 3.6 情報伝達手段
    • 3.7 忠誠心調査と分離
    • 3.8 暴動
    • 3.9 著名な収容者
  • 4 被害
    • 4.1 財産放棄
    • 4.2 財産保全
  • 5 アメリカ国内における批判
    • 5.1 カー・コロラド州知事
    • 5.2 ライシャワー博士
    • 5.3 ビドル司法長官
    • 5.4 ロバート最高裁判事
  • 6 強制収容の終焉
    • 6.1 帰還命令
    • 6.2 「二級市民」扱い
    • 6.3 アメリカ政府による謝罪と賠償
      • 6.3.1 日系アメリカ人
      • 6.3.2 日系ペルー人
    • 6.4 史跡保存
    • 6.5 記録
  • 7 他の連合国における強制収容
    • 7.1 ブラジル
      • 7.1.1 国交断絶
      • 7.1.2 各種処分の執行
      • 7.1.3 強制収容の執行
      • 7.1.4 「勝ち組」と「負け組」
    • 7.2 ペルー
    • 7.3 アルゼンチン
    • 7.4 メキシコ
    • 7.5 カナダ
    • 7.6 オーストラリアおよび周辺諸国
  • 8 強制収容を扱った作品
  • 9 関連項目
  • 10 脚注
  • 11 外部リンク

起源

日系人に対する監視

選抜訓練徴兵法案に署名するフランクリン・D・ルーズベルト米大統領(1940年)

フランクリン・D・ルーズベルト米大統領は、日系人人口が多いハワイにおける日本側の情報活動に危機感を抱き、1936年に作戦部長にあてた覚書で「わたしに明確な考えが浮かんだ。日本の船舶と乗組員に接触するオアフ島の日系人の身元を極秘に洗い出し、有事に際して強制収容所に最初に送り込む特別リストに氏名を記載しておくべきだ。」と提案している。

その後、1937年7月に行われた日本陸軍による中華民国への軍事行動に対する通商航海条約の継続停止措置や、1940年9月に行われた日独伊三国同盟の締結へのアメリカによる危機感の増大。これに先立っておこなわれた親独政権の統治下にあるフランス領インドシナ北部への日本軍の進駐に対してアメリカが行った、アメリカ国内の日本人資産の凍結と貿易制限。さらに1941年7月に行われたフランス領インドシナ南部への進駐に対して8月1日より行われた、日本へ対する石油の全面禁輸など、日本を過剰に敵視するアメリカが行う措置と、これに反発する日本の世論の沸騰などにより日米間の関係が緊迫度を増した。日米間における開戦が危惧される中、同年11月にアメリカ政府は国内に在住する日系アメリカ人および日本人名簿の作成を完了した。

開戦

真珠湾攻撃

その後12月8日に日本陸軍がイギリス領マレーに対して侵攻し、引き続き日本海軍艦隊によって行われた真珠湾攻撃をきっかけに、日本や日本を追ってアメリカに対して宣戦布告を行ったドイツイタリアなどの枢軸国と戦争状態に入った。

その後、アメリカ政府はアメリカ本土及び友好国がその大半を占める中南米諸国に住む、枢軸国の国家をルーツに持つ日系アメリカ人と日本人、ドイツ系アメリカ人とドイツ人、イタリア系アメリカ人とイタリア人に対して「敵性市民」としての監視の目を向けることになった。

なお、開戦前にフランクリン・D・ルーズベルト大統領の命により日系アメリカ人および日本人の忠誠度を調査したカーティス・B・マンソンは「90パーセント以上の日系アメリカ人二世は合衆国に対して忠誠であり、日系人より共産主義者の方が危険である」と報告していた。なお、真珠湾攻撃の際に原田義雄ら2人の日系アメリカ人が、捕虜となった日本海軍のパイロットの西開地重徳一飛曹の脱走を手助けをした「ニイハウ島事件」等の例が、日系アメリカ人に対する批判的な論調を後押しすることになったという意見もある。

なお、この様な反逆的な事例、もしくはそれを疑わせるような事例は、ドイツ海軍潜水艦Uボート」によりアメリカ東海岸沿岸やメキシコ湾沿岸からアメリカ国内に送られたスパイへの、ドイツ系アメリカ人による支援に対する疑い など、大戦中を通じてドイツやイタリア系アメリカ人にむしろ多数みられた。

強制収容計画の推進

軍統制の模索

ヘンリー・スティムソン

カリフォルニア州の防衛に責任のあったアメリカ陸軍ジョン・L・ドゥウイット中将やアレン・W・ガリオン憲兵司令長官は、かねてから日本軍の本土進攻に備えた文民統制から軍統制への方法を模索していた。しかし、民間出身であるヘンリー・スティムソン陸軍長官が軍統制に対して興味を示さなかったため、彼らは独自の計画によりカリフォルニア州を含むアメリカ西海岸の軍統制の道を模索していくことになった。

その様な状況下で、日本による真珠湾攻撃とその後の日本軍によるアメリカ本土侵攻が現実味を帯びてきたことを受け、真珠湾攻撃が行われてから数週間が過ぎた12月30日にフランシス・ビドル法務長官は、日本国籍を持つ日本人移民の家のみならず、少なくとも居住者の1人が「敵性外国人」である日系アメリカ人の家を、令状なしに捜査するという権限を与えたことで、憲法修正4条はもはや適用されない趣旨を提言した。

ガリオン長官率いる陸軍憲兵司令室は、戦時下における文民統制を主張する司法省との競合のなかで、カール・R・ベンディッツェン陸軍少佐太平洋沿岸州に送り込み、ベンディッツェン少佐を通すことで、ジョージ・マーシャル陸軍参謀総長を無視して「敵性外国人」の「強制収容所(Concentration Camps)」への強制収容を秘密裏に計画することになった。

日系アメリカ人への誹謗

アール・ウォーレン

さらにカリフォルニア州のカルバート・オルソン知事は、「日系アメリカ人はアメリカの価値観や伝統になじもうとせず、受け入れようともしない。」と誹謗する発言をし、さらにカリフォルニア州のアール・ウォーレン司法長官は「日系アメリカ人がまだ破壊活動を行わないのは、攻撃開始予定時間を待っているからだ。」と言う支離滅裂な主張をすることで 日系アメリカ人を危険視した。

ドゥウイット中将はこの頃、「現時点で日系人による破壊行為が行われていないという事実こそが、今後日系人による破壊行為が行われる兆候である」という、ウォーレン司法長官と同様の主張や、「アメリカ国籍を持っていようが持っていまいが、ジャップの(アメリカに対する)忠誠心を信用することはできない」というような人種差別的表現まで使った主張をし、軍統制や日系アメリカ人の強制収容を正当化しようとした。 しかし当時のアメリカでは、この様な主張に対しての批判や反論を行うものは少なかった。

日本軍本土上陸への恐怖

なお、日本海軍による開戦当初の怒涛の進撃と、アメリカ軍を含む連合国軍の度重なる敗退を受けて、1941年12月から1942年の秋にかけては日本海軍の空母を含む連合艦隊によるアメリカ本土砲撃アメリカ本土空襲と、それに続くアメリカ本土への侵攻計画は当時「可能性が非常に高い」と分析されていた。

実際に開戦直後にフランクリン・D・ルーズベルト大統領は日本軍によるアメリカ本土への上陸を危惧し、陸軍上層部に上陸時での阻止を打診するものの、それに対して陸軍上層部は「大規模な日本軍の上陸は避けられない」として、日本軍を上陸後ロッキー山脈で、もしそれに失敗した場合は中西部のシカゴで阻止することを検討していた(なお、実際に開戦後数週間の間、アメリカ西海岸では日本軍の上陸や空襲を伝える誤報が陸軍当局に度々報告されていた。)。

アメリカ本土を砲撃した巡潜乙型潜水艦(写真は伊号第一五潜水艦)

開戦後より、サンフランシスコロングビーチサンディエゴ等の西海岸の主要な港湾においては、日本海軍機動部隊の襲来や陸軍部隊の上陸作戦の実行を恐れて、陸海軍の主導で潜水艦の侵入を阻止するネット機雷の敷設を行った他、その他の西海岸の都市でも爆撃を恐れ、防空壕を作り、灯火管制を行い映画館ナイトクラブの夜間の営業停止、防毒マスクの市民への配布などを行っていた。さらには空襲を恐れて学童疎開も検討された。

事実、1941年12月の開戦以降、日本海軍の乙型潜水艦9隻がアメリカ西海岸沿岸で通商破壊作戦に従事し、アメリカやカナダの輸送船に魚雷攻撃や砲撃を加え、エミディオ号をはじめ10数隻に撃沈、擱座、制御不能などの多数の損害を与えた。またクリスマス・イヴには、北太平洋で作戦活動に従事していた日本海軍の艦艇10隻程度によるサンフランシスコへの砲撃が予定されていたが、日本海軍司令部が「クリスマス位は静かに送らせてやれ」という態度を取ったために、最終的に中止するに至った(なお中止の理由には諸説ある)。

「ロサンゼルスの戦い」を報じるロサンゼルスタイムズ

大都市部のロサンゼルスやサンフランシスコへの砲撃こそ行われなかったものの、開戦から3ヶ月を経た1942年2月24日には、カリフォルニア州サンタバーバラ近郊の海岸沿いにあったエルウッド石油製油所を日本海軍の乙型潜水艦「伊号第一七潜水艦」が砲撃し施設を破壊し、帰途にタンカー1隻と輸送船1隻を撃沈したほか、翌日には、ロサンゼルス近郊においてアメリカ陸軍が、日本軍の航空機の襲来を誤認し多数の対空射撃をおこなった「ロサンゼルスの戦い」が発生した。この事件に関してアメリカ海軍は「日本軍の航空機が進入した事実は無かった。」と発表したが、一般市民は「日本軍の真珠湾攻撃は怠慢なアメリカ海軍の失態」であり、過剰なほどの陸軍の対応を支持するほどであった。

また、当初は軍統制に興味を示さなかったスティムソンは、日本海軍による太平洋沿岸部への空襲を「戦争開始後一ヶ月の間に行われる可能性は高い、そして日系人がそれに重要な手助けをする危険性は払拭できない。」と証言し、西海岸区域の軍統制を後押しした。

「大統領令9066号」への署名

サンフランシスコ市内に張り出された日本海軍機による空襲時のシェルターへの避難案内と日系アメリカ人に対する強制退去命令
日系アメリカ人に対する強制退去命令が出されたアメリカ西海岸地域(「Exclusion area」と書かれている太線の左側。星印などは強制収容所などの関連施設)
アメリカ本土空襲を行った零式小型水上偵察機
サンフランシスコ市内の日系アメリカ人が経営する店舗に張り出された「私はアメリカ人である」と書かれた看板(1942年3月)

その後もアメリカ軍を含む連合国軍が、アジア太平洋インド洋などにおける日本軍との戦いにおいて敗退の一途をたどっただけでなく、同月には日本海軍艦艇によってカナダバンクーバー島のカナダ軍施設に対する砲撃が行われた負傷者を出した他、上記のような西海岸沿岸におけるアメリカやカナダ船舶に対する度重なる日本海軍の潜水艦による攻撃などもあり、その後も変わらず「日本軍によるアメリカ本土上陸が近い」、「日本軍による空襲が行われる」と噂され、政府上層部がその対応に追われるなど、アメリカ人の反日感情はピークに達していた。これらの流れに勢いづいた陸軍省は、西海岸地域一帯における軍統制を実現するためにまず司法省を説き伏せようと、様々な手を使って司法省とホワイトハウスに働きかけた。またこの様な働きかけに対して、戦時下という非常時におかれていた司法省も法の理念を守り通すことができなかった。

こうして1942年2月19日に、当時中国大陸において日本軍と対峙していた連合国の一国である中華民国の指導者である蒋介石、そして蒋介石の妻の宋美齢とも親しい「親中派」であり、その反動として反日感情が病的なまでに強いことで知られたフランクリン・D・ルーズベルト大統領は、「大統領令9066号」に署名を行い、「軍が必要がある場合(国防上)に強制的に『外国人』を隔離する。」ことを承認した。

マジック情報

デイヴィッド・ロウマンアメリカ国家安全保障局特別顧問は自著で日本政府が使用していた「パープル暗号」を解読して得た情報(マジック情報)がアメリカ日系人を強制収容する必要性の証拠となったとした。このマジック情報の中に、「日系アメリカ人などを本土上陸後にスパイとして使う」などの作戦が情報として含まれていたとの説が有力である。しかし、多数の日系人を起訴すれば証拠としてマジック情報を公開する事になり、それにより日本が暗号が破られている事に気付く事を恐れたルーズベルト大統領は、大統領令9066号に署名し証拠を提示せずにアメリカ日系人を強制収容する策を選んだのだと結論づけた。

しかし実際には、「パープル暗号」にそのような情報が含まれていたかは証明されていない上に、日米開戦から日系人の強制収容の開始までの間、さらに終戦までの間を通じて、日系アメリカ人によるアメリカ軍や政府に対するスパイ活動や組織的な破壊活動などは全く行われなかった。

日系人だけに対する差別的扱い

なお、この法令は「すべての敵性外国人に向けたもの」であるとされ、実際に施行当初においてアメリカ国内で一時的に強制収容された半数近くは、日米間の開戦直後にアメリカに対して宣戦布告を行ったドイツイタリア系の移民とその子孫であった。

さらにアメリカが経済的・政治的に大きな影響力を持っていたメキシコペルーコロンビアなどの中南米諸国でも、アメリカ政府からの圧力を受けて、日系人のみならず、ドイツ系やイタリア系のユダヤ系を含む移民とその子孫が一時的に強制収容された。

しかしアメリカ国内においては、この行政令が、カリフォルニア州やワシントン州、オレゴン州などのアメリカ西海岸沿岸州と準州のハワイ地域に住み、市民権が与えられない(あるいは剥奪された)日本人、アメリカ国籍を持つ移民一世と、その子孫で日本人の血が16分の1以上混ざっている日系アメリカ人達の強制立ち退きと「戦時転住センター」への強制収容に発展した。従軍中の日系人は収容こそされなかったが、除隊され敵性外国人とみなされたり、軍隊内で差別を受けるなど憂き目を見た。

その後、アメリカをはじめとする連合国軍の敗走に勢いづいた日本海軍の乙型大型潜水艦による、1942年2月のカリフォルニア州南部のサンタバーバラ市近郊の製油所やカナダ沿岸に対する砲撃や、9月の伊号第二五潜水艦の搭載機零式小型水上偵察機によるアメリカ本土空襲、さらに潜水艦によるアメリカ、カナダ西海岸一帯における通商破壊作戦よりは規模は小さいものの、日本の同盟国のドイツ海軍の潜水艦によるアメリカ東海岸沿岸やメキシコ湾における連合国の民間船に対する通商破壊作戦、ドイツ軍のスパイによるアメリカ国内におけるテロなどの破壊行為が多数行われ、多くの被害や犠牲者が出ていた 。

しかし、在米ナチス党員(傘下のアメリカ・ナチス党員を含む)やファシスト党員など本国政府との結びつきが強く、スパイ行為やテロなどの破壊行為などに携わる可能性が高いと思われるもの以外のほとんどのドイツ系やイタリア系移民とその子孫は1942年中盤には釈放されたが、日系移民については、その後もその多くが釈放されないままであった 。さらに日系移民だけに対しては、その後不動産や自動車などの私有財産を含む全ての財産の放棄や、強制収容所への長期にわたる収容が行われることとなる。

日本人外交官、駐在員への扱い

なお、開戦後に日系アメリカ人や日本人移民と同じくアメリカ当局によって抑留された、アメリカとアメリカの影響圏の中南米諸国に在留、駐在していた外交官や大企業の駐在員、宗教関係者や留学生などの日本人は、その後日系アメリカ人や日本人移民に対して行われた強制収容の対象とはならず、アメリカ内陸部の保養地などに「軟禁」され、(あえてアメリカへの残留を望んだ者を除いては)その後1942年から1943年にかけて2回にわたり日米間で運行された戦時交換船により帰国させられた。

なおこの際、同じく日本国内とアメリカの植民地であったフィリピンイギリスの植民地であったマレー半島オランダの植民地であった東インドなどの、日本軍が欧米の軍隊を駆逐して占領下においていた地域、及びタイ満州国などの日本の同盟国や、朝鮮半島台湾などの日本の植民地に在留、駐在していたアメリカ人外交官や企業駐在員、留学生も、同じく交換船によりアメリカに帰国した。

強制収容の実施

日系アメリカ人と日本人移民

サンタアニタのセンター」に運ばれてきた日系アメリカ人。アメリカ軍兵士の監視下にある。

大統領令9066号が発令された後の1942年2月下旬から、カリフォルニア州ワシントン州オレゴン州などのアメリカ西海岸沿岸州と準州のハワイからは一部の日系アメリカ人と日本人移民約120,000人が強制的に完全な立ち退きを命ぜられた。

最終的に同年3月29日をもって対象地域に住む日系人に対し移動禁止命令が下り、それ以前に自ら立ち退いた一部の人間を除く多くの日系人は、地元警察とFBI、そしてアメリカ陸軍による強制執行により家を追い立てられ、戦時転住局によって砂漠地帯や人里から離れた荒地に作られた「戦時転住所」と呼ばれる全米10ヶ所の強制収容所に順次入れられることになった。しかし、強制収容所の建設工事が間に合わなかったため、一部の人は一時的に16ヶ所に設けられた「集結センター」に収容されたが、その内のいくつかは体育館競馬場の馬舎(本項冒頭に掲載の羅府新報に記載されているサンタアニタパーク競馬場もその一つ)であった。

議会ではアメリカ本土の議員(準州であるハワイからの議員はいなかった。)から全てのハワイ諸島在住の日系人と日本人移民の強制収容を支持する声も挙がったが、ハワイでは約1000人以上の日系人と日本人移民と約100人のドイツ系アメリカ人とイタリア系アメリカ人がアメリカ本土もしくはハワイの8箇所に設置された強制収容所に送られるに留まった。

ハワイでは既に戒厳が宣告されており、スパイ行為や破壊行為の抑止は十分できると考えられた為、ハワイ諸島在住の日系人と日本人移民の大部分は強制収容を免れた。また、ハワイ諸島には、1940年米国国勢調査の時点で全住民の約37.3%に相当する15万7905人の日系人(うち「ネイティブ」即ちハワイもしくは米国内で生まれた者、もしくは米国以外で生まれたが親が米国国籍を持っていた者が12万552人と約76.3%を占めた)が住むなど、日系人があまりにも多く、社会が成り立たなくなると同時に膨大な経費と土地を必要とすることになるため、強制収容するには現実的に無理があった。

南米諸国の日系人と日本人移民

戦時交換船(第1次日英交換船の鎌倉丸)

日米間における開戦当時、ペルーブラジルメキシココロンビアなどのラテンアメリカ諸国の殆どはアメリカの強い政治、経済、さらに軍事的影響下にあり(モンロー主義)、その殆どが1942年に入ると連合国として参戦するか、もしくは参戦はしないものの連合国よりの政策を取っていた。

そのような中で1942年4月18日に、ペルーの首都・リマのアメリカ大使館からジョン・K・エマーソン書記官(後の駐日アメリカ合衆国公使)が国務省あてに「ペルーの日系人が危険である。」と報告した。

この様な報告を受けて1942年12月から1945年にかけてこれらの中南米諸国家に対して出された、日系人及び日本人移民のアメリカへまたは現地の強制収容要請により、ペルーやボリビアなどの中南米13カ国で、アメリカ合衆国大使館が「日系人社会に影響力がある。」という戦争とは関係のない理由で指定する日系人及び日本人移民を現地の国家の警察の協力によって逮捕し、アメリカ海軍の艦艇でアメリカに連行された。「正規の入国手続きを経ていない不法入国」を理由に逮捕し、テキサス州クリスタルシティの移民労働者用のキャンプに強制収容された。一部についてはアメリカ軍兵士の捕虜と交換船により交換された。

また、ブラジルではタカ派のジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス大統領の独裁体制下で、「ブラジル文化に同化しない」と評された日系ブラジル人に対する弾圧が1930年代を通して進み、アメリカ合衆国の上述のような姿勢と相まって、戦中の日系ブラジル人は非常に厳しい立場に立たされた。

最終的にアメリカ政府は、メキシコとカナダ、南アメリカ諸国に住むのべ13カ国に住む2264人の日系人及び日本人移民をアメリカ国内の強制収容所に強制連行し、そのうち1771人(80%)はペルー移民及びその日系子孫のペルー人であった。

強制収容所

アマチ強制収容所
ミニドカ強制収容所
アマチ強制収容所の住居内
マンザナー強制収容所内のトイレ
マンザナー強制収容所内の畑
マンザナー強制収容所内で行われた、収容者のボーイスカウトによるメモリアルデーのパレード
マンザナー強制収容所内で発行された収容者向けの情報誌
合衆国旗への「忠誠の誓い」をする子供たち(1942年4月)

大統領令9066号の発令以降、上記のように12万313人の日系アメリカ人、つまり日本人にそのルーツを持つアメリカ国民と日本人移民、そしてメキシコやペルーなどのアメリカの友好国である中南米諸国に在住する日系人と日本人移民が、アメリカ全土の11か所に設けられた強制収容所に強制収容された。

また、そのほかにも、ニューヨーク州ニューヨークのマンハッタン島の横にあるエリス島に設けられていた移民者収容施設にも、日系人と日本人移民約8,000人が収容された。

なお、最初に開設されたポストン強制収容所は1942年5月に開設された。その後相次いで強制収容所が開かれ、最後に開設されたクリスタル・シティ強制収容所は同年11月に開設された。

所在地

詳細は「日系人収容所所在地」を参照

アメリカ国内における全ての強制収容所は人里離れた内陸部、その多くは砂漠地帯に設けられていた。しかも、逃亡者を防ぐために有刺鉄線のフェンスで外部と完全に隔てられている上、警備員の銃口は常に収容所内部に向けられていた。

施設

強制収容所内には、急ごしらえの粗末な住居

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出典:wikipedia
2018/06/08 02:26

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